私はやるべきことや、やると決めたことは、即断即決。仕事では押しが強い方ですし、プライベートでも行動力があると自分でも思います。
ですが一旦別にいいんだけどと思ってしまうと、非常に腰が引けるたちです。
そんな私ですが先日利用してきましたよ駅前駐輪場!(低次元)
今まで民間の駐輪場を利用していたんですが、当たり前のように長時間利用すると結構お金がかかるんですよ。
前々から公の駐輪場があるのは知ってはいたんですが、外側から見る限り常にびっちりいつも詰まってて、おまけにいつの時間も係りらしき人の姿も見えない。
この時点で「うへえ」と気後れしてしまうんですよ。
これが自転車ならここまでひくこともないんですが、私は原付乗りなので、いざというときに全く小回りが聞かないのが問題なのです。
乗られない方はわからないと思うんですが、原付は見た目より遥かに重いし、人力で動かそうものなら小回りはきかないし、想像以上に幅もとるのです。
で、もたもたしていると他の人の迷惑だしなあと、今までチキンハートで避けてきたんですが、最近遠出することがわりと増えてきたので(勿論常人に比べるとものの数ではない)一念発起。
この前の雪の日夜勤明けで、バスで帰宅する機会を良いことに、ぶらり途中下車して、わざわざ事前調査してきましたよ!(マーティ・マクフライもびっくりの弱々しさ)
第二駐輪場のほうだったんですが、係りのおじさんの姿を見つけて特攻。
「あの、すみません。ちょっとお訊きしたいんですが」
訊いてみればなんのことはなく、おじさんは親切に色々教えてくれました。
一番謎だったおじさん不在ですが、決められた時間にしか係りの人はいないんだそうです。じゃあお金はどうするんだと思ったら、購入して貼る券がない原付には、交代でやってきたおじさんが請求の札を勝手に貼ってしまうんだとか。
「いないときは空いている場所に勝手に止めていいですよ」と言われたときは「どれだけザルなんだ」と思いましたが。
まあそんな情報を仕入れて、遂に第一駐輪場を利用して参りました。どれだけ土地が足りない都会のビルなんだというくらい狭いスペースにびっちりの場所でしたので、戦々恐々でしたが、そこにいたおじさんがやはり、「あっちが空いてるよ?!」と親切に場所を教えてくれまして、とりあえず止めます。
さあ金だ! とばかりに
「あの、私初めて利用するんですが、お金はどうしたらいいんでしょうか」
と尋ねたところ、
「ナンバーわかれば券つけといてあげるよ!」
とまで。
いやいや覚えないと意味がないから、と慎んで辞退すると、券売機の前で懇切丁寧に説明してくれました。
というか全部やってくれた。
券のつけ方まで教えてくれて、大変親切なおじさんでした。
「こうすると糊がついちゃうからね! こう紙につけるの! 慣れてきたら、建物の中も利用してね! カードはお金がなくなったらチャージできるからね! 何百回もできるからね!」
「ありがとうございます!」
でもなんでそんなに大声!(つられて大声で返事をする三十歳)
本当に親切にしていただきました。ありがとうございますおじさん!
この手の係りの人は妙に怖いイメージがあったのですが、私が関わったお二方は、どちらもとても良い方でした。
こういう出会いってつまらないことかもしれませんが、凄く大事だし嬉しいよなあとしみじみ。
実際かなりテンパっていたらしく、おじさんと一緒に券を貼りに原付まで戻って初めて、鍵をさしっぱなしだったことに気付きました。
「あ、鍵忘れてた」
「おおっと、危な?い!」
なんでそんなにハイテンションなんですかおじさ?ん!
こっちのテンションも朝っぱらからダダ上がりした日でした。
ですが一旦別にいいんだけどと思ってしまうと、非常に腰が引けるたちです。
そんな私ですが先日利用してきましたよ駅前駐輪場!(低次元)
今まで民間の駐輪場を利用していたんですが、当たり前のように長時間利用すると結構お金がかかるんですよ。
前々から公の駐輪場があるのは知ってはいたんですが、外側から見る限り常にびっちりいつも詰まってて、おまけにいつの時間も係りらしき人の姿も見えない。
この時点で「うへえ」と気後れしてしまうんですよ。
これが自転車ならここまでひくこともないんですが、私は原付乗りなので、いざというときに全く小回りが聞かないのが問題なのです。
乗られない方はわからないと思うんですが、原付は見た目より遥かに重いし、人力で動かそうものなら小回りはきかないし、想像以上に幅もとるのです。
で、もたもたしていると他の人の迷惑だしなあと、今までチキンハートで避けてきたんですが、最近遠出することがわりと増えてきたので(勿論常人に比べるとものの数ではない)一念発起。
この前の雪の日夜勤明けで、バスで帰宅する機会を良いことに、ぶらり途中下車して、わざわざ事前調査してきましたよ!(マーティ・マクフライもびっくりの弱々しさ)
第二駐輪場のほうだったんですが、係りのおじさんの姿を見つけて特攻。
「あの、すみません。ちょっとお訊きしたいんですが」
訊いてみればなんのことはなく、おじさんは親切に色々教えてくれました。
一番謎だったおじさん不在ですが、決められた時間にしか係りの人はいないんだそうです。じゃあお金はどうするんだと思ったら、購入して貼る券がない原付には、交代でやってきたおじさんが請求の札を勝手に貼ってしまうんだとか。
「いないときは空いている場所に勝手に止めていいですよ」と言われたときは「どれだけザルなんだ」と思いましたが。
まあそんな情報を仕入れて、遂に第一駐輪場を利用して参りました。どれだけ土地が足りない都会のビルなんだというくらい狭いスペースにびっちりの場所でしたので、戦々恐々でしたが、そこにいたおじさんがやはり、「あっちが空いてるよ?!」と親切に場所を教えてくれまして、とりあえず止めます。
さあ金だ! とばかりに
「あの、私初めて利用するんですが、お金はどうしたらいいんでしょうか」
と尋ねたところ、
「ナンバーわかれば券つけといてあげるよ!」
とまで。
いやいや覚えないと意味がないから、と慎んで辞退すると、券売機の前で懇切丁寧に説明してくれました。
というか全部やってくれた。
券のつけ方まで教えてくれて、大変親切なおじさんでした。
「こうすると糊がついちゃうからね! こう紙につけるの! 慣れてきたら、建物の中も利用してね! カードはお金がなくなったらチャージできるからね! 何百回もできるからね!」
「ありがとうございます!」
でもなんでそんなに大声!(つられて大声で返事をする三十歳)
本当に親切にしていただきました。ありがとうございますおじさん!
この手の係りの人は妙に怖いイメージがあったのですが、私が関わったお二方は、どちらもとても良い方でした。
こういう出会いってつまらないことかもしれませんが、凄く大事だし嬉しいよなあとしみじみ。
実際かなりテンパっていたらしく、おじさんと一緒に券を貼りに原付まで戻って初めて、鍵をさしっぱなしだったことに気付きました。
「あ、鍵忘れてた」
「おおっと、危な?い!」
なんでそんなにハイテンションなんですかおじさ?ん!
こっちのテンションも朝っぱらからダダ上がりした日でした。
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全員四男と五男に酷い目に遭わされればいいのに。
そんな感想の『銀と金』でした(おい)。
社会派サスペンスというか、ビジネスめいたものが多い福本伸行作品。
どちらかといえば、バイオレンスとビジネスという意味合いが強く、純粋な経済をとりあげた漫画、という感じではありません。多分、経済のイロハを知らなくても充分楽しめる感じ。
いやもう、本当に真っ暗なホテルの中での殺戮シーンは、お前が死ねよ! とか真剣に思ったよ家長! 何あの誰も救われないオチ!
そっち方面の話を面白いと思うか(賭け麻雀とか)、もっと金に特化した話を面白いと思うかは、好みが分かれるのではないかと思います。
私はバイオレンス描写が少ない話のほうが、物語としては楽しめました。
心理描写が多いし、ここぞという場面で、敵味方問わず決め台詞を連発してくるさまを見ると、ああ、福本作品だなあと思います。
麻雀や競馬などの博打が多く絡んでくるのは、やはり取り上げやすい題材だからなのでしょうか。
ただ、アカギや天などよりも逆にとっつきやすい雰囲気が漂うのは、基本的に、お前何考えてんだかわからんという主人公たちがいないからでしょう。
まあ、その意味不明さがカッコイイのが、何処かの鬼っ子イズムなんでしょうけど。
主人公は、運の強い森田鉄雄と、金の世界で頭脳を武器に生きてきた平井銀二の両巨頭。
しかも、森田が若輩者であるのはいいとして、銀二がじじいに近いのが、どれだけ狙ってるのかとコラ!(大喜び)
そりゃ借金背負ってる連中も、銀王様呼びするわ。
初めにシャワーシーンご開帳の後の「銀王様」が出たときは、ここは笑うところなのかと仰天したものですが、すべてが終わった後には、金のやりとりなして銀王様と呼びたいと思ったものです(怖い)。
基本的に銀さんは出来すぎの切れ者なので、立ち位置はアカギと一緒なのですが、アカギよりもより人間味が強く、わかりやすい冗談を言う辺りが好感触。
わかりづらい冗談とか、場がひいちゃう冗談とかじゃ駄目なんだ。それは天才によくありがちな、周囲どん引きパターンだから(苦笑)。
自分の弱さもわかった上で、あえて突き進める男。
そして一番の魅力は、人を使うのが上手いということでしょうか。
別に孤高の天才ばかりが、憧れじゃない。
こういう、是非自分を使ってくださいと頭を下げたくなる求心力が、銀さんの一番の魅力なんでしょうなあ。
実際、身内にはゲロ甘だぜ銀さん!
森田お姫様抱っこも凄いですが、やっぱり死ぬかもしれないってときに、思い出す顔が銀さんって、お前森田それもどうなの!
愛されてます、銀さん。
銀さんと森田は両思い(どうなのその表現)なんですが、そのヒエラルキーには、天と地ほどの差があると思いました。
まあ同じようにそれぞれ「憧れ」部分が強い、というのは外せないんでしょうが。
全く関係ない萌えの部分で言いますと、
「………そのうちな。今日はまだダメだ」
という台詞があるとします。これを銀さんが言っていても、全くおかしくありませんし、ごく普通の台詞なんですが、これが、
「………そのうちな。今日はまだダメ」
と、「だ」を一文字抜いただけで、ほら、大変身!(さあどこで言っているか、単行本をお持ちの方は探してみよう。笑)
これ、別に普段からそういう話し方をしていたら、別に萌えないんですが、普段は普通に男の話し方をしていて、唐突に「だ」とかが抜けると、非常に可愛い。
例えばこれも可愛い。
「それほど不利になったと、俺は思ってねえ」
「は………?」
ここまでは普通の一コマ。で、次が凄い。
「不利になってないんですか………?」
「なってない………」
と、ここでも伝家の宝刀一文字抜きが!(造語)
例えばここなら、
「なってないな」とか「なってねえ」ならわかるんですよ。前の台詞ともかねあいもあって。
でもいきなりそこで、妙に気安い口調になっちゃうのが、ちらりと見せた油断というか、子どもっぽい本質みたいで、非常に萌えるんですな。
言うまでもないですがこれは、大の大人が使ってるからもだえるのであって、幼年が使っていても私は萌えませんよ(力説)。
そんな感想の『銀と金』でした(おい)。
社会派サスペンスというか、ビジネスめいたものが多い福本伸行作品。
どちらかといえば、バイオレンスとビジネスという意味合いが強く、純粋な経済をとりあげた漫画、という感じではありません。多分、経済のイロハを知らなくても充分楽しめる感じ。
いやもう、本当に真っ暗なホテルの中での殺戮シーンは、お前が死ねよ! とか真剣に思ったよ家長! 何あの誰も救われないオチ!
そっち方面の話を面白いと思うか(賭け麻雀とか)、もっと金に特化した話を面白いと思うかは、好みが分かれるのではないかと思います。
私はバイオレンス描写が少ない話のほうが、物語としては楽しめました。
心理描写が多いし、ここぞという場面で、敵味方問わず決め台詞を連発してくるさまを見ると、ああ、福本作品だなあと思います。
麻雀や競馬などの博打が多く絡んでくるのは、やはり取り上げやすい題材だからなのでしょうか。
ただ、アカギや天などよりも逆にとっつきやすい雰囲気が漂うのは、基本的に、お前何考えてんだかわからんという主人公たちがいないからでしょう。
まあ、その意味不明さがカッコイイのが、何処かの鬼っ子イズムなんでしょうけど。
主人公は、運の強い森田鉄雄と、金の世界で頭脳を武器に生きてきた平井銀二の両巨頭。
しかも、森田が若輩者であるのはいいとして、銀二がじじいに近いのが、どれだけ狙ってるのかとコラ!(大喜び)
そりゃ借金背負ってる連中も、銀王様呼びするわ。
初めにシャワーシーンご開帳の後の「銀王様」が出たときは、ここは笑うところなのかと仰天したものですが、すべてが終わった後には、金のやりとりなして銀王様と呼びたいと思ったものです(怖い)。
基本的に銀さんは出来すぎの切れ者なので、立ち位置はアカギと一緒なのですが、アカギよりもより人間味が強く、わかりやすい冗談を言う辺りが好感触。
わかりづらい冗談とか、場がひいちゃう冗談とかじゃ駄目なんだ。それは天才によくありがちな、周囲どん引きパターンだから(苦笑)。
自分の弱さもわかった上で、あえて突き進める男。
そして一番の魅力は、人を使うのが上手いということでしょうか。
別に孤高の天才ばかりが、憧れじゃない。
こういう、是非自分を使ってくださいと頭を下げたくなる求心力が、銀さんの一番の魅力なんでしょうなあ。
実際、身内にはゲロ甘だぜ銀さん!
森田お姫様抱っこも凄いですが、やっぱり死ぬかもしれないってときに、思い出す顔が銀さんって、お前森田それもどうなの!
愛されてます、銀さん。
銀さんと森田は両思い(どうなのその表現)なんですが、そのヒエラルキーには、天と地ほどの差があると思いました。
まあ同じようにそれぞれ「憧れ」部分が強い、というのは外せないんでしょうが。
全く関係ない萌えの部分で言いますと、
「………そのうちな。今日はまだダメだ」
という台詞があるとします。これを銀さんが言っていても、全くおかしくありませんし、ごく普通の台詞なんですが、これが、
「………そのうちな。今日はまだダメ」
と、「だ」を一文字抜いただけで、ほら、大変身!(さあどこで言っているか、単行本をお持ちの方は探してみよう。笑)
これ、別に普段からそういう話し方をしていたら、別に萌えないんですが、普段は普通に男の話し方をしていて、唐突に「だ」とかが抜けると、非常に可愛い。
例えばこれも可愛い。
「それほど不利になったと、俺は思ってねえ」
「は………?」
ここまでは普通の一コマ。で、次が凄い。
「不利になってないんですか………?」
「なってない………」
と、ここでも伝家の宝刀一文字抜きが!(造語)
例えばここなら、
「なってないな」とか「なってねえ」ならわかるんですよ。前の台詞ともかねあいもあって。
でもいきなりそこで、妙に気安い口調になっちゃうのが、ちらりと見せた油断というか、子どもっぽい本質みたいで、非常に萌えるんですな。
言うまでもないですがこれは、大の大人が使ってるからもだえるのであって、幼年が使っていても私は萌えませんよ(力説)。
先日、前々から興味があった『文楽』を見に行ってきました。
文楽と言えば人形浄瑠璃。
なじみのない方にはさっぱりわからない、私だってさっぱりわからない文化です。
演目は、『冥途の飛脚』。
メイドの飛脚………?(違う)
実は見終わった今も、正確な意味はよくわからないので、詳しくは上記リンクをご参考ください。
まず向かうは国立劇場の小劇場です。
半蔵門駅から徒歩数分で到着。
「うわ、すげえ年齢層高い」
齢三十の私が一番若い、くらいの客層でした。じじばばじじばばばばばばばばばばばばくらい。
その後、明らかに勉強の一環として来てますよ、という若い学生さんらしき人たちもいましたが、純粋な好奇心で来ているのは私だけのようでしたので、勝利者とみなします(何の?)。
とりあえず会場入りして、真っ先にパンフレットを購入します。
事前に、読むもの読んどかないとわけわからんよという情報は仕入れていたので、知り合いと必死にあらすじだけ読みます。
読んだ結果、結局飛脚屋に養子に入った男が、芸者のために金を使い込んで、最終的には逃亡する話、ということがわかりました。
パンフレットには原本(床本集)もついているのですが、それからしてバリバリの旧仮名遣いに、昔の言葉ですからね。読めやしませんよ。
なので、始まる前に必死になって内容を把握しておくことをお勧めします。
会場は小劇場なので、一番最終列でも20列くらいです。
ネオロマフェスタとは雲泥の差ですが、15列目くらいなら見えるだろうと予想し、それは甘かったことを後で思い知ります。
幕が開き、舞台が始まります。勿論拍子木つきで。
すると、舞台右から、唐突に大夫(語り手。文楽は活動写真のように、すべての台詞などを、一人の人が話す)と三味線の人が現れます。
バン!
私「ギャ!?」
何故私が仰天したかというと、大夫と三味線の二人が並んで、突然、ニンジャ隠れ屋敷の観音扉のように、座った状態で奥から物凄い勢いで飛び出てくるからです。
びっくりした! びっくりしたよ!
黒子の人が舞台の説明をし、大夫と三味線の人の紹介と共に一礼します。大夫の人はただ頭を下げるだけでなく、目の前の教本らしきものを顔に近づけて礼をするのが、非常に新鮮。
そして、第一幕の三味線ひきの人が………一礼後、三味線を構える前に、三味線にキス。
私「ええー!? それどんなパフォーマンスー!?」
まだ舞台上に人形が出てもいないのに、こちらのテンションはテッペンまで跳ね上がりました。純和風の世界に、その行動意味不明だよ三味線の人!
舞台が始まると、人形たちがわらわらと現れます。
文楽は子どもくらいの大きさの人形を、大人二人か三人で操るのですが、右手と顔を操る人間は、基本的に着物と袴で顔が出ています。
それ以外の場所、例えば左手だったり、足を操る係りの人は、完全に黒子の格好をしていて、人としての判別はつきません。
文楽を見に行くと、人間が顔を出して操っていることなんて、気にならなくなるよというのは、よく言われることなんですが、私は初めから全く気になりませんでした。
大体それをいうなら、指人形だって、操り人形だって、糸や指や、あきらかにそれが部分的であっても、人とわかる部分が出ているわけですから、それも含めて「演技」だと初めから認識できない人は、何を見ても楽しめない人だと思います。
逆に、人形に集中できるというより、その操っている人も含めて一つの演技として見られるので、それはそれで楽しいです。
勿論演じている人は、顔が出ていたとしても、実際の俳優さんのように、顔に表情を出したりは一切しません。体の演技は=人形の演技ですしね。
舞台が始まると、人形の動き、大夫の人の語り、三味線の演奏、加えて、舞台左右上部に、電光掲示板のように、実際何を語っているかの文が出ます。
これは、始めて見た人、台詞を知りたい人には非常に便利なモノなのですが、こっちは忙しくてそれどころじゃねー!
小劇場といえども、舞台の広さは結構あるので、そこで、人の身体より小さい人形が演技するのを見るのは、非常に集中力がいるのです。
しかも前から十五列目。
人形の細かな動きを見るためには、オペラグラスが必需品です。
勿論、遠目から見ても、その動きがまさに神業なのは見て取れるのですが、それも見逃さないためには目を離せないし、おまけに、人形は一体じゃない………。
視線が散らばるし、そのどれもを見ていたいし、語りの意味を知るために、視線を他所に向けている暇が正直ない。
逆に、ふらーっと視線を他所に向けて、文を確認したりしている間に、舞台上の動きを見逃した! とか平気であるので、なれないうちは、舞台に集中しておくほうが無難です。
ああやっぱり、本気で楽しむなら、最低でも中央列よりも前にいないと駄目だなこれは。
人形の動きに関しては、文句なしです。
筆、硯、煙管などの、手に持つ道具を利用しての細かな動作が、非常に上手い。
激しく硯で墨をすり、筆を走らせる。
荷物を担ぐ。
眼を瞠るほどの動きの妙がそこかしこで見られます。
そうこうしている間に、第一幕、第二幕終了。
養子忠兵衛は、友人八右衛門に渡さなければならない商売の金を、芸者梅川に使い込んでしまいます。
ですが、梅川にかけるその情にほだされ、八右衛門は目を瞑ろうとするのですが、忠兵衛の母親はそれを見咎め、金を返すように言います。
偽の返済書を書き、金の変わりに、道具を風呂敷に包んで八右衛門に渡す忠兵衛。
八右衛門はその場を引き下がりますが、忠兵衛は、その後、侍に渡さねばならない大金を抱えて、梅川の元に行ってしまうのでした。
私「筋としては、とにかく、忠兵衛がどうしようもない奴だってことはよくわかった。あれだって、ただの横領だよ。しょうもない奴だな。親友に泣き落としってどういうことだよ。しかも、梅川の元に着服した金を抱えて、行こうかどうしようか迷ったあげくに、犬に石投げて憂さ晴らしした挙句に、行くって、どれだけへたれなんだよ。あいつは本当に駄目な男だ」
知り合い「私も詳しくは知らないけど、基本的に心中したりする話の相手の男って、大体甲斐性のかけらもない情けない男だよ」
情緒もへったくれもない会話を、休憩時間に交わします。
というか、休憩時間あるんですね。知りませんでした。
第一幕が終わり、第二幕。また、バン! と凄い音を立てて、大夫と三味線が変わります。
そして25分ほどの休憩を挟みます。その間に、慣れている人は食事をしたりするわけですね。なるほど。
そして、第三幕の開始です。
いよいよ男性ばかりの人形以外に、きれいどころの芸者さんたちや、梅川も現れます。着物の長い女性の動きや、泣き崩れる動作。
まさに漫画で言うと、「よよよ………」という擬音がぴったりの動作が似合う梅川を演じるのが、うす水色の袴がシャープに似合うじじいだぜ!(やった!)
実はそれまで、顔を出して演じている人はそんなお年寄り、という感じではなかったのですが、出たよやっぱり梅川はじいちゃんじゃないと!
勿論演技も非常に上手い。
操り手の衣装もそうですが、人形の衣装一つとっても素敵です。
忠兵衛はストライプの爽やかな衣装。頑強そうな八右衛門は茶の地に黒の襟巻き。
そして、客の金を使って、梅川を見受けしてしまった忠兵衛の上着の裏地は黄緑色と、色合いが非常に素敵。
結局二人は逃避行をはかり、空降る霙が抱き合う二人を濡らします。
最終幕はこんな感じで終わるのですが、その前に、大夫と三味線が四人ずつ勢ぞろい!
すっげえ! 壮観!
全員、黒の着物に、青い裃をつけて、カッケエ!
そしてその三味線の内側から二番目、お前キスの奴だろ!
案の定そうでした。
私、そういう記憶力伊達じゃないぜ。
それにしても最終幕の演奏は、やはり人数が多いだけあって迫力がありました。歌声にしても、三味線の演奏にしても。
逆に終わり、がはっきりしない以上、あれだけの人数で迫力のまま押し切るのはいいな、と思いました。
以上で終了。
正直、人形が動いているときはいいんですが、人形がぴたっと動かなくなり、心情の吐露が始まったりすると、すげえ眠くなったんですが、これは慣れてないからじゃないかと。
知り合いが言っていたんですが、これを作られた当初は、嫌な言い方ではなく、よくある話であって、気持ちや時代背景なども当たり前のように入り込める以上、もっと受け入れやすかったのではないかと。
なるほど、そうかもしれませんね。
今度があるなら、もっと前で、そして、人形の動きがぱーっと派手なものを見たいと思いました。
その後、表参道に移動して美術館へ。
表参道ヒルズにも行ってみたんですが、あまりに人が多いのと、昼飯に2000円も払えないという貧乏人の相違のもと、ラーメンを食べて向かいました。
いや別に払いたい人は払えばいいよ。
しかし、ヒルズの建物って変な作りですね。何であんなに床が斜めなの?
行ったのは、『太田記念美術館』です。
今回は『浮世絵の夜景』がテーマでしたが、これが、半端なくオシャレでした。
浮世絵は版画ですが、何色刷りなんだよと突っ込みしたくなる柄と色のセンスのよさ。
そして何より、構図の素晴らしさ。
歌川広重も有名だと思いますが、どこをどうやったらこんな構図考えられるんだよ、と言うものが山ほどあります。半端ねえよ遠近法とか。視点の取り方とか。
そして、妙に下歯が出ている女の人たちばかりが浮世絵じゃない。西洋風というか、陰影のはっきりした、今のイラストでも充分古臭さを感じさせない絵も山ほどありました。面白かったです。
特に、葛飾応為 「吉原格子先の図」 はびっくりするくらい素敵でした。ただ、葛飾応為は夏に行方不明になってそれっきりというへこむ情報まで陳列されていたので、テンションは微妙に下がりました。
そんな情報いらん。
小林清親も素敵でした。ここまでくると、浮世絵というジャンルを離れた、一つの絵ですね。
日本づくしの一日でしたが、満足です。
文楽と言えば人形浄瑠璃。
なじみのない方にはさっぱりわからない、私だってさっぱりわからない文化です。
演目は、『冥途の飛脚』。
メイドの飛脚………?(違う)
実は見終わった今も、正確な意味はよくわからないので、詳しくは上記リンクをご参考ください。
まず向かうは国立劇場の小劇場です。
半蔵門駅から徒歩数分で到着。
「うわ、すげえ年齢層高い」
齢三十の私が一番若い、くらいの客層でした。じじばばじじばばばばばばばばばばばばくらい。
その後、明らかに勉強の一環として来てますよ、という若い学生さんらしき人たちもいましたが、純粋な好奇心で来ているのは私だけのようでしたので、勝利者とみなします(何の?)。
とりあえず会場入りして、真っ先にパンフレットを購入します。
事前に、読むもの読んどかないとわけわからんよという情報は仕入れていたので、知り合いと必死にあらすじだけ読みます。
読んだ結果、結局飛脚屋に養子に入った男が、芸者のために金を使い込んで、最終的には逃亡する話、ということがわかりました。
パンフレットには原本(床本集)もついているのですが、それからしてバリバリの旧仮名遣いに、昔の言葉ですからね。読めやしませんよ。
なので、始まる前に必死になって内容を把握しておくことをお勧めします。
会場は小劇場なので、一番最終列でも20列くらいです。
ネオロマフェスタとは雲泥の差ですが、15列目くらいなら見えるだろうと予想し、それは甘かったことを後で思い知ります。
幕が開き、舞台が始まります。勿論拍子木つきで。
すると、舞台右から、唐突に大夫(語り手。文楽は活動写真のように、すべての台詞などを、一人の人が話す)と三味線の人が現れます。
バン!
私「ギャ!?」
何故私が仰天したかというと、大夫と三味線の二人が並んで、突然、ニンジャ隠れ屋敷の観音扉のように、座った状態で奥から物凄い勢いで飛び出てくるからです。
びっくりした! びっくりしたよ!
黒子の人が舞台の説明をし、大夫と三味線の人の紹介と共に一礼します。大夫の人はただ頭を下げるだけでなく、目の前の教本らしきものを顔に近づけて礼をするのが、非常に新鮮。
そして、第一幕の三味線ひきの人が………一礼後、三味線を構える前に、三味線にキス。
私「ええー!? それどんなパフォーマンスー!?」
まだ舞台上に人形が出てもいないのに、こちらのテンションはテッペンまで跳ね上がりました。純和風の世界に、その行動意味不明だよ三味線の人!
舞台が始まると、人形たちがわらわらと現れます。
文楽は子どもくらいの大きさの人形を、大人二人か三人で操るのですが、右手と顔を操る人間は、基本的に着物と袴で顔が出ています。
それ以外の場所、例えば左手だったり、足を操る係りの人は、完全に黒子の格好をしていて、人としての判別はつきません。
文楽を見に行くと、人間が顔を出して操っていることなんて、気にならなくなるよというのは、よく言われることなんですが、私は初めから全く気になりませんでした。
大体それをいうなら、指人形だって、操り人形だって、糸や指や、あきらかにそれが部分的であっても、人とわかる部分が出ているわけですから、それも含めて「演技」だと初めから認識できない人は、何を見ても楽しめない人だと思います。
逆に、人形に集中できるというより、その操っている人も含めて一つの演技として見られるので、それはそれで楽しいです。
勿論演じている人は、顔が出ていたとしても、実際の俳優さんのように、顔に表情を出したりは一切しません。体の演技は=人形の演技ですしね。
舞台が始まると、人形の動き、大夫の人の語り、三味線の演奏、加えて、舞台左右上部に、電光掲示板のように、実際何を語っているかの文が出ます。
これは、始めて見た人、台詞を知りたい人には非常に便利なモノなのですが、こっちは忙しくてそれどころじゃねー!
小劇場といえども、舞台の広さは結構あるので、そこで、人の身体より小さい人形が演技するのを見るのは、非常に集中力がいるのです。
しかも前から十五列目。
人形の細かな動きを見るためには、オペラグラスが必需品です。
勿論、遠目から見ても、その動きがまさに神業なのは見て取れるのですが、それも見逃さないためには目を離せないし、おまけに、人形は一体じゃない………。
視線が散らばるし、そのどれもを見ていたいし、語りの意味を知るために、視線を他所に向けている暇が正直ない。
逆に、ふらーっと視線を他所に向けて、文を確認したりしている間に、舞台上の動きを見逃した! とか平気であるので、なれないうちは、舞台に集中しておくほうが無難です。
ああやっぱり、本気で楽しむなら、最低でも中央列よりも前にいないと駄目だなこれは。
人形の動きに関しては、文句なしです。
筆、硯、煙管などの、手に持つ道具を利用しての細かな動作が、非常に上手い。
激しく硯で墨をすり、筆を走らせる。
荷物を担ぐ。
眼を瞠るほどの動きの妙がそこかしこで見られます。
そうこうしている間に、第一幕、第二幕終了。
養子忠兵衛は、友人八右衛門に渡さなければならない商売の金を、芸者梅川に使い込んでしまいます。
ですが、梅川にかけるその情にほだされ、八右衛門は目を瞑ろうとするのですが、忠兵衛の母親はそれを見咎め、金を返すように言います。
偽の返済書を書き、金の変わりに、道具を風呂敷に包んで八右衛門に渡す忠兵衛。
八右衛門はその場を引き下がりますが、忠兵衛は、その後、侍に渡さねばならない大金を抱えて、梅川の元に行ってしまうのでした。
私「筋としては、とにかく、忠兵衛がどうしようもない奴だってことはよくわかった。あれだって、ただの横領だよ。しょうもない奴だな。親友に泣き落としってどういうことだよ。しかも、梅川の元に着服した金を抱えて、行こうかどうしようか迷ったあげくに、犬に石投げて憂さ晴らしした挙句に、行くって、どれだけへたれなんだよ。あいつは本当に駄目な男だ」
知り合い「私も詳しくは知らないけど、基本的に心中したりする話の相手の男って、大体甲斐性のかけらもない情けない男だよ」
情緒もへったくれもない会話を、休憩時間に交わします。
というか、休憩時間あるんですね。知りませんでした。
第一幕が終わり、第二幕。また、バン! と凄い音を立てて、大夫と三味線が変わります。
そして25分ほどの休憩を挟みます。その間に、慣れている人は食事をしたりするわけですね。なるほど。
そして、第三幕の開始です。
いよいよ男性ばかりの人形以外に、きれいどころの芸者さんたちや、梅川も現れます。着物の長い女性の動きや、泣き崩れる動作。
まさに漫画で言うと、「よよよ………」という擬音がぴったりの動作が似合う梅川を演じるのが、うす水色の袴がシャープに似合うじじいだぜ!(やった!)
実はそれまで、顔を出して演じている人はそんなお年寄り、という感じではなかったのですが、出たよやっぱり梅川はじいちゃんじゃないと!
勿論演技も非常に上手い。
操り手の衣装もそうですが、人形の衣装一つとっても素敵です。
忠兵衛はストライプの爽やかな衣装。頑強そうな八右衛門は茶の地に黒の襟巻き。
そして、客の金を使って、梅川を見受けしてしまった忠兵衛の上着の裏地は黄緑色と、色合いが非常に素敵。
結局二人は逃避行をはかり、空降る霙が抱き合う二人を濡らします。
最終幕はこんな感じで終わるのですが、その前に、大夫と三味線が四人ずつ勢ぞろい!
すっげえ! 壮観!
全員、黒の着物に、青い裃をつけて、カッケエ!
そしてその三味線の内側から二番目、お前キスの奴だろ!
案の定そうでした。
私、そういう記憶力伊達じゃないぜ。
それにしても最終幕の演奏は、やはり人数が多いだけあって迫力がありました。歌声にしても、三味線の演奏にしても。
逆に終わり、がはっきりしない以上、あれだけの人数で迫力のまま押し切るのはいいな、と思いました。
以上で終了。
正直、人形が動いているときはいいんですが、人形がぴたっと動かなくなり、心情の吐露が始まったりすると、すげえ眠くなったんですが、これは慣れてないからじゃないかと。
知り合いが言っていたんですが、これを作られた当初は、嫌な言い方ではなく、よくある話であって、気持ちや時代背景なども当たり前のように入り込める以上、もっと受け入れやすかったのではないかと。
なるほど、そうかもしれませんね。
今度があるなら、もっと前で、そして、人形の動きがぱーっと派手なものを見たいと思いました。
その後、表参道に移動して美術館へ。
表参道ヒルズにも行ってみたんですが、あまりに人が多いのと、昼飯に2000円も払えないという貧乏人の相違のもと、ラーメンを食べて向かいました。
いや別に払いたい人は払えばいいよ。
しかし、ヒルズの建物って変な作りですね。何であんなに床が斜めなの?
行ったのは、『太田記念美術館』です。
今回は『浮世絵の夜景』がテーマでしたが、これが、半端なくオシャレでした。
浮世絵は版画ですが、何色刷りなんだよと突っ込みしたくなる柄と色のセンスのよさ。
そして何より、構図の素晴らしさ。
歌川広重も有名だと思いますが、どこをどうやったらこんな構図考えられるんだよ、と言うものが山ほどあります。半端ねえよ遠近法とか。視点の取り方とか。
そして、妙に下歯が出ている女の人たちばかりが浮世絵じゃない。西洋風というか、陰影のはっきりした、今のイラストでも充分古臭さを感じさせない絵も山ほどありました。面白かったです。
特に、葛飾応為 「吉原格子先の図」 はびっくりするくらい素敵でした。ただ、葛飾応為は夏に行方不明になってそれっきりというへこむ情報まで陳列されていたので、テンションは微妙に下がりました。
そんな情報いらん。
小林清親も素敵でした。ここまでくると、浮世絵というジャンルを離れた、一つの絵ですね。
日本づくしの一日でしたが、満足です。
『たいようのマキバオー3巻』
ジョッキーたちが、サトミアマゾンをべた誉めするところから始まる3巻(語弊があります)。
くちぐちに、
「サトミアマゾンはカッコよかった」
と誉めてくれるのですが、
「無敵で弱いものいじめするよりよっぽど男だぜ」
とか評価されているのにちょっと違和感。
なんていうか、アマゾンはもっとストイックな感じがします(怖い)。
なんだろう、勿論「中央の馬に勝利する」という目標があるのは当然なんだけど、そうではなく「地方馬の勝利を見せる」という意識のほうが強かったんじゃないかと。
結果としては同じなんですが、念頭にあるのは中央を打ち負かすとか、そういうことじゃなく、地方の馬がどれだけ強いか、どれだけの力をもつものがいるのか、それを見せ付ける、という意識が強かったからこそ、
「勝負から逃げるのは………それ以下じゃねえか!」
逃げない走りで、最後の中央を終えた。
中央の馬に勝利するだけなら、ぶっちゃけ、一位でなくてもいいわけです。他の馬が惨敗する可能性もあるわけですし。
でもそうではなく、地方馬である自分の強さと意地を固持したいからこそ、「二位」ではなく「一位」を求めた。
そんなところが、船橋という枠組みの中からの視点が、逆にカッコよく思っていたのです。
とまあ、私の長いサトミアマゾン妄想(苦笑)はさておき、その息子であるアマゾンスピリットもどうやら、意図的に中央を狙っていないようで、なにやら裏がありそうですね。
アマゾンの子どもが、中央を怖いから逃げたり、弱い地方で勝利を重ねることに愉悦を感じる性格であるわけがない。
しかし、3巻の主役は、鳥なき島のコウモリ、ゴールデンバット!
ボギーが好きな貴方ならお勧め! お勧めですよ!
ボギーよりおっさんくさい風貌と性格ですが、これまた非常にカッコイイ。
今まで土佐での勝利だけで満足していたバットですが、勝利すら許されないマキバオーの姿を見て、決意します。
必死に隠れて悔し涙を流していたマキバオーの気持ちを思い、うなだれるシーンはこちらも感涙。
「高知競馬がどうの、文太がどうのということだけやなしに、おれ自身の問題として出ていかねえとならねえのさ」
実際金のない高知競馬からは、馬運車の代金すら出ません。
中央のレースに遠征して、勝てる見込みは殆どなく、その賞金目当てで借金をするなど、あまりに無謀。
ですが、バットは断言します。
「飛び切り豪華な馬運車借りといてくれや。高知のスターにふさわしいやつを。きっちり賞金で元とっちゃるき!」
カッケェェ!
おっさんが言ってるだけに、メロメロも二倍です。
マキバオーの醍醐味、明らかに脇役なのにあまりにもカッコイイバット。
『みどりのマキバオー』も、実際、マキバオーとカスケードが主役で、あんなにカッコイイ、ワクチンやアマゾン、それこそピーター?ですら脇役ですが、それは問題ではないのです。
遠征先には、文太(マキバオー)の姿はありません。
完全にアウェーの状態でレースは開始されます。
そこで、バットに蘇るのは、高知競馬で中央の馬に惨敗をきっした事実。
「悔しかったぜ………。いや、悔しがることさえできていないのかもな………。
悔しいとは言いながらも、リベンジのため高知を出て、こっちへ乗り込もうとは思わなかったんだ………。
文太の涙を見るまでな。
情けねえ話さ。あいつが………文太が毎日悔し涙を流して守っていた高知で、よそ者に惨敗しながらもへらへら毎日走ってたんだぜ。
あいつに教わらねえと悔しいの意味もわからねえで、何が土佐の帝王だよ」
その意思に、ジョッキーハヤトも応えます。
「まったくだ。俺も同じ気持ちだよ。文太に恥じない走りを………あの涙に報いるレースをしねえとな!」
その場に文太はいない。それどころか、バットがレースに出ていることも知らない。
けれど、文太の行動は確実に、負けることに慣れかけていたバットと、ハヤトを変えた。
自分はただ懸命に、時にはみっともない姿をさらして転がるマキバオー。
だがその姿は、確実に他者を変える力がある。
これが、マキバオーの血統でしょうねえ。
また、かっこいいのが、それに応えるバットの漢気!
そして、そんなバットの「走り」を見て、お前など知らないと言っていた、以前バットに勝利したグラインドハウスも、思い出します。
「なるほど。あいつか。確かに………思い出したぜ。ゴールデンバット」
このあたりのレースの応酬、吐くほどカッコイイです。
バットも勿論カッコイイですが、走りを見て思い出すグラインドハウスもカッコイイ。
私はサトミアマゾンのように地方を背負ったり、モーリアローのように金を背負って走る馬も好きですが、純粋に、勝利のみを目指す馬も勿論大好きです。
サラブレッドは、走るために生まれてきた馬だものな。
結果、バットは一位になることはできず、新たに気持ちをひきしめます。
ですが結果として、その奮起は高知競馬の他の馬にも広がり、マキバオーが客寄せとして無理な発走をせずにすむ結果を生みつつあります。
マキバオー自体は、全力をつくしたレースは未だなく、3巻ではその決着がどうなるのか、というところで、終わってるんだよこれが………。
くそ、腸が切れそう。
やはり、魅力的な馬たちがでてきてこそのマキバオーですね。
今後とも是非バットさんには頑張ってもらいたいです。
ついでに、バット×コナツはたいよう界の超王道だと思ってます。
このカップリングは、チュウ兵衛とアンカルジアと同じくらい鉄板だよ!
ジョッキーたちが、サトミアマゾンをべた誉めするところから始まる3巻(語弊があります)。
くちぐちに、
「サトミアマゾンはカッコよかった」
と誉めてくれるのですが、
「無敵で弱いものいじめするよりよっぽど男だぜ」
とか評価されているのにちょっと違和感。
なんていうか、アマゾンはもっとストイックな感じがします(怖い)。
なんだろう、勿論「中央の馬に勝利する」という目標があるのは当然なんだけど、そうではなく「地方馬の勝利を見せる」という意識のほうが強かったんじゃないかと。
結果としては同じなんですが、念頭にあるのは中央を打ち負かすとか、そういうことじゃなく、地方の馬がどれだけ強いか、どれだけの力をもつものがいるのか、それを見せ付ける、という意識が強かったからこそ、
「勝負から逃げるのは………それ以下じゃねえか!」
逃げない走りで、最後の中央を終えた。
中央の馬に勝利するだけなら、ぶっちゃけ、一位でなくてもいいわけです。他の馬が惨敗する可能性もあるわけですし。
でもそうではなく、地方馬である自分の強さと意地を固持したいからこそ、「二位」ではなく「一位」を求めた。
そんなところが、船橋という枠組みの中からの視点が、逆にカッコよく思っていたのです。
とまあ、私の長いサトミアマゾン妄想(苦笑)はさておき、その息子であるアマゾンスピリットもどうやら、意図的に中央を狙っていないようで、なにやら裏がありそうですね。
アマゾンの子どもが、中央を怖いから逃げたり、弱い地方で勝利を重ねることに愉悦を感じる性格であるわけがない。
しかし、3巻の主役は、鳥なき島のコウモリ、ゴールデンバット!
ボギーが好きな貴方ならお勧め! お勧めですよ!
ボギーよりおっさんくさい風貌と性格ですが、これまた非常にカッコイイ。
今まで土佐での勝利だけで満足していたバットですが、勝利すら許されないマキバオーの姿を見て、決意します。
必死に隠れて悔し涙を流していたマキバオーの気持ちを思い、うなだれるシーンはこちらも感涙。
「高知競馬がどうの、文太がどうのということだけやなしに、おれ自身の問題として出ていかねえとならねえのさ」
実際金のない高知競馬からは、馬運車の代金すら出ません。
中央のレースに遠征して、勝てる見込みは殆どなく、その賞金目当てで借金をするなど、あまりに無謀。
ですが、バットは断言します。
「飛び切り豪華な馬運車借りといてくれや。高知のスターにふさわしいやつを。きっちり賞金で元とっちゃるき!」
カッケェェ!
おっさんが言ってるだけに、メロメロも二倍です。
マキバオーの醍醐味、明らかに脇役なのにあまりにもカッコイイバット。
『みどりのマキバオー』も、実際、マキバオーとカスケードが主役で、あんなにカッコイイ、ワクチンやアマゾン、それこそピーター?ですら脇役ですが、それは問題ではないのです。
遠征先には、文太(マキバオー)の姿はありません。
完全にアウェーの状態でレースは開始されます。
そこで、バットに蘇るのは、高知競馬で中央の馬に惨敗をきっした事実。
「悔しかったぜ………。いや、悔しがることさえできていないのかもな………。
悔しいとは言いながらも、リベンジのため高知を出て、こっちへ乗り込もうとは思わなかったんだ………。
文太の涙を見るまでな。
情けねえ話さ。あいつが………文太が毎日悔し涙を流して守っていた高知で、よそ者に惨敗しながらもへらへら毎日走ってたんだぜ。
あいつに教わらねえと悔しいの意味もわからねえで、何が土佐の帝王だよ」
その意思に、ジョッキーハヤトも応えます。
「まったくだ。俺も同じ気持ちだよ。文太に恥じない走りを………あの涙に報いるレースをしねえとな!」
その場に文太はいない。それどころか、バットがレースに出ていることも知らない。
けれど、文太の行動は確実に、負けることに慣れかけていたバットと、ハヤトを変えた。
自分はただ懸命に、時にはみっともない姿をさらして転がるマキバオー。
だがその姿は、確実に他者を変える力がある。
これが、マキバオーの血統でしょうねえ。
また、かっこいいのが、それに応えるバットの漢気!
そして、そんなバットの「走り」を見て、お前など知らないと言っていた、以前バットに勝利したグラインドハウスも、思い出します。
「なるほど。あいつか。確かに………思い出したぜ。ゴールデンバット」
このあたりのレースの応酬、吐くほどカッコイイです。
バットも勿論カッコイイですが、走りを見て思い出すグラインドハウスもカッコイイ。
私はサトミアマゾンのように地方を背負ったり、モーリアローのように金を背負って走る馬も好きですが、純粋に、勝利のみを目指す馬も勿論大好きです。
サラブレッドは、走るために生まれてきた馬だものな。
結果、バットは一位になることはできず、新たに気持ちをひきしめます。
ですが結果として、その奮起は高知競馬の他の馬にも広がり、マキバオーが客寄せとして無理な発走をせずにすむ結果を生みつつあります。
マキバオー自体は、全力をつくしたレースは未だなく、3巻ではその決着がどうなるのか、というところで、終わってるんだよこれが………。
くそ、腸が切れそう。
やはり、魅力的な馬たちがでてきてこそのマキバオーですね。
今後とも是非バットさんには頑張ってもらいたいです。
ついでに、バット×コナツはたいよう界の超王道だと思ってます。
このカップリングは、チュウ兵衛とアンカルジアと同じくらい鉄板だよ!
アカギだの、攻殻機動隊だの、コロンボだの、ウェストサイドストーリーだの混同している私の予約リストは、さぞカオスだろうと思いますが、向こうはそんなのおかまいなく、カイジとミュージカルをセットで送りつけてくるので、届いたときなんともいえない気持ちになります。
いいけど、結局私以外見ないんだし(何処までいっても一人趣味)。
『チキチキバンバン』
名作ミュージカルと名高いらしいのですが、蓋を開けてみれば、オヤジの空想話に始終付き合わされる内容で仰天。
衣装がおしゃれだったり、勿論有名な音楽は軽快で楽しいのですが、その空想の世界(ミュージカル部分)が、あくまで妄想どまりなのが非常に痛くて見ていられませんでした。
これが「現実のファンタジー」である、例えば『ナルニア国物語』(衣装ダンスの奥には異世界があった)とか、『ネバーエンディングストーリー』くらいまでいけば、そういう世界のそういう文化、として見られたのかもしれませんが、見ている側は「え、これ親父の妄想だよね。空想の話だよね。え、それなのになんでこんなにシュールなの」と終始困惑気味。
本来ならば、日常生活でのミュージカルパートに違和感を覚えなければいけないはずなのに、そこは流せて、いわばなんでもありの妄想部分でのミュージカルシーンに違和感を覚える始末。
歌の内容もシュールだし、大体空想の世界の話が、子どもに語って伝えるほどわかりやすい内容じゃない。
元々、シュールやファンタジーというものにたいして、あまり耐性がないので、個人的には頑張っておかしな世界を演出したいのだろうけど、見ている側はそれほどその世界観にのめりこめないという温度差を感じる映画になってしまいました。
普通に現実世界で、楽しげに歌い踊る場面は、音楽もおしゃれだし、カッコよかったのになあ。
二時間半以上も我慢して見る映画じゃないなあ。
『マルタの鷹』
拍手にてお勧めいただきました。ありがとうございます。
天下の、ハンフリー・ボガード主演の、ハードボイルド映画です。
この映画、勿論役者陣も大変カッコイイのですが、特筆すべきはその展開の速さ。
え、と思っている間に次のシーン。
ええ? と思っている間に、不必要な行間をぶっ飛ばして展開は進みます。
それゆえに、ちょっと余所見をしていると話の筋がわからなくなるし、登場人物の名前に特別説明はないしで、その展開の速さが非常に、ギスギスした感じがして、逆に、ハードボイルドの世界観に合っているように思いました。
それに乗っかってくるように、主人公である探偵、サム・スペイド(ハンフリー・ボガード)の心理描写が、全くないので、非常に硬派なイメージが先にたちます。
心理描写に割く時間があるなら、主人公にカッコイイ行動を取らせたほうがいいし、カッコイイ台詞一つしゃべらせた方がいい。
アメリカ流強い男、というか、タフな男は、余計なことに思い悩んだりしないのだ。思案→行動→結果に至るまでの過程が、常人の比じゃないのだ。だからこそ強い男なのだ。
この辺は、様式美というか、カッコイイアメリカのタフなロボットと一緒で、主人公に感情移入する映画ではなく、ありえないくらい非人間的なカッコよさを味わう映画なのです。
本当にスペイドは、笑っても「クッ」くらいだし、憤ってもそれは芝居であったりする、鉄面皮の男で、その男がダークスーツに身を包み、帽子を目深にかぶっている姿は、まさに一枚の絵。
しかも、ハンフリー・ボガードは二枚目ではないので、普段の顔でアピールするよりは、そうでない部分を見せたほうが、そりゃ魂抜かれますよ。
相手を、うっすら笑いながら追い詰める顔、そして、感情を全く表さない顔で敵と相対する姿は、まさにゾクゾクします。
このへん、キャラクターとして揺るぎがないというか、登場人物に「どうしてスペイドはこんなにクールなんだろう」と思わせることに成功しているので、見せ方の上手さでしょうね。
この時代の台詞運びの上手さも健在。
依頼人が来た、それが美人だと秘書に伝えられたときの、
「すぐにお通ししろ」
とか、女がらみの台詞の上手さは、向こうのお家芸ですね。
「お前が絞首刑になっても、覚えている」
とか、惚れた女に言う台詞じゃない。
しかも、どれだけ女にもてていても、それはそれというか、嬉しそうな様子を全く見せないストイックさ加減が、映画の主題とよく合っています。
初めはよくわからなかったのですが、サム・スペイドは巻きタバコみたいなものを吸うんですね。紙にタバコの葉を巻いて、舌でなめて棒状にして、火をつける。
この一連の動作がカッコよかったです。
意識的に吸うんじゃなく、喫煙者が自分の居場所について、当然のように行う動作までもが絵になる。
ハードボイルドはこうでないと。
いいけど、結局私以外見ないんだし(何処までいっても一人趣味)。
『チキチキバンバン』
名作ミュージカルと名高いらしいのですが、蓋を開けてみれば、オヤジの空想話に始終付き合わされる内容で仰天。
衣装がおしゃれだったり、勿論有名な音楽は軽快で楽しいのですが、その空想の世界(ミュージカル部分)が、あくまで妄想どまりなのが非常に痛くて見ていられませんでした。
これが「現実のファンタジー」である、例えば『ナルニア国物語』(衣装ダンスの奥には異世界があった)とか、『ネバーエンディングストーリー』くらいまでいけば、そういう世界のそういう文化、として見られたのかもしれませんが、見ている側は「え、これ親父の妄想だよね。空想の話だよね。え、それなのになんでこんなにシュールなの」と終始困惑気味。
本来ならば、日常生活でのミュージカルパートに違和感を覚えなければいけないはずなのに、そこは流せて、いわばなんでもありの妄想部分でのミュージカルシーンに違和感を覚える始末。
歌の内容もシュールだし、大体空想の世界の話が、子どもに語って伝えるほどわかりやすい内容じゃない。
元々、シュールやファンタジーというものにたいして、あまり耐性がないので、個人的には頑張っておかしな世界を演出したいのだろうけど、見ている側はそれほどその世界観にのめりこめないという温度差を感じる映画になってしまいました。
普通に現実世界で、楽しげに歌い踊る場面は、音楽もおしゃれだし、カッコよかったのになあ。
二時間半以上も我慢して見る映画じゃないなあ。
『マルタの鷹』
拍手にてお勧めいただきました。ありがとうございます。
天下の、ハンフリー・ボガード主演の、ハードボイルド映画です。
この映画、勿論役者陣も大変カッコイイのですが、特筆すべきはその展開の速さ。
え、と思っている間に次のシーン。
ええ? と思っている間に、不必要な行間をぶっ飛ばして展開は進みます。
それゆえに、ちょっと余所見をしていると話の筋がわからなくなるし、登場人物の名前に特別説明はないしで、その展開の速さが非常に、ギスギスした感じがして、逆に、ハードボイルドの世界観に合っているように思いました。
それに乗っかってくるように、主人公である探偵、サム・スペイド(ハンフリー・ボガード)の心理描写が、全くないので、非常に硬派なイメージが先にたちます。
心理描写に割く時間があるなら、主人公にカッコイイ行動を取らせたほうがいいし、カッコイイ台詞一つしゃべらせた方がいい。
アメリカ流強い男、というか、タフな男は、余計なことに思い悩んだりしないのだ。思案→行動→結果に至るまでの過程が、常人の比じゃないのだ。だからこそ強い男なのだ。
この辺は、様式美というか、カッコイイアメリカのタフなロボットと一緒で、主人公に感情移入する映画ではなく、ありえないくらい非人間的なカッコよさを味わう映画なのです。
本当にスペイドは、笑っても「クッ」くらいだし、憤ってもそれは芝居であったりする、鉄面皮の男で、その男がダークスーツに身を包み、帽子を目深にかぶっている姿は、まさに一枚の絵。
しかも、ハンフリー・ボガードは二枚目ではないので、普段の顔でアピールするよりは、そうでない部分を見せたほうが、そりゃ魂抜かれますよ。
相手を、うっすら笑いながら追い詰める顔、そして、感情を全く表さない顔で敵と相対する姿は、まさにゾクゾクします。
このへん、キャラクターとして揺るぎがないというか、登場人物に「どうしてスペイドはこんなにクールなんだろう」と思わせることに成功しているので、見せ方の上手さでしょうね。
この時代の台詞運びの上手さも健在。
依頼人が来た、それが美人だと秘書に伝えられたときの、
「すぐにお通ししろ」
とか、女がらみの台詞の上手さは、向こうのお家芸ですね。
「お前が絞首刑になっても、覚えている」
とか、惚れた女に言う台詞じゃない。
しかも、どれだけ女にもてていても、それはそれというか、嬉しそうな様子を全く見せないストイックさ加減が、映画の主題とよく合っています。
初めはよくわからなかったのですが、サム・スペイドは巻きタバコみたいなものを吸うんですね。紙にタバコの葉を巻いて、舌でなめて棒状にして、火をつける。
この一連の動作がカッコよかったです。
意識的に吸うんじゃなく、喫煙者が自分の居場所について、当然のように行う動作までもが絵になる。
ハードボイルドはこうでないと。