はまれば探すニコニコ紹介(そうして気がつくとあっという間に5時間くらい過ぎている)。
私はこの歌を聴いたとき、次にカラオケで歌おうと誓いました。個人的にはダークライはロマンチックな歌であわせてもらいたいところなんですが(あまりに怖い)、この歌詞は熱いなあ! さすがネクサスだぜ!
ただでさえアヌビスの神曲なのに、相乗効果で物凄い涙腺破壊。
私はこのMADを見て、ツタヤで映画一式レンタルリストにいれてしまいました。
本家よりもよほど面白そうに見える件。
実際、海賊3は個人的に微妙なできでしたので、どうせ見るなら、山寺ボイスを堪能できるこちらを見たいと思います。
タケシがあまりに可愛すぎる件。
既に彼らが公式カップリングだとは知りませんでした。
タケシの過去があまりに壮絶すぎる件。
お前、齢15にして、どこまで………!
コメントの「大人にならなくちゃいけなかったんだ」に、真剣に涙ぐんだ涙腺の弱い年寄りがここに。
しかし、タケシは本当に男前だな! こんなかっこいい線目そういないよ!!(目だけですか)
私の二次創作ではなく、創作は、ほぼ確実に他人からのイマジネーションの供給で燃え上がることが多いです。
自然の造形美とか、人生で味わったこと、とかではなく、それこそニコニコで見つけたMADとか、直球でダークライがあまりにカッコよかったから、とか、そこから想像力が暴発します。
暴発すると、じっとしてはいられないので、部屋をぐるぐる回るということはないですが、椅子に座ったかと思うと、ベッドに横になって見たり、小走りでトイレに行ってみたり、冷蔵庫のお茶を意味なく飲んでみたりと、とにかく脳内にとめどなくあふれてくる映像をつなげて形にしようとか、オチをつけようとか、面白くするにはどうしたらいいかとか、ごちゃごちゃをまとめるのに必死になります。
その過程はとんでもなく楽しいものなんですが、惜しむらくは私は絵が描けないので、その浮かんできた映像を映像で表すことができないのです。
何で文章が浮かばないのかはよくわかりません。一回も浮かんだことがないので。文章を書き始めれば文字を書けますが、自分の脳内に浮かんでいるのは間違いなく映像なので。
多分、接してきた文化が、アニメや漫画の比重が多かったからでしょうね。
例えば、ダークライがアリスと並んで歩いている想像が、脳内で広がったとしましょう。
文字では、上のような短い文章ですみますが、大体私の脳内では、そのアニメが繰り広げられます(実写からの妄想であれば、実写が)。
そうなると、完璧にアニメ完成品、もしくは絵コンテのような状態が延々流れているのです。
1・ダークライの顔のアップ。
2・アリスの顔のアップ。
3・遠くから二人が並んでいる図。
4・景色が足元から流れている図。
5・周囲の雑踏。
とか、既にこの時点ではまだ歩いているところまでたどりつけていないわけですが、想像というか映像ではほんの一瞬なわけです。
そんな、アニメとしての一作品のように、自分の脳内に、ダダ漏れする映像を押さえつけるのが大変、と申しましょうか。勿論、構図だって商業作品レベルに色々浮かびますよ。
大体私の創作妄想は、こんな感じで始まります。
別にダークライに惚れたからといって、「そういう話」の妄想が出てくるというわけでもなく、例えば、外見だけ黒っぽいとか、それだけ踏まえた内容だったり、逆にその作品で私が感じたで「あろう」妄想、「こうだったらいいよな」的な逆説的なものであったりと、結構色々ですが、ともかく第三者の作った作品に付随して、己の映像が広がることが殆どです。
大体その妄想は、断片から始まるんですが、私は断片を短くとも一つの話しとしてきちんとオチをつけたいので、自分の脳内で「萌えるシチュエーション」を初めに妄想したのなら、その前後も補完します。
これも100%映像です。
というか、「こうだったらいいなあ」という自分の「感情」そのものは妄想の映像内では一切入り込まないですし、一つの物語としての完成を優先します。
本当に、文章で出てきたことなんてただの一度もないですね。
さっきのダークライでいうと、
緑や青に光る瞳が、ちらりと動く。
きらきらと太陽を反射して、大きな瞳にいっぱいの黒い影が広がる。
季節は春。街角には花があふれ、つい先日の惨劇が嘘だったかのように、人々はにぎわう。
石畳まで暖かい日差しを浴びて、二人の足音をやわらかくさせた。
お互いに何か言わねばと思っても、周囲の雑踏にまぎれ、上手く切り出せない。
とか、まあシチュエーションを文章にしてみるとこんな感じでしょうか。
ですが、こういう文章は脳内に一切浮かびません。
映像が浮かぶ。どんどん映像が浮かぶ。ガンガン映像が浮かぶ。それをどうやって上手くつなげたらより魅力的になるか。どんな台詞を言えばいいか。その時どんな表情をしているか。これらが、とにかく脈絡なく浮かぶわけです。
………本当に、自分に絵の才能があったらなあ、といつも思います。
まあ才能がない上に、努力を怠っている人間が言う台詞じゃないですね。プロの方に対して失礼です。
ただ、映像がまずありきで浮かぶ妄想を、どのように形にするのかも自分の手腕なわけですから、それはそれで楽しんでやりたいと思います。
映画でも、テレビでも、漫画でも、アニメでも、本当に自分の創作のために必要な泉っていうのは、何処にでも転がっているし、あらゆることに触れておきなさい、っていうのはあながち間違いじゃないんだなあ。
ただ、私が感銘を受ける泉は常に局地的ですが。
ともかく今は、ダークライから生まれた妄想に、オチをつけるのに必死です。
だから、こう奴らは出会ってだな、こういうエピソードがあって、それでこう敵が出てきて、それでさらわれたりして、最終的にはこういうオチで最後の決め台詞はこれだな!(可哀想な人にも見えます)
私はこの歌を聴いたとき、次にカラオケで歌おうと誓いました。個人的にはダークライはロマンチックな歌であわせてもらいたいところなんですが(あまりに怖い)、この歌詞は熱いなあ! さすがネクサスだぜ!
ただでさえアヌビスの神曲なのに、相乗効果で物凄い涙腺破壊。
私はこのMADを見て、ツタヤで映画一式レンタルリストにいれてしまいました。
本家よりもよほど面白そうに見える件。
実際、海賊3は個人的に微妙なできでしたので、どうせ見るなら、山寺ボイスを堪能できるこちらを見たいと思います。
タケシがあまりに可愛すぎる件。
既に彼らが公式カップリングだとは知りませんでした。
タケシの過去があまりに壮絶すぎる件。
お前、齢15にして、どこまで………!
コメントの「大人にならなくちゃいけなかったんだ」に、真剣に涙ぐんだ涙腺の弱い年寄りがここに。
しかし、タケシは本当に男前だな! こんなかっこいい線目そういないよ!!(目だけですか)
私の二次創作ではなく、創作は、ほぼ確実に他人からのイマジネーションの供給で燃え上がることが多いです。
自然の造形美とか、人生で味わったこと、とかではなく、それこそニコニコで見つけたMADとか、直球でダークライがあまりにカッコよかったから、とか、そこから想像力が暴発します。
暴発すると、じっとしてはいられないので、部屋をぐるぐる回るということはないですが、椅子に座ったかと思うと、ベッドに横になって見たり、小走りでトイレに行ってみたり、冷蔵庫のお茶を意味なく飲んでみたりと、とにかく脳内にとめどなくあふれてくる映像をつなげて形にしようとか、オチをつけようとか、面白くするにはどうしたらいいかとか、ごちゃごちゃをまとめるのに必死になります。
その過程はとんでもなく楽しいものなんですが、惜しむらくは私は絵が描けないので、その浮かんできた映像を映像で表すことができないのです。
何で文章が浮かばないのかはよくわかりません。一回も浮かんだことがないので。文章を書き始めれば文字を書けますが、自分の脳内に浮かんでいるのは間違いなく映像なので。
多分、接してきた文化が、アニメや漫画の比重が多かったからでしょうね。
例えば、ダークライがアリスと並んで歩いている想像が、脳内で広がったとしましょう。
文字では、上のような短い文章ですみますが、大体私の脳内では、そのアニメが繰り広げられます(実写からの妄想であれば、実写が)。
そうなると、完璧にアニメ完成品、もしくは絵コンテのような状態が延々流れているのです。
1・ダークライの顔のアップ。
2・アリスの顔のアップ。
3・遠くから二人が並んでいる図。
4・景色が足元から流れている図。
5・周囲の雑踏。
とか、既にこの時点ではまだ歩いているところまでたどりつけていないわけですが、想像というか映像ではほんの一瞬なわけです。
そんな、アニメとしての一作品のように、自分の脳内に、ダダ漏れする映像を押さえつけるのが大変、と申しましょうか。勿論、構図だって商業作品レベルに色々浮かびますよ。
大体私の創作妄想は、こんな感じで始まります。
別にダークライに惚れたからといって、「そういう話」の妄想が出てくるというわけでもなく、例えば、外見だけ黒っぽいとか、それだけ踏まえた内容だったり、逆にその作品で私が感じたで「あろう」妄想、「こうだったらいいよな」的な逆説的なものであったりと、結構色々ですが、ともかく第三者の作った作品に付随して、己の映像が広がることが殆どです。
大体その妄想は、断片から始まるんですが、私は断片を短くとも一つの話しとしてきちんとオチをつけたいので、自分の脳内で「萌えるシチュエーション」を初めに妄想したのなら、その前後も補完します。
これも100%映像です。
というか、「こうだったらいいなあ」という自分の「感情」そのものは妄想の映像内では一切入り込まないですし、一つの物語としての完成を優先します。
本当に、文章で出てきたことなんてただの一度もないですね。
さっきのダークライでいうと、
緑や青に光る瞳が、ちらりと動く。
きらきらと太陽を反射して、大きな瞳にいっぱいの黒い影が広がる。
季節は春。街角には花があふれ、つい先日の惨劇が嘘だったかのように、人々はにぎわう。
石畳まで暖かい日差しを浴びて、二人の足音をやわらかくさせた。
お互いに何か言わねばと思っても、周囲の雑踏にまぎれ、上手く切り出せない。
とか、まあシチュエーションを文章にしてみるとこんな感じでしょうか。
ですが、こういう文章は脳内に一切浮かびません。
映像が浮かぶ。どんどん映像が浮かぶ。ガンガン映像が浮かぶ。それをどうやって上手くつなげたらより魅力的になるか。どんな台詞を言えばいいか。その時どんな表情をしているか。これらが、とにかく脈絡なく浮かぶわけです。
………本当に、自分に絵の才能があったらなあ、といつも思います。
まあ才能がない上に、努力を怠っている人間が言う台詞じゃないですね。プロの方に対して失礼です。
ただ、映像がまずありきで浮かぶ妄想を、どのように形にするのかも自分の手腕なわけですから、それはそれで楽しんでやりたいと思います。
映画でも、テレビでも、漫画でも、アニメでも、本当に自分の創作のために必要な泉っていうのは、何処にでも転がっているし、あらゆることに触れておきなさい、っていうのはあながち間違いじゃないんだなあ。
ただ、私が感銘を受ける泉は常に局地的ですが。
ともかく今は、ダークライから生まれた妄想に、オチをつけるのに必死です。
だから、こう奴らは出会ってだな、こういうエピソードがあって、それでこう敵が出てきて、それでさらわれたりして、最終的にはこういうオチで最後の決め台詞はこれだな!(可哀想な人にも見えます)
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