ローソンの「ミニクロワッサンチョコ(3)」が美味いです。
値段も110円。
お前は偉い。
職場で新しく勤め始めた、事務所の男性職員が、弟に見えて仕方がないんですが、どうしたらいいんでしょうか。
体型が! あの太った外見が、超似てる!
たまに現場ですれ違うと、「あ、●●●」と思わず声をかけそうになります。
そのたびに、「落ち着け私。●●●はもっと太ってるだろ!」と自分を誤魔化す日々です。
姉にそんな誤魔化しをさせないために、頼むからもっと痩せてください。
うちの弟は、高校時代ハンドボールをやっていたときは、背は低かったけど顔つきもハンサムでカッコよかったのになあ。女の子にも優しいし、声も荒げないし、真面目だし、眼鏡だよ!(超贔屓目)(最後は誰に向けてのアピールなんですか)
たまに他のサイト様のレビューを見たりして思うのは、私は中々穿った魅力を発見することが出来ないなあということです。
なんだかんだで、結構長くオタク趣味に走っている(趣味に長いもなにもないですが)わりには、結局ものの見方が平坦だというか。
俗に言う二枚目の人は、カッコイイと称するしかできないし、なんていうか、「こんな見方もあるのか」という斜め四十五度から見て、感嘆するようなことが見えないし、言えないんですな。
だからなんだというわけではないですし、自分の好みなんぞそれこそ、自分の意思でどうにかできるものでもないので、致し方ないのですが、人とは違うものの見方というのに、少し憧れがあります。
まあ私は趣味が一般の人と大っぴらに話せないジャンルというだけであって、表現方法や中身が個性的というわけじゃないからな。
『オトコマエ!』
中々面白かったです。
三十分という短い間に収まっているので、駆け足な部分もありますが、そのぶん飽きさせないように工夫がされていて、それが、登場人物たちの個性のインフレというわかりやすい部分に出ているので、見ていてとても楽しい。
若い主人公二人が、暴漢を取り押さえようとするとき、奥から好々爺が出てきちゃったときとか「いやもう、ちょっと下がっててください」とか、現実的な突っ込みとかしていて、笑えます。
時代劇としては、格好がアレなだけで、非常に敷居が低い(勿論悪い意味ではない)ので、時代劇はちょっとなーという方も是非ご覧ください。
しかしそんな奴らが出ているドラマなくせに、泣かせどころをちゃんと持ってくるのも、時代劇イズム。
無実の罪を自ら被り、養子に出した娘をかばった男。
親であることを名乗ることもせず、罪がはれ、所払いになった男は娘に会いに行く。
「おみつ………」
「………はい?」
「いや、おみつさん。その、坊ちゃん抱かせてくれないか」
「ええ、勿論!」
そう言って、自分の孫である赤子を抱き済める男は、ただ涙をこらえるのだった。
普通に泣けた。
結局名乗らないっていうのが泣けるんだよ! 娘さんを抱きしめるんじゃなくって、自分の孫を抱っこするっていうのがまたこれが!
値段も110円。
お前は偉い。
職場で新しく勤め始めた、事務所の男性職員が、弟に見えて仕方がないんですが、どうしたらいいんでしょうか。
体型が! あの太った外見が、超似てる!
たまに現場ですれ違うと、「あ、●●●」と思わず声をかけそうになります。
そのたびに、「落ち着け私。●●●はもっと太ってるだろ!」と自分を誤魔化す日々です。
姉にそんな誤魔化しをさせないために、頼むからもっと痩せてください。
うちの弟は、高校時代ハンドボールをやっていたときは、背は低かったけど顔つきもハンサムでカッコよかったのになあ。女の子にも優しいし、声も荒げないし、真面目だし、眼鏡だよ!(超贔屓目)(最後は誰に向けてのアピールなんですか)
たまに他のサイト様のレビューを見たりして思うのは、私は中々穿った魅力を発見することが出来ないなあということです。
なんだかんだで、結構長くオタク趣味に走っている(趣味に長いもなにもないですが)わりには、結局ものの見方が平坦だというか。
俗に言う二枚目の人は、カッコイイと称するしかできないし、なんていうか、「こんな見方もあるのか」という斜め四十五度から見て、感嘆するようなことが見えないし、言えないんですな。
だからなんだというわけではないですし、自分の好みなんぞそれこそ、自分の意思でどうにかできるものでもないので、致し方ないのですが、人とは違うものの見方というのに、少し憧れがあります。
まあ私は趣味が一般の人と大っぴらに話せないジャンルというだけであって、表現方法や中身が個性的というわけじゃないからな。
『オトコマエ!』
中々面白かったです。
三十分という短い間に収まっているので、駆け足な部分もありますが、そのぶん飽きさせないように工夫がされていて、それが、登場人物たちの個性のインフレというわかりやすい部分に出ているので、見ていてとても楽しい。
若い主人公二人が、暴漢を取り押さえようとするとき、奥から好々爺が出てきちゃったときとか「いやもう、ちょっと下がっててください」とか、現実的な突っ込みとかしていて、笑えます。
時代劇としては、格好がアレなだけで、非常に敷居が低い(勿論悪い意味ではない)ので、時代劇はちょっとなーという方も是非ご覧ください。
しかしそんな奴らが出ているドラマなくせに、泣かせどころをちゃんと持ってくるのも、時代劇イズム。
無実の罪を自ら被り、養子に出した娘をかばった男。
親であることを名乗ることもせず、罪がはれ、所払いになった男は娘に会いに行く。
「おみつ………」
「………はい?」
「いや、おみつさん。その、坊ちゃん抱かせてくれないか」
「ええ、勿論!」
そう言って、自分の孫である赤子を抱き済める男は、ただ涙をこらえるのだった。
普通に泣けた。
結局名乗らないっていうのが泣けるんだよ! 娘さんを抱きしめるんじゃなくって、自分の孫を抱っこするっていうのがまたこれが!
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今期に始まったアニメの中で、『ネオアンジェリーク』が一番面白いと思ってしまう私は何かおかしいのでしょうか。
狂っているのは世界か、それとも私か。(両方だ)
『コードギアス』 第二話。
スザクがルルーシュをとっ捕まえて、
「友達を売って出世するつもりか!」
に、
「そうだ」
と答えて「カッケー!」と思ったのもつかの間、そんなことよりこの期に及んでスザクを友達とか言ってるお前が笑えるとルルーシュに爆笑してしまいました。どっちが裏切ったってお前そりゃ自分だろ。
「人を切るだけでは世界は云々」も、胡散臭くてたまりません。お前そのどこにも本心がない発言やめてもらえませんか。私がその場にいたら、笑うどころかいっぺんで元々ミジンコしかない信頼が吹き飛びますが。
あれで信頼してしまうカレンは、やっぱり元々刷り込まれてるからとしかいえないよなあ。
ディートハルトとかあのあたりも、妄信者の行動は理由が必要ないので、別に見ていて面白くないし。
今更ですが、私はルルーシュが嫌いだ(遅い)と確信したので、結構きれいになったニーナ(いや、可愛かったですよ)が映ると、嬉しくて仕方がないです。
引っ掻き回すがいいさ!
ルルーシュの戦略については、結局イレギュラーなことが起こると何も対応できない、といういつものやつだったので、もう何を見ても爽快感がありません。結局自分も頼っているのって、カレンの武力だったりするわけですし。
中華連邦をギアスの力で自分のものにしたわけですが、次回を見るとどうやら学園でなにやら起こるっぽいですね。
ロロの正体はどうでもいいんですが、これ、また風呂敷をたたまないまま終わるんじゃないかと、そっちばかりが気になります。
少なくとも、スザクが所属した軍隊の連中は、ちょっとしか出番ないと思う。
『ネオアンジェリーク アビス』
おおお面白いんですがどうしたら。
抑えるべくツボは抑える作りは、まさしくネオロマアニメの面目躍如。
OPもお目見えになり、その作画の頑張ってる感は拍手喝采。
そして私は、黒髪短髪ガタイのいい男が大好きだということをやはり認めなければならないようです(お前そんな今更)。
OPの黒髪の動画、すげえカッコよかった!
最近スマートな男がスマートな行動をとるよりも、何処にでもいる普通の中肉中背(もしくはでかい)の男が、強引で力任せの格好つけない動きをとるほうが萌えるようになりました。
黒髪短髪が、でかい足を振り回す姿とか(それも明らかに無理な力の入れようで)萌えたわ。
最近のベストショットは、男のガニマタです。
本編の主題も(またBパートで作画が残念になってしまうのは仕方がないとして)アンジェリークの初仕事で、震えつつも自分が必要とされていることを自覚し、タナトスを倒し、レインとの関係もよくなるというわっかりやすいものの中で、それぞれのキャラクターの個性を掘り下げるエピソードがあるのが上手い。
そのエピソードそのものは、別に話に絡んでいる必要はないわけですよ。その言動にとにかく萌えられれば。
「必ず来てくれると思っていましたよ」
と口では言いながらも怪しい目をするニクスは、わざわざCFを挟むアップに怪しい微笑み満載。
レインはよりによって、夜涙を流すアンジェリークの姿を見てしまう。しかもゴス子はネグリジェ姿だぜ!
「きゃあ!」
「す、すまん!」
ってお前そんなベタな!(だがそれこそが素晴らしい)
この構図金色のコルダでも見たとか思ってはいけません。すべからく受け入れられるからこその、王道です。これを外してはいけない。
しかしゴス子が可愛いですなあ。あの外見ならすべてが許される気がする。
レインもツンデレのツンの部分が弱すぎて笑えます。
「アーティファクトだ。俺が研究しているのは。………知りたがってただろ」
とか二人っきりの馬車の中で言う。頬を染めて。
レインはこれから先デレる一方ですね。
そして、世界に幸せを一方通行に運ぶジェイド登場です。私ゲームではこの男が怖くて仕方がなかったのですが、ゲームよりもよりいっそう、ぼーっとした感が出ていて、非常にキャラクターとして萌えました。なんていうか、不思議の世界のルヴァみたいな感じで。
「君みたいなきれいな瞳の女の子が来るのを待っていたんだ」
って、ちっとも感情をこめずに言うのが笑える。
用事があるから一緒に行けない、と言いながらひだまり邸で白いエプロン姿で待ってる、って何事。
「サラダとパンプキンパイを作ったから食べよう」
出たよ、ジェイドのお菓子攻め!
ともかくこのままのレベルでいってくれるなら、非常に満足です。
絵がちょっと痛くなるのかもしれませんが、痛さの目立つ派手なキャラデザを自分で選んでしまった以上、最後まで頑張って欲しいものです。
エクセレント兄貴、今回も登場。
おおおカッコイイじゃないか。
おまけにOPではレインと背中合わせです。
私はレインとの兄弟の葛藤云々よりも、ゴス子に骨抜きになる兄貴の姿が見たいです(勝手すぎる要望)。
狂っているのは世界か、それとも私か。(両方だ)
『コードギアス』 第二話。
スザクがルルーシュをとっ捕まえて、
「友達を売って出世するつもりか!」
に、
「そうだ」
と答えて「カッケー!」と思ったのもつかの間、そんなことよりこの期に及んでスザクを友達とか言ってるお前が笑えるとルルーシュに爆笑してしまいました。どっちが裏切ったってお前そりゃ自分だろ。
「人を切るだけでは世界は云々」も、胡散臭くてたまりません。お前そのどこにも本心がない発言やめてもらえませんか。私がその場にいたら、笑うどころかいっぺんで元々ミジンコしかない信頼が吹き飛びますが。
あれで信頼してしまうカレンは、やっぱり元々刷り込まれてるからとしかいえないよなあ。
ディートハルトとかあのあたりも、妄信者の行動は理由が必要ないので、別に見ていて面白くないし。
今更ですが、私はルルーシュが嫌いだ(遅い)と確信したので、結構きれいになったニーナ(いや、可愛かったですよ)が映ると、嬉しくて仕方がないです。
引っ掻き回すがいいさ!
ルルーシュの戦略については、結局イレギュラーなことが起こると何も対応できない、といういつものやつだったので、もう何を見ても爽快感がありません。結局自分も頼っているのって、カレンの武力だったりするわけですし。
中華連邦をギアスの力で自分のものにしたわけですが、次回を見るとどうやら学園でなにやら起こるっぽいですね。
ロロの正体はどうでもいいんですが、これ、また風呂敷をたたまないまま終わるんじゃないかと、そっちばかりが気になります。
少なくとも、スザクが所属した軍隊の連中は、ちょっとしか出番ないと思う。
『ネオアンジェリーク アビス』
おおお面白いんですがどうしたら。
抑えるべくツボは抑える作りは、まさしくネオロマアニメの面目躍如。
OPもお目見えになり、その作画の頑張ってる感は拍手喝采。
そして私は、黒髪短髪ガタイのいい男が大好きだということをやはり認めなければならないようです(お前そんな今更)。
OPの黒髪の動画、すげえカッコよかった!
最近スマートな男がスマートな行動をとるよりも、何処にでもいる普通の中肉中背(もしくはでかい)の男が、強引で力任せの格好つけない動きをとるほうが萌えるようになりました。
黒髪短髪が、でかい足を振り回す姿とか(それも明らかに無理な力の入れようで)萌えたわ。
最近のベストショットは、男のガニマタです。
本編の主題も(またBパートで作画が残念になってしまうのは仕方がないとして)アンジェリークの初仕事で、震えつつも自分が必要とされていることを自覚し、タナトスを倒し、レインとの関係もよくなるというわっかりやすいものの中で、それぞれのキャラクターの個性を掘り下げるエピソードがあるのが上手い。
そのエピソードそのものは、別に話に絡んでいる必要はないわけですよ。その言動にとにかく萌えられれば。
「必ず来てくれると思っていましたよ」
と口では言いながらも怪しい目をするニクスは、わざわざCFを挟むアップに怪しい微笑み満載。
レインはよりによって、夜涙を流すアンジェリークの姿を見てしまう。しかもゴス子はネグリジェ姿だぜ!
「きゃあ!」
「す、すまん!」
ってお前そんなベタな!(だがそれこそが素晴らしい)
この構図金色のコルダでも見たとか思ってはいけません。すべからく受け入れられるからこその、王道です。これを外してはいけない。
しかしゴス子が可愛いですなあ。あの外見ならすべてが許される気がする。
レインもツンデレのツンの部分が弱すぎて笑えます。
「アーティファクトだ。俺が研究しているのは。………知りたがってただろ」
とか二人っきりの馬車の中で言う。頬を染めて。
レインはこれから先デレる一方ですね。
そして、世界に幸せを一方通行に運ぶジェイド登場です。私ゲームではこの男が怖くて仕方がなかったのですが、ゲームよりもよりいっそう、ぼーっとした感が出ていて、非常にキャラクターとして萌えました。なんていうか、不思議の世界のルヴァみたいな感じで。
「君みたいなきれいな瞳の女の子が来るのを待っていたんだ」
って、ちっとも感情をこめずに言うのが笑える。
用事があるから一緒に行けない、と言いながらひだまり邸で白いエプロン姿で待ってる、って何事。
「サラダとパンプキンパイを作ったから食べよう」
出たよ、ジェイドのお菓子攻め!
ともかくこのままのレベルでいってくれるなら、非常に満足です。
絵がちょっと痛くなるのかもしれませんが、痛さの目立つ派手なキャラデザを自分で選んでしまった以上、最後まで頑張って欲しいものです。
エクセレント兄貴、今回も登場。
おおおカッコイイじゃないか。
おまけにOPではレインと背中合わせです。
私はレインとの兄弟の葛藤云々よりも、ゴス子に骨抜きになる兄貴の姿が見たいです(勝手すぎる要望)。
「創作」に「ワンダと巨像」クリア記念SS更新しました。
このSS、「ICO」をクリアしたときに書いたSSとよく似てる。
内容がどうのというのではなく、中身のどうしようもなさ加減が似てます(意味不明)。
もっと具体的に言うならば、書いている最中に、ゲームプレイ中は思いもしなかったモノへの愛着がわいてきたあたりが、よく似てます。
「ワンダと巨像」では当然巨像をさしますが、「ICO」では影っていうのがよくわからないところです。
このSS、「ICO」をクリアしたときに書いたSSとよく似てる。
内容がどうのというのではなく、中身のどうしようもなさ加減が似てます(意味不明)。
もっと具体的に言うならば、書いている最中に、ゲームプレイ中は思いもしなかったモノへの愛着がわいてきたあたりが、よく似てます。
「ワンダと巨像」では当然巨像をさしますが、「ICO」では影っていうのがよくわからないところです。
発売後時間経過しておりますので、ネタバレには配慮しておりません。
十四体目。
湖がなんたら、と言うので、また水面かとがっかりしたものですが、たどり着くまででした。良かった。
何個か円柱につかまったり、それをわざと追突させて倒したりと、パズル的な要素が強い巨像でしたが、この手の「つかまって登る」というワンダが出来うることを最大限に生かした面は、中々面白いです。
湖を泳ぐように、ともかくひたすら時間がかかるのではなく、何らかのアクションをしてその結果時間がかかる、ということは苦ではないですし。自分ではちゃんと、飛んだり跳ねたりつかまったり巨像から逃げたりしているわけですから。
この頃になるといい加減、つかまる加減もわかってきているでしょうし(井原ワンダはどうでしょうね)。
この頃になると、格好だけでなく、髪の毛の色も黒く変わってきています。
一体ワンダは何色に染まろうとしているのでしょうか。
十五体目。
いよいよ残り二体です。
番人気取りの大男とかドルミンに言われていましたが、確かにでかい。
初めは姿が見えず、崖下から巨大な手だけが、ずい、っと出てきたときには、「でけえ! 怖え!」とさすがに思いました。
でかい巨像の弱点が、はるか高みにある頭部というのは、よくできたもので、そこにたどり着くまでにどうやって上に登っていくか、がカギになります。そのあたりの、行く必要があるが上の工夫、はやはり面白いです。
十六体目。
最後の巨像です。
外から邪魔者が入り込もうとしているといわれますが、多分十二体目あたりで出てきた外部の人たちなのでしょう。
時間がないから急げといわれましても、巨像に行き着くまでの時間がかかるのはどうにもならないわけで。
行く途中、アグロが崖下に落ちてしまいます。
すると最後の巨像は馬攻略ではないわけで(こんなところばかり冷静な井原ワンダ)。
下が川だったことを考えると、助かってるんだろうなとは思うんですが。
たどり着いた先にはこれまた巨大な巨像が。
がつんがつん、遠距離攻撃をしかけられ、そのたびにごっそり体力を持っていかれる井原ワンダ。
はからずとも、体力の値をアップしていたから助かっているようなものですが、これ、何もせずにこの場所に来たらかなりつらいんじゃないでしょうか。
井原ワンダはへたれなので、一発食らうごとに物陰に隠れて体力が全回復するまで潜みます。やっていて損はない。
巨大なまるで塔のような巨像を倒し、物語は終焉を迎えます。
終わり方に関しては、賛否両論というより、あれ以上はありえない、といった終わり方でした。
元々この「ワンダと巨像」というゲームは、話の筋がメインではなく、むしろ、世界観の表現がメインに据えられていると思っているので、「そしてお姫様は幸せになりました」という明確なオチをつける必要はないのでしょう。
最果ての地において行われた行動。
それを知っているのはプレイヤーのみで、その行動は、ゲームとしても、物語としても作業でしかない。
そのあたりの、語らなさは、「ICO」の時代からあまり変わっていないようです。
慣れればいいのかもしれませんが、ゲームの操作性だけあげれば、あまりいいとは思えません。プレイレポートでもしょっちゅう出しましたが、カメラワークの最悪さは目を疑います。見たいところを映さず、見たくもない場所から映すのは、もはや製作者側のいじめとしか思えません。
巨像を倒すまでの創意工夫に時間がかかったりすることは構わないのですが、劣悪な操作性のために時間がかかるイライラは、必要とは思えません。
世界観が重要視されるゲームと書きましたが、逆を言えば世界観ばかりが重要視されすぎ、その世界の中でプレイヤーが何をしたらいいのかおいてけぼりの感もあります。
確かに「巨像を倒す」という明確な主題はあれど、それにプレイヤーが着いていけなければ、何処までもいける広大な台地も、無駄に広い迷路と同じです。
ただ最初は私もひたすら面倒くさいと思っていましたが、この何もない世界観こそが、ワンダと巨像の恐怖をよりあおっているのだと次第に思うようになりました。
ワンダと巨像の世界観は、やることも含めてただ恐怖です。
人間よりもはるかに大きな、得体の知れない巨像をひたすら一人で倒す。
頼れるものは何もなく、踏み潰され、攻撃されてもただ登り続けなければならない。
そしてその巨像にたどり着くまでの道のりもまた、人間が誰一人済むことのない、あてのない大地をひたすらに走り回るしかない。
誰も何も教えてくれないし、初めから誰もいないその空間。
巨像にたどり着く前に、ただ崖から落ちて死ぬだけのその雰囲気が、歩いているだけで恐怖を覚えます。
手を差し伸べるものが何もなく、そして、いるものは自分が倒すべき巨像だけ、という世界が非常に恐ろしいものなのです。
音楽も、ワンダが一人で世界を歩いているときは、殆ど無音です。
自分の息遣いか、アグロの足音くらいしか聞こえてきません。
ただそれが、巨像と出会ったとたんに、入り込む音楽。
近づけば大きく、止めを刺すべく弱点ににじよればより壮大に。
音楽の使い方は、非常に印象に残りました。
使えばいいのではなく、普段使わないからこそ、ありえないはずの巨像がまるで「生き物」のように感じられて、巨像のデザインと共に、効果的でした。
このゲームで一番のメインは、やはりワンダが倒す相手「巨像」です。
見上げるほどに大きい巨像。その巨像に必死でぶら下がる小さな人間。
巨像のデザインはどれも秀逸で、毛むくじゃらかと思えば、身につける鎧も有機的で、獣の姿をしたものもあれば、人間に近いものもあり、と、動きの疾走感や、巨像の個性にあふれた動作は見ているだけでも楽しめるのではないでしょうか。
ただやってる最中は、どうすればいいんだ! と半泣きで大地を歩き回っているので、巨像の迫力を楽しむ暇があまりないのは、勿体無いところです。
巨像を楽しみたいのであれば、自分のやりやすさは置き去りにして、常に視点は巨像に向けておくくらいの勇気が必要になってきます。
とくに、振り返ってやつらがいたときの恐怖は異常。
もっと言うならば、「巨像怖い」「巨像怖い」と言っている間が、一番このゲームで幸せな時間なのかもしれません。
その巨像が生きている、閉ざされた世界も、ビジュアルそのものは非常にいいできでした。高所恐怖症じゃなくても普通にびびれます。
高台とか、橋とか、普通にむき出しで怖い! アグロに思わず乗ってしまうほどの怖さでした(アグロに乗っていれば猛スピードでも落っこちない)。
このゲームは、とにかく作業ゲームです。
やることは巨像を倒すことだけ。たどり着いてしまえば手段も同じです。
そのあたりにやる気を出すことができるか否かで、評価は二分されるでしょうが、世界観の構築という意味では、レベルの高い作品でした。
ただ私は、世界観だけが先走り、プレイヤーに「遊ばせてやってる」感の強い作品は、あまり好みではありませんでした。
何でもできるという世界と、だからといって、プレイヤーが何でもしたいと思えるかはまた別の話であり、この作品に関してだけいえば、実際プレイヤーのできることはそうないのです。
トカゲを狩るか、果物を採るか。
世界をアグロに乗って走り回るのも自由ですが、ワンダはあくまで少女の魂を呼び戻すために、身を削っている以上、そうそうプレイヤーが長居したいと思えることもないでしょう。
実際、アクションの難易度のおかげで、やっている最中は自分がなんのために巨像につかまっているのか忘れかけますが、それも、一体倒すごとに、「忘れるな」とばかりに、少女近くからゲームが始まるので、そのあたりは上手いと思いました。
クリアしたときの一番の感想は、「ああもうこのゲームやらなくていいんだな」でした。正直、二度三度やり直したいゲームではありません。
十四体目。
湖がなんたら、と言うので、また水面かとがっかりしたものですが、たどり着くまででした。良かった。
何個か円柱につかまったり、それをわざと追突させて倒したりと、パズル的な要素が強い巨像でしたが、この手の「つかまって登る」というワンダが出来うることを最大限に生かした面は、中々面白いです。
湖を泳ぐように、ともかくひたすら時間がかかるのではなく、何らかのアクションをしてその結果時間がかかる、ということは苦ではないですし。自分ではちゃんと、飛んだり跳ねたりつかまったり巨像から逃げたりしているわけですから。
この頃になるといい加減、つかまる加減もわかってきているでしょうし(井原ワンダはどうでしょうね)。
この頃になると、格好だけでなく、髪の毛の色も黒く変わってきています。
一体ワンダは何色に染まろうとしているのでしょうか。
十五体目。
いよいよ残り二体です。
番人気取りの大男とかドルミンに言われていましたが、確かにでかい。
初めは姿が見えず、崖下から巨大な手だけが、ずい、っと出てきたときには、「でけえ! 怖え!」とさすがに思いました。
でかい巨像の弱点が、はるか高みにある頭部というのは、よくできたもので、そこにたどり着くまでにどうやって上に登っていくか、がカギになります。そのあたりの、行く必要があるが上の工夫、はやはり面白いです。
十六体目。
最後の巨像です。
外から邪魔者が入り込もうとしているといわれますが、多分十二体目あたりで出てきた外部の人たちなのでしょう。
時間がないから急げといわれましても、巨像に行き着くまでの時間がかかるのはどうにもならないわけで。
行く途中、アグロが崖下に落ちてしまいます。
すると最後の巨像は馬攻略ではないわけで(こんなところばかり冷静な井原ワンダ)。
下が川だったことを考えると、助かってるんだろうなとは思うんですが。
たどり着いた先にはこれまた巨大な巨像が。
がつんがつん、遠距離攻撃をしかけられ、そのたびにごっそり体力を持っていかれる井原ワンダ。
はからずとも、体力の値をアップしていたから助かっているようなものですが、これ、何もせずにこの場所に来たらかなりつらいんじゃないでしょうか。
井原ワンダはへたれなので、一発食らうごとに物陰に隠れて体力が全回復するまで潜みます。やっていて損はない。
巨大なまるで塔のような巨像を倒し、物語は終焉を迎えます。
終わり方に関しては、賛否両論というより、あれ以上はありえない、といった終わり方でした。
元々この「ワンダと巨像」というゲームは、話の筋がメインではなく、むしろ、世界観の表現がメインに据えられていると思っているので、「そしてお姫様は幸せになりました」という明確なオチをつける必要はないのでしょう。
最果ての地において行われた行動。
それを知っているのはプレイヤーのみで、その行動は、ゲームとしても、物語としても作業でしかない。
そのあたりの、語らなさは、「ICO」の時代からあまり変わっていないようです。
慣れればいいのかもしれませんが、ゲームの操作性だけあげれば、あまりいいとは思えません。プレイレポートでもしょっちゅう出しましたが、カメラワークの最悪さは目を疑います。見たいところを映さず、見たくもない場所から映すのは、もはや製作者側のいじめとしか思えません。
巨像を倒すまでの創意工夫に時間がかかったりすることは構わないのですが、劣悪な操作性のために時間がかかるイライラは、必要とは思えません。
世界観が重要視されるゲームと書きましたが、逆を言えば世界観ばかりが重要視されすぎ、その世界の中でプレイヤーが何をしたらいいのかおいてけぼりの感もあります。
確かに「巨像を倒す」という明確な主題はあれど、それにプレイヤーが着いていけなければ、何処までもいける広大な台地も、無駄に広い迷路と同じです。
ただ最初は私もひたすら面倒くさいと思っていましたが、この何もない世界観こそが、ワンダと巨像の恐怖をよりあおっているのだと次第に思うようになりました。
ワンダと巨像の世界観は、やることも含めてただ恐怖です。
人間よりもはるかに大きな、得体の知れない巨像をひたすら一人で倒す。
頼れるものは何もなく、踏み潰され、攻撃されてもただ登り続けなければならない。
そしてその巨像にたどり着くまでの道のりもまた、人間が誰一人済むことのない、あてのない大地をひたすらに走り回るしかない。
誰も何も教えてくれないし、初めから誰もいないその空間。
巨像にたどり着く前に、ただ崖から落ちて死ぬだけのその雰囲気が、歩いているだけで恐怖を覚えます。
手を差し伸べるものが何もなく、そして、いるものは自分が倒すべき巨像だけ、という世界が非常に恐ろしいものなのです。
音楽も、ワンダが一人で世界を歩いているときは、殆ど無音です。
自分の息遣いか、アグロの足音くらいしか聞こえてきません。
ただそれが、巨像と出会ったとたんに、入り込む音楽。
近づけば大きく、止めを刺すべく弱点ににじよればより壮大に。
音楽の使い方は、非常に印象に残りました。
使えばいいのではなく、普段使わないからこそ、ありえないはずの巨像がまるで「生き物」のように感じられて、巨像のデザインと共に、効果的でした。
このゲームで一番のメインは、やはりワンダが倒す相手「巨像」です。
見上げるほどに大きい巨像。その巨像に必死でぶら下がる小さな人間。
巨像のデザインはどれも秀逸で、毛むくじゃらかと思えば、身につける鎧も有機的で、獣の姿をしたものもあれば、人間に近いものもあり、と、動きの疾走感や、巨像の個性にあふれた動作は見ているだけでも楽しめるのではないでしょうか。
ただやってる最中は、どうすればいいんだ! と半泣きで大地を歩き回っているので、巨像の迫力を楽しむ暇があまりないのは、勿体無いところです。
巨像を楽しみたいのであれば、自分のやりやすさは置き去りにして、常に視点は巨像に向けておくくらいの勇気が必要になってきます。
とくに、振り返ってやつらがいたときの恐怖は異常。
もっと言うならば、「巨像怖い」「巨像怖い」と言っている間が、一番このゲームで幸せな時間なのかもしれません。
その巨像が生きている、閉ざされた世界も、ビジュアルそのものは非常にいいできでした。高所恐怖症じゃなくても普通にびびれます。
高台とか、橋とか、普通にむき出しで怖い! アグロに思わず乗ってしまうほどの怖さでした(アグロに乗っていれば猛スピードでも落っこちない)。
このゲームは、とにかく作業ゲームです。
やることは巨像を倒すことだけ。たどり着いてしまえば手段も同じです。
そのあたりにやる気を出すことができるか否かで、評価は二分されるでしょうが、世界観の構築という意味では、レベルの高い作品でした。
ただ私は、世界観だけが先走り、プレイヤーに「遊ばせてやってる」感の強い作品は、あまり好みではありませんでした。
何でもできるという世界と、だからといって、プレイヤーが何でもしたいと思えるかはまた別の話であり、この作品に関してだけいえば、実際プレイヤーのできることはそうないのです。
トカゲを狩るか、果物を採るか。
世界をアグロに乗って走り回るのも自由ですが、ワンダはあくまで少女の魂を呼び戻すために、身を削っている以上、そうそうプレイヤーが長居したいと思えることもないでしょう。
実際、アクションの難易度のおかげで、やっている最中は自分がなんのために巨像につかまっているのか忘れかけますが、それも、一体倒すごとに、「忘れるな」とばかりに、少女近くからゲームが始まるので、そのあたりは上手いと思いました。
クリアしたときの一番の感想は、「ああもうこのゲームやらなくていいんだな」でした。正直、二度三度やり直したいゲームではありません。
ある夜勤中の会話。
看護師「井原さん、山田(仮名)さんの夜中の2時の格好って、どんなだったの?」
私「あ、下半身だけ全裸でした」
看護師「下半身だけなのに、全裸っておかしくない?」
私「そりゃそうですよね。上は着てるんですから。使い方間違えました。ハハハ」
看護師「アハハ」
おかしいのは言葉遣いではなく、その場の状況だ。
と、そう言う事に全く意味のない職場で働いてます。井原です。
『図書館戦争』
これでやっと一通りのアニメを見終わったかー、とその成し遂げた感(早い)が先にたって、それほど印象に残っていないんですが、戦争がどうのとか、あの世界観の設定がどうのというよりも、純粋なネオロマアニメだと思って見たほうが良さそうですね。
だって、どう考えても王子様ってさあ………。
時折入る、ギャグパートの顔の崩れ方とか、テンポとかが少しいらんかな、と思いました。別に女性向けだからって、ああいうギャグ顔を無理に入れる必要はないんじゃないのか。
『動物のお医者さん』のように、いつもと変わらず平坦な顔でギャグのほうが、あの話のテンポにはあっているような気がします。
でも少女マンガの演出って、あの手の笑いの時はデフォルメした顔いれたがるんだよね。
『精霊の守り人』 第二話
地味に男前なバルサ(女)。
物語りも始まったばかりですが、旅支度のための干し肉やら、餅やら、熊の毛皮やら、細かな日常生活が見える雑貨って、非常に楽しいですね。
衣食住に関する話題は、その世界観をはっきり表すことができるし、出てきたら出てきたで嬉しいので(なぜかはわからないが)物語としては進んでいなくても、高揚します。
今のところ、二の姫が相談した相手も、悪者というわけでもなく、追っ手を差し向けたその上司も、根っからの悪人というわけではないんでしょうが、「王の威厳を守るために、とりつかれた王子はいらない」という考えの時点で、狂ったことを政治は平気でやれちゃうなあ、としみじみ。
追っ手がかかった時点の、四人が編み笠をば、っと投げ捨てるシーンはカッコよかったです。
私信。
ガラ様(笑)へのお答えありがとうございました! 私も最新刊まではなんとか自分を騙し騙し読み続け、「もうなんで今更エルフとかの会合なんだよ! どうでもいいんだよそういうの! 魔戦将軍とかどうなったのか説明しろよ! 侍は!? シェンはどうなったんだよ(個人的好み)! 俺たちゃガンダムより強かったはずだろ!?」と心の涙は常に流れっぱなしでした。
いやもう、本当に単行本6巻あたりのガラは輝いてましたよね。
「へ………っ、ただ、なんとなく、さ………」
はもう、しびれた。
部下たちの「スケベだが立派な人だった」という評価は、全く正しく彼を表していると思います。
あ、個人的にはネイの知らない場所で、血まみれになりながら、ドラゴンゾンビと戦うガラも大好きです。
それまで、逃げようみたいな雰囲気だったのに、マカピーに「ブラックエルフの血を求めて来たのだろう」という説明を受けた途端、「なに!? ブラックエルフがどうしたって!?」と食いついてくる様が、あまりにも可愛くて可愛くて。
「ボーヤはそこで待ってな」
とか、マカピーはカルじゃなくて、ガラと一緒に旅していたときのほうが、輝いてました(笑)。
すみません、えらい長くなった。
看護師「井原さん、山田(仮名)さんの夜中の2時の格好って、どんなだったの?」
私「あ、下半身だけ全裸でした」
看護師「下半身だけなのに、全裸っておかしくない?」
私「そりゃそうですよね。上は着てるんですから。使い方間違えました。ハハハ」
看護師「アハハ」
おかしいのは言葉遣いではなく、その場の状況だ。
と、そう言う事に全く意味のない職場で働いてます。井原です。
『図書館戦争』
これでやっと一通りのアニメを見終わったかー、とその成し遂げた感(早い)が先にたって、それほど印象に残っていないんですが、戦争がどうのとか、あの世界観の設定がどうのというよりも、純粋なネオロマアニメだと思って見たほうが良さそうですね。
だって、どう考えても王子様ってさあ………。
時折入る、ギャグパートの顔の崩れ方とか、テンポとかが少しいらんかな、と思いました。別に女性向けだからって、ああいうギャグ顔を無理に入れる必要はないんじゃないのか。
『動物のお医者さん』のように、いつもと変わらず平坦な顔でギャグのほうが、あの話のテンポにはあっているような気がします。
でも少女マンガの演出って、あの手の笑いの時はデフォルメした顔いれたがるんだよね。
『精霊の守り人』 第二話
地味に男前なバルサ(女)。
物語りも始まったばかりですが、旅支度のための干し肉やら、餅やら、熊の毛皮やら、細かな日常生活が見える雑貨って、非常に楽しいですね。
衣食住に関する話題は、その世界観をはっきり表すことができるし、出てきたら出てきたで嬉しいので(なぜかはわからないが)物語としては進んでいなくても、高揚します。
今のところ、二の姫が相談した相手も、悪者というわけでもなく、追っ手を差し向けたその上司も、根っからの悪人というわけではないんでしょうが、「王の威厳を守るために、とりつかれた王子はいらない」という考えの時点で、狂ったことを政治は平気でやれちゃうなあ、としみじみ。
追っ手がかかった時点の、四人が編み笠をば、っと投げ捨てるシーンはカッコよかったです。
私信。
ガラ様(笑)へのお答えありがとうございました! 私も最新刊まではなんとか自分を騙し騙し読み続け、「もうなんで今更エルフとかの会合なんだよ! どうでもいいんだよそういうの! 魔戦将軍とかどうなったのか説明しろよ! 侍は!? シェンはどうなったんだよ(個人的好み)! 俺たちゃガンダムより強かったはずだろ!?」と心の涙は常に流れっぱなしでした。
いやもう、本当に単行本6巻あたりのガラは輝いてましたよね。
「へ………っ、ただ、なんとなく、さ………」
はもう、しびれた。
部下たちの「スケベだが立派な人だった」という評価は、全く正しく彼を表していると思います。
あ、個人的にはネイの知らない場所で、血まみれになりながら、ドラゴンゾンビと戦うガラも大好きです。
それまで、逃げようみたいな雰囲気だったのに、マカピーに「ブラックエルフの血を求めて来たのだろう」という説明を受けた途端、「なに!? ブラックエルフがどうしたって!?」と食いついてくる様が、あまりにも可愛くて可愛くて。
「ボーヤはそこで待ってな」
とか、マカピーはカルじゃなくて、ガラと一緒に旅していたときのほうが、輝いてました(笑)。
すみません、えらい長くなった。