純然たる戦争映画でした。
秘密を抱える女性。
事故に遭った男性と、看護を任されたその女性との交流がメインなのですが、男女が密室で二人だからといって、ロマンチックな印象はかけらもありません。
序盤、見ている側は、この男女がそれなりの仲になるのだろうという目線で見ていくと思うのですが、それは中盤でやっと「そんなような気配」が生まれ、そして最後には覆される、という結果で終わります。
台詞そのものはおしゃれなものがないわけではなく、物語の序盤と終盤で、かかっている台詞もあるのですが、それを「楽しむ」ような映画ではありませんでした。
場所は石油採掘をする海の中の基地。
休暇を無理やり言い渡された女性は、偶然そこで数週間働くことになる。
火傷により、自分で体も動かせず、目も炎症で見えなくなった男性・ジョゼフは、決して自分のことを話さない女性・ハンナのことを知るために、他愛もない冗談や、会話を続ける。
「コーラって誰?」
「俺は自分の小さな秘密を話した。今度は君の番だ」
好きな食べ物は、チキンとリンゴとライス。
誰とも関わらず、耳が不自由なために聞きたくない話のときは、補聴器を切る。毎日同じ生活を続け、休むことはせず、毎日石鹸を変えて体を洗う。
一人がいい男たちが集う、石油採掘場。
男性同士がキスをしあい、その罪の意識におびえるかのように、 ハンナに家族の写真を見せる男。
「子供は可愛い。人生は不思議だ。そう思わないか?」
「ええ、思うわ。本当に」
次第に交流を深めていくジョゼフとハンナ。
ジョゼフは「自分は泳げないんだ」とハンナに告白する。
「海の真上なのに?」
笑うハンナ。
「父は僕をボートに乗せて湖に出た。そして、何かわけのわからないことを叫びながら、僕を湖に投げた。でも、父も実は泳げなかったんだ」
この映画は、わりと台詞がぶつ切りのところで、場面展開が変わることが多いのですが、それが余韻を持たせる要因になっていて中々上手いです。
ジョゼフは自分の親友の妻に惚れた過去を、ハンナに話す。決して、してはいけなかったと。
ハンナは、訥々と自分の過去を話していく。
クロアチアの戦争。捕らわれた自分と親友。そして毎日受ける、性的な暴力と、肉体への暴力。母親に娘を殺すように銃を持たせ、娘の性器に銃身を突っ込ませる。
「もう二度と孫の顔は見られないな」
と、誰かが笑いながら言う。
自分を犯す男は、耳元で笑いながら「すまない、本当にすまない。すまない」と言い続ける。
嘆く女の体をナイフで何百もの傷をつけ、塩水を塗り、痛めつける。
ハンナの親友の嘆き。助けることもできずに、彼女は毎日祈った。
「どうか、早く」
「一刻も早く」
「彼女が死ねますように」
「お願いです。どうか」
ジョゼフは彼女の裸を触る。そこには無数のナイフで刻まれた傷が残っていた。抱き合いながら、涙を流す二人。
そして、ジョゼフはヘリコプターで病院に搬送されることになる。
「ハンナ、ハンナ!」
目が見えないジョゼフは叫ぶも、ハンナはその声に背を向けてその場を去った。
ここで、ハンナが聞きたくないから補聴器のスイッチを切っていたのか、それとも聞こえた上で振り返らなかったのかは、語られません。
傷が癒え、目も見えるようになったジョゼフは、ハンナの忘れ物のかばんを渡される。そこには、彼女が受けていたカウンセラーからの手紙が入っていた。
そこを訪れ、彼女と生涯を共にしたいと告げるジョゼフに、カウンセラーの女性は「それはロマンティックね」と冷ややかに告げる。
「ここには、彼女の全てがある。どうして記録に残したかわかる? 過去の虐殺ももう誰も覚えていない。十年後誰も。覚えているのは生き残った人たちだけ。生き残ってしまったことを恥じている、何も語らない人々だけ。そんな過去を、貴方は彼女の許可なしに見ることができるの?」
ジョゼフは、ハンナの元を尋ねます。
一緒に暮らそう、というジョゼフに、ハンナは答えます。
「いつか、それは今日ではないけれど。もしも一緒に暮らしたら、それは明日ではないけれど、でも、突然私は泣き出すだろう。そして、周りは涙の海になる。二人は溺れ死ぬだけよ」
だから、一緒には行けないというハンナに、
「泳ぎの練習をするよ」
とジョゼフは答えるのでした。
物語はここで終わります。最初と最後に、この世にいるのかいないのか、それは彼女の子供の頃なのか、亡くなった親友のことなのか、少女の声のモノローグが入るのですが、それはあまり語るべきことではないように思いました。
結局、彼女は救われないのです。ジョゼフと結婚し、子供も授かったけれど、どうしても忘れられないし、一生ついて回る悲劇。
戦争は、よくないのです。
誰が何のために始めようが、どんな利益につながろうが、よくない。
彼女は、暴力を受け、それは誰にも想像がつかないほどに辛い出来事であり、ジョゼフにも決して救えない。
ハッピーエンドなのかもしれませんが、やはりこれは、ハッピーではないでしょう。戦争が、ほんのわずかだけ関わったとしたら、その物語にハッピーはありえないのです。
悲惨、というよりは、生々しく「救われない」出来事でした。
主役ジョゼフを演じるのは、ティム・ロビンス。ベッドで寝たきりのときは、顔がむくみ(そう見える)冴えない感じなのですが、治ったときのハンサムぶりっぷりに倒れました。
ハンナとのキスシーンに、ずいぶん身長差があるなあと思ったんですが、身長195センチってマジですか! デカイのに童顔な男もかっこいいですねえ。『ショーシャンクの空に』のときと印象がだいぶ違いますが、たぶん、知的印象が残っていたのではないかと。
ハンナ役のサラ・ポーリーは、髪の毛のぺたっとした印象が凄く、きれいなのにかまわない美人らしくて良かったです。
個人的にお気に入りなのは、油田の責任者である初老の男性。
結局、事故は起こったけれど、人が一人死んだのは、自殺であったと。ジョゼフはそれを助けるために、炎に巻かれたのだと。
「だが、それは誰も言わないだろう。死んだ奴には女房も子供もいる。自殺だったことを伝えても、誰も何も救われない。事故にしておけば、会社から金も出る」
「貴方はこれからどうするの?」
「別にどうもしない。辞令がおりるまではここにいるさ」
陸に上がると頭痛がする、という偏屈だけど骨太で穏やかな男はかっこよかったです。
私は、戦争物というものを人にお勧めすることはなく、話として評価がしづらいので、ちょっと感想が難しい映画でした。
PR
『マンマ・ミーア!』
狂った映画でした。
しかも、最初から最後まで狂ってた。
内に秘めた狂気とかではなく、完全に前面に押し出して狂ってました。
床のタイルを突き破って出てきた恋愛の女神の泉を浴びながら全員突如服を脱いで踊り狂い、結婚式準備の最中に突如同性愛を自覚し、恋人たちの危機はなかったことになり、水着の男たちが集団で肉体美を見せつけながらシュノーケルと足ひれをつけ桟橋に並び、腹の突き出た五十親父たちがスパンコールの衣装に身を包みステージを飾り、どう見てもババアにしか見えない二十歳の娘もちの女が必死でセクシーに迫り、結婚するはずだったカップルは何故か他の世界に旅立ち、何の脈絡もなく勝利者がすべてを手にするのよと歌い狂い、結局二十年越しのカップルが結婚して、エロエロエロエロしながら、若いジャマイカ青年みたいなのにオバンが口説かれ、娘の足の爪に母親が青いペディキュアを足を絡ませながら塗り、女も男もやたらに盛ってる。
そんな映画でした。
実際は、皆様ご自身の目でお確かめください。
ほぼ、間違いないと思います。
知り合いは「ABBAの曲が好きだから曲に合わせて作りました、っていうプロモーションみたい」と言っていましたが、それにしたって狂いすぎだ。
一時が万事、狂った世界の狂った住人たちが織り成すハーモニーっていうんですが。たぶん、同じ青い星の上には奴らは住んでいない。
曲自体はどこかで聴いたことのあるようなメロディーで、ノリはいいんですけど、なんかそういう、映画としての批評が馬鹿馬鹿しくなるくらい狂ってました。
しかし、あのお母さんは老けすぎだろう。
メリル・ストリープは実際の年齢よりも、遥かに上に見えます。正直あの格好だと本当にババアです。スーツを着たキャリア・ウーマンみたいな役は、年相応の熟女が際立ちますが、年齢の割には若々しいのよ、と主張するような役は、却って痛々しいだけです。見ていて本当に辛かった。
他の親友二人、特に背の高いタニア役の女優さんが、一番ミュージカル慣れしていて、歌も踊りも完璧でかっこよかったです。
男性陣は、ピアーズ・ブロスナンは歌も下手なら声もハリがなくて見るに耐えない感じでした。メリル・ストリープと並ぶと、カップルっていうよりも、母親を介護する息子だよ。
………とまあ、そんなことはどうでもよくてですね。
とにかく、狂ってました。
奴らの国の文化はよくわかりません。
先日、知り合いが『252 生存者あり』を見た、というので感想を聞いてみました。
「とにかく災害があって、地下に閉じ込められて、それを助けられるタイミングが台風の目の中心である、18分しかないのよ。それなのに、18分しかないってあれほど言ってるのに、伊藤の兄貴が「お前はあのことについて吹っ切れたのか」とかいきなり延々説教初めて、見ているこっちは、だからお前18分しかないって言ってんだろ!? とキレ気味になったら、案の定時間が足りなくて、他の山田太郎とまた伊藤は地下に閉じ込められちゃって、それで外の奴らが絶望してると、何故か、山田を肩に担いで伊藤が自力で出てくるのよ。しかもそれをスローモーションでアピールしつつ、ぼろぼろの伊藤がでかい男を担いで出てきたのにも関わらず、回りは呆然と見守ってるだけでさあ、本当にもう、あれ脚本書いた奴が馬鹿なんじゃないかと思うよ」
「わかった。見ないよ」
知り合いから、マカロンをもらいました。
実は、あれだけブームになっておきながら、私はマカロンを食べたことがなかったので、ありがたくちょうだいしました。
個人的な想像だと、さっくりとした口当たりの軽いお菓子、なんだと思ってたんですが、濃厚。
「美味しいけど甘い! 濃い!」
「大体、他の店のどのマカロンもこんな感じだよ」
胃もたれしました。
もう、お菓子ですら種類を選ぶ年齢になったか………。
狂った映画でした。
しかも、最初から最後まで狂ってた。
内に秘めた狂気とかではなく、完全に前面に押し出して狂ってました。
床のタイルを突き破って出てきた恋愛の女神の泉を浴びながら全員突如服を脱いで踊り狂い、結婚式準備の最中に突如同性愛を自覚し、恋人たちの危機はなかったことになり、水着の男たちが集団で肉体美を見せつけながらシュノーケルと足ひれをつけ桟橋に並び、腹の突き出た五十親父たちがスパンコールの衣装に身を包みステージを飾り、どう見てもババアにしか見えない二十歳の娘もちの女が必死でセクシーに迫り、結婚するはずだったカップルは何故か他の世界に旅立ち、何の脈絡もなく勝利者がすべてを手にするのよと歌い狂い、結局二十年越しのカップルが結婚して、エロエロエロエロしながら、若いジャマイカ青年みたいなのにオバンが口説かれ、娘の足の爪に母親が青いペディキュアを足を絡ませながら塗り、女も男もやたらに盛ってる。
そんな映画でした。
実際は、皆様ご自身の目でお確かめください。
ほぼ、間違いないと思います。
知り合いは「ABBAの曲が好きだから曲に合わせて作りました、っていうプロモーションみたい」と言っていましたが、それにしたって狂いすぎだ。
一時が万事、狂った世界の狂った住人たちが織り成すハーモニーっていうんですが。たぶん、同じ青い星の上には奴らは住んでいない。
曲自体はどこかで聴いたことのあるようなメロディーで、ノリはいいんですけど、なんかそういう、映画としての批評が馬鹿馬鹿しくなるくらい狂ってました。
しかし、あのお母さんは老けすぎだろう。
メリル・ストリープは実際の年齢よりも、遥かに上に見えます。正直あの格好だと本当にババアです。スーツを着たキャリア・ウーマンみたいな役は、年相応の熟女が際立ちますが、年齢の割には若々しいのよ、と主張するような役は、却って痛々しいだけです。見ていて本当に辛かった。
他の親友二人、特に背の高いタニア役の女優さんが、一番ミュージカル慣れしていて、歌も踊りも完璧でかっこよかったです。
男性陣は、ピアーズ・ブロスナンは歌も下手なら声もハリがなくて見るに耐えない感じでした。メリル・ストリープと並ぶと、カップルっていうよりも、母親を介護する息子だよ。
………とまあ、そんなことはどうでもよくてですね。
とにかく、狂ってました。
奴らの国の文化はよくわかりません。
先日、知り合いが『252 生存者あり』を見た、というので感想を聞いてみました。
「とにかく災害があって、地下に閉じ込められて、それを助けられるタイミングが台風の目の中心である、18分しかないのよ。それなのに、18分しかないってあれほど言ってるのに、伊藤の兄貴が「お前はあのことについて吹っ切れたのか」とかいきなり延々説教初めて、見ているこっちは、だからお前18分しかないって言ってんだろ!? とキレ気味になったら、案の定時間が足りなくて、他の山田太郎とまた伊藤は地下に閉じ込められちゃって、それで外の奴らが絶望してると、何故か、山田を肩に担いで伊藤が自力で出てくるのよ。しかもそれをスローモーションでアピールしつつ、ぼろぼろの伊藤がでかい男を担いで出てきたのにも関わらず、回りは呆然と見守ってるだけでさあ、本当にもう、あれ脚本書いた奴が馬鹿なんじゃないかと思うよ」
「わかった。見ないよ」
知り合いから、マカロンをもらいました。
実は、あれだけブームになっておきながら、私はマカロンを食べたことがなかったので、ありがたくちょうだいしました。
個人的な想像だと、さっくりとした口当たりの軽いお菓子、なんだと思ってたんですが、濃厚。
「美味しいけど甘い! 濃い!」
「大体、他の店のどのマカロンもこんな感じだよ」
胃もたれしました。
もう、お菓子ですら種類を選ぶ年齢になったか………。
『愛されるために、ここにいる』
前半途中で寝ました。
開始五分で重苦しい雰囲気満載です。息を切らせながら、髪もうすくなった冴えない男が、階段を必死に上り、裁判所方の通知を読む。事務所に帰ればぎこちなく息子と対面。結局会話ははずまず、仕事に戻る。
いや、もう、さすがフランス映画………。(だからあまり見ない)
老いらくの恋、と呼ぶにはまだ若い、五十歳の中年男性と、結婚を間近に控えた女性との、進みようがない関係という感じです。
この映画、タンゴ教室で出会い、タンゴを踊るシーンが延々出てくるので、その場面でうっかり寝ました。
これはあれでしょうか、当人たちは盛り上がっているのかもしれないけれど傍で見ている分には別に面白くないという恋愛の典型的な姿なんでしょうか。
それならそれで、非常にリアリティがあると思いましたが、映画としてはどうなんでしょうね。
映像としてはきれいです。はじめぎこちなかったダンスも、互いの気持ちを知り合うにつれて、いっそう親密になっていく。
明らかに、最初のタンゴと、最後のタンゴでは、密度の濃さが違います。
この映画、タンゴシーン以外はすべてBGMが流れないので、タンゴシーンになると急に抑揚がつく感じです。物語としては、別にタンゴを「踊っているだけ」なので、進むわけではないんですが。
しかし、女というのはしたたかですね。
中年のおっさんである、ジャン・クロードは相手が婚約者がいるということを知らず、真摯に相手と付き合おうとするのですが、結局それはバレてしまいます。
そして、女は「説明しようと思って」と、ジャンの仕事場まで来るわけですよ。凄い話だ。
結果出る言葉が「言おうと思ったんだけど、貴方との関係が壊れてしまいそうで言えなかった」
「勘違いさせたのならごめんなさい」
「結婚前はよくある話なのよ。わかる?」
「貴方を弄ぶつもりはなかったけれど、傷ついてしまったのなら私も辛い」
ですからね。太い、太すぎる。
それは彼女の本心じゃないのよ、ということがこちらがわかっていたとしても、いないとしても、そういう言い訳ができる、という時点でやはり男と女は違いますね。
男にとっては、それが本心であろうがなかろうが、あまり関係なさそうですし。
結局彼女の気持ちには暗雲がたれこめて、式が上手くいくのかいかないのか微妙な感じなのですが(そこは描かれない)、最終的にジャンと彼女が上手くいくとは、到底思えないので、彼女が婚約を破棄しようが、ジャンの気持ちそのものは、一度離れてしまった以上どうにもならないものなのだと思います。
私は、基本的に子供に素直になれなくて、感謝の言葉一つ言わず、悪態ばかりつく、素直になれない父親が、死んだ後息子の優勝カップを(捨てたと言っている)とっておいた、というような愛情の見せ方や、そういう親像が嫌いです。
言葉は言わなければ伝わらないし、言ってそれがどれだけ相手を傷つけるか、いい大人である以上わかっていて当然の上で、いかに愛情があろうがなかろうが、陰で息子を思っていようがいまいが、全く無視して、こんなに息子思いだったんです、という人間は嫌いです。
こういう、親の愛情の見せ方ははっきりいって、性に合わないので、主人公と父親との関係性には一切感情移入できませんでした。
隠れてこっそりカップを取っておいて、自分の死後でも、「いい父親だったんだ」と思ってでももらいたいのか。なんて傲慢なんだ。そんなに愛しているのなら(私はこれが愛だとは認めませんが)何故もっとやさしくできないのだ。
主人公はその点、はっきりと自分の事務所に勤める息子に「お前は俺のように人生を棒に振るな」とその場から出て行くように進める気骨があるだけ、自身の父親よりはマシだと思います。
この作品はツタヤディスカスでレンタルしたんですが、そこのレビューを読んで、原題だと「愛されるためにここにいるんじゃない」んだそうです。
真逆じゃねえか!
これ、意味が全く違ってきてしまうんですが。
冴えない中年男が、愛を見つけ、その上で彼女に対して、自分の生き方に対して「俺は、愛されるためにここにいるんじゃない」と虚勢でも訴えているのであれば、それは、男にとって意味のある言葉ですが、結婚間近の女に遊ばれて「愛されるためにここにいるんだ」では、話の本題全く違ってきますが………。
ただ、他の方のレビューでも「これはあえて逆の意味で、だからこそ男は、女の素性を知った上でも、愛されるためにここにいる(戻ってきた)」のだと捕らえるのではないか、というコメントもあり、それもなるほど、と思いました。
色々なとらえ方をしていい映画なのでしょうね。
個人的に一番感銘を受けたのは、犬づれの中年秘書が、ジャンに向かって「あれは、彼女の本心ではなかったと思います。私も、昔同じことがありました。そして、こう言ってくれる人がいたなら、今頃犬と二人暮らしではなかったでしょう」と静かに言った場面でした。
ここは、ぐっときた。
タンゴはジャンと女が踊るシーンで主に使われますが、実際の舞台シーンもあり、そこでのダンサーはエロくてよかったです。これぞタンゴ、っていう感じで。
前半途中で寝ました。
開始五分で重苦しい雰囲気満載です。息を切らせながら、髪もうすくなった冴えない男が、階段を必死に上り、裁判所方の通知を読む。事務所に帰ればぎこちなく息子と対面。結局会話ははずまず、仕事に戻る。
いや、もう、さすがフランス映画………。(だからあまり見ない)
老いらくの恋、と呼ぶにはまだ若い、五十歳の中年男性と、結婚を間近に控えた女性との、進みようがない関係という感じです。
この映画、タンゴ教室で出会い、タンゴを踊るシーンが延々出てくるので、その場面でうっかり寝ました。
これはあれでしょうか、当人たちは盛り上がっているのかもしれないけれど傍で見ている分には別に面白くないという恋愛の典型的な姿なんでしょうか。
それならそれで、非常にリアリティがあると思いましたが、映画としてはどうなんでしょうね。
映像としてはきれいです。はじめぎこちなかったダンスも、互いの気持ちを知り合うにつれて、いっそう親密になっていく。
明らかに、最初のタンゴと、最後のタンゴでは、密度の濃さが違います。
この映画、タンゴシーン以外はすべてBGMが流れないので、タンゴシーンになると急に抑揚がつく感じです。物語としては、別にタンゴを「踊っているだけ」なので、進むわけではないんですが。
しかし、女というのはしたたかですね。
中年のおっさんである、ジャン・クロードは相手が婚約者がいるということを知らず、真摯に相手と付き合おうとするのですが、結局それはバレてしまいます。
そして、女は「説明しようと思って」と、ジャンの仕事場まで来るわけですよ。凄い話だ。
結果出る言葉が「言おうと思ったんだけど、貴方との関係が壊れてしまいそうで言えなかった」
「勘違いさせたのならごめんなさい」
「結婚前はよくある話なのよ。わかる?」
「貴方を弄ぶつもりはなかったけれど、傷ついてしまったのなら私も辛い」
ですからね。太い、太すぎる。
それは彼女の本心じゃないのよ、ということがこちらがわかっていたとしても、いないとしても、そういう言い訳ができる、という時点でやはり男と女は違いますね。
男にとっては、それが本心であろうがなかろうが、あまり関係なさそうですし。
結局彼女の気持ちには暗雲がたれこめて、式が上手くいくのかいかないのか微妙な感じなのですが(そこは描かれない)、最終的にジャンと彼女が上手くいくとは、到底思えないので、彼女が婚約を破棄しようが、ジャンの気持ちそのものは、一度離れてしまった以上どうにもならないものなのだと思います。
私は、基本的に子供に素直になれなくて、感謝の言葉一つ言わず、悪態ばかりつく、素直になれない父親が、死んだ後息子の優勝カップを(捨てたと言っている)とっておいた、というような愛情の見せ方や、そういう親像が嫌いです。
言葉は言わなければ伝わらないし、言ってそれがどれだけ相手を傷つけるか、いい大人である以上わかっていて当然の上で、いかに愛情があろうがなかろうが、陰で息子を思っていようがいまいが、全く無視して、こんなに息子思いだったんです、という人間は嫌いです。
こういう、親の愛情の見せ方ははっきりいって、性に合わないので、主人公と父親との関係性には一切感情移入できませんでした。
隠れてこっそりカップを取っておいて、自分の死後でも、「いい父親だったんだ」と思ってでももらいたいのか。なんて傲慢なんだ。そんなに愛しているのなら(私はこれが愛だとは認めませんが)何故もっとやさしくできないのだ。
主人公はその点、はっきりと自分の事務所に勤める息子に「お前は俺のように人生を棒に振るな」とその場から出て行くように進める気骨があるだけ、自身の父親よりはマシだと思います。
この作品はツタヤディスカスでレンタルしたんですが、そこのレビューを読んで、原題だと「愛されるためにここにいるんじゃない」んだそうです。
真逆じゃねえか!
これ、意味が全く違ってきてしまうんですが。
冴えない中年男が、愛を見つけ、その上で彼女に対して、自分の生き方に対して「俺は、愛されるためにここにいるんじゃない」と虚勢でも訴えているのであれば、それは、男にとって意味のある言葉ですが、結婚間近の女に遊ばれて「愛されるためにここにいるんだ」では、話の本題全く違ってきますが………。
ただ、他の方のレビューでも「これはあえて逆の意味で、だからこそ男は、女の素性を知った上でも、愛されるためにここにいる(戻ってきた)」のだと捕らえるのではないか、というコメントもあり、それもなるほど、と思いました。
色々なとらえ方をしていい映画なのでしょうね。
個人的に一番感銘を受けたのは、犬づれの中年秘書が、ジャンに向かって「あれは、彼女の本心ではなかったと思います。私も、昔同じことがありました。そして、こう言ってくれる人がいたなら、今頃犬と二人暮らしではなかったでしょう」と静かに言った場面でした。
ここは、ぐっときた。
タンゴはジャンと女が踊るシーンで主に使われますが、実際の舞台シーンもあり、そこでのダンサーはエロくてよかったです。これぞタンゴ、っていう感じで。
『ウォルター少年と、夏の休日』
泣き通しでした。
母親に捨てられたも同然の少年が、顔も知らなかった大伯父兄弟の下でひと夏を過ごし、さまざまなことを体験してく物語です。
大ボラのようなアフリカやアラブの話。
婚約者を奪い取った族長と、石油の話。
それらを裏づけするような、ハブ伯父の強さと、正体不明の金。
美しい写真の女性に、ジャスミンという女性の物語。
見ているこっちは、ウォルターがおかれた、しようもない現実よりも、ガース伯父が話してくれる、過去の話を信じたい。
けれど、周囲はそれを笑う。
真夜中、一人出歩くハブ伯父に、ウォルターは尋ねます。話は本当なのかと。
「この世には、本当であるかどうかは別にして、信じなければならないことがある」
「人間は、生来善だ。善は必ず悪に勝つ」
「そして、真実の愛は、永遠に滅びることはないのだ」
見ながら嗚咽。
当たり前のことを当たり前に言う、年老いた伯父。
決して当たり前ではないことを、当たり前だと言える伯父。
どちらにしても、なんだか胸をうつものがあって、非常にぐっときました。
ハブ伯父にとって、それは真実であり、そしてその姿を見たウォルターにとっても、信じたい過去の話であった、ということなのでしょう。
結果、ウォルターはガース伯父が話す、過去のハブ伯父のエピソードを信じ、自分を迎えに来た母親とその恋人から離れます。
「一度で良いから、僕のことだけ考えて」
母親も決して悪い人、ではないんですが………。悪い母親、ではあるんでしょうな………。
結局子供を置いて新しい男を作り、「私にはこれしかない」と言い切れる以上、それは彼女の生き方であって。ただ、なら子供作っちゃいけねえよなあ………。
途中で、老いた雌ライオンを飼うことになるんですが、そのライオンが、母親の恋人に襲われたウォルターを助けて、死亡します。
「勇敢なライオンだった。本物の、ライオンだった」
そう、伯父たちとウォルターは言い合い、彼女が好きだったトウモロコシ畑に埋葬します。このとき、ちゃんと三人が正装しているのが凄く泣けるんですが。
ライオンを間違えて買ってしまったときも、「とんだ買い物だ」「お前の種よりマシだ」(ガース伯父はまがい物の種をこの前につかまされている)と、凄く会話がおしゃれでした。
そして、最後。
大人になり、独り立ちしたウォルターの元に、伯父たちの訃報が届きます。
「二人とも、一緒に逝かれました」
90歳で無免許で飛行機を運転した挙句、宙返りで倉庫をくぐろうとし、そのまま墜落して亡くなったと。
ウォルターが久しぶりに訪れた伯父たちの家は、記憶のまま変わらず、倉庫に飛行機だけが突っ込んで存在していました。
保安官は、遺書をウォルターに見せます。
『坊主に全部やる。 ライオンの隣に埋めてくれ』
ここで、一番号泣しました。
鼻水と涙で嗚咽しながら、突如現れたヘリコプターから、過去の物語に出てきた、婚約者を奪った族長の孫が現れます。
「彼らは真実の男だったと。一枚上手だったと。彼らをご存知ですか?」
信じたかった、少年だったウォルターが信じ、今も信じている伯父たちが、心底本物であったことを知った青年は、
「ええ。育ててもらいました」
胸をはってそう答えて、物語は終わるのでした。
俺は泣いたよ………。泣き疲れて眼が腫れました。
役者陣も豪華で、主人公ウォルター少年は、『シックス・センス』のあの少年です。ハーレイ・ジョエル・オスメントですね。
ハブ伯父は、『ゴッド・ファーザー』のロバート・デュヴァル。馬の首のシーンは怖かったなあ………。マーロン・ブランドが「捨てろ」と花束を見もせずに言うのも怖かった。
『サンキュー・スモーキング』にも出ていたらしいので、記憶を引っ張り出してみたんですが、ああ、あの、アーロン・エッカートの上司。
お勧めいただいたマイケル・ケインはガース伯父。ウォルターに初めからそれなりに好意的に接し、物語を進めてくれるチャーミングな伯父を好演していて、とてもセクシーです。
ハブ伯父は生き様で、ガース伯父は物語の語り部として、ウォルターをそれぞれ導いてくれます。
原題は『Secondhand Lions』といい、どういう意味なのかと見終わった後調べてみたんですが、Secondhand とは、中古品という意味を指すそうです。
中古のライオン、おんぼろライオンか………。
見終わった後わざわざ調べてまた泣く人間が一人。
いい映画でした。特に、エンドクレジットが凝っていたのには、満足。ウォルターの成長の証がそこにあります。
家一つ、車一つとっても、映画の中の世界としてあこがれた古き良き時代のアメリカンスタイルが見られるので、パーツとしても見ごたえがあります。
スーツの上にカウボーイハットをかぶり、朝食はスクランブルエッグにソーセージ。車は真っ赤なトラクターで、オーバーオールで農作業。
いいですねえ、こういう、幸せな想像の上での世界観というものは。
泣き通しでした。
母親に捨てられたも同然の少年が、顔も知らなかった大伯父兄弟の下でひと夏を過ごし、さまざまなことを体験してく物語です。
大ボラのようなアフリカやアラブの話。
婚約者を奪い取った族長と、石油の話。
それらを裏づけするような、ハブ伯父の強さと、正体不明の金。
美しい写真の女性に、ジャスミンという女性の物語。
見ているこっちは、ウォルターがおかれた、しようもない現実よりも、ガース伯父が話してくれる、過去の話を信じたい。
けれど、周囲はそれを笑う。
真夜中、一人出歩くハブ伯父に、ウォルターは尋ねます。話は本当なのかと。
「この世には、本当であるかどうかは別にして、信じなければならないことがある」
「人間は、生来善だ。善は必ず悪に勝つ」
「そして、真実の愛は、永遠に滅びることはないのだ」
見ながら嗚咽。
当たり前のことを当たり前に言う、年老いた伯父。
決して当たり前ではないことを、当たり前だと言える伯父。
どちらにしても、なんだか胸をうつものがあって、非常にぐっときました。
ハブ伯父にとって、それは真実であり、そしてその姿を見たウォルターにとっても、信じたい過去の話であった、ということなのでしょう。
結果、ウォルターはガース伯父が話す、過去のハブ伯父のエピソードを信じ、自分を迎えに来た母親とその恋人から離れます。
「一度で良いから、僕のことだけ考えて」
母親も決して悪い人、ではないんですが………。悪い母親、ではあるんでしょうな………。
結局子供を置いて新しい男を作り、「私にはこれしかない」と言い切れる以上、それは彼女の生き方であって。ただ、なら子供作っちゃいけねえよなあ………。
途中で、老いた雌ライオンを飼うことになるんですが、そのライオンが、母親の恋人に襲われたウォルターを助けて、死亡します。
「勇敢なライオンだった。本物の、ライオンだった」
そう、伯父たちとウォルターは言い合い、彼女が好きだったトウモロコシ畑に埋葬します。このとき、ちゃんと三人が正装しているのが凄く泣けるんですが。
ライオンを間違えて買ってしまったときも、「とんだ買い物だ」「お前の種よりマシだ」(ガース伯父はまがい物の種をこの前につかまされている)と、凄く会話がおしゃれでした。
そして、最後。
大人になり、独り立ちしたウォルターの元に、伯父たちの訃報が届きます。
「二人とも、一緒に逝かれました」
90歳で無免許で飛行機を運転した挙句、宙返りで倉庫をくぐろうとし、そのまま墜落して亡くなったと。
ウォルターが久しぶりに訪れた伯父たちの家は、記憶のまま変わらず、倉庫に飛行機だけが突っ込んで存在していました。
保安官は、遺書をウォルターに見せます。
『坊主に全部やる。 ライオンの隣に埋めてくれ』
ここで、一番号泣しました。
鼻水と涙で嗚咽しながら、突如現れたヘリコプターから、過去の物語に出てきた、婚約者を奪った族長の孫が現れます。
「彼らは真実の男だったと。一枚上手だったと。彼らをご存知ですか?」
信じたかった、少年だったウォルターが信じ、今も信じている伯父たちが、心底本物であったことを知った青年は、
「ええ。育ててもらいました」
胸をはってそう答えて、物語は終わるのでした。
俺は泣いたよ………。泣き疲れて眼が腫れました。
役者陣も豪華で、主人公ウォルター少年は、『シックス・センス』のあの少年です。ハーレイ・ジョエル・オスメントですね。
ハブ伯父は、『ゴッド・ファーザー』のロバート・デュヴァル。馬の首のシーンは怖かったなあ………。マーロン・ブランドが「捨てろ」と花束を見もせずに言うのも怖かった。
『サンキュー・スモーキング』にも出ていたらしいので、記憶を引っ張り出してみたんですが、ああ、あの、アーロン・エッカートの上司。
お勧めいただいたマイケル・ケインはガース伯父。ウォルターに初めからそれなりに好意的に接し、物語を進めてくれるチャーミングな伯父を好演していて、とてもセクシーです。
ハブ伯父は生き様で、ガース伯父は物語の語り部として、ウォルターをそれぞれ導いてくれます。
原題は『Secondhand Lions』といい、どういう意味なのかと見終わった後調べてみたんですが、Secondhand とは、中古品という意味を指すそうです。
中古のライオン、おんぼろライオンか………。
見終わった後わざわざ調べてまた泣く人間が一人。
いい映画でした。特に、エンドクレジットが凝っていたのには、満足。ウォルターの成長の証がそこにあります。
家一つ、車一つとっても、映画の中の世界としてあこがれた古き良き時代のアメリカンスタイルが見られるので、パーツとしても見ごたえがあります。
スーツの上にカウボーイハットをかぶり、朝食はスクランブルエッグにソーセージ。車は真っ赤なトラクターで、オーバーオールで農作業。
いいですねえ、こういう、幸せな想像の上での世界観というものは。
『魔法にかけられて』
前から面白い、面白いと聞いていたのですが、本当に面白かったです。
結論から言えば、みんな幸せになったからよかったようなものの………という、とんだKY野郎が主人公の物語なんですが、これくらい強引に幸せになってくれたほうが、コメディ作品としても面白いと思います。
そんなナチュラルに自然体なコメディなんてあってたまるか。
アニメ世界である魔法とおとぎの国からやってきたジゼルが、NYに住む男性や、その周囲の人たちとふれあい、幸せになるという、非常にわかりやすい王道物語。
私は、始めジゼルが現実世界に来たときに、相手の男にも彼女がいて、ジゼルにも運命の王子様がちゃんといたわけですから、「そうか。ジゼルたちの愛の姿を見て、NYの恋人たちも上手くいくんだ」なんて、お気楽なことを考えていましたが、そんなわけなかった。
ジゼルは結局、NYの男と幸せになり、NYの女は王子様と幸せになるわけです。そりゃ物語の展開からしてもそうなんですが、現実は現実で幸せになるんだなんて思い込んでいた自分が穢れていると心底思いました。いや、別にこのシャッフルカップルが気に入らないとかそんなこたあないんですが………。
ミュージカルシーンはありますが、ドギツイ感じではなく、初めからおとぎの国の物語として演出されるので、NYやセントラルパークでいきなり歌って踊られても違和感はありません。そういうことを日常で平気にやっていたジゼルが、当たり前のようにやるわけですから。
作中の音楽も古き良き時代の音楽テイストが非常に強く、「思わず口ずさみたくなる」という正統派ミュージカルでした。音楽はとてもよかったです。
ジゼルの破天荒ぶりも可愛いし、根が素直で純真なので、嫌味がありません。瞳がきれいだとか、髪が美しいとか、混じりけなしに言われたらそれは嬉しいし。
そんな彼女が、相手の男に向かって「いつも、ノーしか言わないのね!」と初めて怒りを覚え、自分の感情を自覚するっていうのも、中々上手いつくりです。
俳優陣は文句なし。ジゼルの役の人はキュートだし、王子様は、『ヘアスプレー』で抜群の男前っぷりを誇った、ジェームズ・マースデンでかっこいいし。女王なんてスーザン・サランドンですよ。凄みがあってきれいで誰かと思ったよ。
個人的に、こずるい従者ナサニエル役のティモシー・スポールが素敵でした。演技が上手いのも勿論なんですが、最後、そこからふっきれた時が、まあすんごい男前で。こういう、どこにでもいそうな小太りの中年男がかっこいいのって、真実素敵ですね。
誰でも、気軽な気持ちで楽しめると思います。別に人生がどうのとか、そういうエスプリがきいた作品ではないですし、そんなん考えてたらコメディなんて楽しめるか。
前から面白い、面白いと聞いていたのですが、本当に面白かったです。
結論から言えば、みんな幸せになったからよかったようなものの………という、とんだKY野郎が主人公の物語なんですが、これくらい強引に幸せになってくれたほうが、コメディ作品としても面白いと思います。
そんなナチュラルに自然体なコメディなんてあってたまるか。
アニメ世界である魔法とおとぎの国からやってきたジゼルが、NYに住む男性や、その周囲の人たちとふれあい、幸せになるという、非常にわかりやすい王道物語。
私は、始めジゼルが現実世界に来たときに、相手の男にも彼女がいて、ジゼルにも運命の王子様がちゃんといたわけですから、「そうか。ジゼルたちの愛の姿を見て、NYの恋人たちも上手くいくんだ」なんて、お気楽なことを考えていましたが、そんなわけなかった。
ジゼルは結局、NYの男と幸せになり、NYの女は王子様と幸せになるわけです。そりゃ物語の展開からしてもそうなんですが、現実は現実で幸せになるんだなんて思い込んでいた自分が穢れていると心底思いました。いや、別にこのシャッフルカップルが気に入らないとかそんなこたあないんですが………。
ミュージカルシーンはありますが、ドギツイ感じではなく、初めからおとぎの国の物語として演出されるので、NYやセントラルパークでいきなり歌って踊られても違和感はありません。そういうことを日常で平気にやっていたジゼルが、当たり前のようにやるわけですから。
作中の音楽も古き良き時代の音楽テイストが非常に強く、「思わず口ずさみたくなる」という正統派ミュージカルでした。音楽はとてもよかったです。
ジゼルの破天荒ぶりも可愛いし、根が素直で純真なので、嫌味がありません。瞳がきれいだとか、髪が美しいとか、混じりけなしに言われたらそれは嬉しいし。
そんな彼女が、相手の男に向かって「いつも、ノーしか言わないのね!」と初めて怒りを覚え、自分の感情を自覚するっていうのも、中々上手いつくりです。
俳優陣は文句なし。ジゼルの役の人はキュートだし、王子様は、『ヘアスプレー』で抜群の男前っぷりを誇った、ジェームズ・マースデンでかっこいいし。女王なんてスーザン・サランドンですよ。凄みがあってきれいで誰かと思ったよ。
個人的に、こずるい従者ナサニエル役のティモシー・スポールが素敵でした。演技が上手いのも勿論なんですが、最後、そこからふっきれた時が、まあすんごい男前で。こういう、どこにでもいそうな小太りの中年男がかっこいいのって、真実素敵ですね。
誰でも、気軽な気持ちで楽しめると思います。別に人生がどうのとか、そういうエスプリがきいた作品ではないですし、そんなん考えてたらコメディなんて楽しめるか。