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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
すげえ人。
しかも、九割男性。ええー? そんなに男性支持のアニメだったっけ?
思いっきりオタク臭が漂う会話を背後で聞きながらの鑑賞でした。いやあ、エンドロールが流れても誰一人席を立たない辺り、オタク層がアピールされてるなあ。
感想からいえば、わりと普通でした。
序はノスタルジーかつ映像の新化というわかりやすい味付けをされていただけに、「おお、使徒がかっけえ」とか「シンジ君が前向きだ」とか、純粋に楽しめたんですが、演出に関しては別に目新しいものはないかな、という感じでした。
やっぱり何が楽しいかっていうと、耳慣れた音楽が流れたり、見慣れたシーンが出てきて「おお」と思える部分であって、それ以外の部分は、なんていうか普通のアニメなんですな。

アニメ版のキモである、登場人物全員病んでいるみたいな性格もさっくりわかりやすいものに変えられていて、話もそんな感じでした。
シンジはレイを守りたい。レイはシンジをほかほかさせたい。アスカは他人とのふれあいを知った。
そんな中ゲンドウ父たちや、ゼーレの連中が話す、思わせぶりな意味不明言語が逆におかしくって仕方がありません。
少年少女たちの裏で暗躍する大人たち、っていうのは王道でいいんですが、そこに、突如現れるテレビ版テイストっていうのが、凄くちぐはぐな感じがしました。

凄く感じたのが、オタクでもライト層を狙っているというか、オタクじゃない人向けなんだろうなあ、ということです。
病的な部分を省いた話運びもそうですし、選曲も、翼をくださいとか、今日の日はさようなら、とか連続で使われたときには、正直いわゆる厨二病っぽい演出だなあと思いましたし。
ライトユーザーだったら「おお、わざわざここでこんな曲が」と思えるんでしょうが、私のようにただれたオタクから見ると、「クドい!」と思えるほどの演出でした。
クドいというか、如何にも過ぎるというか。
ボーカル曲で、しかもオリジナルではない曲、あえてメジャーな教科書に載っているようなものを多用するのは、ちょっと諸刃ですなあ。

話やキャラクターそのものはもうテレビ版とは別物なんですが、最後にとあるキャラクターが「今度こそ君だけは幸せにする」と言ったときに、一瞬、「これは一種のループ世界なのかな」と思ったり。
いや、その台詞が次で回収されるかどうか知ったことじゃないんですが(放置されてもおかしくないし)、見ていてアニメ版の世界、終わりはそれはそれであったこと。その上であのキャラクターが上記の台詞を言っていたら、これはこれでまた、どうとでもオチがつけられそうだなと。

話そのものは、凄くわかりやすかったので(ボーイミーツガール的な)逆に「序」よりはお勧めかな、と思いました。


『僕のピアノコンチェルト』
原題では、『VITUS』(ヴィトス)という主人公の少年の名前なんですが、そっちのほうが良かった。
確かに彼は神童であり、若くしてピアノの才能をもつ天才なのですが、でもこれは天才として生まれてしまった彼の行き方の話であって、別にピアノが主役なわけじゃないので。
彼は確かにピアノをひくのが天才的に上手いですが、情熱的なまでにピアノを愛するのではなく、彼の生き方の延長線上にピアノがたまたまあった、だからこそ彼自身のアイデンティティとしてピアノが必要だった、という位置づけのような気がしますので、なんだろう、押し出すのは彼の生き方であって、別にピアノそのものじゃないというか。
わかりやすくいえば、別に音楽映画じゃないので。
ピアノ目当てで見る映画じゃないと申しましょうか。
天才少年が抱える悩みや、個性。
それを取り巻く家族や周囲の人々。
期待を寄せる中朴訥にひたすら孫を友人として愛した祖父や、ヴィトスが関わってくる、人間たちの物語でした。

特に、常に支えになっていたおじいちゃんが泣けます。金もない。家も天井が抜けそう。けれど彼はヴィトスに孫と友人というそれ以上を求めないし、彼もそんな祖父を敬愛している。
何事にもつまらなそう、教師を小ばかにするような態度のヴィトスも、祖父と体験するありとあらゆることには、感情をあらわにして喜びます。
天才なのに、事故により凡人になってしまったフリをする彼が、こらえきれずにピアノをひくのも、祖父の家。
勿論祖父はそれを誰にも言いません。彼の生き方を尊重する態度に、愛情ある大人の姿を見ました。泣ける。

個人的には深く感動したわけではありませんが、淡々として、変にお涙頂戴じゃないのが良かったです。
ヴィトスも結構いい性格してますし、脳みそが天才なだけで、性格そのものはちょっとおませな12歳、という感じでした。
スイス映画ということで、周囲の美しい景色と、流れるピアノ演奏は必見。
ちっこい手でどうやって撮影しているのかな、と思いきや、なんと当人が天才ピアニストだそうで。
………才能ってのはもう絶対生まれる前から決まってるよね。


『4分間のピアニスト』
思い題材を詰め込めるだけ詰め込んだけど破綻している、ような映画でした。これこそ音楽を引き合いにだして欲しくないなあ。
殺人の罪で投獄されている少女。
過去にナチスと、同性とかかわりがあった堅物の老女が、少女のピアノの才能に気づき、ピアノをひかせていく。

老女は堅物で己の価値観を少女に押し付ける。
少女は粗暴で看守に暴力をふるい感謝の気持ち一つない。
そんな人間たちが奏でる音楽を、美しいとは私は思えません。
少女の天才ぶりをアピールしたいのか、後ろ手で手錠をつけたままピアノをひいたときは、失笑でした。
天才は、音楽に詳しくない私から見ても美しいと感じられる音色を奏でるから天才なのであり、だからこそ、弾き手の人格が破綻していても許されるのでしょうが、この映画の音にはそれがない。
自分勝手な主張ばかりが前面に出てきて、音楽を題材に選んだ意味がない。
魂のぶつかり合いや、クラシックだけが全てではないと爆発するような表現の音が嫌なのだ、ということではなくそこに、音楽としての魅力が微塵もない時点で、私にとって、主要人物が主張する全てが腹立たしいだけでした。

まあよくもこんだけ、感情移入できない奴らばかり集めたものだなあ、というのが正直な感想です。
個人的には少女の才能云々なんてどうでもよく、一連の刑務所内での経過や、人生は、実際に殺人を犯し、他者に暴力をふるう人間が、自ら招いた結果にしか見えませんでした。
老女もそうです。少女以上に自分のことしか考えず、慇懃無礼もいいところで、堅物という殻で包んではいますが、かなり非常識で他者に対する礼を失しているようにしか見えませんでした。変に人格者面しているところがより腹立たしいんだよなあ。
自分の娘と関係を持ち妊娠させた父親と、よくもまあ普通に再会させるよ。しかも平然と!
やたらに少女に、音楽は使命だ使命だと迫るシーンも、そりゃ少女じゃなくても「知らねえよ!」と言いたくもなるでしょう。
少女が動の暴力ならば、老女は静の暴力です。私は少女よりも、この老女が本当に不愉快でした。
別にそれを感動の物語にしようとはしていないのはいいんですが、こういう不愉快さしかない映画を見たいとは思いません。
老女が天才教師である場面も、少女が天才的な才能をもつ場面もない。練習風景も殆どない。
まだお約束ならお約束で、どれだけ堅物な考え方を老女が押し付けても少女は自らの音楽を失わなかった、ならまだよかったんですが、彼女の中には最初から音楽はない。ただ自己主張があるだけなのです。だったら別にもうピアノが出てくる必要がない。

重い、暗い、ならまだしも、不愉快は生理的にどうしようもありませんでした。
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