『十三人の刺客』は、時代劇好きなら見ねばならないとは思うのですが、どうしても「今の若者が髷に月代をしている外見」に違和感を感じて仕方がないんですが。
昔の時代劇を知っていると、尚更似合ってないと思ってしまうのです。
多分慣れなんでしょうが、少なくとも昔の人は足が短い分、どっしりとした「剣術の構え」が似合っていたんだと思います。
大体実際やり合ってたたわけだし。
今の人は腰の位置が高すぎてふわふわと頼りない感じ。
別に昔の俳優さんも「本当の刺客」じゃないわけですから、殺気がないからだとかは関係なく、やはり「今の人」と「昔の人」では明らかに「似合う外見」は違うんだなという印象なのでした。
かっちょいい侍ものならいいのかもしれませんが、これが農村主役とかだったりすると多分もっと厳しいんだろうなあ。
ですが、いくらかっこよくても、『大奥』の俳優チョイスは本気でどうかと思います。
誰だアレ考えたの。
あれはお互いのためにならない。
『さまよう刃』
原作未読。レンタルで鑑賞しました。
結論からいうと、想像していた映画とは違い、お涙頂戴ものではなく、被害者やその家族の物語ではなく、その家族を取り巻く人間群像を描いた、社会派な映画でした。
暴行されて死亡した女子高生の父親が、その犯人たちに復讐していくというのが非常に大まかなストーリーなのですが、実際、寺尾聰演じる父親の心情は語られません。
悲しい、何故悲しいのか。
悔しい、何故悔しいのか。
それらは見ている側、もしくはその物語に出演している他の登場人物が考え、代弁することであり、父親は作中でこれも第三者である刑事が読む手紙でしか、己の気持ちを表現する事はしない。
その手紙は、公式サイトにあるので読んでいただければわかるのですが、非常に律されたものであり、それがまた見ている側は、その裏にあるであろう父親の気持ちを想像するしかない。
そんな傍観者側からの視点を描いたような映画でした。
主役は父親であるのかもしれませんが、実際物語を動かすのは、竹野内豊演じる刑事であるのは明白であり、吐露されない思いを抱えた父親に代わり、真っ向から「おかしい」「間違っている」「法を守るために法があるのか」と悩み続ける刑事の姿は、本来父親が語るべき言葉を全部語っているように思いました。
ただあくまで、刑事はあくまで被害者の関係者ではないわけで、どれだけ思いが近かろうが、決して父親とは交わらないであろうというところに、またこの映画の救われなさがあるわけですが。
ただ、映画の作りとしてはちょっと長すぎるかな、と。
物語が序盤で動きが激しく、ある程度の決着や事件性が出揃ってしまうので、それ以降が見ていて中だるみする感があります。
何せ父親が語り部にならないので、じゃあ語らない男を捜す人間たちにドラマがあるとそうでもない、というか。
原作を読んだ事はありません(多分この作者様の本は一冊も読んだ事がない)が、多分刑事物とか、社会物というジャンルに近いのではないかと。人間ドラマ、を描きたい作品ではなかったのかな、という印象でした。
この辺多分好みの問題ですね。登場人物すべてが慟哭している映画が、いい映画というわけではないし。
昔の時代劇を知っていると、尚更似合ってないと思ってしまうのです。
多分慣れなんでしょうが、少なくとも昔の人は足が短い分、どっしりとした「剣術の構え」が似合っていたんだと思います。
大体実際やり合ってたたわけだし。
今の人は腰の位置が高すぎてふわふわと頼りない感じ。
別に昔の俳優さんも「本当の刺客」じゃないわけですから、殺気がないからだとかは関係なく、やはり「今の人」と「昔の人」では明らかに「似合う外見」は違うんだなという印象なのでした。
かっちょいい侍ものならいいのかもしれませんが、これが農村主役とかだったりすると多分もっと厳しいんだろうなあ。
ですが、いくらかっこよくても、『大奥』の俳優チョイスは本気でどうかと思います。
誰だアレ考えたの。
あれはお互いのためにならない。
『さまよう刃』
原作未読。レンタルで鑑賞しました。
結論からいうと、想像していた映画とは違い、お涙頂戴ものではなく、被害者やその家族の物語ではなく、その家族を取り巻く人間群像を描いた、社会派な映画でした。
暴行されて死亡した女子高生の父親が、その犯人たちに復讐していくというのが非常に大まかなストーリーなのですが、実際、寺尾聰演じる父親の心情は語られません。
悲しい、何故悲しいのか。
悔しい、何故悔しいのか。
それらは見ている側、もしくはその物語に出演している他の登場人物が考え、代弁することであり、父親は作中でこれも第三者である刑事が読む手紙でしか、己の気持ちを表現する事はしない。
その手紙は、公式サイトにあるので読んでいただければわかるのですが、非常に律されたものであり、それがまた見ている側は、その裏にあるであろう父親の気持ちを想像するしかない。
そんな傍観者側からの視点を描いたような映画でした。
主役は父親であるのかもしれませんが、実際物語を動かすのは、竹野内豊演じる刑事であるのは明白であり、吐露されない思いを抱えた父親に代わり、真っ向から「おかしい」「間違っている」「法を守るために法があるのか」と悩み続ける刑事の姿は、本来父親が語るべき言葉を全部語っているように思いました。
ただあくまで、刑事はあくまで被害者の関係者ではないわけで、どれだけ思いが近かろうが、決して父親とは交わらないであろうというところに、またこの映画の救われなさがあるわけですが。
ただ、映画の作りとしてはちょっと長すぎるかな、と。
物語が序盤で動きが激しく、ある程度の決着や事件性が出揃ってしまうので、それ以降が見ていて中だるみする感があります。
何せ父親が語り部にならないので、じゃあ語らない男を捜す人間たちにドラマがあるとそうでもない、というか。
原作を読んだ事はありません(多分この作者様の本は一冊も読んだ事がない)が、多分刑事物とか、社会物というジャンルに近いのではないかと。人間ドラマ、を描きたい作品ではなかったのかな、という印象でした。
この辺多分好みの問題ですね。登場人物すべてが慟哭している映画が、いい映画というわけではないし。
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現在両手がボチシートとガーゼとネットでぐるぐる巻きなので、手洗いや水仕事がしづらいです。
病院で処置してもらったときは本当に、「これで尻が拭けるのだろうか」と心配になったくらいでした。
これで少しは手あれが良くなるといいんですけど、結局仕事を始めたら元の木阿弥な気がするなあ。
自分が中二病だという話。
オタクであることも加味しつつ、己の内面も正直厨二病っぽいなあと思っていたんですが、最近確信した事が一つありまして。
例えば、そうですね、好みの男性のタイプがあるとするじゃないですか。
相手の事を「私の白菊」とか言っちゃう男がタイプだとすれば、普通はそういう男性を探すわけですよね。
ところが、私の場合、そういう男を探すんじゃなくて自分がそういう人間になろうとしちゃう傾向が強いんですよ。
白雪は冗談だとしても、即断即決な男の人がいいなあと思うと、自分が即断即決する性格になっちゃうわけですよ。仕事ができる男がいいなあと思えば、仕事を頑張って自分がやろうとしちゃうわけですよ。そういう男を捜すんじゃなくて。
自分が望む自分になろうとしちゃっているから、究極の自己満足と自己生産(苦笑)がそこにあるので、第三者(つまり男)が絡んでこなくても、どうでもよくなっちゃうんですよね。
この辺の自己完結の仕方が、非常にコミュニケーション能力が欠如した子供な大人だなあと思ったのでした。
いやーもう30過ぎてこういうこと言っててしちゃってるともう、人生終わったな感が目に見えるようですね。
本気で伴侶を探す意義が見出せないんだもん。
いい友人には出会いたいし、そのためには努力しようと思うのは当然だけども。
女子力の話。
ジャムのビンを必死になって開けようとしている姿を見て、男が自分から「開けようか」と言ってくるのが女子力の高い人。
必死になって開けようとして駄目で、男に「開けてくれる?」と可愛くおねだりできるのもやや高い人。
必死になって開けようとして駄目で、それでもおばあちゃんの知恵袋的なものを動員してでも自分で開けようとするのは、女子力が低い人。
ちなみに私クラスになると、最終的に誰がどうやっても開かなかったものを「井原さんなら開けられるだろう」(腕力的な意味だけでなく)と持ってこられて「何で私に」と文句を言いつつも結局開けられるにせよ、開けられないにせよ、そこで「はい、終了」と一連の出来事の決着をつけられるようになります。
ここまでくれば免許皆伝ですね。
どうですか皆さんもこの高みへ。
ただし、一度登ったらまず降りられませんが。
病院で処置してもらったときは本当に、「これで尻が拭けるのだろうか」と心配になったくらいでした。
これで少しは手あれが良くなるといいんですけど、結局仕事を始めたら元の木阿弥な気がするなあ。
自分が中二病だという話。
オタクであることも加味しつつ、己の内面も正直厨二病っぽいなあと思っていたんですが、最近確信した事が一つありまして。
例えば、そうですね、好みの男性のタイプがあるとするじゃないですか。
相手の事を「私の白菊」とか言っちゃう男がタイプだとすれば、普通はそういう男性を探すわけですよね。
ところが、私の場合、そういう男を探すんじゃなくて自分がそういう人間になろうとしちゃう傾向が強いんですよ。
白雪は冗談だとしても、即断即決な男の人がいいなあと思うと、自分が即断即決する性格になっちゃうわけですよ。仕事ができる男がいいなあと思えば、仕事を頑張って自分がやろうとしちゃうわけですよ。そういう男を捜すんじゃなくて。
自分が望む自分になろうとしちゃっているから、究極の自己満足と自己生産(苦笑)がそこにあるので、第三者(つまり男)が絡んでこなくても、どうでもよくなっちゃうんですよね。
この辺の自己完結の仕方が、非常にコミュニケーション能力が欠如した子供な大人だなあと思ったのでした。
いやーもう30過ぎてこういうこと言っててしちゃってるともう、人生終わったな感が目に見えるようですね。
本気で伴侶を探す意義が見出せないんだもん。
いい友人には出会いたいし、そのためには努力しようと思うのは当然だけども。
女子力の話。
ジャムのビンを必死になって開けようとしている姿を見て、男が自分から「開けようか」と言ってくるのが女子力の高い人。
必死になって開けようとして駄目で、男に「開けてくれる?」と可愛くおねだりできるのもやや高い人。
必死になって開けようとして駄目で、それでもおばあちゃんの知恵袋的なものを動員してでも自分で開けようとするのは、女子力が低い人。
ちなみに私クラスになると、最終的に誰がどうやっても開かなかったものを「井原さんなら開けられるだろう」(腕力的な意味だけでなく)と持ってこられて「何で私に」と文句を言いつつも結局開けられるにせよ、開けられないにせよ、そこで「はい、終了」と一連の出来事の決着をつけられるようになります。
ここまでくれば免許皆伝ですね。
どうですか皆さんもこの高みへ。
ただし、一度登ったらまず降りられませんが。
トマシュの話。
私の中において、プルシェンコとトマシュにおける気持ちのベクトルの違いを考えてみました。
結論から言えば、私はトマシュに笑いながら(彼の場合は微笑ではなく、笑い。それがいい)握手できれば昇天できる自信があります。
そして、プルシェンコに跪いて足にキスしろと言われればできる自信があります。
その辺の、友愛と敬愛の違いみたいなものが彼らに対して向ける熱視線の違いなんだなと思いました。どちらにしてもえれえ怖いですけども。
もうねえ、やっぱりプルって別格なので、足にキスもできるしいっそ、若本御大の声帯を移植して、この世で最もいい発音で「マインカイザー」と呼びたいような気がします。
私の中で第三者に向ける感情って、何気に友愛よりも敬愛とか、敬服を持つことが今まで多かったので、逆にトマシュに対する感情をもてあましているような有様です。
敬愛から友愛になるならまだ私の中の移乗としてわかるんだけど、一気に友愛に飛び込まれるともう、なんだか、どうしていいのかわからないよトラ………! なんであんなにさわやかなの…!
実際福井を見に行けて幸せでした。あれは最高のショーでした。
この世で初めて目にしたものが最高であった人間の気持ちが今ならよくわかりますよアイシャ・コーダンテ………!
あのジョニーのネックレス事件がなければ、ここまでトマシュの感情がおかしなことにならなかったのでしょうが、あの時のトマシュが、ふ、普通にいい人過ぎて………!
私の中で第三者に対して「普通のいい人」っていうのは、最高で最上級の賛辞です。
結局PCの壁紙も、公式の画像引っ張ってきて自作しちゃったよハハハハハハッハハハ。
今まで、『ダークナイト』とか、『レスラー』とか飾ってたのが夢のように現在私の乾君はさわやかです。
新御宿かわせみの話。
子供世代が主役になってから、まだ文庫本一冊しか出ていないのでわかりませんが、一応敵討ち的なものは決着がつきました。
このシリーズとして、どれだけ読み手にとっては大きな出来事である、出産や死亡というものも「これこれしかじかということがあった」とさらっと流されてしまうので、逆に落ち込まずにすんだというか。
その辺の感情のドライ感が、逆にその世界で住んでいる人たちの「辛い事があってもそれでも日常は過ぎていくし、楽しいものは楽しく、辛い事は他にもあってやっぱり辛い」という当たり前の機微が垣間見えるような気がします。
復讐やあだ討ちだけに人生のすべてをなげうつほど、ここの登場人物は「狭く」生きていないので。
登場人物に関しては、若い男子二人が主役で、それをとりまく人物が江戸から明治大正の時代に移り変わっている、という印象です。
御宿かわせみシリーズは、衣食住を含めた「江戸」の文化を味わうのが醍醐味だったのですが、その成分は弱まっている感じです。
西洋文化が表に出てくるようになると、どうしても「今の私が知っている知識に近い」ものだったりするので、新鮮味が薄かったりするので。
やはり、想像するしかできない過去の世界の方が、読んでいて面白いなあというのはあります。
ただ、明治大正の文化的なものも、主人公が「牧場がここまで日本に広まるのが早いとは思わなかった」と驚いたり、牛乳を飲むという習慣が広まったり、江戸とは違う様々な変化がこれから垣間見えると嬉しいですね。
御宿かわせみや、あの時代のものは漫画になることも多いですが、これいざ絵になると、絵の好みという現実的なものがあり、自分で敷居を高くしてしまうので、純粋に創造する文化を楽しむのであれば、時代漫画ではなく小説の方が万人受けしやすいような気がしました。
ただ、実際絵というわかりやすいものを見て、認識を新たにするということもあるので、どちらも楽しめるにこしたことはないと思います。
私の場合、文字から入り、絵にたどり着くと言う流れが好きなのかもしれません。
私の中において、プルシェンコとトマシュにおける気持ちのベクトルの違いを考えてみました。
結論から言えば、私はトマシュに笑いながら(彼の場合は微笑ではなく、笑い。それがいい)握手できれば昇天できる自信があります。
そして、プルシェンコに跪いて足にキスしろと言われればできる自信があります。
その辺の、友愛と敬愛の違いみたいなものが彼らに対して向ける熱視線の違いなんだなと思いました。どちらにしてもえれえ怖いですけども。
もうねえ、やっぱりプルって別格なので、足にキスもできるしいっそ、若本御大の声帯を移植して、この世で最もいい発音で「マインカイザー」と呼びたいような気がします。
私の中で第三者に向ける感情って、何気に友愛よりも敬愛とか、敬服を持つことが今まで多かったので、逆にトマシュに対する感情をもてあましているような有様です。
敬愛から友愛になるならまだ私の中の移乗としてわかるんだけど、一気に友愛に飛び込まれるともう、なんだか、どうしていいのかわからないよトラ………! なんであんなにさわやかなの…!
実際福井を見に行けて幸せでした。あれは最高のショーでした。
この世で初めて目にしたものが最高であった人間の気持ちが今ならよくわかりますよアイシャ・コーダンテ………!
あのジョニーのネックレス事件がなければ、ここまでトマシュの感情がおかしなことにならなかったのでしょうが、あの時のトマシュが、ふ、普通にいい人過ぎて………!
私の中で第三者に対して「普通のいい人」っていうのは、最高で最上級の賛辞です。
結局PCの壁紙も、公式の画像引っ張ってきて自作しちゃったよハハハハハハッハハハ。
今まで、『ダークナイト』とか、『レスラー』とか飾ってたのが夢のように現在私の乾君はさわやかです。
新御宿かわせみの話。
子供世代が主役になってから、まだ文庫本一冊しか出ていないのでわかりませんが、一応敵討ち的なものは決着がつきました。
このシリーズとして、どれだけ読み手にとっては大きな出来事である、出産や死亡というものも「これこれしかじかということがあった」とさらっと流されてしまうので、逆に落ち込まずにすんだというか。
その辺の感情のドライ感が、逆にその世界で住んでいる人たちの「辛い事があってもそれでも日常は過ぎていくし、楽しいものは楽しく、辛い事は他にもあってやっぱり辛い」という当たり前の機微が垣間見えるような気がします。
復讐やあだ討ちだけに人生のすべてをなげうつほど、ここの登場人物は「狭く」生きていないので。
登場人物に関しては、若い男子二人が主役で、それをとりまく人物が江戸から明治大正の時代に移り変わっている、という印象です。
御宿かわせみシリーズは、衣食住を含めた「江戸」の文化を味わうのが醍醐味だったのですが、その成分は弱まっている感じです。
西洋文化が表に出てくるようになると、どうしても「今の私が知っている知識に近い」ものだったりするので、新鮮味が薄かったりするので。
やはり、想像するしかできない過去の世界の方が、読んでいて面白いなあというのはあります。
ただ、明治大正の文化的なものも、主人公が「牧場がここまで日本に広まるのが早いとは思わなかった」と驚いたり、牛乳を飲むという習慣が広まったり、江戸とは違う様々な変化がこれから垣間見えると嬉しいですね。
御宿かわせみや、あの時代のものは漫画になることも多いですが、これいざ絵になると、絵の好みという現実的なものがあり、自分で敷居を高くしてしまうので、純粋に創造する文化を楽しむのであれば、時代漫画ではなく小説の方が万人受けしやすいような気がしました。
ただ、実際絵というわかりやすいものを見て、認識を新たにするということもあるので、どちらも楽しめるにこしたことはないと思います。
私の場合、文字から入り、絵にたどり着くと言う流れが好きなのかもしれません。
『エクスペンダブルズ』公式サイト
見違えるようになった新宿ピカデリーで鑑賞しました。なんだこれこのキレイな空間は。
今気づいたんですけど、どうやら初日に見てしまったようで………。
どうりで馬鹿みたいに混んでたはずだよ。何故か虎の着ぐるみみたいな人もいて、なんかイベントがあるのかと思うくらいでした。
久しぶりに、シュワちゃんが見たい。何も考えないアクション映画が見たい、ということで選んだのですが、大 正 解でした!
もう、内容なんてどうでもいいんだよ! というか、内容なんてない! あってたまるか!
おっさんたちが、筋肉ムキムキで背中に刺青した男たちが、派手なドンパチやらかしてそれでいいんだよ! それがかっこいいんだよ! 大体「消耗品」なんて名前を自分の部隊につけちゃってる時点で男の美学以外何者でもないわけだし! これを若造がやると、「消耗品だってププ」となっちゃうわけだけど、これがもう人生下り坂に差し掛かってる、胡散臭い傭兵家業の奴等が言い出すとかっこよくて仕方がない!
そういう映画でした。
もう私なんて、シュワちゃんと、ミッキー・ロークが出ているだけでお腹一杯ですよ! ゴチソウサマ!
二時間、きっちり1800円払って、その二時間「楽しかったでーす!」と胸を張ってスカッと家に帰られるような、幸せな映画でした。
そりゃあ、R15ですよね、という場面も満載ですが、あんまりそれが陰湿な場面じゃないので、変な覚悟とかいらないです。
腕がぶっ飛ぶとか、血しぶきがはじけるとか、人間が燃えるとか、そういう予想できるわかりやすい15禁なので、女性の方にもお勧めです。
まあ、シルベスター・スタローンって実は映画全く見たことがない(ロッキーもさすがに世代じゃない)のですが、この人年取ってからの方が味が出てかっこいいですね。
顔面何処をとってもおっさんなのに、まあCGだか盛ってるのか、腕の筋肉の凄い事!
たれ目でかつぜつの悪い声で、シュワルツェネッガーと嫌味を言い合っている様は惚れ直しました。お前は確かにセレブなマッチョは似合わない。
そんな男が、ハーレーにまたがって刺青を仕上げてもらい、そして「女を見捨てなければ自分の魂を救えるかもしれない」なんて理由で戦場に再び赴いて御覧なさいよ!
そこにあるのは愛でもなければ、同情でもない! 己の矜持だけってかあ!!
まあ本気で話の内容は全くない、一切ない、ので、いつ何処でトイレに行っても物語的な意味では大丈夫ですが、とにかくこれでもか! とアクションシーンは盛りだくさんです。
素手での殴りあいもありますし、ロケットランチャーもあるし、飛行機からの爆撃もあるし、闇夜の戦いもあるし、爆弾もあるし、お勧めは乱戦時におけるナイフの魅せ方ですかね! あのナイフ使いはいけてたな!
こう、クールに人を殺めるんじゃなくって、肉弾戦がメインでその合間合間、要所要所にナイフをぶっ刺すわ、投げるわで、ナイフのオンパレードでした。
それぞれ、勿論部隊の中で担当武器っていうのは違うんですが、だからといって他の事ができないんじゃ話にならないので、ナイフ使いも拳法の達人も全部のアクションちゃんと網羅してくれるのが偉い。
役者陣はそれぞれかっこいいんですが、個人的にヤク中で大きなナイフ使いのガンナーの顔がドストライクだったので、それだけで元が取れました。
超病んでてかっけえよ! 病んでるのにタフさ前面に押し出しててさあ!
ちなみにドルフ・ラングレンでしたが、私この人の映画一つも見たことがないんだよなあ。
でも、若い頃の顔は好みじゃないんだよなあ。
今のギラギラした顔が素敵なんだよなあ。
とにかく、一切何も考えずにかっこいいシーンを楽しめればそれでオッケーです。ああー久しぶりにエンターテイメントとして確立された映画を見られて幸せでした。
EDもかっこよかったし。やっぱり男はハーレーだよね! 女がハーレーに跨るのもいいけど、男が乗っているのの後ろに、ホットパンツにチューブトップの肉感的な女が乗ってるっていう図が凄くいいよなあ。
とにかく、タフネスなアメリカンな男たちの様式美の映画でした。
大口径の銃をぶっ放し、相手を殴る蹴るして、女を助ける、そんなわかりやすい映画でした。最高。
見違えるようになった新宿ピカデリーで鑑賞しました。なんだこれこのキレイな空間は。
今気づいたんですけど、どうやら初日に見てしまったようで………。
どうりで馬鹿みたいに混んでたはずだよ。何故か虎の着ぐるみみたいな人もいて、なんかイベントがあるのかと思うくらいでした。
久しぶりに、シュワちゃんが見たい。何も考えないアクション映画が見たい、ということで選んだのですが、大 正 解でした!
もう、内容なんてどうでもいいんだよ! というか、内容なんてない! あってたまるか!
おっさんたちが、筋肉ムキムキで背中に刺青した男たちが、派手なドンパチやらかしてそれでいいんだよ! それがかっこいいんだよ! 大体「消耗品」なんて名前を自分の部隊につけちゃってる時点で男の美学以外何者でもないわけだし! これを若造がやると、「消耗品だってププ」となっちゃうわけだけど、これがもう人生下り坂に差し掛かってる、胡散臭い傭兵家業の奴等が言い出すとかっこよくて仕方がない!
そういう映画でした。
もう私なんて、シュワちゃんと、ミッキー・ロークが出ているだけでお腹一杯ですよ! ゴチソウサマ!
二時間、きっちり1800円払って、その二時間「楽しかったでーす!」と胸を張ってスカッと家に帰られるような、幸せな映画でした。
そりゃあ、R15ですよね、という場面も満載ですが、あんまりそれが陰湿な場面じゃないので、変な覚悟とかいらないです。
腕がぶっ飛ぶとか、血しぶきがはじけるとか、人間が燃えるとか、そういう予想できるわかりやすい15禁なので、女性の方にもお勧めです。
まあ、シルベスター・スタローンって実は映画全く見たことがない(ロッキーもさすがに世代じゃない)のですが、この人年取ってからの方が味が出てかっこいいですね。
顔面何処をとってもおっさんなのに、まあCGだか盛ってるのか、腕の筋肉の凄い事!
たれ目でかつぜつの悪い声で、シュワルツェネッガーと嫌味を言い合っている様は惚れ直しました。お前は確かにセレブなマッチョは似合わない。
そんな男が、ハーレーにまたがって刺青を仕上げてもらい、そして「女を見捨てなければ自分の魂を救えるかもしれない」なんて理由で戦場に再び赴いて御覧なさいよ!
そこにあるのは愛でもなければ、同情でもない! 己の矜持だけってかあ!!
まあ本気で話の内容は全くない、一切ない、ので、いつ何処でトイレに行っても物語的な意味では大丈夫ですが、とにかくこれでもか! とアクションシーンは盛りだくさんです。
素手での殴りあいもありますし、ロケットランチャーもあるし、飛行機からの爆撃もあるし、闇夜の戦いもあるし、爆弾もあるし、お勧めは乱戦時におけるナイフの魅せ方ですかね! あのナイフ使いはいけてたな!
こう、クールに人を殺めるんじゃなくって、肉弾戦がメインでその合間合間、要所要所にナイフをぶっ刺すわ、投げるわで、ナイフのオンパレードでした。
それぞれ、勿論部隊の中で担当武器っていうのは違うんですが、だからといって他の事ができないんじゃ話にならないので、ナイフ使いも拳法の達人も全部のアクションちゃんと網羅してくれるのが偉い。
役者陣はそれぞれかっこいいんですが、個人的にヤク中で大きなナイフ使いのガンナーの顔がドストライクだったので、それだけで元が取れました。
超病んでてかっけえよ! 病んでるのにタフさ前面に押し出しててさあ!
ちなみにドルフ・ラングレンでしたが、私この人の映画一つも見たことがないんだよなあ。
でも、若い頃の顔は好みじゃないんだよなあ。
今のギラギラした顔が素敵なんだよなあ。
とにかく、一切何も考えずにかっこいいシーンを楽しめればそれでオッケーです。ああー久しぶりにエンターテイメントとして確立された映画を見られて幸せでした。
EDもかっこよかったし。やっぱり男はハーレーだよね! 女がハーレーに跨るのもいいけど、男が乗っているのの後ろに、ホットパンツにチューブトップの肉感的な女が乗ってるっていう図が凄くいいよなあ。
とにかく、タフネスなアメリカンな男たちの様式美の映画でした。
大口径の銃をぶっ放し、相手を殴る蹴るして、女を助ける、そんなわかりやすい映画でした。最高。
陸路の果てのトップページを整理して、メールアドレスをこちらのものと統合しました。
以前のもののアカウントは一応残ってはおりますが、使用しないようにお願いいたします。gooが勝手に削除したりするから管理しきれん。
もしも、陸路の果て宛にメールを送ったのに返事がない、という場合はお手数ですが改めてご一報くださるようお願いいたします。
お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
これも、もうそろそろどうにかしないとなーとは思ってるんですけどね。
展示しておくのが嫌というわけではなく、メールアドレスやサイトURLが変わるたびに、ゲームのreadmeを治すのが正直一番しんどいんですよね。内容も皆様から誤字脱字を指摘していただいた度にちょこちょこ直してはいるんですがもう、何がなんだか。
作って三年以上経ちますもんねえ。年取るわけだ。
そんなに経ったのに、大勢の方に遊んでいただけて非常に光栄なゲームたちだと思います。
以前のもののアカウントは一応残ってはおりますが、使用しないようにお願いいたします。gooが勝手に削除したりするから管理しきれん。
もしも、陸路の果て宛にメールを送ったのに返事がない、という場合はお手数ですが改めてご一報くださるようお願いいたします。
お手数をおかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
これも、もうそろそろどうにかしないとなーとは思ってるんですけどね。
展示しておくのが嫌というわけではなく、メールアドレスやサイトURLが変わるたびに、ゲームのreadmeを治すのが正直一番しんどいんですよね。内容も皆様から誤字脱字を指摘していただいた度にちょこちょこ直してはいるんですがもう、何がなんだか。
作って三年以上経ちますもんねえ。年取るわけだ。
そんなに経ったのに、大勢の方に遊んでいただけて非常に光栄なゲームたちだと思います。