『デトロイト・メタル・シティ』
原作の漫画は、四巻あたりでもういいやと思っていたんですが、逆に原作を知らなくても楽しめます。コメディ映画というよりは、わりと普通のヒューマンストーリーでした。
ただ、映像シーンは(曲そのものは賛否両論ありそうですが)やっぱり映像で見たほうがかっこいいですね。逆に、何を歌っているのかさっぱりわからんので、原作を知っていれば「SATUGAIせよ! SATUGAIせよ!」とわかるのですが、読んだことがない場合は、ただのシャウトにしか聞こえないんだろうなあ、といらぬ心配をしました。
私「せっかく音で聞こえるんだから、はっきり歌詞聴きたかったなあ」
知り合い「私も歌詞が字幕で出ればいいと思ったけど、そんなわけないよね」
私「でも現実的に、実際のデスメタルって歌詞わかるような歌なのかなあ」
知り合い「わからないからメタルなんじゃないの?」
何を歌っているのかわからないシャウト、がメタルなら、映画で使われていた曲は、明らかにメタルじゃないですが、個人的にはステージの迫力も相まって、非常に面白かったです。
内容としてもきれいにまとまっていましたし、原作がギャグマンガである以上、正体がバレたらおしまい、という連載のしばりがありますが、映画にはそんな垣根がないために、しっかりと物語としてのオチもついていたと思います。
ヒロイン相川さんよりも、何もかもわかっていて見つめるお母さんがいい。そして、それ以上に動じないお父さん。私この菅原大吉さん大好きなんで、出てくるだけでにやにやしてしまいました。
影の主役と言ってもいい、社長役の松雪泰子さんも迫真の演技で、他人の迷惑顧みず、下品な発言ばかりの口から「NO MUSIC NO DREAM」が出てくるからこそ、感じ入るわけです。ただ、松雪泰子さんガリッガリ。あまりにやせていて怖いくらいでした。着ているキャミソールの胸の部分に空白があるってそれどういうこと………。えぐれているのか胸が………。
主役の松山ケンイチは、正直、カツゼツが悪くて何を言っているのかよくわからんと思ったこともあったんですが、演技としては良かったです。この人、デカイんですね。家族の集合写真で頭二つくらいでかくてびっくり。
ああ、だから一番熱狂的なファン役の人が、大倉孝二さんなのか。この人もデカイもんなあ。並んで釣り合いが取れるだけの背丈の人なのか。
エンディングロール後の家族の集合写真、全員凄く個性が出ていて、一番映像として実は泣けました。ようするに家族物語だよな、これ。
原作の漫画は、四巻あたりでもういいやと思っていたんですが、逆に原作を知らなくても楽しめます。コメディ映画というよりは、わりと普通のヒューマンストーリーでした。
ただ、映像シーンは(曲そのものは賛否両論ありそうですが)やっぱり映像で見たほうがかっこいいですね。逆に、何を歌っているのかさっぱりわからんので、原作を知っていれば「SATUGAIせよ! SATUGAIせよ!」とわかるのですが、読んだことがない場合は、ただのシャウトにしか聞こえないんだろうなあ、といらぬ心配をしました。
私「せっかく音で聞こえるんだから、はっきり歌詞聴きたかったなあ」
知り合い「私も歌詞が字幕で出ればいいと思ったけど、そんなわけないよね」
私「でも現実的に、実際のデスメタルって歌詞わかるような歌なのかなあ」
知り合い「わからないからメタルなんじゃないの?」
何を歌っているのかわからないシャウト、がメタルなら、映画で使われていた曲は、明らかにメタルじゃないですが、個人的にはステージの迫力も相まって、非常に面白かったです。
内容としてもきれいにまとまっていましたし、原作がギャグマンガである以上、正体がバレたらおしまい、という連載のしばりがありますが、映画にはそんな垣根がないために、しっかりと物語としてのオチもついていたと思います。
ヒロイン相川さんよりも、何もかもわかっていて見つめるお母さんがいい。そして、それ以上に動じないお父さん。私この菅原大吉さん大好きなんで、出てくるだけでにやにやしてしまいました。
影の主役と言ってもいい、社長役の松雪泰子さんも迫真の演技で、他人の迷惑顧みず、下品な発言ばかりの口から「NO MUSIC NO DREAM」が出てくるからこそ、感じ入るわけです。ただ、松雪泰子さんガリッガリ。あまりにやせていて怖いくらいでした。着ているキャミソールの胸の部分に空白があるってそれどういうこと………。えぐれているのか胸が………。
主役の松山ケンイチは、正直、カツゼツが悪くて何を言っているのかよくわからんと思ったこともあったんですが、演技としては良かったです。この人、デカイんですね。家族の集合写真で頭二つくらいでかくてびっくり。
ああ、だから一番熱狂的なファン役の人が、大倉孝二さんなのか。この人もデカイもんなあ。並んで釣り合いが取れるだけの背丈の人なのか。
エンディングロール後の家族の集合写真、全員凄く個性が出ていて、一番映像として実は泣けました。ようするに家族物語だよな、これ。
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『ブラック・ダリア』
アーロン・エッカートが出ていたので。
実際にあった事件をどう料理したのかなあ、と思ったら、結構普通の社会派サスペンスでした。
CFで見た感じだと、もっとドロドロしているとか、映像美にこだわってみました、という雰囲気でしたが、刑事二人の内情や、過去が絡んだサスペンスとしてわりとまとまっていたと思います。
殺人現場のシーンも多いですが、あからさまではないので、目を背けたくなる描写もありません。
アーロン・エッカートは「その時代」のハンサムで、帽子が似合う泥臭い感じが、凄くカッコよかったんですが、主役の男の人の顔が浮いている。
他の連中が、本当にタバコとスーツと帽子、という昔ならではの男性や、女性ばかりなのに、妙に都会ナイズされた主人公の顔だけが、最初から最後まで非常に気になりました。
ジョシュ・ハートには、女におぼれたり、金に汚かったり、タフガイはどうしても似合わないなあ。演技が上手いのか下手なのかも個人的にはちょっと微妙です。
この人は、『ハリウッド殺人事件』でちょっとイカれた優等生を演じているくらいがちょうどいい。
『ハンニバル・ライジング』
『ブラック・ダリア』と連続で見てしまったので、胃もたれするかなあと思ったんですが、これ、意外に面白かったです。
予告で、なんちゃって日本文化とか、日本人ヒロイン(大体名前がムラサキって、ありえないだろう)とか、私的に笑いの要素しかないし、あの、天才精神科医、ハンニバル・レクターに、とってつけたような「原因」になった過去なんていらないだろうと思っていたんですが、愁嘆場もなく、淡々と人を殺していく様には、要因はあっても過程がない、っていうドライ感がよく描けていました。
青年のレクター博士を演じた、ギャスパー・ウリエルが線の細さも相まって、ド級の二枚目でした。
いやあ、私久しぶりに役者さんで、文句なしの美青年を見た。
ハンサムというほど砕けてなく、男前というほどタフでない、ただ綺麗な青年、それが淡々と殺人………というか、捕食していくさまが、なんとも綺麗で美しい。
映像的に綺麗に見せよう、という雰囲気ではないんですが、ハンニバルが相手を殺してく様が、大体拷問めいているので、彼そのものが毒々しかったら、もうこの映画やってられないと思います。日本刀を振り回したり、馬に縄ひかせて首絞めたり、死体の沈む貯水槽で溺死させたり、顎から頭頂部まで刃物を貫通させたりとか、ハンニバルがやってるからまだ許せる(視覚的に)。
最初の殺人で、「お前はご夫人を侮辱した」と、あのハンニバルが言うわけですよ。元々レクター博士は、フェミニストですし、異常性欲者ではないので、女性に対しては基本礼儀正しい。そのハンニバルにとって特別な相手が、未亡人である東洋人っていうのは、確かにパーツだけ見れば萌えですよねえ。
ただ、やっぱり日本文化の紹介的には、笑っちゃう場面ばかりでした。それも初期で出てこなくなるので、大丈夫、忘れられます。
鎧を飾ったり、面を天井からつるしたり、浮世絵を飾ったり、剣道を洋館でやったり、普通の日本人はしない。
ただ、東洋の神秘炸裂のレディ・ムラサキと、何処となく浮世離れした天才殺人鬼の恋愛未満の関係だけで、異様に女性向けの倒錯した雰囲気が流れておりました。
二人とも恋愛じゃない、っていうのがまた。
「愛している」
とハンニバルが告げても、
「貴方に愛に値するものがあるの?」
と去っていくムラサキ。
それを追いかけることなく、相手の頬肉を噛み千切るハンニバル。
これ、萌えましたねえ。
カニバリズムが根底にあるとはいえ、それを感じさせず淡々と人を殺していくハンニバルの魅力は、歳経たものではなく、まだまだ純白の初々しさがあって、『羊達の沈黙』のような、恐怖ではなく、かわいらしさすら感じされる内容でした。
さあ君も、ハンニバル・レクターにウィンクされてみないか。
アーロン・エッカートが出ていたので。
実際にあった事件をどう料理したのかなあ、と思ったら、結構普通の社会派サスペンスでした。
CFで見た感じだと、もっとドロドロしているとか、映像美にこだわってみました、という雰囲気でしたが、刑事二人の内情や、過去が絡んだサスペンスとしてわりとまとまっていたと思います。
殺人現場のシーンも多いですが、あからさまではないので、目を背けたくなる描写もありません。
アーロン・エッカートは「その時代」のハンサムで、帽子が似合う泥臭い感じが、凄くカッコよかったんですが、主役の男の人の顔が浮いている。
他の連中が、本当にタバコとスーツと帽子、という昔ならではの男性や、女性ばかりなのに、妙に都会ナイズされた主人公の顔だけが、最初から最後まで非常に気になりました。
ジョシュ・ハートには、女におぼれたり、金に汚かったり、タフガイはどうしても似合わないなあ。演技が上手いのか下手なのかも個人的にはちょっと微妙です。
この人は、『ハリウッド殺人事件』でちょっとイカれた優等生を演じているくらいがちょうどいい。
『ハンニバル・ライジング』
『ブラック・ダリア』と連続で見てしまったので、胃もたれするかなあと思ったんですが、これ、意外に面白かったです。
予告で、なんちゃって日本文化とか、日本人ヒロイン(大体名前がムラサキって、ありえないだろう)とか、私的に笑いの要素しかないし、あの、天才精神科医、ハンニバル・レクターに、とってつけたような「原因」になった過去なんていらないだろうと思っていたんですが、愁嘆場もなく、淡々と人を殺していく様には、要因はあっても過程がない、っていうドライ感がよく描けていました。
青年のレクター博士を演じた、ギャスパー・ウリエルが線の細さも相まって、ド級の二枚目でした。
いやあ、私久しぶりに役者さんで、文句なしの美青年を見た。
ハンサムというほど砕けてなく、男前というほどタフでない、ただ綺麗な青年、それが淡々と殺人………というか、捕食していくさまが、なんとも綺麗で美しい。
映像的に綺麗に見せよう、という雰囲気ではないんですが、ハンニバルが相手を殺してく様が、大体拷問めいているので、彼そのものが毒々しかったら、もうこの映画やってられないと思います。日本刀を振り回したり、馬に縄ひかせて首絞めたり、死体の沈む貯水槽で溺死させたり、顎から頭頂部まで刃物を貫通させたりとか、ハンニバルがやってるからまだ許せる(視覚的に)。
最初の殺人で、「お前はご夫人を侮辱した」と、あのハンニバルが言うわけですよ。元々レクター博士は、フェミニストですし、異常性欲者ではないので、女性に対しては基本礼儀正しい。そのハンニバルにとって特別な相手が、未亡人である東洋人っていうのは、確かにパーツだけ見れば萌えですよねえ。
ただ、やっぱり日本文化の紹介的には、笑っちゃう場面ばかりでした。それも初期で出てこなくなるので、大丈夫、忘れられます。
鎧を飾ったり、面を天井からつるしたり、浮世絵を飾ったり、剣道を洋館でやったり、普通の日本人はしない。
ただ、東洋の神秘炸裂のレディ・ムラサキと、何処となく浮世離れした天才殺人鬼の恋愛未満の関係だけで、異様に女性向けの倒錯した雰囲気が流れておりました。
二人とも恋愛じゃない、っていうのがまた。
「愛している」
とハンニバルが告げても、
「貴方に愛に値するものがあるの?」
と去っていくムラサキ。
それを追いかけることなく、相手の頬肉を噛み千切るハンニバル。
これ、萌えましたねえ。
カニバリズムが根底にあるとはいえ、それを感じさせず淡々と人を殺していくハンニバルの魅力は、歳経たものではなく、まだまだ純白の初々しさがあって、『羊達の沈黙』のような、恐怖ではなく、かわいらしさすら感じされる内容でした。
さあ君も、ハンニバル・レクターにウィンクされてみないか。
『タロットカード殺人事件』
あまりのつまらなさにどうにかなってしまうかと思いました。
こ、これだけつまらなかったのは『オーシャンズ13』以来だぜ!
いや、あの映画はまだ、カッコイイジョージ・クルーニーとか、マッド・デイモンとか、ブラッド・ピットとか、役者さん目当てなら我慢できたのかもしれませんが、このつまらなさ、半端じゃない。
脚本グダグダで、最初我慢すれば面白くなるのかと思いきや、あまりに話し運びがつまらない、ウディ・アレン(監督兼役者)ふんする手品師のしつっこい上に、面白くもなんともないジョークを聞かされ、問答無用で早送りしてしまいました。ただ、早送りしたところで、重要な情報があったわけもなく、結局この映画、コメディにしてはあまり笑えず、サスペンスにしてはちっとも怖くなく、ミステリーにしては推理もなにもないと言う、三重苦の上に成り立っている映画だと確信。
とにかく、主役のウディ・アレンのベタベタした会話はイライラするし、芋くさい主人公の一人である、女性サンドラ演じるスカーレット・ヨハンソンもとにかく、ダサい。魅力的なダサさではなく、ひたすらダサく、結局金持ちの男にほだされる、見ている側がちっとも愛されないダサさに、本気でげんなりした。
しかも、どうやってオチ(犯人云々ではない)をつけるのかと思いきや………。結局、あの秘書と記者はなんだったんだ。
私は、ウディ・アレンがどれだけ偉大な監督なのか、全く知りませんが(基本的に映画でもなんでも、創作物を監督で選んだことは一度もないし、これからもない)、この作品だけで判断するなら、しょーもないじじいだとしか言いようがありませんでした。
とにかく、笑える場面が一度もないって、本気で誰かヤメロと言ってくれる人がいなかったのかと、逆に心配になるくらいでした。
いやー酷かった………。こういうつまらなさは、デビルマンのように超絶な駄作を見るより、却って辛いかもしれません。
『イン・ハー・シューズ』
………微妙。
決してつまらないわけではないのですが、視点が散漫な感じがします。
詰め込みすぎというか。
こらえしょうがない、いわゆるアバズレ女で、難読症を持つ妹と、堅物で弁護士の姉。ある日、姉の住まいに妹が転がり込み、姉の恋人と関係を持ってしまい、二人は離れて互いの生活を歩み始める、みたいな感じで始まり、母親が実は●●だったとか、障害があったとか、妹はずっと離れていた祖母のところに行くと、祖母は祖母で過去に色々娘と確執があったり、妹は老人ホームで働き出して、難読症を受け止めてくれた大学教授に読み聞かせをしたり、父親は父親で色々すれ違いがあったり、と、誰もこの映画にはまともな設定の人物はいないのかと思ってしまいます。
何をもって「まとも」であるかは個人差がありますし、人生誰にだって謝りたいこと、それが過ちであると知っていることなら、山ほどあると思うんですが、とにかくそれがコレでもか! と出てくる割には、肝心の人物のつながり、つながりの中の感情が希薄な印象を受けます。
姉は妹を愛し、妹は姉を愛する。
亡き娘を母親は愛し、娘も母を愛しただろう。
孫は祖母を愛し、父親を愛し、婚約者を愛する。
それぞれの関係はわかるのですが、なんだろう、そこに至るまでの「感情」が描かれないので、なぜそうも姉は妹を愛するのか、母を愛するのは、という理屈抜きの感情を画面から察するのが難しいというか。
うーん、これは家族関係希薄というか、肉親に対してさほど特別な感情を持っていない私が見ても、何故ばかりが気になってしまって楽しめなかった、というだけなのかもしれません。
オシャレな会話とか、姉にアプローチしてくる会社の同僚のウィットにとんだ会話とか、色々細部は面白い部分はあるんですけどね。
感情移入するのは、現実に生きている姉なんですが、人物的に楽しいだろうなあ、というのは圧倒的に妹で、そこがちょっと残念だというか。姉もなんていうか、本当に味方になりたい、共感したいんですが、ちょっとなんていうかなあ、その感情はわかるんだけど、姉の物語のキモである、異性がこの女性にひかれる理由っていうのが、明らかに弱いというか。
ですが、私は基本的に常識の中で生きている、常識を良しとする人間なので、妹の盗癖だけで、私的に許せる範囲超えてます。自分の生活に入り込んできて、勝手に物をあさり、自分のルールを押し付け、仕事の邪魔までしてくる人間を、妹だからって許せるかあ!
別に、妹が難読症とかそんなこと、個人の評価としてどうでもいいんですよ。ただもう、妹の言動が駄目。これで許してくれとか、もうどのツラ下げて言っているのかと。
「もっと早くにおばあちゃんが出会う努力をしてくれれば、寂しくなかったのに」
って、お前、それが姉の幸せを奪った人間が言う台詞かよ!
結局妹って姉以上に、他人に幸せにしてもらいたい風がブンブンなので、それが一番見ていて辛いです。
実際、自分の弟がこういう奴だったらどうだろう、許せるかなあと思ってもみたのですが、そんな奴じゃないから好きなんじゃねえかという当たり前の結論に達しました。
題名どおり靴の種類がいろいろ出てきて、それは見ごたえがありました。おばあちゃんの服とかね。
「ジミー・チュウの靴が!」
とか絶叫する姉は可愛かったです。
あまりのつまらなさにどうにかなってしまうかと思いました。
こ、これだけつまらなかったのは『オーシャンズ13』以来だぜ!
いや、あの映画はまだ、カッコイイジョージ・クルーニーとか、マッド・デイモンとか、ブラッド・ピットとか、役者さん目当てなら我慢できたのかもしれませんが、このつまらなさ、半端じゃない。
脚本グダグダで、最初我慢すれば面白くなるのかと思いきや、あまりに話し運びがつまらない、ウディ・アレン(監督兼役者)ふんする手品師のしつっこい上に、面白くもなんともないジョークを聞かされ、問答無用で早送りしてしまいました。ただ、早送りしたところで、重要な情報があったわけもなく、結局この映画、コメディにしてはあまり笑えず、サスペンスにしてはちっとも怖くなく、ミステリーにしては推理もなにもないと言う、三重苦の上に成り立っている映画だと確信。
とにかく、主役のウディ・アレンのベタベタした会話はイライラするし、芋くさい主人公の一人である、女性サンドラ演じるスカーレット・ヨハンソンもとにかく、ダサい。魅力的なダサさではなく、ひたすらダサく、結局金持ちの男にほだされる、見ている側がちっとも愛されないダサさに、本気でげんなりした。
しかも、どうやってオチ(犯人云々ではない)をつけるのかと思いきや………。結局、あの秘書と記者はなんだったんだ。
私は、ウディ・アレンがどれだけ偉大な監督なのか、全く知りませんが(基本的に映画でもなんでも、創作物を監督で選んだことは一度もないし、これからもない)、この作品だけで判断するなら、しょーもないじじいだとしか言いようがありませんでした。
とにかく、笑える場面が一度もないって、本気で誰かヤメロと言ってくれる人がいなかったのかと、逆に心配になるくらいでした。
いやー酷かった………。こういうつまらなさは、デビルマンのように超絶な駄作を見るより、却って辛いかもしれません。
『イン・ハー・シューズ』
………微妙。
決してつまらないわけではないのですが、視点が散漫な感じがします。
詰め込みすぎというか。
こらえしょうがない、いわゆるアバズレ女で、難読症を持つ妹と、堅物で弁護士の姉。ある日、姉の住まいに妹が転がり込み、姉の恋人と関係を持ってしまい、二人は離れて互いの生活を歩み始める、みたいな感じで始まり、母親が実は●●だったとか、障害があったとか、妹はずっと離れていた祖母のところに行くと、祖母は祖母で過去に色々娘と確執があったり、妹は老人ホームで働き出して、難読症を受け止めてくれた大学教授に読み聞かせをしたり、父親は父親で色々すれ違いがあったり、と、誰もこの映画にはまともな設定の人物はいないのかと思ってしまいます。
何をもって「まとも」であるかは個人差がありますし、人生誰にだって謝りたいこと、それが過ちであると知っていることなら、山ほどあると思うんですが、とにかくそれがコレでもか! と出てくる割には、肝心の人物のつながり、つながりの中の感情が希薄な印象を受けます。
姉は妹を愛し、妹は姉を愛する。
亡き娘を母親は愛し、娘も母を愛しただろう。
孫は祖母を愛し、父親を愛し、婚約者を愛する。
それぞれの関係はわかるのですが、なんだろう、そこに至るまでの「感情」が描かれないので、なぜそうも姉は妹を愛するのか、母を愛するのは、という理屈抜きの感情を画面から察するのが難しいというか。
うーん、これは家族関係希薄というか、肉親に対してさほど特別な感情を持っていない私が見ても、何故ばかりが気になってしまって楽しめなかった、というだけなのかもしれません。
オシャレな会話とか、姉にアプローチしてくる会社の同僚のウィットにとんだ会話とか、色々細部は面白い部分はあるんですけどね。
感情移入するのは、現実に生きている姉なんですが、人物的に楽しいだろうなあ、というのは圧倒的に妹で、そこがちょっと残念だというか。姉もなんていうか、本当に味方になりたい、共感したいんですが、ちょっとなんていうかなあ、その感情はわかるんだけど、姉の物語のキモである、異性がこの女性にひかれる理由っていうのが、明らかに弱いというか。
ですが、私は基本的に常識の中で生きている、常識を良しとする人間なので、妹の盗癖だけで、私的に許せる範囲超えてます。自分の生活に入り込んできて、勝手に物をあさり、自分のルールを押し付け、仕事の邪魔までしてくる人間を、妹だからって許せるかあ!
別に、妹が難読症とかそんなこと、個人の評価としてどうでもいいんですよ。ただもう、妹の言動が駄目。これで許してくれとか、もうどのツラ下げて言っているのかと。
「もっと早くにおばあちゃんが出会う努力をしてくれれば、寂しくなかったのに」
って、お前、それが姉の幸せを奪った人間が言う台詞かよ!
結局妹って姉以上に、他人に幸せにしてもらいたい風がブンブンなので、それが一番見ていて辛いです。
実際、自分の弟がこういう奴だったらどうだろう、許せるかなあと思ってもみたのですが、そんな奴じゃないから好きなんじゃねえかという当たり前の結論に達しました。
題名どおり靴の種類がいろいろ出てきて、それは見ごたえがありました。おばあちゃんの服とかね。
「ジミー・チュウの靴が!」
とか絶叫する姉は可愛かったです。
ツタヤディスカスで、一気にポケモン劇場版シリーズを予約リストに入れたわけですが、一発目に発送されたのが、ルカリオだったという点で「ツタヤ、わかっている………」と思ったのですが、そのDVDががっつり再生不良だったため、「お前は何もわかっちゃいねえ!」とキレそうになりました。
『ダークナイト THE DARK NIGHT』を、先行レイトショーで見て来ました。
初めから大した期待をしていなかったのですが(公式サイトがまともに見られないから、というただそれだけ(小っちゃい))予想外に面白かったです。
三時間近くあるので、見ている最中で「長い」と正直思わないでもなかったのですが、大きな謎を追いかけて最後にオチがつく、というタイプの流れではなく、飽きさせないように、山場を小出しに持ってくるスタイルの映画でしたので、盛りだくさんという印象はあっても、中だるみをしているという印象はありません。なんていうか、ちゃんとサービスをわかってやっている、という感じです。
バットマンシリーズはそれほど詳しくないので、今回何故一作目で死亡したはずの悪役、「ジョーカー」がひょっこり生き返っているのか、不思議でならなかったのですが、根本的に勘違いだったことを知りました。
手塚治虫の漫画でよくある技法に「スターシステム」というものがあり、それは、自分の作品の中に出てくる登場人物を、違う作品にも一つのキャラクターとして登場させる、というものなのですが、今回の「ジョーカー」はそれに属するものなのですね。
つまり、第一作目のジョーカーと、今回のジョーカー(それにもう一人出てくる敵役)は、ジョーカーと言う名前の悪役、というつながりでしかないわけで、過去の話だとか未来の話だとか、シリーズ物に対して符号をつける、という作品ではないわけです。それならそれで、完全に独立した悪役として、非常に楽しんで見られました。どうやら、前作の「バットマンビギンズ」の時点で一回作品としてリセットされているらしいので。
今回予想外に、とても面白かったのですが、やっぱりキャラクターの個性の見せ方が、金かかってて見ごたえがあります。
大体主役のバットマンからして、あの仮面にあのマントにあのシルエットですから、外見だけ引っこ抜いても笑いの要素満載なのに、それを純粋に「カッコイイ」と思えてしまうのは、技術力、演出力の高さすなわち、資本金の潤沢さですね。
これはやっぱりハリウッド的だなあと思います。いくらハリウッドそのものが衰退しているといわれているとはいえ、エンターテイメントとしての見せ方は、特に実写は一日の長があります。
明らかに日本の金のかけ方とは違い、カッコいいものをよりカッコよく見せる(日本の場合はカッコいいものをカッコよく見せるよりは、人が気づかないような部分に金をかけたり、かっこ悪いものをより溶け込ませる、ようなわびさびの部分に金をかけることが多いような気がするので)手法は、画面として見ごたえがあります。
ただ、せっかくの戦闘シーンでも、基本バットマンが出てくるのは夜なわけですから、夜に真っ黒な服装の男が動いていても良く見えないのが残念なところです(苦笑)。
アメリカ映画ならではの、おしゃれな台詞も満載。特に執事アルフレッドはカッコよすぎて暴走してました。
マイケル・ケインという超ベテランさんの俳優さんなのですが、老人ががっつりスーツに身を包み、背筋をピンと伸ばして、並ぶとバットマンよりガタイがよくて背が高いなんて、それどんな挑戦だ。
自分だけと背負い込もうとするバットマンに「ほら言ったとおりだ」といつか言うかもしれない、というアルフレッド。そしてその場面がいざきたら、「今は言う気分じゃない」といい、二人ならんで歩いているそのなんてことないときに、ふらっと近寄り「ほら、言った通りになったでしょう」とそっと耳打ちするとか、どれだけおしゃれなじじいなんだ。
昼間、バットモービル(専用車)では目立ちすぎると、自家用車で行くというバットマンに、
「では、ランボルギーニで? 地味ですな」
とか、飄々と言っちゃうし。ああーカッコイイわ、執事。
私執事属性は全くない、どころかマイナスなんですが、こんなじじいだったら大歓迎だな。
そして、バットマンの協力者兼科学者であるアレックスも、モーガン・フリーマンが配役の時点で、「負けたよ………」と思わずにはいられなかったのですが、やっぱり完全敗北でした。
出番としてはそう多くもないのですが、おいしいところでしっかりしめるところはしめる、大人の魅力満載です。
バットマンに無数にあるモニターの監視を任されたとき、引きの絵で背後からの全身像が写り、ジャケットを脱いで椅子にかける一連のシーンは、「こんな魅力的なジャケットプレイ見たことねえ!」と鼻血ものでした。またこの人、身長189センチもありやがんの! 背筋ぴんと伸びてる71歳の189cmってどういうこと!?
名もない囚人達の台詞もカッコよく、とある緊迫した場面で、
「俺がやる。お前には無理だ。他の連中には俺が奪ったと伝えればいい。お前が十分前にしなければいけなかったことを、俺がやってやる」
と、黒人の囚人役の人が言ったときには、本気でしびれました。
いきなり出てくる人なので、物語としてつながりがあるとか、そんなことではないんですが、このたった一言で、この人はキャラクターとして確立しました。これこそが台詞の上手さよ。
役者陣がとにかく凄く豪華で、日本人受けしそうな美男である、クリスチャン・ベールは顔立ちのせいで、一見スリムに見えますが、その実首から肩にかけての筋肉どうにかなりませんかですし、悪に立ち向かう家族思いの刑事は、それこそ日本でおなじみのゲイリー・オールドマン。この人が普通の役をやっている、というだけでなんだか希少価値があるような気がします(笑)。
そして、今回のキモである検事役がアーロン・エッカート。一番主役陣の中では微妙な顔立ち(金髪碧眼にごっついあごの輪郭に、ケツアゴですから)なんですが、一番カッコよかったです。表現は古いですが、タフガイという面持ちですね。
この検事は物語終盤えらいことになるのですが、それは見てのお楽しみということで。物語を最後まで見ると、映画館に飾ってある検事のアップのポスターが非常に意味深で、なるほどと思います。これ、バットマンのバージョンもジョーカーのバージョンも同じポーズであるんですが、多分基点になってるのは、このハービー・デント検事です。
「大丈夫だと、大切な人間に嘘をつかなければいけない人間の気持ちがわかるか?」
は、泣けました。
ヒロイン、レイチェルは、マギー・レンホールなんですが、私何故かキルスティン・ダンストだとずっと思い込んでました。ごめんごめん。
この人の髪型は濃い茶色なのですが、ドレスシーンのときに、アップにしてゆるく結い上げている、髪の陰影が素敵でした。真っ黒な髪では、薄い部分と濃い部分の差があまり目立ちませんが、茶系だとそれが綺麗ですね。
そしてジョーカー役のヒース・レジャー。実はレイトショーで本当に偶然、いつも映画を見ている知り合いとばったり遭遇し、仰天したんですが、その人はヒース・レジャーが故人だったということをつい最近まで知らなくて、ファンだっただけに、へこんじゃってまともに見られなかったと申しておりました。作品中ではずっと、ジョーカーの口割けメイクですから、素顔は正直まったくわからないのですが、なんていうか、非常に小柄で華奢なイメージを持ってしまうのがマジック。実際そんなことは全くないのですが、防御服を着たバットマンと、普通にしててもゴッツイ検事と並ぶと、ジョーカーすげえお姫様に見える(苦笑)んですよ。勿論そんなことはなく、二の腕は立派な男の人ですし、スーツを脱いでベスト姿になると、その筋肉は立派なものなんですが、私の持つ「小さな人間の大きな狂気」というイメージが、がっつり合ったのだと思います。
初代(と言うか)ジョーカー役が、ジャック・ニコルソンで、そのイメージが強かったため、「小さい男の人」と思い込んでしまっているんですが、そのジャック・ニコルソンだって身長177センチあるんだから、決して小さいわけじゃないんですよね。道化者=背の低い男(差別的な意味ではなく)という印象が強かったのかもしれません。
とにかく、最初から最後まで自分の狂気に真っ直ぐなジョーカーは、さすがに見ていてぞっとするシーン満載でした。最後も、はっきりとした決着がつかないところが、また「狂気は滅びない」みたいで怖いし。
口割け男なので、事あるごとに相手の口にナイフを突っ込んで、割こうとする(見せかける)シーンが多く、そのたびに「ひえええ」となります。拳銃とかバズーカーを打ち合うのは、冷静な目で見られるんですが、あの柔らかい口の中に鋭利な刃物が、と思うとさすがに「うへえ」と思いますね。
年齢不詳のジョーカーですが実際演じたヒース・レジャーは28歳で亡くなっているので、主役陣の中ではダントツに若いことになります。うーんそれも役者さんの妙だなあ。若くもあり、実際老人であってもおかしくない「老い方」でもあり。
最後に、この「ダークナイト」ですが、私物語の最後の最後まで、「夜」の「ナイト」だと信じて疑いませんでした。
いや、作中で「明けない夜明けはない。夜明け前が一番暗いんだ」みたいなこと言うから、てっきりそうなのかと!
英語100点満点で16点取ったことのある女の勘違いでした。
つづりみれば、完璧に「THE DARK KNIGHT」なんだから、そんなわけないんですけども。これはあれだ、ミスリードって奴ですね(違います)。
ともかく非常に満足したデキでした。エンターテイメントとしても、実に物語り運びやオチが「日本的」であったので、それなりに殺害シーンが大丈夫な方は、是非。
『ダークナイト THE DARK NIGHT』を、先行レイトショーで見て来ました。
初めから大した期待をしていなかったのですが(公式サイトがまともに見られないから、というただそれだけ(小っちゃい))予想外に面白かったです。
三時間近くあるので、見ている最中で「長い」と正直思わないでもなかったのですが、大きな謎を追いかけて最後にオチがつく、というタイプの流れではなく、飽きさせないように、山場を小出しに持ってくるスタイルの映画でしたので、盛りだくさんという印象はあっても、中だるみをしているという印象はありません。なんていうか、ちゃんとサービスをわかってやっている、という感じです。
バットマンシリーズはそれほど詳しくないので、今回何故一作目で死亡したはずの悪役、「ジョーカー」がひょっこり生き返っているのか、不思議でならなかったのですが、根本的に勘違いだったことを知りました。
手塚治虫の漫画でよくある技法に「スターシステム」というものがあり、それは、自分の作品の中に出てくる登場人物を、違う作品にも一つのキャラクターとして登場させる、というものなのですが、今回の「ジョーカー」はそれに属するものなのですね。
つまり、第一作目のジョーカーと、今回のジョーカー(それにもう一人出てくる敵役)は、ジョーカーと言う名前の悪役、というつながりでしかないわけで、過去の話だとか未来の話だとか、シリーズ物に対して符号をつける、という作品ではないわけです。それならそれで、完全に独立した悪役として、非常に楽しんで見られました。どうやら、前作の「バットマンビギンズ」の時点で一回作品としてリセットされているらしいので。
今回予想外に、とても面白かったのですが、やっぱりキャラクターの個性の見せ方が、金かかってて見ごたえがあります。
大体主役のバットマンからして、あの仮面にあのマントにあのシルエットですから、外見だけ引っこ抜いても笑いの要素満載なのに、それを純粋に「カッコイイ」と思えてしまうのは、技術力、演出力の高さすなわち、資本金の潤沢さですね。
これはやっぱりハリウッド的だなあと思います。いくらハリウッドそのものが衰退しているといわれているとはいえ、エンターテイメントとしての見せ方は、特に実写は一日の長があります。
明らかに日本の金のかけ方とは違い、カッコいいものをよりカッコよく見せる(日本の場合はカッコいいものをカッコよく見せるよりは、人が気づかないような部分に金をかけたり、かっこ悪いものをより溶け込ませる、ようなわびさびの部分に金をかけることが多いような気がするので)手法は、画面として見ごたえがあります。
ただ、せっかくの戦闘シーンでも、基本バットマンが出てくるのは夜なわけですから、夜に真っ黒な服装の男が動いていても良く見えないのが残念なところです(苦笑)。
アメリカ映画ならではの、おしゃれな台詞も満載。特に執事アルフレッドはカッコよすぎて暴走してました。
マイケル・ケインという超ベテランさんの俳優さんなのですが、老人ががっつりスーツに身を包み、背筋をピンと伸ばして、並ぶとバットマンよりガタイがよくて背が高いなんて、それどんな挑戦だ。
自分だけと背負い込もうとするバットマンに「ほら言ったとおりだ」といつか言うかもしれない、というアルフレッド。そしてその場面がいざきたら、「今は言う気分じゃない」といい、二人ならんで歩いているそのなんてことないときに、ふらっと近寄り「ほら、言った通りになったでしょう」とそっと耳打ちするとか、どれだけおしゃれなじじいなんだ。
昼間、バットモービル(専用車)では目立ちすぎると、自家用車で行くというバットマンに、
「では、ランボルギーニで? 地味ですな」
とか、飄々と言っちゃうし。ああーカッコイイわ、執事。
私執事属性は全くない、どころかマイナスなんですが、こんなじじいだったら大歓迎だな。
そして、バットマンの協力者兼科学者であるアレックスも、モーガン・フリーマンが配役の時点で、「負けたよ………」と思わずにはいられなかったのですが、やっぱり完全敗北でした。
出番としてはそう多くもないのですが、おいしいところでしっかりしめるところはしめる、大人の魅力満載です。
バットマンに無数にあるモニターの監視を任されたとき、引きの絵で背後からの全身像が写り、ジャケットを脱いで椅子にかける一連のシーンは、「こんな魅力的なジャケットプレイ見たことねえ!」と鼻血ものでした。またこの人、身長189センチもありやがんの! 背筋ぴんと伸びてる71歳の189cmってどういうこと!?
名もない囚人達の台詞もカッコよく、とある緊迫した場面で、
「俺がやる。お前には無理だ。他の連中には俺が奪ったと伝えればいい。お前が十分前にしなければいけなかったことを、俺がやってやる」
と、黒人の囚人役の人が言ったときには、本気でしびれました。
いきなり出てくる人なので、物語としてつながりがあるとか、そんなことではないんですが、このたった一言で、この人はキャラクターとして確立しました。これこそが台詞の上手さよ。
役者陣がとにかく凄く豪華で、日本人受けしそうな美男である、クリスチャン・ベールは顔立ちのせいで、一見スリムに見えますが、その実首から肩にかけての筋肉どうにかなりませんかですし、悪に立ち向かう家族思いの刑事は、それこそ日本でおなじみのゲイリー・オールドマン。この人が普通の役をやっている、というだけでなんだか希少価値があるような気がします(笑)。
そして、今回のキモである検事役がアーロン・エッカート。一番主役陣の中では微妙な顔立ち(金髪碧眼にごっついあごの輪郭に、ケツアゴですから)なんですが、一番カッコよかったです。表現は古いですが、タフガイという面持ちですね。
この検事は物語終盤えらいことになるのですが、それは見てのお楽しみということで。物語を最後まで見ると、映画館に飾ってある検事のアップのポスターが非常に意味深で、なるほどと思います。これ、バットマンのバージョンもジョーカーのバージョンも同じポーズであるんですが、多分基点になってるのは、このハービー・デント検事です。
「大丈夫だと、大切な人間に嘘をつかなければいけない人間の気持ちがわかるか?」
は、泣けました。
ヒロイン、レイチェルは、マギー・レンホールなんですが、私何故かキルスティン・ダンストだとずっと思い込んでました。ごめんごめん。
この人の髪型は濃い茶色なのですが、ドレスシーンのときに、アップにしてゆるく結い上げている、髪の陰影が素敵でした。真っ黒な髪では、薄い部分と濃い部分の差があまり目立ちませんが、茶系だとそれが綺麗ですね。
そしてジョーカー役のヒース・レジャー。実はレイトショーで本当に偶然、いつも映画を見ている知り合いとばったり遭遇し、仰天したんですが、その人はヒース・レジャーが故人だったということをつい最近まで知らなくて、ファンだっただけに、へこんじゃってまともに見られなかったと申しておりました。作品中ではずっと、ジョーカーの口割けメイクですから、素顔は正直まったくわからないのですが、なんていうか、非常に小柄で華奢なイメージを持ってしまうのがマジック。実際そんなことは全くないのですが、防御服を着たバットマンと、普通にしててもゴッツイ検事と並ぶと、ジョーカーすげえお姫様に見える(苦笑)んですよ。勿論そんなことはなく、二の腕は立派な男の人ですし、スーツを脱いでベスト姿になると、その筋肉は立派なものなんですが、私の持つ「小さな人間の大きな狂気」というイメージが、がっつり合ったのだと思います。
初代(と言うか)ジョーカー役が、ジャック・ニコルソンで、そのイメージが強かったため、「小さい男の人」と思い込んでしまっているんですが、そのジャック・ニコルソンだって身長177センチあるんだから、決して小さいわけじゃないんですよね。道化者=背の低い男(差別的な意味ではなく)という印象が強かったのかもしれません。
とにかく、最初から最後まで自分の狂気に真っ直ぐなジョーカーは、さすがに見ていてぞっとするシーン満載でした。最後も、はっきりとした決着がつかないところが、また「狂気は滅びない」みたいで怖いし。
口割け男なので、事あるごとに相手の口にナイフを突っ込んで、割こうとする(見せかける)シーンが多く、そのたびに「ひえええ」となります。拳銃とかバズーカーを打ち合うのは、冷静な目で見られるんですが、あの柔らかい口の中に鋭利な刃物が、と思うとさすがに「うへえ」と思いますね。
年齢不詳のジョーカーですが実際演じたヒース・レジャーは28歳で亡くなっているので、主役陣の中ではダントツに若いことになります。うーんそれも役者さんの妙だなあ。若くもあり、実際老人であってもおかしくない「老い方」でもあり。
最後に、この「ダークナイト」ですが、私物語の最後の最後まで、「夜」の「ナイト」だと信じて疑いませんでした。
いや、作中で「明けない夜明けはない。夜明け前が一番暗いんだ」みたいなこと言うから、てっきりそうなのかと!
英語100点満点で16点取ったことのある女の勘違いでした。
つづりみれば、完璧に「THE DARK KNIGHT」なんだから、そんなわけないんですけども。これはあれだ、ミスリードって奴ですね(違います)。
ともかく非常に満足したデキでした。エンターテイメントとしても、実に物語り運びやオチが「日本的」であったので、それなりに殺害シーンが大丈夫な方は、是非。
日本アニメ「カウボーイビバップ」実写版をFOXが製作開始!
………色々なことが起こる世の中です。
「スピードレーサー」
予想外に面白かったです。
私は元ネタの「マッハGOGOGO」を知らなかったのですが、それでも十分楽しめました。
映画と言うよりは、アメリカのアニメ映画みたいですね。
登場人物は実写ですが、背景描写とか、物語のキモになるレースシーンはCGバリバリですし、格闘シーンやその他の場面変更時の演出も、エフェクトが完全にアニメちっくです。
見ている最中で、「CASSHERNみたい」と思ったのは秘密だ(いや、演出の感じとかがね)。
二時間半くらいあるので、結構ダレるんですが、迫力あるレースシーン以外も、結構物語の内容としてまとまっており、ラストに「悪が栄えたため死なし!」とすっきりばっさり終わらされて、見ている側も爽快感があります。
レース命の若者とその家族。そして死んだ兄。
レースの裏に暗躍する企業家。
物語の内容としてはベッタベタなのですが、それだけにセンスのいい台詞とか、聞いていて楽しかったです。
過去の八百長について主人公が、老いて引退したレーサーに尋ねると、
「俺と奴は敵同士といわれていたが、実際は親友だったんだ」
と答えが返ってくるのですが、見ている側は、
「だ、だからなんだ!?」
と疑問しか浮かびません。だが、それでいい。
これは、ちょっとカッコいいこと言ってみたかった老いたレーサーの雰囲気を味わえばそれでいいのです。
そういう、様式美的な台詞が多く、それはそれで意味はなくてもカッコイイ。
言葉の裏を返して真実を読み取るとか、深読みするんじゃなく、言った人間とそのシチュエーションを楽しめば言い、といいましょうか。
やたらにコミカルさを出したいのか、役に立たない末の弟とチンパンジーの組み合わせが出てくるのが、うっとうしかったですが、あれ、非常にアメリカの笑いの色が強いからだろうな。
企業家の悪事を暴露するために、同じ企業家の息子(レーサー)と協力するんですが、明らかにチャイニーズなのに、その息子の妹の名前がユキコというわけのわからなさは、原作を知っていれば薄まるのでしょうか。逆に、このわけのわからなさがアメリカから見た東洋人イズムだなあと思いました。またこの妹が信じられないくらい顔が濃くて、東洋人というより南米か東南アジアかプエルトリカン系だよ。
ウィキを見ると最初日本人設定らしかったのを、韓国の役者さんが韓国人ビジネスマンに変えたらしいですね。それはそれで全く構わないのですが、なら、妹の名前もどうにかしてやれよ。
この企業家の息子は、非常に美味しい役どころで、最後裏切ったと思わせておいて実は、という典型的な感じなんですが、こっちは裏切るわけがないと思えるし、かつ、その「実は」の部分の演出が非常に弱いので、その辺もったいなかったです。
具体的に言えば、グランプリに出られる権利を辞退して、父親と高笑いをしてレースを見守る、みたいな様子を妹が憂いて、兄の権利を主人公に譲るんですが、これも「わざと辞退」したんだろうな、というのが最後に漠然とわかるのではなく、「主人公の参加が決まった!」という時点で「妹をちらっと見る」とか、その程度の一瞬の演出でも十分だったのになあと思います。
最後主人公の優勝のときにだけ、妹と喜び合うってちょっと演出としては唐突すぎる。
まあこの役者さん、物凄い肉体美で外見も凄い微妙な美形でした。いえ、カッコイイんですが。
そして、主人公を影で助けてくれる警察側のレーサーXの顔が、これも微妙な二枚目で、すっげえカッコよかったです。凄いマッチョだし。
誰なんだろうと思っていたら、海外ドラマの「LOST」の主演の方らしいです。
この映画、完全無欠の二枚目は誰一人としていないんですが、そのかわり、あくの強い二枚目が山ほどいるので、そういう意味で個人的に眼福でした。
一瞬で消えちゃうレーサーとかも、カッコイイの山ほどいるし、一人なんか思いっきり、「KOF」のK’まんまでした。
あれ、絶対狙ってやってるだろ!
EDロールもおしゃれで、音楽も「マッハGOGOGO~」とちゃんと歌ってくれます。
名前の順番で主人公の次が母親役のスーザン・サランドンだったときは笑えましたが。
特別意識せずに最寄り駅にレイトショーを見に行ったのですが、行った先が吹き替え版だったのには倒れました。凄いよお客さん四人しかいない。
別に吹き替えが嫌だとかそんなことはないんですが、映画館では字幕というイメージがあったので、どんなもんかと思いつつ干渉し、結果として、「素人のジャニタレとアイドルが葺き替えている時点で主役とヒロインを愛するなと言ってるようなもんだ」と結論付けました。ほんと、この、大根が!(キレ)
ジャニーズに恨みはないですが(興味もない)素人がしゃしゃり出てくるのなら、実力を見につけてからにしろ! 萎える!
………色々なことが起こる世の中です。
「スピードレーサー」
予想外に面白かったです。
私は元ネタの「マッハGOGOGO」を知らなかったのですが、それでも十分楽しめました。
映画と言うよりは、アメリカのアニメ映画みたいですね。
登場人物は実写ですが、背景描写とか、物語のキモになるレースシーンはCGバリバリですし、格闘シーンやその他の場面変更時の演出も、エフェクトが完全にアニメちっくです。
見ている最中で、「CASSHERNみたい」と思ったのは秘密だ(いや、演出の感じとかがね)。
二時間半くらいあるので、結構ダレるんですが、迫力あるレースシーン以外も、結構物語の内容としてまとまっており、ラストに「悪が栄えたため死なし!」とすっきりばっさり終わらされて、見ている側も爽快感があります。
レース命の若者とその家族。そして死んだ兄。
レースの裏に暗躍する企業家。
物語の内容としてはベッタベタなのですが、それだけにセンスのいい台詞とか、聞いていて楽しかったです。
過去の八百長について主人公が、老いて引退したレーサーに尋ねると、
「俺と奴は敵同士といわれていたが、実際は親友だったんだ」
と答えが返ってくるのですが、見ている側は、
「だ、だからなんだ!?」
と疑問しか浮かびません。だが、それでいい。
これは、ちょっとカッコいいこと言ってみたかった老いたレーサーの雰囲気を味わえばそれでいいのです。
そういう、様式美的な台詞が多く、それはそれで意味はなくてもカッコイイ。
言葉の裏を返して真実を読み取るとか、深読みするんじゃなく、言った人間とそのシチュエーションを楽しめば言い、といいましょうか。
やたらにコミカルさを出したいのか、役に立たない末の弟とチンパンジーの組み合わせが出てくるのが、うっとうしかったですが、あれ、非常にアメリカの笑いの色が強いからだろうな。
企業家の悪事を暴露するために、同じ企業家の息子(レーサー)と協力するんですが、明らかにチャイニーズなのに、その息子の妹の名前がユキコというわけのわからなさは、原作を知っていれば薄まるのでしょうか。逆に、このわけのわからなさがアメリカから見た東洋人イズムだなあと思いました。またこの妹が信じられないくらい顔が濃くて、東洋人というより南米か東南アジアかプエルトリカン系だよ。
ウィキを見ると最初日本人設定らしかったのを、韓国の役者さんが韓国人ビジネスマンに変えたらしいですね。それはそれで全く構わないのですが、なら、妹の名前もどうにかしてやれよ。
この企業家の息子は、非常に美味しい役どころで、最後裏切ったと思わせておいて実は、という典型的な感じなんですが、こっちは裏切るわけがないと思えるし、かつ、その「実は」の部分の演出が非常に弱いので、その辺もったいなかったです。
具体的に言えば、グランプリに出られる権利を辞退して、父親と高笑いをしてレースを見守る、みたいな様子を妹が憂いて、兄の権利を主人公に譲るんですが、これも「わざと辞退」したんだろうな、というのが最後に漠然とわかるのではなく、「主人公の参加が決まった!」という時点で「妹をちらっと見る」とか、その程度の一瞬の演出でも十分だったのになあと思います。
最後主人公の優勝のときにだけ、妹と喜び合うってちょっと演出としては唐突すぎる。
まあこの役者さん、物凄い肉体美で外見も凄い微妙な美形でした。いえ、カッコイイんですが。
そして、主人公を影で助けてくれる警察側のレーサーXの顔が、これも微妙な二枚目で、すっげえカッコよかったです。凄いマッチョだし。
誰なんだろうと思っていたら、海外ドラマの「LOST」の主演の方らしいです。
この映画、完全無欠の二枚目は誰一人としていないんですが、そのかわり、あくの強い二枚目が山ほどいるので、そういう意味で個人的に眼福でした。
一瞬で消えちゃうレーサーとかも、カッコイイの山ほどいるし、一人なんか思いっきり、「KOF」のK’まんまでした。
あれ、絶対狙ってやってるだろ!
EDロールもおしゃれで、音楽も「マッハGOGOGO~」とちゃんと歌ってくれます。
名前の順番で主人公の次が母親役のスーザン・サランドンだったときは笑えましたが。
特別意識せずに最寄り駅にレイトショーを見に行ったのですが、行った先が吹き替え版だったのには倒れました。凄いよお客さん四人しかいない。
別に吹き替えが嫌だとかそんなことはないんですが、映画館では字幕というイメージがあったので、どんなもんかと思いつつ干渉し、結果として、「素人のジャニタレとアイドルが葺き替えている時点で主役とヒロインを愛するなと言ってるようなもんだ」と結論付けました。ほんと、この、大根が!(キレ)
ジャニーズに恨みはないですが(興味もない)素人がしゃしゃり出てくるのなら、実力を見につけてからにしろ! 萎える!