■こんにちは。ミスドのポンデリングの美味さがわからない井原です。
ドーナツっていうものはさあ、こう、水分なしでは生きていけないみたいな喉詰まり感を味わうものであってさあ。
あ、でもフロッキーシューはまあまあでした。
どうもこのドーナツの嗜好に関しては、幼い頃の体験が元になっているような気がします。うちは普通に貧乏だったので、ミスドなんて年に一回食べるか食べないか、くらいだったのですが、親(特に母親)がフレンチクルーラー系が嫌いだったんですよね。だから購入時にも選ばれないという。
そう考えると、今の自分の嗜好が自分自身でイラっとくるんですが、今ではいくらでも自分で購入できるから、よしとします。
ただ、問題は加齢だな………。(歳を取れば取るほど腹具合が常に悪い)
■先日街中を歩いていると、長蛇の列を見ました。
なんだ? と思ったら、なんとマスク購入の列。
「はあー!?」と思ったんですが、新型インフルエンザの予防のためですか。ああー別にいいですけど、余ったって腐るもんじゃないし。
私は関東圏に住んでいるのですが、今のところまだ圧倒的にマスクをしていない人が多いです。
私は勤め先が病院ということで、365日インフルエンザ以上の病原菌と同居しているわけですから、今更慌てたりびびったりはしませんが、マスクは今現在しておけ、というお達しが職場からは出ています。まあ、マスクは支給されるので。買えとか言われたら冗談じゃねえよ。絶対買わない。
もう冬が終わったので、そろそろ外せるかなあと思ったんですけどねえ。もう暑くなると汗が酷いし、ゴムは痛いし、吹き出物はできるしで、あまりいいことありません。
基本的にマスクは、正しく装着しないと何の意味もないので、皆様ご注意ください。
まあ、ごくごく自然に手洗いなどの清潔保持を怠らなければ別に大丈夫でしょう。
そして、どんなに気をつけてたってひくときゃひきます。
あまり病的に神経質にならずに、どちらかといえば、適度な睡眠、栄養のある食事を取って生きる方向を心がけるほうがいいですよ。
■先日保険のおばさんから留守電がありました。
実家を出る前に入ったもので、月々引き落とされているのは知っていたのですが、正直気にしたことなかったのでほったらかしでした。内容そのものは年一回ちゃんと説明が送られてくるので、それを読めば事足りるというか。
留守電に二回も入って、来訪までしたらしく、至急連絡をとの文字を見て慌てて電話して、やってきたのが、凄い、おばさんだった。
こう、アニメで出てくる大阪のおばちゃん、っていうんですか。外見が。さすがに、虎や豹はいなかったですが、もう、もんの凄い化粧。チークとアイシャドウが同じ幅で赤いってどういうことだ!? ええ!?
あ、実際いいおばさんでした。
結局、色々内容を説明しましたよ、というサインをせねばならなかったようで。あと、保険の内容の見直しですね。
もう七年前になるので、医療制度の見直しなどに伴い、今のプランだと色々不都合が出てくるので、それに関して、ということらしいです。
例えば、入院費なんかは20日越えなかったら、給付がなかったのだけれど、それを日帰りでもオッケーにするとか。乳がんとか、今では一週間とか十日とかで退院させられたりするので、20日じゃ意味がない、とおばさんははっきり申しておりましたが、確かにうちで乳がんで入院した人、すぐ退院してったなあ。
まあ、その他もろもろの見直しですね。月額3000円ほど高くなりましたが、個人的にこれから先頼れるものも確実にいなくなることを考えると、自己投資だと思って割り切ることにしました。
一応順番どおりにいけば、両親は先に死ぬわけで、そうなると結婚もしていない私にとって、頼りになるのは同じく独身者である弟だけ、になってしまいます。その時に、下手に迷惑をかけるのは嫌ですから、一人きりでも、ある程度対応できる準備をしておかねば。
特に婦人病関係は、今は本当に若い方の発症が多いので、人事ではありません。もうあと少しすれば、私も乳がん検診の仲間入りだし。
私の保険は死亡時の給付金よりも、入院に重きをおいたものなのですが、それでいいと思ってます。自分が死んだ後の金なんか誰が使うんだよ。葬式代か? いいよ葬式なんてしなくて。アホらしい。 どうせ葬式に訪れる弔問客もいない。(寂しい終末を迎える気満々)
しかしこうなると、両親も自分の身の回りのことはしっかりしておいて欲しいと思いますね。実家の何処に何があるのかもわからんわ。
外国では新年に遺言状を書く、という習慣がある国もあるらしいですが、今更ながらやっておいてもいいかな、と思いました。
私の場合は「積荷を燃やして」ですみそうな気がしますが………(受け継がれる遺産もなければ、借金もない)。
ドーナツっていうものはさあ、こう、水分なしでは生きていけないみたいな喉詰まり感を味わうものであってさあ。
あ、でもフロッキーシューはまあまあでした。
どうもこのドーナツの嗜好に関しては、幼い頃の体験が元になっているような気がします。うちは普通に貧乏だったので、ミスドなんて年に一回食べるか食べないか、くらいだったのですが、親(特に母親)がフレンチクルーラー系が嫌いだったんですよね。だから購入時にも選ばれないという。
そう考えると、今の自分の嗜好が自分自身でイラっとくるんですが、今ではいくらでも自分で購入できるから、よしとします。
ただ、問題は加齢だな………。(歳を取れば取るほど腹具合が常に悪い)
■先日街中を歩いていると、長蛇の列を見ました。
なんだ? と思ったら、なんとマスク購入の列。
「はあー!?」と思ったんですが、新型インフルエンザの予防のためですか。ああー別にいいですけど、余ったって腐るもんじゃないし。
私は関東圏に住んでいるのですが、今のところまだ圧倒的にマスクをしていない人が多いです。
私は勤め先が病院ということで、365日インフルエンザ以上の病原菌と同居しているわけですから、今更慌てたりびびったりはしませんが、マスクは今現在しておけ、というお達しが職場からは出ています。まあ、マスクは支給されるので。買えとか言われたら冗談じゃねえよ。絶対買わない。
もう冬が終わったので、そろそろ外せるかなあと思ったんですけどねえ。もう暑くなると汗が酷いし、ゴムは痛いし、吹き出物はできるしで、あまりいいことありません。
基本的にマスクは、正しく装着しないと何の意味もないので、皆様ご注意ください。
まあ、ごくごく自然に手洗いなどの清潔保持を怠らなければ別に大丈夫でしょう。
そして、どんなに気をつけてたってひくときゃひきます。
あまり病的に神経質にならずに、どちらかといえば、適度な睡眠、栄養のある食事を取って生きる方向を心がけるほうがいいですよ。
■先日保険のおばさんから留守電がありました。
実家を出る前に入ったもので、月々引き落とされているのは知っていたのですが、正直気にしたことなかったのでほったらかしでした。内容そのものは年一回ちゃんと説明が送られてくるので、それを読めば事足りるというか。
留守電に二回も入って、来訪までしたらしく、至急連絡をとの文字を見て慌てて電話して、やってきたのが、凄い、おばさんだった。
こう、アニメで出てくる大阪のおばちゃん、っていうんですか。外見が。さすがに、虎や豹はいなかったですが、もう、もんの凄い化粧。チークとアイシャドウが同じ幅で赤いってどういうことだ!? ええ!?
あ、実際いいおばさんでした。
結局、色々内容を説明しましたよ、というサインをせねばならなかったようで。あと、保険の内容の見直しですね。
もう七年前になるので、医療制度の見直しなどに伴い、今のプランだと色々不都合が出てくるので、それに関して、ということらしいです。
例えば、入院費なんかは20日越えなかったら、給付がなかったのだけれど、それを日帰りでもオッケーにするとか。乳がんとか、今では一週間とか十日とかで退院させられたりするので、20日じゃ意味がない、とおばさんははっきり申しておりましたが、確かにうちで乳がんで入院した人、すぐ退院してったなあ。
まあ、その他もろもろの見直しですね。月額3000円ほど高くなりましたが、個人的にこれから先頼れるものも確実にいなくなることを考えると、自己投資だと思って割り切ることにしました。
一応順番どおりにいけば、両親は先に死ぬわけで、そうなると結婚もしていない私にとって、頼りになるのは同じく独身者である弟だけ、になってしまいます。その時に、下手に迷惑をかけるのは嫌ですから、一人きりでも、ある程度対応できる準備をしておかねば。
特に婦人病関係は、今は本当に若い方の発症が多いので、人事ではありません。もうあと少しすれば、私も乳がん検診の仲間入りだし。
私の保険は死亡時の給付金よりも、入院に重きをおいたものなのですが、それでいいと思ってます。自分が死んだ後の金なんか誰が使うんだよ。葬式代か? いいよ葬式なんてしなくて。アホらしい。 どうせ葬式に訪れる弔問客もいない。(寂しい終末を迎える気満々)
しかしこうなると、両親も自分の身の回りのことはしっかりしておいて欲しいと思いますね。実家の何処に何があるのかもわからんわ。
外国では新年に遺言状を書く、という習慣がある国もあるらしいですが、今更ながらやっておいてもいいかな、と思いました。
私の場合は「積荷を燃やして」ですみそうな気がしますが………(受け継がれる遺産もなければ、借金もない)。
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『ペルソナ4』公式
今回EDまでレポートしているので、完全完璧にネタバレです。反転も伏字もしていませんので、要注意。
自己責任において閲覧ください。
………と、きれいに終わったものの、実は隠されたEDがあるという。
テンション的にはもういいという気がしないでもないが(最終決戦が近づくにつれ、下がるテンション)、一応「主人公の能力はなんだったのか」とか、何故俺だけ葛藤なしにペルソナを得られたのか、とか一応謎の部分があるので、それを追いかけてみる。
そんな時に届いた、足立からの手紙。
「僕もあの力を得る前に、誰かから噂を聞かされた気がする。僕がいえるのはそれだけだ。少しでも役に立てると嬉しい」
………お前、その手紙、可愛すぎるだろう!
なんだ、「少しでも役に立てれば」って! おまけに「嬉しい」って!(錯乱)
こういうことを平気でしてくる足立は、キャパシティがかなりでかいとしか思えない。
それまで特別萌えなかった足立の株が、天高くそびえた瞬間だった。
もう、あのアナウンサー(以下略)。
全く余談ですが、足立に萌える前にサイト様を回らせていただいて、そこかしこで萌えられる足立を堪能したんですが(私は本編で萌えなくても、それぞれの「二次創作の結果の上に成り立つ個性」に萌えるということが非常によくあります。「ああ、こんな解釈もありなんだ」とかね)そこでも、非常に見事にアナウンサー関係の動機はスルーされていることが多く、世間様もやはりあれは忘れたい、むしろなかったことにしたいのだな、としみじみ思いました。超同感。
話は戻るが、結局は主人公は、外から来ましたという至極単純な理由で、イザナミという神様らしきものに選ばれ、力を分け与えられていたらしい。
足立の時も「唐突な」と若干思わないでもなかったが、突如現れたガソリンスタンドのバイトに関する感情は、「お前誰だよ」以外形容できないものだった。
せっかく晴れた霧も再び街を多い、最終決戦へ。
初めは「お、やるじゃん」みたいなノリだったイザナミが、階が上がるにつれて「まだ来んのかよ!」みたいに逆ギレしてきて凄く笑えた。
最終的にはまたいつもの通り、人の望みだとか何もなくすのがいいんだとか、色々演説ぶってきたのだが、うん、それ、ちょっと前の足立も同じこと言ってた。
そんな二番煎じな説教(というか、ほぼ独り言)今更きくか!
神の目線から言われるよりも、あくまで人の目線で実行しようとしていた足立のほうが、まだまし、という感じだな。その気になれば、イザナミは前ふりなく人間をなくせるのに、それをせずに、色々やった挙句、「面倒!」みたいなノリで世界を滅ぼされてもなあ………。
個人的には、レベルを上げすぎたせいなのか、せっかくやってきた新しいダンジョンなのに、経験値がろくにもらえないことに驚愕していて、それどころではなかった。
こ、こんなんだったら足立のダンジョンのほうが億倍儲かるだろう!
しかし、イザナミは生田目、足立、主人公にそれぞれ能力を分け与えたらしいのだが、生田目に対する扱いが冷遇過ぎるだろう。
主人公はもとより、足立は「虚無」なんてカッコイイ名前をつけられ、ペルソナも目覚めたのに、生田目は名前は「絶望」でペルソナすら具現化できなかったって、お前それ、明らかに人選ミスとしか思えない。
本当に「外から来た」ってだけで、適当に選んでいる感が見え見えのイザナミは、なんだか根っこがいい加減なんだな。
イザナミの戦闘で倒れた主人公の前に、次々と人々が現れる。仲間や、絆を深めた相手が、それぞれの言葉で俺を励ましてくれる。
………「MOTHER2」………?
もう、叔父で始まり菜々子で終わるのが、凄くわかってる感じなのだが、それにしたって、クドいだろう、これ。
主人公は倒れたまま、次々に現れるコミュニティMAXの人々(身も蓋もない言い方)の順番待ちを想像し、奇妙なデジャヴに襲われていた。
………ああ、わかった、あれだ、『遥かなる時空の中で』でラスボス戦前の八葉の挨拶順番待ちの風景だ………。
正直、真EDといっても、主人公が何故特別だったか、というのの理由付けみたいなもので、物語としての流れやオチ的なものは、ノーマルEDで十分だと思う。
むしろ、あまりに絆、絆と同じテーマをくどくどしく解説されるので、イザナミ編に突入してからの文書は、あまりまともに読んでいなかった。
全編一貫して伝えたいテーマが明確にあるのはいいが、なんていうか、それを前面に押し出すのはいい。だが、何度も強調されるとノリきれないというのが素直なところ。
物語に大事なのは、何を語るかではなく何を語らないか、だとも言えるのだが、これも昨今の「作品」の特徴といえばそうなのかもしれない。語るべきことを、とことん、何度も語るのが、今のご時勢の流行なのだ。現在高校生が主役たちということで、逆に、世界観としてはあっているのかもしれないが。
このEDが、ストレートに進めば見られるものであれば、あまり違和感を感じなかったかもしれないが、立場としてはこのEDはあくまで「隠された真実ED」であって、普通に進むと見られるEDを、見てから見るものなのだ。
ゆえに、一応の(人によってはそれが至極当然の)EDを見た後に見ているEDなだけに、余計に重複しているように思えるのかもしれない。
総プレイ時間もう少しで99時間。
信じられないくらい長かった。人様から借りたソフトをここまでやりこむのも相当神経丸太だと自分でも思った。
最終的には、初めはどうだっていい、と思っていたペルソナ作りに没頭してしまい、菜々子救出からEDまでのテンションは概ね低空飛行、といった感じ。
もう、菜々子の危機、そして、疑われている俺らへんは、もう心の盛り上がりが半端じゃなかった。真剣にドキドキした。もっと常に叔父に疑われていたかった。(ドMを内包したドS)どうしても普段ちやほやされている感が強いので、主人公が敵意の目にさらされている、それも、身内である叔父が、「確信に近い疑い」を抱いている、っていう立ち位置が、すんごく萌えた。
後はやはり、初期の仲間内との会話や、友人になっていく過程、だろうか。お互いに手探りの家族。新しい仲間たちが増えていく、親密になっていく過程はやはり凄く楽しい。
ゆえに、ある程度人間関係構築できてしまってからの仲間(りせや直斗)に関しては、わりと同じことの繰り返しで、インパクトが薄くなってしまったのが残念。特にりせは、嫌いじゃないが、戦闘で延々同じことを解説されるので、正直途中で声を聞くのが嫌になった(これまた別に声が嫌いとかそんなんじゃないんだが)。
りせは「ああ、またトラウマ系」かと思い、直斗に至っては警察関係者とつながりを持って推理を進めるためだけにいるのかな、と、ちょっと思った。
ただ、設定その他を引っこ抜いた先にある、何も考えずに楽しめるキャラクターとの絡みは、どれも絶品。そっちに重きを置いたほうが、何倍もこのゲーム楽しめる。
背後に抱えるものありき、ではなく、そんなん受け流してただただ林間学校が楽しい。文化祭が楽しい。テレビに首だけ突っ込んで大慌てする様が楽しい。王様ゲームが楽しい。クマは癒しから萌えまで全てを網羅し菜々子と二大巨頭だったとか、右脳直撃みたいな萌えのほうが、レベルとして凄く高いのだと思う。
謎云々、精神論云々を抜きにして、面白い会話や物語が描けるのだから(これ、非常に難しくレベルが高い)そっちを重点的に見たかったな、とも思うが、それはそれでRPGという話が成り立たなくなるし。
個人的に、シリアスよりも笑いの描写が秀逸なキャラクターに傾倒するので、そんな面もあって、りせや直斗にはあまり関心がもてなかったのかもしれない。
同学年と、クマ。完二とそれに足立の笑いのポテンシャルは、どれも半端なかった。このメンバーは誰も彼もが好きだ。
そして、物語とは関係ない、時折挟まれる細かなイベントが、超萌えた。菜々子に手品を見せたり、宿題をみてやったり。外出したり、料理を作ったり。むしろ、ダンジョンをクリアしてしまったら、今夜は何かが起こるのか!? とワクワクしながら日々を過ごしていた始末(病気だ)。
ジュネス絡みのイベントもいいし、学校関係もいいし。やっぱりこのゲームの売りは、人間が平等で好奇心が何とかで考えるのをやめてほにゃらら、とか、そんなんじゃなくて、こっちだと思う。
音楽もいいし、当然ビジュアルもいい。ペルソナのグラフィックなんか、それだけで全部集めようと言う気になるし(マーラは最高でした)、3Dのキャラクターの微妙な動きだけで、ご飯三倍いける。
しゃべらない主人公の機微を、「!」や「!?」や「汗」などの、いわば記号だけで、あれだけ上手く演出できるのは、そうない。あの記号だけで十分個性的な個性が出せている。
実際、あれが顔文字まで言ってしまったら、げんなりどころの騒ぎではなかっただろうが、上手い具合に記号でとめているところに、このゲームのセンスのよさが現れている。
黄色ベースの世界に、OPの演出。あの主人公(その他)が走っているシーンだけ、延々流していても十分鑑賞に耐えうるできだった。
アニメのレベルも別に低くはないんだけれど、3Dのキャラクターの動きがあまりに秀逸なものだから、見劣りしているのが正直なところ。3D以外のキャラ絵としてもレベルが高く、無理にアニメを入れなくても良かったんじゃないかなーとは思った。
戦闘は、初めは普通に泣けたものの、レベルが上がれば上がるほど簡単になる(様々なペルソナを作れるようになれば)ので、最終的には楽。即死系を吸収、反射しない敵に至っては後半は主人公のスキルだけで1ターンで概ね始末できるし、レベルが上がれば、SP回復やHP回復も自動でやってくれるし。さらばキツネよ。
戦闘時のモーションが、自軍はいいが、敵がちょっとかったるいなあ、と思わないでもなかったが、ラッシュ(オート戦闘)でしのげば、それほど気になるレベルではない。
ただ戦うのではなく、敵の弱点をついてナンボ、話はそれからだという戦闘のレベルは、緊張感があって中々よかったと思う。とにかく主人公が死んだら終わり、とか。
地味に楽しいのが、主人公が戦闘時ペルソナの名前を呼んでくれるところ。他のキャラクターも、目のアップになって「スズカコンゲン!」とか言ってくれる演出が物凄くカッコイイのだが、主人公も、時折装備しているペルソナの名前を呼んでくれるのだ。
ランダムなんだろうけど、滅多に呼ばない(大体、掛け声だけだったり、「ペルソナ!」だったりするので)ので、「イザナギ!」とか呼ばれると、凄く得した気分になった。
キャラクター順位
菜々子(別格)>クマ>陽介>主人公>完二>足立>千枝>叔父>雪子>長瀬>一条>直斗>海老原>りせ
こんな感じだろうか。わりと僅差というか、どれも担っている役割が違うので、押しなべて同じ感じ。まあ好みの問題というか。
叔父は萌えるかと思っていたんだけど、蓋を開けてみれば、ほんっとうにヘタレだったので、萌えなかった。駄目だあ、ありゃ。
クマは本当にオールラウンダーだった。萌えから感動から熱血から笑いから、奴にできないものはなかった。素晴らしい。
逆に、クマのコミュは任意にして欲しかったかも。己の意思でクマを開放する! という高揚感が欲しかったというか(ディープすぎるだろう)。
主人公は、無個性では決してないので、あの俺様スタイリッシュな立ち居振る舞いに惚れました。着こなしから、物腰まで、奴は永遠のシティーボーイなんだきっと………。
あと地味に、学校の教師陣たちは全部良かった。ジャージの体育教師も、英語教師もいいし。歴史もいいし。
長々書きましたが、これにてペルソナ4レポートは終了です。いやあ、久しぶりにPS2を起動させてやったゲームが、99時間プレイできるゲームで嬉しかったです。
借り物なので、すぐに返さなきゃならないですが、全部を踏まえて、これ二週目をやりたくなるゲームだよなあ。お弁当とか、コミュニティ制覇できなかったのとか、運動部と文化部も出してないキャラクターいるし、なにより、初々しい菜々子にもう一度会いたいし。
『ペルソナ4』公式
今回EDまでレポートしているので、完全完璧にネタバレです。反転も伏字もしていませんので、要注意。
自己責任において閲覧ください。
■12月3日 END1
まあ、生田目が法で裁けないだろう、というのはわかっていたことだ。というか、あれでどうやって裁くつもりなんだというか。
自白を取ったところで証拠は何もない。一生精神科に隔離しておくこともできない。そうなれば、誰かが復讐を遂げるのではなく、誰かがこの悲劇の連鎖を終わらせなければならない。
相手に更生する気がないのであれば、なおさらだ。
その誰かが、今回は俺だっただけで。
それだけだ。
俺は特別なことは何もしていない。
誰に強要されたわけでもない。
だから、叔父に礼を言われる筋合いもない。
見送られる仲間たちに、かける言葉が何もないのも、そのせいだ。
俺は、決められた一年間を、俺のやりたいように過ごし、そして去る。
都会から来た転校生が、元の住まいに戻るだけ。
それだけだ。
この街では、何もなかった。
何も起こらなかった。
不可思議な現象は、何も生み出さなかった。
ただ、加害者がいて、当然のように被害者がいて、それが、俺にとってかけがえのない者だったというだけだ。
だから、俺は何も言わず、何も思わず、何も見ない。
霧に包まれた街には、もう二度と戻らない。
戻る必要がないから。
あそこには、最も大切だったものも、俺が復讐する相手ももう、とうに、いないのだから。
■12月4日
生田目の供述から真犯人の可能性が見えてくる。
それについては、あまり驚くには当たらない。二通目の脅迫状、あれは明らかにおかしいからだ。
脅迫状を受け取った時点で、実際俺たちは何もしていない。というか、できないのだ。
俺たちが「何かできる」のは、あくまで、入れられた後だけなのだから、「コンドコソ ヤメナイト」という文章自体が、実行犯が出したとしたら非常につじつまが合わない。
テレビに映る菜々子の映像が、脅しであるならばとも思うが、それこそ、「今度」にかかるのは「菜々子」であって、それをやめないと、というのが意味不明。やめないと、どころではない。やめさせなきゃ菜々子死ぬだろう。
というか、本当に何をやめればいいのかよくわからんし。
これが例えば、他の誰かの救出作戦の実行中で、それにかけて、「今度こそ(手出しをしないのなら)」なら良かったのだが。
まあ、これは実行犯が出そうが、真犯人がだそうが、文章としておかしいので、ただの齟齬なのかもしれんが。
まだ、「余計なことに首を突っ込むのなら、次はお前の大切なものが選ばれる」とかだったら、立派な脅迫状だっただろうにな。
あと、「ソウサヲ ヤメナイト コンドコソ」なら文章通じたのに。
ここでの「ヤメナイト」が捜査ではなく、救済方面にかかっているように読み取れてしまうと、もう脅迫状の文面はおかしい。
■12月5日
消去法で真犯人がわかった、という感じだが………微妙に無理がある。
そんなこと言ったら、街の奴ら全員犯人だろう。
俺たちの行動を把握って、テレビ見てれば俺たちの救出劇は映ってるんだし、それ以上別に何を把握する必要もないわけだ。
テレビに映った奴らの年齢や、同じ学校であることを考えると、第三者でもたやすく俺の居所など割り出せるだろうし。商店街のじじいと同じく。
しかし、こうなるとやはり、返す返すも俺に脅迫状を出したのは失敗だったな。あえて、叔父のいる俺に、だからな。逆にこれで範囲が狭まった、という気がしてならない。普通なら、一番知名度のある雪子か、陽介ってところだろうし。
変な言い方だが、俺のリーダー風を知りえてしまった時点で、あいつが犯人だと絞られたという感じだろうか。
一般人には、俺の仲間内でのポジションなどわからないだろうからな!(ハハハ)
そしてやはり、語るに落ちた、という感じだ。
直斗が指摘した部分は全く気づかなかったが。さすが名探偵。
ちなみに、叔父みたいな患者は鬼のように看護師に嫌われるので要注意だ。(言うこときかない、勝手に出歩く、ガタイがデカい、イザコザを持ち込む………きりがない)
■12月6日
クマイベントはどれもこれも泣ける。
というか、クマイベントで泣き成分を補充している感じだ。
やはり、菜々子の婿にはクマが本命か………!?
クマの正体に関してはあれでいい。いや、むしろそんなクマだからこそいい。そんなクマごと愛したい。(わけがわからない)
■12月7日
うわ、下品。
真犯人、そんな感じだな。
いや、正直こう、この世のわりいこと全てが大好きっ子なのさ! 苦しんでる人の顔大好き! 俺享楽犯! だったらまだ、真性悪萌えとか、色々応用が利きそうだったんだけど、初っ端からして女がらみって、お前それ悪役の動機としてはあまりにスケール小さすぎて萌えない………。
これはあれか、すこし ふしぎな悪役約してSFって感じなのだろうか。
まあ、大体最初の犯罪も、次の犯罪も、なまじ、普通のアナウンサーとか、女子高生とかに手を出そうとしている時点で、器の小ささ丸見え。
お前、美津雄を見習えよ………! あいつは旅館の若女将に手を出すだけの度胸があったぜ………!(そんな誉められたものではない)
以上、天の声の長い萌え語りでした。
俺はもう、最終決戦だというのに、それでもギリまでコミュニティを挙げなければいけない俺自身がなんだかなと思わずにはいられない状態だった。
■12月22日
足立との最終決戦。ダンジョンは中々えげつない感じでよかった。
ラスボスに入る前の、人型足立との戦いが個人的には一番盛り上がった感じだ。
奴から出るペルソナが、俺が始めの頃、本当に初期の頃、そういえばお世話になりましたねペルソナだったイザナギの反転バージョンだったのが、なにやら意味深だ。同じような生田目はペルソナ出なかったみたいだが………。この差はなんなのだろう。
結局、足立はもう人生投げやりただ面白いから日常はゲームだぜ愉快犯という、至極真っ当な悪役としての主張をしてくれたのだが、これなら本当に、アナウンサー、女子高生に対する不純な動機が余計だったな、としみじみ思う。
あれさえなければ………あれさえなければ、もっとストレートに萌えられただろうに。
ただ、操られた後つき物が落ちたのか、酷くさっぱりした感じではいたが、それはそれ、これはこれというところだろうか。
操られていたというより、足立の肉体を媒介して、目玉の化物が出てきたというような印象で、別に実は足立はいい人なんです、という感じでは全くなかったし。
まあ、足立はあれだ。ゲームも好きだけど別にウニやらキャベツやらも同じように愛せるっていう、「嗜好」の持ち主だった、ということだけなんだろう。
■12月24日
クリスマスイブ。
誰と過ごすかとか、誰と過ごしてイベントを見たとか、そんなことではなく、「出たよ! イベント前にセーブできない仕様!」(サモナイシリーズではよくあることです)と悶絶したため、あまりほかの事は覚えていない。
うへえ、どれだけコミュニティMAXにしたって、足立戦からやり直してまでクリスマスイベント見たくもないなあ。
直斗と過ごしては見たのだが、正直、女子制服は微妙だった。
■3月20日
いよいよ明日は俺が帰る日だ。
お礼参り………もとい、挨拶をして来いというので、それぞれ挨拶に。
個人的には、伏兵だった悪魔コミュの看護師が一番感動したかな、という感じだった。期待していた主要メンバーはそれほどでもなかった、という感じだ。
というか、主要メンバーはもう、わざわざコミュニティで新規のイベントを見ずとも、物語の上で必然的に個性が描かれているので、逆にコミュニティのイベントに、蛇足感が漂う気がする。
せっかくの個別イベントが堪能できるはずのコミュニティなのだが、結局は、今まで楽しませてもらった奴らの個性を復習しているような感じで、どうも驚きにかけるというか。
コミュニティをMAXにすることによって得られる、新しい魅力とか、そういうものがないのだ。そうなると、コミュニティは特定ジャンルのペルソナをMAXにするためだけの作業、になってしまう。
コミュニティそのものを進める喜び(いわゆるコレクション的な)ものは別としても、純粋にイベントとしての面白さは、全く普段関連性のないサブキャラのためにあるのかもしれない。
個人的には、ペルソナ4の最大の売りである笑いがもっと各々堪能できればよかったかな、と。
感動路線は結局、終着点が皆同じ、みたいなところがあるからなあ………。俺は別に慈善事業でイベントを起こしているわけではない、というか。救世主じゃないし。
とりあえず見てみたノーマルED。
街から霧がはれ、青空が広がる、凄くいいEDだった。
ああ、俺はこの街を救えたんだな、と思えたし。 菜々子は俺の嫁になると言うし。その前に叔父に刺されないようにしよう………。俺個人は、俺が叔父となって菜々子とクマの結婚を見届けたかったのだが。
しかし、半泣きで皆が駅のプラットフォームで見送ってくれるのに、くすりともしない俺の鉄面皮ぷりは大したものだと改めて思った。
今回あれだな。俺の属性は完璧ドSだな!(自らを省みる)
次回、真ED、その他について。
井原麻生語りはここで終了。
『グラン・トリノ』公式サイト
ジョナサンのステーキ丼は予想外に美味しかったです。
とても美味でした。
いえ、これは映画を見終わった後の思い出なのですが、肝心の映画そのものはわりと普通の映画でした。
別につまらないとか、そんなことはなかったんですが、基本的にエキサイティングする映画ではないし、話の展開やそれこそキャラクターに関しては、ある種使い古された感があるので、感想にしろなんにしろ騒ぐような話ではありません。
うーん、クリント・イーストウッド映画と相性が悪いのかもしれませんね。悪い、というと大げさですが、あれだけ評判になった『ミリオンダラー・ベイビー』も個人的には、そこまで騒ぐほどの映画じゃない(ボクシングシーンと、戦う相手の迫力は最高だったけど)と思いましたし。
戦争の記憶が残るアメリカ。移民や人種差別発言をガンガンする、偏屈な壮年男性が、妻を失うところから物語は始まります。
あらゆることが気に入らず、人を見ては眉間にしわを寄せる男は、当然隣人であるモン族の移民も気に入りません。
かたくなな態度は家族にも現れ、男は孤独に生きています。
そんな中、ふとした折に、男の芝生でモン族の不良たちが争いを起こし、結果隣人を助けるはめになってしまいます。
その後、感謝の印だと、モン族の人間たちと親しくなっていく男。
ですが、男が大切にしている名車、グラン・トリノを隣人の少年、タオが不良グループに強制されて盗みに入ってしまいます。
結果失敗し、タオはつぐないのために、男と付き合うことになるのですが………。
というのが、非常にあっさりした大まかなあらすじ。
タオとその姉のスーを中心に、男は交流を深めていきます。
ただ、タオやスーを付けねらう、モン族の不良たちが、必死になって自立しようとしているタオにちょっかいを出し、それを黙らせた男の報復として、タオの家は銃撃を受け、そしてスーはレイプされてしまいます。
復讐に燃えるタオ。自らの行いを間違っていたのかと一人悩む男。
結果、男はタオを地下室に閉じ込め、一人で不良たちのいる場所へ向かいます。
「火をつけさせてくれ」
男が自らの懐に手を伸ばした時、いっせいに銃が火を噴き、不良たちの放った弾丸は男を撃ちぬきます。
転がる男の身体。取り出された手のひらにはいつも使っていたライターが握られていました。
男は、戦争の傷をひきずっています。殺すことはできますが、「命令ではなく自ら殺した」ことをずっと思いながら生きています。
そんな男が、余命いくばくもない自分の終末を、殺すことではなく、殺されることで、タオを生かそうとした。
結果、不良たちは長期刑に処されます。
男亡き後、遺言状には、「我が友、タオにグラン・トリノ譲る」と書かれていました。
事件が起こるのは、タオの家が襲撃されてからで、それはもう物語の中ではかなり終盤にさしかかってからです。
尺を取って描かれているのは、男がいかに偏屈であるか。タオとスーとの関わり方。情けない少年だったタオが、胸を張って一人の男に「自分がしてやろう」という男の行動。
今まで自分が歩んできた数十年の間に積み重ねてきたもの。室内の無数の工具。口の減らない友人。磨かれたグラン・トリノと芝生。世界で最も美しい妻。そんな男の人生(生活に根ざした)が、暴力シーンでも、ざんげでもなく、多く描かれているのが、この映画の本質なのでしょう。
特に上手かったのは会話の妙ですね。
日常会話もウィットに富んでいて(元々向こうの会話は、口を開けば小粋なジョーク(笑)みたいな表現が似合いますが)、大笑いはせずとも、にやりとさせられるシーンはいっぱいあります。
男が何らかの決意を固めて、あれほど避けていたざんげに来た際も「昔妻がいるのにキスをした」とか「ボートを売ったけど税金を申告していない」とか言ってしまい、真相を知る神父が「それだけ? ならとりあえず祈っとけ」みたいな感じで、とっととざんげを終わらせようとする様とか、シュールなんですが、互いの必死さと決意が伝わってきて、妙に笑えます。
神父は地味な役なんですが、男の罵詈雑言にもめげず、それでいて宗教臭くない肝っ玉の据わった27歳の新米童貞なので、見ていて入り込みやすかったです。
「あのクソ野郎どもを、どうする気です」
男の復讐を予感し、必死にそれを食い止めようとする様は、神父ではなく一人の人間として尊敬できます。
感想を書いている分にはいいんですが、実際のところは、「どうしてこう馬鹿な奴らが山ほどいるんだ! あんな奴全員埋めちまえ! どうして徒党を組んでブラザーでいきがって馬鹿じゃないのか脳みそおかくずか!」と、憤ったまま終わった感じでした。
だってまだティーンの女の子をですよ!? いとこがですよ!? 乱暴してレイプしてボコボコにしてって、それありえるわけ!? もう更生とかそんな問題じゃないだろう!?
あんな奴らはトレーラーで全員つぶしてやればいい、とそればかり思っている間に、映画は終わりました。
いえ、本来ならば、秀逸な日常描写を楽しむべきなんでしょうが、どうも怒りの沸点が低いものでつい。
知り合いは、最近自己犠牲による救済、みたいな映画を立て続けに見たらしく、それにはうんざり、そりゃ自分は死んで後のこと考えなくていいんだから気持ちいいかもしれないけどさあ、と若干この手のオチに飽食気味だったらしいのですが、この映画はあっさりそれが見られた、とのことでした。
何が違うのだろう、と考えてみたんですが、やはりこれは感動の物語ではないからではないかと。
男は別に感動するためにタオと付き合うわけでもないし、「自らの孤独を埋める」ためにモン族たちを守るわけではない。自分が気に入らないから、結果として不良どもをのしただけであって、その結果得られるものは自らの幸福であって、他人のためでもなんでもなかった。
最初から最後まで、ある種利己的な男が起こす行動が、利己的であるのは道理。
だから、そこには気持ちよさとか、お涙頂戴の感動ではなく(強く主張したいのはそんなことではなく)ただ、男が選んだ結果があるたけで、それに対して嫌な思いをするわけがない、ということなのかなあ、と思いました。
「あいつらがいる限り、タオは救われない」
タオのためであり、スーのためであるんですが、そこに至るまでの過程が、徹頭徹尾わがままな自分が選んだものだから、というあたりが、変に偽善ではなく、よかったのではないかと。
クリント・イーストウッドはこれで映画見納めらしいですが、いやあ、でも本当に年取りましたね。痩せているんですが、それでも歳を取ってたるんだ皮膚が太って見える姿は、なんだか、時代の流れを感じました。
ジョナサンのステーキ丼は予想外に美味しかったです。
とても美味でした。
いえ、これは映画を見終わった後の思い出なのですが、肝心の映画そのものはわりと普通の映画でした。
別につまらないとか、そんなことはなかったんですが、基本的にエキサイティングする映画ではないし、話の展開やそれこそキャラクターに関しては、ある種使い古された感があるので、感想にしろなんにしろ騒ぐような話ではありません。
うーん、クリント・イーストウッド映画と相性が悪いのかもしれませんね。悪い、というと大げさですが、あれだけ評判になった『ミリオンダラー・ベイビー』も個人的には、そこまで騒ぐほどの映画じゃない(ボクシングシーンと、戦う相手の迫力は最高だったけど)と思いましたし。
戦争の記憶が残るアメリカ。移民や人種差別発言をガンガンする、偏屈な壮年男性が、妻を失うところから物語は始まります。
あらゆることが気に入らず、人を見ては眉間にしわを寄せる男は、当然隣人であるモン族の移民も気に入りません。
かたくなな態度は家族にも現れ、男は孤独に生きています。
そんな中、ふとした折に、男の芝生でモン族の不良たちが争いを起こし、結果隣人を助けるはめになってしまいます。
その後、感謝の印だと、モン族の人間たちと親しくなっていく男。
ですが、男が大切にしている名車、グラン・トリノを隣人の少年、タオが不良グループに強制されて盗みに入ってしまいます。
結果失敗し、タオはつぐないのために、男と付き合うことになるのですが………。
というのが、非常にあっさりした大まかなあらすじ。
タオとその姉のスーを中心に、男は交流を深めていきます。
ただ、タオやスーを付けねらう、モン族の不良たちが、必死になって自立しようとしているタオにちょっかいを出し、それを黙らせた男の報復として、タオの家は銃撃を受け、そしてスーはレイプされてしまいます。
復讐に燃えるタオ。自らの行いを間違っていたのかと一人悩む男。
結果、男はタオを地下室に閉じ込め、一人で不良たちのいる場所へ向かいます。
「火をつけさせてくれ」
男が自らの懐に手を伸ばした時、いっせいに銃が火を噴き、不良たちの放った弾丸は男を撃ちぬきます。
転がる男の身体。取り出された手のひらにはいつも使っていたライターが握られていました。
男は、戦争の傷をひきずっています。殺すことはできますが、「命令ではなく自ら殺した」ことをずっと思いながら生きています。
そんな男が、余命いくばくもない自分の終末を、殺すことではなく、殺されることで、タオを生かそうとした。
結果、不良たちは長期刑に処されます。
男亡き後、遺言状には、「我が友、タオにグラン・トリノ譲る」と書かれていました。
事件が起こるのは、タオの家が襲撃されてからで、それはもう物語の中ではかなり終盤にさしかかってからです。
尺を取って描かれているのは、男がいかに偏屈であるか。タオとスーとの関わり方。情けない少年だったタオが、胸を張って一人の男に「自分がしてやろう」という男の行動。
今まで自分が歩んできた数十年の間に積み重ねてきたもの。室内の無数の工具。口の減らない友人。磨かれたグラン・トリノと芝生。世界で最も美しい妻。そんな男の人生(生活に根ざした)が、暴力シーンでも、ざんげでもなく、多く描かれているのが、この映画の本質なのでしょう。
特に上手かったのは会話の妙ですね。
日常会話もウィットに富んでいて(元々向こうの会話は、口を開けば小粋なジョーク(笑)みたいな表現が似合いますが)、大笑いはせずとも、にやりとさせられるシーンはいっぱいあります。
男が何らかの決意を固めて、あれほど避けていたざんげに来た際も「昔妻がいるのにキスをした」とか「ボートを売ったけど税金を申告していない」とか言ってしまい、真相を知る神父が「それだけ? ならとりあえず祈っとけ」みたいな感じで、とっととざんげを終わらせようとする様とか、シュールなんですが、互いの必死さと決意が伝わってきて、妙に笑えます。
神父は地味な役なんですが、男の罵詈雑言にもめげず、それでいて宗教臭くない肝っ玉の据わった27歳の新米童貞なので、見ていて入り込みやすかったです。
「あのクソ野郎どもを、どうする気です」
男の復讐を予感し、必死にそれを食い止めようとする様は、神父ではなく一人の人間として尊敬できます。
感想を書いている分にはいいんですが、実際のところは、「どうしてこう馬鹿な奴らが山ほどいるんだ! あんな奴全員埋めちまえ! どうして徒党を組んでブラザーでいきがって馬鹿じゃないのか脳みそおかくずか!」と、憤ったまま終わった感じでした。
だってまだティーンの女の子をですよ!? いとこがですよ!? 乱暴してレイプしてボコボコにしてって、それありえるわけ!? もう更生とかそんな問題じゃないだろう!?
あんな奴らはトレーラーで全員つぶしてやればいい、とそればかり思っている間に、映画は終わりました。
いえ、本来ならば、秀逸な日常描写を楽しむべきなんでしょうが、どうも怒りの沸点が低いものでつい。
知り合いは、最近自己犠牲による救済、みたいな映画を立て続けに見たらしく、それにはうんざり、そりゃ自分は死んで後のこと考えなくていいんだから気持ちいいかもしれないけどさあ、と若干この手のオチに飽食気味だったらしいのですが、この映画はあっさりそれが見られた、とのことでした。
何が違うのだろう、と考えてみたんですが、やはりこれは感動の物語ではないからではないかと。
男は別に感動するためにタオと付き合うわけでもないし、「自らの孤独を埋める」ためにモン族たちを守るわけではない。自分が気に入らないから、結果として不良どもをのしただけであって、その結果得られるものは自らの幸福であって、他人のためでもなんでもなかった。
最初から最後まで、ある種利己的な男が起こす行動が、利己的であるのは道理。
だから、そこには気持ちよさとか、お涙頂戴の感動ではなく(強く主張したいのはそんなことではなく)ただ、男が選んだ結果があるたけで、それに対して嫌な思いをするわけがない、ということなのかなあ、と思いました。
「あいつらがいる限り、タオは救われない」
タオのためであり、スーのためであるんですが、そこに至るまでの過程が、徹頭徹尾わがままな自分が選んだものだから、というあたりが、変に偽善ではなく、よかったのではないかと。
クリント・イーストウッドはこれで映画見納めらしいですが、いやあ、でも本当に年取りましたね。痩せているんですが、それでも歳を取ってたるんだ皮膚が太って見える姿は、なんだか、時代の流れを感じました。