『容疑者Xの献身』
ちなみに私はテレビ版のガリレオは一回も見たことがありません。原作である小説も読んだことがありません。主役である福山氏と柴崎氏にも特別興味がありません。では何故見に行ったかというと、堤真一が出てるからさァ!
推理物として賛否両論と聞きましたが、個人的にはこれくらいでちょうどいいと思います。文字で読むと物足りないのかもしれませんが、実際に映像になって死体に細工したり、アリバイトリックの説明をされると、視覚に訴える部分で表現されると、強い印象が残りますし。
実際見ていて、「アレがアレではないのだな」というのはすぐわかったんですが、具体的な方法が思い浮かばず、トリックがすぐわかった、という感じではなかったです。説明されてがっかり、ということではないので、きれいにまとまっていたと思います。
テレビシリーズを一回も見たことがない私としては、完全に福山演じる湯川よりも堤演じる石神のための映画でした。というか、普通に主役。
「献身」の名に相応しい行動をする石神は、見た目冴えない高校の数学教師で、友人もおらず日々ただ無為に過ごす日々を送っているときは、猫背で本当にただのオッサンで、堤真一がこんなにブサイクに見えたのは初めてだ、というくらいだったんですが、これが、松雪泰子演じる花岡に接するとき、そして自分の目的を完璧に遂げた瞬間、びっくりするほど魅力的な顔立ちになります。
数学者として明晰な頭脳を持ち、自らの計画が完遂され、それに満足しきった石神。献身といえばいいが、結局自分勝手な愛情であることは変わらず、結果犯罪に手を染めたことは、倫理的に許されることではないけれど、彼にとってそんなことは問題ではなかった。
今まで数学しか関心のなかった男が、数学以外のことに自分の頭脳を使い、それは今までと同じように完璧だったはずなのに、そうはならなかった。
「どうして、どうして」
そう泣き叫ぶ石神の表情は、死んだような顔でも、自己陶酔したような顔でもなく、ただ人間の顔をしていた。
個人的に一方的な献身というのは、一方的な愛情であっても憎しみであっても、結局自分のためだけのものなので、石神に全部が全部感情移入できるはずもないのですが、石神という男の人間臭さがリアルで面白かったです。
あまりに花岡に懸想するので、どんな理由があるのか、ひょっとしたら体外受精かなんかで娘さんが自分の子なのか、まで邪推(苦笑)してたんですが、そんなことはなかったです。
そして、(反転)自殺しようとしていたところに、引っ越してきた花岡親子がやってきて、首に縄まで巻いていたのに、わざわざ呼び鈴に出てしまうのが、石神の捨てきれない人間くささなのでしょうな。この点から見ても、石神は数学以外に興味のない人間、という湯川の評価とは少し外れる男、ということになります。湯川は石神にとって一番近い人間だったけれど、石神と湯川は同じ人間ではなかった。だからこそ、石神は犯罪の渦中で「今自分の人生は充実している。こんなに美しいものを美しいと思える」と胸を張って言えた。それは湯川にとって理解できないものかもしれないけれど、石神にとってはそれが一番大切だったということなんでしょう。勿論これは、花岡の心中全く無視の、自己中心的な献身の中にしか存在しないわけですが。(反転終了)
いやあ、堤さんは本当に上手な役者さんですね。私はラストのこの泣き叫ぶ石神の顔があまりに男前で、ふるえがきました。
松雪さんも当然上手い。デトロイトメタルシティでアレな社長をやっていた人とは思えませんね。こんな美人な子持ちの女性がいたら、そりゃもう平常心ではいられないでしょう。
正直、石神と花岡母娘(娘さんも可愛いんだこれが。母親よりも純粋な好意で石神と接しているところが、凄く)だけいれば物語は進むようなものなので、湯川と柴崎演じる刑事(名前すら覚えていない)は、わりといてもいなくてもいいかな、と思います。
ラスト近くで湯川が警察の取調室で石神と対面するシーンも、別に要らないって言ったら要らないし。二人の友情をアピール、結局近くなれない二人
「その頭脳をもっと別の方向に」
「そう言ってくれるのはお前だけだよ」
をアピールしたかったのかもしれませんし。でもこれはあくまでガリレオの話だからなあ。だからこそ、最後は石神ではなく湯川が石神のことを思って終わるわけで。
個人的には非常に楽しめた映画でした。というか、堤さんを楽しむためだけにある映画だと思いました。
中年の恋愛にしては若干ファンタジーで、ドロドロした成分が薄いだけに、若い方にも受けるのかな、と。
ちなみに私はテレビ版のガリレオは一回も見たことがありません。原作である小説も読んだことがありません。主役である福山氏と柴崎氏にも特別興味がありません。では何故見に行ったかというと、堤真一が出てるからさァ!
推理物として賛否両論と聞きましたが、個人的にはこれくらいでちょうどいいと思います。文字で読むと物足りないのかもしれませんが、実際に映像になって死体に細工したり、アリバイトリックの説明をされると、視覚に訴える部分で表現されると、強い印象が残りますし。
実際見ていて、「アレがアレではないのだな」というのはすぐわかったんですが、具体的な方法が思い浮かばず、トリックがすぐわかった、という感じではなかったです。説明されてがっかり、ということではないので、きれいにまとまっていたと思います。
テレビシリーズを一回も見たことがない私としては、完全に福山演じる湯川よりも堤演じる石神のための映画でした。というか、普通に主役。
「献身」の名に相応しい行動をする石神は、見た目冴えない高校の数学教師で、友人もおらず日々ただ無為に過ごす日々を送っているときは、猫背で本当にただのオッサンで、堤真一がこんなにブサイクに見えたのは初めてだ、というくらいだったんですが、これが、松雪泰子演じる花岡に接するとき、そして自分の目的を完璧に遂げた瞬間、びっくりするほど魅力的な顔立ちになります。
数学者として明晰な頭脳を持ち、自らの計画が完遂され、それに満足しきった石神。献身といえばいいが、結局自分勝手な愛情であることは変わらず、結果犯罪に手を染めたことは、倫理的に許されることではないけれど、彼にとってそんなことは問題ではなかった。
今まで数学しか関心のなかった男が、数学以外のことに自分の頭脳を使い、それは今までと同じように完璧だったはずなのに、そうはならなかった。
「どうして、どうして」
そう泣き叫ぶ石神の表情は、死んだような顔でも、自己陶酔したような顔でもなく、ただ人間の顔をしていた。
個人的に一方的な献身というのは、一方的な愛情であっても憎しみであっても、結局自分のためだけのものなので、石神に全部が全部感情移入できるはずもないのですが、石神という男の人間臭さがリアルで面白かったです。
あまりに花岡に懸想するので、どんな理由があるのか、ひょっとしたら体外受精かなんかで娘さんが自分の子なのか、まで邪推(苦笑)してたんですが、そんなことはなかったです。
そして、(反転)自殺しようとしていたところに、引っ越してきた花岡親子がやってきて、首に縄まで巻いていたのに、わざわざ呼び鈴に出てしまうのが、石神の捨てきれない人間くささなのでしょうな。この点から見ても、石神は数学以外に興味のない人間、という湯川の評価とは少し外れる男、ということになります。湯川は石神にとって一番近い人間だったけれど、石神と湯川は同じ人間ではなかった。だからこそ、石神は犯罪の渦中で「今自分の人生は充実している。こんなに美しいものを美しいと思える」と胸を張って言えた。それは湯川にとって理解できないものかもしれないけれど、石神にとってはそれが一番大切だったということなんでしょう。勿論これは、花岡の心中全く無視の、自己中心的な献身の中にしか存在しないわけですが。(反転終了)
いやあ、堤さんは本当に上手な役者さんですね。私はラストのこの泣き叫ぶ石神の顔があまりに男前で、ふるえがきました。
松雪さんも当然上手い。デトロイトメタルシティでアレな社長をやっていた人とは思えませんね。こんな美人な子持ちの女性がいたら、そりゃもう平常心ではいられないでしょう。
正直、石神と花岡母娘(娘さんも可愛いんだこれが。母親よりも純粋な好意で石神と接しているところが、凄く)だけいれば物語は進むようなものなので、湯川と柴崎演じる刑事(名前すら覚えていない)は、わりといてもいなくてもいいかな、と思います。
ラスト近くで湯川が警察の取調室で石神と対面するシーンも、別に要らないって言ったら要らないし。二人の友情をアピール、結局近くなれない二人
「その頭脳をもっと別の方向に」
「そう言ってくれるのはお前だけだよ」
をアピールしたかったのかもしれませんし。でもこれはあくまでガリレオの話だからなあ。だからこそ、最後は石神ではなく湯川が石神のことを思って終わるわけで。
個人的には非常に楽しめた映画でした。というか、堤さんを楽しむためだけにある映画だと思いました。
中年の恋愛にしては若干ファンタジーで、ドロドロした成分が薄いだけに、若い方にも受けるのかな、と。
PR