「アフタースクール」公式サイト。
全く何の前知識もなく鑑賞。正直、こんな映画があることすら知りませんでした。
私「ライラのリベンジでナルニア見に行かないか」
知り合い「メインの王子がどうしても好感が持てそうにないから、アフタースクールにしないか」
そんな経緯がありました。知り合いはあの王子のハリのない声が駄目なんだそうです。
知り合い「でも、あの王子は二年間探した末に見つけた逸材らしいよ」
そんな彼を貴方は見る前から滅多切りにしたわけですが。
さて、配役人も「大泉洋」と「佐々木蔵之介」と「堺雅人」ですよ。誰を見ていいものやら。
物語が「逆転に次ぐ逆転」なので、見ているほうも後半種明かしが始まるあたりから必死です。特に人の顔と名前が一致してなかったりすると大変だ。
別に人生に対して考え込むような内容ではなく、中学教師役の大泉が「あ、もじゃもじゃ」「もじゃもじゃって言うな!」「あ、なんで先生女の人と一緒にいるのー? なんでー?」「うるさい! あっち行けよもう」とか生徒にからかわれたり、素直な日常的な会話がカッコいいです。
かといって感動する場面がないわけではなく、ラスト近く、大泉が(反転)「学校にもいるんだよ。学校がつまんねえって、何もかもわかったような顔して。でもな、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんねえって思うのは、お前がつまらねえからだ」(反転終了)と、佐々木に言うシーンは静かにグっときました。
真面目で人情家の大泉もいいですし、ぼんやり真面目な堺も非常にキャラ立ってました。
人を助けて、急いで出発しなきゃいけないのに、中々エンジンをかけることができない大泉に「早くしなさいよ」と言ったときには、あまりにぴったりで倒れた。「早くしろよ」じゃなくて「しなさいよ」ってところが、あまりに彼らしい。
物語の中では、真面目でまっすぐでみたいな役柄で、ある人物に「何故助けようと思った」と問われた時の返事が素晴らしい。
「………助けて欲しいって」
「それで?」
「それで、いいよ、って」
私この台詞を聞いたとき、「脚本家の人はこの台詞が出てきたとき、やったぜ、と思ったんだろうなあ」と変なシンクロをしてしまいました。これを朴訥と言うんだから、カッコいいよなあ堺。
こういうのが「キャラ立ち」ですよね。本当に一言三言の台詞。物語としては別にあってもなくてもいい。謎に絡んでいるわけでもない。けれどこの台詞を語らせることにより、堺はもう完全に、作品の中での個性を確固たるものにした、と。こういうの、書いていて気持ちがいいだろうなあ。
大泉、堺、佐々木は物語の比重としては誰もおしなべて平等なのですが(これが珍しいことに)その中で、佐々木はちょっと立ち位置が違うだけあって、わりと救済がない感じです。救済がないというよりは、何も変わらなかったの「かな」という終わりなのですが、カッコいいのは勿論カッコいいぜ!(こういう紹介は映画としてなんら意味を成さないが)
ちょっと派手で、安っぽいカッコした佐々木さんが、カフェで足組んでる姿なんて、もうよだれ物ですよ。あの人は、顔以外の体系もちょっと卑怯だ。
話の内容も、話しちゃったら何一つ面白くないので割愛しますが、どんでんがえし物にありがちな
主役「実はあの子は俺の双子の妹なんだ!」
見てる側「お前そんな唐突な!」
みたいなオチは一つもないので安心してびっくりできます。似たようなオチはあっても、ちゃんとその前に細かな複線が小道具や、台詞取り混ぜてちりばめられているので、万が一「双子の妹」が出てきたとしても、唐突になんだよとは思いません。
映画館で映画を見る楽しみとして、予告編と(私は映画が始まる前の予告編が大好きです。あれ、三十分流れっぱなしでも全く構わない)劇場にある大きなポスターがあります。
エレベーターを降りた途端に、並ぶ「インディ・ジョーンズ」のポスター。
知り合い「ハリソン・フォードが出てるっていうだけで、若干卑怯だよね」
私「全くだ」
という話をしながらも、来月見るのはこれではあるまいという話もしつつ、「ナルニア」の油彩風のポスターを見て、これはなかなかいいといいつつ、二人一致で魂を抜かれたポスターが、こちら。
ジョーカーのかっこよさに魂を抜かれました。ジョーカーはバットマンの映画史上、最高の悪役です。あの一作目のジョーカーの最後はトラウマになるほどしびれるよなあ。
このポスター、映画館での大きいサイズを目の当たりにすると、迫力が半端じゃないです。他のポスターとは明らかに企画からしてして違う。これ、公式サイトができたら壁紙としてDLできるといいなあ。
私「でもこれを鑑賞しようって思うの、結構賭けだよね」
知り合い「多分ね」
多分、来月見るのは、「ザ・マジックアワー」になると思います。私は佐藤浩市も唐沢寿明も大好きだ! テンション上がるわ!
………でも私、ナルニアも地味に見たいです、知り合いよ。
全く何の前知識もなく鑑賞。正直、こんな映画があることすら知りませんでした。
私「ライラのリベンジでナルニア見に行かないか」
知り合い「メインの王子がどうしても好感が持てそうにないから、アフタースクールにしないか」
そんな経緯がありました。知り合いはあの王子のハリのない声が駄目なんだそうです。
知り合い「でも、あの王子は二年間探した末に見つけた逸材らしいよ」
そんな彼を貴方は見る前から滅多切りにしたわけですが。
さて、配役人も「大泉洋」と「佐々木蔵之介」と「堺雅人」ですよ。誰を見ていいものやら。
物語が「逆転に次ぐ逆転」なので、見ているほうも後半種明かしが始まるあたりから必死です。特に人の顔と名前が一致してなかったりすると大変だ。
別に人生に対して考え込むような内容ではなく、中学教師役の大泉が「あ、もじゃもじゃ」「もじゃもじゃって言うな!」「あ、なんで先生女の人と一緒にいるのー? なんでー?」「うるさい! あっち行けよもう」とか生徒にからかわれたり、素直な日常的な会話がカッコいいです。
かといって感動する場面がないわけではなく、ラスト近く、大泉が(反転)「学校にもいるんだよ。学校がつまんねえって、何もかもわかったような顔して。でもな、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんねえって思うのは、お前がつまらねえからだ」(反転終了)と、佐々木に言うシーンは静かにグっときました。
真面目で人情家の大泉もいいですし、ぼんやり真面目な堺も非常にキャラ立ってました。
人を助けて、急いで出発しなきゃいけないのに、中々エンジンをかけることができない大泉に「早くしなさいよ」と言ったときには、あまりにぴったりで倒れた。「早くしろよ」じゃなくて「しなさいよ」ってところが、あまりに彼らしい。
物語の中では、真面目でまっすぐでみたいな役柄で、ある人物に「何故助けようと思った」と問われた時の返事が素晴らしい。
「………助けて欲しいって」
「それで?」
「それで、いいよ、って」
私この台詞を聞いたとき、「脚本家の人はこの台詞が出てきたとき、やったぜ、と思ったんだろうなあ」と変なシンクロをしてしまいました。これを朴訥と言うんだから、カッコいいよなあ堺。
こういうのが「キャラ立ち」ですよね。本当に一言三言の台詞。物語としては別にあってもなくてもいい。謎に絡んでいるわけでもない。けれどこの台詞を語らせることにより、堺はもう完全に、作品の中での個性を確固たるものにした、と。こういうの、書いていて気持ちがいいだろうなあ。
大泉、堺、佐々木は物語の比重としては誰もおしなべて平等なのですが(これが珍しいことに)その中で、佐々木はちょっと立ち位置が違うだけあって、わりと救済がない感じです。救済がないというよりは、何も変わらなかったの「かな」という終わりなのですが、カッコいいのは勿論カッコいいぜ!(こういう紹介は映画としてなんら意味を成さないが)
ちょっと派手で、安っぽいカッコした佐々木さんが、カフェで足組んでる姿なんて、もうよだれ物ですよ。あの人は、顔以外の体系もちょっと卑怯だ。
話の内容も、話しちゃったら何一つ面白くないので割愛しますが、どんでんがえし物にありがちな
主役「実はあの子は俺の双子の妹なんだ!」
見てる側「お前そんな唐突な!」
みたいなオチは一つもないので安心してびっくりできます。似たようなオチはあっても、ちゃんとその前に細かな複線が小道具や、台詞取り混ぜてちりばめられているので、万が一「双子の妹」が出てきたとしても、唐突になんだよとは思いません。
映画館で映画を見る楽しみとして、予告編と(私は映画が始まる前の予告編が大好きです。あれ、三十分流れっぱなしでも全く構わない)劇場にある大きなポスターがあります。
エレベーターを降りた途端に、並ぶ「インディ・ジョーンズ」のポスター。
知り合い「ハリソン・フォードが出てるっていうだけで、若干卑怯だよね」
私「全くだ」
という話をしながらも、来月見るのはこれではあるまいという話もしつつ、「ナルニア」の油彩風のポスターを見て、これはなかなかいいといいつつ、二人一致で魂を抜かれたポスターが、こちら。
ジョーカーのかっこよさに魂を抜かれました。ジョーカーはバットマンの映画史上、最高の悪役です。あの一作目のジョーカーの最後はトラウマになるほどしびれるよなあ。
このポスター、映画館での大きいサイズを目の当たりにすると、迫力が半端じゃないです。他のポスターとは明らかに企画からしてして違う。これ、公式サイトができたら壁紙としてDLできるといいなあ。
私「でもこれを鑑賞しようって思うの、結構賭けだよね」
知り合い「多分ね」
多分、来月見るのは、「ザ・マジックアワー」になると思います。私は佐藤浩市も唐沢寿明も大好きだ! テンション上がるわ!
………でも私、ナルニアも地味に見たいです、知り合いよ。
PR