『アイアンマン』
主役からしてロバート・ダウニー・Jrですから、集客力が不安なことこの上ないですが、中々面白かったです。
どうしても向こうの映画なので、色々なハイテク機器があったとしても、それでも、結局中身はお前なのかよ! とツッコミを入れたくて仕方がないのですが、物語も面白かったです。
どうしても、アメリカがテロと戦うみたいな内容だと、お前善悪のものさしどうなってるんだと冷ややかな目線で見がちですが、これはトニー・スタークという一個人が、ほぼ私怨で戦う(その裏に色々あるとしても)ので、見ていて鼻につく感じではありません。
自分を捕まえたゲリラ。それに殺された共に捕虜になっていた人間の生まれ故郷を救出したり、武器商人としての商売をやめると宣言したにも関わらず、横流ししていた人間をこらしめたり、と自分でできることを自分でやっている、という感じです。あの濃い顔の社長がね。
ガラクタから人工心臓のエネルギー源を作ったり、と、フィクションならではの荒唐無稽さはいっぱいありますが、それもアメリカンなあのスーツの前には適いません。どこからどう見ても、あのデザインダサカッコイイとも思えません。
技術大国日本に生まれてやはりときめくのは、ハイテクが嫌ってほど進んだ世界のはずなのに、組み立てやコンピューターの演出は未来仕様なのに、実際トニーがスーツを身につける様は、今時ホンダの車組み立てだってこんなにアナログじゃねえだろ! というくらいの手作業仕様な部分です。ネジをしめたり、ハンダゴテで溶接したり、パーツががっちゃんがっちゃん組み合わさっていく様は、ああ、物が組み立てられている組み立てられてる! という高揚感が味わえます。組み立ての部分は随分長い尺を取って見られるので、向こうもわかってるんだと思います。
キャラクターが立っているので、細かな会話も非常に楽しい。
自由人トニーのお目付け役みたいな、軍人ローディ中佐も、やいのやいのと小言を言いつつも、トニーを心から心配しているし、かといって堅物ではなく、アイアンマンのスーツを見て「次のお楽しみだな」(英語だと「なんちゃらなんちゃらベイビィ」と言う。笑)とにやりと笑って言う始末。おまけに私服が黒のレザージャケットに、4WDのトラックって、空軍中佐のワイルドバットフォーマルさに惚れ。
歳のいった(別にオバンではない)秘書との恋愛未満みたいな様子もいいです。凄く背の高い人なのでしょうが、すらりとしていて、秘書にも関わらず、なんだね君はその15センチヒール! 服装が真っ黒であっても足元のおしゃれはゆずれない、とばかりにカツカツと漫画みたいな音を立てて歩く様はカッコイイです。知的な美人という感じですね。
敵役の人も出てきた瞬間にお前が黒幕だと二秒でわかると思うんですが、あの恰幅のよさに惚れ。胸囲100センチ越えてるよ、絶対に。
最初で出番はなくなるんですが、トニーと一緒につかまっていた捕虜の、ドクターインセンも泣けたなあ。いい人で、知的で、眼鏡で、物腰穏やかな話し方で。
私は、ERのグリーン先生とか、アメリカ版シャルウィーダンスで同僚役だった人みたいな、うっすらさっぱりハゲみたいな髪型に非常に弱いです。伝わりますかねえ。頭頂部は勿論ハゲてるんだけど、後頭部だけちょっとあって、でもそれがずるずる長くしているわけではなくて、スキンヘッドみたいなもんなんだけど、そうじゃないという感じの(わけのわからないこだわり)。
解放されたら村に帰る、というインセン。家族に会うのだと。
けれどその願いは叶わず、トニーが「家族に会うんだろ」と励ますと、「家族はいない。殺された」と力なく笑う。「天国で会うから」と。
ベタったらベタなんですが、私もう泣きました。
こういうの弱いんだ………。
基本的に馬鹿馬鹿しいノリも多いですが、それが鼻につくほど強くないですし、カラっとした感じですが、実際の戦いの最中も、正義や悪といった強い主張をしてくるわけではないので、逆に日本人であればこそ、そのあっさり感が受け入れやすいと思います。
ロバート・ダウニー・Jrの濃い顔が苦手じゃなければ是非。
最後の会見時、「私が、アイアンマンだ」のくだりは最高でした。
そして、アイアンマンのデザインのダサさはある意味必見です(笑)。
全然関係ないですが、予告編で007の新作が流れたときは、「キャー!」となりました。ダニエル・クレイグ反則だろう! あのタキシード姿は俺への挑戦か! 一月!
主役からしてロバート・ダウニー・Jrですから、集客力が不安なことこの上ないですが、中々面白かったです。
どうしても向こうの映画なので、色々なハイテク機器があったとしても、それでも、結局中身はお前なのかよ! とツッコミを入れたくて仕方がないのですが、物語も面白かったです。
どうしても、アメリカがテロと戦うみたいな内容だと、お前善悪のものさしどうなってるんだと冷ややかな目線で見がちですが、これはトニー・スタークという一個人が、ほぼ私怨で戦う(その裏に色々あるとしても)ので、見ていて鼻につく感じではありません。
自分を捕まえたゲリラ。それに殺された共に捕虜になっていた人間の生まれ故郷を救出したり、武器商人としての商売をやめると宣言したにも関わらず、横流ししていた人間をこらしめたり、と自分でできることを自分でやっている、という感じです。あの濃い顔の社長がね。
ガラクタから人工心臓のエネルギー源を作ったり、と、フィクションならではの荒唐無稽さはいっぱいありますが、それもアメリカンなあのスーツの前には適いません。どこからどう見ても、あのデザインダサカッコイイとも思えません。
技術大国日本に生まれてやはりときめくのは、ハイテクが嫌ってほど進んだ世界のはずなのに、組み立てやコンピューターの演出は未来仕様なのに、実際トニーがスーツを身につける様は、今時ホンダの車組み立てだってこんなにアナログじゃねえだろ! というくらいの手作業仕様な部分です。ネジをしめたり、ハンダゴテで溶接したり、パーツががっちゃんがっちゃん組み合わさっていく様は、ああ、物が組み立てられている組み立てられてる! という高揚感が味わえます。組み立ての部分は随分長い尺を取って見られるので、向こうもわかってるんだと思います。
キャラクターが立っているので、細かな会話も非常に楽しい。
自由人トニーのお目付け役みたいな、軍人ローディ中佐も、やいのやいのと小言を言いつつも、トニーを心から心配しているし、かといって堅物ではなく、アイアンマンのスーツを見て「次のお楽しみだな」(英語だと「なんちゃらなんちゃらベイビィ」と言う。笑)とにやりと笑って言う始末。おまけに私服が黒のレザージャケットに、4WDのトラックって、空軍中佐のワイルドバットフォーマルさに惚れ。
歳のいった(別にオバンではない)秘書との恋愛未満みたいな様子もいいです。凄く背の高い人なのでしょうが、すらりとしていて、秘書にも関わらず、なんだね君はその15センチヒール! 服装が真っ黒であっても足元のおしゃれはゆずれない、とばかりにカツカツと漫画みたいな音を立てて歩く様はカッコイイです。知的な美人という感じですね。
敵役の人も出てきた瞬間にお前が黒幕だと二秒でわかると思うんですが、あの恰幅のよさに惚れ。胸囲100センチ越えてるよ、絶対に。
最初で出番はなくなるんですが、トニーと一緒につかまっていた捕虜の、ドクターインセンも泣けたなあ。いい人で、知的で、眼鏡で、物腰穏やかな話し方で。
私は、ERのグリーン先生とか、アメリカ版シャルウィーダンスで同僚役だった人みたいな、うっすらさっぱりハゲみたいな髪型に非常に弱いです。伝わりますかねえ。頭頂部は勿論ハゲてるんだけど、後頭部だけちょっとあって、でもそれがずるずる長くしているわけではなくて、スキンヘッドみたいなもんなんだけど、そうじゃないという感じの(わけのわからないこだわり)。
解放されたら村に帰る、というインセン。家族に会うのだと。
けれどその願いは叶わず、トニーが「家族に会うんだろ」と励ますと、「家族はいない。殺された」と力なく笑う。「天国で会うから」と。
ベタったらベタなんですが、私もう泣きました。
こういうの弱いんだ………。
基本的に馬鹿馬鹿しいノリも多いですが、それが鼻につくほど強くないですし、カラっとした感じですが、実際の戦いの最中も、正義や悪といった強い主張をしてくるわけではないので、逆に日本人であればこそ、そのあっさり感が受け入れやすいと思います。
ロバート・ダウニー・Jrの濃い顔が苦手じゃなければ是非。
最後の会見時、「私が、アイアンマンだ」のくだりは最高でした。
そして、アイアンマンのデザインのダサさはある意味必見です(笑)。
全然関係ないですが、予告編で007の新作が流れたときは、「キャー!」となりました。ダニエル・クレイグ反則だろう! あのタキシード姿は俺への挑戦か! 一月!
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『ファンタスティックフォー 銀河の危機』
筋肉、胸毛、全裸、という印象しか残ってません(どうなんだそれ)。
個人的には一作目の方が面白かったかなあ。シルバーサーファーという序盤敵のキャラクターは液体金属人間みたいで、外見はカッコイイんですが、何分全裸なので、ジェシカ・アルバ扮する、スーザンと対面するシーンも、なんだか微妙に笑えます。
結局、愛する人に似ているから、という理由でスーザンを助けるのはいいんですが、その愛する人を人質に取られているのに、ボスを最終的に裏切ってどうするつもりなんだと思えます。「流された」にしては、その流される描写と、シルバーサーファーの主張がちょっと弱いかな。
アメリカンヒーローはちょっとコミカルが基本で、戦いのシーンになっても全面的にシリアスになるわけではなく、ちょっとノリきれない大げさな場面が増えるので、その辺が一番人を選ぶんじゃないかと思いました。
『シン・シティ』
私はとても面白かったですが、グロ注意報出っ放しです。
個人的には、キルビルなんかのほうが、よほど視覚的にエグイと思うんだけど、これも、両手両足切断して犬に食われるとか、その手のシーンがごろごろ出てくるので、そういうのが苦手な人にはお勧めしません。私は別に得意じゃありませんが、映像的に背景や人物と、血液が融合しているので(実際「中身」が出てくるシーンはあまりない)殆ど気になりませんでした。
生理的に嫌だというのであれば、小便や大便をして流していない便器の中に顔を突っ込ませるとか、そっちのほうが「うへえ」と思いました。この映画やたらに拷問シーンが多いので、しょっちゅう便器に突っ込まれる。
内容としては、「シンシティ」という町で起こる三つの出来事が語られ、そのどれも共通して、「男が女を守る」というテーマの元にドンパチやらかす、というわかりやすい物語です。ただ、この男が女を守るというのは、表現はあれ、基本ハードボイルドの根幹みたいなものなので、逆に、どれだけエグいことがやっていても、見ている側がわりとそれを許せます。
暴力を受ける女、惚れた女が殺される、ずっと守ってきた女が狙われる。それを助けるのは男の役目だと問答無用で出てくる男達は知っているし、それに葛藤もなく実行に移すので、感情移入しやすいです。
俺が守ってやるから、俺を愛してくれ、というのではなく、俺が守ってやるからお前は自由でいてくれというスタンスは、まさに無償の愛って奴ですよ。処女崇拝かと思いきや、その相手がただの街の女っていうのがまた超萌える。
「愛する女は死んでも守る」
というのは、テレビCF版で野沢氏がナレーションをしていた台詞ですが(ブルース・ウィルスが出てるから)、まさにそんな感じ。
女に対し、
「頼りになる男だと見せてやれ」
「死ぬのも男。皆殺しにするのも男」
と、殺した男の死体を助手席に乗せて運転する男は、あくまで女を助けるために行動している、自己防衛じゃないっていうのがまた。
EP1「ハード グッバイ」
ミッキー・ローク扮する無骨で不細工な大男マーヴが、一晩を共にした行きずりの女、ゴールディのために、真犯人を暴き出す話。
まず、私の目から見ると、マーヴがごく普通に男前に見えるので、こういう男は別にモテなくないだろう、と思ってしまうのですが、これはきっと二次元のバリエーション(顔)になれてしまっているからだと思います(業が深い)。
たった一晩だけ、しかもほぼ利用されたに等しい女を、女神といい、天国の香りだというマーヴは、それから真犯人を暴くためだけに、ひたすら暴力的に人を殺し、真犯人を追い詰めます。あまりに何をされても死なないので、これは実はロボットでしたというオチでもつくのだろうか、と思っていたんですが、そんなことはなく、純粋にタフガイなんだということが、最後判明します。映画的に死なない、という奴ですが(いくら撃たれても)マーヴはとにかく、屈強な大男という設定なので、あまり「何で撃たれたのに知らないんだ」という感じにはなりません。
マーヴも女には手を出さないので、ヒステリックに女が泣き喚いても、「よしよし」とあやすように慰めたり、「話せばわかると思ったから」と黙って殴られ続けたりと、そのギャップが凄くいい。
最後、犯人を拷問の末に殺し、電気椅子で死刑になる前に、ゴールディの姉ウェンディが現れるんですが、それをゴールディと勘違いして「すまない、また間違えた。ゴールディかと思って」と、ちょっと照れながら、申し訳なさそうにしながら言うさまが、彼の本質なんだと思います。その後も一緒に寝ているシーンはあっても、実際に肉体関係になったとは思えないしなあ。
このエピソードに出てくるケヴィンという人肉食いの眼鏡の男が怖いんですが、役者さんが『ロード・オブ・ザ・リング』のイライジャ・ウッドと知ってびっくり。まあ殆ど眼鏡が光っていて顔見えないんだけど。唯一はっきりと顔が見えるのが、犬に食われているシーンっていうのがシュールだ………。
映像美としても、真っ赤なハート型のベッドに横たわる、金髪の女性とマーヴという対比がきれいで良かったです。
EP2「ビッグ ファット キル」
恋人に付きまとう男を追った先で、別れた元の恋人に出会い、男が殺されてしまった現場に居合わせたドワイト。だがその男は警官であり、警官に関わらないという娼婦の街、オールドシティの掟を破った娼婦たちを守るために、ドワイトは死体の隠滅をはかる。
ドワイトを演じるクライヴ・オーウェンが超男前でした。別に二枚目じゃないです。ただ、こうタフでクールな男前なんだこいつが。顔だけでもドストライクゾーンなのに、ここは男として守るべき女たちが、山ほど出てくるので、映像として非常に眼福でした。
元恋人は女王様だし、一見スレていなさそうな少女の目は白黒映像の中でただ真っ青。殺人マシーンミホは、おかしな着物をまとい、刀も手裏剣も弓も使えるというわけのわからなさですが、いちいち殺す際の決めポーズがカッコイイ。蟹股で屋上から飛び降り、車の中の男たちを二刀流で突き刺す。首を跳ね飛ばす。弓矢で貫通させる。モデルさんらしいんですが(ちょっと日本人かと問われると微妙な顔ですが)いちいち動作に見ごたえがあったので、素敵でした。
CFでも使われた、ビルの屋上から娼婦たちが銃を乱射するシーンも良かったです。
とにかく色々な女性が、女性の体のラインをアピールする格好で銃をぶっ放すシーンは映像として素敵でした。きれいな女がきれいな格好をして肉体をさらけだしているのはいいですね。特に、その前に殴られたり、男に罵倒されたりするシーンがあるだけに、強く美しいアピールが効果的でした。
また、どんな女であってもドワイトが全く馬鹿にしたりしないので、余計に女の生き物としての強さが引き立ちます。
映像としては、第二話が一番きれいでした。
死体になったジャッキー・ボーイの演出は額に銃突き刺して、切り裂かれた首からタバコの煙を出して、ときれいどころの騒ぎじゃありませんでしたが。
ジャッキー演じた役者さんも良かったなあ。
EP3「イエロー バスタード」
11歳の少女、ナンシーを町の有力者の息子から助け出した刑事、ハーティガンは無実の罪に問われ、八年の日々を刑務所で過ごす。そして出てきた彼は19歳となったナンシーと再会するも、彼女がまた狙われていることを知り、八年前に殺しそこねたロアークジュニアと対決するのだった。
とんだネオロマでした。
ブルース・ウィリスが演じるハーディカンという定年間際の刑事がとんだネオロマ!
ナンシーが毎週出す手紙だけを頼りに、刑務所で八年の日々を過ごす。突然来なくなった手紙と、イエローバスタード(ロアークジュニア)が送りつけてきた女性の指を見て、ハーディカンは出所し、ナンシーの下へ赴く。
そこには、やせっぽちだった11歳の少女は何処にもおらず、美しく成長したストリッパーとして生きる19歳のナンシーがいた。
「人を愛そうと思って、恋をしたこともあった。だけど、心の中にはいつも貴方がいた。愛してる」
とか、19歳の超美女が、68歳とかになるオッサンに迫るシーンがネオロマじゃなくてなんなのか!
勿論、ハーディカンはそれは絶対にいけない、と拒むんですが、それはそれこれはこれ。ハーディカンにとってナンシーが唯一の友であり、愛情をそそぐ女であることには変わりなく、ナンシーを命がけで助けようとするわけです。
「絶対に叫ぶな。必ず助けるから」
その言葉を守り、ナンシーはイエローバスタードの暴力にも屈せず、ハーディカンはイエローバスタードを殺すのですが、その後がまた切ない。
ハーディカンは心臓病を患っており、自分が長くないことを知っている。息子を殺されたロアークが復讐をするのも。
だからハーディカンはナンシーの幸福を願って、自らの死によって、ロアークの怒りを納めるべく、頭を打ち抜く。
お前それナンシー結局狙われるんじゃねえの!? と思わないでもなかったですが、あの時できる最善として、ハーディカンが選んだ行動が切ない。
一番物語として筋が通っていたエピソードでした。年齢差50歳とかでも平気でいけると思えます。というかあの刑事に惚れない女がいるだろうか。
そして、ナンシーを演じるジェシカ・アルバがとてつもなくナイスバディで美しい。ポールダンスではあの腰つきに骨抜きになりました。というか、『ファンタスティックフォー』のスーザンと同じ役者さんだったのか!? うわ、全然わからなかった。どちらにしろすげえきれいだということは間違いないですが。
この三つのエピソードの前に、プロローグ、エピローグ的に殺し屋の短い映像が挿入されます。
プロローグでは、ハンサムな男が女を殺す、というそれだけ。
エピローグでは、オールドシティを裏切った少女が、エレベーターの中で医師に扮した男の殺し屋に声をかけられる、というところで映画は終わります。
私正直「この男見たけど何処で出てたんだっけ」と思ってしまったので、インパクトとしては最初の殺し屋全く覚えていなかったのですが、この殺し屋、ジョッシュ・ハート(笑)がやっていて、個性的な男女の中で、びっくりするほど血の臭いがしない無菌状態の二枚目が逆にハマっていたと思います。この人、個性的な役は全くできないけど、個性的な奴らの中での御伽噺のように浮世離れしたハンサム、っていう図が驚くほど似合うなあ。
グロさばかりが強調されがちですが、わりと物語としてはわかりやすいですし、女性でも平気で楽しめるんじゃないかな、と思いました。
筋肉、胸毛、全裸、という印象しか残ってません(どうなんだそれ)。
個人的には一作目の方が面白かったかなあ。シルバーサーファーという序盤敵のキャラクターは液体金属人間みたいで、外見はカッコイイんですが、何分全裸なので、ジェシカ・アルバ扮する、スーザンと対面するシーンも、なんだか微妙に笑えます。
結局、愛する人に似ているから、という理由でスーザンを助けるのはいいんですが、その愛する人を人質に取られているのに、ボスを最終的に裏切ってどうするつもりなんだと思えます。「流された」にしては、その流される描写と、シルバーサーファーの主張がちょっと弱いかな。
アメリカンヒーローはちょっとコミカルが基本で、戦いのシーンになっても全面的にシリアスになるわけではなく、ちょっとノリきれない大げさな場面が増えるので、その辺が一番人を選ぶんじゃないかと思いました。
『シン・シティ』
私はとても面白かったですが、グロ注意報出っ放しです。
個人的には、キルビルなんかのほうが、よほど視覚的にエグイと思うんだけど、これも、両手両足切断して犬に食われるとか、その手のシーンがごろごろ出てくるので、そういうのが苦手な人にはお勧めしません。私は別に得意じゃありませんが、映像的に背景や人物と、血液が融合しているので(実際「中身」が出てくるシーンはあまりない)殆ど気になりませんでした。
生理的に嫌だというのであれば、小便や大便をして流していない便器の中に顔を突っ込ませるとか、そっちのほうが「うへえ」と思いました。この映画やたらに拷問シーンが多いので、しょっちゅう便器に突っ込まれる。
内容としては、「シンシティ」という町で起こる三つの出来事が語られ、そのどれも共通して、「男が女を守る」というテーマの元にドンパチやらかす、というわかりやすい物語です。ただ、この男が女を守るというのは、表現はあれ、基本ハードボイルドの根幹みたいなものなので、逆に、どれだけエグいことがやっていても、見ている側がわりとそれを許せます。
暴力を受ける女、惚れた女が殺される、ずっと守ってきた女が狙われる。それを助けるのは男の役目だと問答無用で出てくる男達は知っているし、それに葛藤もなく実行に移すので、感情移入しやすいです。
俺が守ってやるから、俺を愛してくれ、というのではなく、俺が守ってやるからお前は自由でいてくれというスタンスは、まさに無償の愛って奴ですよ。処女崇拝かと思いきや、その相手がただの街の女っていうのがまた超萌える。
「愛する女は死んでも守る」
というのは、テレビCF版で野沢氏がナレーションをしていた台詞ですが(ブルース・ウィルスが出てるから)、まさにそんな感じ。
女に対し、
「頼りになる男だと見せてやれ」
「死ぬのも男。皆殺しにするのも男」
と、殺した男の死体を助手席に乗せて運転する男は、あくまで女を助けるために行動している、自己防衛じゃないっていうのがまた。
EP1「ハード グッバイ」
ミッキー・ローク扮する無骨で不細工な大男マーヴが、一晩を共にした行きずりの女、ゴールディのために、真犯人を暴き出す話。
まず、私の目から見ると、マーヴがごく普通に男前に見えるので、こういう男は別にモテなくないだろう、と思ってしまうのですが、これはきっと二次元のバリエーション(顔)になれてしまっているからだと思います(業が深い)。
たった一晩だけ、しかもほぼ利用されたに等しい女を、女神といい、天国の香りだというマーヴは、それから真犯人を暴くためだけに、ひたすら暴力的に人を殺し、真犯人を追い詰めます。あまりに何をされても死なないので、これは実はロボットでしたというオチでもつくのだろうか、と思っていたんですが、そんなことはなく、純粋にタフガイなんだということが、最後判明します。映画的に死なない、という奴ですが(いくら撃たれても)マーヴはとにかく、屈強な大男という設定なので、あまり「何で撃たれたのに知らないんだ」という感じにはなりません。
マーヴも女には手を出さないので、ヒステリックに女が泣き喚いても、「よしよし」とあやすように慰めたり、「話せばわかると思ったから」と黙って殴られ続けたりと、そのギャップが凄くいい。
最後、犯人を拷問の末に殺し、電気椅子で死刑になる前に、ゴールディの姉ウェンディが現れるんですが、それをゴールディと勘違いして「すまない、また間違えた。ゴールディかと思って」と、ちょっと照れながら、申し訳なさそうにしながら言うさまが、彼の本質なんだと思います。その後も一緒に寝ているシーンはあっても、実際に肉体関係になったとは思えないしなあ。
このエピソードに出てくるケヴィンという人肉食いの眼鏡の男が怖いんですが、役者さんが『ロード・オブ・ザ・リング』のイライジャ・ウッドと知ってびっくり。まあ殆ど眼鏡が光っていて顔見えないんだけど。唯一はっきりと顔が見えるのが、犬に食われているシーンっていうのがシュールだ………。
映像美としても、真っ赤なハート型のベッドに横たわる、金髪の女性とマーヴという対比がきれいで良かったです。
EP2「ビッグ ファット キル」
恋人に付きまとう男を追った先で、別れた元の恋人に出会い、男が殺されてしまった現場に居合わせたドワイト。だがその男は警官であり、警官に関わらないという娼婦の街、オールドシティの掟を破った娼婦たちを守るために、ドワイトは死体の隠滅をはかる。
ドワイトを演じるクライヴ・オーウェンが超男前でした。別に二枚目じゃないです。ただ、こうタフでクールな男前なんだこいつが。顔だけでもドストライクゾーンなのに、ここは男として守るべき女たちが、山ほど出てくるので、映像として非常に眼福でした。
元恋人は女王様だし、一見スレていなさそうな少女の目は白黒映像の中でただ真っ青。殺人マシーンミホは、おかしな着物をまとい、刀も手裏剣も弓も使えるというわけのわからなさですが、いちいち殺す際の決めポーズがカッコイイ。蟹股で屋上から飛び降り、車の中の男たちを二刀流で突き刺す。首を跳ね飛ばす。弓矢で貫通させる。モデルさんらしいんですが(ちょっと日本人かと問われると微妙な顔ですが)いちいち動作に見ごたえがあったので、素敵でした。
CFでも使われた、ビルの屋上から娼婦たちが銃を乱射するシーンも良かったです。
とにかく色々な女性が、女性の体のラインをアピールする格好で銃をぶっ放すシーンは映像として素敵でした。きれいな女がきれいな格好をして肉体をさらけだしているのはいいですね。特に、その前に殴られたり、男に罵倒されたりするシーンがあるだけに、強く美しいアピールが効果的でした。
また、どんな女であってもドワイトが全く馬鹿にしたりしないので、余計に女の生き物としての強さが引き立ちます。
映像としては、第二話が一番きれいでした。
死体になったジャッキー・ボーイの演出は額に銃突き刺して、切り裂かれた首からタバコの煙を出して、ときれいどころの騒ぎじゃありませんでしたが。
ジャッキー演じた役者さんも良かったなあ。
EP3「イエロー バスタード」
11歳の少女、ナンシーを町の有力者の息子から助け出した刑事、ハーティガンは無実の罪に問われ、八年の日々を刑務所で過ごす。そして出てきた彼は19歳となったナンシーと再会するも、彼女がまた狙われていることを知り、八年前に殺しそこねたロアークジュニアと対決するのだった。
とんだネオロマでした。
ブルース・ウィリスが演じるハーディカンという定年間際の刑事がとんだネオロマ!
ナンシーが毎週出す手紙だけを頼りに、刑務所で八年の日々を過ごす。突然来なくなった手紙と、イエローバスタード(ロアークジュニア)が送りつけてきた女性の指を見て、ハーディカンは出所し、ナンシーの下へ赴く。
そこには、やせっぽちだった11歳の少女は何処にもおらず、美しく成長したストリッパーとして生きる19歳のナンシーがいた。
「人を愛そうと思って、恋をしたこともあった。だけど、心の中にはいつも貴方がいた。愛してる」
とか、19歳の超美女が、68歳とかになるオッサンに迫るシーンがネオロマじゃなくてなんなのか!
勿論、ハーディカンはそれは絶対にいけない、と拒むんですが、それはそれこれはこれ。ハーディカンにとってナンシーが唯一の友であり、愛情をそそぐ女であることには変わりなく、ナンシーを命がけで助けようとするわけです。
「絶対に叫ぶな。必ず助けるから」
その言葉を守り、ナンシーはイエローバスタードの暴力にも屈せず、ハーディカンはイエローバスタードを殺すのですが、その後がまた切ない。
ハーディカンは心臓病を患っており、自分が長くないことを知っている。息子を殺されたロアークが復讐をするのも。
だからハーディカンはナンシーの幸福を願って、自らの死によって、ロアークの怒りを納めるべく、頭を打ち抜く。
お前それナンシー結局狙われるんじゃねえの!? と思わないでもなかったですが、あの時できる最善として、ハーディカンが選んだ行動が切ない。
一番物語として筋が通っていたエピソードでした。年齢差50歳とかでも平気でいけると思えます。というかあの刑事に惚れない女がいるだろうか。
そして、ナンシーを演じるジェシカ・アルバがとてつもなくナイスバディで美しい。ポールダンスではあの腰つきに骨抜きになりました。というか、『ファンタスティックフォー』のスーザンと同じ役者さんだったのか!? うわ、全然わからなかった。どちらにしろすげえきれいだということは間違いないですが。
この三つのエピソードの前に、プロローグ、エピローグ的に殺し屋の短い映像が挿入されます。
プロローグでは、ハンサムな男が女を殺す、というそれだけ。
エピローグでは、オールドシティを裏切った少女が、エレベーターの中で医師に扮した男の殺し屋に声をかけられる、というところで映画は終わります。
私正直「この男見たけど何処で出てたんだっけ」と思ってしまったので、インパクトとしては最初の殺し屋全く覚えていなかったのですが、この殺し屋、ジョッシュ・ハート(笑)がやっていて、個性的な男女の中で、びっくりするほど血の臭いがしない無菌状態の二枚目が逆にハマっていたと思います。この人、個性的な役は全くできないけど、個性的な奴らの中での御伽噺のように浮世離れしたハンサム、っていう図が驚くほど似合うなあ。
グロさばかりが強調されがちですが、わりと物語としてはわかりやすいですし、女性でも平気で楽しめるんじゃないかな、と思いました。
『ボーンアルティメイタム』
三部作完結編。主役であるマッド・デイモンに興味のない私からすると、第一作目のクリス・クーパーがカッコよかったくらいの感想なんですが、今回もこの映画、おっさんにかけては外してきませんでした。
デヴィッド・ストラザーンですよ、デヴィッド・ストラザーン!
ボーンを執拗に追う、CIAの実行的悪い人(笑)なんですが、このおっさん眼鏡があまりに知的で、あまりにキュートで悶絶。
こんな知的な人の口から「ガッデム」とか「ジーザスクライスト」とか聞こえると、倒れそうになりますね。すっげえ萌える。
立場的には徹頭徹尾悪役で、自分探しの旅をし続けるボーンと、その意図をくんでボーンに協力しようとするCIAのパメラがいい者なんでしょうが、社会の枠組みというか、所詮CIAも会社組織であってその「企画」に振り回される人のほうが、感情移入しやすいです。
ただ、デヴィッド・ストラザーン演じるノア・ウォーゼン(名前までカッコイイと思ってしまうのは贔屓目でしょうか)は、ただの上から下から挟まれる中間管理職上司ではないので、切れ者な様子もちゃんと見られます。
向こうの国の役者さんですが、ガタイがあまりがっちりしておらず、なで肩でちょっと異国なハンサムな雰囲気がたまりませんでした。『LAコンフィデンシャル』にも出てたらしいんですが、覚えがないなあ。あの刑事の上司だろうか。『LAコンフィデンシャル』は私的にそんなに見るものがなかった映画だったので、役者の印象も残ってません。
実際の本編は、基本的にボーンさんが何をやりたいのかよくわからないし、感情移入して見るような映画ではないので、科学技術の粋を集めた盗聴技術や、鬼ごっこ的なスリルを楽しめばいいのではないかと。
アクションシーンもお楽しみに、と言いたいところなのですが、アクションになるとカメラのぶれが物凄い(演出として)ので、正直何をやっているのかよくわかりません。
派手な動的なアクションよりも、追われるものはひたすら足で逃げ、追うものはビルの一室から一歩も出ない、という静的なアクションの方が見ごたえがある映画でした。
『トランスフォーマー』
「自由は、全ての生物に平等の権利だ」
オプティマス・プライム様ァァ!
こんな色気のある司令官見たことない。強く、気高く、ちょっとおちゃめなところもありつつ、命を犠牲にしないという確固たる思いを胸に、それでも目的のためなら自らの命を犠牲にすることも厭わない、最高の司令官。その名は、オプティマス・プライム! プライム様! むしろプライム閣下!? プライム隊長!?(狂った)
話そのものは結構どうでもいい………というか、私見る前は宇宙からの侵略ロボットに、地球人が団結して戦うみたいな話かと思っていたんですが、そうでもなかったです。
いえ、わりとアメリカの軍人さんとかも普通にカッコイイんですが、むしろ、地球にキューブを探しに来た、オートボットたちのカッコ可愛さ(超造語)を楽しむ映画かと。
ああ、もう初っ端の人間ドラマとかそういうのどうでもいいから、オートボットたちの個性にもっと時間を割いて欲しかったよー。
プライム様が「眼鏡、眼鏡」と連呼したり、頭を抱える仕草とか、もう正視できない(萌えすぎて)。
敵役、メガトロンたちもすげえカッコよくて、あの連中がもう少し、いや、一言でも個性を発する発言をしてくれたらなあ、億倍萌えたのに。
オートボットたちが「出動!」とかいちいち行動の前に掛け声を発するのがかっこいいですね。様式美で。
メガトロンたちも、終結する際に「急行中」「向かう」「集結せよ」「参上」「メガトロンに栄光を!」と、それぞれに口にする台詞がいちいちカッコイイので参りました。狙うべくして狙ったものが、がっちりはまったとき、奴らは輝いた………(特にスタースクリームは最高だった)。
最後の方で「あれ? 戦闘機タイプのメガトロンの部下(この時点で個別認識できていない。わかったのは鑑賞後調べたから)はどうしたの?」と思っていたら、戦いの場に応援にも来ず、宇宙に捨て台詞つきで去っていって、その小ずるい姿に惚れ直しました。
こういう、カッコ悪い態度がカッコイイ悪役って最高ですね。
というか、スタースクリームってセクシーだよね(異論は認めない)。
がちゃがちゃとロボット達が変形するシーンは勿論カッコイイし、ここではあまり触れませんが(苦笑)人間の俳優陣たちも、いい演技をしていて笑えるので、普通の映画としても、それなりにお勧め。ただはっきり言って長い。二時間以上もあるからなあ。
小さな仕草でいえば、大きなロボットが人間を手のひらに乗せて運ぶとか、顔の横に持ってきて話すとか、そういうの最高ですね。
大きいものは大きいことをより強調してくれないと! でかい男と幼女の組み合わせが最高なように、大きなロボットと小さな生身って組み合わせも萌えます。ああ、これで主人公がへたれな少年とかじゃなく、それこそメカに全く詳しくない女の子とかだったら、カップリング普通にイケたのに………(生き物同士ですらないが、可能)。
最後、夕日を目の前にして「我々は人間の中にまぎれ、影ながら暮らしている。宇宙に散っていった同氏達よ、私はここで待ち続ける。人類を見守りながら」とたそがれるオプティマス・プライムが堂々人型に変形していて、ちっとも隠れるそぶりも見せないお茶目っぷりに惚れ直しました。
ちょ、可愛すぎるよこの司令官………!(この人生終わったら私オプティマスプライムと結婚するんだ………)(人生終わらないと無理なんですか)
三部作完結編。主役であるマッド・デイモンに興味のない私からすると、第一作目のクリス・クーパーがカッコよかったくらいの感想なんですが、今回もこの映画、おっさんにかけては外してきませんでした。
デヴィッド・ストラザーンですよ、デヴィッド・ストラザーン!
ボーンを執拗に追う、CIAの実行的悪い人(笑)なんですが、このおっさん眼鏡があまりに知的で、あまりにキュートで悶絶。
こんな知的な人の口から「ガッデム」とか「ジーザスクライスト」とか聞こえると、倒れそうになりますね。すっげえ萌える。
立場的には徹頭徹尾悪役で、自分探しの旅をし続けるボーンと、その意図をくんでボーンに協力しようとするCIAのパメラがいい者なんでしょうが、社会の枠組みというか、所詮CIAも会社組織であってその「企画」に振り回される人のほうが、感情移入しやすいです。
ただ、デヴィッド・ストラザーン演じるノア・ウォーゼン(名前までカッコイイと思ってしまうのは贔屓目でしょうか)は、ただの上から下から挟まれる中間管理職上司ではないので、切れ者な様子もちゃんと見られます。
向こうの国の役者さんですが、ガタイがあまりがっちりしておらず、なで肩でちょっと異国なハンサムな雰囲気がたまりませんでした。『LAコンフィデンシャル』にも出てたらしいんですが、覚えがないなあ。あの刑事の上司だろうか。『LAコンフィデンシャル』は私的にそんなに見るものがなかった映画だったので、役者の印象も残ってません。
実際の本編は、基本的にボーンさんが何をやりたいのかよくわからないし、感情移入して見るような映画ではないので、科学技術の粋を集めた盗聴技術や、鬼ごっこ的なスリルを楽しめばいいのではないかと。
アクションシーンもお楽しみに、と言いたいところなのですが、アクションになるとカメラのぶれが物凄い(演出として)ので、正直何をやっているのかよくわかりません。
派手な動的なアクションよりも、追われるものはひたすら足で逃げ、追うものはビルの一室から一歩も出ない、という静的なアクションの方が見ごたえがある映画でした。
『トランスフォーマー』
「自由は、全ての生物に平等の権利だ」
オプティマス・プライム様ァァ!
こんな色気のある司令官見たことない。強く、気高く、ちょっとおちゃめなところもありつつ、命を犠牲にしないという確固たる思いを胸に、それでも目的のためなら自らの命を犠牲にすることも厭わない、最高の司令官。その名は、オプティマス・プライム! プライム様! むしろプライム閣下!? プライム隊長!?(狂った)
話そのものは結構どうでもいい………というか、私見る前は宇宙からの侵略ロボットに、地球人が団結して戦うみたいな話かと思っていたんですが、そうでもなかったです。
いえ、わりとアメリカの軍人さんとかも普通にカッコイイんですが、むしろ、地球にキューブを探しに来た、オートボットたちのカッコ可愛さ(超造語)を楽しむ映画かと。
ああ、もう初っ端の人間ドラマとかそういうのどうでもいいから、オートボットたちの個性にもっと時間を割いて欲しかったよー。
プライム様が「眼鏡、眼鏡」と連呼したり、頭を抱える仕草とか、もう正視できない(萌えすぎて)。
敵役、メガトロンたちもすげえカッコよくて、あの連中がもう少し、いや、一言でも個性を発する発言をしてくれたらなあ、億倍萌えたのに。
オートボットたちが「出動!」とかいちいち行動の前に掛け声を発するのがかっこいいですね。様式美で。
メガトロンたちも、終結する際に「急行中」「向かう」「集結せよ」「参上」「メガトロンに栄光を!」と、それぞれに口にする台詞がいちいちカッコイイので参りました。狙うべくして狙ったものが、がっちりはまったとき、奴らは輝いた………(特にスタースクリームは最高だった)。
最後の方で「あれ? 戦闘機タイプのメガトロンの部下(この時点で個別認識できていない。わかったのは鑑賞後調べたから)はどうしたの?」と思っていたら、戦いの場に応援にも来ず、宇宙に捨て台詞つきで去っていって、その小ずるい姿に惚れ直しました。
こういう、カッコ悪い態度がカッコイイ悪役って最高ですね。
というか、スタースクリームってセクシーだよね(異論は認めない)。
がちゃがちゃとロボット達が変形するシーンは勿論カッコイイし、ここではあまり触れませんが(苦笑)人間の俳優陣たちも、いい演技をしていて笑えるので、普通の映画としても、それなりにお勧め。ただはっきり言って長い。二時間以上もあるからなあ。
小さな仕草でいえば、大きなロボットが人間を手のひらに乗せて運ぶとか、顔の横に持ってきて話すとか、そういうの最高ですね。
大きいものは大きいことをより強調してくれないと! でかい男と幼女の組み合わせが最高なように、大きなロボットと小さな生身って組み合わせも萌えます。ああ、これで主人公がへたれな少年とかじゃなく、それこそメカに全く詳しくない女の子とかだったら、カップリング普通にイケたのに………(生き物同士ですらないが、可能)。
最後、夕日を目の前にして「我々は人間の中にまぎれ、影ながら暮らしている。宇宙に散っていった同氏達よ、私はここで待ち続ける。人類を見守りながら」とたそがれるオプティマス・プライムが堂々人型に変形していて、ちっとも隠れるそぶりも見せないお茶目っぷりに惚れ直しました。
ちょ、可愛すぎるよこの司令官………!(この人生終わったら私オプティマスプライムと結婚するんだ………)(人生終わらないと無理なんですか)
『バンド・ワゴン』
桂歌丸………もとい、フレッド・アステア祭り。私的ブームのときに予約リストに入れても、順番どおりに発送してくれるわけではないので、忘れた頃にやってくるのが困りものです。
フレッド・アステアだけが注目されるのではなく、むしろ約を固める俳優陣の個性が光るのが、アステア映画として中々珍しくて面白かったです。
奇抜なプロデューサーに、親友の作家夫婦。相手役のバレリーナ、シド・チャリシーと、それぞれキャラクターが立っていて、見ごたえがあります。
映画としては、落ち目のトップスターがミュージカルの舞台を成功させるまでの、軽く楽しめる物語で、舞台での歌と踊り、現実世界での歌と踊り、それぞれにメリハリがあります。
特に、『ザッツ・エンターテイメント』は、この映画で使われていた曲だったとは知りませんでした。それくらい有名。
しかし、昔の映画は本当に倒れそうになる台詞を平気で言いますね。
これは、ミュージカル劇中での台詞なんですが、危険な香りがする女性に誘惑されたときに、
「この女は危険だ。信用ならない。だが、俺の好みだ」
なんて、お前どのツラ下げて………!
いちいち行っている台詞がおしゃれなので、こっちもちょっとやそっとじゃ驚かない耐性がついても、中々効いてくる台詞でした。いいなあ、こういうの、ただのおっさんが言ってるのかと思うと。
シド・チャリシーがきれいなのは勿論なんですが、作家奥さんのファニーな可愛さも捨てがたい。作家旦那のオスカー・レヴァントも、外見はただの小太りオヤジなんですが、歌いだすとどんだけいい声なのかと。
テンションの高いプロデューサー、ジャック・ブッキャナンも恰幅が良くてカッコイイし、普通に俳優陣が素敵、という見方のできる良作でした。
『幸せのレシピ』
ケツアゴ………もとい、アーロン・エッカート祭り。こちらは今現在旬ですね。
しかし、アーロン・エッカートかっけえな! 勿論好みだったから連続して見続けているんですが、この映画のアーロンのカッコよさは伊達じゃなかった。
アーロン演じる陽気なシェフの着こなしがちょっとアウトドア系(乗っている車も4WDのトラック?)だったり、それなのに持ってるデッキが小さなラジカセ(どう考えても古いタイプ)だったりするのも可愛いし。
顔がわりとゴツくて、顎がしっかりしているんだけど、それほど体がゴツく見えないのも、なんだか好みでした。
あと、仕事場とプライベートの髪型の微妙な差。かっちり固めているわけではなく、厨房でも無造作ナチュラルヘアーなんですが、プライベートだと、その髪の毛がぺったりしていて、ああ、いかにも寝起きなんだなあ、というか、お出かけ仕様じゃないんだなあ、ジェルとかワックスとかつけてないんだなあ(いえ、勿論つけてるんでしょうが)というオンオフの細かな差がカッコよくて参りました。
話の内容としては、仕事一筋の女性シェフが、突然姪を引き取ることになり、上手くいかないながらも、これも突然職場に現れたスー・シェフ(副料理長)に振り回されながらも、恋に仕事にと、生き方を考えていく、というような見やすい映画です。
ただ、私は結婚もしていないし、子供もいないので、どうしても突然引き取られる子供ではなく、突然己の生活に入り込まれて子供に気を遣って自分が悪いわけでもないのに大人だから謝らなければならない主人公に感情移入してしまい、駄目な大人だなあと自分自身を省みてへこんだりしてしまいました。
子供が嫌いとか、そんなことは全くないんですが、それと「自分の生活を犠牲にする」というのは、別問題だと思うんですよね。愛情のあるなしではなく。
肉親とか、血のつながり関係なく、大人が子供を、親が子供のために自分の人生をかける、というのは、並大抵のことじゃないと思っているので、子供が子供らしい主張をするたびに、のりきれない何かがありました。その主張を、主人公である女シェフ、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ )が必死になって叶えようとするのが、そちらに感情移入している側として、凄く切なくなるというか。
まあ、重い映画ではないので、女性の生き方、それに関わってくる男性をカッコイイ、と思えれはそれでいいと思います。
ケイトが目隠しをして、ニック(アーロン・エッカート)がソースを食べさせて、レシピを当てるという行動を、夜に明かり一つの下でやってる、ってそれどんなプレイ。
なんじゃこのエロいプレイ! と思ったんですが、その後、ニックが朝、姪と一緒にパンケーキを焼き、おはようのキスをケイトにしようとするんですね。
ケイトが「姪が見てるから」と言うと、くるっと首を姪に回して、「今から君の叔母さんにキスするよ」と、宣言して、キスですよ。お、お、お、お前、肉食ってる奴らは凄すぎる! とわけのわからないことを思いました。
いいなあ、私もアーロン・エッカートにそんなこと言われたいよ。(英語 もわからないくせに)
最終的に、ケイトは自分が積み上げてきた人生である、厨房に、ニックが徐々に入り込み、チーフにオーナーがさせようとしていることがどうしても認められず、ニックは出て行ってしまいます。
「この厨房は、私の努力の結晶なの。私の人生そのものなのよ」
というケイトに対し、
「いいや、これは君の人生のほんの一部だ」
とニックは言って出て行くんですが、これは、なんていうかな、交わらない人生の考え方ですよね。
この台詞、正直感銘を受けたわけではなく、お互いに分かり合えない部分というものは、絶対に存在するんだな、という確認のように思えました。
仕事に限った話ではなく、自分にとって、他人がどう滑稽に思おうと、譲れない何かがある、というだけの話であって、それに対してどんなに説得しようとしても、それは、理解できるはずもない話なんですよ。自分のために行っている、他人に認めてもらおうと、はなからしていないことなので。
確かに、仕事は人生のほんの一部かもしれない。けれど、ほんの一部ではない人もいるという、初めからベクトルの違う主張なんです。
この台詞で、ニックに嫌悪感を抱いたわけでも、その台詞について考えるケイトに煮え切らなさを感じたわけでもなく、逆に、全く考え方が違うもの同士は、所詮わかりあえないけれど、その部分だけわかりあえなくても一緒にいられるんだな、ということでした。
ニックも男の甲斐性バリバリで、凄い包容力のある男というわけではなく、ケイトの行動に腹も立てるし、「自分の店を持とうとしないなんて無責任で気楽な生き方だ」といわれて、逆に自分の考え方を変えるくらいの、ごく普通の男の人なんですが、それでも、喧嘩別れしたあと、姪が行方不明になったと、パニックで連絡してきたケイトの側に、すぐに飛んできて一緒に探しながら「大丈夫、必ず見つかる」と懸命に慰める姿は、男前の面目躍如だと思いました。
相手の女に未練があるとかじゃなく、頼ってきた人間に自分の力を惜しげもなく貸せる、というのは、人間として非常にかっこいいですよね。これ、現実では殆どないと思うので。
桂歌丸………もとい、フレッド・アステア祭り。私的ブームのときに予約リストに入れても、順番どおりに発送してくれるわけではないので、忘れた頃にやってくるのが困りものです。
フレッド・アステアだけが注目されるのではなく、むしろ約を固める俳優陣の個性が光るのが、アステア映画として中々珍しくて面白かったです。
奇抜なプロデューサーに、親友の作家夫婦。相手役のバレリーナ、シド・チャリシーと、それぞれキャラクターが立っていて、見ごたえがあります。
映画としては、落ち目のトップスターがミュージカルの舞台を成功させるまでの、軽く楽しめる物語で、舞台での歌と踊り、現実世界での歌と踊り、それぞれにメリハリがあります。
特に、『ザッツ・エンターテイメント』は、この映画で使われていた曲だったとは知りませんでした。それくらい有名。
しかし、昔の映画は本当に倒れそうになる台詞を平気で言いますね。
これは、ミュージカル劇中での台詞なんですが、危険な香りがする女性に誘惑されたときに、
「この女は危険だ。信用ならない。だが、俺の好みだ」
なんて、お前どのツラ下げて………!
いちいち行っている台詞がおしゃれなので、こっちもちょっとやそっとじゃ驚かない耐性がついても、中々効いてくる台詞でした。いいなあ、こういうの、ただのおっさんが言ってるのかと思うと。
シド・チャリシーがきれいなのは勿論なんですが、作家奥さんのファニーな可愛さも捨てがたい。作家旦那のオスカー・レヴァントも、外見はただの小太りオヤジなんですが、歌いだすとどんだけいい声なのかと。
テンションの高いプロデューサー、ジャック・ブッキャナンも恰幅が良くてカッコイイし、普通に俳優陣が素敵、という見方のできる良作でした。
『幸せのレシピ』
ケツアゴ………もとい、アーロン・エッカート祭り。こちらは今現在旬ですね。
しかし、アーロン・エッカートかっけえな! 勿論好みだったから連続して見続けているんですが、この映画のアーロンのカッコよさは伊達じゃなかった。
アーロン演じる陽気なシェフの着こなしがちょっとアウトドア系(乗っている車も4WDのトラック?)だったり、それなのに持ってるデッキが小さなラジカセ(どう考えても古いタイプ)だったりするのも可愛いし。
顔がわりとゴツくて、顎がしっかりしているんだけど、それほど体がゴツく見えないのも、なんだか好みでした。
あと、仕事場とプライベートの髪型の微妙な差。かっちり固めているわけではなく、厨房でも無造作ナチュラルヘアーなんですが、プライベートだと、その髪の毛がぺったりしていて、ああ、いかにも寝起きなんだなあ、というか、お出かけ仕様じゃないんだなあ、ジェルとかワックスとかつけてないんだなあ(いえ、勿論つけてるんでしょうが)というオンオフの細かな差がカッコよくて参りました。
話の内容としては、仕事一筋の女性シェフが、突然姪を引き取ることになり、上手くいかないながらも、これも突然職場に現れたスー・シェフ(副料理長)に振り回されながらも、恋に仕事にと、生き方を考えていく、というような見やすい映画です。
ただ、私は結婚もしていないし、子供もいないので、どうしても突然引き取られる子供ではなく、突然己の生活に入り込まれて子供に気を遣って自分が悪いわけでもないのに大人だから謝らなければならない主人公に感情移入してしまい、駄目な大人だなあと自分自身を省みてへこんだりしてしまいました。
子供が嫌いとか、そんなことは全くないんですが、それと「自分の生活を犠牲にする」というのは、別問題だと思うんですよね。愛情のあるなしではなく。
肉親とか、血のつながり関係なく、大人が子供を、親が子供のために自分の人生をかける、というのは、並大抵のことじゃないと思っているので、子供が子供らしい主張をするたびに、のりきれない何かがありました。その主張を、主人公である女シェフ、ケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ )が必死になって叶えようとするのが、そちらに感情移入している側として、凄く切なくなるというか。
まあ、重い映画ではないので、女性の生き方、それに関わってくる男性をカッコイイ、と思えれはそれでいいと思います。
ケイトが目隠しをして、ニック(アーロン・エッカート)がソースを食べさせて、レシピを当てるという行動を、夜に明かり一つの下でやってる、ってそれどんなプレイ。
なんじゃこのエロいプレイ! と思ったんですが、その後、ニックが朝、姪と一緒にパンケーキを焼き、おはようのキスをケイトにしようとするんですね。
ケイトが「姪が見てるから」と言うと、くるっと首を姪に回して、「今から君の叔母さんにキスするよ」と、宣言して、キスですよ。お、お、お、お前、肉食ってる奴らは凄すぎる! とわけのわからないことを思いました。
いいなあ、私もアーロン・エッカートにそんなこと言われたいよ。(英語 もわからないくせに)
最終的に、ケイトは自分が積み上げてきた人生である、厨房に、ニックが徐々に入り込み、チーフにオーナーがさせようとしていることがどうしても認められず、ニックは出て行ってしまいます。
「この厨房は、私の努力の結晶なの。私の人生そのものなのよ」
というケイトに対し、
「いいや、これは君の人生のほんの一部だ」
とニックは言って出て行くんですが、これは、なんていうかな、交わらない人生の考え方ですよね。
この台詞、正直感銘を受けたわけではなく、お互いに分かり合えない部分というものは、絶対に存在するんだな、という確認のように思えました。
仕事に限った話ではなく、自分にとって、他人がどう滑稽に思おうと、譲れない何かがある、というだけの話であって、それに対してどんなに説得しようとしても、それは、理解できるはずもない話なんですよ。自分のために行っている、他人に認めてもらおうと、はなからしていないことなので。
確かに、仕事は人生のほんの一部かもしれない。けれど、ほんの一部ではない人もいるという、初めからベクトルの違う主張なんです。
この台詞で、ニックに嫌悪感を抱いたわけでも、その台詞について考えるケイトに煮え切らなさを感じたわけでもなく、逆に、全く考え方が違うもの同士は、所詮わかりあえないけれど、その部分だけわかりあえなくても一緒にいられるんだな、ということでした。
ニックも男の甲斐性バリバリで、凄い包容力のある男というわけではなく、ケイトの行動に腹も立てるし、「自分の店を持とうとしないなんて無責任で気楽な生き方だ」といわれて、逆に自分の考え方を変えるくらいの、ごく普通の男の人なんですが、それでも、喧嘩別れしたあと、姪が行方不明になったと、パニックで連絡してきたケイトの側に、すぐに飛んできて一緒に探しながら「大丈夫、必ず見つかる」と懸命に慰める姿は、男前の面目躍如だと思いました。
相手の女に未練があるとかじゃなく、頼ってきた人間に自分の力を惜しげもなく貸せる、というのは、人間として非常にかっこいいですよね。これ、現実では殆どないと思うので。
「ペイチェック 消された記憶」
ケツアゴ(アーロン・エッカート)を見たくてレンタルしたのですが、始まってみれば主役(ベン・アフレック)もケツアゴだったという罠。
そんなに派手なアクションはありませんが、サスペンス物としてはまとまっていて良かったです。
記憶を消せる時代に、仕事終了後、FBIに取り調べを受け、何者かに命を狙われる主人公。
この場合、主人公は自分が記憶を消されるのは、あくまでそういう契約の仕事だとわかっているので、何故自分は仕事をスムーズに終わらせることなく、一億近い株券を放棄し、役立たずのがらくたばかりつめた茶封筒を残したのか。
20個のがらくたで一体どうやって追っ手から逃げて、真実にたどり着けるのか、あたりが見所でしょうか。
がらくたはそれほど予想外の使われ方をするわけではありませんが、絶望的に手掛かりのない中、ヘアスプレーやクリップでどうやって場面を切り抜けるのか引き込まれます。
主人公はマッチョですが、わりとビジネスマンぽい感じですし、肉体に任せたアクションではないので、変にヒーロー的アクションがない分、リアリティがあります。殴る蹴る、はむしろヒロインが率先してやってますし。大体、ヒロイン役がユマ・サーマンですからねえ。この人きれいなんですが、ロボット的なきれいさなので、感情移入しにくい感じです。逆に戦闘シーン以外で違和感、というか。
最終的にアーロン・エッカート演じる会社の社長さんは、「お前の未来を見せてやる」とか言って直接対決になるんですが、その社長さん一連の登場シーンがすべてスローモーションになるのが、ありがちかもしれませんが、カッコよかったです。
流れる音楽。振り向く主人公。建物の影から銃を片手にゆっくり歩み寄ってくるスーツ姿の男。
一連の演出が統合されていて、中々見ごたえがありました。アニメ的っていったらそうなのかもしれませんが、わかりやすいだけに、インパクトが大きいです。
この社長さん、他の連中が自分の未来を見たがるのに対し、徹頭徹尾最後まで自分の未来を見ようとしないのが、凄くシュールでした。そこまで考えての演出ではないのかもしれませんが、見たいとはなから思っていないにせよ、他にやることがあったから見る必要がなかったにせよ、どちらにしてもかっこいいですね。
「世界最速のインディアン」
この場合のインディアンは差別用語ではなく、オートバイの名前です。
バイク命の老人が、最速スピードを出すためだけに、ニュージーランドからはるばるアメリカにわたり、そこで記録を打ち立てる、という話なんですが、俺がじじいものに弱いと知っての狼藉か!
ほぼ最初から最後まで泣きっぱなしでした。
良かったと思っては泣き、感動しては泣き、切なくなっては泣きで、忙しいったらありゃしません。
基本的に、アンソニー・ホプキンス演じる、バイク好きの老人、バート・マンローは、バイクだけに情熱を注ぎ、変人と見られている人なんですが、これが世捨て人ではなく、きちんと他人とコミュニケーションをとっている、人好きのする男だ、というのが中々「偏屈な老人もの」としては画期的かな、と思います。
バートはバイク中心に生きてますが、隣の子供と一緒に話をしたり、彼女とつきあったり、バイク仲間とパーティーをしたりと、私から見ると十分社交的だろというくらい、人間関係構築してますので。
バートは作中で、様々な人と出会い、その人たちの善意や好意によって、助けられて目的を果たすのですが、ここで「こんなにいい人ばかりいるわけじゃない」というツッコミは、かなりヤボでしょう。
バートがバイクにかけた情熱が、様々な人との関わりの中で、最終的に実った、というだけで、人の善意を問題にしたい映画ではないからです。
個人的には、バートが白い目で見られたり、老人だからと笑われたり、心血を注いだバイクを馬鹿にされたりするシーンだけで気持ちとしてはいっぱいいっぱいなので、それ以上やられると、ただの老人イジメみたいになってしまって、逆に物語として入り込めなかったと思うので、困難はあっても人の助けで叶う、という図式がはっきりしていて、見続けるのが苦ではなかったです。
金がないために、部品を一から手作りし、バルブのふたはブランデーのコルク。タイヤは市販のものを肉きり包丁で表面を削ったもので、見た目もまったくおしゃれではない。バート自身も老人で、心臓に持病を抱えている。そんなオンボロのコンビが、世界最速をアメリカでたたき出す、というロマンがまた泣かせます。ノンフィクションが元って言うのが、もうねえ。
紆余曲折の末、バートが大会のある塩の湖、ボンネビルにたどり着き、歓喜のあまり涙を流すシーンで一番号泣しました。まだレース始まってもいないのに(苦笑)。
他にも、バートを老人の戯言だとわらった若者のライダーたちが、旅立ちの日にみんなで送りにきてくれて、選別まで渡したり(その前のシーンで、勝負をして、彼らはバートから金をせしめているので、それをそのまま渡したんじゃないかなあ)、アメリカでも大なり小なり様々な人に助けられていくシーンは、やっぱり悪意を見せ付けられるよりも、感動できます。
最後、ニュージーランドに戻ってきたバートが、「やっぱり我が家がいい。来年も挑戦するからこれから忙しい」と言いながら、画面がひいていき「この記録以降、1000CCバイク最速記録はいまだ破られていない」と文字が出たときに、最後にまた号泣。
若干映画としては長いですが、アンソニー・ホプキンスの見事な演技も相まって、非常に面白い映画でした。
ケツアゴ(アーロン・エッカート)を見たくてレンタルしたのですが、始まってみれば主役(ベン・アフレック)もケツアゴだったという罠。
そんなに派手なアクションはありませんが、サスペンス物としてはまとまっていて良かったです。
記憶を消せる時代に、仕事終了後、FBIに取り調べを受け、何者かに命を狙われる主人公。
この場合、主人公は自分が記憶を消されるのは、あくまでそういう契約の仕事だとわかっているので、何故自分は仕事をスムーズに終わらせることなく、一億近い株券を放棄し、役立たずのがらくたばかりつめた茶封筒を残したのか。
20個のがらくたで一体どうやって追っ手から逃げて、真実にたどり着けるのか、あたりが見所でしょうか。
がらくたはそれほど予想外の使われ方をするわけではありませんが、絶望的に手掛かりのない中、ヘアスプレーやクリップでどうやって場面を切り抜けるのか引き込まれます。
主人公はマッチョですが、わりとビジネスマンぽい感じですし、肉体に任せたアクションではないので、変にヒーロー的アクションがない分、リアリティがあります。殴る蹴る、はむしろヒロインが率先してやってますし。大体、ヒロイン役がユマ・サーマンですからねえ。この人きれいなんですが、ロボット的なきれいさなので、感情移入しにくい感じです。逆に戦闘シーン以外で違和感、というか。
最終的にアーロン・エッカート演じる会社の社長さんは、「お前の未来を見せてやる」とか言って直接対決になるんですが、その社長さん一連の登場シーンがすべてスローモーションになるのが、ありがちかもしれませんが、カッコよかったです。
流れる音楽。振り向く主人公。建物の影から銃を片手にゆっくり歩み寄ってくるスーツ姿の男。
一連の演出が統合されていて、中々見ごたえがありました。アニメ的っていったらそうなのかもしれませんが、わかりやすいだけに、インパクトが大きいです。
この社長さん、他の連中が自分の未来を見たがるのに対し、徹頭徹尾最後まで自分の未来を見ようとしないのが、凄くシュールでした。そこまで考えての演出ではないのかもしれませんが、見たいとはなから思っていないにせよ、他にやることがあったから見る必要がなかったにせよ、どちらにしてもかっこいいですね。
「世界最速のインディアン」
この場合のインディアンは差別用語ではなく、オートバイの名前です。
バイク命の老人が、最速スピードを出すためだけに、ニュージーランドからはるばるアメリカにわたり、そこで記録を打ち立てる、という話なんですが、俺がじじいものに弱いと知っての狼藉か!
ほぼ最初から最後まで泣きっぱなしでした。
良かったと思っては泣き、感動しては泣き、切なくなっては泣きで、忙しいったらありゃしません。
基本的に、アンソニー・ホプキンス演じる、バイク好きの老人、バート・マンローは、バイクだけに情熱を注ぎ、変人と見られている人なんですが、これが世捨て人ではなく、きちんと他人とコミュニケーションをとっている、人好きのする男だ、というのが中々「偏屈な老人もの」としては画期的かな、と思います。
バートはバイク中心に生きてますが、隣の子供と一緒に話をしたり、彼女とつきあったり、バイク仲間とパーティーをしたりと、私から見ると十分社交的だろというくらい、人間関係構築してますので。
バートは作中で、様々な人と出会い、その人たちの善意や好意によって、助けられて目的を果たすのですが、ここで「こんなにいい人ばかりいるわけじゃない」というツッコミは、かなりヤボでしょう。
バートがバイクにかけた情熱が、様々な人との関わりの中で、最終的に実った、というだけで、人の善意を問題にしたい映画ではないからです。
個人的には、バートが白い目で見られたり、老人だからと笑われたり、心血を注いだバイクを馬鹿にされたりするシーンだけで気持ちとしてはいっぱいいっぱいなので、それ以上やられると、ただの老人イジメみたいになってしまって、逆に物語として入り込めなかったと思うので、困難はあっても人の助けで叶う、という図式がはっきりしていて、見続けるのが苦ではなかったです。
金がないために、部品を一から手作りし、バルブのふたはブランデーのコルク。タイヤは市販のものを肉きり包丁で表面を削ったもので、見た目もまったくおしゃれではない。バート自身も老人で、心臓に持病を抱えている。そんなオンボロのコンビが、世界最速をアメリカでたたき出す、というロマンがまた泣かせます。ノンフィクションが元って言うのが、もうねえ。
紆余曲折の末、バートが大会のある塩の湖、ボンネビルにたどり着き、歓喜のあまり涙を流すシーンで一番号泣しました。まだレース始まってもいないのに(苦笑)。
他にも、バートを老人の戯言だとわらった若者のライダーたちが、旅立ちの日にみんなで送りにきてくれて、選別まで渡したり(その前のシーンで、勝負をして、彼らはバートから金をせしめているので、それをそのまま渡したんじゃないかなあ)、アメリカでも大なり小なり様々な人に助けられていくシーンは、やっぱり悪意を見せ付けられるよりも、感動できます。
最後、ニュージーランドに戻ってきたバートが、「やっぱり我が家がいい。来年も挑戦するからこれから忙しい」と言いながら、画面がひいていき「この記録以降、1000CCバイク最速記録はいまだ破られていない」と文字が出たときに、最後にまた号泣。
若干映画としては長いですが、アンソニー・ホプキンスの見事な演技も相まって、非常に面白い映画でした。