『マッチスティック・メン』
ニコラス・ケイジ主演の詐欺師映画です。
これ、レンタルで見たんですが、総時間が191分と記されていて「そんなん見る気しねえー! どれだけ日常描写長いんだよ!」と長い間ほったらかしていたんですが、131分の誤植だったことが判明しました。一時間違うってどれだけお前。
内容としては、神経質で潔癖症なニコラスが、精神科医に薦められて久しぶりに娘と出会い、交流を深めていくが、詐欺の仕事で失敗し………というような感じです。
何が楽しいって、ニコラス・ケイジの病的な潔癖症。
室内で靴を脱ぐのは当たり前。すべてのものは素手で触らず、神経症の薬を飲み、それが見当たらなかったときに行うのが、室内の掃除。
それなのに、外食はできるとか、室内でも車内でも死ぬほどタバコをすうっていう、駄目と駄目じゃないの境がよくわかりませんが、だからこそ理屈のない病気なんでしょうな。そのさまが非常に笑えます。
実際やっているのは詐欺なので、それは見ていて楽しいというものではなく、潔癖症のしょーもない親父が、元気で可愛い娘に振り回される様を見て楽しむのが吉。
ニコラス・ケイジが本当にしょーもない人間なんですが、すぐ謝るという鉄壁のスキルを持っているので、嫌味な印象がないのがすごく救いです。「ごめん」が言える人間って(しかも心から)やっぱり根が善良なんだろうなあ、と思えますしね。
結果、詐欺は失敗し、色々あってニコラス・ケイジはすべてを失うんですが、そこから別にどんでん返しがあるとか、逆に詐欺をし返すという話ではないのが、逆に新鮮でした。
彼は詐欺師を廃業し、そして新しい仕事を見つけ、新しい生活を始める。決して派手ではないけれど、そこに至るまで彼は何度も泣き崩れるんだけど、恨みつらみを持つのはお門違い。実際彼がやっていたことをやり返されただけ。
そんな、穏やかな終わりでした。
詐欺師の話というよりは、情けない男が情けない過程を経て、結果として幸せな結果を得る、という物語でした。
14歳の娘さん役が、22歳だと知ったときは、アメリカの神秘を見たと思いました。もうあの国はすごく老けてるか、すごく若いか両極端しかないのか。
ちなみに、詐欺の相棒サム・ロックウェルはすごくかっこいいですし、精神科医のブルース・アルトマンは、知的なおじ様で萌えます。引っ掛ける相手のブルース・マッギルもどこかで見たことあるような気がするんだけどなー。気のせいかなー。
『アメリカン・ビューティー』
クリス・クーパー祭り。
私は基本的に、皮肉のスパイスをきかせたとか、シニカルなというあらすじに全くひかれないので、見るまでの踏ん切りが中々つらかったです。もうねえ、金払ってまで、胸苦しくなるってわかってる映画は見たいと思えないよ。年取ったから。
ケヴィン・スペイシーを楽しむしかないのだろうか………と思いつつ鑑賞。
わりと普通でした。
一番つらかったのが、不動産を頑張って売ろうといきまいていた奥さんが、中々上手くいかないで隠れて泣くところくらいで、あとは平坦な感情で見られました。
実際悲惨なのかもしれませんし、ヤクの売人である隣の息子さんの言っていることの半分も理解できませんが、なんていうか、主人公のケヴィン・スペイシーはやりたいことを見つけてやりたいようにやってる時点で、人生勝ち組なわけだし。それならそれでいいんじゃないかと。
今の生活に固執するのも、割り切っちゃうのも個人の自由というか。
考え方が異常であっても、ヤクの売人の隣人の子は非常に理知的に見えるし、それを魅力的に思う主人公の娘さんは、ただの青春真っ只中の女の子だし。
性的関係を露にする女の子の友人も、結局「あーそりゃそうだろうねー」という感じの子で、主人公もそりゃ夢から覚めるわというか。
別に無償の愛とか、慈愛から主人公の変貌が始まったわけじゃないので、ラストで主人公が我に返るのも、すんなり受け入れられました。
痛切に皮肉が利いているとか、そんな感じじゃなく、わりと、やりたいことをやりたいようにやっている人と、やれない人(隣人の父さん)の対比という感じの映画でした。
なんだろうなあ、こういう社会派な映画は、文化的にどうとか色々小難しく批評しなきゃいけないのかもしれませんが、そういう映画慣れしてないせいか、ごくごく普通に見られました。
ニコラス・ケイジ主演の詐欺師映画です。
これ、レンタルで見たんですが、総時間が191分と記されていて「そんなん見る気しねえー! どれだけ日常描写長いんだよ!」と長い間ほったらかしていたんですが、131分の誤植だったことが判明しました。一時間違うってどれだけお前。
内容としては、神経質で潔癖症なニコラスが、精神科医に薦められて久しぶりに娘と出会い、交流を深めていくが、詐欺の仕事で失敗し………というような感じです。
何が楽しいって、ニコラス・ケイジの病的な潔癖症。
室内で靴を脱ぐのは当たり前。すべてのものは素手で触らず、神経症の薬を飲み、それが見当たらなかったときに行うのが、室内の掃除。
それなのに、外食はできるとか、室内でも車内でも死ぬほどタバコをすうっていう、駄目と駄目じゃないの境がよくわかりませんが、だからこそ理屈のない病気なんでしょうな。そのさまが非常に笑えます。
実際やっているのは詐欺なので、それは見ていて楽しいというものではなく、潔癖症のしょーもない親父が、元気で可愛い娘に振り回される様を見て楽しむのが吉。
ニコラス・ケイジが本当にしょーもない人間なんですが、すぐ謝るという鉄壁のスキルを持っているので、嫌味な印象がないのがすごく救いです。「ごめん」が言える人間って(しかも心から)やっぱり根が善良なんだろうなあ、と思えますしね。
結果、詐欺は失敗し、色々あってニコラス・ケイジはすべてを失うんですが、そこから別にどんでん返しがあるとか、逆に詐欺をし返すという話ではないのが、逆に新鮮でした。
彼は詐欺師を廃業し、そして新しい仕事を見つけ、新しい生活を始める。決して派手ではないけれど、そこに至るまで彼は何度も泣き崩れるんだけど、恨みつらみを持つのはお門違い。実際彼がやっていたことをやり返されただけ。
そんな、穏やかな終わりでした。
詐欺師の話というよりは、情けない男が情けない過程を経て、結果として幸せな結果を得る、という物語でした。
14歳の娘さん役が、22歳だと知ったときは、アメリカの神秘を見たと思いました。もうあの国はすごく老けてるか、すごく若いか両極端しかないのか。
ちなみに、詐欺の相棒サム・ロックウェルはすごくかっこいいですし、精神科医のブルース・アルトマンは、知的なおじ様で萌えます。引っ掛ける相手のブルース・マッギルもどこかで見たことあるような気がするんだけどなー。気のせいかなー。
『アメリカン・ビューティー』
クリス・クーパー祭り。
私は基本的に、皮肉のスパイスをきかせたとか、シニカルなというあらすじに全くひかれないので、見るまでの踏ん切りが中々つらかったです。もうねえ、金払ってまで、胸苦しくなるってわかってる映画は見たいと思えないよ。年取ったから。
ケヴィン・スペイシーを楽しむしかないのだろうか………と思いつつ鑑賞。
わりと普通でした。
一番つらかったのが、不動産を頑張って売ろうといきまいていた奥さんが、中々上手くいかないで隠れて泣くところくらいで、あとは平坦な感情で見られました。
実際悲惨なのかもしれませんし、ヤクの売人である隣の息子さんの言っていることの半分も理解できませんが、なんていうか、主人公のケヴィン・スペイシーはやりたいことを見つけてやりたいようにやってる時点で、人生勝ち組なわけだし。それならそれでいいんじゃないかと。
今の生活に固執するのも、割り切っちゃうのも個人の自由というか。
考え方が異常であっても、ヤクの売人の隣人の子は非常に理知的に見えるし、それを魅力的に思う主人公の娘さんは、ただの青春真っ只中の女の子だし。
性的関係を露にする女の子の友人も、結局「あーそりゃそうだろうねー」という感じの子で、主人公もそりゃ夢から覚めるわというか。
別に無償の愛とか、慈愛から主人公の変貌が始まったわけじゃないので、ラストで主人公が我に返るのも、すんなり受け入れられました。
痛切に皮肉が利いているとか、そんな感じじゃなく、わりと、やりたいことをやりたいようにやっている人と、やれない人(隣人の父さん)の対比という感じの映画でした。
なんだろうなあ、こういう社会派な映画は、文化的にどうとか色々小難しく批評しなきゃいけないのかもしれませんが、そういう映画慣れしてないせいか、ごくごく普通に見られました。
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