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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『十三人の刺客』は、時代劇好きなら見ねばならないとは思うのですが、どうしても「今の若者が髷に月代をしている外見」に違和感を感じて仕方がないんですが。
昔の時代劇を知っていると、尚更似合ってないと思ってしまうのです。
多分慣れなんでしょうが、少なくとも昔の人は足が短い分、どっしりとした「剣術の構え」が似合っていたんだと思います。
大体実際やり合ってたたわけだし。
今の人は腰の位置が高すぎてふわふわと頼りない感じ。
別に昔の俳優さんも「本当の刺客」じゃないわけですから、殺気がないからだとかは関係なく、やはり「今の人」と「昔の人」では明らかに「似合う外見」は違うんだなという印象なのでした。

かっちょいい侍ものならいいのかもしれませんが、これが農村主役とかだったりすると多分もっと厳しいんだろうなあ。
ですが、いくらかっこよくても、『大奥』の俳優チョイスは本気でどうかと思います。
誰だアレ考えたの。
あれはお互いのためにならない。




『さまよう刃』
原作未読。レンタルで鑑賞しました。
結論からいうと、想像していた映画とは違い、お涙頂戴ものではなく、被害者やその家族の物語ではなく、その家族を取り巻く人間群像を描いた、社会派な映画でした。
暴行されて死亡した女子高生の父親が、その犯人たちに復讐していくというのが非常に大まかなストーリーなのですが、実際、寺尾聰演じる父親の心情は語られません。
悲しい、何故悲しいのか。
悔しい、何故悔しいのか。
それらは見ている側、もしくはその物語に出演している他の登場人物が考え、代弁することであり、父親は作中でこれも第三者である刑事が読む手紙でしか、己の気持ちを表現する事はしない。
その手紙は、公式サイトにあるので読んでいただければわかるのですが、非常に律されたものであり、それがまた見ている側は、その裏にあるであろう父親の気持ちを想像するしかない。

そんな傍観者側からの視点を描いたような映画でした。
主役は父親であるのかもしれませんが、実際物語を動かすのは、竹野内豊演じる刑事であるのは明白であり、吐露されない思いを抱えた父親に代わり、真っ向から「おかしい」「間違っている」「法を守るために法があるのか」と悩み続ける刑事の姿は、本来父親が語るべき言葉を全部語っているように思いました。

ただあくまで、刑事はあくまで被害者の関係者ではないわけで、どれだけ思いが近かろうが、決して父親とは交わらないであろうというところに、またこの映画の救われなさがあるわけですが。

ただ、映画の作りとしてはちょっと長すぎるかな、と。
物語が序盤で動きが激しく、ある程度の決着や事件性が出揃ってしまうので、それ以降が見ていて中だるみする感があります。
何せ父親が語り部にならないので、じゃあ語らない男を捜す人間たちにドラマがあるとそうでもない、というか。
原作を読んだ事はありません(多分この作者様の本は一冊も読んだ事がない)が、多分刑事物とか、社会物というジャンルに近いのではないかと。人間ドラマ、を描きたい作品ではなかったのかな、という印象でした。
この辺多分好みの問題ですね。登場人物すべてが慟哭している映画が、いい映画というわけではないし。
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『エクスペンダブルズ』公式サイト
見違えるようになった新宿ピカデリーで鑑賞しました。なんだこれこのキレイな空間は。

今気づいたんですけど、どうやら初日に見てしまったようで………。
どうりで馬鹿みたいに混んでたはずだよ。何故か虎の着ぐるみみたいな人もいて、なんかイベントがあるのかと思うくらいでした。

久しぶりに、シュワちゃんが見たい。何も考えないアクション映画が見たい、ということで選んだのですが、大 正 解でした!
もう、内容なんてどうでもいいんだよ! というか、内容なんてない! あってたまるか!
おっさんたちが、筋肉ムキムキで背中に刺青した男たちが、派手なドンパチやらかしてそれでいいんだよ! それがかっこいいんだよ! 大体「消耗品」なんて名前を自分の部隊につけちゃってる時点で男の美学以外何者でもないわけだし! これを若造がやると、「消耗品だってププ」となっちゃうわけだけど、これがもう人生下り坂に差し掛かってる、胡散臭い傭兵家業の奴等が言い出すとかっこよくて仕方がない!
そういう映画でした。
もう私なんて、シュワちゃんと、ミッキー・ロークが出ているだけでお腹一杯ですよ! ゴチソウサマ!
二時間、きっちり1800円払って、その二時間「楽しかったでーす!」と胸を張ってスカッと家に帰られるような、幸せな映画でした。
そりゃあ、R15ですよね、という場面も満載ですが、あんまりそれが陰湿な場面じゃないので、変な覚悟とかいらないです。
腕がぶっ飛ぶとか、血しぶきがはじけるとか、人間が燃えるとか、そういう予想できるわかりやすい15禁なので、女性の方にもお勧めです。

まあ、シルベスター・スタローンって実は映画全く見たことがない(ロッキーもさすがに世代じゃない)のですが、この人年取ってからの方が味が出てかっこいいですね。
顔面何処をとってもおっさんなのに、まあCGだか盛ってるのか、腕の筋肉の凄い事!
たれ目でかつぜつの悪い声で、シュワルツェネッガーと嫌味を言い合っている様は惚れ直しました。お前は確かにセレブなマッチョは似合わない。
そんな男が、ハーレーにまたがって刺青を仕上げてもらい、そして「女を見捨てなければ自分の魂を救えるかもしれない」なんて理由で戦場に再び赴いて御覧なさいよ!
そこにあるのは愛でもなければ、同情でもない! 己の矜持だけってかあ!!

まあ本気で話の内容は全くない、一切ない、ので、いつ何処でトイレに行っても物語的な意味では大丈夫ですが、とにかくこれでもか! とアクションシーンは盛りだくさんです。
素手での殴りあいもありますし、ロケットランチャーもあるし、飛行機からの爆撃もあるし、闇夜の戦いもあるし、爆弾もあるし、お勧めは乱戦時におけるナイフの魅せ方ですかね! あのナイフ使いはいけてたな!
こう、クールに人を殺めるんじゃなくって、肉弾戦がメインでその合間合間、要所要所にナイフをぶっ刺すわ、投げるわで、ナイフのオンパレードでした。
それぞれ、勿論部隊の中で担当武器っていうのは違うんですが、だからといって他の事ができないんじゃ話にならないので、ナイフ使いも拳法の達人も全部のアクションちゃんと網羅してくれるのが偉い。

役者陣はそれぞれかっこいいんですが、個人的にヤク中で大きなナイフ使いのガンナーの顔がドストライクだったので、それだけで元が取れました。
超病んでてかっけえよ! 病んでるのにタフさ前面に押し出しててさあ!
ちなみにドルフ・ラングレンでしたが、私この人の映画一つも見たことがないんだよなあ。
でも、若い頃の顔は好みじゃないんだよなあ。
今のギラギラした顔が素敵なんだよなあ。

とにかく、一切何も考えずにかっこいいシーンを楽しめればそれでオッケーです。ああー久しぶりにエンターテイメントとして確立された映画を見られて幸せでした。
EDもかっこよかったし。やっぱり男はハーレーだよね! 女がハーレーに跨るのもいいけど、男が乗っているのの後ろに、ホットパンツにチューブトップの肉感的な女が乗ってるっていう図が凄くいいよなあ。
とにかく、タフネスなアメリカンな男たちの様式美の映画でした。
大口径の銃をぶっ放し、相手を殴る蹴るして、女を助ける、そんなわかりやすい映画でした。最高。
相変わらず実家の弟がかたくなに湯船37度を守り通しております。
暑い日は確かに暑いですが、いい加減すごしやすくなってきた昨今、せめて39度くらいまで上げてもいいと思うのは私だけでしょうか。
しかしどうしてあいつは痩せないのでしょう。運動不足はともかくとして、仕事には納豆と飲み物と寒天ゼリーしか持っていっていないのに、あいつの体重は謎過ぎる。



『瞳の奥の秘密』
新宿で鑑賞。
マイナーな映画しか上映しない映画館ですが、よく知り合いはこういうの見つけてくるなあ。
個人的には、リチャード・ギアが主演の『クロッシング』が気になったのですが、代表作紹介で『HACHI』を持ってくるのは気の毒だと思います。他に一杯あるだろう、リチャード・ギアならば…。

ブエノスアイレスを震撼させた25年前の出来事。
その事件に関わった検事の恋。
そして被害者の夫が見せた真実の愛とは。

ぱっと見推理物なのかと思ったんですが、完全完璧最初から最後までメロドラマ的恋愛話でした。
ちょっと想像していたのと違ったのですが、役者陣のかっこよさでおつりが来る感じです。
向こうの人はとにかく女の人が積極的で、これは「恋愛をしない」方向にも影響するのですが、ドアを開けて話したり、それなのに思わせぶりな話をしたり、けれど結婚相手がいたりと、女のアプローチが男と違ってさばさばしすぎているので、嫌味がない感じです。
お前どうしたいんだよ、と女にツッコミたいのは山々なのですが、その分男もどうしたいんだと男のうじうじさも際立っているので、バランスが取れていてちょうどいいというか。
そして、女の方がインテリで上司。男は高卒のたたき上げの部下っていう関係もなんかこう、報われなさがあっていいんですよね。
「私は貴方の上司で、貴方は部下なの。私を無視しないで」
とか、一度言ってみたいなあ!

男はひげ面の、濃い以外形容できない顔でこれまた典型的なアルゼンチン人。月日が二十五年にもわたっているので、若い頃と年をとってから両方の素顔が描かれるのですが、個人的には程よくすすけた年齢になった顔の方がやわらかくて好みでした。
とにかく濃すぎるんだもん顔が。
そして、男には酒びたりの友人がいます。
職場の同僚で、気の置けない友人で、すべて協力してくれる頼るべき相棒なのに、それなのに酒におぼれていて人生を踏み外している。
そんな奴と、犯人の家を探り、危ない橋を渡り、その友人は最後に「自分の名」を名乗る。
そして、男は女と別れ、二十五年が過ぎる。
ある種、友人の行動と結果こそが、男と女を別れされる転機になったのですが、それは致し方のないことなのでした。
そして、二十五年後、暴行されて殺された女性の夫の「真実の愛」を目の当たりにして、男はついにかつての上司であり、今も愛する女の元へ向かうのだった。

ネタバレしちゃうとさすがに面白くない………というほど、推理ドラマに特化しているわけではなく、あくまで男と女の恋愛話なので、サスペンス要素は二の次だと思ってください。けれど、男が最後に女との関係を始めるために決意を固めるのは、被害者の夫のもたらした「行動」であり、それは二十五年前と変わらぬ「情熱」から生まれた愛情であり、それは傍から見ると「狂気」とも呼べるものだった、というのはある意味健全な男と女の関係とは真逆の愛で、非情に「サスペンス」映画でした。でもやっぱりメロドラマだな、これは。

新宿では『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』も上映されるようなので、これも見たいんですけど、音楽物やドキュメンタリーものは当たりはずれが激しいのでどうしようかな、と。
でも、
タンゴとは、愛、祖国への誇り。
そして人生すべてを捧げた「音楽」(ムジカ)
って年齢を重ねた(重ねるという言葉の響きが好きなんですが)人たちが胸を張って言っていると思うと、それだけで感極まるものがあります。
私は音楽に対して本当に疎いし、頭のてっぺんからつま先まで「才能」が支配する世界に対して畏怖の念もあるので、自分をそこまで表現できてしまう音楽っていう世界はこうそっと傍で覗くくらいがいいのかもしれません。才能にため息というか。
看護師「今日、朝の四時出発で小田原から出社してきたから眠くてさあ」
私「なんでまた小田原から!?」
看護師「実家が小田原なのよ」
私「あ、帰省されてたんですか」
看護師「ううん、旦那と喧嘩して頭来て家出たの」
私「ああ~」
看護師「男としては当たり前のことかもしれないけど、されたら腹立つじゃん!」
「浮気ですか」
看護師「違う、エロ画像見てたの」
私「ああ~」(び、微妙だ)
看護師「それがさあ、こう一枚の裸の姉ちゃんが分割されてて、金払うとその画像がめくれていく、みたいな仕組みなんだけど」
私「ああ~」(有料のエロサイトなんか見ちゃってるのか。今タダだっていくらでもエロ動画なんてあるだろうに)
看護師「私が気づいた時点で、あと顔だけって状態になってて、しかもだよ! 金額三万越えしてたんだよ!」
「三万!?」
看護師「私もう絶対許さない! でも子供連れて小田原は辛いし、ああ~誰か泊めてくれないかなあ」

実家に戻る前の住まいなら、二間あったんで泊まってもらっても良かったんですが、今は実家なので苦笑いするしかありませんでした。
私が職場の同僚から聞いた夫婦喧嘩で一番ツボだったのは、奥さんが喧嘩の果てに、振り下ろしたおたまが、旦那のスネに突き刺さったという話でした。凄すぎる。




『キャデラックレコード』
最近、『パイレーツロック』といい、音楽に詳しくなくとも楽しめる音楽映画に非常に当たりが多かったので、借りてみました。
結論から言うと、これは音楽映画じゃないですね。
阿呆な連中が、自分で身を持ち崩していく映画でした。それなのに脚本がイマイチで、変な恋愛模様とか出てきちゃったのでおかしくなっちゃった感じです。
音楽に詳しくない私は、トップチャートに上り詰めていても知らない音楽の方が多いわけです。
この映画に使われている曲は、舞台上での演出などがない、黒人音楽なのでそれを聞く分には劇的な演出がないわけです。
故に、それを奏でる人物の個性を掘り下げる必要があるのはわかるんですが、それにしても、出てくる人物全員破滅的すぎます。
稼いだ金は一切身につかないし、高い高級車にスーツを無法に乗り回し、片手に酒瓶、片手にドラッグ。
無理して家を買い、一度無理して上げた水準を下げることが出来ず、ローンの返済に追われて、子供の教育費も友人の葬式代も出せない。
これが、自分の努力でどうにもできない理由でどんどん追い詰められていくのなら、こちらもそこからのハングリー精神に敬意を表する(その結果生み出される音楽は素晴らしい)んですが、ただ自分がバカなだけなんだもん。
そりゃ、車の横側全部ない(本当にない)キャデラックで走っていれば、おまわりさんも見咎めるっちゅーねん。その結果、ボッコボコになって音楽を生み出せなくなっても、それは自業自得というか。
そんな、互いに墜ちていくばかりの連中に、オーナーの白人男性と、黒人と白人の間に生まれた女性とのラブロマンスまで挟んじゃって、こっちはもう、安っぽい昼ドラ見ている気分でした。
様々な環境から生み出された音楽は素晴らしい。この音楽をもっと聴いていたい。この音楽を生み出した人物をもっと見ていたい。
これが、音楽映画の醍醐味だと思うんですが(例えその過程が辛いものだとしても)、この作品にはそれがありませんでした。


『グッド・バッド・ウィアード』
何処を切り取ってもエロい男たちの競演。
なんああなんなななななななな!(錯乱)
「バッド」ポジションの、イ・ビョンホンの凄い腹筋。この人、あんな悪な演技できるんですね。私韓国の俳優さんとか、韓流ドラマとか本当に一切知らない(ひとつも見たことがない)んで、イメージとして柔らかな二枚目っていうものしか持っていなかったんですが、ブラックジャックみたいな髪形をして、平気で人を撃ち殺し、ナイフで指を切り落とそうとする、真っ黒なスーツに白シャツを着た都会派マフィアにゾッコンでした。なんだよあのウェスト! 細すぎんだろ!
冷静に考えると、あれだけ筋肉ついてて(割れに割れまくった腹筋)細いわけがないんですが、出るとこは出て、ひっこむべきところはひっこんでいる、均整の取れた体つきだと、細く見えるんですよね。超不思議。

これは、「グッド」ポジションの、チョン・ウソンもそうで、完全にカウボーイスタイルを身にまとい、ロングコートをひっさげ、編み上げブーツの紐もきつく、ショットガンを構えるイケメンガンマンの体つきの細さといったら! この細い体で宙を飛びながらガンアクションですよ! 足の長さに思わず悲鳴。いわゆる二枚目ポジションの二人が、きちんとロングコートを着ているところに、わかってるこだわりを見ました。

そして、その二人と対極をなす「ウィアード」のソン・ガンホもまた素晴らしい! デブチビオヤジで薄汚いヒゲを生やし、小さな二挺拳銃でこっけいに立ち居振舞うさまは、さすが吹き替え堀内賢勇と思わずにはいられません。人情家で争いごとに渋々巻き込まれる立場なのですが、それでも彼も真っ当ではないので、降りかかる火の粉は実力で払える力があるのがたまりません。
だからこそ誰もが、「ユン・テグ(ソン・ガンホ)には関わるな。彼が最強だ」と口を揃えて言うのです。

物語が始まると同時に、大陸を横断する蒸気機関車に、疾走する馬。荒野の荒くれ者どものが銃をぶっ放し、派手なアクションに血なまぐさい拷問に、どこか抜けた親分子分。
見せ場を詰め込むだけ詰め込んだ、実に痛快な娯楽作品でした。
二枚目成分の補充はこの一策だけで十分だ、と思えるほどに、イ・ビョンホンが男前で参ります。様式美のかたまりみたいな映画だった。
最後に、堀内賢勇吹き替えには意味があったことがわかるので、それだけでも満足でした。さすがケンユウさんだぜ!
『トイストーリー3』『借りぐらしのアリエッティ』を見ました。
ネタバレ含みますので、自己責任において閲覧ください。
簡単に言うと、アリエッティはキツい。トイストーリーは最高でした。






結論から言うと、映画としての完成度や面白さは、トイストーリーの圧勝。というか、私借りぐらしは、開始十分と、最後のエンドロール以外全く面白くなかったです。あまりのつまらなさに、途中退席してしまおうかとすら思いました。
宮崎アニメって、昔はどうかわかりませんが、最近の映画は脚本破綻していて当たり前なので、結局何を目当てに行くかと言うと、絵になってしまうわけです。キャラ造形しかり、動画しかり、演出しかり。
アリエッティは小人で、人間の住まいにひっそりと隠れ住んでいるので、角砂糖一つ借りに行くのも、大変な冒険になります。開始十分は、小人から見た世界が如何に大きなものか。その大きな世界で小さな人は、どうやって工夫して暮らしているのか、が生き生きと描かれ、それはとても見ごたえがあります。
ただ、アリエッティが「よく動く」だけでは、それはいい作品ではないのです。その動きに、魅せる力がなければ、どれだけ動画の枚数が多かろうが、結局は同じ。
私は何気に『ハウルの動く城』が好きなんですが、あれは脚本はそれなりに意味不明であっても、ハウルの動きに魅力がありました。同じ開始十分でも、ハウルがソフィを抱えて空を歩き、颯爽と飛び降りて去っていく様で、もう私の心臓はわしづかみされたも同然。そんな魅力のある映像が、正直アリエッティからはあまり感じ取れなかったのです。映像的な見所が感性に合ったとしても、それは開始早々終わってしまうのも残念ですし。

そして演出のキモである、アリエッティの『借り』(狩り)が終わってしまうと、後はもう微妙な物語が続くとしか。
病弱な翔君が、妙に斜に構えてて(反転)
「人口は六十億人いる。絶滅した種族もいっぱいいる。君たちもそうなる」
とか始まったときには、「宮崎アニメにも厨二病の波が押し寄せてきたのか…」と、顔面がひきつりました。

心臓病の手術を控えているんだけど、(反転)世を儚んでいて、ついアリエッティに辛く当たってしまった、ってところなんですが、何もこんな演出しなくても…というか。だからお前、やることなすこと全部裏目に出てんだよ! 普通他人の家の天井はがして、勝手にリフォームしないだろう!?

まあ、ロマンチストな青少年のやることだからなあ…と、翔君の暴走はまだ許容範囲だったんですが、おハルさんっていうお手伝いさんの性質の悪さには、胸やけがしました。何が凄いって、(反転)小人を閉じ込めて他にも捕まえたいってネズミ取りの業者を呼んじゃうような行動全部で、笑っていた他のお客さんがいたってことでしょうか。…わからない…。あの一連の行動で笑える人の感性が…。

『となりのトトロ』のように、小さな世界で起こる出来事なんですが、誰も胸糞悪い人がいなくても、トトロは物語として成立していたのに、今回は胸糞悪い人(悪役)が誰もいないって物語を作るうえでかなり辛いんだなあ、とそっちばかりが気になりました。

(反転)スピラーっていう、アリエッティの家族以外の小人が、デフォルトヒーローでよかったんじゃないかなあ、普通に、とEDロールを見ながら思う始末。

EDロールは良かったです。
(反転)おそらく自分の周りに同じ年頃の女の子がいなかったスピラーが、アリエッティに対して不器用に木の実をあげて、嬉しそうにする様とか、甘酸っぱくてたまりませんでした。さつきちゃんと、カン太君だよなーこの二人だったら。
それこそ、翔君にあたるキャラクターの性格が、スピラーだったら物語に入り込めたのになあ。

見所といえば、心臓病を患って静養に来ている翔君の美しさくらいでしょうか。逐一美少年で困ります。つかまれている襟首までもが美しい。
最近のジブリは少年の美しさに気合入ってますね。美少女はもう飽きたんでしょうか。

網戸越しの会話とか、アリエッティとの報われない関係は、いっそ「恋」にしてしまったほうが、別れの切なさに感情移入できたかもしれません。
これ、(反転)肝心の別離のシーンで、「君は僕の心臓だ。絶対に忘れない」とか始まるよりも、「君のことが好きだよ。絶対に忘れない」のほうが、あの二人の関係としては真っ当に思えました。
小人の掟に遵守するのは、アリエッティの両親がちゃんといるわけですしね(宮崎アニメにしてはまれに見る頼れるお父さんであった…)




で、『トイストーリー3』なんですが、最高でした。
アニメだと侮るなかれ。何気に、1も2もかなりの良作なんですが、一連のシリーズにちゃんと大団円な結末をもってきただけでも大したものなのに、動きから演出に至るまで見所満載です。

おもちゃたちの持ち主、アンディは大学に進学することになり、おもちゃたちは、屋根裏にしまわれるはずだったのが、悪のクマのぬいぐるみに支配されてしまった保育園においやられてしまう。果たして、彼らはそこから脱出できるのか。そして、アンディとおもちゃたちは如何なる関係になっていくのか。

テーマとしては切なさ満載です。
おもちゃたちは、自分が捨てられることに悲しみはするけども、自分が「玩具」であることを自覚している。だから、別れること事態は納得できる。ただ、自分がおもちゃとして、新しい主の下で共に遊べる存在でありたい。持ち主が自分を必要としないのであれば、自分の居場所は自分で見つけるしかない。
これがおもちゃ視点で語られるので、見ている側はもう、「おもちゃを何で捨てるんだよ!」と、アンディの行動に腹を立て、おもちゃたちの行く末や、結末に胸を痛める始末。もう、心底ドキドキします。おもちゃたちが健気に生きようとする様は、感動なしでは見られません。

そして、寄付された保育園で、年少組に乱暴な扱いをされた彼らの前に、保育園を牛耳るクマのぬいぐるみが現れます。
ここも、「乱暴に扱う子供が悪い」のではなく、「あの子達は自分たちと遊ぶにはまだ幼すぎる」と、普段全く意識しない、おもちゃの適正年齢まで出てきて、脚本の良さにびっくりです。
あくまで、おもちゃ基準のものの見方が、こうも人間の見方と違うか、というか。

テディベアのロッツォも、自分以外のおもちゃを虐げて、己の王国を作り上げている悪者なのですが、彼にも彼なりの事情があります。
(反転)とても仲良くしていたかつての持ち主とはぐれ、そして必死な思いで戻った(もう涙なくしては見られない)ときには、もう既に彼と全く同じぬいぐるみが買い与えられていたのです。勿論持ち主の女の子に悪気はない。多分、ロッツォではないこともわかっていない。けれど、ロッツォはその姿を見て絶望します。
ここにはもう自分の居場所ではない。自分の居場所は自分で決める。

そして、作り上げた王国に、アンディに愛されたおもちゃたちがやってくる。別にロッツォは他のおもちゃを憎んでいるわけではないけれど、自分にはむかい、よりにもよって人間の下に帰ろうとするおもちゃたちは許せない。

けれどアンディのおもちゃたちは、必死に帰ろうとします。アンディが待っている。たとえ自分たちがもう必要とされなくても。行き先が屋根裏にしまわれたダンボールであっても。

そして、アンディが最後に取った行動とは。
おもちゃたちは、自分たちの生きる世界をどうやって選び、何をもってしておもちゃとして幸せになるのか。
あくまで、アンディのおもちゃとして屋根裏で過ごすのか、それとも、別の生き方を選ぶのか。

普通に映画館で泣きました。泣き所山ほどあります。
(反転)ロッツォの過去で泣き、おもちゃたちの懸命なシーンで泣き、焼却炉でつなぎ合う手に泣き、そしてラストではひたすら号泣。

山あり谷あり、笑いあり(ちゃんと随所にあります)涙ありと、見事に詰め込まれた上で破綻せずに見せきった良作です。二時間くらいあるのですが、本当にあっという間でした。静も動も、全部に見所があります。

奇しくも、人間の世界から人間ではないものが脱出する、という、アリエッティにも似た動きを見ることができるんですが、それも圧倒的にこちらの方が見ごたえありです。人間ではない、おもちゃたちが、それぞれの能力を生かして、保育園から脱走するシーンは、おもちゃたちの創意工夫があちこちに見られて、ため息物です。
今年の夏はこの一本でもいいくらいなんじゃないか、というくらいお勧め。底辺に流れるテーマは明るいものではないのですが、それでも懸命に生きようとする姿がこうも美しいか、応援したくなるか、と、見ている側が真っ当な気持ちになれる映画でした。

私これ、3Dで見た(全部そうなのかな?)んですが、ぶっちゃけ、3D勘弁して欲しいです。
もう目が疲れること疲れること。3Dって飛び出す部分というか、見せたい部分にこちらの意思お構いなく、強制的に視点合っちゃう(合わなきゃ3Dじゃない)ので、正直長時間見るのは本当に辛いです。売りである3Dも人間ってのは恐ろしいもので、二時間の間でそれに慣れちゃうんですよね。だから正直、見ていて集中しちゃうと特に、飛び出てこようがなんだろうが、そんなもん意識しなくなっちゃうわけですよ。
でも目は勝手に酷使されちゃうので、見ている途中と、終わった後がキツイことこの上ないです。
今後、3D上映ますます増えてきそうなんですが、個人的には半々くらいの上映率にしてもらいたい…。しかも、『トイストーリー3』なんて、3Dであるかどうかなんて、映画の優劣に全く関係していない良作だったのに、逆に勿体無い感じすらしました。
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