『采配のゆくえ』
第一話 霧の中の真実
いきなり、ド級に受けくさい三成の登場で、動揺を隠し切れません。
部下の左近にはバカだ青臭いだと励まされ、子供を守ってくれと、秀吉の病床の指が手に食い込んだから、その誓いを守るとか臆面もなく言っちゃう、甘ちゃんがプレイヤーなのかと思うと、複雑な気がしないでもないですが。
ゴッツイ傷だらけのマッチョマン島左近は、適度におちゃめでおっさんで超可愛いんですが、味方が指示を聞いてくれないと、がっくり膝を突く三成はもっと可愛い。
操作もスムーズで今のところ困るような要素はありません。キャラクターもよく動くし、別にタッチペンを強要されるわけでもないので。
ただ、失敗時のリアクションはそれほど特筆するレベルでもないかと。まあ、実際合戦場なわけですから。
いきなり黒幕風を吹かせながら去っていった左近が気になりますが、戦隊モノのようなルックスだった井伊直政は、凄く好みでした。
第二話 それぞれの思惑
ごつい左近の変わりに、余命いくばくもない視力を失った、線の細い大谷吉継と合流します。バラエティに飛んでいる上に、MにはSがついてくるというペア感覚が見事です(いや、BLに興味がない私から見ても、大谷はドSだと思う)。
結局、大谷ではなく、左近の娘さんであるたまきがくっついてくることに。テンションダダ下がりですが、ともかく引き連れて、動きが鈍いとされている島津軍の元へ向かいます。
そこでもめている、小西と、島津豊久。
豊久、超好みです。
色黒でガッチリしていて強面で。おまけに、前から見ると短いのに、後ろは延びていてしかも一本に束ねている髪型。
男のロン毛は許せない性質ですが、一つに結わえていれば話は別です(ええー!?)。
豊久は進軍を勧めたのに、門前払いを食わされたため、三成の言うことなどきけないと言って来ます。覚えがない三成の前に、忍びが書状を落としていきました。
それにより、豊久を説得します。
ここで上手いのが、これでもいいのでは、という資料を選んだ場合のリアクションです。
こちらはもう、説得材料を突きつける前に、結論がわかっている場合があると思いますが、それに類する材料をつきつけると、ちゃんと、「これも大いに関係がある。だが、全てがそろってから出すべきだ」と、ちゃんと三成がフォローしてくれるんですね。
推理としては間違いじゃないから、減点対象にもなりませんし。
この辺、中々上手いなあと思いました。
その後、戦闘に勝利するも、細川の手のものに襲われてしまう三成。
よぎる思い出は、昔の風景、武将、そして美しい女性。
お約束の展開に俄然盛り上がって、中盤へ続く。
関が原の戦いより二ヶ月前。
淀殿が細川ガラシャを保護すべしとの命令を出します。ていのいい人質として。
ここでもまた、左近ではなく娘のたまきがくっついてきます。
オジンが駄目なら幼女という発想がある意味凄い。
歴史に疎い私は、ここで初めてガラシャが明智光秀の娘だと知ったのですが、なんとなくイメージとして、「明智光秀の娘なら儚げな美人であって当然」と思ってしまうのは何故でしょうか。
明智の一族は、全員線の細い色っぽい人間であって欲しいという欲望が………。当然、男女問わず。
ゆりの花を背負ったまんまでガラシャ登場。
何とか説得に成功するも、屋敷は焼けてしまいます。
夫である細川忠興は当然三成に戦いを挑んでくることに。
そしてこの忠興がまあ、よく動くこと。青いマントを翻し、額に手を当てて苦悩し、変貌までして、かつ、嫁さんにはピュアっ子という、超ド級のスキルを備えて迫ってくる様は、まさに眼福(意味違います)。
つがいの小鳥を送って、「こんなものしかあげられないが」と言いよどむ忠興に「嬉しい」と答えるガラシャ。
「そ、そうか!」とその返事にすこぶる嬉しそうな忠興。
なんだ………なんだこの甘酸っぱさ!
ここで、いわゆる詰め将棋的な戦術、「天眼」が使用可能になります。
間違えても何度でもやり直せるので、総当りすれば問題なし。
左近が銃弾の餌食になるも、総攻撃ののろしを上げて後半へ続く。
しかし、歴史的事実に基づくバラエティなものですから、ただよう物悲しさが物語上でありますね。
養子に迎えられたのに、実子が生まれた途端に追い出されたも同然の小早川とか、どんだけ空しいか。
毛利家も、不良番長みたいな家臣と、坊主という組み合わせ。小早川も美少年で全くキャラ萌えできません。
くそ、島津と細川を返してくれ………!
東軍を攻める絶好の好機に、それぞれ思うところがあるのか、小早川も毛利も攻撃を開始しません。
何とか、島津の裏切りはないと判明したものの、小早川の動きは相変わらず。
線の細い美青年(どんな紹介だ)大谷と敵との戦闘が開始されます。
そこに飛び出るのは、ずるがしこい知将ルックス(わかる人にはわかる説明)藤堂高虎。もっとわかりやすく説明するならば、『BASTEERD』のマカパインです。(もっとわからない)
え、じゃあ『パプワくん』のアラシヤマ。
この辺から、非常にパズル要素が強くなってくるというか、パズル通信ニコリ要素が強くなってくると申しましょうか。
その手のことが苦手な私は、青色吐息です。
どちらかが嘘をついていて質問をして嘘を見抜くとか、よくありがちな問答なんですが、私はこの手の質問で真偽を暴け、というネタが死ぬほど苦手です。
先行き不安になってきました。藤堂は凄く萌えました。
第三話 想い
案の定少年小早川が裏切りました。そりゃそうだろ。
ここから、説得一つも結構面倒です。場面の変わる二つの戦場を渡り合わねばなりませんしね。
キャラクターの造形こそ、結構コメディ路線ですが、完全なお笑い世界観でないのは、やはり舞台が戦場だからでしょうか(いえ、別にBASARAが駄目だというのではなく。苦笑)。
逆に、戦場で人が生きるか死ぬかの合戦を指揮していて、あまりに調べた場所に対する反応がお笑い、じゃ逆にノリきれない気がしますし、この辺の、キャラクター以外は普通にシリアス、というノリは中々上手くできているのではないかと思います。
やっぱり、やっていることは戦争なわけですから。
日常会話がギャグなのはともかくとして、戦場でギャグやられても寒いだけですし。
しかし、三成はことごとく味方から人望がありませんね。
戦闘で四苦八苦するより、味方の説得に振り回されている方が多いっていうの、それ、どんな史実?
ここで、大筒を運ぶために島津に協力を仰ぐのですが、どれだけ壁が高くても、好みの男(豊久)を落とすためだと思えば、困難すら萌えに変わります(むしろ高ければ高いほどいい)。
ここで、敵をひきつけ親友である大谷が最期を遂げます。落ち込む三成の前に、次々に慰めに現れる周囲の連中。
最初は、ただのうっとうしくてしつこい小僧なのかと思っていた宇喜多が、とてつもなく良質なツンデレ(ただしとても天然バカ)だとわかった時、このゲームの向かう先がわかったような気がしました。
ここで、三局面を打破するための戦闘開始です。
ついに、島津が積極参加。豊久は、ツンデレではなく、伯父デレということが判明し、ますますヒートアップします。(私が)
彼には、一生三成にはデレず、伯父にのみデレていてもらいたいです。
ここでついに、島左近が討ち死に。
こうして、どんどん側近が減っていくのはさびしいですね。
残るのが、宇喜多(別に嫌いじゃないが)と小西(商売上手は嫌いじゃないが)と島津伯父(嫌いじゃないが)と豊久(大好きだ(それが言いたかった))しかいないとなると、余計に不安になります。
これで、島津が抜けたら、戦局ではなく私のテンションがえらいことになる。
第一話 霧の中の真実
いきなり、ド級に受けくさい三成の登場で、動揺を隠し切れません。
部下の左近にはバカだ青臭いだと励まされ、子供を守ってくれと、秀吉の病床の指が手に食い込んだから、その誓いを守るとか臆面もなく言っちゃう、甘ちゃんがプレイヤーなのかと思うと、複雑な気がしないでもないですが。
ゴッツイ傷だらけのマッチョマン島左近は、適度におちゃめでおっさんで超可愛いんですが、味方が指示を聞いてくれないと、がっくり膝を突く三成はもっと可愛い。
操作もスムーズで今のところ困るような要素はありません。キャラクターもよく動くし、別にタッチペンを強要されるわけでもないので。
ただ、失敗時のリアクションはそれほど特筆するレベルでもないかと。まあ、実際合戦場なわけですから。
いきなり黒幕風を吹かせながら去っていった左近が気になりますが、戦隊モノのようなルックスだった井伊直政は、凄く好みでした。
第二話 それぞれの思惑
ごつい左近の変わりに、余命いくばくもない視力を失った、線の細い大谷吉継と合流します。バラエティに飛んでいる上に、MにはSがついてくるというペア感覚が見事です(いや、BLに興味がない私から見ても、大谷はドSだと思う)。
結局、大谷ではなく、左近の娘さんであるたまきがくっついてくることに。テンションダダ下がりですが、ともかく引き連れて、動きが鈍いとされている島津軍の元へ向かいます。
そこでもめている、小西と、島津豊久。
豊久、超好みです。
色黒でガッチリしていて強面で。おまけに、前から見ると短いのに、後ろは延びていてしかも一本に束ねている髪型。
男のロン毛は許せない性質ですが、一つに結わえていれば話は別です(ええー!?)。
豊久は進軍を勧めたのに、門前払いを食わされたため、三成の言うことなどきけないと言って来ます。覚えがない三成の前に、忍びが書状を落としていきました。
それにより、豊久を説得します。
ここで上手いのが、これでもいいのでは、という資料を選んだ場合のリアクションです。
こちらはもう、説得材料を突きつける前に、結論がわかっている場合があると思いますが、それに類する材料をつきつけると、ちゃんと、「これも大いに関係がある。だが、全てがそろってから出すべきだ」と、ちゃんと三成がフォローしてくれるんですね。
推理としては間違いじゃないから、減点対象にもなりませんし。
この辺、中々上手いなあと思いました。
その後、戦闘に勝利するも、細川の手のものに襲われてしまう三成。
よぎる思い出は、昔の風景、武将、そして美しい女性。
お約束の展開に俄然盛り上がって、中盤へ続く。
関が原の戦いより二ヶ月前。
淀殿が細川ガラシャを保護すべしとの命令を出します。ていのいい人質として。
ここでもまた、左近ではなく娘のたまきがくっついてきます。
オジンが駄目なら幼女という発想がある意味凄い。
歴史に疎い私は、ここで初めてガラシャが明智光秀の娘だと知ったのですが、なんとなくイメージとして、「明智光秀の娘なら儚げな美人であって当然」と思ってしまうのは何故でしょうか。
明智の一族は、全員線の細い色っぽい人間であって欲しいという欲望が………。当然、男女問わず。
ゆりの花を背負ったまんまでガラシャ登場。
何とか説得に成功するも、屋敷は焼けてしまいます。
夫である細川忠興は当然三成に戦いを挑んでくることに。
そしてこの忠興がまあ、よく動くこと。青いマントを翻し、額に手を当てて苦悩し、変貌までして、かつ、嫁さんにはピュアっ子という、超ド級のスキルを備えて迫ってくる様は、まさに眼福(意味違います)。
つがいの小鳥を送って、「こんなものしかあげられないが」と言いよどむ忠興に「嬉しい」と答えるガラシャ。
「そ、そうか!」とその返事にすこぶる嬉しそうな忠興。
なんだ………なんだこの甘酸っぱさ!
ここで、いわゆる詰め将棋的な戦術、「天眼」が使用可能になります。
間違えても何度でもやり直せるので、総当りすれば問題なし。
左近が銃弾の餌食になるも、総攻撃ののろしを上げて後半へ続く。
しかし、歴史的事実に基づくバラエティなものですから、ただよう物悲しさが物語上でありますね。
養子に迎えられたのに、実子が生まれた途端に追い出されたも同然の小早川とか、どんだけ空しいか。
毛利家も、不良番長みたいな家臣と、坊主という組み合わせ。小早川も美少年で全くキャラ萌えできません。
くそ、島津と細川を返してくれ………!
東軍を攻める絶好の好機に、それぞれ思うところがあるのか、小早川も毛利も攻撃を開始しません。
何とか、島津の裏切りはないと判明したものの、小早川の動きは相変わらず。
線の細い美青年(どんな紹介だ)大谷と敵との戦闘が開始されます。
そこに飛び出るのは、ずるがしこい知将ルックス(わかる人にはわかる説明)藤堂高虎。もっとわかりやすく説明するならば、『BASTEERD』のマカパインです。(もっとわからない)
え、じゃあ『パプワくん』のアラシヤマ。
この辺から、非常にパズル要素が強くなってくるというか、パズル通信ニコリ要素が強くなってくると申しましょうか。
その手のことが苦手な私は、青色吐息です。
どちらかが嘘をついていて質問をして嘘を見抜くとか、よくありがちな問答なんですが、私はこの手の質問で真偽を暴け、というネタが死ぬほど苦手です。
先行き不安になってきました。藤堂は凄く萌えました。
第三話 想い
案の定少年小早川が裏切りました。そりゃそうだろ。
ここから、説得一つも結構面倒です。場面の変わる二つの戦場を渡り合わねばなりませんしね。
キャラクターの造形こそ、結構コメディ路線ですが、完全なお笑い世界観でないのは、やはり舞台が戦場だからでしょうか(いえ、別にBASARAが駄目だというのではなく。苦笑)。
逆に、戦場で人が生きるか死ぬかの合戦を指揮していて、あまりに調べた場所に対する反応がお笑い、じゃ逆にノリきれない気がしますし、この辺の、キャラクター以外は普通にシリアス、というノリは中々上手くできているのではないかと思います。
やっぱり、やっていることは戦争なわけですから。
日常会話がギャグなのはともかくとして、戦場でギャグやられても寒いだけですし。
しかし、三成はことごとく味方から人望がありませんね。
戦闘で四苦八苦するより、味方の説得に振り回されている方が多いっていうの、それ、どんな史実?
ここで、大筒を運ぶために島津に協力を仰ぐのですが、どれだけ壁が高くても、好みの男(豊久)を落とすためだと思えば、困難すら萌えに変わります(むしろ高ければ高いほどいい)。
ここで、敵をひきつけ親友である大谷が最期を遂げます。落ち込む三成の前に、次々に慰めに現れる周囲の連中。
最初は、ただのうっとうしくてしつこい小僧なのかと思っていた宇喜多が、とてつもなく良質なツンデレ(ただしとても天然バカ)だとわかった時、このゲームの向かう先がわかったような気がしました。
ここで、三局面を打破するための戦闘開始です。
ついに、島津が積極参加。豊久は、ツンデレではなく、伯父デレということが判明し、ますますヒートアップします。(私が)
彼には、一生三成にはデレず、伯父にのみデレていてもらいたいです。
ここでついに、島左近が討ち死に。
こうして、どんどん側近が減っていくのはさびしいですね。
残るのが、宇喜多(別に嫌いじゃないが)と小西(商売上手は嫌いじゃないが)と島津伯父(嫌いじゃないが)と豊久(大好きだ(それが言いたかった))しかいないとなると、余計に不安になります。
これで、島津が抜けたら、戦局ではなく私のテンションがえらいことになる。
PR
『ブルース・オールマイティ』
主役がジム・キャリーで脇役がモーガン・フリーマンという、濃いキャスティングの映画でした。
見所といえば、モーガン・フリーマンの白タキシードでしょうか。それくらいしかない、ともいえますが。
あ、ジム・キャリーの恋人役の女の人は凄くきれいでキュートでした。向こうの人の髪型によくある、ブロンドと茶の中間みたいな色で、天然パーマみたいな、ごわっとした髪型というか。日本では絶対ありえない髪型ですが、それが凄く可愛かったです。
内容としてはまとまっていて、神の力を授かってしまったジム・キャリーが、色々な奇跡と向き合いながら、結局は奇跡は自分で起こすものだ、と気づくという正統派な映画でした。
ジム・キャリーの演技は、相変わらずったら相変わらずで、これが持ち味だとしても、ちょっと胃もたれする感じです。それに付随するように、主人公ブルースが嫌味ではない程度に、結構いい性格の人間なので、役としては合っていたと思います。
これが、完全に善人だったら物語として破綻しますが、適度に自分のことしか考えない主人公だからこそ、個人の幸せが明確になってよかったのではないかと。
ただ、これ捕らえ方の違いなんでしょうが、主人公が乱発する奇跡によって、世界は次第におかしくなっていくのですが、そのへんの、現実とのつじつまが合ってしまう奇跡など、もはやそれは奇跡じゃないと申しましょうか。
奇跡で隕石が落下する。そのために環境に影響が出る。
宝くじが当たる。何人も当選者が出てしまったために、額が17ドルにしかならず、暴動が起きる。
これらは、ジム・キャリーが勝手気ままに乱発してしまった奇跡のために、後々起こる弊害なんですが、なんか、これすらも理屈抜きで力技でどうにでもできるからこそ、神の能力なんじゃないですかね。
隕石が落下する、でも何も起きない。
宝くじが当たる、17ドルしかもらえないけど当たった全員それで満足する。
この辺の、理不尽さ加減こそ、万能じゃないかなあと思う私にとって、神の奇跡からの流れは、ちょっと退屈な感じがしました。
ジム・キャリーが奇跡の能力を見つけたばかりの頃、皿の中のスープを割ってみて驚くとか、その辺の方が、何でもできちゃってびっくり、という当たり前に驚けたという感じです。
ヒロインの女性が、自立した女性で、でも可愛くてユーモアもあって、よくジム・キャリーと付き合ってるよという意味で稀有な女性を演じていて、凄く良かったので、そういう意味ではお勧めです。
『ギャラクシー★クエスト』
スタートレックのパロディらしいのですが、私はスタートレックをまるで知りません。
それでも、凄く面白かったです。
話としては、ギャラクシー・クエストというSFものの作品を演じている役者が、本当の異星人たちの争いに巻き込まれる、というわかりやすいものなのですが、見終わった後の読後感はハレバレとしていて格別です。
物語も非常に筋が通っていて飽きさせません。
名ばかりの艦長である主人公に、「貴方に会えて光栄です」と目を輝かせる異星人。ギャラクシー・クエストをドキュメントと思っている、嘘を知らない異星人たちに、次第に親愛の情がわき、彼らを助けようと奮起する様は必見。
自分の、おかしなマスクをかぶった役と、「トカゲヘッドの名に懸けて」という決め台詞が気に入らない役者も、彼に心酔している異星人が撃たれたとき、
「貴方と共に任務が遂行できて幸せでした。心の中で父とも思っていました」
との言葉を受け、
「トカゲヘッドと、父の名に懸けて、復讐は必ず果たす」
と誓うシーンは思わず涙。
パロディ要素も満載で、宇宙船の中枢に向かう時、落ちたら死亡の一本橋や、通路を妨害する高速ピストンを見て、「何で通路なのにこんなものがあるのよ!」「この脚本を書いた奴は死ね!」と暴言を吐くヒロインは必見です。
衣装や、セットはあまりにもチープだと、ちょっとテンションが下がるのですが、適度にCGで、手作り感があってこちらも世界観と非常に合っていたと思います。あまりに、CGバリバリで、宇宙バリバリだと、逆に作り物っぽくて辛いものがありますし。
我々の想像する宇宙船内、宇宙基地、敵対する異星人はとにかくクリーチャー顔、という、お約束を踏まえたつくりは、映画として入り込みやすいし、安心して見られます。
物語は、最後クリーチャーを倒し、彼らは無事に地球へ帰還し、異星人たちは自らの航海を進み、そして、ギャラクシー・クエストは十八年ぶりに映画化されるという、まごうかたなきハッピーエンドで終わります。
最初から最後まで非常に面白かったので、お勧め。
日陰の彼がちゃんと、映画化で役をもらっていたのも嬉しかったですし。
キャストも、若かりし頃のシガニー・ウィバーの美貌と乳は必見。
アラン・リックマンも被り物をしていてもわかる顔の濃さがありますし、役者陣の演技も見ものです。
いやあ、久しぶりに何も考えずに面白かったです。勿論、スタートレックシリーズを知っていればより楽しめるのでしょうが、全く知らない私が見ても楽しめる、ということは、作品として非常に質が高いということなのでしょう。
主役がジム・キャリーで脇役がモーガン・フリーマンという、濃いキャスティングの映画でした。
見所といえば、モーガン・フリーマンの白タキシードでしょうか。それくらいしかない、ともいえますが。
あ、ジム・キャリーの恋人役の女の人は凄くきれいでキュートでした。向こうの人の髪型によくある、ブロンドと茶の中間みたいな色で、天然パーマみたいな、ごわっとした髪型というか。日本では絶対ありえない髪型ですが、それが凄く可愛かったです。
内容としてはまとまっていて、神の力を授かってしまったジム・キャリーが、色々な奇跡と向き合いながら、結局は奇跡は自分で起こすものだ、と気づくという正統派な映画でした。
ジム・キャリーの演技は、相変わらずったら相変わらずで、これが持ち味だとしても、ちょっと胃もたれする感じです。それに付随するように、主人公ブルースが嫌味ではない程度に、結構いい性格の人間なので、役としては合っていたと思います。
これが、完全に善人だったら物語として破綻しますが、適度に自分のことしか考えない主人公だからこそ、個人の幸せが明確になってよかったのではないかと。
ただ、これ捕らえ方の違いなんでしょうが、主人公が乱発する奇跡によって、世界は次第におかしくなっていくのですが、そのへんの、現実とのつじつまが合ってしまう奇跡など、もはやそれは奇跡じゃないと申しましょうか。
奇跡で隕石が落下する。そのために環境に影響が出る。
宝くじが当たる。何人も当選者が出てしまったために、額が17ドルにしかならず、暴動が起きる。
これらは、ジム・キャリーが勝手気ままに乱発してしまった奇跡のために、後々起こる弊害なんですが、なんか、これすらも理屈抜きで力技でどうにでもできるからこそ、神の能力なんじゃないですかね。
隕石が落下する、でも何も起きない。
宝くじが当たる、17ドルしかもらえないけど当たった全員それで満足する。
この辺の、理不尽さ加減こそ、万能じゃないかなあと思う私にとって、神の奇跡からの流れは、ちょっと退屈な感じがしました。
ジム・キャリーが奇跡の能力を見つけたばかりの頃、皿の中のスープを割ってみて驚くとか、その辺の方が、何でもできちゃってびっくり、という当たり前に驚けたという感じです。
ヒロインの女性が、自立した女性で、でも可愛くてユーモアもあって、よくジム・キャリーと付き合ってるよという意味で稀有な女性を演じていて、凄く良かったので、そういう意味ではお勧めです。
『ギャラクシー★クエスト』
スタートレックのパロディらしいのですが、私はスタートレックをまるで知りません。
それでも、凄く面白かったです。
話としては、ギャラクシー・クエストというSFものの作品を演じている役者が、本当の異星人たちの争いに巻き込まれる、というわかりやすいものなのですが、見終わった後の読後感はハレバレとしていて格別です。
物語も非常に筋が通っていて飽きさせません。
名ばかりの艦長である主人公に、「貴方に会えて光栄です」と目を輝かせる異星人。ギャラクシー・クエストをドキュメントと思っている、嘘を知らない異星人たちに、次第に親愛の情がわき、彼らを助けようと奮起する様は必見。
自分の、おかしなマスクをかぶった役と、「トカゲヘッドの名に懸けて」という決め台詞が気に入らない役者も、彼に心酔している異星人が撃たれたとき、
「貴方と共に任務が遂行できて幸せでした。心の中で父とも思っていました」
との言葉を受け、
「トカゲヘッドと、父の名に懸けて、復讐は必ず果たす」
と誓うシーンは思わず涙。
パロディ要素も満載で、宇宙船の中枢に向かう時、落ちたら死亡の一本橋や、通路を妨害する高速ピストンを見て、「何で通路なのにこんなものがあるのよ!」「この脚本を書いた奴は死ね!」と暴言を吐くヒロインは必見です。
衣装や、セットはあまりにもチープだと、ちょっとテンションが下がるのですが、適度にCGで、手作り感があってこちらも世界観と非常に合っていたと思います。あまりに、CGバリバリで、宇宙バリバリだと、逆に作り物っぽくて辛いものがありますし。
我々の想像する宇宙船内、宇宙基地、敵対する異星人はとにかくクリーチャー顔、という、お約束を踏まえたつくりは、映画として入り込みやすいし、安心して見られます。
物語は、最後クリーチャーを倒し、彼らは無事に地球へ帰還し、異星人たちは自らの航海を進み、そして、ギャラクシー・クエストは十八年ぶりに映画化されるという、まごうかたなきハッピーエンドで終わります。
最初から最後まで非常に面白かったので、お勧め。
日陰の彼がちゃんと、映画化で役をもらっていたのも嬉しかったですし。
キャストも、
アラン・リックマンも被り物をしていてもわかる顔の濃さがありますし、役者陣の演技も見ものです。
いやあ、久しぶりに何も考えずに面白かったです。勿論、スタートレックシリーズを知っていればより楽しめるのでしょうが、全く知らない私が見ても楽しめる、ということは、作品として非常に質が高いということなのでしょう。
………頭が痛い………。
もう、頭が痛いと何にもできないので、本当に人生損した気持ちになります。
学生時代が過ぎると、人生あっという間だというのに(これ、本当でした)こんな体調不良で、貴重な時間を無駄にするわけにはいかないんですよ………! わかって神様!
さて、春からのアニメ新番組ですが、多分、どれも途中で挫折する気満々の中、一応チェックしてみようと思います。
MOON PHASE様参照。
「金色のコルダ ~second passo~ 第1楽章」
前期のアニメは非常に面白かったんですが、なにぶんキッズステーションを見られる環境にないので。
PSPに移植されている作品も、面白そうだなと思うんですが、絶対にまた追加要素つきで移植されるだろうな、というのと、どうもPSPは新しい機種が出そうなのとで、手が出せずにいます。
「ルパン三世 VS 名探偵コナン」
忘れなかったらみようかな、と(どんな決意だよ)。
いや、最近ルパンのテレビスペシャルもまともに見られていないので。
これ、夢のコラボとか、どっちが勝つのかとか言われておりますが、勝ち負けはともかくとして、良いところを持っていくのはルパンだろうそりゃ………。
逆に、コナンが勝っても素直に喜べないというか。
「マリー&ガリー」
実は私、「アリス探偵局」とか大好きだったんですよね………。
それだけの理由でチェックしたいと思います。
「戦国BASARA」
ゲームをプレイしたことはなく、知識といえば、ば●くれる様の作品のみという体たらくですが、ヤンキー言葉の伊達と、変態光秀のために見ようかと。
しかし、みんなの兄貴である長宗我部は出ないんですかね?
「バスカッシュ!」
サムシング吉松のキャラデザはすぐわかりますな。
個人的に「大江戸ロケット」といい、彼の描くコロコロとした可愛い女の子は大好きなので、話が進むにつれてオジンが出てくることを祈ります。
「Phantom ~Requiem for the Phantom~」
元エロゲー、しかもずいぶん前の作品がどうしてアニメになるのか、力関係とかタイアップの仕方がよくわかりませんが、私、千葉氏のシリアスボイスを聞いたことがないので、見てみたいな、と(そんな理由)。
まるで、ダメな、オーディン、略してマダオの実力をこの目に………!
「ヒゲぴよ」
一話が短い話は、本当に見るのが楽です。食事をしながらとか、横目で見られるアニメっていうのは必要ですよ、本当に。
「真マジンガー 衝撃!Z編 on television」
監督今川とくれば見ないわけには………! 動きの素晴らしさを期待したいです。
「戦場のヴァルキュリア」
これねえ、どうなんでしょうねえ。ゲームがヒットしたのかどうかは、ちょっと微妙ですし(発売されたハードが悪かったとしか)、戦闘の難しさが、「サクラ大戦」のような、はまり込みやすいギャルゲーとしての立場にもなれなかったという、ゲームとしては不遇な印象がどうしても強いんですが。
逆にアニメになってこなれてくれればそれでいいのかな、と。
大塚親子の共演も地味に楽しみです。
「蒼天航路」
どうなるんだ。
「リストランテ・パラディーゾ」
原作である漫画はそれほどはまらなかったのですが、おっさんだらけの声に注目したいと思います。
「東のエデン」
アニメオリジナルだそうですが、どうも、アニメ放映後に映画で補完っていうのがどうも………。最初にそれを公表しているだけマシだというべきなんでしょうか。
劇場版は、やっぱりアニメが凄く面白かったからサービス、とかあくまで続編とか、それくらいの位置づけで欲しいですね。
大体映画映画って、採算がとれるもんなんでしょうか。
昨今の不景気で、映画業界もかなり厳しいという話はよく聞きますが、それなのにも関わらず、アニメの総集編が映画とか、かなり耳にしますが、どうなっているのでしょう。
一般人から見るとマイナーな作品が、単館だとしても何部作と放映されたりとか。
これが、国民アニメが毎年劇場版をやるとか、子供向けアニメが春休みに放映するとか、そんなのならわかるんですけど、いわゆる、マニアックというアニメが映画になることに、どんなメリットがあるのかよくわかりません。
尺の都合だけなら、どうせやるのは夜中なわけですし、普通に二時間もらえばいいのでは、と思ってしまいます。
「スラップアップパーティー -アラド戦記-」
最近シリアスにとんと興味がない(ババアだな………)ので、笑いの要素が少しでも詰まっているものには期待してしまいます。頑張れ笑いの神様。
13個もありますよ。まず無理だな。
シリアス要素が強いものは消える要素大です。
もう、頭が痛いと何にもできないので、本当に人生損した気持ちになります。
学生時代が過ぎると、人生あっという間だというのに(これ、本当でした)こんな体調不良で、貴重な時間を無駄にするわけにはいかないんですよ………! わかって神様!
さて、春からのアニメ新番組ですが、多分、どれも途中で挫折する気満々の中、一応チェックしてみようと思います。
MOON PHASE様参照。
「金色のコルダ ~second passo~ 第1楽章」
前期のアニメは非常に面白かったんですが、なにぶんキッズステーションを見られる環境にないので。
PSPに移植されている作品も、面白そうだなと思うんですが、絶対にまた追加要素つきで移植されるだろうな、というのと、どうもPSPは新しい機種が出そうなのとで、手が出せずにいます。
「ルパン三世 VS 名探偵コナン」
忘れなかったらみようかな、と(どんな決意だよ)。
いや、最近ルパンのテレビスペシャルもまともに見られていないので。
これ、夢のコラボとか、どっちが勝つのかとか言われておりますが、勝ち負けはともかくとして、良いところを持っていくのはルパンだろうそりゃ………。
逆に、コナンが勝っても素直に喜べないというか。
「マリー&ガリー」
実は私、「アリス探偵局」とか大好きだったんですよね………。
それだけの理由でチェックしたいと思います。
「戦国BASARA」
ゲームをプレイしたことはなく、知識といえば、ば●くれる様の作品のみという体たらくですが、ヤンキー言葉の伊達と、変態光秀のために見ようかと。
しかし、みんなの兄貴である長宗我部は出ないんですかね?
「バスカッシュ!」
サムシング吉松のキャラデザはすぐわかりますな。
個人的に「大江戸ロケット」といい、彼の描くコロコロとした可愛い女の子は大好きなので、話が進むにつれてオジンが出てくることを祈ります。
「Phantom ~Requiem for the Phantom~」
元エロゲー、しかもずいぶん前の作品がどうしてアニメになるのか、力関係とかタイアップの仕方がよくわかりませんが、私、千葉氏のシリアスボイスを聞いたことがないので、見てみたいな、と(そんな理由)。
まるで、ダメな、オーディン、略してマダオの実力をこの目に………!
「ヒゲぴよ」
一話が短い話は、本当に見るのが楽です。食事をしながらとか、横目で見られるアニメっていうのは必要ですよ、本当に。
「真マジンガー 衝撃!Z編 on television」
監督今川とくれば見ないわけには………! 動きの素晴らしさを期待したいです。
「戦場のヴァルキュリア」
これねえ、どうなんでしょうねえ。ゲームがヒットしたのかどうかは、ちょっと微妙ですし(発売されたハードが悪かったとしか)、戦闘の難しさが、「サクラ大戦」のような、はまり込みやすいギャルゲーとしての立場にもなれなかったという、ゲームとしては不遇な印象がどうしても強いんですが。
逆にアニメになってこなれてくれればそれでいいのかな、と。
大塚親子の共演も地味に楽しみです。
「蒼天航路」
どうなるんだ。
「リストランテ・パラディーゾ」
原作である漫画はそれほどはまらなかったのですが、おっさんだらけの声に注目したいと思います。
「東のエデン」
アニメオリジナルだそうですが、どうも、アニメ放映後に映画で補完っていうのがどうも………。最初にそれを公表しているだけマシだというべきなんでしょうか。
劇場版は、やっぱりアニメが凄く面白かったからサービス、とかあくまで続編とか、それくらいの位置づけで欲しいですね。
大体映画映画って、採算がとれるもんなんでしょうか。
昨今の不景気で、映画業界もかなり厳しいという話はよく聞きますが、それなのにも関わらず、アニメの総集編が映画とか、かなり耳にしますが、どうなっているのでしょう。
一般人から見るとマイナーな作品が、単館だとしても何部作と放映されたりとか。
これが、国民アニメが毎年劇場版をやるとか、子供向けアニメが春休みに放映するとか、そんなのならわかるんですけど、いわゆる、マニアックというアニメが映画になることに、どんなメリットがあるのかよくわかりません。
尺の都合だけなら、どうせやるのは夜中なわけですし、普通に二時間もらえばいいのでは、と思ってしまいます。
「スラップアップパーティー -アラド戦記-」
最近シリアスにとんと興味がない(ババアだな………)ので、笑いの要素が少しでも詰まっているものには期待してしまいます。頑張れ笑いの神様。
13個もありますよ。まず無理だな。
シリアス要素が強いものは消える要素大です。
『ハーヴェイ』
ちょっと前に、『ラースと、その彼女』という映画がわりと話題になったんですが、あらすじを見て、「これって『ハーヴェイ』と同じなんじゃ」と思ったのが見ようと思ったきっかけでした。
この映画、私は見たことがなかったのですが、川本三郎の映画評論本で、解説されていたのを読んだことがあったのです。
普通にシュールなヒューマンコメディ(おかしな表現)なのかと思いきや、最初から最後まで泣き通しでした。
いや、まあ、私はフィクションで簡単に泣くので、私が泣いた=感動にはならないんですが。
基本は幸せな話なのです。誰も傷つかないし、誰も傷つけられたりしないし。
でも、その幸せが悲しい―私のような現実の尺度でしか生きられない人間から見ると、とても悲しい話でした。
主人公は、エルウッドというもうすぐ中年にさしかかる男性。親の遺産を相続し、不自由なく暮らす独身男。誰にも優しい彼だが、たった一つだけまともではない言動があった。
身長が180センチを越える巨大なウサギ―ハーヴェイ。
エルウッドは、誰彼かまわずハーヴェイを紹介するが、その視線と差し出された指の先には、誰もいないのだった。
ハーヴェイはエルウッドの妄想であり、他の人間には誰も見えません。
当然周囲の人間は、彼をうす気味悪がり、遠ざかります。
共に暮らす姉のヴィータはそんな彼を心配し、自分の娘の縁談にも影響があるのではないかと、彼を精神病院に入院させようとします。
このエルウッド、明確な言葉で説明はされませんが、どうやらアルコール依存症のようです。昼からバーへ出かけ、マティーニを飲む。勿論、ハーヴェイの分も。
そこで、全ての人間に挨拶し、始めての人間には名詞を渡す。
食事に来ないかと誘い、「用事があるから」と社交辞令的に断ると、「いつならいい? 明日? 明後日?」とそのナチュラルな拒絶を理解することができず、心から来てもらいたいと望む。
彼は、とにかく善人です。彼をさげすむ目や、奇異の眼差しにも全く気づかないし、ハーヴェイと仲良く歩き、話し、扉を開けてやり、椅子をひいてやる。
ただそれは、やはり一般のハーヴェイが見えない人たちから見れば、異常でしかないのです。
姉は精神病院へ共に行きますが、手違いからエルウッドは開放されてしまいます。
慌てて追いかける、医師と看護師。
BARで出会い、彼らは色々な話をします。
「僕は、いつもそうなんです。BARに行くと、必ず誰かがいる。色々な人がいて、色々な話を聞かせてくれる。楽しいこと、とても悲惨なこと。僕に今まで聞いたことがない色々な話をしてくれる。それは、とても大切なことなんです。わかりますか? でも、ハーヴェイが話始めると、みんな去っていくんです。それは仕方のないことで、ハーヴェイの話はとても高尚で、みんなはそれがねたましくなってしまう。人は誰でも、羨ましいと思う気持ちがあります」
常に礼儀正しく、やさしく、他人の気持ちを慮って話してくれるエルウッドに、周囲の人間は次第に見方を変えていきます。
「母は、僕に言いました。人生は、とてつもなく抜け目なく生きるか、とてつもなく優しくいきるかの、どちらかしかないって。僕は何年も抜け目なくやってきたから、今度は親切にしようと思って」
幼い頃からエルウッドを知っている人間の台詞から判断すると、どうやら、エルウッドは頭もよく、運動もできて、女性にも男性にももてた、完璧な青年だったらしいです。
それが、ある日を境に「そうではなくなってしまった」と。
精神科医は、母親の死や、父親の名前、幼い頃に遊んだ友人の名前など、色々な関連性を示すんですが、エルウッドはそれらの質問に丁寧に答えるだけで、実際こちらも原因はよくわかりません。
ハーヴェイと出会ったときの話も、街角に立っていたウサギに気づいた、というだけなのです。
最終的に、エルウッドは精神科医で注射を受けることになります。姉がそう望むなら、と。泣かないでと。
ですが、姉は結局まともになり、醜くなっていくくらいなら、とエルウッドにそのままでいて欲しいと望みます。
2メートルのウサギがいても、それがエルウッドにしか見えなくても、それで彼が幸せならば、今のままの優しいエルウッドでいてくれるのならば、それでいいじゃないか、と。
これ、面白いのが、最初はハーヴェイは完璧にエルウッドの妄想で、そして、最後も妄想であるんでしょうが、ひょっとしたら?と思わせる演出が、ちりばめられているのです。
姉は「時々ウサギの姿が見えてしまう」と言うし、精神科医の院長は、見えてしまいます。常にハーヴェイが。
勿論、画面には一切ハーヴェイは映りません。でも院長はエルウッドと同じように、ハーヴェイと話し、共にいて欲しいと口に出して言います。
他にも、二つの穴が開いた帽子や、持ってきたはずなのにない財布など、本当に妖精の仕業では、と思えることが、たびたび出てきます。
最後も、ハーヴェイは結局院長から、エルウッドの元に戻り、
「僕は君といられるのが幸せなんだから」
と、見えないハーヴェイと一緒にエルウッドは帰ります。
最初から最後まで、ハーヴェイはいるのかいないのか、わからないままで。
本当に「いる」のだとしたら、多分、ハーヴェイを必要だと、いるといいなと思える人には見えるのでしょう。癒しを求めていた院長とか、弟を愛する姉とか。では、エルウッドもハーヴェイを何故必要としているのか、ということになるのですが、ここで面白いのがエンドロール。
役者名と、役名が並ぶのですが、
「ハーヴェイ himself」とあるのです。
いくら、英語ができない私でも、「himself」くらいはわかります(本当かよ)。
つまり、「ハーヴェイ=彼自身」となるわけです。
周囲は、彼を必要とし、ハーヴェイに癒されるということはエルウッドに癒されるということである。
彼は、彼自身に癒される。
基本はヒューマンコメディなので、笑える部分(主に言葉のやり取りとして)もありますし、ハートフルですが、凄く穏やかな気持ちになれるんですが、それでも、やはりエルウッドの姿や言葉は見ていて悲しい。
現実世界で生きていて、絶対にハーヴェイは見えない、そんな大多数の人間から見ると、見えないハーヴェイと会話し、他人に馬鹿にされ続けるエルウッドの姿は悲しい。
それを、悲しみと全く理解せずに、自分は幸せだと思っているエルウッドの感情が悲しい。
その悲しみさえ、彼にとって的外れだということは重々承知でも、やはり、見ていて何処か悲しい姿でした。
エルウッドは別にハーヴェイだけを猫かわいがりしているわけではないので、いてもいなくても、彼が世界のあらゆるものに優しい、というのは揺るがないのですが、その彼の優しさが悲しい感じでした。
でもそれは、周囲の人間にハーヴェイが見えないのと同じように、彼にとっては無縁のことなので、それだけが「見ている側」にとっての救いなのかもしれません。
古い映画なので、全編モノクロです。
主演は、ジェームズ・スチュワート。アメリカの良心と言われたスチュワートの朴訥な姿が、感動できます。ただ、二枚目かどうかは正直わからない!(昔の映画はバストアップになることが殆どないので、顔の区別がつかない)
ちょっと前に、『ラースと、その彼女』という映画がわりと話題になったんですが、あらすじを見て、「これって『ハーヴェイ』と同じなんじゃ」と思ったのが見ようと思ったきっかけでした。
この映画、私は見たことがなかったのですが、川本三郎の映画評論本で、解説されていたのを読んだことがあったのです。
普通にシュールなヒューマンコメディ(おかしな表現)なのかと思いきや、最初から最後まで泣き通しでした。
いや、まあ、私はフィクションで簡単に泣くので、私が泣いた=感動にはならないんですが。
基本は幸せな話なのです。誰も傷つかないし、誰も傷つけられたりしないし。
でも、その幸せが悲しい―私のような現実の尺度でしか生きられない人間から見ると、とても悲しい話でした。
主人公は、エルウッドというもうすぐ中年にさしかかる男性。親の遺産を相続し、不自由なく暮らす独身男。誰にも優しい彼だが、たった一つだけまともではない言動があった。
身長が180センチを越える巨大なウサギ―ハーヴェイ。
エルウッドは、誰彼かまわずハーヴェイを紹介するが、その視線と差し出された指の先には、誰もいないのだった。
ハーヴェイはエルウッドの妄想であり、他の人間には誰も見えません。
当然周囲の人間は、彼をうす気味悪がり、遠ざかります。
共に暮らす姉のヴィータはそんな彼を心配し、自分の娘の縁談にも影響があるのではないかと、彼を精神病院に入院させようとします。
このエルウッド、明確な言葉で説明はされませんが、どうやらアルコール依存症のようです。昼からバーへ出かけ、マティーニを飲む。勿論、ハーヴェイの分も。
そこで、全ての人間に挨拶し、始めての人間には名詞を渡す。
食事に来ないかと誘い、「用事があるから」と社交辞令的に断ると、「いつならいい? 明日? 明後日?」とそのナチュラルな拒絶を理解することができず、心から来てもらいたいと望む。
彼は、とにかく善人です。彼をさげすむ目や、奇異の眼差しにも全く気づかないし、ハーヴェイと仲良く歩き、話し、扉を開けてやり、椅子をひいてやる。
ただそれは、やはり一般のハーヴェイが見えない人たちから見れば、異常でしかないのです。
姉は精神病院へ共に行きますが、手違いからエルウッドは開放されてしまいます。
慌てて追いかける、医師と看護師。
BARで出会い、彼らは色々な話をします。
「僕は、いつもそうなんです。BARに行くと、必ず誰かがいる。色々な人がいて、色々な話を聞かせてくれる。楽しいこと、とても悲惨なこと。僕に今まで聞いたことがない色々な話をしてくれる。それは、とても大切なことなんです。わかりますか? でも、ハーヴェイが話始めると、みんな去っていくんです。それは仕方のないことで、ハーヴェイの話はとても高尚で、みんなはそれがねたましくなってしまう。人は誰でも、羨ましいと思う気持ちがあります」
常に礼儀正しく、やさしく、他人の気持ちを慮って話してくれるエルウッドに、周囲の人間は次第に見方を変えていきます。
「母は、僕に言いました。人生は、とてつもなく抜け目なく生きるか、とてつもなく優しくいきるかの、どちらかしかないって。僕は何年も抜け目なくやってきたから、今度は親切にしようと思って」
幼い頃からエルウッドを知っている人間の台詞から判断すると、どうやら、エルウッドは頭もよく、運動もできて、女性にも男性にももてた、完璧な青年だったらしいです。
それが、ある日を境に「そうではなくなってしまった」と。
精神科医は、母親の死や、父親の名前、幼い頃に遊んだ友人の名前など、色々な関連性を示すんですが、エルウッドはそれらの質問に丁寧に答えるだけで、実際こちらも原因はよくわかりません。
ハーヴェイと出会ったときの話も、街角に立っていたウサギに気づいた、というだけなのです。
最終的に、エルウッドは精神科医で注射を受けることになります。姉がそう望むなら、と。泣かないでと。
ですが、姉は結局まともになり、醜くなっていくくらいなら、とエルウッドにそのままでいて欲しいと望みます。
2メートルのウサギがいても、それがエルウッドにしか見えなくても、それで彼が幸せならば、今のままの優しいエルウッドでいてくれるのならば、それでいいじゃないか、と。
これ、面白いのが、最初はハーヴェイは完璧にエルウッドの妄想で、そして、最後も妄想であるんでしょうが、ひょっとしたら?と思わせる演出が、ちりばめられているのです。
姉は「時々ウサギの姿が見えてしまう」と言うし、精神科医の院長は、見えてしまいます。常にハーヴェイが。
勿論、画面には一切ハーヴェイは映りません。でも院長はエルウッドと同じように、ハーヴェイと話し、共にいて欲しいと口に出して言います。
他にも、二つの穴が開いた帽子や、持ってきたはずなのにない財布など、本当に妖精の仕業では、と思えることが、たびたび出てきます。
最後も、ハーヴェイは結局院長から、エルウッドの元に戻り、
「僕は君といられるのが幸せなんだから」
と、見えないハーヴェイと一緒にエルウッドは帰ります。
最初から最後まで、ハーヴェイはいるのかいないのか、わからないままで。
本当に「いる」のだとしたら、多分、ハーヴェイを必要だと、いるといいなと思える人には見えるのでしょう。癒しを求めていた院長とか、弟を愛する姉とか。では、エルウッドもハーヴェイを何故必要としているのか、ということになるのですが、ここで面白いのがエンドロール。
役者名と、役名が並ぶのですが、
「ハーヴェイ himself」とあるのです。
いくら、英語ができない私でも、「himself」くらいはわかります(本当かよ)。
つまり、「ハーヴェイ=彼自身」となるわけです。
周囲は、彼を必要とし、ハーヴェイに癒されるということはエルウッドに癒されるということである。
彼は、彼自身に癒される。
基本はヒューマンコメディなので、笑える部分(主に言葉のやり取りとして)もありますし、ハートフルですが、凄く穏やかな気持ちになれるんですが、それでも、やはりエルウッドの姿や言葉は見ていて悲しい。
現実世界で生きていて、絶対にハーヴェイは見えない、そんな大多数の人間から見ると、見えないハーヴェイと会話し、他人に馬鹿にされ続けるエルウッドの姿は悲しい。
それを、悲しみと全く理解せずに、自分は幸せだと思っているエルウッドの感情が悲しい。
その悲しみさえ、彼にとって的外れだということは重々承知でも、やはり、見ていて何処か悲しい姿でした。
エルウッドは別にハーヴェイだけを猫かわいがりしているわけではないので、いてもいなくても、彼が世界のあらゆるものに優しい、というのは揺るがないのですが、その彼の優しさが悲しい感じでした。
でもそれは、周囲の人間にハーヴェイが見えないのと同じように、彼にとっては無縁のことなので、それだけが「見ている側」にとっての救いなのかもしれません。
古い映画なので、全編モノクロです。
主演は、ジェームズ・スチュワート。アメリカの良心と言われたスチュワートの朴訥な姿が、感動できます。ただ、二枚目かどうかは正直わからない!(昔の映画はバストアップになることが殆どないので、顔の区別がつかない)
井原が! 井原が料理を! 事件ですが(事件なんですか)(そしてあれは料理と名づけていいものなのですか)休憩室でえらい騒ぎになること三回。
最終的には、「井原さんが包丁を持っていたことが驚きだ」とまで言われる始末。
すいませんね! ごめんね! 料理しちゃって!
でもうちには未だ、しょうゆも味噌もみりんも酒も塩もコショウも砂糖もマーガリンもマヨネーズもケチャップもソースもないよ!(なさすぎだ!)
味塩コショウだけあるので、一振りすれば勝手に塩もコショウも出てきてしまいます。どちらかなんて選べない。
最終的に、冷蔵庫にまだ玉ねぎが二個転がっているので、あれを消化すべく頑張ります。
もうじき、ハガレンのアニメ二期が始まるらしいですが、キャストが大幅に変更になったらしいですね。
ウィンリィ・ロックベル:豊口→高本
ロイ・マスタング:大川→三木
リザ・ホークアイ:根谷→折笠
ジャン・ハボック:松本→うえだ
ヴァトー・ファルマン:室園→浜田
マリア・ロス:斎賀→名塚
スカー:置鮎→三宅
ラスト:佐藤→井上
グラトニー:高戸→白鳥
エンヴィー:山口→高山
ゾルフ・J・キンブリー:うえだ→吉野
松本さんもうえださんも好きですが!
しかし、どちらにせよ一期も見ていない、二期も見る予定がない、主要人物以外顔も名前も一致しない私が言うのもアレですが、何のための変更なんですかね。
話がだいぶ進んで、一期の頃のキャラクターとイメージが合わなくなったとか、それならまだいいんですが(いや、良くはないだろうけど………)金とか、監督の好みとかだったら、ちょっとどうなんだろうとは思いました。
というか、これで削減ができてるんでしょうか。誰が高くて誰が安いんだかさっぱり。
特に、ロイとか、ウィンリィまで変わるとは思わなんだ。
これ、変わったら変わったで、次やる人も神経使って大変でしょうね。
『逆転検事』体験版をプレイしたら、やっぱりそれなりに面白かったので、ちゃんと購入しようと思いました。
というかぶっちゃけ、ウルフの外見が好みだ。
体験版のラストで可愛いあの子も出てきましたし、桃色な話も期待したいです。
冥ちゃんがレギュラーっぽいのも期待大。何気に冥ちゃんは好きなのです。ただし、成歩堂×冥ですが。冥ちゃんは成歩堂に可愛い片思いだぜ! イトハミは公式だぜ!(お前、可愛いあの子はどうするんだよ)
『有罪×無罪』も何気に面白そうです。DSになって推理モノや、ADVの幅が広くなったようでちょっと嬉しいです。
最終的には、「井原さんが包丁を持っていたことが驚きだ」とまで言われる始末。
すいませんね! ごめんね! 料理しちゃって!
でもうちには未だ、しょうゆも味噌もみりんも酒も塩もコショウも砂糖もマーガリンもマヨネーズもケチャップもソースもないよ!(なさすぎだ!)
味塩コショウだけあるので、一振りすれば勝手に塩もコショウも出てきてしまいます。どちらかなんて選べない。
最終的に、冷蔵庫にまだ玉ねぎが二個転がっているので、あれを消化すべく頑張ります。
もうじき、ハガレンのアニメ二期が始まるらしいですが、キャストが大幅に変更になったらしいですね。
ウィンリィ・ロックベル:豊口→高本
ロイ・マスタング:大川→三木
リザ・ホークアイ:根谷→折笠
ジャン・ハボック:松本→うえだ
ヴァトー・ファルマン:室園→浜田
マリア・ロス:斎賀→名塚
スカー:置鮎→三宅
ラスト:佐藤→井上
グラトニー:高戸→白鳥
エンヴィー:山口→高山
ゾルフ・J・キンブリー:うえだ→吉野
松本さんもうえださんも好きですが!
しかし、どちらにせよ一期も見ていない、二期も見る予定がない、主要人物以外顔も名前も一致しない私が言うのもアレですが、何のための変更なんですかね。
話がだいぶ進んで、一期の頃のキャラクターとイメージが合わなくなったとか、それならまだいいんですが(いや、良くはないだろうけど………)金とか、監督の好みとかだったら、ちょっとどうなんだろうとは思いました。
というか、これで削減ができてるんでしょうか。誰が高くて誰が安いんだかさっぱり。
特に、ロイとか、ウィンリィまで変わるとは思わなんだ。
これ、変わったら変わったで、次やる人も神経使って大変でしょうね。
『逆転検事』体験版をプレイしたら、やっぱりそれなりに面白かったので、ちゃんと購入しようと思いました。
というかぶっちゃけ、ウルフの外見が好みだ。
体験版のラストで可愛いあの子も出てきましたし、桃色な話も期待したいです。
冥ちゃんがレギュラーっぽいのも期待大。何気に冥ちゃんは好きなのです。ただし、成歩堂×冥ですが。冥ちゃんは成歩堂に可愛い片思いだぜ! イトハミは公式だぜ!(お前、可愛いあの子はどうするんだよ)
『有罪×無罪』も何気に面白そうです。DSになって推理モノや、ADVの幅が広くなったようでちょっと嬉しいです。