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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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諸事情あって更新滞ります。主に腰痛。
どうも定期的にやってくるので困り者です。椅子に座ってパソコン見てるのも辛いわ。

そうそう、新しい鍋が届きましたが、焦がしてしまった鍋は麦茶専用、新しい鍋は米専用で使い分けることにしました。新しい鍋、大きさはそれほど変わらないんですけど、重い。
いきなり自己主張してくる、にくい奴です。ありがとう、同僚。



映画『マイ・ボディーガード』の原作ということで読んでみました。
旅行記、というか実在する国の文化―食生活や、酒の名前。洋服の流行や、無数にある銃器の説明などが、非常に細かく感情を要れずに書かれており、文化のリストを読んでいるような感覚が、個人的にすごく好みでした。
やまほど心理描写が出てくるのかと思ったら、それは少なめで出てきても淡白な描写なので、非常に読みやすいです。
好意ひとつとっても、ずらずら女や男の感情を三ページも語ったりしないし、すっきりと「男は女を愛していた」くらいの文章で表現してもらったほうが、個人的に好みですし、如何にもハードボイルドという印象が強くなります。

感情描写は「文章として口にしなければならず」そのために、読み手は登場人物に感情移入しやすい。チープではなく、悲しいときは悲しいという感情が一番合うからこそ、それは悲しみなのだという割り切り方が好きだといいましょうか。

実際の内容としては、映画とは全く違います。主人公のクリーシィが女の子のボディーガードになって、その子がさらわれ復讐を誓う、という主題だけが同じで、細かい台詞や設定もそうとうアレンジが入ってます。ほぼ、別物だと思ったほうがいいですね。実際、ピタ(原作ではピンタという名前なんですが、この名前、イタリアではポピュラーなんですか………?)の誘拐そのものは物語の前半で語り終わってしまいます。

その後は、大怪我をおったクリーシィが地道な訓練をし、肉体を取り戻し、具体的な計画によって具体的に復讐を進めていく過程が描かれ、また、拷問シーンや殺戮シーンは非常に少ないです。
必要があったから書いてある、というスタンスの文章では、どれだけインパクトが強い「出来事」(誘拐や、殺害などのショッキングなシーン)であっても、長々と語るようなことはないわけです。
実際、クリーシィが島で自分の体力回復に努めたり、武器を調達したりするシーンのほうが、何倍もの文字数で書かれています。それは、「そうしてきた」という過程であり、ごく自然に「そうだったから」なのでしょう。文字を多く使う必要があったから、だけなんですね。

逆にそのへんの、私には全く知識がない、外国人部隊の話や、訓練の話は非常に面白かったです。そんな世界の旅行記を読んでいるような気分になります。

映画のクリーシィより、原作のクリーシィは、生臭い感じです。
映画は、幼い少女によって血なまぐさい男が救われる、というある種のファンタジーなわけですが、小説のクリーシィは確かに少女によって変わりますが、女は抱くし、最終的に身ごもった女と逃亡ですから、夢を見て、夢を味わい、その結果死んだ映画とは、基本的に立ち位置が違う感じです。もちろん、クリーシィが変わったのは、すべてピンタのおかげなので、根底には常に彼女がいるわけですが、それはそれ、これはこれ。男だから女を抱くし、酒は飲むし、下品な冗談は言うしで、こう、ある意味純情な映画版クリーシィを想像すると、受ける印象がだいぶ違うのではないかと思います。

私は、クリーシィの性格描写ですら淡白な小説版のクリーシィは嫌いじゃない、というか、映画とは完全に別物、と最初のほうで認識したので、べつにどってことはなかったですが。
比べてみると、映画の脚本を書いた人は、すごくドラマティックな演出を台詞の中で取り入れるのがうまい人だったのだなあ、と思います。
「神は俺たちを許すと思うか?」「無理だ」のあたりとかね。
そういう、印象に残る台詞は小説ではありませんでしたし。また、そういう作品でもありませんしね。

しかし、小説版のピンタは本当にひどい死に様だった………。もともと、ピンタの誘拐から始まって殺害がわかるまで、数ページしかありませんしね。これも、長々と書く場面ではないからなんでしょうが。
誘拐され、陵辱された挙句、自分の嘔吐物を喉に詰まらせて窒息死、ですからね………。本当にひどいよこれは。
ただ、原作のクリーシィは、最終的に一人の女との間に愛情を育み、生活を取り戻すので、その場に確かに生き残ったピンタがいては、「邪魔」かな、とも思います。感動が二分されるというか。

ピンタはあの世界の中で現実的に誘拐され、そして殺された。
だから、クリーシィは復讐した。
明確な主題に揺るぎのない原作でした。
映画と違うのは、ピタしかいなかった映画版のクリーシィと違い、ピンタのおかげで人々を愛することができるようになった原作版のクリーシィのほうが、より生臭く穢れている、くらいでしょうか。
ただ、生臭いからといって、リアリティがあるという意味ではないのです。原作のクリーシィはどちらかといえば、ターミネーターなので、人間としての感情が垣間見える弱い存在としては、映画のほうが描写が上だと思います。

面白かったです。残酷描写なら映画のほうがよっぽど辛いので、そういう意味でも小説版はお勧め。
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