■久々ニコニコ紹介。
なんつーか、あれですか。エロさと凄さが同居しているっていいましょうか。
アカギはかっこいいし、ディオ様は相当エロいですよね。
結局、鍋は昔のを利用しています。
いやあ、麦茶も問題なく煮出せたし、問題なさそうなので。
職場の同僚にいただいた鍋は、どうも底が深くて、何度か使ってみたんですが、一人分のおかゆを煮るにはもったいないと結論づけました。今度、パスタを茹でる時に使ってみます。いやあ、今までスパゲッティを二つ折りにしていたから、長いまま茹でられるか楽しみだ!(そんな楽しみ方)
今期のアニメはほぼきりました。というか、現在末期的にアニメに対する関心が低空飛行です。これは波があるんで、どうしようもないことなんですが。
今期だと、『鋼殻のレギオス』と『はじめの一歩』くらいでしょうか。
ただ、レギオスは今後どうなるかわからないのと、はじめの一歩は、宮田に興味がない(宮田に興味がある一歩には興味はある)ために、特別熱を入れて見ていない、というのが本音です。
後は、もうすぐ終わりそうな『ソウルイーター』と(心情吐露になっちゃうと、本当にどうでもいいんですが)『忍たま』再放送くらいでしょうか。
『続・夏目友人帖』は、一期を見ている時からずっと思っていたんですが、続編で確信。
この妙なのりきれなさは、妖怪変化といいながら、何故か人型をした化け物ばかりが主役を張るところにあるようです。
原作を全く知らないので、原作では完全に化け物ルックスの妖怪が出ていて、アニメだけ、そうじゃない作品をピックアップしているのかどうかはわかりませんが、どうにも、妖怪といいながらも結局人型である、というところに、根本的に乗り切れません。
本当に、人ではない、全く別の生き物であるというならば、それこそ、人間が見て嫌悪感を催すくらいの外見であるほうが、化け物であるという印象も強く残りますし、どうも、外見が人であるというだけで、媚びているというか、あざとい印象が強くなるんですよね、私の中では。
妖怪変化を扱った作品は、世の中にたくさんありますが、それこそ、『うしおととら』のように、全く人型ではない、醜い妖怪が織り成す感動というのも確かにありますし、『百鬼夜行抄』のように、良い悪いの観点ではなくただ存在しているだけで、「結果的に」人が受けるものは災いというような、どうしようもない不条理感や、存在そのもののベクトルが違う「生物」との兼ね合いのほうが、個人的には好みです。
『はじめの一歩』何とか85巻まで読み終わりました。
読み進めれば進めるほど、一歩の戦いどうでもよくなるのは、私だけでしょうか。
チャンピオン伊達が言っていた通り、事あるごとに一歩も自覚していますが、どれだけ「この拳は今まで戦ってきた人たちの思いが詰まっている」と言ったところで、やっぱり、生活かかってる人と、年齢いっちゃって人生的に後がない人たちとの拳とは、やっぱり根本的に重さのベクトルも違いますし。
そうなると、読んでいる私の年齢が年齢だけに(苦笑)どうしても、一歩のように、スポーツマンとしてのボクサーよりも、王者にしがみつきたい伊達や、年齢として最後である、家庭持ちのボクサー(名前失念)が「父ちゃんは逃げん」と一歩に立ち向かう姿のほうが、そりゃ燃えますよ。
個人的には、世界王者ゆえの強さ、というものに凄く興味があるので、またフェザー級王者リカルド・マルチネスとか出てきてもらいたいですね。
やっぱり、VS世界っていうのは読んでいるこっちも、盛り上がりますし。
「一位とチャンピオンは違う」っていう、その違いこそが燃えるっていうか。
東南アジア系の人たちは、ベッタベタですが、もう、背後に控えているものの重さが違う(どれだけベタであっても泣く私)ので、出てきて欲しいようなそうでないような………。
もう、子供のために宮田のかませ犬になるとか、どれだけそれ悲しいんだよ。
たまたま、yahooで一歩の特集があって、そこで作者様が「板垣が人気ないみたいなんですけど」というコメントがあり、そりゃそうだろ! と一人うなずきました。
あれだけ「ボクシングしかない」という必死の決意が渦巻く中で、天才肌の板垣がウケるわけがない!(苦笑)
奴はどうしても、あの作品の登場人物の中で、ソフティケイトされすぎてますよ。要するに、面白みがないし、応援しようという気になれない(これ、凄く重要です)。
板垣を応援しようと思わないということは、板垣の試合内容が面白くないということで、面白かったとしても面白いと思えないっていうことですから、結構そういう意味でも板垣って不遇だと思います。
どうしても、相手役の人たちとか、ライバルの今井の方を応援したくなりますよねえ。
板垣と、ハンマーナオだったら、どっちを応援するかっていったら、そりゃゲロ道ですよ! 文句なしに!
まあ、ハングリーさを表に決して出さない、というハングリーさもありますが、板垣の場合は天然だからな………。
梅沢がらみのエピソードも当然泣けます。
やっぱり、スポーツに特別関心がない私としては、スポーツ以外の日常風景が上手いのも、高評価なので、笑いのシーンや感動シーンを担う、ジムの面々や、梅沢は普通に泣けます。
とりあえず、また最初から読み直しているんですが、30巻にもたどり着いていないので、先は長い………。
なんつーか、あれですか。エロさと凄さが同居しているっていいましょうか。
アカギはかっこいいし、ディオ様は相当エロいですよね。
結局、鍋は昔のを利用しています。
いやあ、麦茶も問題なく煮出せたし、問題なさそうなので。
職場の同僚にいただいた鍋は、どうも底が深くて、何度か使ってみたんですが、一人分のおかゆを煮るにはもったいないと結論づけました。今度、パスタを茹でる時に使ってみます。いやあ、今までスパゲッティを二つ折りにしていたから、長いまま茹でられるか楽しみだ!(そんな楽しみ方)
今期のアニメはほぼきりました。というか、現在末期的にアニメに対する関心が低空飛行です。これは波があるんで、どうしようもないことなんですが。
今期だと、『鋼殻のレギオス』と『はじめの一歩』くらいでしょうか。
ただ、レギオスは今後どうなるかわからないのと、はじめの一歩は、宮田に興味がない(宮田に興味がある一歩には興味はある)ために、特別熱を入れて見ていない、というのが本音です。
後は、もうすぐ終わりそうな『ソウルイーター』と(心情吐露になっちゃうと、本当にどうでもいいんですが)『忍たま』再放送くらいでしょうか。
『続・夏目友人帖』は、一期を見ている時からずっと思っていたんですが、続編で確信。
この妙なのりきれなさは、妖怪変化といいながら、何故か人型をした化け物ばかりが主役を張るところにあるようです。
原作を全く知らないので、原作では完全に化け物ルックスの妖怪が出ていて、アニメだけ、そうじゃない作品をピックアップしているのかどうかはわかりませんが、どうにも、妖怪といいながらも結局人型である、というところに、根本的に乗り切れません。
本当に、人ではない、全く別の生き物であるというならば、それこそ、人間が見て嫌悪感を催すくらいの外見であるほうが、化け物であるという印象も強く残りますし、どうも、外見が人であるというだけで、媚びているというか、あざとい印象が強くなるんですよね、私の中では。
妖怪変化を扱った作品は、世の中にたくさんありますが、それこそ、『うしおととら』のように、全く人型ではない、醜い妖怪が織り成す感動というのも確かにありますし、『百鬼夜行抄』のように、良い悪いの観点ではなくただ存在しているだけで、「結果的に」人が受けるものは災いというような、どうしようもない不条理感や、存在そのもののベクトルが違う「生物」との兼ね合いのほうが、個人的には好みです。
『はじめの一歩』何とか85巻まで読み終わりました。
読み進めれば進めるほど、一歩の戦いどうでもよくなるのは、私だけでしょうか。
チャンピオン伊達が言っていた通り、事あるごとに一歩も自覚していますが、どれだけ「この拳は今まで戦ってきた人たちの思いが詰まっている」と言ったところで、やっぱり、生活かかってる人と、年齢いっちゃって人生的に後がない人たちとの拳とは、やっぱり根本的に重さのベクトルも違いますし。
そうなると、読んでいる私の年齢が年齢だけに(苦笑)どうしても、一歩のように、スポーツマンとしてのボクサーよりも、王者にしがみつきたい伊達や、年齢として最後である、家庭持ちのボクサー(名前失念)が「父ちゃんは逃げん」と一歩に立ち向かう姿のほうが、そりゃ燃えますよ。
個人的には、世界王者ゆえの強さ、というものに凄く興味があるので、またフェザー級王者リカルド・マルチネスとか出てきてもらいたいですね。
やっぱり、VS世界っていうのは読んでいるこっちも、盛り上がりますし。
「一位とチャンピオンは違う」っていう、その違いこそが燃えるっていうか。
東南アジア系の人たちは、ベッタベタですが、もう、背後に控えているものの重さが違う(どれだけベタであっても泣く私)ので、出てきて欲しいようなそうでないような………。
もう、子供のために宮田のかませ犬になるとか、どれだけそれ悲しいんだよ。
たまたま、yahooで一歩の特集があって、そこで作者様が「板垣が人気ないみたいなんですけど」というコメントがあり、そりゃそうだろ! と一人うなずきました。
あれだけ「ボクシングしかない」という必死の決意が渦巻く中で、天才肌の板垣がウケるわけがない!(苦笑)
奴はどうしても、あの作品の登場人物の中で、ソフティケイトされすぎてますよ。要するに、面白みがないし、応援しようという気になれない(これ、凄く重要です)。
板垣を応援しようと思わないということは、板垣の試合内容が面白くないということで、面白かったとしても面白いと思えないっていうことですから、結構そういう意味でも板垣って不遇だと思います。
どうしても、相手役の人たちとか、ライバルの今井の方を応援したくなりますよねえ。
板垣と、ハンマーナオだったら、どっちを応援するかっていったら、そりゃゲロ道ですよ! 文句なしに!
まあ、ハングリーさを表に決して出さない、というハングリーさもありますが、板垣の場合は天然だからな………。
梅沢がらみのエピソードも当然泣けます。
やっぱり、スポーツに特別関心がない私としては、スポーツ以外の日常風景が上手いのも、高評価なので、笑いのシーンや感動シーンを担う、ジムの面々や、梅沢は普通に泣けます。
とりあえず、また最初から読み直しているんですが、30巻にもたどり着いていないので、先は長い………。
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今現在、大人買いした『はじめの一歩』85冊が転がっております。
六畳一間の生活空間に足の踏み場がなくなりました。私は一体どこで寝ればいいのだ。
85冊もあって、必死に読んでいるのに、まだ五十冊程度というのが先を感じられて気が遠くなりそうです。
いわゆる純然たるスポーツ漫画なので、試合のシーンが当然多く、そのマンネリさ加減に飽きがきそうだな、と思っていたんですが、今のところそんな感じではありません。たぶん、基本に忠実だからなんでしょう。
特別なことはなく、主人公は勝てる努力を惜しまないし、そして、相手も当然そうというのは、見ていて気分が高揚します。どちらが勝ってもおかしくない、という気持ちに読んでいてすんなり思えるからです。
これは以前、『オフサイド』というサッカー漫画を読んだときも思ったことなんですが(ただし、オフサイドにはやって当然である練習シーンはほとんどないので、種類としては違うかも)バックボーンはコッテコテであっても忠実に描き、その上で、結果として試合の白黒がつくっていうのは、実に、正しい流れとして読めますね。嫌な気持ちにはならないのです。
奇をてらった終わり方とか、突然異星人が乱入してくる(何だねその例え)とか、どんでん返してきなものは絶対にないというのが、物語の前提としてあるので、その分、どんな結果になっても、どちらも応援したくなるというのは、非常に上手いと思います。
そして、輝く美形たちの美味しさはどうだ!(結局そこか)(とても大切です)
個人的に、天才肌タイプには一切興味がないのですが、前髪が試合中に生まれた鷹村の顔に悶絶し(外見はとても大事です)、地味とか中距離という言葉に非常に弱い私は、木村が大好きで、真柴との戦いは本気で痺れました。木村いいよ木村。私はあのジム陣営の中では、木村がダントツで好きです。
あ、勿論青木も主人公の一歩も嫌いじゃないです。奴らは、真剣な顔をして冗談を言い合うので、大好きです。
敵陣営は正直、五十巻くらいまで来ると主要人物以外名前が思い出せないんですが、読んでいる最中は誰も彼もが大好きでした。
こ、こうなるともう、判断は顔しか………!
間柴兄も大好きです。妹混みで奴らは可愛い。特に兄貴からは、何故か性的な匂いがします。(!?)
ちなみに、お約束に徹底的に弱い私は、オズマとヴォルグでは号泣しました。というか、ヴォルグのあの顔はなんだどうだあんなキュートなロシア人がいてたまるか超萌える。
全国地味同盟の末席にいる私としては(い、一体いつそんなものが)、小橋も譲れません。ああーもう、あの平々凡々とした男たちが、顔をぼこぼこにされ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって、がむしゃらになる姿っていうのはどうしてこう………!
ちなみに、外見だけで言うならば、ブッチギリで、会長と猫田の若い頃が好みです。(今現在じじいじゃねえか)
つうかあの、若い頃の猫田の二枚目っぷり反則だろう!? ありえないあの二枚目! 戦後の日本にあんな二枚目がいたなんて!(漫画ですよ!)
会長はなんていうか、二枚目の質が違うというか、猫田が美形(本気ですか)ならば、会長は男前という感じですね。なんだよあの二人クソ。
女がらみのエピソードとなると、とたんにベタになるのもこの漫画の特徴ですが、それでちょうどいいと思います。どんどん泥臭さを追求してもらいたいです。
超愛妻家の伊達とか、サチ子のためにボクシングを始めた今江とか、もう、お幸せに!
こうしてみると、好みに宮田とか、千堂とか言わないのが私らしいですね。いや、天才肌は好みじゃない(宮田は違いますが、典型的な美形ということで。というか、宮田は一歩のものだから)し、不良は好みじゃないんで。
ともかく、今現在試合のシーンに飽きがくることもなく、非常に面白く読めています。スポーツ漫画というと(ボクシングがスポーツかっていうと、それはそれでちょっと疑問なんですが。私はチキン野郎なので)試合ではなく、その前後の練習風景や日常シーンにばかり注目したくなる私も、このまま楽しめるくらいのテンションでお願いしたいところです。
六畳一間の生活空間に足の踏み場がなくなりました。私は一体どこで寝ればいいのだ。
85冊もあって、必死に読んでいるのに、まだ五十冊程度というのが先を感じられて気が遠くなりそうです。
いわゆる純然たるスポーツ漫画なので、試合のシーンが当然多く、そのマンネリさ加減に飽きがきそうだな、と思っていたんですが、今のところそんな感じではありません。たぶん、基本に忠実だからなんでしょう。
特別なことはなく、主人公は勝てる努力を惜しまないし、そして、相手も当然そうというのは、見ていて気分が高揚します。どちらが勝ってもおかしくない、という気持ちに読んでいてすんなり思えるからです。
これは以前、『オフサイド』というサッカー漫画を読んだときも思ったことなんですが(ただし、オフサイドにはやって当然である練習シーンはほとんどないので、種類としては違うかも)バックボーンはコッテコテであっても忠実に描き、その上で、結果として試合の白黒がつくっていうのは、実に、正しい流れとして読めますね。嫌な気持ちにはならないのです。
奇をてらった終わり方とか、突然異星人が乱入してくる(何だねその例え)とか、どんでん返してきなものは絶対にないというのが、物語の前提としてあるので、その分、どんな結果になっても、どちらも応援したくなるというのは、非常に上手いと思います。
そして、輝く美形たちの美味しさはどうだ!(結局そこか)(とても大切です)
個人的に、天才肌タイプには一切興味がないのですが、前髪が試合中に生まれた鷹村の顔に悶絶し(外見はとても大事です)、地味とか中距離という言葉に非常に弱い私は、木村が大好きで、真柴との戦いは本気で痺れました。木村いいよ木村。私はあのジム陣営の中では、木村がダントツで好きです。
あ、勿論青木も主人公の一歩も嫌いじゃないです。奴らは、真剣な顔をして冗談を言い合うので、大好きです。
敵陣営は正直、五十巻くらいまで来ると主要人物以外名前が思い出せないんですが、読んでいる最中は誰も彼もが大好きでした。
こ、こうなるともう、判断は顔しか………!
間柴兄も大好きです。妹混みで奴らは可愛い。特に兄貴からは、何故か性的な匂いがします。(!?)
ちなみに、お約束に徹底的に弱い私は、オズマとヴォルグでは号泣しました。というか、ヴォルグのあの顔はなんだどうだあんなキュートなロシア人がいてたまるか超萌える。
全国地味同盟の末席にいる私としては(い、一体いつそんなものが)、小橋も譲れません。ああーもう、あの平々凡々とした男たちが、顔をぼこぼこにされ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって、がむしゃらになる姿っていうのはどうしてこう………!
ちなみに、外見だけで言うならば、ブッチギリで、会長と猫田の若い頃が好みです。(今現在じじいじゃねえか)
つうかあの、若い頃の猫田の二枚目っぷり反則だろう!? ありえないあの二枚目! 戦後の日本にあんな二枚目がいたなんて!(漫画ですよ!)
会長はなんていうか、二枚目の質が違うというか、猫田が美形(本気ですか)ならば、会長は男前という感じですね。なんだよあの二人クソ。
女がらみのエピソードとなると、とたんにベタになるのもこの漫画の特徴ですが、それでちょうどいいと思います。どんどん泥臭さを追求してもらいたいです。
超愛妻家の伊達とか、サチ子のためにボクシングを始めた今江とか、もう、お幸せに!
こうしてみると、好みに宮田とか、千堂とか言わないのが私らしいですね。いや、天才肌は好みじゃない(宮田は違いますが、典型的な美形ということで。というか、宮田は一歩のものだから)し、不良は好みじゃないんで。
ともかく、今現在試合のシーンに飽きがくることもなく、非常に面白く読めています。スポーツ漫画というと(ボクシングがスポーツかっていうと、それはそれでちょっと疑問なんですが。私はチキン野郎なので)試合ではなく、その前後の練習風景や日常シーンにばかり注目したくなる私も、このまま楽しめるくらいのテンションでお願いしたいところです。
デヴィット・ストラザーン祭り。
………の、はずだったんですが、始まってみれば誰がストラザーンだかわからない始末。結局、消去法でこの人じゃないか、と思った人がそうでした。これは役者さんの妙というよりは、単に、このころ奴はまだ若かったというだけの話なのかもしれませんが。でも、1992年の作品ですからそれほど昔というわけでもないのか………。いや、そんなことない二十年前なら十分昔だ。
地味だ地味だといわれているらしく、派手な銃撃戦があるわけでもないですし、コンピューターが古臭いとか、時代を感じるものもありますが、個人的には十分楽しめました。その地味さを楽しむ作品といいましょうか。
主人公たちも取り立てておしゃれな会話をするわけではないですが、むさい男たちばかりが集まって、普通にしているであろうリアルな会話のセンスは中々上手でした。男だらけの集団だと、変にそれを引っ掻き回す女が出てきたりするんですが、彼らは性格はそれぞれ個性的であっても、根っからの職人気質なので(ただし明るい)女が出てきても、基本、仕事に役立つかどうかでしか見ていないのがかっこよかったです。
「ベティーはどうだ? 使えるか?」
「無理だ。俺と離婚してから行方不明だ」
とかね。結局、元彼女を利用したりするんですが、それもドライというか。
スパイ物のジャンルに入るだけあって、諜報活動は見ごたえがあります。これも地味に。ルパンや007、ミッションインポッシブルばりの潜入捜査もあるんですが、地味に警報装置にひっかからないように、ゆっくりゆっくり忍び足をするという原始的な方法(もちろんわけがある)。
そこを、敵が迫ってくるから急げ! と支持されて「急げないだろうが!」と返事をするのが笑えました。
デヴィット・ストラザーン目当てだったんですが、ふたを開けてみれば、なんだ この 凄い 俳優陣。
主役がまず、ロバート・レットフォードですよ。個人的に、甘いマスクというとまず真っ先にこの人が思い浮かびます。私的に好みというわけではないですが、「スティング」での若い青年時代は、もう、半端ないくらい正統派二枚目でした。今の世代なんか目じゃない。
敵役もなんと、ベン・キングズレー。ただし、毛はあります。おかげで凄く若く見えますねえ。セクシーです相変わらず。
最後に出てくる役人さんは、ジェームズ・アール・ジョーンズ。実は、一度気になって調べたことがある役者さんだったので、出てきた瞬間にわかったのですが、かなり有名な役者さんです。特に、声を聞けばすぐにわかると思います。そう、ダース・ベイダーの声優さんなのです。くええ、渋い!
他にも、非業の死を遂げる、リヴァー・フェニックスや、「ゴーストバスターズ」で有名な、ダン・エイクロイド。そして、黒人俳優として先駆者と呼ばれるシドニー・ポワチエ。
役者さんだけずらりと並べると、まさにそれだけで圧巻ですね。ただし、映画は本当に地味です。
俳優さんの派手さ加減を楽しむのではなく、純粋に演技として見られるので、個人的にはこれくらいのオーラの加減の仕方のほうが好みでした。
現代版オーシャンズなのかもしれませんが、オーシャンズよりも絶対こっちのほうが面白いし、役者の格が違うと思う。
そして、愛しのストラザーンは盲目の天才技術者として、最初から最後まですんごく可愛かったです。
この人には可愛いという形容詞がよく似合う………。
………の、はずだったんですが、始まってみれば誰がストラザーンだかわからない始末。結局、消去法でこの人じゃないか、と思った人がそうでした。これは役者さんの妙というよりは、単に、このころ奴はまだ若かったというだけの話なのかもしれませんが。でも、1992年の作品ですからそれほど昔というわけでもないのか………。いや、そんなことない二十年前なら十分昔だ。
地味だ地味だといわれているらしく、派手な銃撃戦があるわけでもないですし、コンピューターが古臭いとか、時代を感じるものもありますが、個人的には十分楽しめました。その地味さを楽しむ作品といいましょうか。
主人公たちも取り立てておしゃれな会話をするわけではないですが、むさい男たちばかりが集まって、普通にしているであろうリアルな会話のセンスは中々上手でした。男だらけの集団だと、変にそれを引っ掻き回す女が出てきたりするんですが、彼らは性格はそれぞれ個性的であっても、根っからの職人気質なので(ただし明るい)女が出てきても、基本、仕事に役立つかどうかでしか見ていないのがかっこよかったです。
「ベティーはどうだ? 使えるか?」
「無理だ。俺と離婚してから行方不明だ」
とかね。結局、元彼女を利用したりするんですが、それもドライというか。
スパイ物のジャンルに入るだけあって、諜報活動は見ごたえがあります。これも地味に。ルパンや007、ミッションインポッシブルばりの潜入捜査もあるんですが、地味に警報装置にひっかからないように、ゆっくりゆっくり忍び足をするという原始的な方法(もちろんわけがある)。
そこを、敵が迫ってくるから急げ! と支持されて「急げないだろうが!」と返事をするのが笑えました。
デヴィット・ストラザーン目当てだったんですが、ふたを開けてみれば、なんだ この 凄い 俳優陣。
主役がまず、ロバート・レットフォードですよ。個人的に、甘いマスクというとまず真っ先にこの人が思い浮かびます。私的に好みというわけではないですが、「スティング」での若い青年時代は、もう、半端ないくらい正統派二枚目でした。今の世代なんか目じゃない。
敵役もなんと、ベン・キングズレー。ただし、毛はあります。おかげで凄く若く見えますねえ。セクシーです相変わらず。
最後に出てくる役人さんは、ジェームズ・アール・ジョーンズ。実は、一度気になって調べたことがある役者さんだったので、出てきた瞬間にわかったのですが、かなり有名な役者さんです。特に、声を聞けばすぐにわかると思います。そう、ダース・ベイダーの声優さんなのです。くええ、渋い!
他にも、非業の死を遂げる、リヴァー・フェニックスや、「ゴーストバスターズ」で有名な、ダン・エイクロイド。そして、黒人俳優として先駆者と呼ばれるシドニー・ポワチエ。
役者さんだけずらりと並べると、まさにそれだけで圧巻ですね。ただし、映画は本当に地味です。
俳優さんの派手さ加減を楽しむのではなく、純粋に演技として見られるので、個人的にはこれくらいのオーラの加減の仕方のほうが好みでした。
現代版オーシャンズなのかもしれませんが、オーシャンズよりも絶対こっちのほうが面白いし、役者の格が違うと思う。
そして、愛しのストラザーンは盲目の天才技術者として、最初から最後まですんごく可愛かったです。
この人には可愛いという形容詞がよく似合う………。
諸事情あって更新滞ります。主に腰痛。
どうも定期的にやってくるので困り者です。椅子に座ってパソコン見てるのも辛いわ。
そうそう、新しい鍋が届きましたが、焦がしてしまった鍋は麦茶専用、新しい鍋は米専用で使い分けることにしました。新しい鍋、大きさはそれほど変わらないんですけど、重い。
いきなり自己主張してくる、にくい奴です。ありがとう、同僚。
映画『マイ・ボディーガード』の原作ということで読んでみました。
旅行記、というか実在する国の文化―食生活や、酒の名前。洋服の流行や、無数にある銃器の説明などが、非常に細かく感情を要れずに書かれており、文化のリストを読んでいるような感覚が、個人的にすごく好みでした。
やまほど心理描写が出てくるのかと思ったら、それは少なめで出てきても淡白な描写なので、非常に読みやすいです。
好意ひとつとっても、ずらずら女や男の感情を三ページも語ったりしないし、すっきりと「男は女を愛していた」くらいの文章で表現してもらったほうが、個人的に好みですし、如何にもハードボイルドという印象が強くなります。
感情描写は「文章として口にしなければならず」そのために、読み手は登場人物に感情移入しやすい。チープではなく、悲しいときは悲しいという感情が一番合うからこそ、それは悲しみなのだという割り切り方が好きだといいましょうか。
実際の内容としては、映画とは全く違います。主人公のクリーシィが女の子のボディーガードになって、その子がさらわれ復讐を誓う、という主題だけが同じで、細かい台詞や設定もそうとうアレンジが入ってます。ほぼ、別物だと思ったほうがいいですね。実際、ピタ(原作ではピンタという名前なんですが、この名前、イタリアではポピュラーなんですか………?)の誘拐そのものは物語の前半で語り終わってしまいます。
その後は、大怪我をおったクリーシィが地道な訓練をし、肉体を取り戻し、具体的な計画によって具体的に復讐を進めていく過程が描かれ、また、拷問シーンや殺戮シーンは非常に少ないです。
必要があったから書いてある、というスタンスの文章では、どれだけインパクトが強い「出来事」(誘拐や、殺害などのショッキングなシーン)であっても、長々と語るようなことはないわけです。
実際、クリーシィが島で自分の体力回復に努めたり、武器を調達したりするシーンのほうが、何倍もの文字数で書かれています。それは、「そうしてきた」という過程であり、ごく自然に「そうだったから」なのでしょう。文字を多く使う必要があったから、だけなんですね。
逆にそのへんの、私には全く知識がない、外国人部隊の話や、訓練の話は非常に面白かったです。そんな世界の旅行記を読んでいるような気分になります。
映画のクリーシィより、原作のクリーシィは、生臭い感じです。
映画は、幼い少女によって血なまぐさい男が救われる、というある種のファンタジーなわけですが、小説のクリーシィは確かに少女によって変わりますが、女は抱くし、最終的に身ごもった女と逃亡ですから、夢を見て、夢を味わい、その結果死んだ映画とは、基本的に立ち位置が違う感じです。もちろん、クリーシィが変わったのは、すべてピンタのおかげなので、根底には常に彼女がいるわけですが、それはそれ、これはこれ。男だから女を抱くし、酒は飲むし、下品な冗談は言うしで、こう、ある意味純情な映画版クリーシィを想像すると、受ける印象がだいぶ違うのではないかと思います。
私は、クリーシィの性格描写ですら淡白な小説版のクリーシィは嫌いじゃない、というか、映画とは完全に別物、と最初のほうで認識したので、べつにどってことはなかったですが。
比べてみると、映画の脚本を書いた人は、すごくドラマティックな演出を台詞の中で取り入れるのがうまい人だったのだなあ、と思います。
「神は俺たちを許すと思うか?」「無理だ」のあたりとかね。
そういう、印象に残る台詞は小説ではありませんでしたし。また、そういう作品でもありませんしね。
しかし、小説版のピンタは本当にひどい死に様だった………。もともと、ピンタの誘拐から始まって殺害がわかるまで、数ページしかありませんしね。これも、長々と書く場面ではないからなんでしょうが。
誘拐され、陵辱された挙句、自分の嘔吐物を喉に詰まらせて窒息死、ですからね………。本当にひどいよこれは。
ただ、原作のクリーシィは、最終的に一人の女との間に愛情を育み、生活を取り戻すので、その場に確かに生き残ったピンタがいては、「邪魔」かな、とも思います。感動が二分されるというか。
ピンタはあの世界の中で現実的に誘拐され、そして殺された。
だから、クリーシィは復讐した。
明確な主題に揺るぎのない原作でした。
映画と違うのは、ピタしかいなかった映画版のクリーシィと違い、ピンタのおかげで人々を愛することができるようになった原作版のクリーシィのほうが、より生臭く穢れている、くらいでしょうか。
ただ、生臭いからといって、リアリティがあるという意味ではないのです。原作のクリーシィはどちらかといえば、ターミネーターなので、人間としての感情が垣間見える弱い存在としては、映画のほうが描写が上だと思います。
面白かったです。残酷描写なら映画のほうがよっぽど辛いので、そういう意味でも小説版はお勧め。
どうも定期的にやってくるので困り者です。椅子に座ってパソコン見てるのも辛いわ。
そうそう、新しい鍋が届きましたが、焦がしてしまった鍋は麦茶専用、新しい鍋は米専用で使い分けることにしました。新しい鍋、大きさはそれほど変わらないんですけど、重い。
いきなり自己主張してくる、にくい奴です。ありがとう、同僚。
映画『マイ・ボディーガード』の原作ということで読んでみました。
旅行記、というか実在する国の文化―食生活や、酒の名前。洋服の流行や、無数にある銃器の説明などが、非常に細かく感情を要れずに書かれており、文化のリストを読んでいるような感覚が、個人的にすごく好みでした。
やまほど心理描写が出てくるのかと思ったら、それは少なめで出てきても淡白な描写なので、非常に読みやすいです。
好意ひとつとっても、ずらずら女や男の感情を三ページも語ったりしないし、すっきりと「男は女を愛していた」くらいの文章で表現してもらったほうが、個人的に好みですし、如何にもハードボイルドという印象が強くなります。
感情描写は「文章として口にしなければならず」そのために、読み手は登場人物に感情移入しやすい。チープではなく、悲しいときは悲しいという感情が一番合うからこそ、それは悲しみなのだという割り切り方が好きだといいましょうか。
実際の内容としては、映画とは全く違います。主人公のクリーシィが女の子のボディーガードになって、その子がさらわれ復讐を誓う、という主題だけが同じで、細かい台詞や設定もそうとうアレンジが入ってます。ほぼ、別物だと思ったほうがいいですね。実際、ピタ(原作ではピンタという名前なんですが、この名前、イタリアではポピュラーなんですか………?)の誘拐そのものは物語の前半で語り終わってしまいます。
その後は、大怪我をおったクリーシィが地道な訓練をし、肉体を取り戻し、具体的な計画によって具体的に復讐を進めていく過程が描かれ、また、拷問シーンや殺戮シーンは非常に少ないです。
必要があったから書いてある、というスタンスの文章では、どれだけインパクトが強い「出来事」(誘拐や、殺害などのショッキングなシーン)であっても、長々と語るようなことはないわけです。
実際、クリーシィが島で自分の体力回復に努めたり、武器を調達したりするシーンのほうが、何倍もの文字数で書かれています。それは、「そうしてきた」という過程であり、ごく自然に「そうだったから」なのでしょう。文字を多く使う必要があったから、だけなんですね。
逆にそのへんの、私には全く知識がない、外国人部隊の話や、訓練の話は非常に面白かったです。そんな世界の旅行記を読んでいるような気分になります。
映画のクリーシィより、原作のクリーシィは、生臭い感じです。
映画は、幼い少女によって血なまぐさい男が救われる、というある種のファンタジーなわけですが、小説のクリーシィは確かに少女によって変わりますが、女は抱くし、最終的に身ごもった女と逃亡ですから、夢を見て、夢を味わい、その結果死んだ映画とは、基本的に立ち位置が違う感じです。もちろん、クリーシィが変わったのは、すべてピンタのおかげなので、根底には常に彼女がいるわけですが、それはそれ、これはこれ。男だから女を抱くし、酒は飲むし、下品な冗談は言うしで、こう、ある意味純情な映画版クリーシィを想像すると、受ける印象がだいぶ違うのではないかと思います。
私は、クリーシィの性格描写ですら淡白な小説版のクリーシィは嫌いじゃない、というか、映画とは完全に別物、と最初のほうで認識したので、べつにどってことはなかったですが。
比べてみると、映画の脚本を書いた人は、すごくドラマティックな演出を台詞の中で取り入れるのがうまい人だったのだなあ、と思います。
「神は俺たちを許すと思うか?」「無理だ」のあたりとかね。
そういう、印象に残る台詞は小説ではありませんでしたし。また、そういう作品でもありませんしね。
しかし、小説版のピンタは本当にひどい死に様だった………。もともと、ピンタの誘拐から始まって殺害がわかるまで、数ページしかありませんしね。これも、長々と書く場面ではないからなんでしょうが。
誘拐され、陵辱された挙句、自分の嘔吐物を喉に詰まらせて窒息死、ですからね………。本当にひどいよこれは。
ただ、原作のクリーシィは、最終的に一人の女との間に愛情を育み、生活を取り戻すので、その場に確かに生き残ったピンタがいては、「邪魔」かな、とも思います。感動が二分されるというか。
ピンタはあの世界の中で現実的に誘拐され、そして殺された。
だから、クリーシィは復讐した。
明確な主題に揺るぎのない原作でした。
映画と違うのは、ピタしかいなかった映画版のクリーシィと違い、ピンタのおかげで人々を愛することができるようになった原作版のクリーシィのほうが、より生臭く穢れている、くらいでしょうか。
ただ、生臭いからといって、リアリティがあるという意味ではないのです。原作のクリーシィはどちらかといえば、ターミネーターなので、人間としての感情が垣間見える弱い存在としては、映画のほうが描写が上だと思います。
面白かったです。残酷描写なら映画のほうがよっぽど辛いので、そういう意味でも小説版はお勧め。
『ジャイアントロボ 地球が静止する日』で、ドS忍者こと、マスク・ザ・レッドを演じられていた市川治が亡くなられたと聞き、腰が砕けました。ああああこれでただでさえ絶望的な続編がまた一つ遠く………。
レッドの手首のエロさは、もう、この世の奇跡に分類していいかと思います。
我が愛しのアルカディアよ………!(思いの丈をこれでもかとぶつけてみました)
実際は、こげの部分がもっと黒っぽい感じです。というか、真っ黒。
これでもだいぶ落ちたんですが、初期消火(泣笑)がよかったらしく、これ以上はどうにもならない感じです。
ちゃんと、100円均一で重曹を購入して、二回ほどつけてみたんですが、結果としては、途中でついでに放り込んだコンロのカバーが反応して、思いっきり吹き零れて床がびしょぬれになったくらいで(何故貴様は注意事項を読まないんだ)。
実際、こすって落ちる焦げ付きより、今まで延々酷使してきた片手鍋は、もう、底はもとよりあっちこっちハゲまくっていたので、それに沈着してしまったようです。
もともとが灰色の鍋だったのが、はげて銀色になって、そこが焦げて真っ黒になって、そして終わったというか………。
これ、結局使えるんですかねえ。
己のミスで捨てるのは忍びないので、現在、麦茶を煮出しています(貴様また!?)。
これで、実際冷やして飲んでみて、苦かったら捨てようかと思います。
ほら、土鍋が使い込んでいくうちに、ひびわれにお米のでんぷんがくっついて、底がもれなくなるのと同じように、うちの鍋にも味わいが出てくるかもしれないしさ!(どこの美味しんぼですか)
現在結果待ちです。おってお知らせします(苦笑)。
ただ、職場の同僚が新しい鍋をくれるというので、それはそれでもらっておこうとも思います。
よせよ………別にお前に飽きたわけじゃない。あいつはただ、俺を必要としているだけさ………。
以下、練習絵。
レッドの手首のエロさは、もう、この世の奇跡に分類していいかと思います。
![](http://sid.uh-oh.jp/hoge/img/2009_01_12.jpg)
我が愛しのアルカディアよ………!(思いの丈をこれでもかとぶつけてみました)
実際は、こげの部分がもっと黒っぽい感じです。というか、真っ黒。
これでもだいぶ落ちたんですが、初期消火(泣笑)がよかったらしく、これ以上はどうにもならない感じです。
ちゃんと、100円均一で重曹を購入して、二回ほどつけてみたんですが、結果としては、途中でついでに放り込んだコンロのカバーが反応して、思いっきり吹き零れて床がびしょぬれになったくらいで(何故貴様は注意事項を読まないんだ)。
実際、こすって落ちる焦げ付きより、今まで延々酷使してきた片手鍋は、もう、底はもとよりあっちこっちハゲまくっていたので、それに沈着してしまったようです。
もともとが灰色の鍋だったのが、はげて銀色になって、そこが焦げて真っ黒になって、そして終わったというか………。
これ、結局使えるんですかねえ。
己のミスで捨てるのは忍びないので、現在、麦茶を煮出しています(貴様また!?)。
これで、実際冷やして飲んでみて、苦かったら捨てようかと思います。
ほら、土鍋が使い込んでいくうちに、ひびわれにお米のでんぷんがくっついて、底がもれなくなるのと同じように、うちの鍋にも味わいが出てくるかもしれないしさ!(どこの美味しんぼですか)
現在結果待ちです。おってお知らせします(苦笑)。
ただ、職場の同僚が新しい鍋をくれるというので、それはそれでもらっておこうとも思います。
よせよ………別にお前に飽きたわけじゃない。あいつはただ、俺を必要としているだけさ………。
以下、練習絵。