泡坂
澤田
池波
の会話。
泡坂「澤田さん!」
澤田「な、なんだ!?」
「ほら、見てくださいよ、これ!」
「これってどれだ!?」
「ええ!? 気づかないんですか!? こんなに完璧に違うのに!」
「だから、何がだ! 急に飛び込んできて顔を突き出されても、何がなんだかわかるわけないだろう。というか、 お前、もう少し離れろ! 近い!」
「ええい、ふがいない! 池波さんならすぐにわかるのに。わかりますよね、池波さん」
池波「あ? ああ、まあな。きれいになってるし」
「ほら、わかる人にはすぐにわかるんですよ」
「本当に、池波はわかってるのか?」
「なんだ、お前その目。じゃあヒントな。顔だ、顔」
「顔? 顔がどうかしたか?」
「だからそれを聞いてるんでしょうが………。ちっとも話が進みませんね」
「泡坂の顔で、どこか変わってるところあんだろ」
「泡坂の顔で?」
「………………………」
「………………………………」
「………あの、あんまりきれいな顔でまじまじと見られると、さすがに殴りたくなるんですけど」
「やめろ。顔………顔か。変わってるところか………そうだな、眼の色とか」
「私は裸眼で1.5ある女ですよ! そんなわけないでしょうが! カラーコンタクトでも入れてるってんですか! それは何らかのコスプレですよ!」
「お前なあ、きれいになってるって俺言っただろうが」
「そ、そんなこと言われても、他に何かあるのかわかるわけないだろう!」
「眉」
「は?」
「だから、眉だよ、眉毛」
「眉毛がどうかしたか? ちゃんとあるが」
「そりゃあるでしょうよ………。なかったら色々な意味で大問題ですよ。そうじゃなくて、ほら、 眉毛がきれいになっていると思いませんか?」
「いや別に。きれいになってるのか?」
「お前なあ、いくら女の顔に興味がないからって、どこまで鈍いんだよ」
「そんなつもりじゃない! そうじゃなくて、別に今まで泡坂の眉毛なんて、気にしたことなかったから」
「いえ、もういいです。澤田さんに一般的な男子の感性を求めたのが間違いでした。池波さんが気づいてくれたんで、それでいいです」
「随分すっきりしたけど、元の形も残っててきれいだな。前より随分色味が明るくなったし」
「そこまで詳しく理解されるのも、ちょっと微妙です」
「お前一体なんなんだ」
「別に何でもねえよ。なんだ、泡坂、何処かエステでも行ったのか」
「そうなんです。今ちょっと話題の眉エステに行ってきました。色々面白かったですよ」
「眉エステとは、何をするところなんだ?」
「眉毛をエステするところです」
「眉毛をどうエステするんだ?」
「余分な毛を抜いたり、メイクしてくれたりすんだろ」
「眉を? わざわざ? なんでそんなことを」
「澤田さんだって、お母さんがお化粧している姿とか、見たことあるでしょう? 眉毛書いたり、そったりしているの。 というか、澤田さんは眉毛の手入れとか、したことないんですか?」
「するものなのか? 俺は眉毛なんて今まで一度もいじったことはないが」
「まあ。お前の眉毛きれいだしな。形整ってるし」
「というか、澤田さんは全ての顔かたちが整いすぎですよ。パーツに微塵の揺らぎもない。こうして 全てを持って生まれてくるやつがいるから、懸命に努力しても報われないはめになる奴もいる………。顔から下はただのもやしっ子なのに、 やっぱり人間顔ですね。クソッ」
「何で俺がそこまで言われなきゃならないんだ。ともかく、眉エステに行ったんだろう? それできれいになった なら良かったじゃないか」
「いえ、ですから、そういうリアクションが欲しいのではなく………」
「どんな感じだった? ぱっと見、そんなに毛を切ったりしてねえみたいだけど」
「そうですね、それでは事の顛末をお話いたしましょう」
「初めから話してくれればいいのに」
「お前、それ聞こえるように言うなよ。ぶっ飛ばされるぞ」
「俺は、泡坂が話す内容なら、どんなことでもちゃんと聞く」
「それも言うなよ。身もだえする人もいるから。泡坂はしねえけど」
「ええとですね、まず行ったのは『アナスタシア』ってとことです。結構有名みたいですね。私は所詮貧乏大学生ですから、 エステなんて行ったことなかったんですけど、どうせ行くならとりあえず、有名どころで間違いないかな、と思って。新しく新装開店した、 新宿高島屋に行って参りました」
「へえ、高島屋リニューアルしたのか」
「そうみたいですね。結構変わっててびっくりしました。私も詳しく調べていったわけではないので、見せ前の案内板を見たんですけど、 そこにアナスタシアの文字がない」
「駄目だろう、それ」
「多分、一階の化粧品フロアだとは思ったんですけどねえ。で、案内冊子をぱらぱらめくっていたら、唐突に頭上から声が」
「知り合いか?」
「いいえ、全然。中年のおじさんでした。一瞬、何事かと思ったんですけど、お店の人で、どの店を探しているのか、と、 声をかけてくれたんですよね。私、そんな人が立ってたことも気づかなかったし、声をかけられるとも思ってなかったので、仰天して固まりましたよ。 どのブランドをお探しですか、って言われたんですけど、その瞬間、アナスタシアの名前がぶっ飛びまして。超挙動不審でした」
「泡坂でも驚いて声が出ない、なんてことあるんだな」
「澤田さん、貴方私をなんだと思ってるんですか。まあ、そこで素人っぷりをアピールしつつ、冊子に 文字を見つけたので、半笑いしながら、降りていったわけですが、それがもう、凄いんだ」
「何が?」
「一面に広がる化粧品売り場が。もう、半端じゃないんですよ。まるまる1フロア化粧品売り場って、そうそうないですから。 大体、一階の半分くらい使って、それで大きい方じゃないでしょうか。それがもう、真っ白かつ、真っ透明な世界が、これでもか! と 広がってるもんですから、降りた途端にドン引きですよ」
「真っ透明ってなんだ?」
「俺、なんとなく想像つく」
「汚れが微塵もないというか、汚れている奴は入るな! くらい、迫力のある世界でしたね。普段化粧なんてしないもんですから、 あのフロア、完全に私場違いでしたよ。思わずびびって、もう一階降りてしまいました」
「何故」
「なんか気後れしたんですよ! 澤田さんだって、自分の下着を買いに行って、その途中でだだっ広い女性下着売り場が広がってたら、 びびるでしょうが!」
「俺は女性下着売り場など行かん!」
「その前に、男性下着と女性下着は一緒のフロアにはねえ」
「まあそれでですね、地下の食品売り場で時間を潰してから、そろそろいいかな、とまた舞い戻ったわけですが、 ぐるっとフロアを見回してみると、それらしきスペースがないんですよね。うろうろしているのもなんかかっこ悪くて、無駄に携帯をいじってみたり」
「案内板とかなかったのか?」
「よくよく探してみるとあったんですけどね。それも凄く目立たない感じに設置してあって。ああいうものは、ばーんとでっかく、 目立つように置いてナンボだと思うんですけどね」
「それは不便だな」
「お前なら、五秒で迷子だな」
「その前に、澤田さんなら新宿駅から高島屋までたどり着けるかどうか。まあ、そんなことは置いておいてですね、 案内板で無事に発見したので、到着したわけです。思っていたよりもずっと小さくて、本当に1スペースっていう感じでした。 受付にお姉さんがいましたんで、そこで名前と予約時間を告げたら、別のお姉さんが出てきて、奥に案内されて、延々説明を受けながら、 同意書なんかにサインするわけです」
「人、いっぱいいたか?」
「それが、結構いたんですよ。施術してもらえるカーテンでしきられたスペースが、4個くらいあるのかな。それは殆ど埋まってましたし、 私のほかにも順番を待ってる人もいましたし。その待っている人も、これ以上何処をいじるのだというくらい、きれいにメイクしている人で、 別な意味で何故だ、とか思いましたけど」
「同意書、というと結構大げさな感じがするが」
「でも、エステとかだと大体書くみたいですよ。やっぱり肌の赤みとか、皮膚の弱い人とか、色々いるでしょうから。 眉周りのエステなので、その質問が殆どでしたね。アトピーはあるかとか、塗り薬は使っているか、とか」
「お前、アトピーあるだろ」
「ありますけど、それにびびってたら生きられませんよ、アトピー持ちは。やろうと思ったことはやらねば、 人生損します」
「たくましいな」
「本当にな」
「まあ、そんなこんなで、個室に案内されて、お姉さんが色々説明してくれて、施術開始になります。ただそのお姉さんがねえ………」
「なんだ?」
「常に床に両膝ついて話すんですよ。こっちよりも目線を下にして話している、っていうのはわかるんですけど、 そこまでへりくだる必要ないというか、却って膝とか汚いだろうとか、色々思うところはありましたねえ」
「慇懃無礼、というやつだな」
「別にお姉さんが不愉快だったとか、そんなことはないんですけど、接客業として基本レベルに達していれば、それこそ、 過度な気遣いは無用だと思うんですけど。まあ、それはそれとして、美容院のシャンプーのときみたいに、椅子を倒して寝るわけです。 で、いよいよ眉毛の説明ですね。さて、澤田さん、ボールペンありますか?」
「? ああ」
「ありがとうございます。で、そこに横になってください」
「? こうか?」
「ありがとうございます。じゃあ、池波さん、澤田さん押さえつけてください」
「おう」
「ちょっと待て! なんだ、俺は何をさせられるんだ!?」
「じっとしててくださいよ、説明できないじゃないですか」
「だからって、何で俺なんだ! 池波の眉毛でやればいいだろう!」
「俺じゃ駄目だろ」
「何故!」
「リアクションが面白くないから」
「どんな理由だ!」
「まあいいじゃないですか。滅多にない経験ということでひとつ」
「何がひとつだ! おい、池波お前も離せ!」
「すぐ終わるだろうから、じっとしてろよ。泡坂が、油性ペンじゃなく、ボールペンを持ち出したところに、 気づきにくい優しさを感じようぜ」
「そんな配慮の前に、俺を離せ!」
「じゃあ、説明しますね。お姉さんがやったようにはできませんけど、ざっと。大体全部覚え切れているわけないし。 まずですね、こう自分の小鼻のところにこう、軸をあてて真っ直ぐに眉に伸ばしたあたりが、眉頭の終点になります。つまり、それより内側が、 無駄な毛になるわけですね。だからこう、ちょっとしるしを右と左につけまして、この空間に生えている毛は処理します………って、 ないけど、処理する毛」
「その残念そうな顔やめろ」
「次は、その小鼻のところから、顔の側面に向かって斜めに軸を当てて、眼の横を通ってたどり着いたあたりが、 眉尻になります。これも眉頭と同じではみだしているのが無駄な毛なわけですね」
「やっぱりねえけどな、無駄な毛」
「段々馬鹿馬鹿しくなってきましたけど、進めます。で、この眉尻を少し上にあげると、ちょっときりとした印象になって、 下に下げると優しい感じになるんですって。どちらにしますか? と聞かれたんで、よくわからないのでいいようにしてください、って伝えたら、
「やさしいお顔立ちをしていらっしゃるので、眉毛も優しい感じに」
と返されました。生まれて初めてですよ、優しい顔立ちなんて言われたの」
「物は言い様だな」
「さあ、次行きますよ! で、次は本人の骨格に合わせたステンシルを用意して、それを当てて、 塗ります! そのステンシルの内側をとにかく全部塗るんです。これはあくまで目安なので、その色が残るわけじゃないんです」
「この塗りつぶした部分が眉毛のベースで、それ以外の無駄な毛を処理する、ってことだな」
「そうですね。この時点で鏡を見せてもらったんですけど、まあびっくりしましたよ。ゴルゴ13かと思いました。 焼き海苔がのっかってるみたいで。そう、今の澤田さんのように」
「………お前………ボールペンで俺の眉毛塗ったな………」
「骨格の話とかも面白くてですね。例えば私だと、この眉の上のなだらかなラインがありますよね。この骨格が、 左の方がなだらかで、右の方がちょっといかつい感じなんですって。眉の形なんて左右違ってて当然ですから、これもどっちに合わせるか、っていう 話になるんですよね。これもまあ、お姉さんのお勧めに従って優しい感じに合わせることになったんですけど、澤田さん何か言いました?」
「何も言ってない」
「でもそうなると、右側の眉、ちょっと処理しないと駄目だろ。上の方も」
「そうなんです。普通眉のメイクって、眉上部は基本的に処理しないんですけど、ここでほんのちょっとだけ、右の眉の上だけを処理することになるんですよね。 この量とかは、多分選んだ眉の太さとかで違ってくると思うんですが。私は髪の毛も多いですし、眉の量も多かったですから、はみ出した部分結構処理したのかな。 で、ともかく抜く部分がわかったので、これからワックス抜きに入ります」
「痛みはどんなだった?」
「それが全然痛くなかったです。痛みに強い体質ではありますけど。ちょっと熱いかな、くらいのワックスを塗られて、びし、っと お姉さんが紙を当てて抜いていくんですが。まあ最もこっちはずっと眼を瞑ってるんで、何をしているのかは厳密には分からないんですけどね。 お姉さんの話だと、痛くて涙ぐむ人もいるらしいんですけど、そんなことは全くありませんでした。で、その後ワックスで抜け切らないところとか、細部を 毛抜きで処理してくれるんですけど、そっちのほうがよっぽど痛いです」
「そういうのは、俺にはよくわからないな」
「男は基本的に、自分の毛を抜く機会なんてそうそうないからなあ。スネ毛とか抜く奴もいるらしいけど」
「そうですね。強いて言えば、そり残したひげとか、鼻毛とかですか」
「お前、俺をなんだと思ってるんだ」
「で、きれいに抜いてもらったら、少しの間アイシングします。私アトピーありますけど、ワックス使用後も、全然肌は赤くなりませんでしたし、 痛くもなりませんでしたよ。その辺は、お姉さんが色々気を使ってくれたみたいでしたが。アイシングが終わったら、いよいよメイクですね。これもちゃんと お姉さんに希望すれば、最初から最後までちゃんと手鏡を使って過程を見せてくれます。でもですね、きれいにワックスで毛を抜くと、 この時点でかなりきれいなんですよ。毛が薄い人じゃなければ、これで充分なんじゃないかな、ってくらい。
メイクですが、まずブラシでパウダーをのせます。このとき、眉頭を薄くするのがポイントらしいです。ブラシを上手く使って、眉が抜けているところを埋めたり、 ブラシで眉の流れにそって書くようにしたりとか。で、仕上げはペンシルでしたけど、これは殆ど使わなかったですね。私は毛が濃かったですから」
「明るい色になったのは、なんか理由でもあるのか?」
「私も、元の眉毛が黒いですし、それに合わせるのかと思ったら、そうじゃないらしいんですね。基本的に眉の色が濃ければ、 それだけ印象が強くなりますし、私の場合髪の毛を染めていて明るい色味ですから、それに合わせるらしいです。私はパウダーは一番明るいので、 ペンシルは二番目に明るい奴でした。で、マスカラを利用して眉毛そのものの色をちょっと明るくして、何だかよくわからないんですけど、 透明なジェルみたいなものをつけて、ここでやっとはさみなんですよね」
「へえ。それまで眉毛切らないのか」
「そうなんですよ。他はわかりませんけど、ここは元の眉毛を最大限に利用する、がコンセプトらしくて、眉毛殆ど切りませんでした。 本当に最後の最後にほんのちょっと切るだけで。これはびっくりしましたね。私普段、庭の芝刈りのように、ざくざく切ってたんですけど、 そうしなくてもきれいになるってことがよくわかりました。で、最後の仕上げでコンシーラーを眉の上と、下に塗って、手で馴染ませておしまい。 正味一時間くらいでしたね。初回ですから」
「凄く自然な感じだから、いいんじゃねえの。何かしつこく勧められたりしなかったか? エステってよくそういうの聞くだろ」
「最後に、使った道具の説明っていうのがありましたね。別に感じ悪くなかったですよ。ただ私は、初めから買う気満々 だったんで、パウダーと筆とステンシルとコンシーラー買いました。ペンシルは今使ってるのがあるんで。パウダーとかじゃなくて、 いい筆って、なんていうか安物と明らかに違って気持ちいいんですよねえ。その分、筆が一番高くてびっくりでしたけど、 いいんだ、これもう、一生使ってやるから」
「きれいになったけど、頻繁に行かないとやっぱ駄目なんかね」
「それがそうじゃないらしいんですよね。抜いた毛がボーボーに生え揃うまで、40日くらいかかるらしいんですよ。 だから次は、12月の頭くらいに行けばいいらしいです。それだけ間を空けていいのなら、ちょっとまた次も来てきれいにしてもらおうかな、って 思いますよね。それまでは一度きれいにしてもらった下地を元に、自分でちょっと手入れすればいいわけですから」
「全体的に満足だったんだろ? 仕上がりとか」
「そうですね。私にみたいに普段化粧しなくて、詳しくない人間にとっては、凄く勉強になりましたし、眉って 一番難しくて、一番見た目ではっきりとわかる部分なんで、やってもらってよかったと思います。勿論、化粧慣れして眉毛も完璧に自分でできる 人にとっては、今更な情報かもしれませんけど、そういう人は初めからこの手のエステには行かないでしょうし」
「いいんじゃねえの。何に金かけるかは、人それぞれだし。な、澤田」
「お前ら、途中から俺の存在どうでも良くなっただろう」
「仕方がないじゃないですか。実際毛を抜くわけにはいかないし」
「抜かれてたまるか! もう離せ、起きる」
「まあ、こういう努力の結晶でメイクは成り立ってるわけですよ。勉強にはなりましたけど、この手のことに時間をかけなきゃいけない 時点で女は面倒くさいです」
「まあなあ。男はここまで力入れないだろうしなあ」
「ちょっと、コンビニ行ってくる。何か買ってくるものあるか?」
「いえ、別に」
「俺もねえな。おい、澤………」
「そうか」
「行っちゃいましたけど、池波さん何か言いかけてませんでした?」
「いや、あいつ、ボールペン眉毛のまま出てったと思って」
「澤田さーん! 待て、待て、ちょっと待てコラー!」
澤田
池波
の会話。
泡坂「澤田さん!」
澤田「な、なんだ!?」
「ほら、見てくださいよ、これ!」
「これってどれだ!?」
「ええ!? 気づかないんですか!? こんなに完璧に違うのに!」
「だから、何がだ! 急に飛び込んできて顔を突き出されても、何がなんだかわかるわけないだろう。というか、 お前、もう少し離れろ! 近い!」
「ええい、ふがいない! 池波さんならすぐにわかるのに。わかりますよね、池波さん」
池波「あ? ああ、まあな。きれいになってるし」
「ほら、わかる人にはすぐにわかるんですよ」
「本当に、池波はわかってるのか?」
「なんだ、お前その目。じゃあヒントな。顔だ、顔」
「顔? 顔がどうかしたか?」
「だからそれを聞いてるんでしょうが………。ちっとも話が進みませんね」
「泡坂の顔で、どこか変わってるところあんだろ」
「泡坂の顔で?」
「………………………」
「………………………………」
「………あの、あんまりきれいな顔でまじまじと見られると、さすがに殴りたくなるんですけど」
「やめろ。顔………顔か。変わってるところか………そうだな、眼の色とか」
「私は裸眼で1.5ある女ですよ! そんなわけないでしょうが! カラーコンタクトでも入れてるってんですか! それは何らかのコスプレですよ!」
「お前なあ、きれいになってるって俺言っただろうが」
「そ、そんなこと言われても、他に何かあるのかわかるわけないだろう!」
「眉」
「は?」
「だから、眉だよ、眉毛」
「眉毛がどうかしたか? ちゃんとあるが」
「そりゃあるでしょうよ………。なかったら色々な意味で大問題ですよ。そうじゃなくて、ほら、 眉毛がきれいになっていると思いませんか?」
「いや別に。きれいになってるのか?」
「お前なあ、いくら女の顔に興味がないからって、どこまで鈍いんだよ」
「そんなつもりじゃない! そうじゃなくて、別に今まで泡坂の眉毛なんて、気にしたことなかったから」
「いえ、もういいです。澤田さんに一般的な男子の感性を求めたのが間違いでした。池波さんが気づいてくれたんで、それでいいです」
「随分すっきりしたけど、元の形も残っててきれいだな。前より随分色味が明るくなったし」
「そこまで詳しく理解されるのも、ちょっと微妙です」
「お前一体なんなんだ」
「別に何でもねえよ。なんだ、泡坂、何処かエステでも行ったのか」
「そうなんです。今ちょっと話題の眉エステに行ってきました。色々面白かったですよ」
「眉エステとは、何をするところなんだ?」
「眉毛をエステするところです」
「眉毛をどうエステするんだ?」
「余分な毛を抜いたり、メイクしてくれたりすんだろ」
「眉を? わざわざ? なんでそんなことを」
「澤田さんだって、お母さんがお化粧している姿とか、見たことあるでしょう? 眉毛書いたり、そったりしているの。 というか、澤田さんは眉毛の手入れとか、したことないんですか?」
「するものなのか? 俺は眉毛なんて今まで一度もいじったことはないが」
「まあ。お前の眉毛きれいだしな。形整ってるし」
「というか、澤田さんは全ての顔かたちが整いすぎですよ。パーツに微塵の揺らぎもない。こうして 全てを持って生まれてくるやつがいるから、懸命に努力しても報われないはめになる奴もいる………。顔から下はただのもやしっ子なのに、 やっぱり人間顔ですね。クソッ」
「何で俺がそこまで言われなきゃならないんだ。ともかく、眉エステに行ったんだろう? それできれいになった なら良かったじゃないか」
「いえ、ですから、そういうリアクションが欲しいのではなく………」
「どんな感じだった? ぱっと見、そんなに毛を切ったりしてねえみたいだけど」
「そうですね、それでは事の顛末をお話いたしましょう」
「初めから話してくれればいいのに」
「お前、それ聞こえるように言うなよ。ぶっ飛ばされるぞ」
「俺は、泡坂が話す内容なら、どんなことでもちゃんと聞く」
「それも言うなよ。身もだえする人もいるから。泡坂はしねえけど」
「ええとですね、まず行ったのは『アナスタシア』ってとことです。結構有名みたいですね。私は所詮貧乏大学生ですから、 エステなんて行ったことなかったんですけど、どうせ行くならとりあえず、有名どころで間違いないかな、と思って。新しく新装開店した、 新宿高島屋に行って参りました」
「へえ、高島屋リニューアルしたのか」
「そうみたいですね。結構変わっててびっくりしました。私も詳しく調べていったわけではないので、見せ前の案内板を見たんですけど、 そこにアナスタシアの文字がない」
「駄目だろう、それ」
「多分、一階の化粧品フロアだとは思ったんですけどねえ。で、案内冊子をぱらぱらめくっていたら、唐突に頭上から声が」
「知り合いか?」
「いいえ、全然。中年のおじさんでした。一瞬、何事かと思ったんですけど、お店の人で、どの店を探しているのか、と、 声をかけてくれたんですよね。私、そんな人が立ってたことも気づかなかったし、声をかけられるとも思ってなかったので、仰天して固まりましたよ。 どのブランドをお探しですか、って言われたんですけど、その瞬間、アナスタシアの名前がぶっ飛びまして。超挙動不審でした」
「泡坂でも驚いて声が出ない、なんてことあるんだな」
「澤田さん、貴方私をなんだと思ってるんですか。まあ、そこで素人っぷりをアピールしつつ、冊子に 文字を見つけたので、半笑いしながら、降りていったわけですが、それがもう、凄いんだ」
「何が?」
「一面に広がる化粧品売り場が。もう、半端じゃないんですよ。まるまる1フロア化粧品売り場って、そうそうないですから。 大体、一階の半分くらい使って、それで大きい方じゃないでしょうか。それがもう、真っ白かつ、真っ透明な世界が、これでもか! と 広がってるもんですから、降りた途端にドン引きですよ」
「真っ透明ってなんだ?」
「俺、なんとなく想像つく」
「汚れが微塵もないというか、汚れている奴は入るな! くらい、迫力のある世界でしたね。普段化粧なんてしないもんですから、 あのフロア、完全に私場違いでしたよ。思わずびびって、もう一階降りてしまいました」
「何故」
「なんか気後れしたんですよ! 澤田さんだって、自分の下着を買いに行って、その途中でだだっ広い女性下着売り場が広がってたら、 びびるでしょうが!」
「俺は女性下着売り場など行かん!」
「その前に、男性下着と女性下着は一緒のフロアにはねえ」
「まあそれでですね、地下の食品売り場で時間を潰してから、そろそろいいかな、とまた舞い戻ったわけですが、 ぐるっとフロアを見回してみると、それらしきスペースがないんですよね。うろうろしているのもなんかかっこ悪くて、無駄に携帯をいじってみたり」
「案内板とかなかったのか?」
「よくよく探してみるとあったんですけどね。それも凄く目立たない感じに設置してあって。ああいうものは、ばーんとでっかく、 目立つように置いてナンボだと思うんですけどね」
「それは不便だな」
「お前なら、五秒で迷子だな」
「その前に、澤田さんなら新宿駅から高島屋までたどり着けるかどうか。まあ、そんなことは置いておいてですね、 案内板で無事に発見したので、到着したわけです。思っていたよりもずっと小さくて、本当に1スペースっていう感じでした。 受付にお姉さんがいましたんで、そこで名前と予約時間を告げたら、別のお姉さんが出てきて、奥に案内されて、延々説明を受けながら、 同意書なんかにサインするわけです」
「人、いっぱいいたか?」
「それが、結構いたんですよ。施術してもらえるカーテンでしきられたスペースが、4個くらいあるのかな。それは殆ど埋まってましたし、 私のほかにも順番を待ってる人もいましたし。その待っている人も、これ以上何処をいじるのだというくらい、きれいにメイクしている人で、 別な意味で何故だ、とか思いましたけど」
「同意書、というと結構大げさな感じがするが」
「でも、エステとかだと大体書くみたいですよ。やっぱり肌の赤みとか、皮膚の弱い人とか、色々いるでしょうから。 眉周りのエステなので、その質問が殆どでしたね。アトピーはあるかとか、塗り薬は使っているか、とか」
「お前、アトピーあるだろ」
「ありますけど、それにびびってたら生きられませんよ、アトピー持ちは。やろうと思ったことはやらねば、 人生損します」
「たくましいな」
「本当にな」
「まあ、そんなこんなで、個室に案内されて、お姉さんが色々説明してくれて、施術開始になります。ただそのお姉さんがねえ………」
「なんだ?」
「常に床に両膝ついて話すんですよ。こっちよりも目線を下にして話している、っていうのはわかるんですけど、 そこまでへりくだる必要ないというか、却って膝とか汚いだろうとか、色々思うところはありましたねえ」
「慇懃無礼、というやつだな」
「別にお姉さんが不愉快だったとか、そんなことはないんですけど、接客業として基本レベルに達していれば、それこそ、 過度な気遣いは無用だと思うんですけど。まあ、それはそれとして、美容院のシャンプーのときみたいに、椅子を倒して寝るわけです。 で、いよいよ眉毛の説明ですね。さて、澤田さん、ボールペンありますか?」
「? ああ」
「ありがとうございます。で、そこに横になってください」
「? こうか?」
「ありがとうございます。じゃあ、池波さん、澤田さん押さえつけてください」
「おう」
「ちょっと待て! なんだ、俺は何をさせられるんだ!?」
「じっとしててくださいよ、説明できないじゃないですか」
「だからって、何で俺なんだ! 池波の眉毛でやればいいだろう!」
「俺じゃ駄目だろ」
「何故!」
「リアクションが面白くないから」
「どんな理由だ!」
「まあいいじゃないですか。滅多にない経験ということでひとつ」
「何がひとつだ! おい、池波お前も離せ!」
「すぐ終わるだろうから、じっとしてろよ。泡坂が、油性ペンじゃなく、ボールペンを持ち出したところに、 気づきにくい優しさを感じようぜ」
「そんな配慮の前に、俺を離せ!」
「じゃあ、説明しますね。お姉さんがやったようにはできませんけど、ざっと。大体全部覚え切れているわけないし。 まずですね、こう自分の小鼻のところにこう、軸をあてて真っ直ぐに眉に伸ばしたあたりが、眉頭の終点になります。つまり、それより内側が、 無駄な毛になるわけですね。だからこう、ちょっとしるしを右と左につけまして、この空間に生えている毛は処理します………って、 ないけど、処理する毛」
「その残念そうな顔やめろ」
「次は、その小鼻のところから、顔の側面に向かって斜めに軸を当てて、眼の横を通ってたどり着いたあたりが、 眉尻になります。これも眉頭と同じではみだしているのが無駄な毛なわけですね」
「やっぱりねえけどな、無駄な毛」
「段々馬鹿馬鹿しくなってきましたけど、進めます。で、この眉尻を少し上にあげると、ちょっときりとした印象になって、 下に下げると優しい感じになるんですって。どちらにしますか? と聞かれたんで、よくわからないのでいいようにしてください、って伝えたら、
「やさしいお顔立ちをしていらっしゃるので、眉毛も優しい感じに」
と返されました。生まれて初めてですよ、優しい顔立ちなんて言われたの」
「物は言い様だな」
「さあ、次行きますよ! で、次は本人の骨格に合わせたステンシルを用意して、それを当てて、 塗ります! そのステンシルの内側をとにかく全部塗るんです。これはあくまで目安なので、その色が残るわけじゃないんです」
「この塗りつぶした部分が眉毛のベースで、それ以外の無駄な毛を処理する、ってことだな」
「そうですね。この時点で鏡を見せてもらったんですけど、まあびっくりしましたよ。ゴルゴ13かと思いました。 焼き海苔がのっかってるみたいで。そう、今の澤田さんのように」
「………お前………ボールペンで俺の眉毛塗ったな………」
「骨格の話とかも面白くてですね。例えば私だと、この眉の上のなだらかなラインがありますよね。この骨格が、 左の方がなだらかで、右の方がちょっといかつい感じなんですって。眉の形なんて左右違ってて当然ですから、これもどっちに合わせるか、っていう 話になるんですよね。これもまあ、お姉さんのお勧めに従って優しい感じに合わせることになったんですけど、澤田さん何か言いました?」
「何も言ってない」
「でもそうなると、右側の眉、ちょっと処理しないと駄目だろ。上の方も」
「そうなんです。普通眉のメイクって、眉上部は基本的に処理しないんですけど、ここでほんのちょっとだけ、右の眉の上だけを処理することになるんですよね。 この量とかは、多分選んだ眉の太さとかで違ってくると思うんですが。私は髪の毛も多いですし、眉の量も多かったですから、はみ出した部分結構処理したのかな。 で、ともかく抜く部分がわかったので、これからワックス抜きに入ります」
「痛みはどんなだった?」
「それが全然痛くなかったです。痛みに強い体質ではありますけど。ちょっと熱いかな、くらいのワックスを塗られて、びし、っと お姉さんが紙を当てて抜いていくんですが。まあ最もこっちはずっと眼を瞑ってるんで、何をしているのかは厳密には分からないんですけどね。 お姉さんの話だと、痛くて涙ぐむ人もいるらしいんですけど、そんなことは全くありませんでした。で、その後ワックスで抜け切らないところとか、細部を 毛抜きで処理してくれるんですけど、そっちのほうがよっぽど痛いです」
「そういうのは、俺にはよくわからないな」
「男は基本的に、自分の毛を抜く機会なんてそうそうないからなあ。スネ毛とか抜く奴もいるらしいけど」
「そうですね。強いて言えば、そり残したひげとか、鼻毛とかですか」
「お前、俺をなんだと思ってるんだ」
「で、きれいに抜いてもらったら、少しの間アイシングします。私アトピーありますけど、ワックス使用後も、全然肌は赤くなりませんでしたし、 痛くもなりませんでしたよ。その辺は、お姉さんが色々気を使ってくれたみたいでしたが。アイシングが終わったら、いよいよメイクですね。これもちゃんと お姉さんに希望すれば、最初から最後までちゃんと手鏡を使って過程を見せてくれます。でもですね、きれいにワックスで毛を抜くと、 この時点でかなりきれいなんですよ。毛が薄い人じゃなければ、これで充分なんじゃないかな、ってくらい。
メイクですが、まずブラシでパウダーをのせます。このとき、眉頭を薄くするのがポイントらしいです。ブラシを上手く使って、眉が抜けているところを埋めたり、 ブラシで眉の流れにそって書くようにしたりとか。で、仕上げはペンシルでしたけど、これは殆ど使わなかったですね。私は毛が濃かったですから」
「明るい色になったのは、なんか理由でもあるのか?」
「私も、元の眉毛が黒いですし、それに合わせるのかと思ったら、そうじゃないらしいんですね。基本的に眉の色が濃ければ、 それだけ印象が強くなりますし、私の場合髪の毛を染めていて明るい色味ですから、それに合わせるらしいです。私はパウダーは一番明るいので、 ペンシルは二番目に明るい奴でした。で、マスカラを利用して眉毛そのものの色をちょっと明るくして、何だかよくわからないんですけど、 透明なジェルみたいなものをつけて、ここでやっとはさみなんですよね」
「へえ。それまで眉毛切らないのか」
「そうなんですよ。他はわかりませんけど、ここは元の眉毛を最大限に利用する、がコンセプトらしくて、眉毛殆ど切りませんでした。 本当に最後の最後にほんのちょっと切るだけで。これはびっくりしましたね。私普段、庭の芝刈りのように、ざくざく切ってたんですけど、 そうしなくてもきれいになるってことがよくわかりました。で、最後の仕上げでコンシーラーを眉の上と、下に塗って、手で馴染ませておしまい。 正味一時間くらいでしたね。初回ですから」
「凄く自然な感じだから、いいんじゃねえの。何かしつこく勧められたりしなかったか? エステってよくそういうの聞くだろ」
「最後に、使った道具の説明っていうのがありましたね。別に感じ悪くなかったですよ。ただ私は、初めから買う気満々 だったんで、パウダーと筆とステンシルとコンシーラー買いました。ペンシルは今使ってるのがあるんで。パウダーとかじゃなくて、 いい筆って、なんていうか安物と明らかに違って気持ちいいんですよねえ。その分、筆が一番高くてびっくりでしたけど、 いいんだ、これもう、一生使ってやるから」
「きれいになったけど、頻繁に行かないとやっぱ駄目なんかね」
「それがそうじゃないらしいんですよね。抜いた毛がボーボーに生え揃うまで、40日くらいかかるらしいんですよ。 だから次は、12月の頭くらいに行けばいいらしいです。それだけ間を空けていいのなら、ちょっとまた次も来てきれいにしてもらおうかな、って 思いますよね。それまでは一度きれいにしてもらった下地を元に、自分でちょっと手入れすればいいわけですから」
「全体的に満足だったんだろ? 仕上がりとか」
「そうですね。私にみたいに普段化粧しなくて、詳しくない人間にとっては、凄く勉強になりましたし、眉って 一番難しくて、一番見た目ではっきりとわかる部分なんで、やってもらってよかったと思います。勿論、化粧慣れして眉毛も完璧に自分でできる 人にとっては、今更な情報かもしれませんけど、そういう人は初めからこの手のエステには行かないでしょうし」
「いいんじゃねえの。何に金かけるかは、人それぞれだし。な、澤田」
「お前ら、途中から俺の存在どうでも良くなっただろう」
「仕方がないじゃないですか。実際毛を抜くわけにはいかないし」
「抜かれてたまるか! もう離せ、起きる」
「まあ、こういう努力の結晶でメイクは成り立ってるわけですよ。勉強にはなりましたけど、この手のことに時間をかけなきゃいけない 時点で女は面倒くさいです」
「まあなあ。男はここまで力入れないだろうしなあ」
「ちょっと、コンビニ行ってくる。何か買ってくるものあるか?」
「いえ、別に」
「俺もねえな。おい、澤………」
「そうか」
「行っちゃいましたけど、池波さん何か言いかけてませんでした?」
「いや、あいつ、ボールペン眉毛のまま出てったと思って」
「澤田さーん! 待て、待て、ちょっと待てコラー!」
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