『チーム・バチスタの栄光』
途中で眠りそうになりました。
つまらなくはないんだけど、物語が盛り上がるのが遅すぎるというか。
いくらなんでも、診療内科医だからといって田口は医者として物を知らなさすぎで、微妙な気持ちになりました。
癒し系とかぎすぎすした感じではない人物を出して、人の生き死にに直接関わる面々との対比にしたかったのかもしれませんが、血みどろの現場にいようがいまいが、医者は医者であって。
阿部演じる白鳥も、別にいなきゃいないで良かったんじゃないかなあ、とか色々登場人物に共感できない映画でした。
『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』
元ネタを全く知らないんですが、ミュージカル作品としては佳作かなあ。
実際高校生たちが舞台の上で作品として歌って踊っているシーンとか、荒唐無稽な妄想のダンスとかは見ていて凄く楽しいんですが、現実世界での心情吐露、まあつまりラブシーンになると、どうでもいいっていうか。
これ、天下の名作『ウェストサイド・ストーリー』でもそう感じたので、私の好みだと思います。
歌って踊るシーンは楽しいんですが、そこにはノリがあればよく、メッセージ性が強ければ強いほどしらけるというか、乗り切れないというか。
そういうシーンに限って、現実世界との延長で歌や踊りが始まるものだから、余計にそう感じるのかもしれません。
しかし、主役もそうですが出てくる登場人物たちの顔が全員微妙。
ハンサムとか、美女とかはともかくとして、なんかこう、日本人受けしない感じの顔だなあ、というか。
ザック・エフロンは『ヘアスプレー』のときも思ったのですが、ちょっと二枚目と呼ぶには青臭すぎるというか、なんというか。
双子弟の子が一番万人受けしそうだなあ。
高校生が、高校を舞台にして、ハイティーンらしいダンスを披露する『ヘアスプレー』と、高校生がちっとも高校生らしくないダンスを披露する今作では、前者のほうがより好みでした。
高校生「らしくない」のであれば、それこそプロフェッショナルな「大人」のダンスシーンのほうが楽しいし。
途中で眠りそうになりました。
つまらなくはないんだけど、物語が盛り上がるのが遅すぎるというか。
いくらなんでも、診療内科医だからといって田口は医者として物を知らなさすぎで、微妙な気持ちになりました。
癒し系とかぎすぎすした感じではない人物を出して、人の生き死にに直接関わる面々との対比にしたかったのかもしれませんが、血みどろの現場にいようがいまいが、医者は医者であって。
阿部演じる白鳥も、別にいなきゃいないで良かったんじゃないかなあ、とか色々登場人物に共感できない映画でした。
『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』
元ネタを全く知らないんですが、ミュージカル作品としては佳作かなあ。
実際高校生たちが舞台の上で作品として歌って踊っているシーンとか、荒唐無稽な妄想のダンスとかは見ていて凄く楽しいんですが、現実世界での心情吐露、まあつまりラブシーンになると、どうでもいいっていうか。
これ、天下の名作『ウェストサイド・ストーリー』でもそう感じたので、私の好みだと思います。
歌って踊るシーンは楽しいんですが、そこにはノリがあればよく、メッセージ性が強ければ強いほどしらけるというか、乗り切れないというか。
そういうシーンに限って、現実世界との延長で歌や踊りが始まるものだから、余計にそう感じるのかもしれません。
しかし、主役もそうですが出てくる登場人物たちの顔が全員微妙。
ハンサムとか、美女とかはともかくとして、なんかこう、日本人受けしない感じの顔だなあ、というか。
ザック・エフロンは『ヘアスプレー』のときも思ったのですが、ちょっと二枚目と呼ぶには青臭すぎるというか、なんというか。
双子弟の子が一番万人受けしそうだなあ。
高校生が、高校を舞台にして、ハイティーンらしいダンスを披露する『ヘアスプレー』と、高校生がちっとも高校生らしくないダンスを披露する今作では、前者のほうがより好みでした。
高校生「らしくない」のであれば、それこそプロフェッショナルな「大人」のダンスシーンのほうが楽しいし。
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『サマーウォーズ』公式サイト
見る前は、「少し不思議なご近所SFかあ」と思って、あまりいい印象がなかったのですが、SF要素はミジンコほどもありませんでした。
何でそんな印象持っちゃったんだろう。電脳世界が舞台だと、いきなり胡散臭くなるからだろうか。
非常に面白かったです。
電脳世界が舞台だと、所詮バーチャルなのに何右往左往してるんだと思うこともしばしなのですが(そのバーチャルが如何に当人にとって精神的に大事であるかどうかなど、こちら側には関係ないため)電脳世界のAIの暴走のために、実際に世界全てが危機に陥れば話は別。
それに、それぞれが出来うる方法で立ち向かう、という正統派の物語でした。
細かな表情や、動き一つとっても登場人物たちが生き生きと動き、見ていて凄く楽しめます。
人間描写もそうですが、それぞれが持つアバター(仮想空間での自分の分身)がとても個性的で、性格に見合ったものもあれば、逆に意外なものもあり、で、デザインひとつ見ているだけでも非常に楽しめます。
大勢でごちゃ、っと出てくるものですから、どれが誰のアバターだか判別できず、そのためだけにパンフレット買いました。
いや、実際はキャラクター紹介(アバター紹介)くらいしか、パンフレットも見るもんなかったんだけど。
結果としては地球規模の問題になりますが、立ち向かうのはひとつの家族。
一人の少年に、一人の少女。
ひねくれて育った大人に、かつてはいじめられていた少年。
それぞれがそれぞれに、なすべきことをなした後味のいい物語でした。
やっぱり、家族モノはどれだけ中身がどろどろしていても、最後はハッピーエンドにならないと。
オチや、最後の直接対決に意外性はないものの、映像の迫力と演出とあいまって、高揚感が半端なかったです。
「こいこい!」
「こいこい!」
「こいこい!」
と、花札のスピード感と、緊張感の上にもたらされる勝利は、見ている側も熱狂できます。
戦闘シーンもすばらしいですが、基本的には、年老いたものは若い者を導き、そして、去るという人生で当たり前の流れを踏まえている物語です。
年老いたものには、経験がある。それによって助言をすることもできる。けれど、それを受けて実行するのは、後を走る若い者たちである。
人は年老いて、そしていつかこの世界を去るときに、どれだけのものを残せるのか。また残さずにいられるのか。
ただしい世代交代の形が、さわやかに演出されて、泣けますが、あざといお涙頂戴でなかったのがいいですね。
しかし、ヒロイン、カズマだよね。
いや、最初私疑うことなくあの子女の子だと思ってたよ! じいちゃんを師匠と呼んだり、母親と生まれてくる妹を守ろうとしたりとか、どれだけピュアっ子なのお前!
そして、おばあちゃんと侘助もこれ、どれだけカップリングなのかと! 最後にちゃんとボロボロの車で駆けつけるのが、侘助の純粋さだよなあ。今時の登場人物なら、あのまま来ないとか来ても理屈こねたりしそうだし。
地味に、長男一家の三兄弟も凄く萌えました。日焼けした外見もそうですが、全員家庭持ちで、消防やレスキュー関係の仕事をしていて、ピンチになったら頼りがいがあって、と、お前ら完璧じゃんよ!
現実的な出番は殆どないんですが(苦笑)キャラクターのルックスだけで、凄く満足できました。
理一さんとかも、貴方一体自衛隊の何処所属なんですか………! 萌える………!
細かいところですが、爆風が吹いてくるときに、自分の体をたてにして覆いかぶさる、という動作凄く萌えます。
大好物です。この家族は女系家族なわりには、男どもが全員この行動を取るので、本当に侮れないぜ………!
主人公とヒロインも別に目立っていないわけじゃないんですが、あくまで家族群像の中での物語ということで、変に目立っていなくて良かったのではないかと。
弱々しいながらも言うべきことは言う主人公。
その姿を見て奮起するヒロイン。
王道ですが、可愛いしかっこいいです。
登場人物も人間であっても、アニメである以上二次元であり、三次元ではありえない表情のゆがみや、照れて触れた指先から顔までピンク色になる、というようなアニメ的な演出も、良かったです。
こういう、実際にはありえない人間の演出は、アニメならではのものなので、これが上手く世界観に結合していると、その作品の質は凄く高く感じられます。
仮想空間も含め、絵的にも非常に見所満載のいい映画でした。
色々な好みや、角度から見ても楽しめると思います。
見る前は、「少し不思議なご近所SFかあ」と思って、あまりいい印象がなかったのですが、SF要素はミジンコほどもありませんでした。
何でそんな印象持っちゃったんだろう。電脳世界が舞台だと、いきなり胡散臭くなるからだろうか。
非常に面白かったです。
電脳世界が舞台だと、所詮バーチャルなのに何右往左往してるんだと思うこともしばしなのですが(そのバーチャルが如何に当人にとって精神的に大事であるかどうかなど、こちら側には関係ないため)電脳世界のAIの暴走のために、実際に世界全てが危機に陥れば話は別。
それに、それぞれが出来うる方法で立ち向かう、という正統派の物語でした。
細かな表情や、動き一つとっても登場人物たちが生き生きと動き、見ていて凄く楽しめます。
人間描写もそうですが、それぞれが持つアバター(仮想空間での自分の分身)がとても個性的で、性格に見合ったものもあれば、逆に意外なものもあり、で、デザインひとつ見ているだけでも非常に楽しめます。
大勢でごちゃ、っと出てくるものですから、どれが誰のアバターだか判別できず、そのためだけにパンフレット買いました。
いや、実際はキャラクター紹介(アバター紹介)くらいしか、パンフレットも見るもんなかったんだけど。
結果としては地球規模の問題になりますが、立ち向かうのはひとつの家族。
一人の少年に、一人の少女。
ひねくれて育った大人に、かつてはいじめられていた少年。
それぞれがそれぞれに、なすべきことをなした後味のいい物語でした。
やっぱり、家族モノはどれだけ中身がどろどろしていても、最後はハッピーエンドにならないと。
オチや、最後の直接対決に意外性はないものの、映像の迫力と演出とあいまって、高揚感が半端なかったです。
「こいこい!」
「こいこい!」
「こいこい!」
と、花札のスピード感と、緊張感の上にもたらされる勝利は、見ている側も熱狂できます。
戦闘シーンもすばらしいですが、基本的には、年老いたものは若い者を導き、そして、去るという人生で当たり前の流れを踏まえている物語です。
年老いたものには、経験がある。それによって助言をすることもできる。けれど、それを受けて実行するのは、後を走る若い者たちである。
人は年老いて、そしていつかこの世界を去るときに、どれだけのものを残せるのか。また残さずにいられるのか。
ただしい世代交代の形が、さわやかに演出されて、泣けますが、あざといお涙頂戴でなかったのがいいですね。
しかし、ヒロイン、カズマだよね。
いや、最初私疑うことなくあの子女の子だと思ってたよ! じいちゃんを師匠と呼んだり、母親と生まれてくる妹を守ろうとしたりとか、どれだけピュアっ子なのお前!
そして、おばあちゃんと侘助もこれ、どれだけカップリングなのかと! 最後にちゃんとボロボロの車で駆けつけるのが、侘助の純粋さだよなあ。今時の登場人物なら、あのまま来ないとか来ても理屈こねたりしそうだし。
地味に、長男一家の三兄弟も凄く萌えました。日焼けした外見もそうですが、全員家庭持ちで、消防やレスキュー関係の仕事をしていて、ピンチになったら頼りがいがあって、と、お前ら完璧じゃんよ!
現実的な出番は殆どないんですが(苦笑)キャラクターのルックスだけで、凄く満足できました。
理一さんとかも、貴方一体自衛隊の何処所属なんですか………! 萌える………!
細かいところですが、爆風が吹いてくるときに、自分の体をたてにして覆いかぶさる、という動作凄く萌えます。
大好物です。この家族は女系家族なわりには、男どもが全員この行動を取るので、本当に侮れないぜ………!
主人公とヒロインも別に目立っていないわけじゃないんですが、あくまで家族群像の中での物語ということで、変に目立っていなくて良かったのではないかと。
弱々しいながらも言うべきことは言う主人公。
その姿を見て奮起するヒロイン。
王道ですが、可愛いしかっこいいです。
登場人物も人間であっても、アニメである以上二次元であり、三次元ではありえない表情のゆがみや、照れて触れた指先から顔までピンク色になる、というようなアニメ的な演出も、良かったです。
こういう、実際にはありえない人間の演出は、アニメならではのものなので、これが上手く世界観に結合していると、その作品の質は凄く高く感じられます。
仮想空間も含め、絵的にも非常に見所満載のいい映画でした。
色々な好みや、角度から見ても楽しめると思います。
『人生に乾杯!』
銀座で見てきました。
物語としては、老夫婦が金に困り銀行強盗を繰り返す、といういたってシンプルなもので、物語紹介にあるような、世相がどうのとか、民衆を巻き込んでというような社会派な作品ではありません。
可愛いじいさんと、可愛いばあさんの、二人の逃避行。
そこに関わる人間たちのおしゃれな会話を楽しむ、シンプルな映画でとてもよかったです。
なんと、ハンガリー映画。
私の中で、ハンガリーって何処ですかというくらいの知識しかないのですが、物語背景としては、わかならくても大丈夫かな、という印象です。
共産主義者の運転手をしているエミルは、情報によってある屋敷の捜査を行っていた。
突如屋根裏から落っこちてきた若い娘。
その娘が震えながら差し出したダイヤモンドのピアス。
彼はとっさに娘を庇い、軍の手から逃がしてやる。
それから五十余年。
家賃も払えず、借金取りから隠れるために、しゃがみこんだまま動けなくなるエミルがいた。
神経痛に悩まされるエミルに、糖尿病を患う妻のヘディ。
「お前が育てている観葉植物のライト代がかかるんだ」
「貴方だって夜遅くまで本を読んで灯りをつけているじゃないの」
「俺が十五年間、なんのために夜遅くまで起きていると思ってるんだ」
「貴方の車を売ればいいのよ」
「お前のダイヤのピアスを売ればいいんだ」
「私の最後の誇りを売れと?」
実はこの前に、クイズ番組を見て楽しんでいるヘディに、エミルがやってきて、無言で時計を指す、というシーンがあるのです。
これは、ヘディの糖尿病のインシュリンの時間なのです。
きっかけを映像で、繋がるものは会話で、という見せ方が凄くおしゃれです。
借金のためについに電気は止められ、暗闇の中で生活する二人の下に、執政官が訪れる。
エミルの本を差し押さえようとする執政官に、ヘディはピアスを差し出す。
「ダイヤモンドよ」
本は残り、ピアスは持ち去られた。
その様子を見て、駐車場に止められている車を見るエミル。
隣の車からガソリンをこっそり抜き出し、エミルは古いトカレフを持って、郵便局へ出かけた。
「お嬢さん、この袋に有り金全部入れてもらいたい。大丈夫、緊張しないでもいい。わしだって初めてなんだ。心配しないでいい」
そう言いながら、背後の年配の婦人にも気を遣うエミル。
「お待たせしてすみません」
「年寄りに急ぐ理由なんてないわよ」
こうして、エミルは金を手に入れた。
そのまま家には帰らず、強盗を繰り返すエミル。
ヘディの元に警官が訪れ、捜査協力を依頼する。
「万が一、ご主人の手が震えて銃を」
「主人の手は震えてなんかいないわ」
エミルの指定した石切り場で、二人は出会った。
「お前に会いたくなるなんて思わなかった」
そう言って抱き合う二人。
まだやることがある、そう言いあって愛車、チャイカで逃げ出し、彼らは強盗を重ねた。
銀行を狙うも、たまたま誰もおらず、
「どなたかいませんか! 強盗ですが!」
「誰もいないわ。きっとお昼休みなのよ」
「仮にも人の金を預かっているものが、あんな無用心でいいのか」
腹を立てながら、エミルは思い出したように言った。
「あと一つ、取り戻さねばならないものがある」
かつて自分を密告した宝石商の元に、エミルは向かう。
ヘディの手に渡されたのは、借金のかたに取られたものと同じ型のピアスだった。
金を手にいれた二人は、ホテルで過ごし、ヘディは新しい服を買う。
「神に誓って世界で一番美しい」
「神なんて軽々しく言わないで。信じていないくせに」
微笑み会う二人。
だが、そこにも警察が現れ、咄嗟のことで二人はその場を逃げ出す。
逃避行の中で、女性警察を人質にとり、彼らは若くして亡くなった息子の墓参りをすませた。
「わしらがなんのために、こういうことをしていると思っているのかね?」
怪我の手当てをしながら、ヘディは警察官の腹を撫でた。
「大事にしなさい。世界で一番大切なものよ」
彼らは、警察官を解放する。
「何故?」
「わしらの未来に君は必要ないからだ」
手を握り合って、チャイカに乗り込む二人を見送る警察官。
彼らはそのまま、非常線をはった警察車両につっこみ、チャイカは爆発炎上した。
とにかく、出てくるキャラクターたちの会話が凄く魅力的でした。
詳しく書きませんでしたが、警察側にもドラマがあり、おしゃれな会話がいっぱいあります。
要所要所に出てくる、老夫婦の会話がとにかくおしゃれで。
ホテルで誕生祝をするときも、
「君の70歳-一日の誕生日だ」
と、エミルがヘディの片手を自分の両手で包み込むようにして、キスをしたときは、倒れました。
西洋人のスキンシップは、かくもこう色っぽいか………!
妻・ヘディ役の役者さんがとにかく美人で。
ああいう歳の取り方カッコイイなあ、としみじみ思いました。
わりと長めですが、気にならない秀作です。
ラストに関しては(記述しておりません)「そうね」と思うか「いやそれは違うんじゃないか」と思うかは人それぞれですし、大体は肯定されると思うんですが、個人的には操作的にそれは無理がある、と正直思いました。
楽しいんですが、根底にある歳経たものの切なさや、先の見えなさがどうしてもあって、それに愛情が絡まってくると、余計に物悲しくなるような映画でした。
銀座で見てきました。
物語としては、老夫婦が金に困り銀行強盗を繰り返す、といういたってシンプルなもので、物語紹介にあるような、世相がどうのとか、民衆を巻き込んでというような社会派な作品ではありません。
可愛いじいさんと、可愛いばあさんの、二人の逃避行。
そこに関わる人間たちのおしゃれな会話を楽しむ、シンプルな映画でとてもよかったです。
なんと、ハンガリー映画。
私の中で、ハンガリーって何処ですかというくらいの知識しかないのですが、物語背景としては、わかならくても大丈夫かな、という印象です。
共産主義者の運転手をしているエミルは、情報によってある屋敷の捜査を行っていた。
突如屋根裏から落っこちてきた若い娘。
その娘が震えながら差し出したダイヤモンドのピアス。
彼はとっさに娘を庇い、軍の手から逃がしてやる。
それから五十余年。
家賃も払えず、借金取りから隠れるために、しゃがみこんだまま動けなくなるエミルがいた。
神経痛に悩まされるエミルに、糖尿病を患う妻のヘディ。
「お前が育てている観葉植物のライト代がかかるんだ」
「貴方だって夜遅くまで本を読んで灯りをつけているじゃないの」
「俺が十五年間、なんのために夜遅くまで起きていると思ってるんだ」
「貴方の車を売ればいいのよ」
「お前のダイヤのピアスを売ればいいんだ」
「私の最後の誇りを売れと?」
実はこの前に、クイズ番組を見て楽しんでいるヘディに、エミルがやってきて、無言で時計を指す、というシーンがあるのです。
これは、ヘディの糖尿病のインシュリンの時間なのです。
きっかけを映像で、繋がるものは会話で、という見せ方が凄くおしゃれです。
借金のためについに電気は止められ、暗闇の中で生活する二人の下に、執政官が訪れる。
エミルの本を差し押さえようとする執政官に、ヘディはピアスを差し出す。
「ダイヤモンドよ」
本は残り、ピアスは持ち去られた。
その様子を見て、駐車場に止められている車を見るエミル。
隣の車からガソリンをこっそり抜き出し、エミルは古いトカレフを持って、郵便局へ出かけた。
「お嬢さん、この袋に有り金全部入れてもらいたい。大丈夫、緊張しないでもいい。わしだって初めてなんだ。心配しないでいい」
そう言いながら、背後の年配の婦人にも気を遣うエミル。
「お待たせしてすみません」
「年寄りに急ぐ理由なんてないわよ」
こうして、エミルは金を手に入れた。
そのまま家には帰らず、強盗を繰り返すエミル。
ヘディの元に警官が訪れ、捜査協力を依頼する。
「万が一、ご主人の手が震えて銃を」
「主人の手は震えてなんかいないわ」
エミルの指定した石切り場で、二人は出会った。
「お前に会いたくなるなんて思わなかった」
そう言って抱き合う二人。
まだやることがある、そう言いあって愛車、チャイカで逃げ出し、彼らは強盗を重ねた。
銀行を狙うも、たまたま誰もおらず、
「どなたかいませんか! 強盗ですが!」
「誰もいないわ。きっとお昼休みなのよ」
「仮にも人の金を預かっているものが、あんな無用心でいいのか」
腹を立てながら、エミルは思い出したように言った。
「あと一つ、取り戻さねばならないものがある」
かつて自分を密告した宝石商の元に、エミルは向かう。
ヘディの手に渡されたのは、借金のかたに取られたものと同じ型のピアスだった。
金を手にいれた二人は、ホテルで過ごし、ヘディは新しい服を買う。
「神に誓って世界で一番美しい」
「神なんて軽々しく言わないで。信じていないくせに」
微笑み会う二人。
だが、そこにも警察が現れ、咄嗟のことで二人はその場を逃げ出す。
逃避行の中で、女性警察を人質にとり、彼らは若くして亡くなった息子の墓参りをすませた。
「わしらがなんのために、こういうことをしていると思っているのかね?」
怪我の手当てをしながら、ヘディは警察官の腹を撫でた。
「大事にしなさい。世界で一番大切なものよ」
彼らは、警察官を解放する。
「何故?」
「わしらの未来に君は必要ないからだ」
手を握り合って、チャイカに乗り込む二人を見送る警察官。
彼らはそのまま、非常線をはった警察車両につっこみ、チャイカは爆発炎上した。
とにかく、出てくるキャラクターたちの会話が凄く魅力的でした。
詳しく書きませんでしたが、警察側にもドラマがあり、おしゃれな会話がいっぱいあります。
要所要所に出てくる、老夫婦の会話がとにかくおしゃれで。
ホテルで誕生祝をするときも、
「君の70歳-一日の誕生日だ」
と、エミルがヘディの片手を自分の両手で包み込むようにして、キスをしたときは、倒れました。
西洋人のスキンシップは、かくもこう色っぽいか………!
妻・ヘディ役の役者さんがとにかく美人で。
ああいう歳の取り方カッコイイなあ、としみじみ思いました。
わりと長めですが、気にならない秀作です。
ラストに関しては(記述しておりません)「そうね」と思うか「いやそれは違うんじゃないか」と思うかは人それぞれですし、大体は肯定されると思うんですが、個人的には操作的にそれは無理がある、と正直思いました。
楽しいんですが、根底にある歳経たものの切なさや、先の見えなさがどうしてもあって、それに愛情が絡まってくると、余計に物悲しくなるような映画でした。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』
すげえ人。
しかも、九割男性。ええー? そんなに男性支持のアニメだったっけ?
思いっきりオタク臭が漂う会話を背後で聞きながらの鑑賞でした。いやあ、エンドロールが流れても誰一人席を立たない辺り、オタク層がアピールされてるなあ。
感想からいえば、わりと普通でした。
序はノスタルジーかつ映像の新化というわかりやすい味付けをされていただけに、「おお、使徒がかっけえ」とか「シンジ君が前向きだ」とか、純粋に楽しめたんですが、演出に関しては別に目新しいものはないかな、という感じでした。
やっぱり何が楽しいかっていうと、耳慣れた音楽が流れたり、見慣れたシーンが出てきて「おお」と思える部分であって、それ以外の部分は、なんていうか普通のアニメなんですな。
アニメ版のキモである、登場人物全員病んでいるみたいな性格もさっくりわかりやすいものに変えられていて、話もそんな感じでした。
シンジはレイを守りたい。レイはシンジをほかほかさせたい。アスカは他人とのふれあいを知った。
そんな中ゲンドウ父たちや、ゼーレの連中が話す、思わせぶりな意味不明言語が逆におかしくって仕方がありません。
少年少女たちの裏で暗躍する大人たち、っていうのは王道でいいんですが、そこに、突如現れるテレビ版テイストっていうのが、凄くちぐはぐな感じがしました。
凄く感じたのが、オタクでもライト層を狙っているというか、オタクじゃない人向けなんだろうなあ、ということです。
病的な部分を省いた話運びもそうですし、選曲も、翼をくださいとか、今日の日はさようなら、とか連続で使われたときには、正直いわゆる厨二病っぽい演出だなあと思いましたし。
ライトユーザーだったら「おお、わざわざここでこんな曲が」と思えるんでしょうが、私のようにただれたオタクから見ると、「クドい!」と思えるほどの演出でした。
クドいというか、如何にも過ぎるというか。
ボーカル曲で、しかもオリジナルではない曲、あえてメジャーな教科書に載っているようなものを多用するのは、ちょっと諸刃ですなあ。
話やキャラクターそのものはもうテレビ版とは別物なんですが、最後にとあるキャラクターが「今度こそ君だけは幸せにする」と言ったときに、一瞬、「これは一種のループ世界なのかな」と思ったり。
いや、その台詞が次で回収されるかどうか知ったことじゃないんですが(放置されてもおかしくないし)、見ていてアニメ版の世界、終わりはそれはそれであったこと。その上であのキャラクターが上記の台詞を言っていたら、これはこれでまた、どうとでもオチがつけられそうだなと。
話そのものは、凄くわかりやすかったので(ボーイミーツガール的な)逆に「序」よりはお勧めかな、と思いました。
『僕のピアノコンチェルト』
原題では、『VITUS』(ヴィトス)という主人公の少年の名前なんですが、そっちのほうが良かった。
確かに彼は神童であり、若くしてピアノの才能をもつ天才なのですが、でもこれは天才として生まれてしまった彼の行き方の話であって、別にピアノが主役なわけじゃないので。
彼は確かにピアノをひくのが天才的に上手いですが、情熱的なまでにピアノを愛するのではなく、彼の生き方の延長線上にピアノがたまたまあった、だからこそ彼自身のアイデンティティとしてピアノが必要だった、という位置づけのような気がしますので、なんだろう、押し出すのは彼の生き方であって、別にピアノそのものじゃないというか。
わかりやすくいえば、別に音楽映画じゃないので。
ピアノ目当てで見る映画じゃないと申しましょうか。
天才少年が抱える悩みや、個性。
それを取り巻く家族や周囲の人々。
期待を寄せる中朴訥にひたすら孫を友人として愛した祖父や、ヴィトスが関わってくる、人間たちの物語でした。
特に、常に支えになっていたおじいちゃんが泣けます。金もない。家も天井が抜けそう。けれど彼はヴィトスに孫と友人というそれ以上を求めないし、彼もそんな祖父を敬愛している。
何事にもつまらなそう、教師を小ばかにするような態度のヴィトスも、祖父と体験するありとあらゆることには、感情をあらわにして喜びます。
天才なのに、事故により凡人になってしまったフリをする彼が、こらえきれずにピアノをひくのも、祖父の家。
勿論祖父はそれを誰にも言いません。彼の生き方を尊重する態度に、愛情ある大人の姿を見ました。泣ける。
個人的には深く感動したわけではありませんが、淡々として、変にお涙頂戴じゃないのが良かったです。
ヴィトスも結構いい性格してますし、脳みそが天才なだけで、性格そのものはちょっとおませな12歳、という感じでした。
スイス映画ということで、周囲の美しい景色と、流れるピアノ演奏は必見。
ちっこい手でどうやって撮影しているのかな、と思いきや、なんと当人が天才ピアニストだそうで。
………才能ってのはもう絶対生まれる前から決まってるよね。
『4分間のピアニスト』
思い題材を詰め込めるだけ詰め込んだけど破綻している、ような映画でした。これこそ音楽を引き合いにだして欲しくないなあ。
殺人の罪で投獄されている少女。
過去にナチスと、同性とかかわりがあった堅物の老女が、少女のピアノの才能に気づき、ピアノをひかせていく。
老女は堅物で己の価値観を少女に押し付ける。
少女は粗暴で看守に暴力をふるい感謝の気持ち一つない。
そんな人間たちが奏でる音楽を、美しいとは私は思えません。
少女の天才ぶりをアピールしたいのか、後ろ手で手錠をつけたままピアノをひいたときは、失笑でした。
天才は、音楽に詳しくない私から見ても美しいと感じられる音色を奏でるから天才なのであり、だからこそ、弾き手の人格が破綻していても許されるのでしょうが、この映画の音にはそれがない。
自分勝手な主張ばかりが前面に出てきて、音楽を題材に選んだ意味がない。
魂のぶつかり合いや、クラシックだけが全てではないと爆発するような表現の音が嫌なのだ、ということではなくそこに、音楽としての魅力が微塵もない時点で、私にとって、主要人物が主張する全てが腹立たしいだけでした。
まあよくもこんだけ、感情移入できない奴らばかり集めたものだなあ、というのが正直な感想です。
個人的には少女の才能云々なんてどうでもよく、一連の刑務所内での経過や、人生は、実際に殺人を犯し、他者に暴力をふるう人間が、自ら招いた結果にしか見えませんでした。
老女もそうです。少女以上に自分のことしか考えず、慇懃無礼もいいところで、堅物という殻で包んではいますが、かなり非常識で他者に対する礼を失しているようにしか見えませんでした。変に人格者面しているところがより腹立たしいんだよなあ。
自分の娘と関係を持ち妊娠させた父親と、よくもまあ普通に再会させるよ。しかも平然と!
やたらに少女に、音楽は使命だ使命だと迫るシーンも、そりゃ少女じゃなくても「知らねえよ!」と言いたくもなるでしょう。
少女が動の暴力ならば、老女は静の暴力です。私は少女よりも、この老女が本当に不愉快でした。
別にそれを感動の物語にしようとはしていないのはいいんですが、こういう不愉快さしかない映画を見たいとは思いません。
老女が天才教師である場面も、少女が天才的な才能をもつ場面もない。練習風景も殆どない。
まだお約束ならお約束で、どれだけ堅物な考え方を老女が押し付けても少女は自らの音楽を失わなかった、ならまだよかったんですが、彼女の中には最初から音楽はない。ただ自己主張があるだけなのです。だったら別にもうピアノが出てくる必要がない。
重い、暗い、ならまだしも、不愉快は生理的にどうしようもありませんでした。
すげえ人。
しかも、九割男性。ええー? そんなに男性支持のアニメだったっけ?
思いっきりオタク臭が漂う会話を背後で聞きながらの鑑賞でした。いやあ、エンドロールが流れても誰一人席を立たない辺り、オタク層がアピールされてるなあ。
感想からいえば、わりと普通でした。
序はノスタルジーかつ映像の新化というわかりやすい味付けをされていただけに、「おお、使徒がかっけえ」とか「シンジ君が前向きだ」とか、純粋に楽しめたんですが、演出に関しては別に目新しいものはないかな、という感じでした。
やっぱり何が楽しいかっていうと、耳慣れた音楽が流れたり、見慣れたシーンが出てきて「おお」と思える部分であって、それ以外の部分は、なんていうか普通のアニメなんですな。
アニメ版のキモである、登場人物全員病んでいるみたいな性格もさっくりわかりやすいものに変えられていて、話もそんな感じでした。
シンジはレイを守りたい。レイはシンジをほかほかさせたい。アスカは他人とのふれあいを知った。
そんな中ゲンドウ父たちや、ゼーレの連中が話す、思わせぶりな意味不明言語が逆におかしくって仕方がありません。
少年少女たちの裏で暗躍する大人たち、っていうのは王道でいいんですが、そこに、突如現れるテレビ版テイストっていうのが、凄くちぐはぐな感じがしました。
凄く感じたのが、オタクでもライト層を狙っているというか、オタクじゃない人向けなんだろうなあ、ということです。
病的な部分を省いた話運びもそうですし、選曲も、翼をくださいとか、今日の日はさようなら、とか連続で使われたときには、正直いわゆる厨二病っぽい演出だなあと思いましたし。
ライトユーザーだったら「おお、わざわざここでこんな曲が」と思えるんでしょうが、私のようにただれたオタクから見ると、「クドい!」と思えるほどの演出でした。
クドいというか、如何にも過ぎるというか。
ボーカル曲で、しかもオリジナルではない曲、あえてメジャーな教科書に載っているようなものを多用するのは、ちょっと諸刃ですなあ。
話やキャラクターそのものはもうテレビ版とは別物なんですが、最後にとあるキャラクターが「今度こそ君だけは幸せにする」と言ったときに、一瞬、「これは一種のループ世界なのかな」と思ったり。
いや、その台詞が次で回収されるかどうか知ったことじゃないんですが(放置されてもおかしくないし)、見ていてアニメ版の世界、終わりはそれはそれであったこと。その上であのキャラクターが上記の台詞を言っていたら、これはこれでまた、どうとでもオチがつけられそうだなと。
話そのものは、凄くわかりやすかったので(ボーイミーツガール的な)逆に「序」よりはお勧めかな、と思いました。
『僕のピアノコンチェルト』
原題では、『VITUS』(ヴィトス)という主人公の少年の名前なんですが、そっちのほうが良かった。
確かに彼は神童であり、若くしてピアノの才能をもつ天才なのですが、でもこれは天才として生まれてしまった彼の行き方の話であって、別にピアノが主役なわけじゃないので。
彼は確かにピアノをひくのが天才的に上手いですが、情熱的なまでにピアノを愛するのではなく、彼の生き方の延長線上にピアノがたまたまあった、だからこそ彼自身のアイデンティティとしてピアノが必要だった、という位置づけのような気がしますので、なんだろう、押し出すのは彼の生き方であって、別にピアノそのものじゃないというか。
わかりやすくいえば、別に音楽映画じゃないので。
ピアノ目当てで見る映画じゃないと申しましょうか。
天才少年が抱える悩みや、個性。
それを取り巻く家族や周囲の人々。
期待を寄せる中朴訥にひたすら孫を友人として愛した祖父や、ヴィトスが関わってくる、人間たちの物語でした。
特に、常に支えになっていたおじいちゃんが泣けます。金もない。家も天井が抜けそう。けれど彼はヴィトスに孫と友人というそれ以上を求めないし、彼もそんな祖父を敬愛している。
何事にもつまらなそう、教師を小ばかにするような態度のヴィトスも、祖父と体験するありとあらゆることには、感情をあらわにして喜びます。
天才なのに、事故により凡人になってしまったフリをする彼が、こらえきれずにピアノをひくのも、祖父の家。
勿論祖父はそれを誰にも言いません。彼の生き方を尊重する態度に、愛情ある大人の姿を見ました。泣ける。
個人的には深く感動したわけではありませんが、淡々として、変にお涙頂戴じゃないのが良かったです。
ヴィトスも結構いい性格してますし、脳みそが天才なだけで、性格そのものはちょっとおませな12歳、という感じでした。
スイス映画ということで、周囲の美しい景色と、流れるピアノ演奏は必見。
ちっこい手でどうやって撮影しているのかな、と思いきや、なんと当人が天才ピアニストだそうで。
………才能ってのはもう絶対生まれる前から決まってるよね。
『4分間のピアニスト』
思い題材を詰め込めるだけ詰め込んだけど破綻している、ような映画でした。これこそ音楽を引き合いにだして欲しくないなあ。
殺人の罪で投獄されている少女。
過去にナチスと、同性とかかわりがあった堅物の老女が、少女のピアノの才能に気づき、ピアノをひかせていく。
老女は堅物で己の価値観を少女に押し付ける。
少女は粗暴で看守に暴力をふるい感謝の気持ち一つない。
そんな人間たちが奏でる音楽を、美しいとは私は思えません。
少女の天才ぶりをアピールしたいのか、後ろ手で手錠をつけたままピアノをひいたときは、失笑でした。
天才は、音楽に詳しくない私から見ても美しいと感じられる音色を奏でるから天才なのであり、だからこそ、弾き手の人格が破綻していても許されるのでしょうが、この映画の音にはそれがない。
自分勝手な主張ばかりが前面に出てきて、音楽を題材に選んだ意味がない。
魂のぶつかり合いや、クラシックだけが全てではないと爆発するような表現の音が嫌なのだ、ということではなくそこに、音楽としての魅力が微塵もない時点で、私にとって、主要人物が主張する全てが腹立たしいだけでした。
まあよくもこんだけ、感情移入できない奴らばかり集めたものだなあ、というのが正直な感想です。
個人的には少女の才能云々なんてどうでもよく、一連の刑務所内での経過や、人生は、実際に殺人を犯し、他者に暴力をふるう人間が、自ら招いた結果にしか見えませんでした。
老女もそうです。少女以上に自分のことしか考えず、慇懃無礼もいいところで、堅物という殻で包んではいますが、かなり非常識で他者に対する礼を失しているようにしか見えませんでした。変に人格者面しているところがより腹立たしいんだよなあ。
自分の娘と関係を持ち妊娠させた父親と、よくもまあ普通に再会させるよ。しかも平然と!
やたらに少女に、音楽は使命だ使命だと迫るシーンも、そりゃ少女じゃなくても「知らねえよ!」と言いたくもなるでしょう。
少女が動の暴力ならば、老女は静の暴力です。私は少女よりも、この老女が本当に不愉快でした。
別にそれを感動の物語にしようとはしていないのはいいんですが、こういう不愉快さしかない映画を見たいとは思いません。
老女が天才教師である場面も、少女が天才的な才能をもつ場面もない。練習風景も殆どない。
まだお約束ならお約束で、どれだけ堅物な考え方を老女が押し付けても少女は自らの音楽を失わなかった、ならまだよかったんですが、彼女の中には最初から音楽はない。ただ自己主張があるだけなのです。だったら別にもうピアノが出てくる必要がない。
重い、暗い、ならまだしも、不愉快は生理的にどうしようもありませんでした。
『山桜』
じんわり泣けました。
私のことなので、藤沢周平原作ともなれば、号泣しかないだろうと覚悟していたんですが、そんな映画ではなかったです。
前の夫に早くに死なれ、すぐに望まれぬ結婚をして、嫁ぎ先で辛い思いをしている女。
その女をかげながら思ってきた、寡黙な男。
その二人の生き様、むしろ女が自分の幸せをどう自覚していくか、という映画なので、男と女の恋愛を描くという愁嘆場はなく、人生を見つけていくという、ヒューマン映画でした。
音楽少なく、言葉少なく進む映画なので、90分は妥当。これ以上長ければだれますし、短いと景色などの余韻が薄れます。
女は、結局離縁を言い渡され、実家に戻されます。
思うのは、ある春の日に山桜の枝を手折ってくれた男の存在。
「今、お幸せですか?」
そう尋ねられて、
「はい」
と答えてしまった自分。
枝を渡した男は、藩の財源を私物化しようとしていた権力者を一人で斬り、今は沙汰を待って一人牢屋に座している。
女は、自分と同じように生涯独身で通したおばの存在を思う。おばは、幸せだったのだろうと。一人の人を思い続けていられたのだから。
自分とは違うのだ、そう自虐的に笑う女に、母は言う。
「そんなことはありませんよ。貴方は、少し遠回りしているだけなのですよ」
「今度、この家から貴方が出て行くときは、貴方にとって本当に幸せになれる道を見つけたときだけです」
冬が過ぎ、春が訪れる。
咲いた山桜の枝を持ち、女は男の実母の家に行く。
「あの子はいつも申しておりましたよ。貴方が嫁いでしまったと、腹立たしげにね」
刃傷沙汰を起こしてしまった家には誰も訪れることはなく、来てくれて嬉しいと微笑む男の母親の前で、女は初めて涙を流した。
うっすらと時は流れ、男の運命を握る殿が参勤交代から戻る。
咲き誇る山桜。
女と、男の母はちまきを作りながら顔を見合わせて笑う。
ここで物語りは終わります。
ある意味尻切れトンボなのですが、ここで幸福な未来を想像するか否かは、皆様にお任せ、ということなのでしょう。
ただ、映画にある、「続きは貴方の心の中で」は、「語られないが絶対に幸せになった」であろうものと、「語られないけれど幸せになったといいな」では、全然意味合いが違うのです。
確かに、女は自分の生き方を見つけ、男も自分の生き方を全うした。
春の訪れは輝かんばかりに明るく、美しい。
けれど、そこには絶対の幸せは保証されていない。
通常ならば、切腹を申し付けられてその菩提を女が弔う、が待っている未来だともとれる終わり方が想像できてしまう以上、それはやはり、ハッピーエンドになりきれない物語なのだと思います。
なんかこう、それはそれで確かにリアルですし、物語として美しい終わり方(余韻)なのかもしれませんが、この歳になってくるともう、ハッピーエンドは明確にハッピーでないと見ていて辛いです。(泣笑)
スピリチュアルな面だけでは幸せでした、ってもう、おためごかしにしか思えないっていうか。精神面とか捉え方の上での幸せなんてそんなもん、どんな不幸だって理由付けして、幸せにできちゃうじゃないかよ。
せめてなあ、男を慕う人間たちが全員顔を見合わせて破顔する、とか、そんな場面が一瞬でも入れば、確実に「死なずに幸せになった」んだ、って納得できたのになあ、と即物的な私は思いました。
言葉少ないだけに、一つ一つの言葉に飾り気がなく、すっと自然に入ってくる会話はすごく秀逸でした。誰も彼もが日常生活で詩人みたいな会話を繰り広げていたら、笑っちゃって感動できないです。特に時代劇である以上、アメリカンのような引用はいらん。
男は殆ど何も語らず、一人で事を起こします。
それは確かに、刀で語るべく侍としては立派であり、侍としてあるべき姿だったのかもしれませんが、ここで注目すべきはその前にしっかりと、私欲に対して異を唱える侍がいる、というところでしょうか。
別に主要人物ではありませんし、物語に深く絡んでくるわけではありませんが、現代社会で生きている私から見ると、ある意味、自分の好き勝手にできた男よりも、公の場で政策の間違いに異を唱え、農民の暮らしを必死で守ろうとし、自分の上司にかけあい、そして上告しようと、刀を振るう以外で自らの仕事を全うしようとした侍の生き様も、凄く泣けました。
その人は、最後自首しようとする男に、深々と頭を下げるのですが、むしろ、男はそれを怪訝そうな顔で見つめるのです。
男は、その相手のためにやったわけではない。自らの価値観に照らし合わせて、許せないと思ったから実行に移しただけ。頭を下げられる覚えはないというように。
それだけ見ても、自分の思うがままに生きた男と、自分の思いすら必死に抑えながらも、社会を成り立たせようとした男の、生き方の違いがわかって、凄く感動しました。どうしても、こういう中間管理職的な人は、応援したくなっちゃうなあ。
男は東山紀之で好演。言葉少なく刀で己の生き様を現すような男は、まさにぴったりでした。逆を言えば渋みとか、地べたをはいつくばって生きる男なんかは、生活観がない東山さんにはちょっと無理だろうしなあ。
女の母は檀ふみ。男の母は富司純子。お二人とも出番は少ないながらも、圧倒的な存在感でした。言葉を荒げるわけでもなく、強く何某かを主張するわけでもない。それでも、物語にとっても、男と女にとっても、絶対的に必要だった二人の母親。
ヒロイン含め、女の演出も非常に上手な作品でした。
じんわり泣けました。
私のことなので、藤沢周平原作ともなれば、号泣しかないだろうと覚悟していたんですが、そんな映画ではなかったです。
前の夫に早くに死なれ、すぐに望まれぬ結婚をして、嫁ぎ先で辛い思いをしている女。
その女をかげながら思ってきた、寡黙な男。
その二人の生き様、むしろ女が自分の幸せをどう自覚していくか、という映画なので、男と女の恋愛を描くという愁嘆場はなく、人生を見つけていくという、ヒューマン映画でした。
音楽少なく、言葉少なく進む映画なので、90分は妥当。これ以上長ければだれますし、短いと景色などの余韻が薄れます。
女は、結局離縁を言い渡され、実家に戻されます。
思うのは、ある春の日に山桜の枝を手折ってくれた男の存在。
「今、お幸せですか?」
そう尋ねられて、
「はい」
と答えてしまった自分。
枝を渡した男は、藩の財源を私物化しようとしていた権力者を一人で斬り、今は沙汰を待って一人牢屋に座している。
女は、自分と同じように生涯独身で通したおばの存在を思う。おばは、幸せだったのだろうと。一人の人を思い続けていられたのだから。
自分とは違うのだ、そう自虐的に笑う女に、母は言う。
「そんなことはありませんよ。貴方は、少し遠回りしているだけなのですよ」
「今度、この家から貴方が出て行くときは、貴方にとって本当に幸せになれる道を見つけたときだけです」
冬が過ぎ、春が訪れる。
咲いた山桜の枝を持ち、女は男の実母の家に行く。
「あの子はいつも申しておりましたよ。貴方が嫁いでしまったと、腹立たしげにね」
刃傷沙汰を起こしてしまった家には誰も訪れることはなく、来てくれて嬉しいと微笑む男の母親の前で、女は初めて涙を流した。
うっすらと時は流れ、男の運命を握る殿が参勤交代から戻る。
咲き誇る山桜。
女と、男の母はちまきを作りながら顔を見合わせて笑う。
ここで物語りは終わります。
ある意味尻切れトンボなのですが、ここで幸福な未来を想像するか否かは、皆様にお任せ、ということなのでしょう。
ただ、映画にある、「続きは貴方の心の中で」は、「語られないが絶対に幸せになった」であろうものと、「語られないけれど幸せになったといいな」では、全然意味合いが違うのです。
確かに、女は自分の生き方を見つけ、男も自分の生き方を全うした。
春の訪れは輝かんばかりに明るく、美しい。
けれど、そこには絶対の幸せは保証されていない。
通常ならば、切腹を申し付けられてその菩提を女が弔う、が待っている未来だともとれる終わり方が想像できてしまう以上、それはやはり、ハッピーエンドになりきれない物語なのだと思います。
なんかこう、それはそれで確かにリアルですし、物語として美しい終わり方(余韻)なのかもしれませんが、この歳になってくるともう、ハッピーエンドは明確にハッピーでないと見ていて辛いです。(泣笑)
スピリチュアルな面だけでは幸せでした、ってもう、おためごかしにしか思えないっていうか。精神面とか捉え方の上での幸せなんてそんなもん、どんな不幸だって理由付けして、幸せにできちゃうじゃないかよ。
せめてなあ、男を慕う人間たちが全員顔を見合わせて破顔する、とか、そんな場面が一瞬でも入れば、確実に「死なずに幸せになった」んだ、って納得できたのになあ、と即物的な私は思いました。
言葉少ないだけに、一つ一つの言葉に飾り気がなく、すっと自然に入ってくる会話はすごく秀逸でした。誰も彼もが日常生活で詩人みたいな会話を繰り広げていたら、笑っちゃって感動できないです。特に時代劇である以上、アメリカンのような引用はいらん。
男は殆ど何も語らず、一人で事を起こします。
それは確かに、刀で語るべく侍としては立派であり、侍としてあるべき姿だったのかもしれませんが、ここで注目すべきはその前にしっかりと、私欲に対して異を唱える侍がいる、というところでしょうか。
別に主要人物ではありませんし、物語に深く絡んでくるわけではありませんが、現代社会で生きている私から見ると、ある意味、自分の好き勝手にできた男よりも、公の場で政策の間違いに異を唱え、農民の暮らしを必死で守ろうとし、自分の上司にかけあい、そして上告しようと、刀を振るう以外で自らの仕事を全うしようとした侍の生き様も、凄く泣けました。
その人は、最後自首しようとする男に、深々と頭を下げるのですが、むしろ、男はそれを怪訝そうな顔で見つめるのです。
男は、その相手のためにやったわけではない。自らの価値観に照らし合わせて、許せないと思ったから実行に移しただけ。頭を下げられる覚えはないというように。
それだけ見ても、自分の思うがままに生きた男と、自分の思いすら必死に抑えながらも、社会を成り立たせようとした男の、生き方の違いがわかって、凄く感動しました。どうしても、こういう中間管理職的な人は、応援したくなっちゃうなあ。
男は東山紀之で好演。言葉少なく刀で己の生き様を現すような男は、まさにぴったりでした。逆を言えば渋みとか、地べたをはいつくばって生きる男なんかは、生活観がない東山さんにはちょっと無理だろうしなあ。
女の母は檀ふみ。男の母は富司純子。お二人とも出番は少ないながらも、圧倒的な存在感でした。言葉を荒げるわけでもなく、強く何某かを主張するわけでもない。それでも、物語にとっても、男と女にとっても、絶対的に必要だった二人の母親。
ヒロイン含め、女の演出も非常に上手な作品でした。