以前から「更新雑記」ってなんだよとずっと思っていた(以前は更新履歴として使うつもりだった)のを、やっとただの「雑記 徒然」に修正しました。
だからなんだ、と自分でも思ったのですが、それなりにすっきりしました。こういうタイトルもセンスがあればどんだけいいか、といつも切なくなります。
『聖☆おにいさん 5巻』
漁師兄弟が男前過ぎるんですが、どうしたら。
この作者さんの描く美形は、ただカッコイイだけじゃなくて、漂うワイルドさと、服のセンスがあるので、本気で倒れそうになります。あのニット系のジャケットを着こなす冗談好きな兄弟に乾杯…!
個人的には、ブッダが描いた四コマ漫画のオチが羽化したっていう話が一番笑えました。
最近ツイッター流行ってますね。
というか、流行としてはもう下り坂なんでしょうか。よくわかりませんが。
今のところツイッターをやるつもりはまったくありません。結局日常で、例えば携帯で呟こうとか思うと、すべからく仕事の愚痴みたいになっちゃいそうですし。あと、病院先が勤め先ですから、基本的に携帯をいじるのって他の社会人に比べて圧倒的に少ないんですよ。休み時間だけみたいな。まあ、休み時間も飯食って三十分、残りの三十分はその場にいる人との雑談とかなると、携帯開かないことすらありますし。
そうなると、移動先で携帯をいじるってことがまず殆どない。
いざ帰宅すればパソコンがあるわけで、じゃあパソコンから文字を打とうとなると、私はあれだけの短い文章で面白さを表現できる自信がないので、書く側からするとツイッターの敷居が高いのです。
基本的に文章を打って某かを発信している場合は、面白さを常に念頭においている(笑いだけの話ではなく)ので、そうなるとあの細かさに面白さを凝縮するのって、中々難しいと思うんですよ。
たった一言呟くだけで、読んだ人、もしくは書いている自分自身に「面白い」と思わせるのって、至難の業です。
どれだけプライベートなことを書いても、己の内面を吐露しても、そこに「文章として」作成するって言うワンクッションを置くと、やはりそれが読んで面白いか、書いていて面白いか、っていうのが自分の中で一番重要になってくるわけです。ゆえに、脚色したり間引いたり、文章にした時点でプライベートは途端にフィクションになるわけですが。
そうなると、ツイッターって文章の推敲をしたりするのには、どうしても向いているとは思えず、自分の中で文章を書いた、っていう充実感に欠けるものがありそうなので、手が出しづらいんですよね。
逆にその短さを利用して、面白い文章が書ければそれが一番いいのですが、なかなか。
いざ使い始めれば違うのかもしれませんが、ツイッターというのはやはり、情報収集、またはコミュニケーションツールなんだと思います。「読むもの」として捉えている私の方がおかしいんだな。
当人が書いてすぐに満足が得られる、第三者の共感がすぐに見てわかる、っていう部分では凄くいいと思うんですけどね。
ブログもそうなのかもしれませんが、私は元々ブログにはコメントも、トラックバックもつけていないので、あれはただ文章を置く場所というだけの扱いにしているので、コミュニケーションの場としては全く機能しておりませんし。管理が面倒なので今後もブログにコメント欄等を設ける気はありませんが。
書く側ではなく、読む側からすると、短くても長くても、書き放ったものはより一方的になるので、「その時は楽しかったんだけど」という印象がが強くなってしまうような気がするんですよ。
「その時は楽しかった」っていう感情だけ伝わってくる文章よりも、その時は楽しかったけど、後で読んでも読み物として面白いというものを書くことに時間を割きたいし、そういうものを面白いなあと思いたいのです。
あと、どうしても、説明不足の文章が多くなっちゃうんですよね。
ほにゃららについて説明をこれから始める、って前提で始まると、その後ダーっと説明なしに単語の羅列になると、読んでいてちょっとよくわからない場面とかが出てきてしまうのですよ。
例えば、
・彼氏に振られました。
この前長年付き合った彼氏にふられました。もうなんだかわけがわかりません。いきなり別れを切り出されて泣いてしまいましたよ。
これが、
・彼氏に振られました。
・長年付き合ってきたのに。
・わけがわかりません。
・いきなり切り出されました。
・泣いてしまいました。
になるだけで、随分印象が違ってくるものですし。(しかも、ツイッターの画面としては、「何月何日何時」とか、そういう必然的に表示されるものも一回一回見る羽目になるわけで)。
これが、「一つの記事」として書かれていれば、同じ内容で、短い文章の箇条書きでも、混乱することもないんですが。
私はブックマークさせていただいているサイト様で、二次はほぼ100%イラストサイト様、あとは文章に惚れこんで閲覧させていただいているテキストサイト様なので、あまりツイッターが主流になってくると、ちょっと寂しいなあと思いました。
同じ短い一言でも、こうつぶやく、んじゃなくて、堂々と自分の土俵で面白い言葉として発信してもらいたいというか。(いや、使っている方にとっては、そのツイッターこそが既に母屋なんでしょうけど)せっかく面白い文字を選んで使うことが出来るのに、ただのつぶやきで終わらせるのは勿体無いというか。
読み手側の単なる希望なんですが。
わかりやすい共感とか、読む側もそれなりの修行が必要なのかもしれませんね。
まあ私が書き手側としてツイッターを使わない一番の理由は、使い方が全くわからないっていうただそれだけなんですが。
フォローがなんだかもわからないしねえ。
だからなんだ、と自分でも思ったのですが、それなりにすっきりしました。こういうタイトルもセンスがあればどんだけいいか、といつも切なくなります。
『聖☆おにいさん 5巻』
漁師兄弟が男前過ぎるんですが、どうしたら。
この作者さんの描く美形は、ただカッコイイだけじゃなくて、漂うワイルドさと、服のセンスがあるので、本気で倒れそうになります。あのニット系のジャケットを着こなす冗談好きな兄弟に乾杯…!
個人的には、ブッダが描いた四コマ漫画のオチが羽化したっていう話が一番笑えました。
最近ツイッター流行ってますね。
というか、流行としてはもう下り坂なんでしょうか。よくわかりませんが。
今のところツイッターをやるつもりはまったくありません。結局日常で、例えば携帯で呟こうとか思うと、すべからく仕事の愚痴みたいになっちゃいそうですし。あと、病院先が勤め先ですから、基本的に携帯をいじるのって他の社会人に比べて圧倒的に少ないんですよ。休み時間だけみたいな。まあ、休み時間も飯食って三十分、残りの三十分はその場にいる人との雑談とかなると、携帯開かないことすらありますし。
そうなると、移動先で携帯をいじるってことがまず殆どない。
いざ帰宅すればパソコンがあるわけで、じゃあパソコンから文字を打とうとなると、私はあれだけの短い文章で面白さを表現できる自信がないので、書く側からするとツイッターの敷居が高いのです。
基本的に文章を打って某かを発信している場合は、面白さを常に念頭においている(笑いだけの話ではなく)ので、そうなるとあの細かさに面白さを凝縮するのって、中々難しいと思うんですよ。
たった一言呟くだけで、読んだ人、もしくは書いている自分自身に「面白い」と思わせるのって、至難の業です。
どれだけプライベートなことを書いても、己の内面を吐露しても、そこに「文章として」作成するって言うワンクッションを置くと、やはりそれが読んで面白いか、書いていて面白いか、っていうのが自分の中で一番重要になってくるわけです。ゆえに、脚色したり間引いたり、文章にした時点でプライベートは途端にフィクションになるわけですが。
そうなると、ツイッターって文章の推敲をしたりするのには、どうしても向いているとは思えず、自分の中で文章を書いた、っていう充実感に欠けるものがありそうなので、手が出しづらいんですよね。
逆にその短さを利用して、面白い文章が書ければそれが一番いいのですが、なかなか。
いざ使い始めれば違うのかもしれませんが、ツイッターというのはやはり、情報収集、またはコミュニケーションツールなんだと思います。「読むもの」として捉えている私の方がおかしいんだな。
当人が書いてすぐに満足が得られる、第三者の共感がすぐに見てわかる、っていう部分では凄くいいと思うんですけどね。
ブログもそうなのかもしれませんが、私は元々ブログにはコメントも、トラックバックもつけていないので、あれはただ文章を置く場所というだけの扱いにしているので、コミュニケーションの場としては全く機能しておりませんし。管理が面倒なので今後もブログにコメント欄等を設ける気はありませんが。
書く側ではなく、読む側からすると、短くても長くても、書き放ったものはより一方的になるので、「その時は楽しかったんだけど」という印象がが強くなってしまうような気がするんですよ。
「その時は楽しかった」っていう感情だけ伝わってくる文章よりも、その時は楽しかったけど、後で読んでも読み物として面白いというものを書くことに時間を割きたいし、そういうものを面白いなあと思いたいのです。
あと、どうしても、説明不足の文章が多くなっちゃうんですよね。
ほにゃららについて説明をこれから始める、って前提で始まると、その後ダーっと説明なしに単語の羅列になると、読んでいてちょっとよくわからない場面とかが出てきてしまうのですよ。
例えば、
・彼氏に振られました。
この前長年付き合った彼氏にふられました。もうなんだかわけがわかりません。いきなり別れを切り出されて泣いてしまいましたよ。
これが、
・彼氏に振られました。
・長年付き合ってきたのに。
・わけがわかりません。
・いきなり切り出されました。
・泣いてしまいました。
になるだけで、随分印象が違ってくるものですし。(しかも、ツイッターの画面としては、「何月何日何時」とか、そういう必然的に表示されるものも一回一回見る羽目になるわけで)。
これが、「一つの記事」として書かれていれば、同じ内容で、短い文章の箇条書きでも、混乱することもないんですが。
私はブックマークさせていただいているサイト様で、二次はほぼ100%イラストサイト様、あとは文章に惚れこんで閲覧させていただいているテキストサイト様なので、あまりツイッターが主流になってくると、ちょっと寂しいなあと思いました。
同じ短い一言でも、こうつぶやく、んじゃなくて、堂々と自分の土俵で面白い言葉として発信してもらいたいというか。(いや、使っている方にとっては、そのツイッターこそが既に母屋なんでしょうけど)せっかく面白い文字を選んで使うことが出来るのに、ただのつぶやきで終わらせるのは勿体無いというか。
読み手側の単なる希望なんですが。
わかりやすい共感とか、読む側もそれなりの修行が必要なのかもしれませんね。
まあ私が書き手側としてツイッターを使わない一番の理由は、使い方が全くわからないっていうただそれだけなんですが。
フォローがなんだかもわからないしねえ。
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