別窓・『井原一族家系図』
1018年?月 ふじえ
私と、焼津ノ若銛との間に、息子拓馬が生まれる。
職業は薙刀士。
「つぶしがききそうな職業でラッキー」と呟いた息子の将来が心配。
1018年5月 拓馬
母と討伐に出かける。
口癖が「疲れた」なのは何とかならないのか。
一回しか戦っていないのに、一発しか食らっていないのに、やたらに「疲れたわ~」を連発する母。
俺よりも体力あるくせに。
1018年6月 拓馬
母と熊祖権現との間に、娘・小夜子(さよこ)が生まれる。
俺の妹になるわけだ。
何故、その神を選んだのか聞いたら、「胸板」という答えが返ってきた。
聞くんじゃなかった。
1018年7月 拓馬
母と鹿島中竜との間に、娘・鹿乃(かの)が生まれる。
俺が小夜子に訓練をつけている間に、連チャンで妹が増えていた。
小夜子と鹿乃の名前の由来を聞いたところ、「小夜子は白熊で蝦夷で白夜から。鹿乃は生まれたとき、イツ花が足が二倍くらい長いと言ったから」だと得意げに言われた。
母のセンスがいまひとつわからない。
1018年11月 拓馬
俺と水母ノくららとの間に、娘・蒼子(そうこ)が生まれる。
職業は薙刀士。俺の技を伝えられればいいのだが、その前に俺が技を覚えるのが先だ。
母も、鹿乃に手ずから訓練を施している。家にいることが多いせいか、あまり疲れた疲れたと言わなくなった。
母・俺・小夜子・鹿乃で討伐に出かける。
小夜子はまだいいのだが、鹿乃の打たれ弱さが気になる。
どこか遠くで、「…以前やった時もこの顔の子弱かった」と不吉な声が聞こえたような気がした。
1018年12月 小夜子
拓馬兄さんとお土母ノ木実との間に、息子・松蔵(しょうぞう)が生まれる。
お母さんは相変わらず元気だ。
「槍の指南書が獲れない」と毎回狩人みたいな顔で討伐に出かけている。
1018年2月 小夜子
討伐メンバーが、私、鹿乃、蒼子、松蔵になる。
お母さんは随分長生きだけど、老いてますます盛んなようで、家さえ広ければ弟か妹が増えていたと思う。
拓馬兄さんはすっかり口数が減った。
1018年3月 小夜子
お母さんが死んだ。最初から最後までにぎやかな人だったけれど、最後は疲れた疲れた言わず、「いつも前を向いて歩いていくのです。どんな悲しみにも負けちゃだめ。さあ子供たちよ私の屍を超えてゆきなさい」とまるで母親みたいなことを言って。
拓馬兄さんが当主を継ぐことになったものの、ますます口数が少なくなった。
「俺の方が先に行くと思ってたんだけど」と笑えない冗談を言うので、全員で袋叩きにしてやった。
天上通信(ふじえ)
死んで暇なので、実況中継をすることにした。
全く似ていない姉妹。
顔としては小夜子は明らかにおっとり風味なのだが、私的イメージはこんな感じ。末っ子はいつも苦労する。
似過ぎている姉弟。
私の絵だとアレですが、顔も色味も全く一緒。
いつだって弟は可愛いすぎて可哀想な目にあう。
1018年?月 ふじえ
私と、焼津ノ若銛との間に、息子拓馬が生まれる。
職業は薙刀士。
「つぶしがききそうな職業でラッキー」と呟いた息子の将来が心配。
1018年5月 拓馬
母と討伐に出かける。
口癖が「疲れた」なのは何とかならないのか。
一回しか戦っていないのに、一発しか食らっていないのに、やたらに「疲れたわ~」を連発する母。
俺よりも体力あるくせに。
1018年6月 拓馬
母と熊祖権現との間に、娘・小夜子(さよこ)が生まれる。
俺の妹になるわけだ。
何故、その神を選んだのか聞いたら、「胸板」という答えが返ってきた。
聞くんじゃなかった。
1018年7月 拓馬
母と鹿島中竜との間に、娘・鹿乃(かの)が生まれる。
俺が小夜子に訓練をつけている間に、連チャンで妹が増えていた。
小夜子と鹿乃の名前の由来を聞いたところ、「小夜子は白熊で蝦夷で白夜から。鹿乃は生まれたとき、イツ花が足が二倍くらい長いと言ったから」だと得意げに言われた。
母のセンスがいまひとつわからない。
1018年11月 拓馬
俺と水母ノくららとの間に、娘・蒼子(そうこ)が生まれる。
職業は薙刀士。俺の技を伝えられればいいのだが、その前に俺が技を覚えるのが先だ。
母も、鹿乃に手ずから訓練を施している。家にいることが多いせいか、あまり疲れた疲れたと言わなくなった。
母・俺・小夜子・鹿乃で討伐に出かける。
小夜子はまだいいのだが、鹿乃の打たれ弱さが気になる。
どこか遠くで、「…以前やった時もこの顔の子弱かった」と不吉な声が聞こえたような気がした。
1018年12月 小夜子
拓馬兄さんとお土母ノ木実との間に、息子・松蔵(しょうぞう)が生まれる。
お母さんは相変わらず元気だ。
「槍の指南書が獲れない」と毎回狩人みたいな顔で討伐に出かけている。
1018年2月 小夜子
討伐メンバーが、私、鹿乃、蒼子、松蔵になる。
お母さんは随分長生きだけど、老いてますます盛んなようで、家さえ広ければ弟か妹が増えていたと思う。
拓馬兄さんはすっかり口数が減った。
1018年3月 小夜子
お母さんが死んだ。最初から最後までにぎやかな人だったけれど、最後は疲れた疲れた言わず、「いつも前を向いて歩いていくのです。どんな悲しみにも負けちゃだめ。さあ子供たちよ私の屍を超えてゆきなさい」とまるで母親みたいなことを言って。
拓馬兄さんが当主を継ぐことになったものの、ますます口数が少なくなった。
「俺の方が先に行くと思ってたんだけど」と笑えない冗談を言うので、全員で袋叩きにしてやった。
天上通信(ふじえ)
死んで暇なので、実況中継をすることにした。
![](http://sid.uh-oh.jp/hoge/img/2010_01_31_ore02.jpg)
全く似ていない姉妹。
顔としては小夜子は明らかにおっとり風味なのだが、私的イメージはこんな感じ。末っ子はいつも苦労する。
![](http://sid.uh-oh.jp/hoge/img/2010_01_31_ore03.jpg)
似過ぎている姉弟。
私の絵だとアレですが、顔も色味も全く一緒。
いつだって弟は可愛いすぎて可哀想な目にあう。
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先日、ゲームデザイナー桝田省治が『俺の屍を越えてゆけ2』の企画内容をTwitterで公開というニュースを見て狂喜乱舞した井原です。
以前も、続編のアイディアみたいなものを話題に取り上げたことがあったのですが、具体的に文章として表に出されると凄くワクワクしますね。
その勢いのせいか、夜勤明けだったからなのかわかりませんが、「そういえば、PSPネットにつなげられるんじゃないか?」と思い当たりました。
今使っているパソコンが無線LANであるのだから、いけるんじゃないかと試してみること十回ほど。
最初ははねられていたのですが、結局同じことの繰り返しでいつの間にかつながったというわけのわからなさでした。
まあ、結果として上手くつながりましたので、早速アーカイブスで、『俺の屍を越えてゆけ』を購入してしまいました。
そして今現在、猿のように遊んでおります。
あれ? 私初めて遊んだときも同じようなことを言っていたような…?
以前のサイトでも、がっつりコンテンツがあり、井原一族(笑)全員分のSSをちゃんと書いたことがあるんですが(個人的に気に入っていたので、今でも普通に読み返すことがある)今回は今回で、ちゃんと別の一族として遊べます。
以前の一族にささげた愛情も、今回の一族にささげる愛情も、別だけど同じものだというか。
今回は、100時間遊んでやろうと、どっぷりモードでプレイ。
ただこれも、一族にかける愛情が深ければ深いほど、一族を長く苦しめるなんてできないと本気で思ってしまうのですよ! 早く呪いを解かねばというか、お宝にかまっていられないというか。
ゆえに、そういう意味ではどっぷりやって、一族を長く苦しめるのも辛いんですが…。ああジレンマ。
このゲーム、細かなシステムのセンスが良くて(システムが「いい」というわけではない。苦笑)たとえば、セーブが絶対に一つしかできないとか、世界観に合いすぎて身もだえします。
普通は、セーブなんて多くできればできるほどいいに決まってるんですが、これは取り返しがつかない一族の命の連鎖を語る物語なわけですよ。
だから、一族の運命は安っぽく切り分けられたりできないわけですよ。
それゆえの、「セーブデータは一つだけ」という設定が、世界観倍増で個人的にはそのセンスだけでおなかいっぱいです。
今のところ、
当主「井原ふじえ」(前回は「井原麻生」だったので)
嫡男「井原拓馬」(父・火属性の「焼津ノ若銛」)
の二人で頑張ってます。
いやもう、この息子の名前決めるのだけで三十分悩むのはお約束だよね!
以前は、水属性とか土属性ばかりを相手に選んで(何はなくとも体力バカ一族)いたので、今回の目標としては、
・全員に子供を
・全部の神様と子供
・全部の神様を解放
を念頭に置こうかと。
さて、肝心の井原一族の外見(笑)ですが、私も息子も超美形ですよ!(大笑)
どうです、うちの拓馬超イケメンでしょう。(バカ)
以前の史郎(前の一族の長男)は水色ベースで、どこかぽやっとした印象だったので、今回は火属性のキリっとしたのくるかなあ、と思ったのですが、確かに外見はキリっと風味なんですが、何処となく、「いや別にどうでも」みたいな印象を受けます。
受けるんです。イラスト一枚だけで。
当主もえらい可愛いのが来ましたが、色味としては微妙なところが、自分らしいと思いました。
というか、俺屍は子供たちも、神様たちも、外見が性的すぎると思うんだ(どういう意味だよ)。
現在遊んでいた「ときめもGS2」は氷上君投げて売ろうと思います。
その辺もまた後ほど。
『グローランサー』は気が向いたらってことで。
以前も、続編のアイディアみたいなものを話題に取り上げたことがあったのですが、具体的に文章として表に出されると凄くワクワクしますね。
その勢いのせいか、夜勤明けだったからなのかわかりませんが、「そういえば、PSPネットにつなげられるんじゃないか?」と思い当たりました。
今使っているパソコンが無線LANであるのだから、いけるんじゃないかと試してみること十回ほど。
最初ははねられていたのですが、結局同じことの繰り返しでいつの間にかつながったというわけのわからなさでした。
まあ、結果として上手くつながりましたので、早速アーカイブスで、『俺の屍を越えてゆけ』を購入してしまいました。
そして今現在、猿のように遊んでおります。
あれ? 私初めて遊んだときも同じようなことを言っていたような…?
以前のサイトでも、がっつりコンテンツがあり、井原一族(笑)全員分のSSをちゃんと書いたことがあるんですが(個人的に気に入っていたので、今でも普通に読み返すことがある)今回は今回で、ちゃんと別の一族として遊べます。
以前の一族にささげた愛情も、今回の一族にささげる愛情も、別だけど同じものだというか。
今回は、100時間遊んでやろうと、どっぷりモードでプレイ。
ただこれも、一族にかける愛情が深ければ深いほど、一族を長く苦しめるなんてできないと本気で思ってしまうのですよ! 早く呪いを解かねばというか、お宝にかまっていられないというか。
ゆえに、そういう意味ではどっぷりやって、一族を長く苦しめるのも辛いんですが…。ああジレンマ。
このゲーム、細かなシステムのセンスが良くて(システムが「いい」というわけではない。苦笑)たとえば、セーブが絶対に一つしかできないとか、世界観に合いすぎて身もだえします。
普通は、セーブなんて多くできればできるほどいいに決まってるんですが、これは取り返しがつかない一族の命の連鎖を語る物語なわけですよ。
だから、一族の運命は安っぽく切り分けられたりできないわけですよ。
それゆえの、「セーブデータは一つだけ」という設定が、世界観倍増で個人的にはそのセンスだけでおなかいっぱいです。
今のところ、
当主「井原ふじえ」(前回は「井原麻生」だったので)
嫡男「井原拓馬」(父・火属性の「焼津ノ若銛」)
の二人で頑張ってます。
いやもう、この息子の名前決めるのだけで三十分悩むのはお約束だよね!
以前は、水属性とか土属性ばかりを相手に選んで(何はなくとも体力バカ一族)いたので、今回の目標としては、
・全員に子供を
・全部の神様と子供
・全部の神様を解放
を念頭に置こうかと。
さて、肝心の井原一族の外見(笑)ですが、私も息子も超美形ですよ!(大笑)
![](http://sid.uh-oh.jp/hoge/img/2010_01_31_ore01.jpg)
どうです、うちの拓馬超イケメンでしょう。(バカ)
以前の史郎(前の一族の長男)は水色ベースで、どこかぽやっとした印象だったので、今回は火属性のキリっとしたのくるかなあ、と思ったのですが、確かに外見はキリっと風味なんですが、何処となく、「いや別にどうでも」みたいな印象を受けます。
受けるんです。イラスト一枚だけで。
当主もえらい可愛いのが来ましたが、色味としては微妙なところが、自分らしいと思いました。
というか、俺屍は子供たちも、神様たちも、外見が性的すぎると思うんだ(どういう意味だよ)。
現在遊んでいた「ときめもGS2」は氷上君投げて売ろうと思います。
その辺もまた後ほど。
『グローランサー』は気が向いたらってことで。
『ウォーリー』
最近映画感想から遠ざかっていたのは、映画館で見ていないというせいもありますが、ディスカスで送られてきていたのがCDとか、以前に見たことがある作品ばかりだった、という理由でした。サンレッド送られてウハウハしていたりとかね。
さて、なかなか評判がいいピクサーアニメですが、今回もはずれなし。
私、最初から最後まで泣き通しでした。大体、ロボット(無機物)ものっていうだけでも涙腺がゆるむのに、出だしが人間が破壊した地球を、たった一人で、たった一人で、たった一人で!(この時点で既に泣いている)ゴキブリと一緒に黙々と清掃しているウォーリーの姿ですよ! これで泣かずしてなんで泣こうか!
この時点で、ゲーム『クロノトリガー』のロボを思い出して涙が止まらない私。
クロノトリガーっていうのはいわゆるタイムトリップものなんですが、その中で仲間のロボットが地球環境を整えるために、一人昔の世界に残る、って言い出すわけですね。で、プレイヤーはタイムマシーンでそのイベント後、十秒とかで未来の世界(元の時代)に戻れるわけですよ。
するとそこには、今まで荒廃していた大地が、緑の美しい大地に変わっていて、そこには長い長い年月頑張ってきたロボが安置されている、っていうオチなんですが、この五分に満たない程度のイベントで、もう私は最初から最後まで号泣しましてねえ。
我々にとってはほんの一瞬なんだけど、その間、ロボは気が遠くなるほどの時間をすごしてきたその過程を思うと…!
おまけに、このウォーリーの何がいいって、人型じゃないのがいい。
人型だとどうも人間にこびているキャラクターっていう印象が強くなるんですが、ウォーリーは小さいキャタピラみたいな本当にロボットタイプで、勿論喜怒哀楽を表現しなければならないので、多少目が動くとか、表情もあるのですが、あくまで彼はロボットなわけですよ。
そのただの道具であるウォーリーが、黙々と自分のお気に入りのガラクタなんぞを集めて働いている様で、もう号泣。
地球は荒廃し、砂漠が広がり、周囲にはウォーリーが積み上げたゴミの塔ばかりが広がる中で、ダンスのビデオとか見て嬉しそうなウォーリーっていう図に既に号泣(泣きっぱなし)。
現実として、地球から逃げ出した宇宙船からやってきたロボットイヴと、勿論ウォーリーは幸せになるんですが、その過程もすごくかわいいです。
大体ウォーリーは清掃ロボットなわけですから、戦闘機能とかは全くないので、常に主導権握っているのがイヴっていうところがいい。レーザービームぶっ放すのも、宇宙で活動するのもイヴで、ウォーリーは手をつなぎたいな~という目線で、おどおどしている図っていうのが、かわいらしくてたまりません。
でも、素直で実直なウォーリーに、気の強い娘さん(笑)であるイヴが、指令を無視してもそばにいようとする様に、もう萌え萌えですよ!
ロボットに好きとか嫌いとかあるわけねえだろ、とか色々あるかもしれませんが、細けえことはいいんだよ! そんなこといったらこの世のすべてのロボットに、寂しいとか嬉しいとか、欲求直結のコミュニケート機能いらねえんだから!!
宇宙船で怠惰に暮らしている人間が発起する様とかも、色々感動できるものもあったのですが、個人的には、ウォーリーやイヴをとりまく、ちょっと壊れたロボットとか、壊れてはいないけれどいちいち所作がかわいいロボットたちの動きや、表情描写を楽しむ映画だと思います。ウォーリーやイヴは基本的には名前以外しゃべりませんしね。
とにかく仕草がかわいい。日本のロボットアニメとは違ったかわいさがそこにあります。
凄くかわいくて、個人的には(凄く)泣けるいいアニメでした。
エンドロールがドット絵表現で凝っていて見ごたえアリだったのですが、これはDVDのみなんでしょうか? ラストのピクサーのロゴ表現も、ちゃんとオチがついていてかわいくて、最初(始まりはかなり退廃的でシュール)から終わりまで、隙のない映画でした。
世の男性よ、やはり押しの一手ですな、かわいい彼女を射止めるには! ウォーリーの根性を見習わなくてはなあ。
個人的にロボットものは、人型ではないほうが好みです。人型だとそれはもう、それだけで役割果たしちゃってる気がするし、顔だけ挿げ替えればいい、みたいになっちゃうので。どうせなら私は、人型ではないウォーリーみたいなロボットがそばにいてくれたほうがいいよ。無機物であっても人型はいらねえ。実際の人がいるのに、人型である必要がないし。(この辺が私がロボット物にそれほど食指が動かない原因でもあります)
最近映画感想から遠ざかっていたのは、映画館で見ていないというせいもありますが、ディスカスで送られてきていたのがCDとか、以前に見たことがある作品ばかりだった、という理由でした。サンレッド送られてウハウハしていたりとかね。
さて、なかなか評判がいいピクサーアニメですが、今回もはずれなし。
私、最初から最後まで泣き通しでした。大体、ロボット(無機物)ものっていうだけでも涙腺がゆるむのに、出だしが人間が破壊した地球を、たった一人で、たった一人で、たった一人で!(この時点で既に泣いている)ゴキブリと一緒に黙々と清掃しているウォーリーの姿ですよ! これで泣かずしてなんで泣こうか!
この時点で、ゲーム『クロノトリガー』のロボを思い出して涙が止まらない私。
クロノトリガーっていうのはいわゆるタイムトリップものなんですが、その中で仲間のロボットが地球環境を整えるために、一人昔の世界に残る、って言い出すわけですね。で、プレイヤーはタイムマシーンでそのイベント後、十秒とかで未来の世界(元の時代)に戻れるわけですよ。
するとそこには、今まで荒廃していた大地が、緑の美しい大地に変わっていて、そこには長い長い年月頑張ってきたロボが安置されている、っていうオチなんですが、この五分に満たない程度のイベントで、もう私は最初から最後まで号泣しましてねえ。
我々にとってはほんの一瞬なんだけど、その間、ロボは気が遠くなるほどの時間をすごしてきたその過程を思うと…!
おまけに、このウォーリーの何がいいって、人型じゃないのがいい。
人型だとどうも人間にこびているキャラクターっていう印象が強くなるんですが、ウォーリーは小さいキャタピラみたいな本当にロボットタイプで、勿論喜怒哀楽を表現しなければならないので、多少目が動くとか、表情もあるのですが、あくまで彼はロボットなわけですよ。
そのただの道具であるウォーリーが、黙々と自分のお気に入りのガラクタなんぞを集めて働いている様で、もう号泣。
地球は荒廃し、砂漠が広がり、周囲にはウォーリーが積み上げたゴミの塔ばかりが広がる中で、ダンスのビデオとか見て嬉しそうなウォーリーっていう図に既に号泣(泣きっぱなし)。
現実として、地球から逃げ出した宇宙船からやってきたロボットイヴと、勿論ウォーリーは幸せになるんですが、その過程もすごくかわいいです。
大体ウォーリーは清掃ロボットなわけですから、戦闘機能とかは全くないので、常に主導権握っているのがイヴっていうところがいい。レーザービームぶっ放すのも、宇宙で活動するのもイヴで、ウォーリーは手をつなぎたいな~という目線で、おどおどしている図っていうのが、かわいらしくてたまりません。
でも、素直で実直なウォーリーに、気の強い娘さん(笑)であるイヴが、指令を無視してもそばにいようとする様に、もう萌え萌えですよ!
ロボットに好きとか嫌いとかあるわけねえだろ、とか色々あるかもしれませんが、細けえことはいいんだよ! そんなこといったらこの世のすべてのロボットに、寂しいとか嬉しいとか、欲求直結のコミュニケート機能いらねえんだから!!
宇宙船で怠惰に暮らしている人間が発起する様とかも、色々感動できるものもあったのですが、個人的には、ウォーリーやイヴをとりまく、ちょっと壊れたロボットとか、壊れてはいないけれどいちいち所作がかわいいロボットたちの動きや、表情描写を楽しむ映画だと思います。ウォーリーやイヴは基本的には名前以外しゃべりませんしね。
とにかく仕草がかわいい。日本のロボットアニメとは違ったかわいさがそこにあります。
凄くかわいくて、個人的には(凄く)泣けるいいアニメでした。
エンドロールがドット絵表現で凝っていて見ごたえアリだったのですが、これはDVDのみなんでしょうか? ラストのピクサーのロゴ表現も、ちゃんとオチがついていてかわいくて、最初(始まりはかなり退廃的でシュール)から終わりまで、隙のない映画でした。
世の男性よ、やはり押しの一手ですな、かわいい彼女を射止めるには! ウォーリーの根性を見習わなくてはなあ。
個人的にロボットものは、人型ではないほうが好みです。人型だとそれはもう、それだけで役割果たしちゃってる気がするし、顔だけ挿げ替えればいい、みたいになっちゃうので。どうせなら私は、人型ではないウォーリーみたいなロボットがそばにいてくれたほうがいいよ。無機物であっても人型はいらねえ。実際の人がいるのに、人型である必要がないし。(この辺が私がロボット物にそれほど食指が動かない原因でもあります)
『ブレイブ・ワン』
ジョディ・フォスター大好きっ子の私としては見ないわけには参りません。
恋人と共に暴行を受けた女性が、次第に世直しのようなことをやりだしてしまい、それに気づいてしまった刑事とのふれあい。そして、見つけ出した犯人にどのような所業を下すのか、というような暗い内容の話です。
ジョディ・フォスターはさすがの名演技。殺すべき相手を横にし、次第に顔つきが氷の様に固まっていく様は圧巻でした。
そして、相手役の寄る辺となる黒人の刑事さんも、これがまた人柄と真面目さだけが前面に押し出たような顔なんだこれが。勿論切れ者であるんですが、そうとは感じさせない朴訥さに、見ている側は救われるわけです。
「人を殺していいのは法の番人だけだ」
そう断じる彼に、もう人を殺してしまっている(成り行きとはいえ)ジョディ・フォスターがなんともいえない表情で笑うシーンは切なくなります。
ジョディ・フォスターも別に好きで人を殺しているわけではないし、それほど率先的に世直しをしているわけではなく、ようは、事件が我が身に降りかかった後、如何にして人は変わってしまうか、が肝なので、彼女がしてしまうことに嫌悪感はわきません。
むしろ、言いようのない切なさに、震えなくなる手に、「ああー」とため息が出るくらいで。
結果として自分が助けた少女に面通しをされ、手を握り、
「貴方が見たことを、真実を話せばいいのよ」
と訴えるジョディ・フォスターには、そこで捕まってもかまわない、少女の証言を捻じ曲げる気はない、という彼女の本来の彼女自身である、良心が垣間見れます。結果、少女はジョディ・フォスターのことを話さないのですが、それは結果としてよかったのか悪かったのか。
ただ、これラストが賛否両論だと思うんですよね。
自分の恋人を殺した相手を見つけ、銃をつきつけるジョディ。それを止める刑事。
そして、「殺していいのは法の番人だけだ」と自分の銃をジョディに渡す刑事。
それってアリなのかよ!? と驚く視聴者。
それまで散々、人を殺してはいけないとか「身近な人が犯人だったとしても捕まえる勇気を持つ」とか言っておきながら、何それ!?
対極にいなければいけない、だからこそ刑事の発言には意味があったのに、ジョディと同じ穴の狢であるならば、それまでの発言に重みがなくなっちゃうんですよ。結局お前もそういう奴なのねというか。
ジョディは刑事の銃で犯人を殺し、刑事は事件を隠匿するためにジョディにわざと撃たれる、っていうなんかこうどうしようもない印象のエンディングでした。
刑事が心情的にジョディの味方になるのはいい。でも、それを行為を同じくするのは全く意味が違うことであってさあ。
これなら、ジョディを止めて自分が犯人を殺す、っていうオチのほうがマシだったなあと思いました。
ジョディは本当に痩せぎすの怖いくらいの美人、で見ごたえありです。
『椿三十郎』
織田裕二とトヨエツが主演だった映画はわざわざ映画館に見に行きました。
その作品はそれなりに面白かった、という感想だったのですが、今回DVDを借りて見たのは大本の黒澤明監督のやつです。世界の三船が主演の奴ですね。敵役が仲代達矢氏のやつです。最高でした。
時代劇はまさにエンターテイメント。
シリアスあり、お涙頂戴あり、殺陣あり、そして笑いあり笑いあり笑いあり(超重要)。
そのどれもが詰まっている、サービス満点の二時間でした。これが1962年の作品だっていうんだから、どんだけ最先端。そしてエンターテイメントの普遍さを感じられる作品です。古臭さなんか何処にもないぜ。
今の時代劇は、フィルムだからカメラだかの規格が変わってから画面が明るくなったのですが、この映画は白黒でその風合いがまたいい。
薄汚れた浪人の椿三十郎の着物や、月代のない髪形の汚さが、白黒ならではのくすみ具合で魅力的です。
居並ぶ役者陣もすばらしい。
やっぱり、素浪人は迫力があってこそ、ですね。
織田にはちゃらんぽらんな印象はあっても、凄みがない。時には人を殺せるのではなく、人殺しも平気でできるけど面倒だからしない、くらいの、あくまで真っ当ではない人間の三船椿は、ほんっとうに迫力と凄みがありました。
これなら、仲代達矢演じる室戸半兵衛が「俺とお前は同じだ」と言うのもわかります。やっぱり、人がよさそうに見えちゃ駄目だよね。人がいいんじゃなくて、「しぶしぶお人よしに付き合う」程度の常識との接点なんですよ、素浪人っていうのは。
そして、富士額の仲代達矢が最高に悪くてカッコイイ。
これなら「俺は悪(わる)なのだ」と不敵ににやりと笑うのも許せます。トヨエツにも残念ながら凄みはない…。あ、そうか。凄みがない同士でちょうどいいキャスティングだったのかあれは…?(ひどい解釈)
他にも居並ぶ役者さんが、小林桂樹さんや、田中邦衛、そしてあまりのカツゼツの悪さに音量を大きくしなければならなかった加山雄三など、山盛りです。こいつは若いころから本当に才能がな(以下略)。
城代家老の奥様も、ちゃんとお歯黒をしていたりと、細かな時代考証も凄く楽しめます。門構えも凄く立派だし、土塀一つとってもセットとしての迫力も満点です。金かかってんだろうなあ。
殺陣の迫力は、美しいのではなく、泥臭く迫力があって三船にぴったりでした。蹴る殴る鞘で打ち倒す含めての殺陣なわけです。人殺しを嫌がるのではなく、面倒くさいから殺さない、刀を抜かないっていうポリシーも垣間見れるというか。
そして、最終的には仲代と一騎打ち。居合い一閃。噴出す血。倒れる男。
「どちらかが死ぬしかねえ」
という椿の言葉通り、死ぬしかない結末を迎えて終わるのが、彼の善の部分ではない部分(悪ではない)こそが本質であると暗に示しているようで、ダークヒーローの面目躍如でした。
時代劇にしろ、西部劇にしろ、「こういうヒーロー」は、最後、去るしかないんですなあ。その場所に残って明るい家庭を築いたりは決してしない。日常とは相容れないからこそのかっこよさでした。超満足。
こうして見ると、織田主演の『椿三十郎』は凄く原作に忠実だった、っていうのがよくわかります。場面展開とか話運びも全部一緒だったし。
それだけで、演じる人によってこうも違うのかという評価をされてしまうのもつらいところなんですが。
それこそ、織田裕二に、トヨエツっていう「若い人も取り込もう」っていうキャスティングではない、三船椿三十郎の凄さがよくわかります。まともに見た黒澤作品第一作目だったのですが、とても当たりでした。
ジョディ・フォスター大好きっ子の私としては見ないわけには参りません。
恋人と共に暴行を受けた女性が、次第に世直しのようなことをやりだしてしまい、それに気づいてしまった刑事とのふれあい。そして、見つけ出した犯人にどのような所業を下すのか、というような暗い内容の話です。
ジョディ・フォスターはさすがの名演技。殺すべき相手を横にし、次第に顔つきが氷の様に固まっていく様は圧巻でした。
そして、相手役の寄る辺となる黒人の刑事さんも、これがまた人柄と真面目さだけが前面に押し出たような顔なんだこれが。勿論切れ者であるんですが、そうとは感じさせない朴訥さに、見ている側は救われるわけです。
「人を殺していいのは法の番人だけだ」
そう断じる彼に、もう人を殺してしまっている(成り行きとはいえ)ジョディ・フォスターがなんともいえない表情で笑うシーンは切なくなります。
ジョディ・フォスターも別に好きで人を殺しているわけではないし、それほど率先的に世直しをしているわけではなく、ようは、事件が我が身に降りかかった後、如何にして人は変わってしまうか、が肝なので、彼女がしてしまうことに嫌悪感はわきません。
むしろ、言いようのない切なさに、震えなくなる手に、「ああー」とため息が出るくらいで。
結果として自分が助けた少女に面通しをされ、手を握り、
「貴方が見たことを、真実を話せばいいのよ」
と訴えるジョディ・フォスターには、そこで捕まってもかまわない、少女の証言を捻じ曲げる気はない、という彼女の本来の彼女自身である、良心が垣間見れます。結果、少女はジョディ・フォスターのことを話さないのですが、それは結果としてよかったのか悪かったのか。
ただ、これラストが賛否両論だと思うんですよね。
自分の恋人を殺した相手を見つけ、銃をつきつけるジョディ。それを止める刑事。
そして、「殺していいのは法の番人だけだ」と自分の銃をジョディに渡す刑事。
それってアリなのかよ!? と驚く視聴者。
それまで散々、人を殺してはいけないとか「身近な人が犯人だったとしても捕まえる勇気を持つ」とか言っておきながら、何それ!?
対極にいなければいけない、だからこそ刑事の発言には意味があったのに、ジョディと同じ穴の狢であるならば、それまでの発言に重みがなくなっちゃうんですよ。結局お前もそういう奴なのねというか。
ジョディは刑事の銃で犯人を殺し、刑事は事件を隠匿するためにジョディにわざと撃たれる、っていうなんかこうどうしようもない印象のエンディングでした。
刑事が心情的にジョディの味方になるのはいい。でも、それを行為を同じくするのは全く意味が違うことであってさあ。
これなら、ジョディを止めて自分が犯人を殺す、っていうオチのほうがマシだったなあと思いました。
ジョディは本当に痩せぎすの怖いくらいの美人、で見ごたえありです。
『椿三十郎』
織田裕二とトヨエツが主演だった映画はわざわざ映画館に見に行きました。
その作品はそれなりに面白かった、という感想だったのですが、今回DVDを借りて見たのは大本の黒澤明監督のやつです。世界の三船が主演の奴ですね。敵役が仲代達矢氏のやつです。最高でした。
時代劇はまさにエンターテイメント。
シリアスあり、お涙頂戴あり、殺陣あり、そして笑いあり笑いあり笑いあり(超重要)。
そのどれもが詰まっている、サービス満点の二時間でした。これが1962年の作品だっていうんだから、どんだけ最先端。そしてエンターテイメントの普遍さを感じられる作品です。古臭さなんか何処にもないぜ。
今の時代劇は、フィルムだからカメラだかの規格が変わってから画面が明るくなったのですが、この映画は白黒でその風合いがまたいい。
薄汚れた浪人の椿三十郎の着物や、月代のない髪形の汚さが、白黒ならではのくすみ具合で魅力的です。
居並ぶ役者陣もすばらしい。
やっぱり、素浪人は迫力があってこそ、ですね。
織田にはちゃらんぽらんな印象はあっても、凄みがない。時には人を殺せるのではなく、人殺しも平気でできるけど面倒だからしない、くらいの、あくまで真っ当ではない人間の三船椿は、ほんっとうに迫力と凄みがありました。
これなら、仲代達矢演じる室戸半兵衛が「俺とお前は同じだ」と言うのもわかります。やっぱり、人がよさそうに見えちゃ駄目だよね。人がいいんじゃなくて、「しぶしぶお人よしに付き合う」程度の常識との接点なんですよ、素浪人っていうのは。
そして、富士額の仲代達矢が最高に悪くてカッコイイ。
これなら「俺は悪(わる)なのだ」と不敵ににやりと笑うのも許せます。トヨエツにも残念ながら凄みはない…。あ、そうか。凄みがない同士でちょうどいいキャスティングだったのかあれは…?(ひどい解釈)
他にも居並ぶ役者さんが、小林桂樹さんや、田中邦衛、そしてあまりのカツゼツの悪さに音量を大きくしなければならなかった加山雄三など、山盛りです。こいつは若いころから本当に才能がな(以下略)。
城代家老の奥様も、ちゃんとお歯黒をしていたりと、細かな時代考証も凄く楽しめます。門構えも凄く立派だし、土塀一つとってもセットとしての迫力も満点です。金かかってんだろうなあ。
殺陣の迫力は、美しいのではなく、泥臭く迫力があって三船にぴったりでした。蹴る殴る鞘で打ち倒す含めての殺陣なわけです。人殺しを嫌がるのではなく、面倒くさいから殺さない、刀を抜かないっていうポリシーも垣間見れるというか。
そして、最終的には仲代と一騎打ち。居合い一閃。噴出す血。倒れる男。
「どちらかが死ぬしかねえ」
という椿の言葉通り、死ぬしかない結末を迎えて終わるのが、彼の善の部分ではない部分(悪ではない)こそが本質であると暗に示しているようで、ダークヒーローの面目躍如でした。
時代劇にしろ、西部劇にしろ、「こういうヒーロー」は、最後、去るしかないんですなあ。その場所に残って明るい家庭を築いたりは決してしない。日常とは相容れないからこそのかっこよさでした。超満足。
こうして見ると、織田主演の『椿三十郎』は凄く原作に忠実だった、っていうのがよくわかります。場面展開とか話運びも全部一緒だったし。
それだけで、演じる人によってこうも違うのかという評価をされてしまうのもつらいところなんですが。
それこそ、織田裕二に、トヨエツっていう「若い人も取り込もう」っていうキャスティングではない、三船椿三十郎の凄さがよくわかります。まともに見た黒澤作品第一作目だったのですが、とても当たりでした。
『シド』・にオリジナル創作『忘却の王』第三話更新しました。
友人が『高幡不動尊金剛寺』に車の交通安全祈願に行くというので、ついでに乗せていってもらいました。
私「名前だけしか聞いたことがないんだけど、どういうところなんだろう」
弟「新撰組の土方が祭ってあるところだよね」
私「あ、そうなの? 私新撰組興味ないんだけど、行ってもいいのかなあ」
弟「いいんじゃないの。黙ってれば」
友人の車に延々揺られてお寺へ。
入る前に用件を聞かれるので、「交通安全祈願を」と伝えると、指定の場所に止めろといわれます。
なんでも、お経を上げる御堂の前に、祈願をしてもらいたい車がずらっと並ぶんだそうです。
友人が、名前や車のナンバーを書いて、指定の時間に集まるとそこには他にも人が。
私が祈願するわけじゃないので外で待ってようか、というと、かまわないから一緒に入れと友人に言われます。
お堂の中で待っていると、お坊さんが二人入ってきて、祈願が始まります。
「ほげほがほげみゃほがほげほががががが!!」
ズガーン! ドカーン! ズゴーン!
突如始まる読経ライブ。
生まれて始めての勢いでしたよ。すんごい近くですんごいデカイ音で打ち鳴らされる木魚やら、鐘やら。
私「何が起こってるんだー!?」
と仰天したんですが、お坊さんに「祈っとけ」といわれているので目が開けられません。目を開けて作法を乱して友人に迷惑をかけるのも嫌だし、悶々としたままライブを聞き続けます。
結構長い時間聞き続けたと思うんですが、しばらくすると読経が終わり、順番に名前を呼ばれて、隣の奥さんが貧血で倒れました。
わかる、わかるよ! ずっと立ちっぱなしだとつらいよね!
私の方に倒れてくれれば支えもできたんですが、反対側に倒れてしまったので、奥さん転倒。すぐによくなったみたいで安心しましたが、私も読経の間ずっと合掌ポーズを取っていたので、肩がやられました。
その後、200円で棒? みたいな割り箸みたいなものを購入して、厄除け祈願を書きます。自分の名前だけ書くのもなんなので、家族全員の名前を書いたんですが、欲張りすぎて字がつぶれた上に、これじゃ全員厄年みたいだと気づいたのは、奉納後でした。
で、お守りを見たんですが、自分の厄除け守りはともかくとして、健康祈願のお守りの説明がずるい。
私「これはどういったお守りなんでしょうか」
相手「これは今ある健康を維持するお守りですね」
私(今の状態維持されたって意味ねえじゃねえか)
決して治るとは言えないのが、昨今の世知辛さでしょうか。
私の背中や、弟の体調とか、維持されたら困るもんばっかりだぜ! と思いつつ、弟に一つ購入しましたが、まあ気は心と言うことで一つ。
さて、無事にお参りも終わったところで、友人が「コストコに行きたい」と突如言い出したので、それにもお供します。
ものすごい人手で仰天したのですが、そんな中、友人が会員証をわざわざ作って突貫。
結論から言うと、年間四千円払ってまで行く場所じゃない。
普通の食料品なら、普通のスーパーの方がなんぼか安い。
洗剤とか腐らないものならいいのかもしれませんが、正直びっくりするほど安くもないし(どうせならスーパーの特売でも狙ったほうがマシ)売っているものもあまり一般的じゃありませんしねえ。
確かにクロワッサン山盛りで600円台は安いのかもしれないけれど、実際そんなにクロワッサン食べたいのかっつー話ですしねえ。
友人はもともと、ここで大量に売っている調味料関係が見たかったらしいので、満足していたようですので、使い方次第でしょうか。
普通のご家庭で使う分には、実際食品の種類が少ないですから。
そういえば、『金色のコルダ3』って、ケンユウさん出てるんですね…。
いえ、勿論サブキャラクターなんですが。こう、のだめのミルヒ的なポジションで…いや、イメージとしては竹中直人ポジションでしょうか。
個人的には、他校以外興味のある奴がいないので、火か金に突貫するしかないのかなあ、と思っております。
どうもこう、コルダのキャラって、俺ストライクゾーンを微妙にはずしてくるので、相性悪いんでしょうか。
これがアンジェとか遥かだと、ビジュアルだけでこいつはいけるっていうのが今までに必ずいたんですが(その当時若かったということではなく)、コルダはそれがないのは、なんちゃって年齢の世界じゃなく、純粋高校生年齢だからなのかもしれませんね。
守護聖とかも、見た目年齢25歳でも実際はウン百歳だったりするんだろうしなあ。遥かも異世界だしね。
友人が『高幡不動尊金剛寺』に車の交通安全祈願に行くというので、ついでに乗せていってもらいました。
私「名前だけしか聞いたことがないんだけど、どういうところなんだろう」
弟「新撰組の土方が祭ってあるところだよね」
私「あ、そうなの? 私新撰組興味ないんだけど、行ってもいいのかなあ」
弟「いいんじゃないの。黙ってれば」
友人の車に延々揺られてお寺へ。
入る前に用件を聞かれるので、「交通安全祈願を」と伝えると、指定の場所に止めろといわれます。
なんでも、お経を上げる御堂の前に、祈願をしてもらいたい車がずらっと並ぶんだそうです。
友人が、名前や車のナンバーを書いて、指定の時間に集まるとそこには他にも人が。
私が祈願するわけじゃないので外で待ってようか、というと、かまわないから一緒に入れと友人に言われます。
お堂の中で待っていると、お坊さんが二人入ってきて、祈願が始まります。
「ほげほがほげみゃほがほげほががががが!!」
ズガーン! ドカーン! ズゴーン!
突如始まる読経ライブ。
生まれて始めての勢いでしたよ。すんごい近くですんごいデカイ音で打ち鳴らされる木魚やら、鐘やら。
私「何が起こってるんだー!?」
と仰天したんですが、お坊さんに「祈っとけ」といわれているので目が開けられません。目を開けて作法を乱して友人に迷惑をかけるのも嫌だし、悶々としたままライブを聞き続けます。
結構長い時間聞き続けたと思うんですが、しばらくすると読経が終わり、順番に名前を呼ばれて、隣の奥さんが貧血で倒れました。
わかる、わかるよ! ずっと立ちっぱなしだとつらいよね!
私の方に倒れてくれれば支えもできたんですが、反対側に倒れてしまったので、奥さん転倒。すぐによくなったみたいで安心しましたが、私も読経の間ずっと合掌ポーズを取っていたので、肩がやられました。
その後、200円で棒? みたいな割り箸みたいなものを購入して、厄除け祈願を書きます。自分の名前だけ書くのもなんなので、家族全員の名前を書いたんですが、欲張りすぎて字がつぶれた上に、これじゃ全員厄年みたいだと気づいたのは、奉納後でした。
で、お守りを見たんですが、自分の厄除け守りはともかくとして、健康祈願のお守りの説明がずるい。
私「これはどういったお守りなんでしょうか」
相手「これは今ある健康を維持するお守りですね」
私(今の状態維持されたって意味ねえじゃねえか)
決して治るとは言えないのが、昨今の世知辛さでしょうか。
私の背中や、弟の体調とか、維持されたら困るもんばっかりだぜ! と思いつつ、弟に一つ購入しましたが、まあ気は心と言うことで一つ。
さて、無事にお参りも終わったところで、友人が「コストコに行きたい」と突如言い出したので、それにもお供します。
ものすごい人手で仰天したのですが、そんな中、友人が会員証をわざわざ作って突貫。
結論から言うと、年間四千円払ってまで行く場所じゃない。
普通の食料品なら、普通のスーパーの方がなんぼか安い。
洗剤とか腐らないものならいいのかもしれませんが、正直びっくりするほど安くもないし(どうせならスーパーの特売でも狙ったほうがマシ)売っているものもあまり一般的じゃありませんしねえ。
確かにクロワッサン山盛りで600円台は安いのかもしれないけれど、実際そんなにクロワッサン食べたいのかっつー話ですしねえ。
友人はもともと、ここで大量に売っている調味料関係が見たかったらしいので、満足していたようですので、使い方次第でしょうか。
普通のご家庭で使う分には、実際食品の種類が少ないですから。
そういえば、『金色のコルダ3』って、ケンユウさん出てるんですね…。
いえ、勿論サブキャラクターなんですが。こう、のだめのミルヒ的なポジションで…いや、イメージとしては竹中直人ポジションでしょうか。
個人的には、他校以外興味のある奴がいないので、火か金に突貫するしかないのかなあ、と思っております。
どうもこう、コルダのキャラって、俺ストライクゾーンを微妙にはずしてくるので、相性悪いんでしょうか。
これがアンジェとか遥かだと、ビジュアルだけでこいつはいけるっていうのが今までに必ずいたんですが(その当時若かったということではなく)、コルダはそれがないのは、なんちゃって年齢の世界じゃなく、純粋高校生年齢だからなのかもしれませんね。
守護聖とかも、見た目年齢25歳でも実際はウン百歳だったりするんだろうしなあ。遥かも異世界だしね。