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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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確かもうすぐ31のチャレンジザトリプルキャンペーンが終わるなあ、と結構混んでいた店内で待ちながら、土産で購入し帰宅したところ、お中元でハーゲンダッツの詰め合わせが届いておりました。
クッ…嬉しいがこのタイミング…!
その上、父親が「巷で評判のようだから」とガリガリ君梨味も購入しておりました。
クッ…確かに梨はいつか食べねばと思っていた…!
結局母親が、冷凍庫の整理に頭を抱えるという羽目になったのでした。かさばるんだよね、31のカップが。
でもまあ、大丈夫だ。三日でなくなるよこの暑さが続くのであれば。


先日ツイッターで、HNK受信料の話題がとりあげられていたのですが、個人的にはとっとと使用量制にしちゃえばいいのになーと思っております。
私はNHKを実際見るので一人暮らしのときも受信料を払っていたし、今後も払うつもりでおりますが、現実的に昔みたいにテレビがある=テレビ番組視聴のために使っている、という図式って成り立ちませんしね。
AV機器専用のためとか、それこそゲームのためだけ、とか。
携帯電話のワンセグ機能も、多分私の携帯にもついているのだと思う…いや、いないのかもしれないが、どうでもいいからわからない程度の位置づけなので、それで見ているといわれても正直困惑しますし。それはパソコンだって同じ事ですし。
見ている人もいるかもしれないけれど、見ていないかもしれない、がデフォルトなのであれば、いっそ病院のプリペイド式カードみたいにしてもいいですよね。
契約はする。で、見たければお金をチャージすればその分だけ見られる、とか。
個人的には、ガス、電気、水道みたいに、見た時間を後で徴収してもらえるのが一番いいんじゃないかな、と思うんですが。
一番組いくら、みたいな番組売買のやり方だと、たまたま猫がリモコン踏んでチャンネルが切り替わっただけでもお金を払う羽目になったりするかもしれないので、時間で徴収してもらうのが一番じゃないかなあ、というか。
そうすれば、普段は絶対見ないけれど、NHKの歌番組でお気に入りの歌手が出ると知ったから、その1時間だけはどうしても見たい、っていう人も視聴できるし、お金だってその一時間分徴収すればいいのだから、お互いにメリットになるんじゃないかなあ、というか。
どの番組に金が払われているか、っていうのも一目瞭然になるでしょうし、そうなれば番組作りにも役立つし。
それこそ、別に見るものなくて延々NHKをつけている人は定額制を選べるとかね。
無理やり理不尽な方法で受信料を徴収するよりも、お互いに納得ずくでお金を取ることができる方法がいくらでもあるような気がするんですが…。
どうして反感もたれるような徴収ばかりするんだろうなあ。私は払うけれど、純粋に払う必要がない人だって大勢いると思うんですよね。
テレビの放送局が緊急時のために存在するならば、それこそその時は誰もが金を支払わなくても見られなければ意味がないわけですから、そうでない時は、逆に明朗会計でいてもらいたいです。
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【TIGER&BUNNY15話】感想


以下ネタバレあります。特に反転もしておりませんのでご注意ください。





























30分でテンポよくてそれでいて大変暗い話ですが、個人的には変な愁嘆場がなくて好きなオチでした。
スカイハイが公園で知り合った女性は、アンドロイドであり、最後は暴走して姿かたちも変わった彼女を、スカイハイが倒す、という話なのですが、そのロボットがあくまでちゃんとロボットなのが個人的には非常に好みです。

例えばこれが、人間の感情を理解するために作られたとか、コミュニケーション目的の存在であって、しかも「自分はロボットである」という認識がある上でスカイハイと付き合っていた、というのならまた別なのですが、今回、スカイハイは極論ですが、勝手にしゃべる自販機に恋をしている、ようなものなんですね。
存在の説明だけより抜けば。
ただ、人型をしていたからスカイハイは相手が「人間の女性」だと思い込んで恋をしただけであって、中身だけひん剥くと、人間の男が人型のロボットに一方的に声をかけているだけなので、シスにとってはスカイハイは何者でもないし、「個人」として認識されてもいない。

シスはあくまで研究者が「力」を求めて組み立てたプラモデルみたいなものであって、対物関係に特別な感情を抱くはずもないし、その感情のプログラムが元々入っていないわけですから、シス自身にとってスカイハイはどうでもいいし、スカイハイの行いや自分に投げかけれている言葉も、どうでもいい。というか、どうでもいいという判別すら多分してないんだと思います。かけられた音声に反応しているだけで。

それでも、スカイハイは「それを知らず」にアンドロイドに恋をする。しかも一方的に。
だから、スカイハイは最終的に自分に向かってくる狂ったロボットが、シスであると気づくはずもないし、「ひょっとしたら気づいている」のではないか? という描写があろうはずもない。
外見が違いすぎるし、声もなければ、某かの行動に皮が向けた後のシスと、公園で出会ったシスには共通点が何一つないのだから、それは当たり前。

だから、最後スカイハイが公園で彼女を待ち続けて、その結果「絶対に再会」しないのは当然悲しい、ですが、それはあくまでスカイハイの勝手な思いの結末が悲しいのであって、別段シスにとっての「悲しみ」じゃないんですね。
何故なら、シスには別段悲しみを理解する機能はついていないから。だから、スカイハイにとって片思いの相手に会えないのは悲しいけれど、それはスカイハイの一方的な悲しみであって、シスはもうただ壊れて処分された機械というだけなので、そこにシス自身の不幸など生まれようがない。

しかも今回の話、例えば他の連中が「あの狂ったアンドロイドはシスなんだ!」という認識も一切されていない。
つまり、スカイハイが出会ったシスは、スカイハイしか知らないわけです。
だから、実際に戦闘した虎徹とバーナビーも、純粋に狂ったアンドロイドの相手をした、という認識だけであってスカイハイの片思いの相手を壊しちゃった罪悪感など当然ないし、例えばスカイハイの片思いの相手をその後知ったとしても、
「まあ、何処かでまた会えるかもしれない」
とか、ごく当たり前のフォローをするだけにとどまるんだろうなあ、というか。

そのスカイハイの報われぬ思い、すれ違い、人ではないものの悲しさを、唯一知ることが出来る視聴者が涙するわけです。
その様々な悲劇を知るのは、当事者ではなく、今回視聴者だけなので。
だからこそ、傍観者である視聴者は、テレビの前で繰り広げられるどうにもならない展開が「悲しい」と涙するわけですね。
他の連中、あの世界の連中は誰一人「そこまでの悲しみ」を背負うわけでもなく、ただ裏の事情を知ってしまったコチラが悲しい。
そういう作りが大変潔くて好きでした。


まああの後、虎徹とバーナビーからアンドロイドの外見とか、研究者さんたちのデータとかで、スカイハイが事実を知ってしまった可能性もあるわけですが…。
知った上で、スカイハイが「お礼」に行っている、と見る展開も確かに悲しいんですが、少しでもその手の描写があれば深読みもしますが、今回に限って言えば純粋にスカイハイは、最初から最後まで自分の目線のまま、シスの正体など一切知らないまま、勝手に恋をして勝手に失恋しているんじゃないかな、と思いました。
だからこそ、シスらしいというか。
シス目線だと、そこでスカイハイがシスの正体を知って滂沱し、後悔したとしたって、別にどうだっていいわけですから。人を愛する機能がないのだし。


これ、色々人間的解釈を加えれば、シスは機能不全を起こしていたのだから、スカイハイに対する受け答えには意味がある、とか、スカイハイは最後気づいたからこそバラの花を持って公園に行って、彼女を待ち続けるというような展開も大いにありだとは思うんですが、個人的には、最初から最後まで、誰も何も気づかず、そして誰も別に「不幸」にはならなかった、ただ壊れたロボットが破壊された「だけ」の物語、という展開のほうが好みです。

だからこそ、こっちがスカイハイの感情に、感情移入して泣けるわけですしね。だからこそ暗いというか。

元々、アンドロイドとかロボットが「人間的」な感情を持つことにあまり萌えない、っていうか、初めから感情を持っていないロボットだと知っていて、勝手に人間が某かの感情を持つわけだから、その後別に「こちら」に歩み寄ってもらう必要もない。そのままでいい。という性質なので、今回のスカイハイエピソードは非常に満足しました。

バニーの水着はもう、あいつはあれでいい。ああいう奴なんだからそれでいいさ。
「京伝怪異帖」
先日書いた、高橋克彦氏の時代小説。
歌麿シリーズと直接的なつながりがあるわけではないですが、登場人物は重複しているのでシリーズ物として読んでも面白いかも。
奇人変人の平賀源内に振り回される作家の話なんですが、ちょっと面白いのがあの平賀源内が出てくるのに、この話は幽霊などの怪奇現象がごく普通に「あるもの」として出てきちゃうところですね。
多分、江戸時代は今よりもずっと不思議なものが「あって当たり前」であって、信じられていたというよりは「共に暮らしていた」でしょうなあ。
だからこそ、出てくる登場人物は別に幽霊の存在を疑わないし、疑わないからこそ、幽霊も「ちゃんと」出てくるっていうのが中々面白かったです。
まあ怪談物、というとそうなのですが、これは幽霊や怪奇現象に関わる人物たちが、男に裏切られて首をくくった遊女であったり、田沼意次の生霊であったりと、庶民から政治家まで取り揃えられていて、読み物として面白かったです。

特に、生霊となった田沼が自分の屋敷の屋根の上に座って、
「見舞いに来てくれて嬉しかったぞ」
「そろそろお休みになられてもよろしいのでは」
「うん、そうだな。そろそろ潮時かもしれんな」
と穏やかに消えていく様ではちょっと涙ぐんだ。

しかしまあ、武士っていうのはいつの時代もしょーもないですな!
平賀源内が絡んでくるとどうしても、政治だの松平だの、それぞれの藩だの事情が出てくるわけですが、庶民から見ると「ど、どうでもいいー!」と絶叫したくなる理由ばかりなので、読んでいて侍の理屈云々になるとイライラし通しでした(苦笑)
何が体面だよクソッタレ。

主人公の作家が、手鎖の刑(公儀に反する行いをしたとして)になって、吉原からお嫁さんをもらったのを嫌がって、自分から養子にもらっていった主人公の弟さんを離縁にする侍の側室になった母親の妹とか、お前…お前なあ! お前が欲しいっつってもらってったんだろうが! それをだなあ!

良きにしろ、悪きにしろ、侍の起こす行動が傍から見ると一ミリの理もないので、それに振り回される庶民はどうしようもなく腹立つだろうなあ、と思いました。
いい侍も悪い侍も、侍っていうだけでなんかもう生き方が固定されちゃっててどうしようもない気がする。
「なめくじ長屋捕物さわぎ シリーズ」 都筑道夫

お勧めいただいた時代小説。
今までわりと、「御宿かわせみ」や山本周五郎、藤沢周平のどちらかといえば裕福な世界の時代小説(侍は実質貧困にあえいでいたとしても)を読んでいたので、このシリーズ非常に毛色が違って面白かったです。
落語から題材を引っ張ってきたり、既存の小説から引っ張ってきたりという作品も多いので、それらの知識がある方はより楽しめるのではないかと。
まあ、とにかくなめくじ長屋という、底辺も底辺の人々が酷い(苦笑)。
基本的に純粋に曲芸や技で食べているのなんか数えるほど、であとは要するに物貰いですから。それにしても色々なもののもらい方があるものだなあ、と感心しきり、ですが、それぞれに持っているものが貧乏人の意地や、差別されている側の意地、でしかないので正義感とか清々しさとは全く無縁でした。
その上、話が下世話であったり、残虐性が非常に高い(猟奇殺人的描写が非常に多い)ので、面白いんだけどかなり人を選ぶような内容だと思います。
下町(と呼んでいいのか迷うほどのどうしようもない住まいですが)の描写や、いわゆる足を踏み入れてはいけない世界の描写などは非常に魅力的ですが、基本的にそこで暮らしている人は、魅力的ではあるかもしれないが誰も彼もまともじゃない(それが普通)なので、ちょっと飽食の気味はあるかもしれませんね。

砂絵師という地面に砂を書いてあがりをもらう、センセーという正体不明の武士くずれが基本的に探偵役で、他の長屋の面々が手となり、足となり、捜査をしていくというのが主な流れ。基本的には、舞台が江戸であるだけで、純然たる推理小説です。
現場で証拠を見つけ、動機を探り、犯人を当てる。
まあ他の推理小説と違うのは、犯人を裁く権利も、裁く気も、センセー側には殆どないので、どうやったらそれに関わった人間たちからお礼をもらえるか、というのがオチになります。
犯人は簡単にめぼしが着いても、そこからどうやって金を搾り取ろうかな、という工作がオチになる、っていうのは中々面白いですね。
これも好き嫌いありそうですが、センセーたちはそれを生業にしていて、そればかりが繰り返されるので、読んでいる側が慣れてしまう感じです。

犯罪が起こる理由は大体理不尽で、そして侍が絡んできたりすると、絶対に被害者が救われる結末にはなりません。
その上で、センセーが何処で妥協するか、裁きはせずとも、どうやって相手の人生を台無しにしてやるか、というある意味復讐劇だったりするのも、ちょっと毛色が違っていて面白いです。

基本的に短編なので、どれもさらっと読めますし、全く綺麗ではない文化的名ものも楽しめるので、個人的にはお勧め。
でもわりと極端な描かれ方をしているので、これだけ読むと、気分が滅入るかもしれませんが…。

センセーは出来すぎな人なので論外としても、キャラクターの個性が立っていても、個人的には誰も好きになれん、という印象でした(苦笑)
まあ、それも仕方がないかな、と。基本的にはどうしようもない普通の生活が営めない人たちの話なので。別に嫌いじゃないが、関わりたくもない人たちの物語、という感じです。




「だましゑ歌麿 シリーズ」 高橋克彦

これもお勧めいただいた作品。テレビドラマになっているのを知って、公式サイトを覗いてみたんですが、歌麿が主人公になっていてびっくり。
小説だと、同心の千一さんが主人公なんですが…。どうやって歌麿主人公にすんだろう。

小説はちょっと堅い印象、というか作者が描きたかったのは、作者が知識として持っている江戸文化や、実在の人物であって、それ以外のいわば「フィクション登場人物」が、とてもキャラクター的…というか、なんていうかなあ、ある意味、江戸時代という世界におけるライトノベルという印象が強い作品でした。

世界観とか、知識に裏づけされた文化描写は「堅い」んだけど、キャラクター同士の掛け合いになると、一気にキャラ物になるというか。
これ、良し悪しの問題ではなく、何に重きを置いているかとか、作者が描きたいものに対しての比重だと思うんですよね。

例えば、「御宿かわせみ」(こればかり引き合いに出して申し訳ないですが)だと、その比重が凄く均一な印象を受けるんですよね。
様々な登場人物が出てくるんだけど、どれも何か特化して個性があるわけではない。個性はあるんだけど、あくまで江戸に生きている一人の人物にスポットを当てているだけで、そこに、ある意味「とっつきやすい奇抜さ」というものがない。等身大と申しましょうか。

この歌麿シリーズの場合は、その比重が、文化的なものを描きたいときは、そちらが10、キャラクターが出てくればそちらが10、ってどちらも和合しない感じなんですよね。

そのキャラクターの個性の描き方が、別段不愉快ではないのでどちらも楽しめるというか、私の想像する、まずキャラクターありきのライトノベル、っていう印象を強く受けました。
文化的なものは漠然と知識として「なるほど」と納得できて、その「納得できた感覚」が頭に残るんですが、キャラクター描写はそれらの文化省いて直接受け止められる部分なので、多分頭の中に印象として残りやすいと思うんですよね。それゆえに、キャラ物の印象が強くなると申しましょうか。

「だましゑ歌麿」は長い割にはさらっと読めます。個人的には、その時代の浮世絵や、挿絵、版木などの描写が非常に楽しめました。
推理ものとしては、ごく普通。誰が怪しくて誰が犯人であるか、なんてものは読んでいてすぐ予想がつくでしょうし。
ただまあ、なんだろ、誰も彼もがいい人、みたいな描写になってしまったので逆にオチとして興ざめっていうのはありましたが…。
特に、テレビドラマでも肝になっている、歌麿の奥さんを殺した犯人までもがいいもの、みたいな描写になると「何を言ってるんだ」と、ごく庶民である私は目が平らになりました(苦笑)。

他にも何作か、スピンオフというか短編集がありまして、そちらのほうがさらっと読めて面白かったです。
千一さんの奥さんの話とか、後の葛飾北斎の話とか。
個人的にはこの作者さんは、やっぱり人物描写ではなく文化描写に優れていると思うので、逆に変に長い小説に詰め込むだけ詰め込みました、という内容よりも、短い短編で、知識を小出しにする(と書くとアレですが)ような小説の方が読んでいて、こちらもその知識に素直に感銘できるので、よろしいんじゃないかな、と思いました。
『シークレット』

突然の自動車事故により、子供が死んでから、ぎくしゃくしたままの関係を続けるある夫婦。
ある日、刑事である夫が出向いた殺人現場に残された証拠品は、間違いなく妻を表すものだった。
グラスに残されたピンクヴァイオレットの口紅。
床に転がるイヤリング。

「お前が殺したのか」
「その答えを言えば、もう二度と元の関係には戻れないわよ」

果たして夫は、秘密を守り続ける妻を、殺された弟の仇と狙うマフィアの手から守る事ができるのか。
そして、本当に妻は殺人を犯していないのか。
真犯人は一体何処へ消えてしまったのか。

これだけ書くと推理サスペンスみたいですが、実際は、ひたすら事実を隠蔽するために必死になる刑事の行動で話が進みます。
他の韓国映画の刑事モノでも見たんですが、こうあからさまに私情を入れて証拠の隠滅が「できちゃう」組織ってなんか空恐ろしいですねえ。多少誇張されている部分もあるのでしょうが、そういうことをしても家族を守る、っていうことに対してためらいがない男、っていう描かれ方をする「刑事」が凄く多いので、なんか組織人としては微妙な気持ちになりました。
別に家族を見捨ててもらいたいわけではないんですが、正当な流れであればそれこそ、妻に真偽を問いただすのが先なのでは。
これ、「絶対に妻は犯人ではない」から夫は妻をぬれぎぬから庇っているのではなく、「妻が犯人であろうがなかろうが関係なく」妻に不利になる証拠を次々に隠滅していく、っていうのがなんともはや。

まあ、夫が極端に妻を庇護しようとするのにも、それなりの理由があって、いわゆる「負い目」って奴が重くのしかかっているせいなのですが、それにより、夫のどうしようもなさと、自分に対して必死になっている夫を見る妻の冷たい目線が強調されていて、一事が万事やるせない映画でした。

悲惨とか、悲しいとかいう映画ではなく、結局は自分本位な二人の映画という感じ。
最終的などんでん返し(真犯人についての)もありますが、個人的には、どう転んだとしても夫がこれまでやってきたことを考えれば、これからやることも想像がつくので、まあ夫の絶望はこれからも続くんだろうな、という感じ。
色々あったけど、やはり最終的に「勝つ」のは妻である女、というような印象の映画でした。

後、韓国映画は、一見して小物に見えるチビデブが見せるド迫力枠を常に有しているので、その点では実に眼福モノでした。
豹変した後の顔、超怖い。マフィアのボスなんて目じゃない。

主人公の刑事は、髪の毛真っ黒で何故か片目が隠れているアニメみたいな髪型で仰天。
妻がこれがもう、薄幸の美女で倒れそうになりました。貞淑な妻の果たしてその実態は、って奴ですね。






『トイレット』公式サイト

もたいまさこさんがばーちゃん役で出ている時点で、勝ち組映画であるのは間違いないような気がするんですが、説教臭さなど微塵もない、いい映画でした。
潔癖症で同じシャツを七枚持っている研究者の兄。
パニック障害を抱えて家から出られないピアニストの弟。
勝気で自由奔放な妹。
猫のセンセー。
そして、亡き母親が呼び寄せた日本人の祖母、ばーちゃん。

全く英語が通じないばーちゃんと、三人の兄弟と、センセーのお話です。

基本的には、生真面目な兄が他のメンバーに振り回される形で話が進むのですが、その振り回され方も、それぞれが一生懸命やった形の上なので、そこで家族が仲たがいするような事はありません。
ある種の「家族」であるが故の「安心感」が強調されているので、見ている側も「家族ゆえの破局」といようなものを、想像することなく見られるので、とても優しい作りになっております。

兄弟色々問題があるけれど、絶対にそれぞれの個性をバカにしたりはしない。意見の食い違いもあるけれど、絶対に何かあれば助けに飛んでいく。

兄は自分が一番振り回されている、と思い、それを家族にぶつけるシーンもあるのですが、物語中盤で、ある意味自分が一番「家族」から守られていた、という事実を知ります。その上で劇的な何かが起きるわけでもなく、それでも家族は続いていくっていうのがいい。

そして気の強い妹さんは、ちょっとナルシスト入った美形と、詩の授業(笑)で出会い、付き合うようになります。
男は店員を勤める店のショウウィンドウをしょっちゅう覗きに来る、兄を指して、馬鹿にします。
「毎日同じシャツを着て、つまらない毎日を過ごす。滑稽だね。ああいう奴が一人で寂しい死に方をするんだ」
それを聞いて、妹は猛然と反論します。
「寂しく死んだりなんかしないわ。彼には妹がいるもの。それにね、毎日同じシャツなんか着てない。同じシャツを七枚持ってるのよ!」
そして、店に入ってきた兄の腕を掴んで、その店を出て行くのでした。もう、妹さん超カッコイイよ。

個人的には、家族間の問題は、問題と呼べるほどの険しいものではないと思うのですが、それは「見ている側」だからそうなのであって、実際にその家族であったなら、毎日の中でおきている逃れられない問題として、とても重要なウェイトを占めている、けれど、絶対に解決できるというスタンスが好きでした。
解決、っていうと固いですね。
昇華できるというか、乗り越えられるという印象です。

役者陣はどなたも爽やかで素敵でした。
個人的には気の優しい次男坊が大変キュート。
やせっぽちで背の高い、髪の毛もじゃもじゃの青年が、本当に嬉しそうに笑う様を見て思わずトキメキ(笑)。

公式サイトにトレイラーがあるので是非。
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