先日、前々から興味があった『文楽』を見に行ってきました。
文楽と言えば人形浄瑠璃。
なじみのない方にはさっぱりわからない、私だってさっぱりわからない文化です。
演目は、『冥途の飛脚』。
メイドの飛脚………?(違う)
実は見終わった今も、正確な意味はよくわからないので、詳しくは上記リンクをご参考ください。
まず向かうは国立劇場の小劇場です。
半蔵門駅から徒歩数分で到着。
「うわ、すげえ年齢層高い」
齢三十の私が一番若い、くらいの客層でした。じじばばじじばばばばばばばばばばばばくらい。
その後、明らかに勉強の一環として来てますよ、という若い学生さんらしき人たちもいましたが、純粋な好奇心で来ているのは私だけのようでしたので、勝利者とみなします(何の?)。
とりあえず会場入りして、真っ先にパンフレットを購入します。
事前に、読むもの読んどかないとわけわからんよという情報は仕入れていたので、知り合いと必死にあらすじだけ読みます。
読んだ結果、結局飛脚屋に養子に入った男が、芸者のために金を使い込んで、最終的には逃亡する話、ということがわかりました。
パンフレットには原本(床本集)もついているのですが、それからしてバリバリの旧仮名遣いに、昔の言葉ですからね。読めやしませんよ。
なので、始まる前に必死になって内容を把握しておくことをお勧めします。
会場は小劇場なので、一番最終列でも20列くらいです。
ネオロマフェスタとは雲泥の差ですが、15列目くらいなら見えるだろうと予想し、それは甘かったことを後で思い知ります。
幕が開き、舞台が始まります。勿論拍子木つきで。
すると、舞台右から、唐突に大夫(語り手。文楽は活動写真のように、すべての台詞などを、一人の人が話す)と三味線の人が現れます。
バン!
私「ギャ!?」
何故私が仰天したかというと、大夫と三味線の二人が並んで、突然、ニンジャ隠れ屋敷の観音扉のように、座った状態で奥から物凄い勢いで飛び出てくるからです。
びっくりした! びっくりしたよ!
黒子の人が舞台の説明をし、大夫と三味線の人の紹介と共に一礼します。大夫の人はただ頭を下げるだけでなく、目の前の教本らしきものを顔に近づけて礼をするのが、非常に新鮮。
そして、第一幕の三味線ひきの人が………一礼後、三味線を構える前に、三味線にキス。
私「ええー!? それどんなパフォーマンスー!?」
まだ舞台上に人形が出てもいないのに、こちらのテンションはテッペンまで跳ね上がりました。純和風の世界に、その行動意味不明だよ三味線の人!
舞台が始まると、人形たちがわらわらと現れます。
文楽は子どもくらいの大きさの人形を、大人二人か三人で操るのですが、右手と顔を操る人間は、基本的に着物と袴で顔が出ています。
それ以外の場所、例えば左手だったり、足を操る係りの人は、完全に黒子の格好をしていて、人としての判別はつきません。
文楽を見に行くと、人間が顔を出して操っていることなんて、気にならなくなるよというのは、よく言われることなんですが、私は初めから全く気になりませんでした。
大体それをいうなら、指人形だって、操り人形だって、糸や指や、あきらかにそれが部分的であっても、人とわかる部分が出ているわけですから、それも含めて「演技」だと初めから認識できない人は、何を見ても楽しめない人だと思います。
逆に、人形に集中できるというより、その操っている人も含めて一つの演技として見られるので、それはそれで楽しいです。
勿論演じている人は、顔が出ていたとしても、実際の俳優さんのように、顔に表情を出したりは一切しません。体の演技は=人形の演技ですしね。
舞台が始まると、人形の動き、大夫の人の語り、三味線の演奏、加えて、舞台左右上部に、電光掲示板のように、実際何を語っているかの文が出ます。
これは、始めて見た人、台詞を知りたい人には非常に便利なモノなのですが、こっちは忙しくてそれどころじゃねー!
小劇場といえども、舞台の広さは結構あるので、そこで、人の身体より小さい人形が演技するのを見るのは、非常に集中力がいるのです。
しかも前から十五列目。
人形の細かな動きを見るためには、オペラグラスが必需品です。
勿論、遠目から見ても、その動きがまさに神業なのは見て取れるのですが、それも見逃さないためには目を離せないし、おまけに、人形は一体じゃない………。
視線が散らばるし、そのどれもを見ていたいし、語りの意味を知るために、視線を他所に向けている暇が正直ない。
逆に、ふらーっと視線を他所に向けて、文を確認したりしている間に、舞台上の動きを見逃した! とか平気であるので、なれないうちは、舞台に集中しておくほうが無難です。
ああやっぱり、本気で楽しむなら、最低でも中央列よりも前にいないと駄目だなこれは。
人形の動きに関しては、文句なしです。
筆、硯、煙管などの、手に持つ道具を利用しての細かな動作が、非常に上手い。
激しく硯で墨をすり、筆を走らせる。
荷物を担ぐ。
眼を瞠るほどの動きの妙がそこかしこで見られます。
そうこうしている間に、第一幕、第二幕終了。
養子忠兵衛は、友人八右衛門に渡さなければならない商売の金を、芸者梅川に使い込んでしまいます。
ですが、梅川にかけるその情にほだされ、八右衛門は目を瞑ろうとするのですが、忠兵衛の母親はそれを見咎め、金を返すように言います。
偽の返済書を書き、金の変わりに、道具を風呂敷に包んで八右衛門に渡す忠兵衛。
八右衛門はその場を引き下がりますが、忠兵衛は、その後、侍に渡さねばならない大金を抱えて、梅川の元に行ってしまうのでした。
私「筋としては、とにかく、忠兵衛がどうしようもない奴だってことはよくわかった。あれだって、ただの横領だよ。しょうもない奴だな。親友に泣き落としってどういうことだよ。しかも、梅川の元に着服した金を抱えて、行こうかどうしようか迷ったあげくに、犬に石投げて憂さ晴らしした挙句に、行くって、どれだけへたれなんだよ。あいつは本当に駄目な男だ」
知り合い「私も詳しくは知らないけど、基本的に心中したりする話の相手の男って、大体甲斐性のかけらもない情けない男だよ」
情緒もへったくれもない会話を、休憩時間に交わします。
というか、休憩時間あるんですね。知りませんでした。
第一幕が終わり、第二幕。また、バン! と凄い音を立てて、大夫と三味線が変わります。
そして25分ほどの休憩を挟みます。その間に、慣れている人は食事をしたりするわけですね。なるほど。
そして、第三幕の開始です。
いよいよ男性ばかりの人形以外に、きれいどころの芸者さんたちや、梅川も現れます。着物の長い女性の動きや、泣き崩れる動作。
まさに漫画で言うと、「よよよ………」という擬音がぴったりの動作が似合う梅川を演じるのが、うす水色の袴がシャープに似合うじじいだぜ!(やった!)
実はそれまで、顔を出して演じている人はそんなお年寄り、という感じではなかったのですが、出たよやっぱり梅川はじいちゃんじゃないと!
勿論演技も非常に上手い。
操り手の衣装もそうですが、人形の衣装一つとっても素敵です。
忠兵衛はストライプの爽やかな衣装。頑強そうな八右衛門は茶の地に黒の襟巻き。
そして、客の金を使って、梅川を見受けしてしまった忠兵衛の上着の裏地は黄緑色と、色合いが非常に素敵。
結局二人は逃避行をはかり、空降る霙が抱き合う二人を濡らします。
最終幕はこんな感じで終わるのですが、その前に、大夫と三味線が四人ずつ勢ぞろい!
すっげえ! 壮観!
全員、黒の着物に、青い裃をつけて、カッケエ!
そしてその三味線の内側から二番目、お前キスの奴だろ!
案の定そうでした。
私、そういう記憶力伊達じゃないぜ。
それにしても最終幕の演奏は、やはり人数が多いだけあって迫力がありました。歌声にしても、三味線の演奏にしても。
逆に終わり、がはっきりしない以上、あれだけの人数で迫力のまま押し切るのはいいな、と思いました。
以上で終了。
正直、人形が動いているときはいいんですが、人形がぴたっと動かなくなり、心情の吐露が始まったりすると、すげえ眠くなったんですが、これは慣れてないからじゃないかと。
知り合いが言っていたんですが、これを作られた当初は、嫌な言い方ではなく、よくある話であって、気持ちや時代背景なども当たり前のように入り込める以上、もっと受け入れやすかったのではないかと。
なるほど、そうかもしれませんね。
今度があるなら、もっと前で、そして、人形の動きがぱーっと派手なものを見たいと思いました。
その後、表参道に移動して美術館へ。
表参道ヒルズにも行ってみたんですが、あまりに人が多いのと、昼飯に2000円も払えないという貧乏人の相違のもと、ラーメンを食べて向かいました。
いや別に払いたい人は払えばいいよ。
しかし、ヒルズの建物って変な作りですね。何であんなに床が斜めなの?
行ったのは、『太田記念美術館』です。
今回は『浮世絵の夜景』がテーマでしたが、これが、半端なくオシャレでした。
浮世絵は版画ですが、何色刷りなんだよと突っ込みしたくなる柄と色のセンスのよさ。
そして何より、構図の素晴らしさ。
歌川広重も有名だと思いますが、どこをどうやったらこんな構図考えられるんだよ、と言うものが山ほどあります。半端ねえよ遠近法とか。視点の取り方とか。
そして、妙に下歯が出ている女の人たちばかりが浮世絵じゃない。西洋風というか、陰影のはっきりした、今のイラストでも充分古臭さを感じさせない絵も山ほどありました。面白かったです。
特に、葛飾応為 「吉原格子先の図」 はびっくりするくらい素敵でした。ただ、葛飾応為は夏に行方不明になってそれっきりというへこむ情報まで陳列されていたので、テンションは微妙に下がりました。
そんな情報いらん。
小林清親も素敵でした。ここまでくると、浮世絵というジャンルを離れた、一つの絵ですね。
日本づくしの一日でしたが、満足です。
文楽と言えば人形浄瑠璃。
なじみのない方にはさっぱりわからない、私だってさっぱりわからない文化です。
演目は、『冥途の飛脚』。
メイドの飛脚………?(違う)
実は見終わった今も、正確な意味はよくわからないので、詳しくは上記リンクをご参考ください。
まず向かうは国立劇場の小劇場です。
半蔵門駅から徒歩数分で到着。
「うわ、すげえ年齢層高い」
齢三十の私が一番若い、くらいの客層でした。じじばばじじばばばばばばばばばばばばくらい。
その後、明らかに勉強の一環として来てますよ、という若い学生さんらしき人たちもいましたが、純粋な好奇心で来ているのは私だけのようでしたので、勝利者とみなします(何の?)。
とりあえず会場入りして、真っ先にパンフレットを購入します。
事前に、読むもの読んどかないとわけわからんよという情報は仕入れていたので、知り合いと必死にあらすじだけ読みます。
読んだ結果、結局飛脚屋に養子に入った男が、芸者のために金を使い込んで、最終的には逃亡する話、ということがわかりました。
パンフレットには原本(床本集)もついているのですが、それからしてバリバリの旧仮名遣いに、昔の言葉ですからね。読めやしませんよ。
なので、始まる前に必死になって内容を把握しておくことをお勧めします。
会場は小劇場なので、一番最終列でも20列くらいです。
ネオロマフェスタとは雲泥の差ですが、15列目くらいなら見えるだろうと予想し、それは甘かったことを後で思い知ります。
幕が開き、舞台が始まります。勿論拍子木つきで。
すると、舞台右から、唐突に大夫(語り手。文楽は活動写真のように、すべての台詞などを、一人の人が話す)と三味線の人が現れます。
バン!
私「ギャ!?」
何故私が仰天したかというと、大夫と三味線の二人が並んで、突然、ニンジャ隠れ屋敷の観音扉のように、座った状態で奥から物凄い勢いで飛び出てくるからです。
びっくりした! びっくりしたよ!
黒子の人が舞台の説明をし、大夫と三味線の人の紹介と共に一礼します。大夫の人はただ頭を下げるだけでなく、目の前の教本らしきものを顔に近づけて礼をするのが、非常に新鮮。
そして、第一幕の三味線ひきの人が………一礼後、三味線を構える前に、三味線にキス。
私「ええー!? それどんなパフォーマンスー!?」
まだ舞台上に人形が出てもいないのに、こちらのテンションはテッペンまで跳ね上がりました。純和風の世界に、その行動意味不明だよ三味線の人!
舞台が始まると、人形たちがわらわらと現れます。
文楽は子どもくらいの大きさの人形を、大人二人か三人で操るのですが、右手と顔を操る人間は、基本的に着物と袴で顔が出ています。
それ以外の場所、例えば左手だったり、足を操る係りの人は、完全に黒子の格好をしていて、人としての判別はつきません。
文楽を見に行くと、人間が顔を出して操っていることなんて、気にならなくなるよというのは、よく言われることなんですが、私は初めから全く気になりませんでした。
大体それをいうなら、指人形だって、操り人形だって、糸や指や、あきらかにそれが部分的であっても、人とわかる部分が出ているわけですから、それも含めて「演技」だと初めから認識できない人は、何を見ても楽しめない人だと思います。
逆に、人形に集中できるというより、その操っている人も含めて一つの演技として見られるので、それはそれで楽しいです。
勿論演じている人は、顔が出ていたとしても、実際の俳優さんのように、顔に表情を出したりは一切しません。体の演技は=人形の演技ですしね。
舞台が始まると、人形の動き、大夫の人の語り、三味線の演奏、加えて、舞台左右上部に、電光掲示板のように、実際何を語っているかの文が出ます。
これは、始めて見た人、台詞を知りたい人には非常に便利なモノなのですが、こっちは忙しくてそれどころじゃねー!
小劇場といえども、舞台の広さは結構あるので、そこで、人の身体より小さい人形が演技するのを見るのは、非常に集中力がいるのです。
しかも前から十五列目。
人形の細かな動きを見るためには、オペラグラスが必需品です。
勿論、遠目から見ても、その動きがまさに神業なのは見て取れるのですが、それも見逃さないためには目を離せないし、おまけに、人形は一体じゃない………。
視線が散らばるし、そのどれもを見ていたいし、語りの意味を知るために、視線を他所に向けている暇が正直ない。
逆に、ふらーっと視線を他所に向けて、文を確認したりしている間に、舞台上の動きを見逃した! とか平気であるので、なれないうちは、舞台に集中しておくほうが無難です。
ああやっぱり、本気で楽しむなら、最低でも中央列よりも前にいないと駄目だなこれは。
人形の動きに関しては、文句なしです。
筆、硯、煙管などの、手に持つ道具を利用しての細かな動作が、非常に上手い。
激しく硯で墨をすり、筆を走らせる。
荷物を担ぐ。
眼を瞠るほどの動きの妙がそこかしこで見られます。
そうこうしている間に、第一幕、第二幕終了。
養子忠兵衛は、友人八右衛門に渡さなければならない商売の金を、芸者梅川に使い込んでしまいます。
ですが、梅川にかけるその情にほだされ、八右衛門は目を瞑ろうとするのですが、忠兵衛の母親はそれを見咎め、金を返すように言います。
偽の返済書を書き、金の変わりに、道具を風呂敷に包んで八右衛門に渡す忠兵衛。
八右衛門はその場を引き下がりますが、忠兵衛は、その後、侍に渡さねばならない大金を抱えて、梅川の元に行ってしまうのでした。
私「筋としては、とにかく、忠兵衛がどうしようもない奴だってことはよくわかった。あれだって、ただの横領だよ。しょうもない奴だな。親友に泣き落としってどういうことだよ。しかも、梅川の元に着服した金を抱えて、行こうかどうしようか迷ったあげくに、犬に石投げて憂さ晴らしした挙句に、行くって、どれだけへたれなんだよ。あいつは本当に駄目な男だ」
知り合い「私も詳しくは知らないけど、基本的に心中したりする話の相手の男って、大体甲斐性のかけらもない情けない男だよ」
情緒もへったくれもない会話を、休憩時間に交わします。
というか、休憩時間あるんですね。知りませんでした。
第一幕が終わり、第二幕。また、バン! と凄い音を立てて、大夫と三味線が変わります。
そして25分ほどの休憩を挟みます。その間に、慣れている人は食事をしたりするわけですね。なるほど。
そして、第三幕の開始です。
いよいよ男性ばかりの人形以外に、きれいどころの芸者さんたちや、梅川も現れます。着物の長い女性の動きや、泣き崩れる動作。
まさに漫画で言うと、「よよよ………」という擬音がぴったりの動作が似合う梅川を演じるのが、うす水色の袴がシャープに似合うじじいだぜ!(やった!)
実はそれまで、顔を出して演じている人はそんなお年寄り、という感じではなかったのですが、出たよやっぱり梅川はじいちゃんじゃないと!
勿論演技も非常に上手い。
操り手の衣装もそうですが、人形の衣装一つとっても素敵です。
忠兵衛はストライプの爽やかな衣装。頑強そうな八右衛門は茶の地に黒の襟巻き。
そして、客の金を使って、梅川を見受けしてしまった忠兵衛の上着の裏地は黄緑色と、色合いが非常に素敵。
結局二人は逃避行をはかり、空降る霙が抱き合う二人を濡らします。
最終幕はこんな感じで終わるのですが、その前に、大夫と三味線が四人ずつ勢ぞろい!
すっげえ! 壮観!
全員、黒の着物に、青い裃をつけて、カッケエ!
そしてその三味線の内側から二番目、お前キスの奴だろ!
案の定そうでした。
私、そういう記憶力伊達じゃないぜ。
それにしても最終幕の演奏は、やはり人数が多いだけあって迫力がありました。歌声にしても、三味線の演奏にしても。
逆に終わり、がはっきりしない以上、あれだけの人数で迫力のまま押し切るのはいいな、と思いました。
以上で終了。
正直、人形が動いているときはいいんですが、人形がぴたっと動かなくなり、心情の吐露が始まったりすると、すげえ眠くなったんですが、これは慣れてないからじゃないかと。
知り合いが言っていたんですが、これを作られた当初は、嫌な言い方ではなく、よくある話であって、気持ちや時代背景なども当たり前のように入り込める以上、もっと受け入れやすかったのではないかと。
なるほど、そうかもしれませんね。
今度があるなら、もっと前で、そして、人形の動きがぱーっと派手なものを見たいと思いました。
その後、表参道に移動して美術館へ。
表参道ヒルズにも行ってみたんですが、あまりに人が多いのと、昼飯に2000円も払えないという貧乏人の相違のもと、ラーメンを食べて向かいました。
いや別に払いたい人は払えばいいよ。
しかし、ヒルズの建物って変な作りですね。何であんなに床が斜めなの?
行ったのは、『太田記念美術館』です。
今回は『浮世絵の夜景』がテーマでしたが、これが、半端なくオシャレでした。
浮世絵は版画ですが、何色刷りなんだよと突っ込みしたくなる柄と色のセンスのよさ。
そして何より、構図の素晴らしさ。
歌川広重も有名だと思いますが、どこをどうやったらこんな構図考えられるんだよ、と言うものが山ほどあります。半端ねえよ遠近法とか。視点の取り方とか。
そして、妙に下歯が出ている女の人たちばかりが浮世絵じゃない。西洋風というか、陰影のはっきりした、今のイラストでも充分古臭さを感じさせない絵も山ほどありました。面白かったです。
特に、葛飾応為 「吉原格子先の図」 はびっくりするくらい素敵でした。ただ、葛飾応為は夏に行方不明になってそれっきりというへこむ情報まで陳列されていたので、テンションは微妙に下がりました。
そんな情報いらん。
小林清親も素敵でした。ここまでくると、浮世絵というジャンルを離れた、一つの絵ですね。
日本づくしの一日でしたが、満足です。
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