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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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純然たる戦争映画でした。
秘密を抱える女性。
事故に遭った男性と、看護を任されたその女性との交流がメインなのですが、男女が密室で二人だからといって、ロマンチックな印象はかけらもありません。
序盤、見ている側は、この男女がそれなりの仲になるのだろうという目線で見ていくと思うのですが、それは中盤でやっと「そんなような気配」が生まれ、そして最後には覆される、という結果で終わります。

台詞そのものはおしゃれなものがないわけではなく、物語の序盤と終盤で、かかっている台詞もあるのですが、それを「楽しむ」ような映画ではありませんでした。


場所は石油採掘をする海の中の基地。
休暇を無理やり言い渡された女性は、偶然そこで数週間働くことになる。
火傷により、自分で体も動かせず、目も炎症で見えなくなった男性・ジョゼフは、決して自分のことを話さない女性・ハンナのことを知るために、他愛もない冗談や、会話を続ける。
「コーラって誰?」
「俺は自分の小さな秘密を話した。今度は君の番だ」
好きな食べ物は、チキンとリンゴとライス。
誰とも関わらず、耳が不自由なために聞きたくない話のときは、補聴器を切る。毎日同じ生活を続け、休むことはせず、毎日石鹸を変えて体を洗う。

一人がいい男たちが集う、石油採掘場。
男性同士がキスをしあい、その罪の意識におびえるかのように、 ハンナに家族の写真を見せる男。
「子供は可愛い。人生は不思議だ。そう思わないか?」
「ええ、思うわ。本当に」

次第に交流を深めていくジョゼフとハンナ。
ジョゼフは「自分は泳げないんだ」とハンナに告白する。
「海の真上なのに?」
笑うハンナ。
「父は僕をボートに乗せて湖に出た。そして、何かわけのわからないことを叫びながら、僕を湖に投げた。でも、父も実は泳げなかったんだ」

この映画は、わりと台詞がぶつ切りのところで、場面展開が変わることが多いのですが、それが余韻を持たせる要因になっていて中々上手いです。

ジョゼフは自分の親友の妻に惚れた過去を、ハンナに話す。決して、してはいけなかったと。
ハンナは、訥々と自分の過去を話していく。
クロアチアの戦争。捕らわれた自分と親友。そして毎日受ける、性的な暴力と、肉体への暴力。母親に娘を殺すように銃を持たせ、娘の性器に銃身を突っ込ませる。
「もう二度と孫の顔は見られないな」
と、誰かが笑いながら言う。
自分を犯す男は、耳元で笑いながら「すまない、本当にすまない。すまない」と言い続ける。
嘆く女の体をナイフで何百もの傷をつけ、塩水を塗り、痛めつける。
ハンナの親友の嘆き。助けることもできずに、彼女は毎日祈った。
「どうか、早く」
「一刻も早く」
「彼女が死ねますように」
「お願いです。どうか」

ジョゼフは彼女の裸を触る。そこには無数のナイフで刻まれた傷が残っていた。抱き合いながら、涙を流す二人。

そして、ジョゼフはヘリコプターで病院に搬送されることになる。
「ハンナ、ハンナ!」
目が見えないジョゼフは叫ぶも、ハンナはその声に背を向けてその場を去った。

ここで、ハンナが聞きたくないから補聴器のスイッチを切っていたのか、それとも聞こえた上で振り返らなかったのかは、語られません。

傷が癒え、目も見えるようになったジョゼフは、ハンナの忘れ物のかばんを渡される。そこには、彼女が受けていたカウンセラーからの手紙が入っていた。
そこを訪れ、彼女と生涯を共にしたいと告げるジョゼフに、カウンセラーの女性は「それはロマンティックね」と冷ややかに告げる。

「ここには、彼女の全てがある。どうして記録に残したかわかる? 過去の虐殺ももう誰も覚えていない。十年後誰も。覚えているのは生き残った人たちだけ。生き残ってしまったことを恥じている、何も語らない人々だけ。そんな過去を、貴方は彼女の許可なしに見ることができるの?」

ジョゼフは、ハンナの元を尋ねます。
一緒に暮らそう、というジョゼフに、ハンナは答えます。
「いつか、それは今日ではないけれど。もしも一緒に暮らしたら、それは明日ではないけれど、でも、突然私は泣き出すだろう。そして、周りは涙の海になる。二人は溺れ死ぬだけよ」
だから、一緒には行けないというハンナに、
「泳ぎの練習をするよ」
とジョゼフは答えるのでした。


物語はここで終わります。最初と最後に、この世にいるのかいないのか、それは彼女の子供の頃なのか、亡くなった親友のことなのか、少女の声のモノローグが入るのですが、それはあまり語るべきことではないように思いました。
結局、彼女は救われないのです。ジョゼフと結婚し、子供も授かったけれど、どうしても忘れられないし、一生ついて回る悲劇。
戦争は、よくないのです。
誰が何のために始めようが、どんな利益につながろうが、よくない。
彼女は、暴力を受け、それは誰にも想像がつかないほどに辛い出来事であり、ジョゼフにも決して救えない。
ハッピーエンドなのかもしれませんが、やはりこれは、ハッピーではないでしょう。戦争が、ほんのわずかだけ関わったとしたら、その物語にハッピーはありえないのです。

悲惨、というよりは、生々しく「救われない」出来事でした。


主役ジョゼフを演じるのは、ティム・ロビンス。ベッドで寝たきりのときは、顔がむくみ(そう見える)冴えない感じなのですが、治ったときのハンサムぶりっぷりに倒れました。
ハンナとのキスシーンに、ずいぶん身長差があるなあと思ったんですが、身長195センチってマジですか! デカイのに童顔な男もかっこいいですねえ。『ショーシャンクの空に』のときと印象がだいぶ違いますが、たぶん、知的印象が残っていたのではないかと。

ハンナ役のサラ・ポーリーは、髪の毛のぺたっとした印象が凄く、きれいなのにかまわない美人らしくて良かったです。

個人的にお気に入りなのは、油田の責任者である初老の男性。
結局、事故は起こったけれど、人が一人死んだのは、自殺であったと。ジョゼフはそれを助けるために、炎に巻かれたのだと。
「だが、それは誰も言わないだろう。死んだ奴には女房も子供もいる。自殺だったことを伝えても、誰も何も救われない。事故にしておけば、会社から金も出る」
「貴方はこれからどうするの?」
「別にどうもしない。辞令がおりるまではここにいるさ」
陸に上がると頭痛がする、という偏屈だけど骨太で穏やかな男はかっこよかったです。

私は、戦争物というものを人にお勧めすることはなく、話として評価がしづらいので、ちょっと感想が難しい映画でした。
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泡坂「作家の、泡坂妻夫さんが亡くなられたそうです。推理作家として有名な方ですが、私が入ったのは、NHKの時代劇『宝引の辰捕者帳』からでした。ご冥福をお祈りいたします」
池波「ちなみに、お前の名前の元だもんな。俺たち三人全員時代小説の作家から名前取ってるし」
澤田「泡坂?」
「いや、なんかほら、私たちが出てくるときって、大体ゲームの話題とか、わりと笑いの担当が多かったもんで、ついどういう反応をしたものかとまどって………。かと言って、人の生き死にをどんな形でも盛り上げるっていうのは、絶対にしちゃいけないことだし………」
「大丈夫だ。別にそれでいいって」
「そうだ。それでいいんだ」
「………そうですね。ありがとうございます。でもなんか、凄く恥ずかしいです………ハイ」


「そ、そういえば、実写版のドラゴンボールの吹き替えが決まったらしいな」
「いきなりなんだ、と言いたいとこだが」
「澤田さんが必死なので、オッケー乗っかろう。らしいですねえ、主人公が野沢さんじゃないっていうのは聞きましたけど 」
「らしいな。ヤムチャが江川央生さんだった」
「うわっ!」
「うわっ! 池波さんが驚いた!?」
「そっちか!?」
「いや、キャスティングにも驚きましたけどねえ」
「江川央生さんだったら、サイヤ人殲滅できるよなあ」


ペンタブを買ったので、なるべく練習しようと思い、下手くそながらペソペソ頑張っているのですが、頑張るったってたかが知れてるんですが、それでもなるべく全身像とか、指とか、手とか、体のパーツを………と思ってるんですが、そうなると、一人暮らしが辛い。
実家にいるときは、無理やり弟にポーズをとらせたり………いえ、あいつはデブだったのでモデルとしてはあまり役に立たなかったんですが、それでも、体がどうなってるか感は掴めたんですけど、一人暮らしだとそれもままならず。
鏡に映すったって限度がありますし、写真に取るったって、デジカメも持ってないし。携帯のカメラだと無理があるし。
このままだと、誰かモデルのためだけに捕まえたいです。
誰かいないかいないか誰か………!(そんな理由では誰もいない)
泡坂「うわーい! 『ばっくれる』様が復活してるー! ニコニコは継続されていたのは知ってたんですけど、サイトも更新してくださるとは嬉しい!」
澤田「よかったな」
「ああーあれだけ絵が上手ければ、人生何もいらないのになあ。いいなあ、センスがあって上手な方って。いいなあ。絵が上手なのっていいなあ」
「練習したらどうだ?」
「澤田さん、最低」
「何故だ!?」
「努力を努力とも思わない人間に言われると、腹立つんですよ! 芸術のセンスなんてほぼ百パーセント持って生まれたものなんだから、どうにもならないじゃないですか!」
「………そりゃそうだろうな。俺も、美術は駄目だ」
「あ、そうでしたっけ」
「音楽も駄目だ」
「………でしょうね」
「家庭科も、体育も、駄目だった」
「澤田さん………!」
「お前その、哀れみの視線やめろ」
池波「そうじゃねえよ。泡坂はフォローしてくれてありがとうって言ってんだろ」
「池波さん、急に出てきて、どうしてそういう恥ずかしいことさらっと言うんですか!」
「たまにはいいだろ」
「………そうだったのか………」
「………本当に気づきもしなかった、みたいなリアクションは腹が立ちます」
「許してやれよ」
「そういえば、池波は確か学生時代空手部だったんだろ?」
「よく知ってんな」
「じゃあ、体育なんて得意だったんでしょうね」
「別に苦手じゃなかったな」
「貴方は貴方で腹が立ちます」
「全くだ」
「二人して睨むなよ」
「特別得意な教科ってありました? それこそ、音楽とか、美術とか、そっち系は?」
「別に苦手じゃなかったな」
「逆に苦手だったもの言ってみろ」
「全くだ」

「だから睨むなよ」
「勿論、数学とか国語とか、そういうのもできたんでしょうしねえ………」
「大学時代も、お前ろくに出席もしないで単位平気でとってたもんな………」
「出席重視の講義、選ばなかったからな。レポート提出してりゃいい、とか、試験だけよければいい、みたいな講義のほうが楽だし」
「普通はそういう講義を避けるんですよ」
「まあ、俺は別に大学はどうでもよかったから。だから中退したわけだし。お前らみたいに勉強熱心じゃねえだけだ」
「ところで、オトメイトの姉妹ブランドみたいなので、『オトメイトF』っていうのができたじゃないですか」
「いきなりなんだ」
「アドベンチャーじゃなく、アクションとかRPGで女性向けってことらしいけどな」
「アドベンチャーはともかくとして、RPGとかアクションって、基本的に性別関係あるんですかね? まあ、最近ではテイルズや幻水、サモナイなんかは女性向けって気もしますけど」
「女性向けっていうより、低年齢層向けという感じはするな」
「難易度を下げて遊びやすいようにした、っていうだけの話なんじゃないのか?」
「でも、結局そのRPGやアクションに恋愛要素盛り込むらしいんですよ。だったら、要するに普通の乙女ゲームなわけですが、どうもよくわからないのが………」
「主人公が男」
「そう! そうなんですよ! 私ジャンルがどうのとか、難易度が低いとかそんなんどうでも良くてですね! 要するにこれ、BLを始動させましたってことじゃないんですか!? 違うの!? 『ニトロキラル』ってことじゃないんですか!?」
「説明を見る限りでは、BL始めましたとは書いてないけどな………」
「そんな冷やし中華みたいに言われてもな。今後の情報を見てみないとわからねえけど、結局はそういうことなんじゃねえの?」
「それならそれで、どうしてちゃんと説明しないんでしょうねえ。よくわかんないなあ。DSだからなんですかね? プラットフォームが」
「別にDSだって今までも乙女ゲーム出してるんだから、関係ないだろう」
「ま、そのへんが認知度の違いっていうか、一般的にどう解釈されるかっていう違いじゃねえの?」
「まあ、どういう方向性なのか今のところ全くわかりませんしねえ………。ただ、RPGやADVを普通に遊びたい人は、このブランドのRPGやADVは遊ばないわけですから、結局行き着く先っていうか、ターゲットは今までと同じなわけですから、その点ふまえて頑張ってもらいたいところですね」
「でもお前、『Wand of Fortune』買いそう」
「アルバレアと、アトリエシリーズと同じような匂いがしますからね! 久しぶりに胸高鳴りますよ!」
「するか?」
「まーアトリエシリーズは否定しないけど」
「何言ってるんですか! 私、和風ネオロマ4とアルバレアだったら、絶対アルバレアを棺おけに入れてもらいますよ!」
「入れなきゃいけないほうの身になれ」
「そういえば、遥か4の声優キャスティングが決まったとかなんとか言ってたな」
「あーありましたね。個人的に乙女ゲームの関心が薄くなった上に、最近では、キャラクターはいいからシステムの情報を先にくれと思うようになっちゃったんで、どうでもいいったらどうでもいいです。もともと声優さん目当てでゲームを買ったことは一度もないですし」
「俺は、『逆転検事』をどうするか考え中ってところだな」
「別物だって割り切って遊べればいいんじゃねえの?」
「そうですね。『采配のゆくえ』も、ほら、大御所のことですから、速攻でベストが出そうですし」
「出るかねえ。もともとDSは売値が最初から安いしなあ」
「出ないことはないだろうが、時期的にはまだどうだろう。何かの商戦時に発表されるとは思うんだが」
「大御所はもうゲームそのものに力を入れる気はなさそうなので、期待せずに待つことにします」
『マンマ・ミーア!』

狂った映画でした。
しかも、最初から最後まで狂ってた。
内に秘めた狂気とかではなく、完全に前面に押し出して狂ってました。
床のタイルを突き破って出てきた恋愛の女神の泉を浴びながら全員突如服を脱いで踊り狂い、結婚式準備の最中に突如同性愛を自覚し、恋人たちの危機はなかったことになり、水着の男たちが集団で肉体美を見せつけながらシュノーケルと足ひれをつけ桟橋に並び、腹の突き出た五十親父たちがスパンコールの衣装に身を包みステージを飾り、どう見てもババアにしか見えない二十歳の娘もちの女が必死でセクシーに迫り、結婚するはずだったカップルは何故か他の世界に旅立ち、何の脈絡もなく勝利者がすべてを手にするのよと歌い狂い、結局二十年越しのカップルが結婚して、エロエロエロエロしながら、若いジャマイカ青年みたいなのにオバンが口説かれ、娘の足の爪に母親が青いペディキュアを足を絡ませながら塗り、女も男もやたらに盛ってる。

そんな映画でした。

実際は、皆様ご自身の目でお確かめください。
ほぼ、間違いないと思います。

知り合いは「ABBAの曲が好きだから曲に合わせて作りました、っていうプロモーションみたい」と言っていましたが、それにしたって狂いすぎだ。
一時が万事、狂った世界の狂った住人たちが織り成すハーモニーっていうんですが。たぶん、同じ青い星の上には奴らは住んでいない。
曲自体はどこかで聴いたことのあるようなメロディーで、ノリはいいんですけど、なんかそういう、映画としての批評が馬鹿馬鹿しくなるくらい狂ってました。

しかし、あのお母さんは老けすぎだろう。
メリル・ストリープは実際の年齢よりも、遥かに上に見えます。正直あの格好だと本当にババアです。スーツを着たキャリア・ウーマンみたいな役は、年相応の熟女が際立ちますが、年齢の割には若々しいのよ、と主張するような役は、却って痛々しいだけです。見ていて本当に辛かった。
他の親友二人、特に背の高いタニア役の女優さんが、一番ミュージカル慣れしていて、歌も踊りも完璧でかっこよかったです。
男性陣は、ピアーズ・ブロスナンは歌も下手なら声もハリがなくて見るに耐えない感じでした。メリル・ストリープと並ぶと、カップルっていうよりも、母親を介護する息子だよ。

………とまあ、そんなことはどうでもよくてですね。
とにかく、狂ってました。
奴らの国の文化はよくわかりません。



先日、知り合いが『252 生存者あり』を見た、というので感想を聞いてみました。

「とにかく災害があって、地下に閉じ込められて、それを助けられるタイミングが台風の目の中心である、18分しかないのよ。それなのに、18分しかないってあれほど言ってるのに、伊藤の兄貴が「お前はあのことについて吹っ切れたのか」とかいきなり延々説教初めて、見ているこっちは、だからお前18分しかないって言ってんだろ!? とキレ気味になったら、案の定時間が足りなくて、他の山田太郎とまた伊藤は地下に閉じ込められちゃって、それで外の奴らが絶望してると、何故か、山田を肩に担いで伊藤が自力で出てくるのよ。しかもそれをスローモーションでアピールしつつ、ぼろぼろの伊藤がでかい男を担いで出てきたのにも関わらず、回りは呆然と見守ってるだけでさあ、本当にもう、あれ脚本書いた奴が馬鹿なんじゃないかと思うよ」
「わかった。見ないよ」


知り合いから、マカロンをもらいました。
実は、あれだけブームになっておきながら、私はマカロンを食べたことがなかったので、ありがたくちょうだいしました。
個人的な想像だと、さっくりとした口当たりの軽いお菓子、なんだと思ってたんですが、濃厚。
「美味しいけど甘い! 濃い!」
「大体、他の店のどのマカロンもこんな感じだよ」
胃もたれしました。
もう、お菓子ですら種類を選ぶ年齢になったか………。
『愛されるために、ここにいる』

前半途中で寝ました。
開始五分で重苦しい雰囲気満載です。息を切らせながら、髪もうすくなった冴えない男が、階段を必死に上り、裁判所方の通知を読む。事務所に帰ればぎこちなく息子と対面。結局会話ははずまず、仕事に戻る。
いや、もう、さすがフランス映画………。(だからあまり見ない)
老いらくの恋、と呼ぶにはまだ若い、五十歳の中年男性と、結婚を間近に控えた女性との、進みようがない関係という感じです。
この映画、タンゴ教室で出会い、タンゴを踊るシーンが延々出てくるので、その場面でうっかり寝ました。
これはあれでしょうか、当人たちは盛り上がっているのかもしれないけれど傍で見ている分には別に面白くないという恋愛の典型的な姿なんでしょうか。
それならそれで、非常にリアリティがあると思いましたが、映画としてはどうなんでしょうね。
映像としてはきれいです。はじめぎこちなかったダンスも、互いの気持ちを知り合うにつれて、いっそう親密になっていく。
明らかに、最初のタンゴと、最後のタンゴでは、密度の濃さが違います。
この映画、タンゴシーン以外はすべてBGMが流れないので、タンゴシーンになると急に抑揚がつく感じです。物語としては、別にタンゴを「踊っているだけ」なので、進むわけではないんですが。

しかし、女というのはしたたかですね。
中年のおっさんである、ジャン・クロードは相手が婚約者がいるということを知らず、真摯に相手と付き合おうとするのですが、結局それはバレてしまいます。
そして、女は「説明しようと思って」と、ジャンの仕事場まで来るわけですよ。凄い話だ。
結果出る言葉が「言おうと思ったんだけど、貴方との関係が壊れてしまいそうで言えなかった」
「勘違いさせたのならごめんなさい」
「結婚前はよくある話なのよ。わかる?」
「貴方を弄ぶつもりはなかったけれど、傷ついてしまったのなら私も辛い」
ですからね。太い、太すぎる。
それは彼女の本心じゃないのよ、ということがこちらがわかっていたとしても、いないとしても、そういう言い訳ができる、という時点でやはり男と女は違いますね。
男にとっては、それが本心であろうがなかろうが、あまり関係なさそうですし。

結局彼女の気持ちには暗雲がたれこめて、式が上手くいくのかいかないのか微妙な感じなのですが(そこは描かれない)、最終的にジャンと彼女が上手くいくとは、到底思えないので、彼女が婚約を破棄しようが、ジャンの気持ちそのものは、一度離れてしまった以上どうにもならないものなのだと思います。

私は、基本的に子供に素直になれなくて、感謝の言葉一つ言わず、悪態ばかりつく、素直になれない父親が、死んだ後息子の優勝カップを(捨てたと言っている)とっておいた、というような愛情の見せ方や、そういう親像が嫌いです。
言葉は言わなければ伝わらないし、言ってそれがどれだけ相手を傷つけるか、いい大人である以上わかっていて当然の上で、いかに愛情があろうがなかろうが、陰で息子を思っていようがいまいが、全く無視して、こんなに息子思いだったんです、という人間は嫌いです。
こういう、親の愛情の見せ方ははっきりいって、性に合わないので、主人公と父親との関係性には一切感情移入できませんでした。
隠れてこっそりカップを取っておいて、自分の死後でも、「いい父親だったんだ」と思ってでももらいたいのか。なんて傲慢なんだ。そんなに愛しているのなら(私はこれが愛だとは認めませんが)何故もっとやさしくできないのだ。

主人公はその点、はっきりと自分の事務所に勤める息子に「お前は俺のように人生を棒に振るな」とその場から出て行くように進める気骨があるだけ、自身の父親よりはマシだと思います。


この作品はツタヤディスカスでレンタルしたんですが、そこのレビューを読んで、原題だと「愛されるためにここにいるんじゃない」んだそうです。
真逆じゃねえか!
これ、意味が全く違ってきてしまうんですが。
冴えない中年男が、愛を見つけ、その上で彼女に対して、自分の生き方に対して「俺は、愛されるためにここにいるんじゃない」と虚勢でも訴えているのであれば、それは、男にとって意味のある言葉ですが、結婚間近の女に遊ばれて「愛されるためにここにいるんだ」では、話の本題全く違ってきますが………。
ただ、他の方のレビューでも「これはあえて逆の意味で、だからこそ男は、女の素性を知った上でも、愛されるためにここにいる(戻ってきた)」のだと捕らえるのではないか、というコメントもあり、それもなるほど、と思いました。
色々なとらえ方をしていい映画なのでしょうね。

個人的に一番感銘を受けたのは、犬づれの中年秘書が、ジャンに向かって「あれは、彼女の本心ではなかったと思います。私も、昔同じことがありました。そして、こう言ってくれる人がいたなら、今頃犬と二人暮らしではなかったでしょう」と静かに言った場面でした。
ここは、ぐっときた。

タンゴはジャンと女が踊るシーンで主に使われますが、実際の舞台シーンもあり、そこでのダンサーはエロくてよかったです。これぞタンゴ、っていう感じで。
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