『グットナイト&グットラック』
「もし、テレビが娯楽と、逃避のためだけの道具なら―元々何の価値もないということですから」
特定の政治思想をを持つことが、犯罪であった頃。
共産主義者の弾圧や、それに属する人権侵害を扱った作品です。
デヴィット・ストラザーン祭りだったのですが、そんなお気楽な話ではなかった。
個人的に、政治はよくわからない(ことを主張していいわけもありませんが)し、積極的には絶対に関わらない、それが集団になればなおさら、という主義ですし、「その時代」であったことは、あまり見ていてピンとこない、というのが正直なところです。
難しすぎて、政治用語についていくのが精一杯というか。
その時代に実際に録画された映像と、音で組み合わせて進んでいくので、底の浅い話だと、全編モノクロなんですが、それが余計に、誰が誰だかわからん! という記憶力との戦いになってしまいます。
特に、かつての時代の映画であって、基本的に髪型や衣装が全員スーツにオールバックなんですよ。そうなるともう誰が誰だか。
主役である、エドワード・マーロくらいは勿論わかるんですが、それ以外の部下になるともう、正直誰が誰だか見終わった今でもわかりません。
片腕的存在の男性が、えらく恰幅が良くて、本当にタフガイって感じの人だなあ、誰だ、と思っていたら、最後の最後でジョージ・クルーニーだとわかった時にはたまげました。
ええー!? あんな車のパーキンでおしゃれしてるジョージ・クルーニーがこれー!?
この人、結構顔だけみたいな印象が強かったのですが(オーシャンズの悪夢未だ)実は結構演技派なのだなあ、としみじみ思いました。というか、ハンサムではない男前として、フェロモン出すぎだよな。
主役のデヴィット・ストラザーンは、実在の人物である、エドワード・マローに主立ちは似ていますが、なんていうか、仕草がエロい。
渋いのは勿論なんですが、お前その、サスペンダー姿は私に対する挑戦か………!(政治的映画であろうが、私は基本こういう見方をしたい派です)
音楽の使い方も渋いです。基本的にBGMはなく、仲間たちが集うBARで黒人女性が歌うジャズが、要所要所で挟まれるという演出がおしゃれ。そりゃ、ウィスキー、ダブルで飲んでタバコふかせば、とどめはジャズだよな!
しかし、プライベートならともかく、テレビ放送の間、延々ホストがタバコを平気でふかしているっていうのも、時代ですね。今では考えられん。
確かにこの時代の「男」をあらわすものとして、特に、ブン屋や、報道畑の人間は、ヘビースモーカーでなければならいっていうのは、よくわかりますけど、それにしたって凄い時代だよ。
物語としては、エドワード・マローをたたえる集会で、スピーチをするところから始まり、共産主義者への攻撃、それを批判する流れがあり、最終的に、スポンサーや会長の意向によって、エドワードの冠番組は事実上の終焉を迎える、というところで、また集会へ戻ります。
そこで、エドワードが言うのが、冒頭の台詞。
何だか、耳が痛いですね。(もうテレビはお笑い番組くらいしか見てない)
その時代、「それはおかしい」と言えた、仕事人たちの物語です。
政治的思想は、見ている側には関係のないことなので、別にそういった意味で敷居が高いとは思いません。
個人的には、同じように賛同しただけなのに、エドワードのように評価を得られず、批判されて、ひっそり自殺した同僚のアナウンサーは身につまされました。
確かにそれは正しいかもしれない。誰もがそう思っている。けれど、人に批判されるのは辛い。そして、それを誰も助けてくれないのはもっと辛い。
そんな、鉄壁のジャーナリズムにおける、人間の弱さが、悪いことではなく、ただ事実として語られる様が、なんとも胸苦しかったです。
結果として自殺を選んでしまった、というだけで、大多数の人は、こちらのアナウンサーのように、「嫌われるのは辛い」人間なわけですから。
「グットナイト、グッドラック」は、エドワードの番組の締めを飾る言葉です。
デヴィット・ストラザーンがタバコを片手に持ちながら、少しうつむき加減で言うさまは、見事の一言でした。
そして、結構短めなのがいいです。
結論が出る映画ではないし、これといった山場がある映画でもない。それぞれが、それぞれの立場でものを言う映画なので、変にだれなくて良かったと思います。
ジョージ・クルーニー監督作品ですが、こういう政治的なものを監督するのって、ある意味ステータスであり、諸刃の剣ですが、このへんのスターダムは、やはりアメリカならでは、という感じがしますね。
「もし、テレビが娯楽と、逃避のためだけの道具なら―元々何の価値もないということですから」
特定の政治思想をを持つことが、犯罪であった頃。
共産主義者の弾圧や、それに属する人権侵害を扱った作品です。
デヴィット・ストラザーン祭りだったのですが、そんなお気楽な話ではなかった。
個人的に、政治はよくわからない(ことを主張していいわけもありませんが)し、積極的には絶対に関わらない、それが集団になればなおさら、という主義ですし、「その時代」であったことは、あまり見ていてピンとこない、というのが正直なところです。
難しすぎて、政治用語についていくのが精一杯というか。
その時代に実際に録画された映像と、音で組み合わせて進んでいくので、底の浅い話だと、全編モノクロなんですが、それが余計に、誰が誰だかわからん! という記憶力との戦いになってしまいます。
特に、かつての時代の映画であって、基本的に髪型や衣装が全員スーツにオールバックなんですよ。そうなるともう誰が誰だか。
主役である、エドワード・マーロくらいは勿論わかるんですが、それ以外の部下になるともう、正直誰が誰だか見終わった今でもわかりません。
片腕的存在の男性が、えらく恰幅が良くて、本当にタフガイって感じの人だなあ、誰だ、と思っていたら、最後の最後でジョージ・クルーニーだとわかった時にはたまげました。
ええー!? あんな車のパーキンでおしゃれしてるジョージ・クルーニーがこれー!?
この人、結構顔だけみたいな印象が強かったのですが(オーシャンズの悪夢未だ)実は結構演技派なのだなあ、としみじみ思いました。というか、ハンサムではない男前として、フェロモン出すぎだよな。
主役のデヴィット・ストラザーンは、実在の人物である、エドワード・マローに主立ちは似ていますが、なんていうか、仕草がエロい。
渋いのは勿論なんですが、お前その、サスペンダー姿は私に対する挑戦か………!(政治的映画であろうが、私は基本こういう見方をしたい派です)
音楽の使い方も渋いです。基本的にBGMはなく、仲間たちが集うBARで黒人女性が歌うジャズが、要所要所で挟まれるという演出がおしゃれ。そりゃ、ウィスキー、ダブルで飲んでタバコふかせば、とどめはジャズだよな!
しかし、プライベートならともかく、テレビ放送の間、延々ホストがタバコを平気でふかしているっていうのも、時代ですね。今では考えられん。
確かにこの時代の「男」をあらわすものとして、特に、ブン屋や、報道畑の人間は、ヘビースモーカーでなければならいっていうのは、よくわかりますけど、それにしたって凄い時代だよ。
物語としては、エドワード・マローをたたえる集会で、スピーチをするところから始まり、共産主義者への攻撃、それを批判する流れがあり、最終的に、スポンサーや会長の意向によって、エドワードの冠番組は事実上の終焉を迎える、というところで、また集会へ戻ります。
そこで、エドワードが言うのが、冒頭の台詞。
何だか、耳が痛いですね。(もうテレビはお笑い番組くらいしか見てない)
その時代、「それはおかしい」と言えた、仕事人たちの物語です。
政治的思想は、見ている側には関係のないことなので、別にそういった意味で敷居が高いとは思いません。
個人的には、同じように賛同しただけなのに、エドワードのように評価を得られず、批判されて、ひっそり自殺した同僚のアナウンサーは身につまされました。
確かにそれは正しいかもしれない。誰もがそう思っている。けれど、人に批判されるのは辛い。そして、それを誰も助けてくれないのはもっと辛い。
そんな、鉄壁のジャーナリズムにおける、人間の弱さが、悪いことではなく、ただ事実として語られる様が、なんとも胸苦しかったです。
結果として自殺を選んでしまった、というだけで、大多数の人は、こちらのアナウンサーのように、「嫌われるのは辛い」人間なわけですから。
「グットナイト、グッドラック」は、エドワードの番組の締めを飾る言葉です。
デヴィット・ストラザーンがタバコを片手に持ちながら、少しうつむき加減で言うさまは、見事の一言でした。
そして、結構短めなのがいいです。
結論が出る映画ではないし、これといった山場がある映画でもない。それぞれが、それぞれの立場でものを言う映画なので、変にだれなくて良かったと思います。
ジョージ・クルーニー監督作品ですが、こういう政治的なものを監督するのって、ある意味ステータスであり、諸刃の剣ですが、このへんのスターダムは、やはりアメリカならでは、という感じがしますね。
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