というわけで、参加してまいりました。
わかったこと。
・日蓮宗だった。
・家紋が梅だった。
・坊主がやたらに偉そう。
・仕事関係者は食事が終わっても帰らない。
・親戚の半分以上は本当に誰が誰だかわからない。
・祖父の親戚は殆どいない。来ているのは祖母の親戚。
・通夜会場が実家だった。
・祖父の名前、何故入院して何故死んだのか。
ほぼ何もわかってない状態での参加だということがよくわかりました。
特に、日蓮宗の偉いお坊さんが、本当に偉そうで、ハイヤーで送り迎えで配置には文句を言うは、言葉遣いは横柄だわ、他人に荷物は持たせるわで、お前何様だよ。
「あー俺良かった。俺あの坊主関係ないもん」
と父まで言う始末。父は次男なので墓に入らないから、関係ないとのたまうのです。
死んだら、友人で住職をやっている人がいるので、そこに入るのか? と尋ねたところ、
「焼いて、撒け」
との返事が。
「そういうことは、口だけじゃなく紙に書いておいてよ」
と返す娘。凄い会話。
祖父は一代で商売を築き上げたので、通夜もそこでやってもらいたかったらしく、葬祭議場ではありませんでした。まあ気楽といえば気楽ですし、喪主とか頭を下げなきゃいけない人たちのほうが、お焼香の側にいるので、私なんか一番坊主に近い奥に座らされて、ただ座ってるだけ。
お焼香に人が来たかどうかも、まるで見えない位置に座り、お経と木魚と鐘の音を間近で聞きながら、ろうそくにあぶられてきました。日蓮宗の木魚って、堅いせんべいみたいな感じで、それそのものは面白かったです。
その後は、お棺ほったらかしで、何故か横の会場で会食。全く知らない親戚や、幼稚園の頃一緒のアパートだった、父親の友人で元同僚でほらナントカ君なんてわかりゃしないので、適当につまんで、あとは道路で涼んでました。
私のように、過ぎ去った人間関係は全く覚えていないタイプにとって、人が大勢集まる場所で、全員知らないならともかく、中途半端に向こうが覚えている場合は、対応が厳しいです。
「自分の代で作ったから、自分の代でつぶれていい」
という主義の祖父は、カッコイイったらそうなのかもしれませんが、私は本当に過去の幸せは今の自分を幸せにしてはくれない主義なので、特に涙も見せず通夜は終了しました。
もう、仕事関係から、商売をやっている場所がらみのお客さんから、凄い花輪と人でした。故人がよければそれでいいんですけど。
「明日は、あそこの寿司屋で食事回やるから。あそこ高いんだよ」
「へえ、お金あるんだね」
「使いたいんだろう」
相変わらず酷い父と娘の会話。
ちなみに、我々に金はありません。
喪服暑いわーと思った通夜でしたが、告別式はもっと暑かった。
すぐに焼き場に行くのかと思いきや、また偉そうな坊主が参上し、昨日と同じ手順を踏む。
(これはデジャヴだろうか)
そして、むやみやたらに立派なお棺に、親族で釘を打つのですが、これがえらい高いらしく、でかいし、重い。
嗚咽して号泣する長男の子供たち(孫)と、顔色一つ変えない次男の子供たち(私と弟)。
これも、思い入れの違いですな。
父方の祖父母は、長男の子供が可愛いと、隠しもしない人間だったので、私自身も正直感動も、悲しみもありません。号泣する従姉妹達を見て、微妙な気持ちになっただけで。
弟「………母方のおじいちゃんのお葬式だったら、僕も泣くかも」
うん、そうだね。
坊主のお経を聞きながら、焼き場へ。
うちの父親は体がデカイので、マイクロバスで焼き場に行くのは嫌だといい、自分の家の車で。そうなると、霊柩車(これがまた、昨今見ないくらいの立派な霊柩車だった)、長男関係、父の車と連なることになり、遺影はうちの車の助手席で持つことに。
父「しまったなあ。こんな連なって行くとは思わなかった。最後からついていくのかと思ってたのに。こんなだったら、洗車しとくんだった」
私「今更遅いよ」
道すがら、焼き場は混んでいるんだよ、というような会話をしながら向かいます。
冷静に考えると、人死には予定外にやってくるわけですから、それは順番待ちににもなりますよね。ほったらかすわけにはいかないんですから。でも母方の曽祖父のときは、随分時間がかかったような気がするんですが。
焼き場に到着し、お別れ。
坊主もお別れ。こいつ、本当に一体なんなの?
それまでなんとも思わなかったのですが、ずらりと並んだ鉄の扉に、電光掲示板の名前を見て、中に入っていく棺を見ると、人間を焼くんだなという、妙に生々しい気持ちになりました。
死に対してなにか思うのではなく、人間の肉体を焼く、というのは、やはりゾっとするものですね。逆に火によって清められるとか、宗教的な考え方を一切持たない私にとって、祖父がどうのではなく、肉を焼くんだ、という行動そのものに、感じる何かがありました。
待っている最中、同じテーブルのおばさんたちと談笑した挙句、親戚でもなんでもなく、近所の肉屋のおばさんであったことが最後に判明。もう、わからないという点では、お世話になった人も、親戚も同じだよ。
さて、骨になりましたので(どう言っていいのか)お箸で骨壷に納めます。
一番大きい骨壷で、骨も随分残ってました。
緑色に染まった骨があったらしいのですが、それは一緒に燃やす花の色が着色するんだそうです。へえー。
最後、パチンコが好きな人がパチンコの玉を入れるようなことを、本気でやったのでびっくりしました。
おじいちゃん………確かに好きだったけどもさ………。
焼かれる前は、泣きもありましたが、いざ骨になってみると、「数が多い」とか「ここは何処の骨なんだろうね」とか、全員すっかり観察気分なのが逆にシビアですね。
人は、人の形をとどめていないと、人ではないんだな。
その後、会食。
着いたはいいですが、人が多すぎて席が足りず、孫達は別室へ。
まあ、気楽で良かったです。
そこでやっと、同じように従姉妹も坊主ふざけるなよと思っていたことが判明し、故人の思い出を語りもせず、坊主の悪口に興じました。
いや、本当に酷いよあの住職。
控え室に文句言ったり、自分で「お布施は?」と言ってみたり、苗字の読み方間違えてみたり。
また四十九日にも出会わないといけないなんてがっかりです。
「とにかく、毎週合コンに出てた」
という従姉妹のアドバイスを聞いたり。
毎週合コンに出てた、一人暮らしをした方が結婚に対して積極的になる、とにかく出会ってみないと始まらない、などというアドバイスを受けたり。合コン………に行かないのではなく、合コンというイベントが存在しない私はどうすればいいのでしょう。
最終的にかかった金銭で、戒名代、120万円も払ったと知り、孫、義理の孫一同驚愕。
「そんななら、孫全員に20万ずつくれればいいのに!」
断っておきますが、私じゃないです、言ったの。
随分金のかかった葬式だったなあ。
あるところにはあるんだな、と、本当に人事のように思いました。 私も弟も本当にただのサラリーマンなので。社会のキワで働いてます。
電報も「代表取締役」とか「議員」とか「銀行役員」ばっかりだったり。家族しかいない、零細企業でも、会社ぐるみのお付き合いって、結構広いものなんですね。
後は八月に四十九日で、一応の区切りがつくのでしょうか。本当に暑くないといいですね。
ともかく疲れました。
二日間にわたり、一番多く言われた言葉は「お母さんそっくりね」でした。そんなの、今に始まったことじゃない。
わかったこと。
・日蓮宗だった。
・家紋が梅だった。
・坊主がやたらに偉そう。
・仕事関係者は食事が終わっても帰らない。
・親戚の半分以上は本当に誰が誰だかわからない。
・祖父の親戚は殆どいない。来ているのは祖母の親戚。
・通夜会場が実家だった。
・祖父の名前、何故入院して何故死んだのか。
ほぼ何もわかってない状態での参加だということがよくわかりました。
特に、日蓮宗の偉いお坊さんが、本当に偉そうで、ハイヤーで送り迎えで配置には文句を言うは、言葉遣いは横柄だわ、他人に荷物は持たせるわで、お前何様だよ。
「あー俺良かった。俺あの坊主関係ないもん」
と父まで言う始末。父は次男なので墓に入らないから、関係ないとのたまうのです。
死んだら、友人で住職をやっている人がいるので、そこに入るのか? と尋ねたところ、
「焼いて、撒け」
との返事が。
「そういうことは、口だけじゃなく紙に書いておいてよ」
と返す娘。凄い会話。
祖父は一代で商売を築き上げたので、通夜もそこでやってもらいたかったらしく、葬祭議場ではありませんでした。まあ気楽といえば気楽ですし、喪主とか頭を下げなきゃいけない人たちのほうが、お焼香の側にいるので、私なんか一番坊主に近い奥に座らされて、ただ座ってるだけ。
お焼香に人が来たかどうかも、まるで見えない位置に座り、お経と木魚と鐘の音を間近で聞きながら、ろうそくにあぶられてきました。日蓮宗の木魚って、堅いせんべいみたいな感じで、それそのものは面白かったです。
その後は、お棺ほったらかしで、何故か横の会場で会食。全く知らない親戚や、幼稚園の頃一緒のアパートだった、父親の友人で元同僚でほらナントカ君なんてわかりゃしないので、適当につまんで、あとは道路で涼んでました。
私のように、過ぎ去った人間関係は全く覚えていないタイプにとって、人が大勢集まる場所で、全員知らないならともかく、中途半端に向こうが覚えている場合は、対応が厳しいです。
「自分の代で作ったから、自分の代でつぶれていい」
という主義の祖父は、カッコイイったらそうなのかもしれませんが、私は本当に過去の幸せは今の自分を幸せにしてはくれない主義なので、特に涙も見せず通夜は終了しました。
もう、仕事関係から、商売をやっている場所がらみのお客さんから、凄い花輪と人でした。故人がよければそれでいいんですけど。
「明日は、あそこの寿司屋で食事回やるから。あそこ高いんだよ」
「へえ、お金あるんだね」
「使いたいんだろう」
相変わらず酷い父と娘の会話。
ちなみに、我々に金はありません。
喪服暑いわーと思った通夜でしたが、告別式はもっと暑かった。
すぐに焼き場に行くのかと思いきや、また偉そうな坊主が参上し、昨日と同じ手順を踏む。
(これはデジャヴだろうか)
そして、むやみやたらに立派なお棺に、親族で釘を打つのですが、これがえらい高いらしく、でかいし、重い。
嗚咽して号泣する長男の子供たち(孫)と、顔色一つ変えない次男の子供たち(私と弟)。
これも、思い入れの違いですな。
父方の祖父母は、長男の子供が可愛いと、隠しもしない人間だったので、私自身も正直感動も、悲しみもありません。号泣する従姉妹達を見て、微妙な気持ちになっただけで。
弟「………母方のおじいちゃんのお葬式だったら、僕も泣くかも」
うん、そうだね。
坊主のお経を聞きながら、焼き場へ。
うちの父親は体がデカイので、マイクロバスで焼き場に行くのは嫌だといい、自分の家の車で。そうなると、霊柩車(これがまた、昨今見ないくらいの立派な霊柩車だった)、長男関係、父の車と連なることになり、遺影はうちの車の助手席で持つことに。
父「しまったなあ。こんな連なって行くとは思わなかった。最後からついていくのかと思ってたのに。こんなだったら、洗車しとくんだった」
私「今更遅いよ」
道すがら、焼き場は混んでいるんだよ、というような会話をしながら向かいます。
冷静に考えると、人死には予定外にやってくるわけですから、それは順番待ちににもなりますよね。ほったらかすわけにはいかないんですから。でも母方の曽祖父のときは、随分時間がかかったような気がするんですが。
焼き場に到着し、お別れ。
坊主もお別れ。こいつ、本当に一体なんなの?
それまでなんとも思わなかったのですが、ずらりと並んだ鉄の扉に、電光掲示板の名前を見て、中に入っていく棺を見ると、人間を焼くんだなという、妙に生々しい気持ちになりました。
死に対してなにか思うのではなく、人間の肉体を焼く、というのは、やはりゾっとするものですね。逆に火によって清められるとか、宗教的な考え方を一切持たない私にとって、祖父がどうのではなく、肉を焼くんだ、という行動そのものに、感じる何かがありました。
待っている最中、同じテーブルのおばさんたちと談笑した挙句、親戚でもなんでもなく、近所の肉屋のおばさんであったことが最後に判明。もう、わからないという点では、お世話になった人も、親戚も同じだよ。
さて、骨になりましたので(どう言っていいのか)お箸で骨壷に納めます。
一番大きい骨壷で、骨も随分残ってました。
緑色に染まった骨があったらしいのですが、それは一緒に燃やす花の色が着色するんだそうです。へえー。
最後、パチンコが好きな人がパチンコの玉を入れるようなことを、本気でやったのでびっくりしました。
おじいちゃん………確かに好きだったけどもさ………。
焼かれる前は、泣きもありましたが、いざ骨になってみると、「数が多い」とか「ここは何処の骨なんだろうね」とか、全員すっかり観察気分なのが逆にシビアですね。
人は、人の形をとどめていないと、人ではないんだな。
その後、会食。
着いたはいいですが、人が多すぎて席が足りず、孫達は別室へ。
まあ、気楽で良かったです。
そこでやっと、同じように従姉妹も坊主ふざけるなよと思っていたことが判明し、故人の思い出を語りもせず、坊主の悪口に興じました。
いや、本当に酷いよあの住職。
控え室に文句言ったり、自分で「お布施は?」と言ってみたり、苗字の読み方間違えてみたり。
また四十九日にも出会わないといけないなんてがっかりです。
「とにかく、毎週合コンに出てた」
という従姉妹のアドバイスを聞いたり。
毎週合コンに出てた、一人暮らしをした方が結婚に対して積極的になる、とにかく出会ってみないと始まらない、などというアドバイスを受けたり。合コン………に行かないのではなく、合コンというイベントが存在しない私はどうすればいいのでしょう。
最終的にかかった金銭で、戒名代、120万円も払ったと知り、孫、義理の孫一同驚愕。
「そんななら、孫全員に20万ずつくれればいいのに!」
断っておきますが、私じゃないです、言ったの。
随分金のかかった葬式だったなあ。
あるところにはあるんだな、と、本当に人事のように思いました。 私も弟も本当にただのサラリーマンなので。社会のキワで働いてます。
電報も「代表取締役」とか「議員」とか「銀行役員」ばっかりだったり。家族しかいない、零細企業でも、会社ぐるみのお付き合いって、結構広いものなんですね。
後は八月に四十九日で、一応の区切りがつくのでしょうか。本当に暑くないといいですね。
ともかく疲れました。
二日間にわたり、一番多く言われた言葉は「お母さんそっくりね」でした。そんなの、今に始まったことじゃない。
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