『バイオハザード3』
主人公アリスが、大友漫画みたいな超能力者になっていて凄く驚きました。
カッコイイアクションって、やっぱり目に見えない能力よりも、肉体派ボディを駆使して画面を縦横無尽に駆け回る方が、見栄えがするので、確かに便利かもしれませんが、超能力の「凄さ」を、映えるようにアピールするのって難しいと思うのです。
またこれが、X-MENクラスの外見から何から何まで異星人になってしまえば別なのでしょうが、アリスの場合は華奢(きゃしゃ………?)で細い女性が、似合わない巨大な銃をぶっ放し、ゾンビどもを駆逐する様に見ごたえを感じていたので、ある意味、神のようになってしまったアリスは、逆に人としてのアクションのかっこよさから外れてしまうというか。
三作目になって、いよいよ全く怖くもなんともないただのアクション映画になってしまいました。うーん個人的には2くらいのサスペンスアクションくらいのさじ加減のほうが好みです。
悪趣味かもしれませんが、「かつては人間だった」ゾンビが、「殺されていく」様と、「カラスの化物」を超能力で退ける、では、圧倒的に前者のほうが生臭いわけです。
アリスがそのどちらも「殺す」ことにためらいなどなくても、ゾンビっていうのは=人間なしには生まれないわけですから。
今回、あまりアリスとゾンビの直接対決もなかったので、そういった点でちょっと肩透かしでした。
自分が殺されるかもしれない、というわけのわからない世界で絶望と戦うのではなく、世界は既に絶望に支配された状態になってしまった今となっては、なんだろう、その絶望が当たり前になってしまって、1と2作目で恐怖と感じられていた部分さえも薄くなってしまうんですよね。
ゾンビに傷つけられるとゾンビになる。ゾンビは血肉を求めて襲ってくる。それはもうこっちは知っているわけであって。
それにしても、これで完結と聞いたのですがむしろ、謎はこれからだくらいに、続編バリバリだったのは何故なのでしょうか。いや、1や2の比じゃなかったですよ。ありえないくらいに。
キャラクターとしては、マッドサイエンティストのアイザックス博士がダントツでかっこよかったですが、クリーチャーになっちゃいけない………!
白衣でいっちゃってる姿のまま、むしろゾンビに食われて欲しかったよ………。
『闇黒街の顔役』
毎回ツタヤから送られてくるDVDには、「何故私はこの作品を予約リストに入れてしまったのだろう」と思えるものも結構あります。
この作品もそうでした。何でギャング映画を借りようと思ったんだろう………。しかも、作られたの1932年とかですよ。白黒も白黒。DVDなのになんだこの画像、と思いながら鑑賞しました。
セミドキュメンタリーという雰囲気の映画で、勿論フィクションなんですが、ギャングとかマフィアとか、実際にあった事件を元に作っているらしく、まあこれが人が死ぬ。しかも、ナイフで刺されてとか、首を絞められてとか、そんな、「意味のある殺し方」ではなく、ただ撃たれて死ぬ。
ギャングは銃を持っている。暴力で相手を黙らせる。黙らない相手は射殺する。ギャングの力=銃であり、マシンガンであり、リボルバーである、という、至極真っ当なアメリカのギャング映画なのです。
相手は別に意味があって死ぬわけではないし、こちらも別に意味があるから殺すわけではない。
ただ、銃をぶっ放すということが、このギャング映画の記号なのでしょう。その記号を出し惜しみするなど、ナンセンス、ということです。
画面上から血は一切流れませんが(相手を殴るシーンもあるが、ほぼポーズである、殴る迫力はほぼない)「バババババ」という派手なマシンガンの音に、「ガーン」というコルトの音が響けば、そこはもう、ギャングたちの抗争の真っ只中。
そんな世界で、やはりギャングである主人公のトニーが、ギャングの方法を用いてのし上がっていく、という、ある種それだけの映画なのです。
ただ、そのそれだけというのは、イコールたまらん様式美であるのは間違いありません。
男たちは、常に三つ揃いのスーツを着込み、帽子を目深に被り、汗一つ流さない。
殺し損ねた相手の存在を新聞で読めば、すぐさま取って返し、入院している病室で銃をぶっ放す。
常にタバコか葉巻をくゆらせ、相手の警察官のバッジでマッチをする。
酒を飲み、劇を鑑賞し、そして金髪の美女をはべらせる。
これが様式美でなくてなんなのだ! というくらい、想像できるギャングの姿がここにあります。
個人的に、感情移入は一切できませんが、傍で眺める分にはこれ以上魅力的な世界はないのではないかと。
主人公のギャングが、とにかく、殺人に対して一切何の感情も抱いていない、というところが凄く良かったです。
いちいち人を殺すことに意味はないし、それによって自分の精神が疲弊していったりしない。彼にとって暴力は手段であり、それ以上ではない。殺さないですむなら殺さないが、殺したほうが楽だし、そういうものだという主義ですらない考えのもと、ギャングとして普通に生きている主人公が、凄くスタイリッシュなのです。
元々、古きよき時代のアメリカンとか、ギャングとかマフィアは、映像として見ている分には、凄く好きなので、ハードボイルドな映画としても非常にお勧め。
むやみやたらなお涙頂戴シーンも一切ありませんし、気分がトーンダウンすることもないので、言い方はおかしいですが、気楽に見られます。
そして、この時代の美女はもう、問答無用で美女ですな!
人によっては可愛いとか、見ようによってはきれいなんじゃない? とかそんなレベルではなく、美しいから愛人なのであり、美しいからこそ強い男のそばにいる権利があり、対等に口を聞ける存在だからこそ特別なのであるという、誰が見ても納得せざるを得ない美しさがそこにあります。
真っ赤な口紅に、付けまつげに、アーチを描く眉。
いやーこの時代の女優さんはやっぱり映像として凄く見ごたえがありますね。出てくるだけで映える、っていうのは、やはりその美を誇るべきですよ。
この映画、最後やりたい放題やってきた主人公が、偏愛する(これがもうどうも家族愛通り越して近親相姦スレスレ、というか、多分精神面では互いに完全に同一存在的なエロスがある)妹と、今までずっと一緒だった、相棒がデキてしまったことに逆上し、射殺し、そこから足が着いて警察に囲まれ、命乞いをしながら無名の警察官に殺される、という、悪党の末路としては完璧な死に様を迎えます。
もう、余韻もなくただひたすらおびえて、共に立てこもった妹に(「兄さんと一緒だから、怖くなんてないわ!」と、自分の夫を殺した兄に対して笑顔で言うんだぜ………。もうこれが恋愛でなくてなんなの)先に死なれて「お前が死んだら誰が俺を助けてくれるんだ」とか、図体のデカイ男が泣き叫ぶ様は、もう、見事でした。
役者陣も魅力的で、主人公トニー演じるポール・ムニはあまりのエロさに倒れそうになりました。
ポマードでべっちょり撫で付けた髪に、最初はだっさい下っ端の印象だったのが、あれよあれよというまに、金時計に三つ揃いなんて似合うようになっちゃってからは、もう………! 燕尾が似合うギャングってどういうことだ………!
そして、トニーに殺される相棒のリナルド役の、ジョージ・ラフトも悶絶。無口で殆ど表情も変えないんですが、別になんだろう人付き合いがヘタとかそんなこともなく、無類の女好き。トニーがリナルドを探す時、片っ端から女のところに電話をしていることからもそれはうかがえます。
女の頬をつねりながら「ベイビィ」なんて平然と言えるムッツリに脱帽。
このリナルドのくせが、コインを片手で投げ上げ、キャッチするという動作を繰り返すというもので、その無言のアクションに痺れました。こりゃ、真似するわな!
ギャング映画の大元となった作品として、お勧めです。
主人公アリスが、大友漫画みたいな超能力者になっていて凄く驚きました。
カッコイイアクションって、やっぱり目に見えない能力よりも、肉体派ボディを駆使して画面を縦横無尽に駆け回る方が、見栄えがするので、確かに便利かもしれませんが、超能力の「凄さ」を、映えるようにアピールするのって難しいと思うのです。
またこれが、X-MENクラスの外見から何から何まで異星人になってしまえば別なのでしょうが、アリスの場合は華奢(きゃしゃ………?)で細い女性が、似合わない巨大な銃をぶっ放し、ゾンビどもを駆逐する様に見ごたえを感じていたので、ある意味、神のようになってしまったアリスは、逆に人としてのアクションのかっこよさから外れてしまうというか。
三作目になって、いよいよ全く怖くもなんともないただのアクション映画になってしまいました。うーん個人的には2くらいのサスペンスアクションくらいのさじ加減のほうが好みです。
悪趣味かもしれませんが、「かつては人間だった」ゾンビが、「殺されていく」様と、「カラスの化物」を超能力で退ける、では、圧倒的に前者のほうが生臭いわけです。
アリスがそのどちらも「殺す」ことにためらいなどなくても、ゾンビっていうのは=人間なしには生まれないわけですから。
今回、あまりアリスとゾンビの直接対決もなかったので、そういった点でちょっと肩透かしでした。
自分が殺されるかもしれない、というわけのわからない世界で絶望と戦うのではなく、世界は既に絶望に支配された状態になってしまった今となっては、なんだろう、その絶望が当たり前になってしまって、1と2作目で恐怖と感じられていた部分さえも薄くなってしまうんですよね。
ゾンビに傷つけられるとゾンビになる。ゾンビは血肉を求めて襲ってくる。それはもうこっちは知っているわけであって。
それにしても、これで完結と聞いたのですがむしろ、謎はこれからだくらいに、続編バリバリだったのは何故なのでしょうか。いや、1や2の比じゃなかったですよ。ありえないくらいに。
キャラクターとしては、マッドサイエンティストのアイザックス博士がダントツでかっこよかったですが、クリーチャーになっちゃいけない………!
白衣でいっちゃってる姿のまま、むしろゾンビに食われて欲しかったよ………。
『闇黒街の顔役』
毎回ツタヤから送られてくるDVDには、「何故私はこの作品を予約リストに入れてしまったのだろう」と思えるものも結構あります。
この作品もそうでした。何でギャング映画を借りようと思ったんだろう………。しかも、作られたの1932年とかですよ。白黒も白黒。DVDなのになんだこの画像、と思いながら鑑賞しました。
セミドキュメンタリーという雰囲気の映画で、勿論フィクションなんですが、ギャングとかマフィアとか、実際にあった事件を元に作っているらしく、まあこれが人が死ぬ。しかも、ナイフで刺されてとか、首を絞められてとか、そんな、「意味のある殺し方」ではなく、ただ撃たれて死ぬ。
ギャングは銃を持っている。暴力で相手を黙らせる。黙らない相手は射殺する。ギャングの力=銃であり、マシンガンであり、リボルバーである、という、至極真っ当なアメリカのギャング映画なのです。
相手は別に意味があって死ぬわけではないし、こちらも別に意味があるから殺すわけではない。
ただ、銃をぶっ放すということが、このギャング映画の記号なのでしょう。その記号を出し惜しみするなど、ナンセンス、ということです。
画面上から血は一切流れませんが(相手を殴るシーンもあるが、ほぼポーズである、殴る迫力はほぼない)「バババババ」という派手なマシンガンの音に、「ガーン」というコルトの音が響けば、そこはもう、ギャングたちの抗争の真っ只中。
そんな世界で、やはりギャングである主人公のトニーが、ギャングの方法を用いてのし上がっていく、という、ある種それだけの映画なのです。
ただ、そのそれだけというのは、イコールたまらん様式美であるのは間違いありません。
男たちは、常に三つ揃いのスーツを着込み、帽子を目深に被り、汗一つ流さない。
殺し損ねた相手の存在を新聞で読めば、すぐさま取って返し、入院している病室で銃をぶっ放す。
常にタバコか葉巻をくゆらせ、相手の警察官のバッジでマッチをする。
酒を飲み、劇を鑑賞し、そして金髪の美女をはべらせる。
これが様式美でなくてなんなのだ! というくらい、想像できるギャングの姿がここにあります。
個人的に、感情移入は一切できませんが、傍で眺める分にはこれ以上魅力的な世界はないのではないかと。
主人公のギャングが、とにかく、殺人に対して一切何の感情も抱いていない、というところが凄く良かったです。
いちいち人を殺すことに意味はないし、それによって自分の精神が疲弊していったりしない。彼にとって暴力は手段であり、それ以上ではない。殺さないですむなら殺さないが、殺したほうが楽だし、そういうものだという主義ですらない考えのもと、ギャングとして普通に生きている主人公が、凄くスタイリッシュなのです。
元々、古きよき時代のアメリカンとか、ギャングとかマフィアは、映像として見ている分には、凄く好きなので、ハードボイルドな映画としても非常にお勧め。
むやみやたらなお涙頂戴シーンも一切ありませんし、気分がトーンダウンすることもないので、言い方はおかしいですが、気楽に見られます。
そして、この時代の美女はもう、問答無用で美女ですな!
人によっては可愛いとか、見ようによってはきれいなんじゃない? とかそんなレベルではなく、美しいから愛人なのであり、美しいからこそ強い男のそばにいる権利があり、対等に口を聞ける存在だからこそ特別なのであるという、誰が見ても納得せざるを得ない美しさがそこにあります。
真っ赤な口紅に、付けまつげに、アーチを描く眉。
いやーこの時代の女優さんはやっぱり映像として凄く見ごたえがありますね。出てくるだけで映える、っていうのは、やはりその美を誇るべきですよ。
この映画、最後やりたい放題やってきた主人公が、偏愛する(これがもうどうも家族愛通り越して近親相姦スレスレ、というか、多分精神面では互いに完全に同一存在的なエロスがある)妹と、今までずっと一緒だった、相棒がデキてしまったことに逆上し、射殺し、そこから足が着いて警察に囲まれ、命乞いをしながら無名の警察官に殺される、という、悪党の末路としては完璧な死に様を迎えます。
もう、余韻もなくただひたすらおびえて、共に立てこもった妹に(「兄さんと一緒だから、怖くなんてないわ!」と、自分の夫を殺した兄に対して笑顔で言うんだぜ………。もうこれが恋愛でなくてなんなの)先に死なれて「お前が死んだら誰が俺を助けてくれるんだ」とか、図体のデカイ男が泣き叫ぶ様は、もう、見事でした。
役者陣も魅力的で、主人公トニー演じるポール・ムニはあまりのエロさに倒れそうになりました。
ポマードでべっちょり撫で付けた髪に、最初はだっさい下っ端の印象だったのが、あれよあれよというまに、金時計に三つ揃いなんて似合うようになっちゃってからは、もう………! 燕尾が似合うギャングってどういうことだ………!
そして、トニーに殺される相棒のリナルド役の、ジョージ・ラフトも悶絶。無口で殆ど表情も変えないんですが、別になんだろう人付き合いがヘタとかそんなこともなく、無類の女好き。トニーがリナルドを探す時、片っ端から女のところに電話をしていることからもそれはうかがえます。
女の頬をつねりながら「ベイビィ」なんて平然と言えるムッツリに脱帽。
このリナルドのくせが、コインを片手で投げ上げ、キャッチするという動作を繰り返すというもので、その無言のアクションに痺れました。こりゃ、真似するわな!
ギャング映画の大元となった作品として、お勧めです。
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