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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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発売後時間経過しておりますので、ネタバレには配慮しておりません。




十四体目。
湖がなんたら、と言うので、また水面かとがっかりしたものですが、たどり着くまででした。良かった。
何個か円柱につかまったり、それをわざと追突させて倒したりと、パズル的な要素が強い巨像でしたが、この手の「つかまって登る」というワンダが出来うることを最大限に生かした面は、中々面白いです。
湖を泳ぐように、ともかくひたすら時間がかかるのではなく、何らかのアクションをしてその結果時間がかかる、ということは苦ではないですし。自分ではちゃんと、飛んだり跳ねたりつかまったり巨像から逃げたりしているわけですから。
この頃になるといい加減、つかまる加減もわかってきているでしょうし(井原ワンダはどうでしょうね)。
この頃になると、格好だけでなく、髪の毛の色も黒く変わってきています。
一体ワンダは何色に染まろうとしているのでしょうか。


十五体目。
いよいよ残り二体です。
番人気取りの大男とかドルミンに言われていましたが、確かにでかい。
初めは姿が見えず、崖下から巨大な手だけが、ずい、っと出てきたときには、「でけえ! 怖え!」とさすがに思いました。
でかい巨像の弱点が、はるか高みにある頭部というのは、よくできたもので、そこにたどり着くまでにどうやって上に登っていくか、がカギになります。そのあたりの、行く必要があるが上の工夫、はやはり面白いです。


十六体目。
最後の巨像です。
外から邪魔者が入り込もうとしているといわれますが、多分十二体目あたりで出てきた外部の人たちなのでしょう。
時間がないから急げといわれましても、巨像に行き着くまでの時間がかかるのはどうにもならないわけで。
行く途中、アグロが崖下に落ちてしまいます。
すると最後の巨像は馬攻略ではないわけで(こんなところばかり冷静な井原ワンダ)。
下が川だったことを考えると、助かってるんだろうなとは思うんですが。
たどり着いた先にはこれまた巨大な巨像が。
がつんがつん、遠距離攻撃をしかけられ、そのたびにごっそり体力を持っていかれる井原ワンダ。
はからずとも、体力の値をアップしていたから助かっているようなものですが、これ、何もせずにこの場所に来たらかなりつらいんじゃないでしょうか。
井原ワンダはへたれなので、一発食らうごとに物陰に隠れて体力が全回復するまで潜みます。やっていて損はない。
巨大なまるで塔のような巨像を倒し、物語は終焉を迎えます。

終わり方に関しては、賛否両論というより、あれ以上はありえない、といった終わり方でした。
元々この「ワンダと巨像」というゲームは、話の筋がメインではなく、むしろ、世界観の表現がメインに据えられていると思っているので、「そしてお姫様は幸せになりました」という明確なオチをつける必要はないのでしょう。

最果ての地において行われた行動。
それを知っているのはプレイヤーのみで、その行動は、ゲームとしても、物語としても作業でしかない。
そのあたりの、語らなさは、「ICO」の時代からあまり変わっていないようです。

慣れればいいのかもしれませんが、ゲームの操作性だけあげれば、あまりいいとは思えません。プレイレポートでもしょっちゅう出しましたが、カメラワークの最悪さは目を疑います。見たいところを映さず、見たくもない場所から映すのは、もはや製作者側のいじめとしか思えません。

巨像を倒すまでの創意工夫に時間がかかったりすることは構わないのですが、劣悪な操作性のために時間がかかるイライラは、必要とは思えません。

世界観が重要視されるゲームと書きましたが、逆を言えば世界観ばかりが重要視されすぎ、その世界の中でプレイヤーが何をしたらいいのかおいてけぼりの感もあります。
確かに「巨像を倒す」という明確な主題はあれど、それにプレイヤーが着いていけなければ、何処までもいける広大な台地も、無駄に広い迷路と同じです。

ただ最初は私もひたすら面倒くさいと思っていましたが、この何もない世界観こそが、ワンダと巨像の恐怖をよりあおっているのだと次第に思うようになりました。

ワンダと巨像の世界観は、やることも含めてただ恐怖です。
人間よりもはるかに大きな、得体の知れない巨像をひたすら一人で倒す。
頼れるものは何もなく、踏み潰され、攻撃されてもただ登り続けなければならない。
そしてその巨像にたどり着くまでの道のりもまた、人間が誰一人済むことのない、あてのない大地をひたすらに走り回るしかない。
誰も何も教えてくれないし、初めから誰もいないその空間。
巨像にたどり着く前に、ただ崖から落ちて死ぬだけのその雰囲気が、歩いているだけで恐怖を覚えます。

手を差し伸べるものが何もなく、そして、いるものは自分が倒すべき巨像だけ、という世界が非常に恐ろしいものなのです。

音楽も、ワンダが一人で世界を歩いているときは、殆ど無音です。
自分の息遣いか、アグロの足音くらいしか聞こえてきません。
ただそれが、巨像と出会ったとたんに、入り込む音楽。
近づけば大きく、止めを刺すべく弱点ににじよればより壮大に。
音楽の使い方は、非常に印象に残りました。
使えばいいのではなく、普段使わないからこそ、ありえないはずの巨像がまるで「生き物」のように感じられて、巨像のデザインと共に、効果的でした。

このゲームで一番のメインは、やはりワンダが倒す相手「巨像」です。
見上げるほどに大きい巨像。その巨像に必死でぶら下がる小さな人間。
巨像のデザインはどれも秀逸で、毛むくじゃらかと思えば、身につける鎧も有機的で、獣の姿をしたものもあれば、人間に近いものもあり、と、動きの疾走感や、巨像の個性にあふれた動作は見ているだけでも楽しめるのではないでしょうか。
ただやってる最中は、どうすればいいんだ! と半泣きで大地を歩き回っているので、巨像の迫力を楽しむ暇があまりないのは、勿体無いところです。
巨像を楽しみたいのであれば、自分のやりやすさは置き去りにして、常に視点は巨像に向けておくくらいの勇気が必要になってきます。
とくに、振り返ってやつらがいたときの恐怖は異常。
もっと言うならば、「巨像怖い」「巨像怖い」と言っている間が、一番このゲームで幸せな時間なのかもしれません。

その巨像が生きている、閉ざされた世界も、ビジュアルそのものは非常にいいできでした。高所恐怖症じゃなくても普通にびびれます。
高台とか、橋とか、普通にむき出しで怖い! アグロに思わず乗ってしまうほどの怖さでした(アグロに乗っていれば猛スピードでも落っこちない)。


このゲームは、とにかく作業ゲームです。
やることは巨像を倒すことだけ。たどり着いてしまえば手段も同じです。
そのあたりにやる気を出すことができるか否かで、評価は二分されるでしょうが、世界観の構築という意味では、レベルの高い作品でした。
ただ私は、世界観だけが先走り、プレイヤーに「遊ばせてやってる」感の強い作品は、あまり好みではありませんでした。
何でもできるという世界と、だからといって、プレイヤーが何でもしたいと思えるかはまた別の話であり、この作品に関してだけいえば、実際プレイヤーのできることはそうないのです。
トカゲを狩るか、果物を採るか。
世界をアグロに乗って走り回るのも自由ですが、ワンダはあくまで少女の魂を呼び戻すために、身を削っている以上、そうそうプレイヤーが長居したいと思えることもないでしょう。
実際、アクションの難易度のおかげで、やっている最中は自分がなんのために巨像につかまっているのか忘れかけますが、それも、一体倒すごとに、「忘れるな」とばかりに、少女近くからゲームが始まるので、そのあたりは上手いと思いました。

クリアしたときの一番の感想は、「ああもうこのゲームやらなくていいんだな」でした。正直、二度三度やり直したいゲームではありません。
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