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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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公開後時間が経過しておりますので、ネタバレには配慮しておりません。ご了承ください。



以前テレビでやったときばっちり夜勤で見逃しまして、レンタルにて鑑賞。
タイムリープがどうのというより、青春群像を楽しむというような作品でしたが、面白かったです。
ただ私、こういうなんていうんだろう、切ないだけに、青いだけに、心に重くのしかかる作品って、何度も見ようという気になれないのです。
何度も見たい名作、というよりは、一度の鑑賞でその衝撃と爽快感を味わう作品というか。
甘いかもしれませんが、青春だからこそ、この手の話は誰が見ても納得できるハッピーエンドであって欲しいといいましょうか。まあ歳を取ったな己が、という感じです。

自分の好みとしては、色の黒い短髪の少年(功介)かなと思っていたんですが、お前なんだよその方耳真っ赤なピアス。
実際顔はどうだかわかりませんが(ボランティア部って何事)、女子との話し方とか、主人公に対する接し方を見るに、確実にやることやってそうなのは、千昭よりも確実にこっちなので、三人の均衡が破れることにもあまり執着してはいないようで、その辺は好みでした。

千昭はあまりにデキすぎの感があるというか、お前いずれほにゃららなら、ならなんでああいうことを真琴に言うかねとか、色々煮え切らない駄目男臭がぷんぷんするのですが、まあ、カッコイイですよね。
あまり切ないとは思いませんでしたが、それは野郎どもに関してだけで、この作品、女子がいい。

実は一番感動したのが、主人公である真琴が自分の気持ちを自覚(というか)し、それを、同じ千昭が好きな友人に告白するシーンでした。
それを聞き、友人である友梨が、怒るわけでもなく「行きなよ」というシーンで感動。
タイムリープすることによって、変わるものと変わらないものがあり、このシーンが進むのであれば、友梨は絶対に千昭とくっつくことはない。くっつく未来を見たことがあるだけに、この子は、この子なりに幸せになること(千昭が絡む)はできないんだなと知っているだけに、非常に切なかったです。
それでも真琴に言葉をかけてあげる友梨が、いじらしい。

そして、私はどうも、泣き方がみっともない女の子が非常に好みなようです。
真琴も、最後のほうは、わんわん泣くんですが、その汚い泣き方、外面もはばからない泣き方が、真に迫ります。
そりゃ泣くよ! 悔しくて、悲しくて、自分が嫌で泣くよ! 泣け! むしろ泣いていい!
何処の世界に、鼻水もたらさないで片目だけ起用に涙を流す女子高校生がいるものか!(力説)
その、汚い顔(酷い表現。苦笑)で泣く女の子のことを、愛しいと思える男こそ、真のナイスガイじゃありませんか。


千昭は結構へたれ臭が漂うくせに、決めるところは決める男らしく、最後の、(反転)「未来で待ってる」(反転終了)なんて台詞は、「お前それちょっとできすぎだろ」とひきました。
別に実際、(反転)未来で会えないだろう、お前の未来どんだけ遠いんだよ、というツッコミがしたいわけではなく、あの場面で、まだ十数年しか生きていない若造がそんな決め台詞を言うか(反転終了)という部分でひいたんですが。

まあ若いだけに、思い出はカッコよくしておきたいというやせ我慢的カッコよさ、だと思えなくもないんですが。

実際、(反転)「未来で待ってる」は、絵が見られるのを待っている、という意味でもいいですし、真琴にただそう言葉をかけたかったという意味合いでもいいかな、と思っています。言わずにはいられなかったというか、フォロー(こう書くとムードも何もないですが)せずにはいられなかったというか。(反転終了)


以下、作品とは少し外れた私の創作語りになるので、収納します。


+ + + + + + + + + +
いい作品を見ると、必ず何か触発されます。
別に漫画でも、映画でも、アニメでも、小説でも、それこそMADでもいいのですが、見終わった後に残る感情は、何かを形にしたいと思えるものなのです。
例えば今回は「時をかける少女」だったわけですが、それで別に、タイムワープ物が書きたいとか、あんな女の子が書きたいとか、具体的に思い描くこともあれば、漠然と、何か創作したいという思いが脳内にあふれてくる、という形が殆どです。

私は実際創作をする場合、完全に浮かぶ派で、あまり考えてどうする、という性質ではないらしく(面白くなるためにどうすればいいかとか、その手のことは山ほど考えますが)、それゆえに、頭の中に浮かんできたり、自己主張してくるものが多いと、うるさいくらいです。

某かの作品に触れることは、それから面白さという快感を味わうことが一番の目的であり、見たいから見ることが最も正しいと思っていますが、その結果、面白かった上にさらに自分にとって刺激になるという点において、この手の趣味、最高かつやめられるものではない、と心底思います。


以下、ちょっと決め台詞について。

いい場面でいいことを言うのが決め台詞なわけですが、自分の中で、いい場面で狙っていない台詞を言うのがある種のステータス、というか、好みだという意識がわりとあります。
狙っていない台詞、というか、決めの場面だからこそ、そのとき告げられる言葉は淡白なものであるというか。
勿論、決めるときに決められる人間も大好きです。必須です。当然です。それこそいい男のステータス。

一番いいのが、決めなければならない場面で、どこにでも転がっている台詞を言って、それこそが決まる、ということなのでしょうが。

以下、激烈ネタバレにつき、間隔空けかつ反転します。
警告しました。











『陸路の果て』にて、『Nights of the Knife』という作品を公開しているのですが、その中で、まあかつての登場人物と、主人公が邂逅するシーンがあるんですね。
そこで主人公が問うわけです。
死んでしまったそいつが、命をかけた相手(こっちは生きている)に対して、何か伝えることはないかと。
この場面で、相手はただ「どうか、元気で」とだけ言います。
この辺りの、誰もが言いそうで、特別な意味を全く含ませていない台詞、日常当たり前に使う言葉に、非常に価値があると思うのです。
この場面で、この登場人物に何を言わせればいいのか、は、自分にしては珍しくちょっと考えました。

それとは逆に、主人公と、相手がともに死ぬシーンがありまして、それを見て、傍観者が、
「ようやくお前は―一緒に行けるじゃないか」
という台詞があり、これなんかは、別に考えることもなく、文章の流れでさっくり生み出されたもの(というか、私の場合書いてしまえば特別何を考えることもないんですが)で、こっちの方が圧倒的に人気がありました。
この場面のこの台詞の感想をくださる方、非常に多かったです。

自分としては同じ台詞なのですが、こちらの、自然発生したある種決め台詞的な決め台詞も、考えて自然を意識した決め台詞も、どちらも等しく作品上においてある以上、読んでくださった方が、どのように感じるか、非常に興味があるところではあります。

(反転終了)



ただ、場面において調和している、というのは外せないところなので、そんな点でも、言いそうな奴が言いそうなことを言った、にしては、狙いすぎな千昭の台詞には、ちょっと違和感を感じた、ということでひとつ(まとまらねえ)。

普段、あまりこういう自分語りをしないので、上手く言葉にできなくてすみません。
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