『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』公式サイト
多少ネタバレあるかと思います。ご注意ください。
見に行ってから、「3Dかよ………」と遠い目になったのですが、思ったより疲れませんでした。おかしいな、『アバター』は本当に途中で具合が悪くなって眼鏡外したんだけど、あれは思いのほかに青かったからなのだろうか。
この映画、毎回思うんですけど、物語でよくある過程とか、お宝を得るための手段とか方法を「初めからわかってる」状態で出発するので、途中経過の謎とか一切ぶっ飛ばして、ドタバタハチャメチャに特化できるっていう実に潔い作りですね。それがいいかどうかはちょっと別として。
今回も、一応永遠の命を与えるであろう泉探しの旅に出る、っていうのが主題なんですが、通常なら問題(というか盛り上げるヤマサカ)になるであろう、
「その泉は何処にあるのか」
「どうやったら永遠の命が手に入るのか」
「そのために必要な道具は何か」
「それを持っているのは誰か」
「道具のほかに必要なのは何か」
「実際永遠の命なんてものはあるのか」
っていうような要素全て、ことごとく事前情報として皆知ってるという作りが、頭悩ませなくていいというか、「細かい事はもう全部こっちが知ってるからとにかくアクションだけ楽しんでくれればいいから細けえことはいいんだよ」とばかりに物語が進むので、本当に純然たるアクション映画なんですねえ。
もう話の内容とか考えるの馬鹿馬鹿しいっていうか、元からそういう作りになってないというか。
その分、それぞれのどたばた劇場で、キャラクターを掘り下げなきゃいけないのも、ある意味難しいと思うんですが、それはシリーズ物の強みというか、ジャックはあくまでお調子者情けなカッコよくて、強い美女がいて、悪党はとことん悪党で、とステレオタイプの登場人物の配置によって入り込みやすい印象です。別に二面性とかそんなもんはこの映画にいらねえんだよ、というところでしょうか。
後、広義的な正義の味方がいないのもいい。なんてったって出てくるのは基本海賊ですから。
まあ、そういう意味で誰か一人キャラクターとして好きな人物がいれば充分楽しめるんじゃないかと。
今回、宣教師と人魚のロマンスなんてものもありますが、この映画の中で色恋要素を担うのが宣教師ってうのがギャップ萌えなんでしょうか。海賊は女は買って囲って利用して、奥さんの干し首腰下げちゃったりするけど、恋愛要素なんて微塵もないもんね。(いや、むしろそれがいいんですが)
人魚役の女優さんは妙にエキゾチックなので、調べてみたらスペイン系フランス人という、情熱の美の粋を集めたような美人さんでした。
そりゃあ宣教師も惚れるよね。
ジャックの元カノ(?)のアンジェリカも、恋愛要素とかこれっぽっちもない力強い美人さんなので嫌味がありませんし、黒髭もなんだろう、こっちが想像する胡散臭い海賊なので貫禄充分。
そして、まさかのバルボッサ祭りでした。
バルボッサのためにこの映画見た、といっても過言ではない(元々ジャックにはあまり興味がない)のですが、期待を裏切らない「カッコイイ海賊」っぷりに、心中常時悲鳴でした。
カツラかぶった、実に胡散臭い(だがそれもいい)公賊(王によって雇われた海賊)になり、生命の泉を追うんですが、どうもきっちりした王の船乗りから胡散臭い目で見られるわけです。
で、人魚のいる湾に行きたがらない船乗りたちを、自分が微塵も信じていないであろう王や国の威光を出して「我々は王の船乗りだ! スペインなどに遅れをとるな!」と叱咤する様で悶絶。
一番王様なんてどうでもいいくせに、お前…お前その威厳なんだよ! 惚れる!
最終的に、バルボッサは「自分の目的」を完遂し、そして船を手に入れて、文字通り「船長キャプテン・バルボッサ」に返り咲くという、この映画においての最初から最後までの勝ち組でした。
なんつうカッコよさだ。仲間なんて誰一人大切にしないのに、人望がある実力者のバルボッサに終始メロメロ。私もこんな上司に「このゴキブリ野郎ども」なんて言われてみたいよ…!(笑)
大したものではありませんが、エンドロール後にもエピソードがありますので、明るくなるまで席は立たない方がいいと思います。
明らかに続編ありあり(実際三部作でしたっけか)なので、次回もバルボッサの活躍に期待して待とうと思います。
ジャックは…まあ、最初から最後までそれこそ皆様が想像する通りのジャックでしたよ。ゆがみ無く。
多少ネタバレあるかと思います。ご注意ください。
見に行ってから、「3Dかよ………」と遠い目になったのですが、思ったより疲れませんでした。おかしいな、『アバター』は本当に途中で具合が悪くなって眼鏡外したんだけど、あれは思いのほかに青かったからなのだろうか。
この映画、毎回思うんですけど、物語でよくある過程とか、お宝を得るための手段とか方法を「初めからわかってる」状態で出発するので、途中経過の謎とか一切ぶっ飛ばして、ドタバタハチャメチャに特化できるっていう実に潔い作りですね。それがいいかどうかはちょっと別として。
今回も、一応永遠の命を与えるであろう泉探しの旅に出る、っていうのが主題なんですが、通常なら問題(というか盛り上げるヤマサカ)になるであろう、
「その泉は何処にあるのか」
「どうやったら永遠の命が手に入るのか」
「そのために必要な道具は何か」
「それを持っているのは誰か」
「道具のほかに必要なのは何か」
「実際永遠の命なんてものはあるのか」
っていうような要素全て、ことごとく事前情報として皆知ってるという作りが、頭悩ませなくていいというか、「細かい事はもう全部こっちが知ってるからとにかくアクションだけ楽しんでくれればいいから細けえことはいいんだよ」とばかりに物語が進むので、本当に純然たるアクション映画なんですねえ。
もう話の内容とか考えるの馬鹿馬鹿しいっていうか、元からそういう作りになってないというか。
その分、それぞれのどたばた劇場で、キャラクターを掘り下げなきゃいけないのも、ある意味難しいと思うんですが、それはシリーズ物の強みというか、ジャックはあくまでお調子者情けなカッコよくて、強い美女がいて、悪党はとことん悪党で、とステレオタイプの登場人物の配置によって入り込みやすい印象です。別に二面性とかそんなもんはこの映画にいらねえんだよ、というところでしょうか。
後、広義的な正義の味方がいないのもいい。なんてったって出てくるのは基本海賊ですから。
まあ、そういう意味で誰か一人キャラクターとして好きな人物がいれば充分楽しめるんじゃないかと。
今回、宣教師と人魚のロマンスなんてものもありますが、この映画の中で色恋要素を担うのが宣教師ってうのがギャップ萌えなんでしょうか。海賊は女は買って囲って利用して、奥さんの干し首腰下げちゃったりするけど、恋愛要素なんて微塵もないもんね。(いや、むしろそれがいいんですが)
人魚役の女優さんは妙にエキゾチックなので、調べてみたらスペイン系フランス人という、情熱の美の粋を集めたような美人さんでした。
そりゃあ宣教師も惚れるよね。
ジャックの元カノ(?)のアンジェリカも、恋愛要素とかこれっぽっちもない力強い美人さんなので嫌味がありませんし、黒髭もなんだろう、こっちが想像する胡散臭い海賊なので貫禄充分。
そして、まさかのバルボッサ祭りでした。
バルボッサのためにこの映画見た、といっても過言ではない(元々ジャックにはあまり興味がない)のですが、期待を裏切らない「カッコイイ海賊」っぷりに、心中常時悲鳴でした。
カツラかぶった、実に胡散臭い(だがそれもいい)公賊(王によって雇われた海賊)になり、生命の泉を追うんですが、どうもきっちりした王の船乗りから胡散臭い目で見られるわけです。
で、人魚のいる湾に行きたがらない船乗りたちを、自分が微塵も信じていないであろう王や国の威光を出して「我々は王の船乗りだ! スペインなどに遅れをとるな!」と叱咤する様で悶絶。
一番王様なんてどうでもいいくせに、お前…お前その威厳なんだよ! 惚れる!
最終的に、バルボッサは「自分の目的」を完遂し、そして船を手に入れて、文字通り「船長キャプテン・バルボッサ」に返り咲くという、この映画においての最初から最後までの勝ち組でした。
なんつうカッコよさだ。仲間なんて誰一人大切にしないのに、人望がある実力者のバルボッサに終始メロメロ。私もこんな上司に「このゴキブリ野郎ども」なんて言われてみたいよ…!(笑)
大したものではありませんが、エンドロール後にもエピソードがありますので、明るくなるまで席は立たない方がいいと思います。
明らかに続編ありあり(実際三部作でしたっけか)なので、次回もバルボッサの活躍に期待して待とうと思います。
ジャックは…まあ、最初から最後までそれこそ皆様が想像する通りのジャックでしたよ。ゆがみ無く。
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ブラックスワン公式サイト
特別大きなネタバレはしていないつもりですが、自己責任において閲覧ください。
………しかし毎回どいつがこんな公式サイトを見づらい仕様にしているのか問い詰めたいのは私だけなのでしょうか。
頼むから、キャスト、劇場、作品内容ぐらいはワンクリックで全部読み込みなしで見られるようにしてくれよ!
ナタリーポートマン演じるバレリーナが白鳥の湖の主役に抜擢されるも、黒鳥の表現が認められず、自由奔放な他のダンサーに振り回されて、精神的に追い詰められていく、というような話です。ジャンル的にはサスペンス、ホラーなのでしょうが、あまりそういった意味での恐怖は感じませんでした。
恐怖の変わりにたびたび出てくるのが、現実世界での生々しい痛さです。
その殆どが自虐行為によるもので、拳銃で撃たれたり、誰かに殴られたりといった他者からの暴力ではなく、自分で自分の生皮をはがしたり、爪を切って肉も一緒に切断するとか、他にもとにかく山ほど「痛い」表現が出てきます。
その手のシーンが繰り返されることによって、見ている側は確かに飽きないし、緊張感がどんどん高まるのも事実なのですが、これ、結構辛い。
こちらも次第にそういうシーンに「なりそうだ」というのが見ていてわかってしまうので、近づくにつれ「ああ~」と目を覆いたくなってしまいます。
私の後ろに座っていた母娘さんは、その手のシーンが出る度に「うっ」とか小さな悲鳴をもらす始末でした。わかる。キツい。
この作品は、『レスラー』を作った監督さんで、その姉妹作品というような位置づけらしいのですが、個人的には姉妹というよりは、相対するような作品だな、という印象が強かったです(だからこその姉妹なのかもしれませんが)。
最初から最後まで現実世界で悩み、苦しみ、希望を得て、マットの上という夢の世界を望んだレスラーの主人公。
最初から最後まで妄想世界で悩み、苦しみ、希望を得て、舞台という現実の世界で幸福を得たブラック・スワンの主人公。
どちらにせよ、誰かに痛めつけられるのではなく、自分をひたすら、第三者から見ると滑稽なほどに傷みつけた果てに得たもの、得ようとしたものは「最上」であるというのはよくわかりました。
音楽の使い方も、元々白鳥の湖という実在のバレエが主題なので、聞いたことがある音楽が次々に出てきて楽しいです。
やはりクライマックスで、大迫力のクラッシック音楽が流れてくると、それだけで引き込まれます。
楽団による大音響。光る舞台。黒鳥を演じるバレリーナ。
それぞれ大迫力でした。
役者さんはナタリー・ポートマンはガリガリに痩せたバレリーナを好演。実際かなりの減量をして望んだらしいのですが、この人元々全然太ってなかったよね…何処を落としたのか…。
痛いシーンのほかに、今作非常に自慰行為のシーンが多いのですが、そちらも好演。頬もこけた痩せぎすの女がひたすら落ちていく様は圧巻の一言です。
そして、彼女を指導するバレエのコーチ、というか指導する立場の年配の女性が非常にカッコよかったです。あの立ち居振る舞い(ダンスの指導シーンでしか出てこない)は元ダンサーの方ではないでしょうか。
手の動きや優雅さが、こうちょっと別格でした。にじみ出るプロさ加減というか。
ライバル役の自由奔放なリリーも良かったです。実際バレリーナって刺青OKなんでしょうか。背中に羽の彫り物がしてあるのですが、それが大変デザインとして素敵でした。
最後のエンドロールで「ウィノナ・ライダー」の名前が出てきて「どこにいた!?」と仰天したんですが、クレジットを見てびっくり。落ち目で降板をいい渡された年増のバレリーナの役でした。
あの、清純派で売っていたようなウィノナ・ライダーがもう…そんな歳になったのか…と歳の流れの残酷さにちょっと驚きました。配役としても、ただ落ち目なのではなく、大変「外見的」にも悲惨な役で、そこには美しさや若さもカケラもない役どころなので、余計に悲壮感が漂うというか。
映画の内容とは全く関係ないのですが、見終わった後にちょっと時の流れを感じすぎて微妙な気持ちになりました。
特別大きなネタバレはしていないつもりですが、自己責任において閲覧ください。
………しかし毎回どいつがこんな公式サイトを見づらい仕様にしているのか問い詰めたいのは私だけなのでしょうか。
頼むから、キャスト、劇場、作品内容ぐらいはワンクリックで全部読み込みなしで見られるようにしてくれよ!
ナタリーポートマン演じるバレリーナが白鳥の湖の主役に抜擢されるも、黒鳥の表現が認められず、自由奔放な他のダンサーに振り回されて、精神的に追い詰められていく、というような話です。ジャンル的にはサスペンス、ホラーなのでしょうが、あまりそういった意味での恐怖は感じませんでした。
恐怖の変わりにたびたび出てくるのが、現実世界での生々しい痛さです。
その殆どが自虐行為によるもので、拳銃で撃たれたり、誰かに殴られたりといった他者からの暴力ではなく、自分で自分の生皮をはがしたり、爪を切って肉も一緒に切断するとか、他にもとにかく山ほど「痛い」表現が出てきます。
その手のシーンが繰り返されることによって、見ている側は確かに飽きないし、緊張感がどんどん高まるのも事実なのですが、これ、結構辛い。
こちらも次第にそういうシーンに「なりそうだ」というのが見ていてわかってしまうので、近づくにつれ「ああ~」と目を覆いたくなってしまいます。
私の後ろに座っていた母娘さんは、その手のシーンが出る度に「うっ」とか小さな悲鳴をもらす始末でした。わかる。キツい。
この作品は、『レスラー』を作った監督さんで、その姉妹作品というような位置づけらしいのですが、個人的には姉妹というよりは、相対するような作品だな、という印象が強かったです(だからこその姉妹なのかもしれませんが)。
最初から最後まで現実世界で悩み、苦しみ、希望を得て、マットの上という夢の世界を望んだレスラーの主人公。
最初から最後まで妄想世界で悩み、苦しみ、希望を得て、舞台という現実の世界で幸福を得たブラック・スワンの主人公。
どちらにせよ、誰かに痛めつけられるのではなく、自分をひたすら、第三者から見ると滑稽なほどに傷みつけた果てに得たもの、得ようとしたものは「最上」であるというのはよくわかりました。
音楽の使い方も、元々白鳥の湖という実在のバレエが主題なので、聞いたことがある音楽が次々に出てきて楽しいです。
やはりクライマックスで、大迫力のクラッシック音楽が流れてくると、それだけで引き込まれます。
楽団による大音響。光る舞台。黒鳥を演じるバレリーナ。
それぞれ大迫力でした。
役者さんはナタリー・ポートマンはガリガリに痩せたバレリーナを好演。実際かなりの減量をして望んだらしいのですが、この人元々全然太ってなかったよね…何処を落としたのか…。
痛いシーンのほかに、今作非常に自慰行為のシーンが多いのですが、そちらも好演。頬もこけた痩せぎすの女がひたすら落ちていく様は圧巻の一言です。
そして、彼女を指導するバレエのコーチ、というか指導する立場の年配の女性が非常にカッコよかったです。あの立ち居振る舞い(ダンスの指導シーンでしか出てこない)は元ダンサーの方ではないでしょうか。
手の動きや優雅さが、こうちょっと別格でした。にじみ出るプロさ加減というか。
ライバル役の自由奔放なリリーも良かったです。実際バレリーナって刺青OKなんでしょうか。背中に羽の彫り物がしてあるのですが、それが大変デザインとして素敵でした。
最後のエンドロールで「ウィノナ・ライダー」の名前が出てきて「どこにいた!?」と仰天したんですが、クレジットを見てびっくり。落ち目で降板をいい渡された年増のバレリーナの役でした。
あの、清純派で売っていたようなウィノナ・ライダーがもう…そんな歳になったのか…と歳の流れの残酷さにちょっと驚きました。配役としても、ただ落ち目なのではなく、大変「外見的」にも悲惨な役で、そこには美しさや若さもカケラもない役どころなので、余計に悲壮感が漂うというか。
映画の内容とは全く関係ないのですが、見終わった後にちょっと時の流れを感じすぎて微妙な気持ちになりました。
『狼たちの午後』
アル・パチーノが普通に二枚目…だと…?
最初から最後まで地味な作品で、効果音もBGMもないところが、妙に緊迫感があります。
ドジな強盗犯ソニー役のアル・パチーノが「ああ、若い頃って普通に二枚目だったんだ…」と思わず遠い目になりますが、イケメンです。
人を殺すという選択肢がはなからなくて、「皆が無事で解決できるように必死で努力してるんだから、大丈夫、上手くいくさ」とか人質に言っちゃう人の良さがあります。
その分、何を考えているのかよくわからない、敬虔なクリスチャンであろう、相棒のサル(という名前の男性)の精神的な余裕の無さが、対比して見ていてドキドキします。
ソニーの行いがある意味間抜けな分、こっちは安心して見ていられるわけですが、その分語られない一方的に追い詰められていくサルの固まった顔が怖い。
基本的には、ソニーのお人よしの行動や、それぞれをとりまく人間関係が軸に進んでいくわけですが、全てが銀行強盗の始まりと終わりの域から脱するわけではないので、どんでん返しとは無縁の映画です。
一つの事件が始まり、そして終わるべくして終わる。
ソニーと、そしてサルの結末も想像できてしかるべきものだし、ある意味交友関係にあるとも呼べる人質も、解放されてしまえば、ただの赤の他人でしかない。
しかし、ソニーが連れてこいと言った恋人が男性(つまり同性愛)だったのは別にどうでもいいのですが、それに乗じて周囲の野次馬が同性愛の検知を主張しだしたりするのが、如何にもアメリカ的ですねえ。
銀行強盗の犯人がたまたまゲイだったというだけで、何故それが社会的アピールになるのか意味不明ですが、犯人を取り巻く全てが、なんていうかとってもアメリカ的でした。
半ドキュメンタリーのようなものなので、それを踏まえてみれば中々の佳作だと思います。
しかしこれ、どうして『狼たちの午後』なんていう邦題なんだろうと思ったら、原題が「DOG DAYS」だからなんですね。
………それがどうして狼たち、なんてことになるんだよ………。DOG DAYSの意味全然違うだろ………。
ちなみに盛夏、停滞期などという意味です。私も偉そうなこといってますが、『MASTERキートン』なしでは知りえませんでした。
『アタックナンバーハーフ』
タイのオカマのチームがバレーボールで、差別と戦いながら勝利していく話。
あれだけ有名な国でも、いわゆる同性愛者とか、オカマ(他にどういう表現をしていいのかわからないのですが)に対して偏見とかあるのか、と驚いた映画でした。
というか、監督さんがオナベ(この表現もどうかと思うのですが)っていうほうが億倍驚きというか………。
内容としては割と普通です。
オカマがどうのというよりは、オカマだからって全員が化粧にこだわりがあったり、ショービジネスの世界にいるわけではないと思うんですが、その「そうではない」人の数が物凄い少ないっていうのが意外ったら意外でした。
多分、色々あの世界でもあるんだろうなあーという感じ。
当然彼女たちは頑張っているので、それに相対するバレー協会のトップの女卑的態度の方が億倍腹立つけどね。多分、オカマとかと関係ない部分で普通に嫌な奴だからなんだろうけど。
『ベスト・キッド』
ジャッキー・チェンの奴です。
途中でカンフーに飽きたというか、あれはなんつうか、やっぱり様式美の世界だなあ、というか。
普通の世界観にあてはめちゃ駄目だからこその、ブルース・リーというか。
アル・パチーノが普通に二枚目…だと…?
最初から最後まで地味な作品で、効果音もBGMもないところが、妙に緊迫感があります。
ドジな強盗犯ソニー役のアル・パチーノが「ああ、若い頃って普通に二枚目だったんだ…」と思わず遠い目になりますが、イケメンです。
人を殺すという選択肢がはなからなくて、「皆が無事で解決できるように必死で努力してるんだから、大丈夫、上手くいくさ」とか人質に言っちゃう人の良さがあります。
その分、何を考えているのかよくわからない、敬虔なクリスチャンであろう、相棒のサル(という名前の男性)の精神的な余裕の無さが、対比して見ていてドキドキします。
ソニーの行いがある意味間抜けな分、こっちは安心して見ていられるわけですが、その分語られない一方的に追い詰められていくサルの固まった顔が怖い。
基本的には、ソニーのお人よしの行動や、それぞれをとりまく人間関係が軸に進んでいくわけですが、全てが銀行強盗の始まりと終わりの域から脱するわけではないので、どんでん返しとは無縁の映画です。
一つの事件が始まり、そして終わるべくして終わる。
ソニーと、そしてサルの結末も想像できてしかるべきものだし、ある意味交友関係にあるとも呼べる人質も、解放されてしまえば、ただの赤の他人でしかない。
しかし、ソニーが連れてこいと言った恋人が男性(つまり同性愛)だったのは別にどうでもいいのですが、それに乗じて周囲の野次馬が同性愛の検知を主張しだしたりするのが、如何にもアメリカ的ですねえ。
銀行強盗の犯人がたまたまゲイだったというだけで、何故それが社会的アピールになるのか意味不明ですが、犯人を取り巻く全てが、なんていうかとってもアメリカ的でした。
半ドキュメンタリーのようなものなので、それを踏まえてみれば中々の佳作だと思います。
しかしこれ、どうして『狼たちの午後』なんていう邦題なんだろうと思ったら、原題が「DOG DAYS」だからなんですね。
………それがどうして狼たち、なんてことになるんだよ………。DOG DAYSの意味全然違うだろ………。
ちなみに盛夏、停滞期などという意味です。私も偉そうなこといってますが、『MASTERキートン』なしでは知りえませんでした。
『アタックナンバーハーフ』
タイのオカマのチームがバレーボールで、差別と戦いながら勝利していく話。
あれだけ有名な国でも、いわゆる同性愛者とか、オカマ(他にどういう表現をしていいのかわからないのですが)に対して偏見とかあるのか、と驚いた映画でした。
というか、監督さんがオナベ(この表現もどうかと思うのですが)っていうほうが億倍驚きというか………。
内容としては割と普通です。
オカマがどうのというよりは、オカマだからって全員が化粧にこだわりがあったり、ショービジネスの世界にいるわけではないと思うんですが、その「そうではない」人の数が物凄い少ないっていうのが意外ったら意外でした。
多分、色々あの世界でもあるんだろうなあーという感じ。
当然彼女たちは頑張っているので、それに相対するバレー協会のトップの女卑的態度の方が億倍腹立つけどね。多分、オカマとかと関係ない部分で普通に嫌な奴だからなんだろうけど。
『ベスト・キッド』
ジャッキー・チェンの奴です。
途中でカンフーに飽きたというか、あれはなんつうか、やっぱり様式美の世界だなあ、というか。
普通の世界観にあてはめちゃ駄目だからこその、ブルース・リーというか。
『トゥルー・グリッド』公式サイト
硬派な西部劇映画でした。なんだろう、わりと玄人向けというか。少なくとも物語上において、宣伝で銘打たれるような、14歳の少女の復讐劇では全くありません。
個人的には肩透かしというか、西部時代のなんでもあり世界観に慣れちゃった後は、さほど見るべきものがないような印象でした。
まず、父親の復讐をしようとする14歳の女の子に可愛げがひとっつもありません。全くもって可愛くない。
この、「可愛げのなさが逆に可愛い」っていうのは、確かにあると思うんですが少なくともこの子に関しては、なんで復讐に固執しているのかも良く分からないし、何事にも動じず、感情が全く表面に出てこない(クールという意味ではなく、鉄面皮的な意味で)ので、正直彼女が物語上で果たす意味がよくわかりませんでした。
例えば世間知らずのお嬢さんが、西部世界で生き抜く残酷さを知るとか、それでも純真無垢で、それに男達がほだされるとか、まあお約束であってもキャラのつけようがあったと思うんですが、この子本当にびっくりするくらい無魅力なので、彼女が語り部になっても面白くないんですよね。
最終的に、彼女は自分の手で父親を殺した相手を「見事」に撃ち殺すんですが、その前後に別に某かの葛藤はまったくありません。
けれど、その前の復讐の旅の間にも、彼女の心の機微は全く揺れ動かないので、ここで14歳の女の子がライフルぶっ放して人を殺しても、見ている側も「へー」くらいの感情くらいしか湧かないんですよね。
だって、そういうことが「出来る」子が、そういうことを「した」ってだけの話なので。
個性的な面々と関わっても、彼女は何一つ成長しないし、周りも変わりはしなかったっていうのは、それこそ魅力の相乗効果が望めないので、見ていてなんだかなあ、という感じでした。
男だろうが、少女だろうが、とにかく相手をひたすら殺すことに善も悪もないっていう西部劇の世界観を表したというのであれば、それは見事に成功していると思うんですが、でもそうなると、少女は別に一緒に旅した男達に何も感じないし、男達も別に女の子に何も感じてないっていう、登場人物たちの絡みいらねえじゃんということになってしまいまして、見ていて面白くないんですよね、正直。
女の子以外の人物描写も非常に中途半端です。
天下のマット・デイモンもテキサスレンジャー役ですが、かっこいい要素一つもない勿体無い印象です。
ジェフ・ブリッジス演じる、コグバーン保安官は主役(女の子が主役なんでしょうが魅力がないので、そういう意味では主役ではない)なので、衣装や立ち居振る舞いは非常にかっこいいんですが、これも途中までかなあ。
相手を追う手がかりがなくなった途端にいじけたり、酒びたりになって奇行に走り始めたりされると、少なくとも「そういう行動に走る個性」がちゃんと描かれていないと、ただのかっこ悪い人になっちゃうわけで。
嘘でも、虚勢でも、乙女目線からの願望(苦笑)でもいいので、やっぱり情けない男のかっこよさがないと、本当にただのデブな老人のぐっだぐだ感を見なきゃいけない羽目になってしまうので。
しかもどうして立ち直ったのかとか、そういう描写も一切ないので、なんつうか、彼が単品で出ていればまだよかったんでしょうが、彼の人間らしい生々しさが、却ってそらうそ臭い印象でした。
うーん、衣装とか銃をぶっ放したりとか、ぞんざいな言葉遣いとか、そういう要所要所はかっこよかったんですが…。
最初のほうで、ちゃんとたるんだビール腹(この場合ウィスキー腹)を見せてくれた時が、私の中でのコグバーンのピークでした。
主役の三人の魅力がイマイチな分、とってもキュートで魅力的なのが悪役の面々でしょうか。
娘さんの親を殺したチェイニーも、情けない男ですが外見愛嬌あって非常に可愛いです。
なんていうか、こんなにしょーもない男なのに、賞金かけられているいっぱしの悪党っていうギャップが魅力的というか。その辺、職業強盗、みたいな世界観がはっきり描かれていていいですね。
へたれでもなんでも、日常生活の延長線上で人を殺す事もありますよ、そりゃ、みたいな。
そのチェイニーを一応かくまうというか、行動を共にしているのが、「ラッキー・ネッド」という通り名の賞金首なのですが、こいつがまた可愛くて!(鼻息)
ただ可愛いだけじゃなくて、一応ネッド一家のボスなので当然頭もいいし、追ってきた女の子は別に自分を狙っているわけじゃないと知っているので、「結果として殺すことになるかもしれないけれど、今は興味がない」というような態度で接するのがたまりません。
そこにいたるまで、コグバーンはネッドの仲間を何人も撃ち殺しているんですが、それに対する愛着はないというか「そりゃそういうこともあるだろう」くらいの、淡白な態度が大変素敵。
だからといって別に人殺しはしない主義とかではないので、平気で銃もぶっ放すし、結局は、コグバーンも敵であるし、女の子の生命に「興味なんてない」ので、チェイニーと女の子を一緒の場所に置き去りにして、「今は生きてるだろうさ。でもその後は知らん」という態度がキレ者でクール。
コグバーンとの対決で「コグバーン、俺たちは検事には会えないな」と笑う様がカッコよすぎて倒れました。いやーネッドが出てきてからは眼福だったなあ。
純粋に西部劇を見慣れている人は面白いのかもしれませんが、個人的にはもう少し、登場人物を見てキャー、物語を見てウルウル、みたいな映画のほうが好みでした。
ただ、役者陣はジェフ・ブリッジスも、ネッド演じるバリー・ペッパーも、「ノーカントリー」でタフな演技を見せてくれたジョシュ・ブローリン(全然気づかなかった)も、非常に魅力的です。
それだけに、素直にキャーカッコイイー! と言えなかったのが残念。
硬派な西部劇映画でした。なんだろう、わりと玄人向けというか。少なくとも物語上において、宣伝で銘打たれるような、14歳の少女の復讐劇では全くありません。
個人的には肩透かしというか、西部時代のなんでもあり世界観に慣れちゃった後は、さほど見るべきものがないような印象でした。
まず、父親の復讐をしようとする14歳の女の子に可愛げがひとっつもありません。全くもって可愛くない。
この、「可愛げのなさが逆に可愛い」っていうのは、確かにあると思うんですが少なくともこの子に関しては、なんで復讐に固執しているのかも良く分からないし、何事にも動じず、感情が全く表面に出てこない(クールという意味ではなく、鉄面皮的な意味で)ので、正直彼女が物語上で果たす意味がよくわかりませんでした。
例えば世間知らずのお嬢さんが、西部世界で生き抜く残酷さを知るとか、それでも純真無垢で、それに男達がほだされるとか、まあお約束であってもキャラのつけようがあったと思うんですが、この子本当にびっくりするくらい無魅力なので、彼女が語り部になっても面白くないんですよね。
最終的に、彼女は自分の手で父親を殺した相手を「見事」に撃ち殺すんですが、その前後に別に某かの葛藤はまったくありません。
けれど、その前の復讐の旅の間にも、彼女の心の機微は全く揺れ動かないので、ここで14歳の女の子がライフルぶっ放して人を殺しても、見ている側も「へー」くらいの感情くらいしか湧かないんですよね。
だって、そういうことが「出来る」子が、そういうことを「した」ってだけの話なので。
個性的な面々と関わっても、彼女は何一つ成長しないし、周りも変わりはしなかったっていうのは、それこそ魅力の相乗効果が望めないので、見ていてなんだかなあ、という感じでした。
男だろうが、少女だろうが、とにかく相手をひたすら殺すことに善も悪もないっていう西部劇の世界観を表したというのであれば、それは見事に成功していると思うんですが、でもそうなると、少女は別に一緒に旅した男達に何も感じないし、男達も別に女の子に何も感じてないっていう、登場人物たちの絡みいらねえじゃんということになってしまいまして、見ていて面白くないんですよね、正直。
女の子以外の人物描写も非常に中途半端です。
天下のマット・デイモンもテキサスレンジャー役ですが、かっこいい要素一つもない勿体無い印象です。
ジェフ・ブリッジス演じる、コグバーン保安官は主役(女の子が主役なんでしょうが魅力がないので、そういう意味では主役ではない)なので、衣装や立ち居振る舞いは非常にかっこいいんですが、これも途中までかなあ。
相手を追う手がかりがなくなった途端にいじけたり、酒びたりになって奇行に走り始めたりされると、少なくとも「そういう行動に走る個性」がちゃんと描かれていないと、ただのかっこ悪い人になっちゃうわけで。
嘘でも、虚勢でも、乙女目線からの願望(苦笑)でもいいので、やっぱり情けない男のかっこよさがないと、本当にただのデブな老人のぐっだぐだ感を見なきゃいけない羽目になってしまうので。
しかもどうして立ち直ったのかとか、そういう描写も一切ないので、なんつうか、彼が単品で出ていればまだよかったんでしょうが、彼の人間らしい生々しさが、却ってそらうそ臭い印象でした。
うーん、衣装とか銃をぶっ放したりとか、ぞんざいな言葉遣いとか、そういう要所要所はかっこよかったんですが…。
最初のほうで、ちゃんとたるんだビール腹(この場合ウィスキー腹)を見せてくれた時が、私の中でのコグバーンのピークでした。
主役の三人の魅力がイマイチな分、とってもキュートで魅力的なのが悪役の面々でしょうか。
娘さんの親を殺したチェイニーも、情けない男ですが外見愛嬌あって非常に可愛いです。
なんていうか、こんなにしょーもない男なのに、賞金かけられているいっぱしの悪党っていうギャップが魅力的というか。その辺、職業強盗、みたいな世界観がはっきり描かれていていいですね。
へたれでもなんでも、日常生活の延長線上で人を殺す事もありますよ、そりゃ、みたいな。
そのチェイニーを一応かくまうというか、行動を共にしているのが、「ラッキー・ネッド」という通り名の賞金首なのですが、こいつがまた可愛くて!(鼻息)
ただ可愛いだけじゃなくて、一応ネッド一家のボスなので当然頭もいいし、追ってきた女の子は別に自分を狙っているわけじゃないと知っているので、「結果として殺すことになるかもしれないけれど、今は興味がない」というような態度で接するのがたまりません。
そこにいたるまで、コグバーンはネッドの仲間を何人も撃ち殺しているんですが、それに対する愛着はないというか「そりゃそういうこともあるだろう」くらいの、淡白な態度が大変素敵。
だからといって別に人殺しはしない主義とかではないので、平気で銃もぶっ放すし、結局は、コグバーンも敵であるし、女の子の生命に「興味なんてない」ので、チェイニーと女の子を一緒の場所に置き去りにして、「今は生きてるだろうさ。でもその後は知らん」という態度がキレ者でクール。
コグバーンとの対決で「コグバーン、俺たちは検事には会えないな」と笑う様がカッコよすぎて倒れました。いやーネッドが出てきてからは眼福だったなあ。
純粋に西部劇を見慣れている人は面白いのかもしれませんが、個人的にはもう少し、登場人物を見てキャー、物語を見てウルウル、みたいな映画のほうが好みでした。
ただ、役者陣はジェフ・ブリッジスも、ネッド演じるバリー・ペッパーも、「ノーカントリー」でタフな演技を見せてくれたジョシュ・ブローリン(全然気づかなかった)も、非常に魅力的です。
それだけに、素直にキャーカッコイイー! と言えなかったのが残念。
『忍たま乱太郎 忍術学園全員出動!の段』映画感想
ちょうど土曜日に見に行きました。地震後ずっと映画館が点検目的で閉館していて、やっと作品を選んでの上映になったようですが、やはり嬉しいですねこういうの。
私は当然のごとく一人で見に行った(苦笑)んですが、いざ映画館に着いてみればあたりはちびっ子だらけ。
そんなに乱太郎人気あるのか、と思ったらどうやらプリキュアの映画もやっていたようで、そのおまけのベルトらしきものを抱えた子供たちが大勢いました。そして、映画を見る前に「ああ、こうやって子供たちが見たい映画を見て、笑えなければ駄目だよなあ」と思わず涙ぐみそうになったのは秘密だ(年取って涙腺は崩壊しました)。
さて、映画の内容ですが、園田村ベースの話に若干それぞれの見せ場を作った丁寧な仕上がりで、ぶっちゃけ大変面白かったです。
まず、映画のポイントである絵はまあ元がああいう絵なので、さして凄さはありませんが、その変わりよく動きます。大変見ごたえありです。忍たま映画は第一作目も大変動きのいい眼福映画でしたが、今回もそれに外れなし!
ちびっ子たちはちびっ子らしくよく動くし、ある程度年齢いった先生たちとか六年生たちは頭身高めでこれまたよく動きます。
アニメや原作にもある笑えませんが的なギャグも健在ですが、映画になって動きの演出がよくなったせいか、このギャグの部分も中々及第点。少なくともちびっ子は声を出して笑ってましたし、大人もくすりとできるレベルです。
ベースが園田村なんですが、正直私細部あんまり覚えてないんですけど、目立ち具合でいうと主人公乱太郎が、伊作の変わりに保健委員長に任命されて頑張ってる、という感じ。きり丸、しんべえは他のは組たちと同じようなレベルでした。
他学年は、二、三は正直空気(まあ原作でもそうだしね)で、四年生はまあまあ。タカ丸は髪結い仕事があるので目立ってました。
五年生はかなり差があって、豆腐、タケメン、かんちゃんはほぼ出番なし。双子はそれなりに出番がありました。というか、三郎が頑張ってた。
六年はもう、園田村の話が結構現実的な戦闘シーンが多いので、かなり出番多し。とはいっても、原作仕様ですから、ひいきされてるっていう感じではないです。ただ、保健委員の話がメインなので、伊作は乱太郎の次に出番がある準主役みたいなものでした。雑渡さんとの戦闘シーンあり、首筋にクナイ突きつけられるシーンあり、年長者として乱太郎を諭すシーンあり。
次に出番が多かったのは、仙蔵ですね。単身敵地に飛び込んだり、知識を披露したりと、さすが六年生の優等生、という感じでしっかり忍者してました。そして、作画のサラストの気合の入れっぷりといったらなかった。あれは絶対に作画が意識してやってると思う。
いけどん小平太は手首折ったりしてましたが、基本的にはにぎやかし。そして、個性の割には文次郎もにぎやかしです(苦笑)。
アニメでは大変おかしな扱いになっている長次は、原作だと無口なだけで結構しゃべるんですが、今回もちゃんと先輩してました。まあ、相方が小平太じゃなくて、仙蔵だったっていうせいもあるんでしょうが…。
あ、ちなみに食満も完全ににぎやかしです(苦笑)。
こうして振り返ってみると、「あれ? 六年出番なかったっけ?」と錯覚してしまうんですが、これも今回はは組を取り巻く先輩や、先生たちの話なので、その少ない出番の中で、雑渡さんとこの忍者と戦闘シーンがあったりする六年生たちは、インパクトが強かったんだろうな、と思います。
雑渡さんを含めた大人組は、今回、大活躍でした。
雑渡さんは勿論、伊作関係で準主役みたいなものですし、プロ忍というだけでなにかこう全てがずるい、というか…(主に魅力の部分で…笑)。
先生たちも引率で、土井先生、山田先生両名のほかに、選抜上級生を引き入るのが野村先生であったり、厚着先生であったりするので、先生スキーな私から見ると、そういう意味でも大満足な映画でした。
基本は、宿題が間違えられて配られ、敵の城に行ったまま帰ってこない喜三太を助けに、は組が向かうっていう流れなので、は組はそれぞれちゃんと見せ場があります。やっぱりそれでこその乱太郎ですしね。
そして、見せ場で流れる「100%勇気」! いやー、テーマソングが上手いこと見せ場でかかる映画は面白いですね。
実際、一時間半(かもっと短いか)くらいなのですが、あっという間の時間でした。
演出の面でもレベルが高くて「うーん、NHKが本気出した」と大変満足です。
ちょうど土曜日に見に行きました。地震後ずっと映画館が点検目的で閉館していて、やっと作品を選んでの上映になったようですが、やはり嬉しいですねこういうの。
私は当然のごとく一人で見に行った(苦笑)んですが、いざ映画館に着いてみればあたりはちびっ子だらけ。
そんなに乱太郎人気あるのか、と思ったらどうやらプリキュアの映画もやっていたようで、そのおまけのベルトらしきものを抱えた子供たちが大勢いました。そして、映画を見る前に「ああ、こうやって子供たちが見たい映画を見て、笑えなければ駄目だよなあ」と思わず涙ぐみそうになったのは秘密だ(年取って涙腺は崩壊しました)。
さて、映画の内容ですが、園田村ベースの話に若干それぞれの見せ場を作った丁寧な仕上がりで、ぶっちゃけ大変面白かったです。
まず、映画のポイントである絵はまあ元がああいう絵なので、さして凄さはありませんが、その変わりよく動きます。大変見ごたえありです。忍たま映画は第一作目も大変動きのいい眼福映画でしたが、今回もそれに外れなし!
ちびっ子たちはちびっ子らしくよく動くし、ある程度年齢いった先生たちとか六年生たちは頭身高めでこれまたよく動きます。
アニメや原作にもある笑えませんが的なギャグも健在ですが、映画になって動きの演出がよくなったせいか、このギャグの部分も中々及第点。少なくともちびっ子は声を出して笑ってましたし、大人もくすりとできるレベルです。
ベースが園田村なんですが、正直私細部あんまり覚えてないんですけど、目立ち具合でいうと主人公乱太郎が、伊作の変わりに保健委員長に任命されて頑張ってる、という感じ。きり丸、しんべえは他のは組たちと同じようなレベルでした。
他学年は、二、三は正直空気(まあ原作でもそうだしね)で、四年生はまあまあ。タカ丸は髪結い仕事があるので目立ってました。
五年生はかなり差があって、豆腐、タケメン、かんちゃんはほぼ出番なし。双子はそれなりに出番がありました。というか、三郎が頑張ってた。
六年はもう、園田村の話が結構現実的な戦闘シーンが多いので、かなり出番多し。とはいっても、原作仕様ですから、ひいきされてるっていう感じではないです。ただ、保健委員の話がメインなので、伊作は乱太郎の次に出番がある準主役みたいなものでした。雑渡さんとの戦闘シーンあり、首筋にクナイ突きつけられるシーンあり、年長者として乱太郎を諭すシーンあり。
次に出番が多かったのは、仙蔵ですね。単身敵地に飛び込んだり、知識を披露したりと、さすが六年生の優等生、という感じでしっかり忍者してました。そして、作画のサラストの気合の入れっぷりといったらなかった。あれは絶対に作画が意識してやってると思う。
いけどん小平太は手首折ったりしてましたが、基本的にはにぎやかし。そして、個性の割には文次郎もにぎやかしです(苦笑)。
アニメでは大変おかしな扱いになっている長次は、原作だと無口なだけで結構しゃべるんですが、今回もちゃんと先輩してました。まあ、相方が小平太じゃなくて、仙蔵だったっていうせいもあるんでしょうが…。
あ、ちなみに食満も完全ににぎやかしです(苦笑)。
こうして振り返ってみると、「あれ? 六年出番なかったっけ?」と錯覚してしまうんですが、これも今回はは組を取り巻く先輩や、先生たちの話なので、その少ない出番の中で、雑渡さんとこの忍者と戦闘シーンがあったりする六年生たちは、インパクトが強かったんだろうな、と思います。
雑渡さんを含めた大人組は、今回、大活躍でした。
雑渡さんは勿論、伊作関係で準主役みたいなものですし、プロ忍というだけでなにかこう全てがずるい、というか…(主に魅力の部分で…笑)。
先生たちも引率で、土井先生、山田先生両名のほかに、選抜上級生を引き入るのが野村先生であったり、厚着先生であったりするので、先生スキーな私から見ると、そういう意味でも大満足な映画でした。
基本は、宿題が間違えられて配られ、敵の城に行ったまま帰ってこない喜三太を助けに、は組が向かうっていう流れなので、は組はそれぞれちゃんと見せ場があります。やっぱりそれでこその乱太郎ですしね。
そして、見せ場で流れる「100%勇気」! いやー、テーマソングが上手いこと見せ場でかかる映画は面白いですね。
実際、一時間半(かもっと短いか)くらいなのですが、あっという間の時間でした。
演出の面でもレベルが高くて「うーん、NHKが本気出した」と大変満足です。