『ソフィー』 ガイ・バート著
『ずっとお城で暮らしてる』より難解でよくわからなかった、というのが正直なところです。
同じホラー物に分類されるのかもしれませんが、「一族郎党殺害された」というわかりやすい事件が起こっている『ずっと~』と違い、『ソフィー』はほぼ弟視点の思い出話(しかも、個人的には本当にほほえましいというか。このほほえましさが恐怖だというのは、こちらがこれがホラー小説であるとはじめからわかっているから思えるわけで)で事が進むので、普通に読み進めてしまった、という感じでした。
しかし、やはり物語で何が一番怖いかというと、姉ソフィーのわけのわからなさに尽きます。
弟は結果として姉を追い求め自分の中の狂気に走った点から言っても、わりとわかりやすい恐怖の代弁者なのですが、結果、ソフィーが過去に何を見て、何に絶望して(していないのかもしれませんが)最終的に、何があったから見切りをつけたのか、というところが謎のままなので、非常にもやもやしたまま終わってしまった、という印象を受けました。
実際弟と離れることになったから見切りをつけた、でも一向に構わない(むしろそれこそが「真っ当に怖い」のかもしれませんが)のですが、これらも、捕らえられた名もなきソフィーの推測にすぎないわけで、ソフィーが結局握っている母親についての何かとか、それらがどうでもいいことのように描かれ、それと同軸のように彼女の心根すら平坦に埋もれているのが、私の行間で読み取る能力超えている! と眉間にしわを寄せながら読んだ次第です。
実際、ホラー小説を全く読んだことがなく、お世辞にも小説に詳しいとは言えないので、一概に共通点がこうだと決め付けられないのですが、一番驚いたのは、恐怖モノにおいての日常生活描写の精密さでしょうか。
私はもっと、精神面のドロドロとか、そちらが表面に出てくるのかと思いきや、『ずっと~』も『ソフィー』もむしろ精神病者的な描写はほとんどなく、努めて日常描写に特化していたのが意外といえば意外であり、それが恐怖といえば恐怖でした。
そして、ソフィーの不可解さと比べ、弟がとてもわかりやすい思考であるのも、意外でした。
私がわかったような気になっているだけかもしれませんが、弟が結果置いて行かれて自ら問いただすために追いかける、というのは、ある意味理にかなっていると思ったので。
最後がどうなったのであれ、彼にとって決着がついた後のことはどうでもよかったのでしょうし。
不可解といえば、監禁された大人のソフィー(仮)も、相当最後は「どうしちゃっだのだ」と思いましたが………。ソフィーは伝染する、という感じでしょうか。
最後に、私は『ソフィー』をたまたまハードカバーで購入し、帯が残っていたのですが、そこに「ダーク・ファンタジー」と銘打ってあったのには、正直倒れました。
私の中でダークなファンタジーだったら、耳のとがったエルフとかが出てくる印象しかなかったものですからつい………(苦笑)。
個人的には、ファンタジーどころか、群ようこと並んでいてもおかしくないと思っております。
ただ、これを読んだ後に、トマス・ハリスを読むとその読みやすさに倒れます。実際、『羊たちの沈黙』も、小説で読んだ後に、「宗教くさいけど読みやすいなあ」と思ったものですが、最終的に『ハンニバル』で、その印象振り切れた。
クラリスが彼岸の人になっちゃうとは思いませんでした。そりゃあ、映画も違った終わり方にするよねえ。
小説のように『魂の救済』としての終わり方は、文字としてみればかっこいいのかもしれませんが、あれが、エンターテイメントとしての映画でやられたら、そりゃ劇場で倒れると思うので、映画は映画でいいんじゃないかと思います。
精神論的な終わり方って、どうも煙に巻かれたみたいであまり、いい印象がありません。そんなん言ったらどれだって全部許容範囲じゃねえか、というか。
小説としては一連のシリーズは凄く読みやすいのでお勧めです。
『ずっとお城で暮らしてる』より難解でよくわからなかった、というのが正直なところです。
同じホラー物に分類されるのかもしれませんが、「一族郎党殺害された」というわかりやすい事件が起こっている『ずっと~』と違い、『ソフィー』はほぼ弟視点の思い出話(しかも、個人的には本当にほほえましいというか。このほほえましさが恐怖だというのは、こちらがこれがホラー小説であるとはじめからわかっているから思えるわけで)で事が進むので、普通に読み進めてしまった、という感じでした。
しかし、やはり物語で何が一番怖いかというと、姉ソフィーのわけのわからなさに尽きます。
弟は結果として姉を追い求め自分の中の狂気に走った点から言っても、わりとわかりやすい恐怖の代弁者なのですが、結果、ソフィーが過去に何を見て、何に絶望して(していないのかもしれませんが)最終的に、何があったから見切りをつけたのか、というところが謎のままなので、非常にもやもやしたまま終わってしまった、という印象を受けました。
実際弟と離れることになったから見切りをつけた、でも一向に構わない(むしろそれこそが「真っ当に怖い」のかもしれませんが)のですが、これらも、捕らえられた名もなきソフィーの推測にすぎないわけで、ソフィーが結局握っている母親についての何かとか、それらがどうでもいいことのように描かれ、それと同軸のように彼女の心根すら平坦に埋もれているのが、私の行間で読み取る能力超えている! と眉間にしわを寄せながら読んだ次第です。
実際、ホラー小説を全く読んだことがなく、お世辞にも小説に詳しいとは言えないので、一概に共通点がこうだと決め付けられないのですが、一番驚いたのは、恐怖モノにおいての日常生活描写の精密さでしょうか。
私はもっと、精神面のドロドロとか、そちらが表面に出てくるのかと思いきや、『ずっと~』も『ソフィー』もむしろ精神病者的な描写はほとんどなく、努めて日常描写に特化していたのが意外といえば意外であり、それが恐怖といえば恐怖でした。
そして、ソフィーの不可解さと比べ、弟がとてもわかりやすい思考であるのも、意外でした。
私がわかったような気になっているだけかもしれませんが、弟が結果置いて行かれて自ら問いただすために追いかける、というのは、ある意味理にかなっていると思ったので。
最後がどうなったのであれ、彼にとって決着がついた後のことはどうでもよかったのでしょうし。
不可解といえば、監禁された大人のソフィー(仮)も、相当最後は「どうしちゃっだのだ」と思いましたが………。ソフィーは伝染する、という感じでしょうか。
最後に、私は『ソフィー』をたまたまハードカバーで購入し、帯が残っていたのですが、そこに「ダーク・ファンタジー」と銘打ってあったのには、正直倒れました。
私の中でダークなファンタジーだったら、耳のとがったエルフとかが出てくる印象しかなかったものですからつい………(苦笑)。
個人的には、ファンタジーどころか、群ようこと並んでいてもおかしくないと思っております。
ただ、これを読んだ後に、トマス・ハリスを読むとその読みやすさに倒れます。実際、『羊たちの沈黙』も、小説で読んだ後に、「宗教くさいけど読みやすいなあ」と思ったものですが、最終的に『ハンニバル』で、その印象振り切れた。
クラリスが彼岸の人になっちゃうとは思いませんでした。そりゃあ、映画も違った終わり方にするよねえ。
小説のように『魂の救済』としての終わり方は、文字としてみればかっこいいのかもしれませんが、あれが、エンターテイメントとしての映画でやられたら、そりゃ劇場で倒れると思うので、映画は映画でいいんじゃないかと思います。
精神論的な終わり方って、どうも煙に巻かれたみたいであまり、いい印象がありません。そんなん言ったらどれだって全部許容範囲じゃねえか、というか。
小説としては一連のシリーズは凄く読みやすいのでお勧めです。
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『ウォルター少年と、夏の休日』
泣き通しでした。
母親に捨てられたも同然の少年が、顔も知らなかった大伯父兄弟の下でひと夏を過ごし、さまざまなことを体験してく物語です。
大ボラのようなアフリカやアラブの話。
婚約者を奪い取った族長と、石油の話。
それらを裏づけするような、ハブ伯父の強さと、正体不明の金。
美しい写真の女性に、ジャスミンという女性の物語。
見ているこっちは、ウォルターがおかれた、しようもない現実よりも、ガース伯父が話してくれる、過去の話を信じたい。
けれど、周囲はそれを笑う。
真夜中、一人出歩くハブ伯父に、ウォルターは尋ねます。話は本当なのかと。
「この世には、本当であるかどうかは別にして、信じなければならないことがある」
「人間は、生来善だ。善は必ず悪に勝つ」
「そして、真実の愛は、永遠に滅びることはないのだ」
見ながら嗚咽。
当たり前のことを当たり前に言う、年老いた伯父。
決して当たり前ではないことを、当たり前だと言える伯父。
どちらにしても、なんだか胸をうつものがあって、非常にぐっときました。
ハブ伯父にとって、それは真実であり、そしてその姿を見たウォルターにとっても、信じたい過去の話であった、ということなのでしょう。
結果、ウォルターはガース伯父が話す、過去のハブ伯父のエピソードを信じ、自分を迎えに来た母親とその恋人から離れます。
「一度で良いから、僕のことだけ考えて」
母親も決して悪い人、ではないんですが………。悪い母親、ではあるんでしょうな………。
結局子供を置いて新しい男を作り、「私にはこれしかない」と言い切れる以上、それは彼女の生き方であって。ただ、なら子供作っちゃいけねえよなあ………。
途中で、老いた雌ライオンを飼うことになるんですが、そのライオンが、母親の恋人に襲われたウォルターを助けて、死亡します。
「勇敢なライオンだった。本物の、ライオンだった」
そう、伯父たちとウォルターは言い合い、彼女が好きだったトウモロコシ畑に埋葬します。このとき、ちゃんと三人が正装しているのが凄く泣けるんですが。
ライオンを間違えて買ってしまったときも、「とんだ買い物だ」「お前の種よりマシだ」(ガース伯父はまがい物の種をこの前につかまされている)と、凄く会話がおしゃれでした。
そして、最後。
大人になり、独り立ちしたウォルターの元に、伯父たちの訃報が届きます。
「二人とも、一緒に逝かれました」
90歳で無免許で飛行機を運転した挙句、宙返りで倉庫をくぐろうとし、そのまま墜落して亡くなったと。
ウォルターが久しぶりに訪れた伯父たちの家は、記憶のまま変わらず、倉庫に飛行機だけが突っ込んで存在していました。
保安官は、遺書をウォルターに見せます。
『坊主に全部やる。 ライオンの隣に埋めてくれ』
ここで、一番号泣しました。
鼻水と涙で嗚咽しながら、突如現れたヘリコプターから、過去の物語に出てきた、婚約者を奪った族長の孫が現れます。
「彼らは真実の男だったと。一枚上手だったと。彼らをご存知ですか?」
信じたかった、少年だったウォルターが信じ、今も信じている伯父たちが、心底本物であったことを知った青年は、
「ええ。育ててもらいました」
胸をはってそう答えて、物語は終わるのでした。
俺は泣いたよ………。泣き疲れて眼が腫れました。
役者陣も豪華で、主人公ウォルター少年は、『シックス・センス』のあの少年です。ハーレイ・ジョエル・オスメントですね。
ハブ伯父は、『ゴッド・ファーザー』のロバート・デュヴァル。馬の首のシーンは怖かったなあ………。マーロン・ブランドが「捨てろ」と花束を見もせずに言うのも怖かった。
『サンキュー・スモーキング』にも出ていたらしいので、記憶を引っ張り出してみたんですが、ああ、あの、アーロン・エッカートの上司。
お勧めいただいたマイケル・ケインはガース伯父。ウォルターに初めからそれなりに好意的に接し、物語を進めてくれるチャーミングな伯父を好演していて、とてもセクシーです。
ハブ伯父は生き様で、ガース伯父は物語の語り部として、ウォルターをそれぞれ導いてくれます。
原題は『Secondhand Lions』といい、どういう意味なのかと見終わった後調べてみたんですが、Secondhand とは、中古品という意味を指すそうです。
中古のライオン、おんぼろライオンか………。
見終わった後わざわざ調べてまた泣く人間が一人。
いい映画でした。特に、エンドクレジットが凝っていたのには、満足。ウォルターの成長の証がそこにあります。
家一つ、車一つとっても、映画の中の世界としてあこがれた古き良き時代のアメリカンスタイルが見られるので、パーツとしても見ごたえがあります。
スーツの上にカウボーイハットをかぶり、朝食はスクランブルエッグにソーセージ。車は真っ赤なトラクターで、オーバーオールで農作業。
いいですねえ、こういう、幸せな想像の上での世界観というものは。
泣き通しでした。
母親に捨てられたも同然の少年が、顔も知らなかった大伯父兄弟の下でひと夏を過ごし、さまざまなことを体験してく物語です。
大ボラのようなアフリカやアラブの話。
婚約者を奪い取った族長と、石油の話。
それらを裏づけするような、ハブ伯父の強さと、正体不明の金。
美しい写真の女性に、ジャスミンという女性の物語。
見ているこっちは、ウォルターがおかれた、しようもない現実よりも、ガース伯父が話してくれる、過去の話を信じたい。
けれど、周囲はそれを笑う。
真夜中、一人出歩くハブ伯父に、ウォルターは尋ねます。話は本当なのかと。
「この世には、本当であるかどうかは別にして、信じなければならないことがある」
「人間は、生来善だ。善は必ず悪に勝つ」
「そして、真実の愛は、永遠に滅びることはないのだ」
見ながら嗚咽。
当たり前のことを当たり前に言う、年老いた伯父。
決して当たり前ではないことを、当たり前だと言える伯父。
どちらにしても、なんだか胸をうつものがあって、非常にぐっときました。
ハブ伯父にとって、それは真実であり、そしてその姿を見たウォルターにとっても、信じたい過去の話であった、ということなのでしょう。
結果、ウォルターはガース伯父が話す、過去のハブ伯父のエピソードを信じ、自分を迎えに来た母親とその恋人から離れます。
「一度で良いから、僕のことだけ考えて」
母親も決して悪い人、ではないんですが………。悪い母親、ではあるんでしょうな………。
結局子供を置いて新しい男を作り、「私にはこれしかない」と言い切れる以上、それは彼女の生き方であって。ただ、なら子供作っちゃいけねえよなあ………。
途中で、老いた雌ライオンを飼うことになるんですが、そのライオンが、母親の恋人に襲われたウォルターを助けて、死亡します。
「勇敢なライオンだった。本物の、ライオンだった」
そう、伯父たちとウォルターは言い合い、彼女が好きだったトウモロコシ畑に埋葬します。このとき、ちゃんと三人が正装しているのが凄く泣けるんですが。
ライオンを間違えて買ってしまったときも、「とんだ買い物だ」「お前の種よりマシだ」(ガース伯父はまがい物の種をこの前につかまされている)と、凄く会話がおしゃれでした。
そして、最後。
大人になり、独り立ちしたウォルターの元に、伯父たちの訃報が届きます。
「二人とも、一緒に逝かれました」
90歳で無免許で飛行機を運転した挙句、宙返りで倉庫をくぐろうとし、そのまま墜落して亡くなったと。
ウォルターが久しぶりに訪れた伯父たちの家は、記憶のまま変わらず、倉庫に飛行機だけが突っ込んで存在していました。
保安官は、遺書をウォルターに見せます。
『坊主に全部やる。 ライオンの隣に埋めてくれ』
ここで、一番号泣しました。
鼻水と涙で嗚咽しながら、突如現れたヘリコプターから、過去の物語に出てきた、婚約者を奪った族長の孫が現れます。
「彼らは真実の男だったと。一枚上手だったと。彼らをご存知ですか?」
信じたかった、少年だったウォルターが信じ、今も信じている伯父たちが、心底本物であったことを知った青年は、
「ええ。育ててもらいました」
胸をはってそう答えて、物語は終わるのでした。
俺は泣いたよ………。泣き疲れて眼が腫れました。
役者陣も豪華で、主人公ウォルター少年は、『シックス・センス』のあの少年です。ハーレイ・ジョエル・オスメントですね。
ハブ伯父は、『ゴッド・ファーザー』のロバート・デュヴァル。馬の首のシーンは怖かったなあ………。マーロン・ブランドが「捨てろ」と花束を見もせずに言うのも怖かった。
『サンキュー・スモーキング』にも出ていたらしいので、記憶を引っ張り出してみたんですが、ああ、あの、アーロン・エッカートの上司。
お勧めいただいたマイケル・ケインはガース伯父。ウォルターに初めからそれなりに好意的に接し、物語を進めてくれるチャーミングな伯父を好演していて、とてもセクシーです。
ハブ伯父は生き様で、ガース伯父は物語の語り部として、ウォルターをそれぞれ導いてくれます。
原題は『Secondhand Lions』といい、どういう意味なのかと見終わった後調べてみたんですが、Secondhand とは、中古品という意味を指すそうです。
中古のライオン、おんぼろライオンか………。
見終わった後わざわざ調べてまた泣く人間が一人。
いい映画でした。特に、エンドクレジットが凝っていたのには、満足。ウォルターの成長の証がそこにあります。
家一つ、車一つとっても、映画の中の世界としてあこがれた古き良き時代のアメリカンスタイルが見られるので、パーツとしても見ごたえがあります。
スーツの上にカウボーイハットをかぶり、朝食はスクランブルエッグにソーセージ。車は真っ赤なトラクターで、オーバーオールで農作業。
いいですねえ、こういう、幸せな想像の上での世界観というものは。
先日、弟の誕生日でした。
………ということに気づいたのが、夜勤明け当日。
ところは、スーパーのレジの前でした。
自分の誕生日当日に、弟からはメールをもらっていたので、私も返さなきゃいかん、と携帯を取り出します。
私は基本的に月に一度しか、大きな買出しをしないので、目の前にはカートの上に乗っかった二つのかごがあります。
目の前のおばさんが済んで、自分の番になったところで、メールを打ち始めたのですが、そのスーパーのカードを出し忘れていたことに気づき、咄嗟に携帯をかばんに突っ込んで、カードを出しました。
すると、派手な音を立てて携帯が落下。
ぎょ、っとしたんですが、後ろに並んでいたおばさんが「落ちましたよ」と位置を教えてくれたので、拾い上げます。
すると、カバーがない。
バッテリーむき出しです。
しゃがんで床を覗き込んでも見当たらず、地面にひざをついて、なめるように床を見ても見当たりません。
おかしい、と思う間に、どんどん進むレジ。
ええい、こうなったらレジが終わったら荷物をとりあえずよそによけて、探すしかないと開き直ろうとしたところ、後ろのおばさんまでひざまずいて床を見てくれる始末。
い、いいです! ひざが汚れます! すみません! と自分の行動よりおばさんの行動にパニックになりつつ、万冊を出して会計をともかくすませ、カートを隅っこに押しやり、大慌てでレジに戻ってみると、台の影にカバー発見。
「………お騒がせしました。ありがとうございました。ありました」
とんだ騒動でした。
お前、これだけ必死な思いをしてメール打ったんだから、よくわかんないけどおめでとう!(意味不明)
今使っている携帯は確か一年目のはずなんですが、ボロボロ具合がかなりキてます。
カバーははずれるわ(さすがに輪ゴムを巻くところまではいってませんが)外装は傷だらけだわ。今までと同じ使い方をしているはずなので、そんなに耐久値が低いのか、とも思うんですが、買い換える気もおきず。
九月あたりになったら考えます。
九月は携帯を買い換えたり、年に一度の歯医者があったり、色々な行事があって忙しいなあ(これで!?)。
『鋼殻のレギオス』
主役級ヒロインであろう隊長の女が鬱陶しくて仕方がありません。
相手に手を抜かれたことを腹立てる前に、己の実力のなさを恥じろ!
自分が真正直に話せば相手もそうするだろうなんて、おごりも甚だしい!
それぞれに背後にある事情も無視して、よくもまあふてくされられるもんだな!(私の特技は二次元であろうが真剣に腹を立てられるところです)
本気を出せば人質になってる誰かが死ぬ、くらいのバックボーンがあったりしたらどうするつもりなんだこれだから、親元から家出して一人で頑張ってます気取りのお嬢様はよお!
生まれも育ちもなんもないとこからの貧乏と、その気になればあるにはある、ではベクトルが違うわけで。
まあ本人の意思に関わらず、持ってしまったものは仕方がないとしてもだからこそ己の行動が問題になるのであって…!
エロ担当だかなんだか知りませんが、ロリ先輩も非常にイラッとくるので、今後見続けるか怪しくなってきました。(私はこういう物語と関係ないところでよく番組視聴をやめます)
………ということに気づいたのが、夜勤明け当日。
ところは、スーパーのレジの前でした。
自分の誕生日当日に、弟からはメールをもらっていたので、私も返さなきゃいかん、と携帯を取り出します。
私は基本的に月に一度しか、大きな買出しをしないので、目の前にはカートの上に乗っかった二つのかごがあります。
目の前のおばさんが済んで、自分の番になったところで、メールを打ち始めたのですが、そのスーパーのカードを出し忘れていたことに気づき、咄嗟に携帯をかばんに突っ込んで、カードを出しました。
すると、派手な音を立てて携帯が落下。
ぎょ、っとしたんですが、後ろに並んでいたおばさんが「落ちましたよ」と位置を教えてくれたので、拾い上げます。
すると、カバーがない。
バッテリーむき出しです。
しゃがんで床を覗き込んでも見当たらず、地面にひざをついて、なめるように床を見ても見当たりません。
おかしい、と思う間に、どんどん進むレジ。
ええい、こうなったらレジが終わったら荷物をとりあえずよそによけて、探すしかないと開き直ろうとしたところ、後ろのおばさんまでひざまずいて床を見てくれる始末。
い、いいです! ひざが汚れます! すみません! と自分の行動よりおばさんの行動にパニックになりつつ、万冊を出して会計をともかくすませ、カートを隅っこに押しやり、大慌てでレジに戻ってみると、台の影にカバー発見。
「………お騒がせしました。ありがとうございました。ありました」
とんだ騒動でした。
お前、これだけ必死な思いをしてメール打ったんだから、よくわかんないけどおめでとう!(意味不明)
今使っている携帯は確か一年目のはずなんですが、ボロボロ具合がかなりキてます。
カバーははずれるわ(さすがに輪ゴムを巻くところまではいってませんが)外装は傷だらけだわ。今までと同じ使い方をしているはずなので、そんなに耐久値が低いのか、とも思うんですが、買い換える気もおきず。
九月あたりになったら考えます。
九月は携帯を買い換えたり、年に一度の歯医者があったり、色々な行事があって忙しいなあ(これで!?)。
『鋼殻のレギオス』
主役級ヒロインであろう隊長の女が鬱陶しくて仕方がありません。
相手に手を抜かれたことを腹立てる前に、己の実力のなさを恥じろ!
自分が真正直に話せば相手もそうするだろうなんて、おごりも甚だしい!
それぞれに背後にある事情も無視して、よくもまあふてくされられるもんだな!(私の特技は二次元であろうが真剣に腹を立てられるところです)
本気を出せば人質になってる誰かが死ぬ、くらいのバックボーンがあったりしたらどうするつもりなんだこれだから、親元から家出して一人で頑張ってます気取りのお嬢様はよお!
生まれも育ちもなんもないとこからの貧乏と、その気になればあるにはある、ではベクトルが違うわけで。
まあ本人の意思に関わらず、持ってしまったものは仕方がないとしてもだからこそ己の行動が問題になるのであって…!
エロ担当だかなんだか知りませんが、ロリ先輩も非常にイラッとくるので、今後見続けるか怪しくなってきました。(私はこういう物語と関係ないところでよく番組視聴をやめます)
『魔法にかけられて』
前から面白い、面白いと聞いていたのですが、本当に面白かったです。
結論から言えば、みんな幸せになったからよかったようなものの………という、とんだKY野郎が主人公の物語なんですが、これくらい強引に幸せになってくれたほうが、コメディ作品としても面白いと思います。
そんなナチュラルに自然体なコメディなんてあってたまるか。
アニメ世界である魔法とおとぎの国からやってきたジゼルが、NYに住む男性や、その周囲の人たちとふれあい、幸せになるという、非常にわかりやすい王道物語。
私は、始めジゼルが現実世界に来たときに、相手の男にも彼女がいて、ジゼルにも運命の王子様がちゃんといたわけですから、「そうか。ジゼルたちの愛の姿を見て、NYの恋人たちも上手くいくんだ」なんて、お気楽なことを考えていましたが、そんなわけなかった。
ジゼルは結局、NYの男と幸せになり、NYの女は王子様と幸せになるわけです。そりゃ物語の展開からしてもそうなんですが、現実は現実で幸せになるんだなんて思い込んでいた自分が穢れていると心底思いました。いや、別にこのシャッフルカップルが気に入らないとかそんなこたあないんですが………。
ミュージカルシーンはありますが、ドギツイ感じではなく、初めからおとぎの国の物語として演出されるので、NYやセントラルパークでいきなり歌って踊られても違和感はありません。そういうことを日常で平気にやっていたジゼルが、当たり前のようにやるわけですから。
作中の音楽も古き良き時代の音楽テイストが非常に強く、「思わず口ずさみたくなる」という正統派ミュージカルでした。音楽はとてもよかったです。
ジゼルの破天荒ぶりも可愛いし、根が素直で純真なので、嫌味がありません。瞳がきれいだとか、髪が美しいとか、混じりけなしに言われたらそれは嬉しいし。
そんな彼女が、相手の男に向かって「いつも、ノーしか言わないのね!」と初めて怒りを覚え、自分の感情を自覚するっていうのも、中々上手いつくりです。
俳優陣は文句なし。ジゼルの役の人はキュートだし、王子様は、『ヘアスプレー』で抜群の男前っぷりを誇った、ジェームズ・マースデンでかっこいいし。女王なんてスーザン・サランドンですよ。凄みがあってきれいで誰かと思ったよ。
個人的に、こずるい従者ナサニエル役のティモシー・スポールが素敵でした。演技が上手いのも勿論なんですが、最後、そこからふっきれた時が、まあすんごい男前で。こういう、どこにでもいそうな小太りの中年男がかっこいいのって、真実素敵ですね。
誰でも、気軽な気持ちで楽しめると思います。別に人生がどうのとか、そういうエスプリがきいた作品ではないですし、そんなん考えてたらコメディなんて楽しめるか。
前から面白い、面白いと聞いていたのですが、本当に面白かったです。
結論から言えば、みんな幸せになったからよかったようなものの………という、とんだKY野郎が主人公の物語なんですが、これくらい強引に幸せになってくれたほうが、コメディ作品としても面白いと思います。
そんなナチュラルに自然体なコメディなんてあってたまるか。
アニメ世界である魔法とおとぎの国からやってきたジゼルが、NYに住む男性や、その周囲の人たちとふれあい、幸せになるという、非常にわかりやすい王道物語。
私は、始めジゼルが現実世界に来たときに、相手の男にも彼女がいて、ジゼルにも運命の王子様がちゃんといたわけですから、「そうか。ジゼルたちの愛の姿を見て、NYの恋人たちも上手くいくんだ」なんて、お気楽なことを考えていましたが、そんなわけなかった。
ジゼルは結局、NYの男と幸せになり、NYの女は王子様と幸せになるわけです。そりゃ物語の展開からしてもそうなんですが、現実は現実で幸せになるんだなんて思い込んでいた自分が穢れていると心底思いました。いや、別にこのシャッフルカップルが気に入らないとかそんなこたあないんですが………。
ミュージカルシーンはありますが、ドギツイ感じではなく、初めからおとぎの国の物語として演出されるので、NYやセントラルパークでいきなり歌って踊られても違和感はありません。そういうことを日常で平気にやっていたジゼルが、当たり前のようにやるわけですから。
作中の音楽も古き良き時代の音楽テイストが非常に強く、「思わず口ずさみたくなる」という正統派ミュージカルでした。音楽はとてもよかったです。
ジゼルの破天荒ぶりも可愛いし、根が素直で純真なので、嫌味がありません。瞳がきれいだとか、髪が美しいとか、混じりけなしに言われたらそれは嬉しいし。
そんな彼女が、相手の男に向かって「いつも、ノーしか言わないのね!」と初めて怒りを覚え、自分の感情を自覚するっていうのも、中々上手いつくりです。
俳優陣は文句なし。ジゼルの役の人はキュートだし、王子様は、『ヘアスプレー』で抜群の男前っぷりを誇った、ジェームズ・マースデンでかっこいいし。女王なんてスーザン・サランドンですよ。凄みがあってきれいで誰かと思ったよ。
個人的に、こずるい従者ナサニエル役のティモシー・スポールが素敵でした。演技が上手いのも勿論なんですが、最後、そこからふっきれた時が、まあすんごい男前で。こういう、どこにでもいそうな小太りの中年男がかっこいいのって、真実素敵ですね。
誰でも、気軽な気持ちで楽しめると思います。別に人生がどうのとか、そういうエスプリがきいた作品ではないですし、そんなん考えてたらコメディなんて楽しめるか。
『007/慰めの報酬』
根っからの日本人である私は、「ゼロゼロセブン大人一枚ください」と言い、売り場のお姉さんは、「ダブルオーセブン大人一枚ですね」と答え、地味に恥ずかしい鑑賞となりました。
17、18日が先行ロードショーだったので、混んでいると嫌だなあと思いつつ、レイトショーで見たんですが、バットマン・ダークナイトより空いてた。
だ、大丈夫なのかと不安になったんですが、内容としても、ごくごく普通でした。
ああああつまらないわけじゃないんだけどー特別面白くもないっつーか………。
ダニエル・クライヴがエロいのは、もう初めからわかりきっていることなので、それ以上のインパクトを求めたんですが、それは正直ありませんでした。
ダニエル・クライグは確かにエロくて、特にファッションセンスが凄く可愛いので、外見的には非常に見ごたえがあります。普通のスーツひとつとってもセンスがいいし、特に、ハイウェストで絞ったロングコートなんかは、若々しい印象が強くておしゃれでした。壮年の、胴体が寸胴になった人が着る、ストレートなロングコートもいいですが、若干若い(ボンドは別に青年じゃありませんが)人間が着る、ウェストを絞った格好は、それはそれでとてもおしゃれですし。
今回、割とボンドが何を追いかけているのか、具体的な敵が誰で、どういう悪いことをしているのか、がわかりづらいので、どうやって決着をつけるのか、と思っていたら、その部分が一番尻つぼみになった感じでした。
前作では、ル・シッフルという「いかにも悪役」との直接対決、という非常にわかりやすい見ごたえのある場面が、クライマックスでありましたが、今回はそれに値するものがありません。
敵がいかにもビジネス的な小悪党なのは、別に悪いことではないのです。私自身は小悪党大好きですし、やっている役者さんも、これがもう本当にいかにも、という感じのルックスで非常に上手です。外見的には問題なし。
ただ、小悪党には小悪党ならではの、なりふり構わない情けなさが絶対に必要だと思うのですが、今回それがないのです。
外見小悪党で、中身は凄腕の悪、というのであれば、その凄みが必要だと思うんですが、それもない。
なんていうか、どっちつかずの敵役がインパクトとして弱いんですよね。
ボンドは、ただのスパイではなく肉体派スパイなので、どうしてもアクションシーンが後半になれば目だってきてしまうのですが(個人的には諜報活動に従事しているときのほうが面白いんですけども)、それならそれで、あくまでボスとして、頭脳としての敵と、ボンドと直接対決する肉体派の部下、とかそういう役どころを持ってきておいてもよかったのではないかなあ、と思いました。
特に今回は、場面が二転三転するので、映画を見ていて「ここがクライマックスだ」と手に汗握る場面がぴんとこない、というのもあります。
あ、ここがクライマックスだったのか、と見終わった後に気づくというか。
終わりに際しては、特別締めが悪いというわけではないんですが、そこに行き着くまでが、後半になればなるほど、どうでもよくなっちゃうので、その辺が今回一番ピントが弱い感じでした。
精神的に、恋人の死を引きずったボンドが、どうやって立ち直っていくか、がキモなんでしょうけど、それならばそれで、今回のボンド・ガールはもう少し工夫が欲しかったなとも思いました。
同じ、復讐という感情を引きずる彼女なんですが、これなら別に、お色気的な女の人である必要がないというか。逆に、年端もいかない少女とかそんなんでいいんじゃないかな、と。あまりにたくましい女性だと、見ている側がどうしても、ボンド・ガール的な所作を期待したくなっちゃいますしね。
全体的な水準としては決して悪くないんですが、前作と比べたら圧倒的に前作のほうが面白かったです。
歴代のシリーズとしてお約束とかは、私は詳しくないのでよくわかりません。自己紹介とか、銃を構えて撃つシーンとかね。
カメラワークや、OPに若干の古臭さを感じさせるのは、わざとなのかなと思いますが、それも過去作品と比べられるだけの知識がないので、割愛。
ダニエル・クライグ自身は相変わらずかっこいいですし、前作から引き続いてマティスが出ているのも嬉しかったです。ああマティス………ジャンカルロ・ジャンニーニじゃねえかよ………。
根っからの日本人である私は、「ゼロゼロセブン大人一枚ください」と言い、売り場のお姉さんは、「ダブルオーセブン大人一枚ですね」と答え、地味に恥ずかしい鑑賞となりました。
17、18日が先行ロードショーだったので、混んでいると嫌だなあと思いつつ、レイトショーで見たんですが、バットマン・ダークナイトより空いてた。
だ、大丈夫なのかと不安になったんですが、内容としても、ごくごく普通でした。
ああああつまらないわけじゃないんだけどー特別面白くもないっつーか………。
ダニエル・クライヴがエロいのは、もう初めからわかりきっていることなので、それ以上のインパクトを求めたんですが、それは正直ありませんでした。
ダニエル・クライグは確かにエロくて、特にファッションセンスが凄く可愛いので、外見的には非常に見ごたえがあります。普通のスーツひとつとってもセンスがいいし、特に、ハイウェストで絞ったロングコートなんかは、若々しい印象が強くておしゃれでした。壮年の、胴体が寸胴になった人が着る、ストレートなロングコートもいいですが、若干若い(ボンドは別に青年じゃありませんが)人間が着る、ウェストを絞った格好は、それはそれでとてもおしゃれですし。
今回、割とボンドが何を追いかけているのか、具体的な敵が誰で、どういう悪いことをしているのか、がわかりづらいので、どうやって決着をつけるのか、と思っていたら、その部分が一番尻つぼみになった感じでした。
前作では、ル・シッフルという「いかにも悪役」との直接対決、という非常にわかりやすい見ごたえのある場面が、クライマックスでありましたが、今回はそれに値するものがありません。
敵がいかにもビジネス的な小悪党なのは、別に悪いことではないのです。私自身は小悪党大好きですし、やっている役者さんも、これがもう本当にいかにも、という感じのルックスで非常に上手です。外見的には問題なし。
ただ、小悪党には小悪党ならではの、なりふり構わない情けなさが絶対に必要だと思うのですが、今回それがないのです。
外見小悪党で、中身は凄腕の悪、というのであれば、その凄みが必要だと思うんですが、それもない。
なんていうか、どっちつかずの敵役がインパクトとして弱いんですよね。
ボンドは、ただのスパイではなく肉体派スパイなので、どうしてもアクションシーンが後半になれば目だってきてしまうのですが(個人的には諜報活動に従事しているときのほうが面白いんですけども)、それならそれで、あくまでボスとして、頭脳としての敵と、ボンドと直接対決する肉体派の部下、とかそういう役どころを持ってきておいてもよかったのではないかなあ、と思いました。
特に今回は、場面が二転三転するので、映画を見ていて「ここがクライマックスだ」と手に汗握る場面がぴんとこない、というのもあります。
あ、ここがクライマックスだったのか、と見終わった後に気づくというか。
終わりに際しては、特別締めが悪いというわけではないんですが、そこに行き着くまでが、後半になればなるほど、どうでもよくなっちゃうので、その辺が今回一番ピントが弱い感じでした。
精神的に、恋人の死を引きずったボンドが、どうやって立ち直っていくか、がキモなんでしょうけど、それならばそれで、今回のボンド・ガールはもう少し工夫が欲しかったなとも思いました。
同じ、復讐という感情を引きずる彼女なんですが、これなら別に、お色気的な女の人である必要がないというか。逆に、年端もいかない少女とかそんなんでいいんじゃないかな、と。あまりにたくましい女性だと、見ている側がどうしても、ボンド・ガール的な所作を期待したくなっちゃいますしね。
全体的な水準としては決して悪くないんですが、前作と比べたら圧倒的に前作のほうが面白かったです。
歴代のシリーズとしてお約束とかは、私は詳しくないのでよくわかりません。自己紹介とか、銃を構えて撃つシーンとかね。
カメラワークや、OPに若干の古臭さを感じさせるのは、わざとなのかなと思いますが、それも過去作品と比べられるだけの知識がないので、割愛。
ダニエル・クライグ自身は相変わらずかっこいいですし、前作から引き続いてマティスが出ているのも嬉しかったです。ああマティス………ジャンカルロ・ジャンニーニじゃねえかよ………。