『バンド・ワゴン』
桂歌丸………もとい、フレッド・アステア祭り。私的ブームのときに予約リストに入れても、順番どおりに発送してくれるわけではないので、忘れた頃にやってくるのが困りものです。
フレッド・アステアだけが注目されるのではなく、むしろ約を固める俳優陣の個性が光るのが、アステア映画として中々珍しくて面白かったです。
奇抜なプロデューサーに、親友の作家夫婦。相手役のバレリーナ、シド・チャリシーと、それぞれキャラクターが立っていて、見ごたえがあります。
映画としては、落ち目のトップスターがミュージカルの舞台を成功させるまでの、軽く楽しめる物語で、舞台での歌と踊り、現実世界での歌と踊り、それぞれにメリハリがあります。
特に、『ザッツ・エンターテイメント』は、この映画で使われていた曲だったとは知りませんでした。それくらい有名。
しかし、昔の映画は本当に倒れそうになる台詞を平気で言いますね。
これは、ミュージカル劇中での台詞なんですが、危険な香りがする女性に誘惑されたときに、
「この女は危険だ。信用ならない。だが、俺の好みだ」
なんて、お前どのツラ下げて………!
いちいち行っている台詞がおしゃれなので、こっちもちょっとやそっとじゃ驚かない耐性がついても、中々効いてくる台詞でした。いいなあ、こういうの、ただのおっさんが言ってるのかと思うと。
シド・チャリシーがきれいなのは勿論なんですが、作家奥さんのファニーな可愛さも捨てがたい。作家旦那のオスカー・レヴァントも、外見はただの小太りオヤジなんですが、歌いだすとどんだけいい声なのかと。
テンションの高いプロデューサー、ジャック・ブッキャナンも恰幅が良くてカッコイイし、普通に俳優陣が素敵、という見方のできる良作でした。
『幸せのレシピ』
ケツアゴ………もとい、アーロン・エッカート祭り。こちらは今現在旬ですね。
しかし、アーロン・エッカートかっけえな! 勿論好みだったから連続して見続けているんですが、この映画のアーロンのカッコよさは伊達じゃなかった。
アーロン演じる陽気なシェフの着こなしがちょっとアウトドア系(乗っている車も4WDのトラック?)だったり、それなのに持ってるデッキが小さなラジカセ(どう考えても古いタイプ)だったりするのも可愛いし。
顔がわりとゴツくて、顎がしっかりしているんだけど、それほど体がゴツく見えないのも、なんだか好みでした。
あと、仕事場とプライベートの髪型の微妙な差。かっちり固めているわけではなく、厨房でも無造作ナチュラルヘアーなんですが、プライベートだと、その髪の毛がぺったりしていて、ああ、いかにも寝起きなんだなあ、というか、お出かけ仕様じゃないんだなあ、ジェルとかワックスとかつけてないんだなあ(いえ、勿論つけてるんでしょうが)というオンオフの細かな差がカッコよくて参りました。
話の内容としては、仕事一筋の女性シェフが、突然姪を引き取ることになり、上手くいかないながらも、これも突然職場に現れたスー・シェフ(副料理長)に振り回されながらも、恋に仕事にと、生き方を考えていく、というような見やすい映画です。
ただ、私は結婚もしていないし、子供もいないので、どうしても突然引き取られる子供ではなく、突然己の生活に入り込まれて子供に気を遣って自分が悪いわけでもないのに大人だから謝らなければならない主人公に感情移入してしまい、駄目な大人だなあと自分自身を省みてへこんだりしてしまいました。
子供が嫌いとか、そんなことは全くないんですが、それと「自分の生活を犠牲にする」というのは、別問題だと思うんですよね。愛情のあるなしではなく。
肉親とか、血のつながり関係なく、大人が子供を、親が子供のために自分の人生をかける、というのは、並大抵のことじゃないと思っているので、子供が子供らしい主張をするたびに、のりきれない何かがありました。その主張を、主人公である女シェフ、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ )が必死になって叶えようとするのが、そちらに感情移入している側として、凄く切なくなるというか。
まあ、重い映画ではないので、女性の生き方、それに関わってくる男性をカッコイイ、と思えれはそれでいいと思います。
ケイトが目隠しをして、ニック(アーロン・エッカート)がソースを食べさせて、レシピを当てるという行動を、夜に明かり一つの下でやってる、ってそれどんなプレイ。
なんじゃこのエロいプレイ! と思ったんですが、その後、ニックが朝、姪と一緒にパンケーキを焼き、おはようのキスをケイトにしようとするんですね。
ケイトが「姪が見てるから」と言うと、くるっと首を姪に回して、「今から君の叔母さんにキスするよ」と、宣言して、キスですよ。お、お、お、お前、肉食ってる奴らは凄すぎる! とわけのわからないことを思いました。
いいなあ、私もアーロン・エッカートにそんなこと言われたいよ。(英語 もわからないくせに)
最終的に、ケイトは自分が積み上げてきた人生である、厨房に、ニックが徐々に入り込み、チーフにオーナーがさせようとしていることがどうしても認められず、ニックは出て行ってしまいます。
「この厨房は、私の努力の結晶なの。私の人生そのものなのよ」
というケイトに対し、
「いいや、これは君の人生のほんの一部だ」
とニックは言って出て行くんですが、これは、なんていうかな、交わらない人生の考え方ですよね。
この台詞、正直感銘を受けたわけではなく、お互いに分かり合えない部分というものは、絶対に存在するんだな、という確認のように思えました。
仕事に限った話ではなく、自分にとって、他人がどう滑稽に思おうと、譲れない何かがある、というだけの話であって、それに対してどんなに説得しようとしても、それは、理解できるはずもない話なんですよ。自分のために行っている、他人に認めてもらおうと、はなからしていないことなので。
確かに、仕事は人生のほんの一部かもしれない。けれど、ほんの一部ではない人もいるという、初めからベクトルの違う主張なんです。
この台詞で、ニックに嫌悪感を抱いたわけでも、その台詞について考えるケイトに煮え切らなさを感じたわけでもなく、逆に、全く考え方が違うもの同士は、所詮わかりあえないけれど、その部分だけわかりあえなくても一緒にいられるんだな、ということでした。
ニックも男の甲斐性バリバリで、凄い包容力のある男というわけではなく、ケイトの行動に腹も立てるし、「自分の店を持とうとしないなんて無責任で気楽な生き方だ」といわれて、逆に自分の考え方を変えるくらいの、ごく普通の男の人なんですが、それでも、喧嘩別れしたあと、姪が行方不明になったと、パニックで連絡してきたケイトの側に、すぐに飛んできて一緒に探しながら「大丈夫、必ず見つかる」と懸命に慰める姿は、男前の面目躍如だと思いました。
相手の女に未練があるとかじゃなく、頼ってきた人間に自分の力を惜しげもなく貸せる、というのは、人間として非常にかっこいいですよね。これ、現実では殆どないと思うので。
桂歌丸………もとい、フレッド・アステア祭り。私的ブームのときに予約リストに入れても、順番どおりに発送してくれるわけではないので、忘れた頃にやってくるのが困りものです。
フレッド・アステアだけが注目されるのではなく、むしろ約を固める俳優陣の個性が光るのが、アステア映画として中々珍しくて面白かったです。
奇抜なプロデューサーに、親友の作家夫婦。相手役のバレリーナ、シド・チャリシーと、それぞれキャラクターが立っていて、見ごたえがあります。
映画としては、落ち目のトップスターがミュージカルの舞台を成功させるまでの、軽く楽しめる物語で、舞台での歌と踊り、現実世界での歌と踊り、それぞれにメリハリがあります。
特に、『ザッツ・エンターテイメント』は、この映画で使われていた曲だったとは知りませんでした。それくらい有名。
しかし、昔の映画は本当に倒れそうになる台詞を平気で言いますね。
これは、ミュージカル劇中での台詞なんですが、危険な香りがする女性に誘惑されたときに、
「この女は危険だ。信用ならない。だが、俺の好みだ」
なんて、お前どのツラ下げて………!
いちいち行っている台詞がおしゃれなので、こっちもちょっとやそっとじゃ驚かない耐性がついても、中々効いてくる台詞でした。いいなあ、こういうの、ただのおっさんが言ってるのかと思うと。
シド・チャリシーがきれいなのは勿論なんですが、作家奥さんのファニーな可愛さも捨てがたい。作家旦那のオスカー・レヴァントも、外見はただの小太りオヤジなんですが、歌いだすとどんだけいい声なのかと。
テンションの高いプロデューサー、ジャック・ブッキャナンも恰幅が良くてカッコイイし、普通に俳優陣が素敵、という見方のできる良作でした。
『幸せのレシピ』
ケツアゴ………もとい、アーロン・エッカート祭り。こちらは今現在旬ですね。
しかし、アーロン・エッカートかっけえな! 勿論好みだったから連続して見続けているんですが、この映画のアーロンのカッコよさは伊達じゃなかった。
アーロン演じる陽気なシェフの着こなしがちょっとアウトドア系(乗っている車も4WDのトラック?)だったり、それなのに持ってるデッキが小さなラジカセ(どう考えても古いタイプ)だったりするのも可愛いし。
顔がわりとゴツくて、顎がしっかりしているんだけど、それほど体がゴツく見えないのも、なんだか好みでした。
あと、仕事場とプライベートの髪型の微妙な差。かっちり固めているわけではなく、厨房でも無造作ナチュラルヘアーなんですが、プライベートだと、その髪の毛がぺったりしていて、ああ、いかにも寝起きなんだなあ、というか、お出かけ仕様じゃないんだなあ、ジェルとかワックスとかつけてないんだなあ(いえ、勿論つけてるんでしょうが)というオンオフの細かな差がカッコよくて参りました。
話の内容としては、仕事一筋の女性シェフが、突然姪を引き取ることになり、上手くいかないながらも、これも突然職場に現れたスー・シェフ(副料理長)に振り回されながらも、恋に仕事にと、生き方を考えていく、というような見やすい映画です。
ただ、私は結婚もしていないし、子供もいないので、どうしても突然引き取られる子供ではなく、突然己の生活に入り込まれて子供に気を遣って自分が悪いわけでもないのに大人だから謝らなければならない主人公に感情移入してしまい、駄目な大人だなあと自分自身を省みてへこんだりしてしまいました。
子供が嫌いとか、そんなことは全くないんですが、それと「自分の生活を犠牲にする」というのは、別問題だと思うんですよね。愛情のあるなしではなく。
肉親とか、血のつながり関係なく、大人が子供を、親が子供のために自分の人生をかける、というのは、並大抵のことじゃないと思っているので、子供が子供らしい主張をするたびに、のりきれない何かがありました。その主張を、主人公である女シェフ、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ )が必死になって叶えようとするのが、そちらに感情移入している側として、凄く切なくなるというか。
まあ、重い映画ではないので、女性の生き方、それに関わってくる男性をカッコイイ、と思えれはそれでいいと思います。
ケイトが目隠しをして、ニック(アーロン・エッカート)がソースを食べさせて、レシピを当てるという行動を、夜に明かり一つの下でやってる、ってそれどんなプレイ。
なんじゃこのエロいプレイ! と思ったんですが、その後、ニックが朝、姪と一緒にパンケーキを焼き、おはようのキスをケイトにしようとするんですね。
ケイトが「姪が見てるから」と言うと、くるっと首を姪に回して、「今から君の叔母さんにキスするよ」と、宣言して、キスですよ。お、お、お、お前、肉食ってる奴らは凄すぎる! とわけのわからないことを思いました。
いいなあ、私もアーロン・エッカートにそんなこと言われたいよ。(英語 もわからないくせに)
最終的に、ケイトは自分が積み上げてきた人生である、厨房に、ニックが徐々に入り込み、チーフにオーナーがさせようとしていることがどうしても認められず、ニックは出て行ってしまいます。
「この厨房は、私の努力の結晶なの。私の人生そのものなのよ」
というケイトに対し、
「いいや、これは君の人生のほんの一部だ」
とニックは言って出て行くんですが、これは、なんていうかな、交わらない人生の考え方ですよね。
この台詞、正直感銘を受けたわけではなく、お互いに分かり合えない部分というものは、絶対に存在するんだな、という確認のように思えました。
仕事に限った話ではなく、自分にとって、他人がどう滑稽に思おうと、譲れない何かがある、というだけの話であって、それに対してどんなに説得しようとしても、それは、理解できるはずもない話なんですよ。自分のために行っている、他人に認めてもらおうと、はなからしていないことなので。
確かに、仕事は人生のほんの一部かもしれない。けれど、ほんの一部ではない人もいるという、初めからベクトルの違う主張なんです。
この台詞で、ニックに嫌悪感を抱いたわけでも、その台詞について考えるケイトに煮え切らなさを感じたわけでもなく、逆に、全く考え方が違うもの同士は、所詮わかりあえないけれど、その部分だけわかりあえなくても一緒にいられるんだな、ということでした。
ニックも男の甲斐性バリバリで、凄い包容力のある男というわけではなく、ケイトの行動に腹も立てるし、「自分の店を持とうとしないなんて無責任で気楽な生き方だ」といわれて、逆に自分の考え方を変えるくらいの、ごく普通の男の人なんですが、それでも、喧嘩別れしたあと、姪が行方不明になったと、パニックで連絡してきたケイトの側に、すぐに飛んできて一緒に探しながら「大丈夫、必ず見つかる」と懸命に慰める姿は、男前の面目躍如だと思いました。
相手の女に未練があるとかじゃなく、頼ってきた人間に自分の力を惜しげもなく貸せる、というのは、人間として非常にかっこいいですよね。これ、現実では殆どないと思うので。
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