「アフタースクール」公式サイト。
全く何の前知識もなく鑑賞。正直、こんな映画があることすら知りませんでした。
私「ライラのリベンジでナルニア見に行かないか」
知り合い「メインの王子がどうしても好感が持てそうにないから、アフタースクールにしないか」
そんな経緯がありました。知り合いはあの王子のハリのない声が駄目なんだそうです。
知り合い「でも、あの王子は二年間探した末に見つけた逸材らしいよ」
そんな彼を貴方は見る前から滅多切りにしたわけですが。
さて、配役人も「大泉洋」と「佐々木蔵之介」と「堺雅人」ですよ。誰を見ていいものやら。
物語が「逆転に次ぐ逆転」なので、見ているほうも後半種明かしが始まるあたりから必死です。特に人の顔と名前が一致してなかったりすると大変だ。
別に人生に対して考え込むような内容ではなく、中学教師役の大泉が「あ、もじゃもじゃ」「もじゃもじゃって言うな!」「あ、なんで先生女の人と一緒にいるのー? なんでー?」「うるさい! あっち行けよもう」とか生徒にからかわれたり、素直な日常的な会話がカッコいいです。
かといって感動する場面がないわけではなく、ラスト近く、大泉が(反転)「学校にもいるんだよ。学校がつまんねえって、何もかもわかったような顔して。でもな、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんねえって思うのは、お前がつまらねえからだ」(反転終了)と、佐々木に言うシーンは静かにグっときました。
真面目で人情家の大泉もいいですし、ぼんやり真面目な堺も非常にキャラ立ってました。
人を助けて、急いで出発しなきゃいけないのに、中々エンジンをかけることができない大泉に「早くしなさいよ」と言ったときには、あまりにぴったりで倒れた。「早くしろよ」じゃなくて「しなさいよ」ってところが、あまりに彼らしい。
物語の中では、真面目でまっすぐでみたいな役柄で、ある人物に「何故助けようと思った」と問われた時の返事が素晴らしい。
「………助けて欲しいって」
「それで?」
「それで、いいよ、って」
私この台詞を聞いたとき、「脚本家の人はこの台詞が出てきたとき、やったぜ、と思ったんだろうなあ」と変なシンクロをしてしまいました。これを朴訥と言うんだから、カッコいいよなあ堺。
こういうのが「キャラ立ち」ですよね。本当に一言三言の台詞。物語としては別にあってもなくてもいい。謎に絡んでいるわけでもない。けれどこの台詞を語らせることにより、堺はもう完全に、作品の中での個性を確固たるものにした、と。こういうの、書いていて気持ちがいいだろうなあ。
大泉、堺、佐々木は物語の比重としては誰もおしなべて平等なのですが(これが珍しいことに)その中で、佐々木はちょっと立ち位置が違うだけあって、わりと救済がない感じです。救済がないというよりは、何も変わらなかったの「かな」という終わりなのですが、カッコいいのは勿論カッコいいぜ!(こういう紹介は映画としてなんら意味を成さないが)
ちょっと派手で、安っぽいカッコした佐々木さんが、カフェで足組んでる姿なんて、もうよだれ物ですよ。あの人は、顔以外の体系もちょっと卑怯だ。
話の内容も、話しちゃったら何一つ面白くないので割愛しますが、どんでんがえし物にありがちな
主役「実はあの子は俺の双子の妹なんだ!」
見てる側「お前そんな唐突な!」
みたいなオチは一つもないので安心してびっくりできます。似たようなオチはあっても、ちゃんとその前に細かな複線が小道具や、台詞取り混ぜてちりばめられているので、万が一「双子の妹」が出てきたとしても、唐突になんだよとは思いません。
映画館で映画を見る楽しみとして、予告編と(私は映画が始まる前の予告編が大好きです。あれ、三十分流れっぱなしでも全く構わない)劇場にある大きなポスターがあります。
エレベーターを降りた途端に、並ぶ「インディ・ジョーンズ」のポスター。
知り合い「ハリソン・フォードが出てるっていうだけで、若干卑怯だよね」
私「全くだ」
という話をしながらも、来月見るのはこれではあるまいという話もしつつ、「ナルニア」の油彩風のポスターを見て、これはなかなかいいといいつつ、二人一致で魂を抜かれたポスターが、こちら。
ジョーカーのかっこよさに魂を抜かれました。ジョーカーはバットマンの映画史上、最高の悪役です。あの一作目のジョーカーの最後はトラウマになるほどしびれるよなあ。
このポスター、映画館での大きいサイズを目の当たりにすると、迫力が半端じゃないです。他のポスターとは明らかに企画からしてして違う。これ、公式サイトができたら壁紙としてDLできるといいなあ。
私「でもこれを鑑賞しようって思うの、結構賭けだよね」
知り合い「多分ね」
多分、来月見るのは、「ザ・マジックアワー」になると思います。私は佐藤浩市も唐沢寿明も大好きだ! テンション上がるわ!
………でも私、ナルニアも地味に見たいです、知り合いよ。
全く何の前知識もなく鑑賞。正直、こんな映画があることすら知りませんでした。
私「ライラのリベンジでナルニア見に行かないか」
知り合い「メインの王子がどうしても好感が持てそうにないから、アフタースクールにしないか」
そんな経緯がありました。知り合いはあの王子のハリのない声が駄目なんだそうです。
知り合い「でも、あの王子は二年間探した末に見つけた逸材らしいよ」
そんな彼を貴方は見る前から滅多切りにしたわけですが。
さて、配役人も「大泉洋」と「佐々木蔵之介」と「堺雅人」ですよ。誰を見ていいものやら。
物語が「逆転に次ぐ逆転」なので、見ているほうも後半種明かしが始まるあたりから必死です。特に人の顔と名前が一致してなかったりすると大変だ。
別に人生に対して考え込むような内容ではなく、中学教師役の大泉が「あ、もじゃもじゃ」「もじゃもじゃって言うな!」「あ、なんで先生女の人と一緒にいるのー? なんでー?」「うるさい! あっち行けよもう」とか生徒にからかわれたり、素直な日常的な会話がカッコいいです。
かといって感動する場面がないわけではなく、ラスト近く、大泉が(反転)「学校にもいるんだよ。学校がつまんねえって、何もかもわかったような顔して。でもな、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんねえって思うのは、お前がつまらねえからだ」(反転終了)と、佐々木に言うシーンは静かにグっときました。
真面目で人情家の大泉もいいですし、ぼんやり真面目な堺も非常にキャラ立ってました。
人を助けて、急いで出発しなきゃいけないのに、中々エンジンをかけることができない大泉に「早くしなさいよ」と言ったときには、あまりにぴったりで倒れた。「早くしろよ」じゃなくて「しなさいよ」ってところが、あまりに彼らしい。
物語の中では、真面目でまっすぐでみたいな役柄で、ある人物に「何故助けようと思った」と問われた時の返事が素晴らしい。
「………助けて欲しいって」
「それで?」
「それで、いいよ、って」
私この台詞を聞いたとき、「脚本家の人はこの台詞が出てきたとき、やったぜ、と思ったんだろうなあ」と変なシンクロをしてしまいました。これを朴訥と言うんだから、カッコいいよなあ堺。
こういうのが「キャラ立ち」ですよね。本当に一言三言の台詞。物語としては別にあってもなくてもいい。謎に絡んでいるわけでもない。けれどこの台詞を語らせることにより、堺はもう完全に、作品の中での個性を確固たるものにした、と。こういうの、書いていて気持ちがいいだろうなあ。
大泉、堺、佐々木は物語の比重としては誰もおしなべて平等なのですが(これが珍しいことに)その中で、佐々木はちょっと立ち位置が違うだけあって、わりと救済がない感じです。救済がないというよりは、何も変わらなかったの「かな」という終わりなのですが、カッコいいのは勿論カッコいいぜ!(こういう紹介は映画としてなんら意味を成さないが)
ちょっと派手で、安っぽいカッコした佐々木さんが、カフェで足組んでる姿なんて、もうよだれ物ですよ。あの人は、顔以外の体系もちょっと卑怯だ。
話の内容も、話しちゃったら何一つ面白くないので割愛しますが、どんでんがえし物にありがちな
主役「実はあの子は俺の双子の妹なんだ!」
見てる側「お前そんな唐突な!」
みたいなオチは一つもないので安心してびっくりできます。似たようなオチはあっても、ちゃんとその前に細かな複線が小道具や、台詞取り混ぜてちりばめられているので、万が一「双子の妹」が出てきたとしても、唐突になんだよとは思いません。
映画館で映画を見る楽しみとして、予告編と(私は映画が始まる前の予告編が大好きです。あれ、三十分流れっぱなしでも全く構わない)劇場にある大きなポスターがあります。
エレベーターを降りた途端に、並ぶ「インディ・ジョーンズ」のポスター。
知り合い「ハリソン・フォードが出てるっていうだけで、若干卑怯だよね」
私「全くだ」
という話をしながらも、来月見るのはこれではあるまいという話もしつつ、「ナルニア」の油彩風のポスターを見て、これはなかなかいいといいつつ、二人一致で魂を抜かれたポスターが、こちら。
ジョーカーのかっこよさに魂を抜かれました。ジョーカーはバットマンの映画史上、最高の悪役です。あの一作目のジョーカーの最後はトラウマになるほどしびれるよなあ。
このポスター、映画館での大きいサイズを目の当たりにすると、迫力が半端じゃないです。他のポスターとは明らかに企画からしてして違う。これ、公式サイトができたら壁紙としてDLできるといいなあ。
私「でもこれを鑑賞しようって思うの、結構賭けだよね」
知り合い「多分ね」
多分、来月見るのは、「ザ・マジックアワー」になると思います。私は佐藤浩市も唐沢寿明も大好きだ! テンション上がるわ!
………でも私、ナルニアも地味に見たいです、知り合いよ。
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ラスト近くの人間模様では素直に号泣しかけました。
一人で見に行ってたら泣いてたな。第三者が側にいたのでぐっとこらえましたが。
物語としては退屈させないデキで面白かったんじゃないでしょうか。
役者陣も外れがなくて、どの方も非常に安心して見られましたし。
犯人の演技も、津川雅彦さんの演技もいいし。ですが私は「岸部一徳さんのあの足の長さはなんだ。こいつファッショナブルすぎだ」と、あのおっさんにメロメロでした。何だよありかよあんな壮年。
私正直、「相棒」シリーズは全く詳しくないので、コネタとか全然わからないのですが、お気に入りの、刑事部捜査一課の伊丹さんが思いがけず活躍していたので嬉しかったです。あの強面でドジっ子で、モーターボートまで運転できちゃうんだぜ! おまけに携帯の色が白って! なんて可愛いんだ。
個人的に一番笑えたのは、マラソン会場で薫ちゃんの奥さん達を見つけたときの「あれ? なんで嫁がこんなとこ走ってんだ!?」「芹沢さんヤッホー!」の場面でした。
一つの作品としては非常に面白かったのですが、実際の謎とか物語そのものになると、結構ツッコミどころ満載です。
大体、真犯人と実行犯が二人いる理由からしてないし。謎の基点であるチェスだっていらんし。真犯人の最終目的が真相を明らかにするための行動であるならば、そこにいたるまでの全ての愉快犯的な行動が意味を成さないというか、不必要です。
数名の人間を殺す理由があったとしても、あれだけで共通点が見つかるとは思えませんし。そうなると真犯人、実行犯は警察にマークすらされないわけですから、いくらでも自由に本懐を遂げることができるんじゃないでしょうかねえ。
かつ、真犯人に残された時間が少ないのであれば、あんな小細工している場合じゃないでしょう。本命を狙って、そしてつかまるだけでも大層な事件になるのですから、本命以外の人間を殺した後、さっさと実行に移せばいいわけだし。
真犯人の行動も不可思議だし、実行犯も結局何がしたいんだか。最後、あのビルを爆発させて何をどうしたいんだ。痕跡を消したかったってことなのか? でも右京さんが「来るかもしれない」という時点でそれは駄目だろう。そしてなんでマラソンにエントリーしてたのかも意味わからんし。
とまあ、犯罪大本とか、計画そのものに関しては、オチがわりと心情的なものであるにも関わらず、穴ばっかりでした。逆に、オチがああいう形でなければ、純粋に「杉下右京への挑戦」で片付いたんだと思うんですけどねえ。
映画鑑賞後、一緒に見た人間と感想を述べ合ったりすると思うんですが、三人で見に行ったうちの一人が、そういう行動を全く取らないのに少し驚きました。
「つまらなかったの?」と聞くと「面白かった」と答えますし、私よりもテレビシリーズについて詳しい人間なので、楽しみどころもいっぱいあると思うんですが、自分から「あれこれそれが面白かった」ということを言わないんですよね。
勿論普段から無口なら別ですが、普段は普通にああだこうだとくだらない話でもよくしゃべりますし。
「こういう部分が面白かったとか、かっこよかったとか、そういうのなかった?」と改まって聞いてみたら「真犯人のあの行動で、あの場面ですぐわかったらからそれで満足」みたいな、答えなのか答えじゃないのかみたいな返事が。
結局彼女からはそれ以上映画に関する事柄は、何一つ聞くことができなかったんですが、そういう人もいるんだなあ、と少し驚きました。
映画じゃないにせよ、何らかの作品を見に行けば、面白かったにしろつまらなかったにしろ、その作品について語り合うのはいわば当然かと思っていたんですが、そうじゃない考えの方もいるんだなあ、と。
何かについて批評する際に、雄弁ではないというだけなのかもしれませんが。逆に言うと冷静なのかもしれませんね。私は作品一つに対してのめりこむというか、作品に対して某かを主張するのに慣れているせいもあるのかもしれません。
でも、どうせ「誰か」と見に行くなら、鑑賞後語り合えるほうが楽しいなあ、と思ったのでした。
一人で見に行ってたら泣いてたな。第三者が側にいたのでぐっとこらえましたが。
物語としては退屈させないデキで面白かったんじゃないでしょうか。
役者陣も外れがなくて、どの方も非常に安心して見られましたし。
犯人の演技も、津川雅彦さんの演技もいいし。ですが私は「岸部一徳さんのあの足の長さはなんだ。こいつファッショナブルすぎだ」と、あのおっさんにメロメロでした。何だよありかよあんな壮年。
私正直、「相棒」シリーズは全く詳しくないので、コネタとか全然わからないのですが、お気に入りの、刑事部捜査一課の伊丹さんが思いがけず活躍していたので嬉しかったです。あの強面でドジっ子で、モーターボートまで運転できちゃうんだぜ! おまけに携帯の色が白って! なんて可愛いんだ。
個人的に一番笑えたのは、マラソン会場で薫ちゃんの奥さん達を見つけたときの「あれ? なんで嫁がこんなとこ走ってんだ!?」「芹沢さんヤッホー!」の場面でした。
一つの作品としては非常に面白かったのですが、実際の謎とか物語そのものになると、結構ツッコミどころ満載です。
大体、真犯人と実行犯が二人いる理由からしてないし。謎の基点であるチェスだっていらんし。真犯人の最終目的が真相を明らかにするための行動であるならば、そこにいたるまでの全ての愉快犯的な行動が意味を成さないというか、不必要です。
数名の人間を殺す理由があったとしても、あれだけで共通点が見つかるとは思えませんし。そうなると真犯人、実行犯は警察にマークすらされないわけですから、いくらでも自由に本懐を遂げることができるんじゃないでしょうかねえ。
かつ、真犯人に残された時間が少ないのであれば、あんな小細工している場合じゃないでしょう。本命を狙って、そしてつかまるだけでも大層な事件になるのですから、本命以外の人間を殺した後、さっさと実行に移せばいいわけだし。
真犯人の行動も不可思議だし、実行犯も結局何がしたいんだか。最後、あのビルを爆発させて何をどうしたいんだ。痕跡を消したかったってことなのか? でも右京さんが「来るかもしれない」という時点でそれは駄目だろう。そしてなんでマラソンにエントリーしてたのかも意味わからんし。
とまあ、犯罪大本とか、計画そのものに関しては、オチがわりと心情的なものであるにも関わらず、穴ばっかりでした。逆に、オチがああいう形でなければ、純粋に「杉下右京への挑戦」で片付いたんだと思うんですけどねえ。
映画鑑賞後、一緒に見た人間と感想を述べ合ったりすると思うんですが、三人で見に行ったうちの一人が、そういう行動を全く取らないのに少し驚きました。
「つまらなかったの?」と聞くと「面白かった」と答えますし、私よりもテレビシリーズについて詳しい人間なので、楽しみどころもいっぱいあると思うんですが、自分から「あれこれそれが面白かった」ということを言わないんですよね。
勿論普段から無口なら別ですが、普段は普通にああだこうだとくだらない話でもよくしゃべりますし。
「こういう部分が面白かったとか、かっこよかったとか、そういうのなかった?」と改まって聞いてみたら「真犯人のあの行動で、あの場面ですぐわかったらからそれで満足」みたいな、答えなのか答えじゃないのかみたいな返事が。
結局彼女からはそれ以上映画に関する事柄は、何一つ聞くことができなかったんですが、そういう人もいるんだなあ、と少し驚きました。
映画じゃないにせよ、何らかの作品を見に行けば、面白かったにしろつまらなかったにしろ、その作品について語り合うのはいわば当然かと思っていたんですが、そうじゃない考えの方もいるんだなあ、と。
何かについて批評する際に、雄弁ではないというだけなのかもしれませんが。逆に言うと冷静なのかもしれませんね。私は作品一つに対してのめりこむというか、作品に対して某かを主張するのに慣れているせいもあるのかもしれません。
でも、どうせ「誰か」と見に行くなら、鑑賞後語り合えるほうが楽しいなあ、と思ったのでした。
『ヘアスプレー』で歌番組の司会(コーニー・コリンズ)役のジェームズ・マースティンって、『X-MEN』のサイクロップス役の人だということを最近始めて知りました。
ど、どうりで可愛いはずだよ!
なんだあの大人! なんだあの可愛い笑顔! と映画館でも思ったものです。
ツタヤディスカスでレンタル待機中なんですが、もう一度早く見直したいものです。
『絹の靴下』
フレッド・アステア主演映画。
特別版、というものだったのですが、何がどう特別なのかはわかりません。
しかし、今まで結構古い映画も色々見てきましたが、これは甘かった!
もうコッテコテです。胃もたれするくらい。
パリにソ連(その時代)からロシアの作曲家を連れ戻すためにやってきた堅物の女性と、作曲家を起用した映画プロデューサー(アステア)との恋愛物語なんですが、これがもう、アステアの すごい モーション。
言っちゃなんだけど、アステアがニノチカという女を追っかけるのなんて、ただの一目惚れなんだぜ。顔に惚れてアプローチしているだけなのに、朝の六時半にホテルに平然と待ち合わせでいるんだぜ!
これぞ、その時代の男の生き様よ。
実際今の時代とか、なんでアステアがそこまで彼女に惚れたのかとか、そういうことは深く掘り下げるところじゃないわけですよ。それゆえのロマンチック・コメディ・ミュージカル映画であって、何故好きなのか、ということは、劇中で「君の顔、君の魅力、すべてが素晴らしい。君を探検したい」(本当に言う)と歌わせればそれでいいのです。
実際、男はきれいな女に惚れるもので、惚れた女につくすのは当たり前というスタンスの映画は、見ていて非常に気持ちいいし、気が楽です。別に変な哲学要素とかなくても、ドラマチックな要素なんてなくても、男は女に惚れるんだぜ、またその逆もしかりなんだぜ、というのがはっきりと見えるので、とても楽しい。
また台詞もいちいち甘くて、前述した「君を探検したい」(ぶっ倒れました)から始まり、「君はパリ一美しい」とか、口説いているのかという問いに対して、「勿論。そのとおり」とかあっさり答えるし、手紙の書き出しは勿論「私のニノチカ」で始まり、終わりは「君のスティーブ」です。
結婚しようとプロポーズすれば「私は素敵な夫に、君は美しい妻になる」とか臆面もなく言うし。
最後のとどめは、検閲にひっかかって手紙が読めなかったニノチカに「手紙の内容は実地で証明するよ。ただし一生かかってね」と改めてプロポーズするスティーブでしょうか。どんだけ恥ずかしいカッコいいんだお前!
この時代の男は、女にかける手間と時間と金はとことん惜しまない、それが一種のステータスなんでしょうな。こうもほいほい女の人に、愛しているとひざまずいて言えるのって、やっぱりお国柄なんでしょうが、そのド直球な姿を、きれいな音楽ときれいなダンスで見せられると、すべてが許せる気がします。
作中、ニノチカとスティーブがキスするシーンがあるのですが、その時点で心揺らいでいるニノチカが「気持ちが落ち着きます」と言って、今度は自分からキスをするのですが、フレッド・アステアとキスして気持ちが落ち着くって、ありえないだろうそれ!!
衣装に関しては、シルエットは素敵なのですが、ストッキング巻いてるようなデザインのパーティードレスよりも、プロポーズのに二人で踊るシーンの、なんだろ、長いキュロットスカートみたいなスタイルが素敵でした。
さすが、シド・チャリシー。その足には500万ドルの保険がかけられているだけあります。バレエ経験者だけあって、そのスタイルのよさと美しさは半端ない。
ちょっとくすりと笑えるロマンティック映画というよりは、いやははは参ったなこりゃと半笑いしながら見る映画かと思います。
私現代物で、恋愛主体の映画とか、それこそ漫画とかゲームはあまり興味がないんですが(お前それが乙女ゲームを極めた奴の台詞か)この時代の恋愛映画は、憧れと非現実的な雰囲気が同時に漂うために、気持ちよく見られます。
『青空に踊る』
こちらもフレッド・アステア主演の映画。
のわりには、それほど踊りや歌のシーンはありません。90分ないので、さっくり見られると思います。
しかし洋風桂歌丸の顔を持つアステアが航空機の撃墜数トップのパイロットって、違和感ありすぎる。
アステアが次の戦いの前の限られた休暇に、美人カメラマンに延々ストーカーをするという話です。
だって勝手に見初めて、家までついてって、同じアパートに部屋借りて、次の日窓から忍び込んで朝食勝手に作ってるんだぜ!? 超怖いよこの男!
まあどこか憎めない男、という感じで次第に二人の距離は縮まり、最後は一応ハッピーエンドなんですが、彼は戦争に行かなきゃいけないので「無事に帰ってきて」という終わりは、やはり切ないですね。
会話がおしゃれなのは、この時代の映画の特徴なのでそれは勿論健在。
「何かを得るために戦わないと」
「そうじゃないよ。戦うのは何かを守るためだ」
「何を?」
「そうだな。自由とか」
とか、さらっと朝食のときに言ってるのが凄い。
女性の衣装のすばらしさは相変わらずで、その時代のキャリアウーマンですが、スカートにはスパンコールというセンス。白黒なので、真っ黒いスカートが翻ると、きらきら光るのがきれいなんだこれが。
『ラ★バンバ』
何で借りたのかよくわからんのですが、TUTAYAのミュージカルでひっかかったのかもしれません。
リッチー・ヴァレンスという実在のメキシコ系アメリカ人のR&B歌手の生涯を描いたもので、貧乏な生活からスターダムにのし上がろう、という矢先に飛行機事故で亡くなる、という生涯を描いた作品。
酒びたりで、ヤクばかりやっている兄貴にも言い分があるし、その兄貴を尊敬しつつも、音楽だけにまい進するリッチー。
ヴァレンスは芸名で本当は違うんですが、その名前だと受けない、というのでイタリア人とかフランス人に取られてもおかしくなさそうな名前をつけられる、というのが人種のるつぼなわりに、根強い貧民差別があるアメリカらしいです。アメリカは人種というより、金を持っていない人という感じの差別意識が強いですね。
青春群像に、母親とのふれあい。
家族意識が強い母親が、「貴方は私の最高の息子だ」と胸を張って言う姿はやはり感動できます。
私はR&Bには詳しくないのですが、ステージ上での音楽や、その当時のハイスクールの学生(女子は前髪ぱっつんぱっつんでポニーテールだぜ)の格好を見るだけでも楽しめます。
13曲目の「La Bamba」を一躍有名にした方なんだそうです。大体38:30くらいから流れます。さすがに私ですら聞いたことがあった。
音楽は本当にどこから生まれてどこへ広がるかわからないなあ。
ど、どうりで可愛いはずだよ!
なんだあの大人! なんだあの可愛い笑顔! と映画館でも思ったものです。
ツタヤディスカスでレンタル待機中なんですが、もう一度早く見直したいものです。
『絹の靴下』
フレッド・アステア主演映画。
特別版、というものだったのですが、何がどう特別なのかはわかりません。
しかし、今まで結構古い映画も色々見てきましたが、これは甘かった!
もうコッテコテです。胃もたれするくらい。
パリにソ連(その時代)からロシアの作曲家を連れ戻すためにやってきた堅物の女性と、作曲家を起用した映画プロデューサー(アステア)との恋愛物語なんですが、これがもう、アステアの すごい モーション。
言っちゃなんだけど、アステアがニノチカという女を追っかけるのなんて、ただの一目惚れなんだぜ。顔に惚れてアプローチしているだけなのに、朝の六時半にホテルに平然と待ち合わせでいるんだぜ!
これぞ、その時代の男の生き様よ。
実際今の時代とか、なんでアステアがそこまで彼女に惚れたのかとか、そういうことは深く掘り下げるところじゃないわけですよ。それゆえのロマンチック・コメディ・ミュージカル映画であって、何故好きなのか、ということは、劇中で「君の顔、君の魅力、すべてが素晴らしい。君を探検したい」(本当に言う)と歌わせればそれでいいのです。
実際、男はきれいな女に惚れるもので、惚れた女につくすのは当たり前というスタンスの映画は、見ていて非常に気持ちいいし、気が楽です。別に変な哲学要素とかなくても、ドラマチックな要素なんてなくても、男は女に惚れるんだぜ、またその逆もしかりなんだぜ、というのがはっきりと見えるので、とても楽しい。
また台詞もいちいち甘くて、前述した「君を探検したい」(ぶっ倒れました)から始まり、「君はパリ一美しい」とか、口説いているのかという問いに対して、「勿論。そのとおり」とかあっさり答えるし、手紙の書き出しは勿論「私のニノチカ」で始まり、終わりは「君のスティーブ」です。
結婚しようとプロポーズすれば「私は素敵な夫に、君は美しい妻になる」とか臆面もなく言うし。
最後のとどめは、検閲にひっかかって手紙が読めなかったニノチカに「手紙の内容は実地で証明するよ。ただし一生かかってね」と改めてプロポーズするスティーブでしょうか。どんだけ
この時代の男は、女にかける手間と時間と金はとことん惜しまない、それが一種のステータスなんでしょうな。こうもほいほい女の人に、愛しているとひざまずいて言えるのって、やっぱりお国柄なんでしょうが、そのド直球な姿を、きれいな音楽ときれいなダンスで見せられると、すべてが許せる気がします。
作中、ニノチカとスティーブがキスするシーンがあるのですが、その時点で心揺らいでいるニノチカが「気持ちが落ち着きます」と言って、今度は自分からキスをするのですが、フレッド・アステアとキスして気持ちが落ち着くって、ありえないだろうそれ!!
衣装に関しては、シルエットは素敵なのですが、ストッキング巻いてるようなデザインのパーティードレスよりも、プロポーズのに二人で踊るシーンの、なんだろ、長いキュロットスカートみたいなスタイルが素敵でした。
さすが、シド・チャリシー。その足には500万ドルの保険がかけられているだけあります。バレエ経験者だけあって、そのスタイルのよさと美しさは半端ない。
ちょっとくすりと笑えるロマンティック映画というよりは、いやははは参ったなこりゃと半笑いしながら見る映画かと思います。
私現代物で、恋愛主体の映画とか、それこそ漫画とかゲームはあまり興味がないんですが(お前それが乙女ゲームを極めた奴の台詞か)この時代の恋愛映画は、憧れと非現実的な雰囲気が同時に漂うために、気持ちよく見られます。
『青空に踊る』
こちらもフレッド・アステア主演の映画。
のわりには、それほど踊りや歌のシーンはありません。90分ないので、さっくり見られると思います。
しかし洋風桂歌丸の顔を持つアステアが航空機の撃墜数トップのパイロットって、違和感ありすぎる。
アステアが次の戦いの前の限られた休暇に、美人カメラマンに延々ストーカーをするという話です。
だって勝手に見初めて、家までついてって、同じアパートに部屋借りて、次の日窓から忍び込んで朝食勝手に作ってるんだぜ!? 超怖いよこの男!
まあどこか憎めない男、という感じで次第に二人の距離は縮まり、最後は一応ハッピーエンドなんですが、彼は戦争に行かなきゃいけないので「無事に帰ってきて」という終わりは、やはり切ないですね。
会話がおしゃれなのは、この時代の映画の特徴なのでそれは勿論健在。
「何かを得るために戦わないと」
「そうじゃないよ。戦うのは何かを守るためだ」
「何を?」
「そうだな。自由とか」
とか、さらっと朝食のときに言ってるのが凄い。
女性の衣装のすばらしさは相変わらずで、その時代のキャリアウーマンですが、スカートにはスパンコールというセンス。白黒なので、真っ黒いスカートが翻ると、きらきら光るのがきれいなんだこれが。
『ラ★バンバ』
何で借りたのかよくわからんのですが、TUTAYAのミュージカルでひっかかったのかもしれません。
リッチー・ヴァレンスという実在のメキシコ系アメリカ人のR&B歌手の生涯を描いたもので、貧乏な生活からスターダムにのし上がろう、という矢先に飛行機事故で亡くなる、という生涯を描いた作品。
酒びたりで、ヤクばかりやっている兄貴にも言い分があるし、その兄貴を尊敬しつつも、音楽だけにまい進するリッチー。
ヴァレンスは芸名で本当は違うんですが、その名前だと受けない、というのでイタリア人とかフランス人に取られてもおかしくなさそうな名前をつけられる、というのが人種のるつぼなわりに、根強い貧民差別があるアメリカらしいです。アメリカは人種というより、金を持っていない人という感じの差別意識が強いですね。
青春群像に、母親とのふれあい。
家族意識が強い母親が、「貴方は私の最高の息子だ」と胸を張って言う姿はやはり感動できます。
私はR&Bには詳しくないのですが、ステージ上での音楽や、その当時のハイスクールの学生(女子は前髪ぱっつんぱっつんでポニーテールだぜ)の格好を見るだけでも楽しめます。
13曲目の「La Bamba」を一躍有名にした方なんだそうです。大体38:30くらいから流れます。さすがに私ですら聞いたことがあった。
音楽は本当にどこから生まれてどこへ広がるかわからないなあ。
ニコニコ動画からはまった、フレッド・アステア主演作品です。
誰にも桂歌丸なんていわせないと思っていたんですが、まともに二時間見た結果、やはり歌丸だったかという結論に達しました。
話の筋としては、恋愛に興味のない娘に父親が名前のない求愛者のふりをして花を贈り、その相手にフレッド・アステアが勘違いされてしまう。
娘さんはアステアに恋をし、アステアも初めは仕事のためと父親の狂言に協力しつつ、結局娘さんに恋をしてしまう。
その後、父親も折れて、最後は勿論ハッピーエンド。
古きよき時代のハリウッドの、ロマンスコメディ映画です。
本当に出てくる人に、悪人が一人もいなくて、殺伐としていない映画は、見ていてほっとします。
アステアが歌丸なのはおいておいて、相手役の女の人が、半端なくきれいで、誰だよこの女優さん!? とそればかりが気になっていたんですが、リタ・ヘイワースだと判明。
どうりでな!(超納得)
他の追随を許さない美しさでした。
黒髪美人が好きな私でも、ひれ伏すような美貌は圧巻。
ゆったりとしたブロンドに、緩やかなカール(この時代の女性の髪形は素晴らしい)に、濡れるような赤い唇。
白黒映画なのですが、リタ・ヘイワースの唇は赤く見えるのです。
近年の映画で言うなら、『ショーシャンクの空に』で、ポスターとして出たり、レッドが映画を見て「たまらないな」という相手がリタ・ヘイワースになります。そりゃ確かにたまらないよな。(大体原題は「刑務所のリタ・ヘイワース」ですし)
そして、リタの衣装も圧巻。
こんなとき、私に絵心があればなあとしみじみ思います。
普段着の黒のベストとロングスカートもかっちりとした美しさがあるし、パーティドレスのきれいさも半端ない。
首から背中にかけては、肌と同じ色の薄いレース。
胸元は濃いレースで隠し、女性特有のボディラインが引き立つ横の腰周りは目の荒いレースで肌を見せ、スカートはロングスカートだけれど、レースと黒の地で、ちゃんと一番下の生地は真っ白というこだわりよう。
アステアとリタが踊るたびに、そのドレスのエレガントさが引き立ちます。いやあ、着る人によってドレスそのものもこうも輝くか。
この手の映画は台詞のおしゃれさを楽しむものなのですが、それもいっぱい出てきます。
「女はお世辞以外の嘘を絶対に許さない」
とか、
奥さんに「きれい?」と聞かれ、
「きれいだよ。時間はかかるが」
と答える中年のおっさんとか、もうたまりません。
この映画、主役というか物語の中心は、次女を思うお父さんなので、そいつがいちいちかっこいい台詞を言ってくると悶絶します。
お前ただのヒゲでデブの親父なのに!
堅物で、融通が利かない親父が、奥さんに「チャーミングワイフ」とか普通に言っているのを聞くと、倒れますね。
そりゃあの場面は、日本語訳も「かわいい妻」としか訳せないよなあ。
フレッド・アステアがリタを庭に連れ出して歌う歌の歌詞も凄い。
「パーティーでも座ってばかりで、気の聞いた台詞一つ言えない。
だけど、もう話題に困ることはなくなった。
目の前の君がいかにきれいかを言えば、それだけでいいんだから」
おおおおお前お前歌丸のクセにお前!
これをてらいもなく言える凄さ。言っておかしくない世界観。
これこそが、古い映画の醍醐味だと思います。
クセもなく、「くすり」と笑える楽しさ満載の映画でした。
誰にも桂歌丸なんていわせないと思っていたんですが、まともに二時間見た結果、やはり歌丸だったかという結論に達しました。
話の筋としては、恋愛に興味のない娘に父親が名前のない求愛者のふりをして花を贈り、その相手にフレッド・アステアが勘違いされてしまう。
娘さんはアステアに恋をし、アステアも初めは仕事のためと父親の狂言に協力しつつ、結局娘さんに恋をしてしまう。
その後、父親も折れて、最後は勿論ハッピーエンド。
古きよき時代のハリウッドの、ロマンスコメディ映画です。
本当に出てくる人に、悪人が一人もいなくて、殺伐としていない映画は、見ていてほっとします。
アステアが歌丸なのはおいておいて、相手役の女の人が、半端なくきれいで、誰だよこの女優さん!? とそればかりが気になっていたんですが、リタ・ヘイワースだと判明。
どうりでな!(超納得)
他の追随を許さない美しさでした。
黒髪美人が好きな私でも、ひれ伏すような美貌は圧巻。
ゆったりとしたブロンドに、緩やかなカール(この時代の女性の髪形は素晴らしい)に、濡れるような赤い唇。
白黒映画なのですが、リタ・ヘイワースの唇は赤く見えるのです。
近年の映画で言うなら、『ショーシャンクの空に』で、ポスターとして出たり、レッドが映画を見て「たまらないな」という相手がリタ・ヘイワースになります。そりゃ確かにたまらないよな。(大体原題は「刑務所のリタ・ヘイワース」ですし)
そして、リタの衣装も圧巻。
こんなとき、私に絵心があればなあとしみじみ思います。
普段着の黒のベストとロングスカートもかっちりとした美しさがあるし、パーティドレスのきれいさも半端ない。
首から背中にかけては、肌と同じ色の薄いレース。
胸元は濃いレースで隠し、女性特有のボディラインが引き立つ横の腰周りは目の荒いレースで肌を見せ、スカートはロングスカートだけれど、レースと黒の地で、ちゃんと一番下の生地は真っ白というこだわりよう。
アステアとリタが踊るたびに、そのドレスのエレガントさが引き立ちます。いやあ、着る人によってドレスそのものもこうも輝くか。
この手の映画は台詞のおしゃれさを楽しむものなのですが、それもいっぱい出てきます。
「女はお世辞以外の嘘を絶対に許さない」
とか、
奥さんに「きれい?」と聞かれ、
「きれいだよ。時間はかかるが」
と答える中年のおっさんとか、もうたまりません。
この映画、主役というか物語の中心は、次女を思うお父さんなので、そいつがいちいちかっこいい台詞を言ってくると悶絶します。
お前ただのヒゲでデブの親父なのに!
堅物で、融通が利かない親父が、奥さんに「チャーミングワイフ」とか普通に言っているのを聞くと、倒れますね。
そりゃあの場面は、日本語訳も「かわいい妻」としか訳せないよなあ。
フレッド・アステアがリタを庭に連れ出して歌う歌の歌詞も凄い。
「パーティーでも座ってばかりで、気の聞いた台詞一つ言えない。
だけど、もう話題に困ることはなくなった。
目の前の君がいかにきれいかを言えば、それだけでいいんだから」
おおおおお前お前歌丸のクセにお前!
これをてらいもなく言える凄さ。言っておかしくない世界観。
これこそが、古い映画の醍醐味だと思います。
クセもなく、「くすり」と笑える楽しさ満載の映画でした。
『ノーカントリー』
この題名だけ聞くと、英語力のない私は「国がない」とかアホな直訳をしてしまいそうなんですが、本来ならばその後に「for old men」とつくわけで、「時代についていけない老いた男から見た国」くらいになるんでしょうか。この「old men」は保安官である、トミー・リー・ジョーンズを指すわけですが、出番としては殆どありません。
個人的にトミー・リー・ジョーンズは「逃亡者」で惚れ、その後、缶コーヒーのCFのインタビューか何かで、「スタッフ全員引き連れて、アメリカに撮影に来るんだよ。自分が日本に行ってもいいって言ってるのに。自分だって日本に行きたいんだよ。京都とか好きだし」という発言をしたと知り合いから聞いたとき、惚れ直しました(何て可愛いじじいなんだ)。
アカデミー主要賞を取ったこの作品ですが、とてもじゃないですが万人にはお勧めできません。
サスペンス要素の強い作品には、わりと耐性があるのですが、人死にはNGだという方は見ないほうが無難です。特別な理由もなく、ダース単位でごろごろ人が死にますし、感慨深い映像としてではなく、ただの死体としての描写も、ひっきりなしに出てくるので、後味がいいとか、爽快感があるとか、台詞がセンスがあってオシャレであるとか、そういう楽しみ方もできません。
むしろ、台詞などにセンスはないと思います。
ダサいのではなく、ここに出てくるキャラクターたちはオシャレな会話などしないし、オシャレな会話をする必要もないので、淡々と棒読みに会話は進む、というような印象が強いです。
1980年代のアメリカ。
麻薬取引がらみの金を盗んだ男と、それを追う殺し屋。
それらを追う、引退間際の保安官。
三人の男たちが織り成すどうしようもない物語。
概要としてはこんな感じです。
インパクトとしては、助演男優賞も取った、殺し屋「アントン・シガー」演じる、スペインの俳優ハビエル・パルデムが圧巻。
外見はバナナマンの日村さんみたいなんですが、淡々と自分の意思のみで人を殺すので、そこに善意や悪意が存在しないだけに、逆に、絶対悪を感じます。
人を殺すのに、人並みの理由を全く必要としないだけに、それは見るものにとっては、相手の事情を鑑みる必要のない、理解不能の恐怖です。
ただ、ごく普通の格好をしているときのハビエル・パルデムさんは、素敵です。
yahoo! インタビューより
ご本人は「僕の何処がセクシーなんだい」みたいなことを言ってますが、どこもかしこもだよ!
最終的に、オチとしては意味不明な部分も多いですし、語られない部分もあるので、賛否両論わかれる話かと思います。
「わからなかった」部分も、色々ありましたが、それも画面で見過ごしたのかなと思わないでもないので、そういう意味では、もう一度見ないとなと思いましたが、それ以外の理由ではもう一度見たいとは思いません。
この手の映画は、つまらないと論じるのは簡単だけど(カタルシスも何もない)かといって2時間退屈だったかと問われるとそうでもない、という、判じるに難しい作品ですね。
以下、ネタバレ含みますので隠します。
ご了承の上閲覧ください。
この題名だけ聞くと、英語力のない私は「国がない」とかアホな直訳をしてしまいそうなんですが、本来ならばその後に「for old men」とつくわけで、「時代についていけない老いた男から見た国」くらいになるんでしょうか。この「old men」は保安官である、トミー・リー・ジョーンズを指すわけですが、出番としては殆どありません。
個人的にトミー・リー・ジョーンズは「逃亡者」で惚れ、その後、缶コーヒーのCFのインタビューか何かで、「スタッフ全員引き連れて、アメリカに撮影に来るんだよ。自分が日本に行ってもいいって言ってるのに。自分だって日本に行きたいんだよ。京都とか好きだし」という発言をしたと知り合いから聞いたとき、惚れ直しました(何て可愛いじじいなんだ)。
アカデミー主要賞を取ったこの作品ですが、とてもじゃないですが万人にはお勧めできません。
サスペンス要素の強い作品には、わりと耐性があるのですが、人死にはNGだという方は見ないほうが無難です。特別な理由もなく、ダース単位でごろごろ人が死にますし、感慨深い映像としてではなく、ただの死体としての描写も、ひっきりなしに出てくるので、後味がいいとか、爽快感があるとか、台詞がセンスがあってオシャレであるとか、そういう楽しみ方もできません。
むしろ、台詞などにセンスはないと思います。
ダサいのではなく、ここに出てくるキャラクターたちはオシャレな会話などしないし、オシャレな会話をする必要もないので、淡々と棒読みに会話は進む、というような印象が強いです。
1980年代のアメリカ。
麻薬取引がらみの金を盗んだ男と、それを追う殺し屋。
それらを追う、引退間際の保安官。
三人の男たちが織り成すどうしようもない物語。
概要としてはこんな感じです。
インパクトとしては、助演男優賞も取った、殺し屋「アントン・シガー」演じる、スペインの俳優ハビエル・パルデムが圧巻。
外見はバナナマンの日村さんみたいなんですが、淡々と自分の意思のみで人を殺すので、そこに善意や悪意が存在しないだけに、逆に、絶対悪を感じます。
人を殺すのに、人並みの理由を全く必要としないだけに、それは見るものにとっては、相手の事情を鑑みる必要のない、理解不能の恐怖です。
ただ、ごく普通の格好をしているときのハビエル・パルデムさんは、素敵です。
yahoo! インタビューより
ご本人は「僕の何処がセクシーなんだい」みたいなことを言ってますが、どこもかしこもだよ!
最終的に、オチとしては意味不明な部分も多いですし、語られない部分もあるので、賛否両論わかれる話かと思います。
「わからなかった」部分も、色々ありましたが、それも画面で見過ごしたのかなと思わないでもないので、そういう意味では、もう一度見ないとなと思いましたが、それ以外の理由ではもう一度見たいとは思いません。
この手の映画は、つまらないと論じるのは簡単だけど(カタルシスも何もない)かといって2時間退屈だったかと問われるとそうでもない、という、判じるに難しい作品ですね。
以下、ネタバレ含みますので隠します。
ご了承の上閲覧ください。