携帯ゲーム、ニワンゴの「かまいたちの夜」をプレイしました。メールでやりとりをしていく、という感じで、携帯ゲームというよりはメールゲームですか。
いやあ、これは大したネオロマゲーだ。
女性主人公でしかプレイしていないんですが、見終わった後、さ、夢小説でも探すかという感じのオチでした。うひゃあ、甘酸っぺえ。
せっかくなので、色々な選択肢を試してみたり、男主人公でも遊んでみたいと思います。
ゲーム画面を見て疲れる、ということもなく文章を読む元気があれば誰でもできる! 行けばわかるさ! ダー!(何故猪木)
いやあ、これは大したネオロマゲーだ。
女性主人公でしかプレイしていないんですが、見終わった後、さ、夢小説でも探すかという感じのオチでした。うひゃあ、甘酸っぺえ。
せっかくなので、色々な選択肢を試してみたり、男主人公でも遊んでみたいと思います。
ゲーム画面を見て疲れる、ということもなく文章を読む元気があれば誰でもできる! 行けばわかるさ! ダー!(何故猪木)
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私はヤマザキパンをこよなく愛しており、いつも毎年クリスマスは、ローソンでヤマザキのクリスマスケーキを買って一人で食すのを掟としているのですが(何故そんな寂しい掟)、最近ロールちゃん、という細長い一口サイズのロールケーキが大好きです。
今まで、セブンイレブンとスーパーでしか見かけたことがなく、バニラ味とココア味では、圧倒的大差をつけてココア派です。美味い。
最寄のコンビニ、ローソンでは一度も見かけたことがなく(私はローソンも愛しています)それだけが唯一の不満だったのですが、先日買い物に出かけたところ、ロールちゃんの姿を発見。
おお! と思ったものの、よくよく見てみればそれはストロベリークリーム味でした。
私は、どんなに歩み寄っても果物が愛せません。
さよなら、私の恋。
今後、あの人が果物よりに進化していくのであれば、この時点で忘れた方がお互いのためだと思うので、傷が深くなる前に互いの関係を清算したいと思います。
思い出は美しいままでいい(いつからそんな話に)。
先日購入した、「しゃばけ」と「ぬしさまへ」と「ねこのばば」を読みました。いまいち。
この時代の「時代小説」を読みたいのであれば、宝引の辰捕者帳シリーズ(泡坂妻夫著)や、山本周五郎氏の作品の方が、圧倒的に時代背景に重みがあって面白いし、妖怪変化の面白さを得たいのであれば、一世を風靡した、陰陽師シリーズ(夢枕獏著)のほうが、人ならざるもののの、どうしようもないどろっとした感じが出ていて面白いです。
わりとどっちつかずな感じが強い作品で、キャラクターの個性の立ち方もいまいちであり、三巻一気読みしましたが、特別登場人物の誰にも、好感も嫌悪感も抱かない、という淡白な感じです。
妖怪変化の書き方に、正直あまり力を入れる気がないのか、わざわざ時代モノと、妖怪、という黄金の打ち出の小槌を起用したわりに、あまり生かされているとは思えません。
人型を取っていても、人以外の行動を起こしたときの、ワクワク感(読み手にとっての)や、驚愕感がない。
巻末に、「百鬼夜行抄」(今市子著) との関連性が書かれていましたが、媒体の違いを差し引いても、比べ物にならないくらい、百鬼夜行抄の方が作品として面白いです。
百鬼夜行抄のほうが、物語の進行として、異形のものたちが出てくる必然性(非常識であろうがなかろうが)がありますし、登場人物のキャラ立ちも圧倒的に上です。
エピソードとしてはわりとよくあるものが多いんですが、それに対してページ数を多く取ってあるのも、中だるみの原因かもしれません。
もっと短いページ数で、話をすっきりさせても良かったかも。
こうなると、人格がどうあれ短編で面白い作品を量産する、山本周五郎氏や、池波正太郎氏ってのは、パイオニアだなあと思います。
しかし、何故こんなに乗り切れないかなあ、と思っていたのですが、筆者紹介で「ファンタジーノベル賞」を取った作品と書かれていて納得。
そうだよなあ、これファンタジー小説だよな。
私、ファンタジー属性欠片もない(ちょっと貴方その手の作品書いてませんでしたか)。
今まで、セブンイレブンとスーパーでしか見かけたことがなく、バニラ味とココア味では、圧倒的大差をつけてココア派です。美味い。
最寄のコンビニ、ローソンでは一度も見かけたことがなく(私はローソンも愛しています)それだけが唯一の不満だったのですが、先日買い物に出かけたところ、ロールちゃんの姿を発見。
おお! と思ったものの、よくよく見てみればそれはストロベリークリーム味でした。
私は、どんなに歩み寄っても果物が愛せません。
さよなら、私の恋。
今後、あの人が果物よりに進化していくのであれば、この時点で忘れた方がお互いのためだと思うので、傷が深くなる前に互いの関係を清算したいと思います。
思い出は美しいままでいい(いつからそんな話に)。
先日購入した、「しゃばけ」と「ぬしさまへ」と「ねこのばば」を読みました。いまいち。
この時代の「時代小説」を読みたいのであれば、宝引の辰捕者帳シリーズ(泡坂妻夫著)や、山本周五郎氏の作品の方が、圧倒的に時代背景に重みがあって面白いし、妖怪変化の面白さを得たいのであれば、一世を風靡した、陰陽師シリーズ(夢枕獏著)のほうが、人ならざるもののの、どうしようもないどろっとした感じが出ていて面白いです。
わりとどっちつかずな感じが強い作品で、キャラクターの個性の立ち方もいまいちであり、三巻一気読みしましたが、特別登場人物の誰にも、好感も嫌悪感も抱かない、という淡白な感じです。
妖怪変化の書き方に、正直あまり力を入れる気がないのか、わざわざ時代モノと、妖怪、という黄金の打ち出の小槌を起用したわりに、あまり生かされているとは思えません。
人型を取っていても、人以外の行動を起こしたときの、ワクワク感(読み手にとっての)や、驚愕感がない。
巻末に、「百鬼夜行抄」(今市子著) との関連性が書かれていましたが、媒体の違いを差し引いても、比べ物にならないくらい、百鬼夜行抄の方が作品として面白いです。
百鬼夜行抄のほうが、物語の進行として、異形のものたちが出てくる必然性(非常識であろうがなかろうが)がありますし、登場人物のキャラ立ちも圧倒的に上です。
エピソードとしてはわりとよくあるものが多いんですが、それに対してページ数を多く取ってあるのも、中だるみの原因かもしれません。
もっと短いページ数で、話をすっきりさせても良かったかも。
こうなると、人格がどうあれ短編で面白い作品を量産する、山本周五郎氏や、池波正太郎氏ってのは、パイオニアだなあと思います。
しかし、何故こんなに乗り切れないかなあ、と思っていたのですが、筆者紹介で「ファンタジーノベル賞」を取った作品と書かれていて納得。
そうだよなあ、これファンタジー小説だよな。
私、ファンタジー属性欠片もない(ちょっと貴方その手の作品書いてませんでしたか)。
以下、商品リンク先は密林。
SONY MDR-IF240RK ヘッドホンコードレス
を買いました。今までマイフェイバリットスーパーイトーヨーカドーで購入した、千円ちょっとの安売りヘッドフォンでテレビを見ていたのですが、あまりにコードが絡んで私の行く手を遮るので、遂にコードレスデビュー。
さっそくテレビに取り付け、ヘッドフォンのボリュームを上げて聞いてみたところ、雑音が物凄い。
わ、私の四千円強が!(そのしみったれた価格根性どうにかなりませんか)
と真っ青になりながら、調整してみたところ、このヘッドフォン、耳の部分についているボリュームをなるべく最小にして、テレビ(音響装置)の音を上げる、という設定にした方が良さそうです。
普段聞いていたころの、二倍くらいのボリュームにテレビを上げて、ヘッドフォンを最小のボリュームにしたところ、雑音なく無事に聞けてます。
良かった、私の四千円強。
その後、映画を観に駅に。
時間を潰すために、本屋をふらふらし、思わず三冊同時購入してしまったのが、これ。
しゃばげ
同シリーズ「ねこのばば」と「ぬしさまへ」も購入。
元々時代劇、時代小説は大好きなのですが、読みやすそうであるというのと、ドラマ化が決まり、私のように好きだけど詳しくない人間にとっては敷居が低そうである、というのが一つ。
私は文章に対して、あまり垣根の高い作品は読んでいてわけがわからんので、なるべく読みやすい、というのは作品を選ぶ上で重要な要素になります。
そして、購入を決めたのが、挿絵の可愛さ。
各話の先頭に、小さなイラストがあるのですが、それがとても可愛い。
絵と話は直接的に関係ないかもしれませんが、この小説にこの絵を選んだというセンスを評価したいと思います。
読むのが楽しみです。
そんなこんなで映画館到着し、知り合いと合流。
私「そうだ、『グッド・シェパード』観た?」
マッド・デイモンファンの知り合い「観た観た」
「どうだった?」
「最初から最後まで暗かったよ」
「うわあ、切ない映画」
「本人も、奥さんも、子どもも、誰も救われないし」
「やだよ、そんな胃もたれしそうな映画観るの」
映画館は、予告編は観られるし、広告用の巨大なボードは見られるし、待っている間も楽しいのですが、とりあえず、『椿三十郎』はなしだと思いました。
あの役者さんには何の恨みもないが、あれは時代劇じゃない。
さて、観たのは『ヘアスプレー』です。
これまで、『パーフェクトストレンジャー』『ストレンヂア』と、予想外のはずればかりひいてきたので、リベンジとばかりに参戦したのですが、非常に面白かったです。
以下、 ネタバレありますので、ご了承の上お進みください。
SONY MDR-IF240RK ヘッドホンコードレス
を買いました。今までマイフェイバリットスーパーイトーヨーカドーで購入した、千円ちょっとの安売りヘッドフォンでテレビを見ていたのですが、あまりにコードが絡んで私の行く手を遮るので、遂にコードレスデビュー。
さっそくテレビに取り付け、ヘッドフォンのボリュームを上げて聞いてみたところ、雑音が物凄い。
わ、私の四千円強が!(そのしみったれた価格根性どうにかなりませんか)
と真っ青になりながら、調整してみたところ、このヘッドフォン、耳の部分についているボリュームをなるべく最小にして、テレビ(音響装置)の音を上げる、という設定にした方が良さそうです。
普段聞いていたころの、二倍くらいのボリュームにテレビを上げて、ヘッドフォンを最小のボリュームにしたところ、雑音なく無事に聞けてます。
良かった、私の四千円強。
その後、映画を観に駅に。
時間を潰すために、本屋をふらふらし、思わず三冊同時購入してしまったのが、これ。
しゃばげ
同シリーズ「ねこのばば」と「ぬしさまへ」も購入。
元々時代劇、時代小説は大好きなのですが、読みやすそうであるというのと、ドラマ化が決まり、私のように好きだけど詳しくない人間にとっては敷居が低そうである、というのが一つ。
私は文章に対して、あまり垣根の高い作品は読んでいてわけがわからんので、なるべく読みやすい、というのは作品を選ぶ上で重要な要素になります。
そして、購入を決めたのが、挿絵の可愛さ。
各話の先頭に、小さなイラストがあるのですが、それがとても可愛い。
絵と話は直接的に関係ないかもしれませんが、この小説にこの絵を選んだというセンスを評価したいと思います。
読むのが楽しみです。
そんなこんなで映画館到着し、知り合いと合流。
私「そうだ、『グッド・シェパード』観た?」
マッド・デイモンファンの知り合い「観た観た」
「どうだった?」
「最初から最後まで暗かったよ」
「うわあ、切ない映画」
「本人も、奥さんも、子どもも、誰も救われないし」
「やだよ、そんな胃もたれしそうな映画観るの」
映画館は、予告編は観られるし、広告用の巨大なボードは見られるし、待っている間も楽しいのですが、とりあえず、『椿三十郎』はなしだと思いました。
あの役者さんには何の恨みもないが、あれは時代劇じゃない。
さて、観たのは『ヘアスプレー』です。
これまで、『パーフェクトストレンジャー』『ストレンヂア』と、予想外のはずればかりひいてきたので、リベンジとばかりに参戦したのですが、非常に面白かったです。
以下、 ネタバレありますので、ご了承の上お進みください。
『風の果て』
新しく始まった木曜時代劇です。
映画『蝉しぐれ』で号泣した身とあっては、原作藤沢周平は外せません。
婿に出るしかない武家の次男坊が、立身出世していく話。
第一話は、主人公含む、家で厄介者の嫡男以外の五人組が、現実と向き合って生きていく様を描いているのですが、誰が誰やらさっぱりわからん。
せめて着物の色や、柄だけでも、貧乏なりの個性があれば、判別もつくのでしょうが。
よりにもよって、主人公とそのライバルの顔立ちが似ているのが致命的。時代劇に必要なのは現代風の美形じゃないんだぜ。
個人的に、例えば美形、という設定の人物がいた場合、それが現代の目線から見て美形である必要があるのは勿論ですが、集団で演出される場合、 それこそ、それ以外は全員美形である必要はない。
むしろ、美形ではないというくくりの人間、個性的な顔立ちであって欲しい。
ただでさえ、全員同じ髪型、同じ服装で出てくるのだから、似たようなカッコイイ顔、では意味がない。
せめて、顔だけでもはっきりとわかる区別として、人選をして欲しいと思いました。
それに、現代では、どう転んでも美形しか出られない(特にヒロインとの恋愛云々が絡んでくると)のが、ドラマの現状なのですから、 時代劇くらいは、個性的な顔立ちを楽しみたいところ。
個性的な顔立ち=不器量ではないのは、逆に、時代劇だからこそ発揮できる魅力でもあるので。
何処の誰が、蟹江敬三さんや石橋蓮司さんを美形だ、ブサイクだと思うだろうか(年齢が局地的すぎます)。
今のところ、下級武士が貧乏である、くらいの流れはわかったが、話としてはまだまだこれから。
大体、二桁の禄高をもらっている時点で、貧乏だと位置づけてもいいものか。伊武谷万二郎なんて、五石二人扶持だぜ。
もう少し年齢層が上がってくれば、楽しめるのかな、とも思います。
今のところ一番楽しみなのは、穏やかで飲み屋で内職をしていた庄六。私はこういう地味なキャラクターが幸せをつかむ話に心底弱い。 派手である必要はないさ。己が幸せならそれでいいのさ。でかいことを言うだけが男じゃないさ(妄想中)。
そして、第二話。
「男は五十を超えてからだ。そうすると、ほんのちょっとだけ、覚悟が出来てくる」
しょ、庄六ー! その「ほんのちょっと」感がお前たまらなく萌えるー。
やっぱり、庄六はいい歳の取り方してましたね。主人公が、何気に過去を憂うような態度なのに対し、決して金銭的には恵まれていなくとも、望まれて結婚し、そして地に足をつけて暮らしている庄六が、凄くカッコよかったです。
今回、ついに主人公が、義父に惚れて婿入りするんですが(間違っていない)その義父もカッコイイ。農民のために働くのだ、と言ってはばかることなく、
「スネ毛がなくなるほど、歩き回った」
という台詞がとてつもなく素敵でした。
この物語、主人公の立身出世物語なのかと思いきや、案外主人公ががつがつしていないので、今後どれだけ悪どい話になるのか、それとも、ならずにただ実力でのし上がっていくのか(そんなこたあないだろうが)、気になるところではあります。
しかし、エリート路線まっしぐらの、友人が、死ぬほど胡散臭いなあ。男同士でも、ああいう腹の探りあい関係みたいなものあるんですね。女性の方がより顕著だと思いますが。
新しく始まった木曜時代劇です。
映画『蝉しぐれ』で号泣した身とあっては、原作藤沢周平は外せません。
婿に出るしかない武家の次男坊が、立身出世していく話。
第一話は、主人公含む、家で厄介者の嫡男以外の五人組が、現実と向き合って生きていく様を描いているのですが、誰が誰やらさっぱりわからん。
せめて着物の色や、柄だけでも、貧乏なりの個性があれば、判別もつくのでしょうが。
よりにもよって、主人公とそのライバルの顔立ちが似ているのが致命的。時代劇に必要なのは現代風の美形じゃないんだぜ。
個人的に、例えば美形、という設定の人物がいた場合、それが現代の目線から見て美形である必要があるのは勿論ですが、集団で演出される場合、 それこそ、それ以外は全員美形である必要はない。
むしろ、美形ではないというくくりの人間、個性的な顔立ちであって欲しい。
ただでさえ、全員同じ髪型、同じ服装で出てくるのだから、似たようなカッコイイ顔、では意味がない。
せめて、顔だけでもはっきりとわかる区別として、人選をして欲しいと思いました。
それに、現代では、どう転んでも美形しか出られない(特にヒロインとの恋愛云々が絡んでくると)のが、ドラマの現状なのですから、 時代劇くらいは、個性的な顔立ちを楽しみたいところ。
個性的な顔立ち=不器量ではないのは、逆に、時代劇だからこそ発揮できる魅力でもあるので。
何処の誰が、蟹江敬三さんや石橋蓮司さんを美形だ、ブサイクだと思うだろうか(年齢が局地的すぎます)。
今のところ、下級武士が貧乏である、くらいの流れはわかったが、話としてはまだまだこれから。
大体、二桁の禄高をもらっている時点で、貧乏だと位置づけてもいいものか。伊武谷万二郎なんて、五石二人扶持だぜ。
もう少し年齢層が上がってくれば、楽しめるのかな、とも思います。
今のところ一番楽しみなのは、穏やかで飲み屋で内職をしていた庄六。私はこういう地味なキャラクターが幸せをつかむ話に心底弱い。 派手である必要はないさ。己が幸せならそれでいいのさ。でかいことを言うだけが男じゃないさ(妄想中)。
そして、第二話。
「男は五十を超えてからだ。そうすると、ほんのちょっとだけ、覚悟が出来てくる」
しょ、庄六ー! その「ほんのちょっと」感がお前たまらなく萌えるー。
やっぱり、庄六はいい歳の取り方してましたね。主人公が、何気に過去を憂うような態度なのに対し、決して金銭的には恵まれていなくとも、望まれて結婚し、そして地に足をつけて暮らしている庄六が、凄くカッコよかったです。
今回、ついに主人公が、義父に惚れて婿入りするんですが(間違っていない)その義父もカッコイイ。農民のために働くのだ、と言ってはばかることなく、
「スネ毛がなくなるほど、歩き回った」
という台詞がとてつもなく素敵でした。
この物語、主人公の立身出世物語なのかと思いきや、案外主人公ががつがつしていないので、今後どれだけ悪どい話になるのか、それとも、ならずにただ実力でのし上がっていくのか(そんなこたあないだろうが)、気になるところではあります。
しかし、エリート路線まっしぐらの、友人が、死ぬほど胡散臭いなあ。男同士でも、ああいう腹の探りあい関係みたいなものあるんですね。女性の方がより顕著だと思いますが。