『20世紀少年 第一章 第二章』
あまりのつまらなさにどうにかなってしまうかと思いました。
第一章はまだ、唐沢氏への愛で何とか乗り切れたんですが、第二章に入ったらもう見ているのがただたた辛くて。
これ、原作読んでいればもう少し楽しめるんでしょうかねえ。
結局これ、何をキモにして見ればいいのかよくわからないんですよ。
だって「ともだち」の正体が誰か、こっちが知りたくなる要素が別に何処にもないんですもん。
例えば、過去が大切に描かれて、「絶対にこの何人かの少年の中にともだちがいます」っていうのなら、こちらも「誰がともだちなんだろう」と気にもなりますが。
殆ど鬼籍。
もしくは仲間(当事者)。
ましてや、あんな奴一章でいましたかレベルで新しい登場人物を出されると、それが「ともだち」でないにしろ、唐突に出てきたキャラを主要人物に据える時点で、ともだちだって同じ種明かしできちゃうだろうがと、すっかり興ざめなんですよね。
その部分でどうでもよくなっちゃうと、後はカンナがどうやってともだちに立ち向かうか、っていうのがキモになるんだと思うんですが、別に彼女は立ち向かってないしなあ。あれは向こう見ずというのだよ。彼女の行動で何がしかが変わるわけでもなし。
逃げるわけでも(必死で逃げるのはそれだけで戦いなわけで)、実際ともだちに一矢報いるわけでもなく、ただ流される様を延々二時間以上見せられてもねえ…。
大体ケンジの姪で、神の子だか運命の子だか言われているのに、普通に高校生活が営めている時点でおかしいでしょうが。
これ、最終章を見れば少しはすっきりするんでしょうか。
第二章はあまりのつまらなさに、最終的には早送りで見る始末でしたが。
『用心棒』
やっぱり天下の三船は超カッケエな!!
ポートレートやポスターにも使われることの多いシーンが目白押しで、画面だけをひたすら写していても、それが一つの絵画のようでした。
吹きすさぶ砂塵。
荒れた町並み。
転がる死体。
古くなった血。
その中で、土にまみれた着物をまとった浪人が、懐手でただ立っている。
対するは、刃をぬいたサンピンども。
派手な着物を身にまとい、体を低く待ち構える男らの前で、浪人はただ真っ直ぐにそちらに向かって歩くのであった。
このラストシーンだけで元取った! と思いました。
殺陣も、何処を探しても「きれい」とか「お見事」な様子は一切なく、何流を極めたわけでもない、ただそれぞれの獲物を振りまわす暴力がたまりません。
あれは人殺しとか、剣客とか、そういう名づけられるものではなくて、ただ乱暴狼藉の延長なんだよなあ。
だから殴り合いとか、切りあいっていうのはありえないわけです。
暴力って言うのは対面したと同時に、強者と弱者に別れるわけで、弱者はひたすら殴られる、殺されるしかない。
しかもヤクザものの争いなわけですから、一対一で戦うことなどまずありえないので、煙に燻し出されてきたチンピラどもを、待ち構えていたチンピラが集団で串刺しですよ。 明らかに一刀で死んでいるにも関わらず、そこに肉の塊があるから、とそれだけの理由で滅多刺し。
私は時代劇が元々好きなので、「お見事」とやんややんやの拍手喝采殺陣も勿論好みですが、こういった暴力の延長がたまたま刀だった、というような図式も大好きです。
荒れ果てた宿場。互いに私利私欲に走る二組の親分衆。そこに、一人の浪人が現れ、宿場は惨劇を激化させていく。
うーん、かっこいいなあ!
三船さんも、若かりし頃の仲代さんも素敵でしたが、個人的に一番「おお!」と思ったのは、主人公の浪人を何くれとなく世話を焼いてくれる、飯屋の親父でした。
どこかで見たことがあるなあ、とずっと思っていたのですが、「黄門! 黄門じゃないか!」とわかってからはもう、その演技力と久しぶりに会えた嬉しさ(笑)に、じじいが出るたびににやにやしっぱなしでした。
ちなみに東野英治郎さん、という方でお顔を見ればおわかりになる方もいらっしゃるのではないかと。
ちょっとつぶらな瞳が可愛い(笑)黄門様で、大好きだったんですよねえ私。
そして、名主の多左衛門役・藤原釜足さん。私は存じ上げなかったのですが、この人の最後の迫力といったらなかった。
絹を扱う主人なのですが、いざこざに巻き込まれて家を失ってしまう。「絹が燃える。絹が」と泣き叫ぶ様から一変、地面に転がるチンピラにむかって、裃をつけた正装で、弔いのドラをうちならす。 完璧に狂った相貌で、宿敵を刺し殺し、血まみれの姿で呆然と去っていくその様は、狂気としか言いようがありませんでした。他の迫力全部吹き飛んだよ。
親分の一人である、山茶花究さんもギョロ目の凄みのある悪役でかっこよかったなあ!
時間も二時間以内で収まりますし、画面一つとっても見ごたえ満点なので、是非。
あまりのつまらなさにどうにかなってしまうかと思いました。
第一章はまだ、唐沢氏への愛で何とか乗り切れたんですが、第二章に入ったらもう見ているのがただたた辛くて。
これ、原作読んでいればもう少し楽しめるんでしょうかねえ。
結局これ、何をキモにして見ればいいのかよくわからないんですよ。
だって「ともだち」の正体が誰か、こっちが知りたくなる要素が別に何処にもないんですもん。
例えば、過去が大切に描かれて、「絶対にこの何人かの少年の中にともだちがいます」っていうのなら、こちらも「誰がともだちなんだろう」と気にもなりますが。
殆ど鬼籍。
もしくは仲間(当事者)。
ましてや、あんな奴一章でいましたかレベルで新しい登場人物を出されると、それが「ともだち」でないにしろ、唐突に出てきたキャラを主要人物に据える時点で、ともだちだって同じ種明かしできちゃうだろうがと、すっかり興ざめなんですよね。
その部分でどうでもよくなっちゃうと、後はカンナがどうやってともだちに立ち向かうか、っていうのがキモになるんだと思うんですが、別に彼女は立ち向かってないしなあ。あれは向こう見ずというのだよ。彼女の行動で何がしかが変わるわけでもなし。
逃げるわけでも(必死で逃げるのはそれだけで戦いなわけで)、実際ともだちに一矢報いるわけでもなく、ただ流される様を延々二時間以上見せられてもねえ…。
大体ケンジの姪で、神の子だか運命の子だか言われているのに、普通に高校生活が営めている時点でおかしいでしょうが。
これ、最終章を見れば少しはすっきりするんでしょうか。
第二章はあまりのつまらなさに、最終的には早送りで見る始末でしたが。
『用心棒』
やっぱり天下の三船は超カッケエな!!
ポートレートやポスターにも使われることの多いシーンが目白押しで、画面だけをひたすら写していても、それが一つの絵画のようでした。
吹きすさぶ砂塵。
荒れた町並み。
転がる死体。
古くなった血。
その中で、土にまみれた着物をまとった浪人が、懐手でただ立っている。
対するは、刃をぬいたサンピンども。
派手な着物を身にまとい、体を低く待ち構える男らの前で、浪人はただ真っ直ぐにそちらに向かって歩くのであった。
このラストシーンだけで元取った! と思いました。
殺陣も、何処を探しても「きれい」とか「お見事」な様子は一切なく、何流を極めたわけでもない、ただそれぞれの獲物を振りまわす暴力がたまりません。
あれは人殺しとか、剣客とか、そういう名づけられるものではなくて、ただ乱暴狼藉の延長なんだよなあ。
だから殴り合いとか、切りあいっていうのはありえないわけです。
暴力って言うのは対面したと同時に、強者と弱者に別れるわけで、弱者はひたすら殴られる、殺されるしかない。
しかもヤクザものの争いなわけですから、一対一で戦うことなどまずありえないので、煙に燻し出されてきたチンピラどもを、待ち構えていたチンピラが集団で串刺しですよ。 明らかに一刀で死んでいるにも関わらず、そこに肉の塊があるから、とそれだけの理由で滅多刺し。
私は時代劇が元々好きなので、「お見事」とやんややんやの拍手喝采殺陣も勿論好みですが、こういった暴力の延長がたまたま刀だった、というような図式も大好きです。
荒れ果てた宿場。互いに私利私欲に走る二組の親分衆。そこに、一人の浪人が現れ、宿場は惨劇を激化させていく。
うーん、かっこいいなあ!
三船さんも、若かりし頃の仲代さんも素敵でしたが、個人的に一番「おお!」と思ったのは、主人公の浪人を何くれとなく世話を焼いてくれる、飯屋の親父でした。
どこかで見たことがあるなあ、とずっと思っていたのですが、「黄門! 黄門じゃないか!」とわかってからはもう、その演技力と久しぶりに会えた嬉しさ(笑)に、じじいが出るたびににやにやしっぱなしでした。
ちなみに東野英治郎さん、という方でお顔を見ればおわかりになる方もいらっしゃるのではないかと。
ちょっとつぶらな瞳が可愛い(笑)黄門様で、大好きだったんですよねえ私。
そして、名主の多左衛門役・藤原釜足さん。私は存じ上げなかったのですが、この人の最後の迫力といったらなかった。
絹を扱う主人なのですが、いざこざに巻き込まれて家を失ってしまう。「絹が燃える。絹が」と泣き叫ぶ様から一変、地面に転がるチンピラにむかって、裃をつけた正装で、弔いのドラをうちならす。 完璧に狂った相貌で、宿敵を刺し殺し、血まみれの姿で呆然と去っていくその様は、狂気としか言いようがありませんでした。他の迫力全部吹き飛んだよ。
親分の一人である、山茶花究さんもギョロ目の凄みのある悪役でかっこよかったなあ!
時間も二時間以内で収まりますし、画面一つとっても見ごたえ満点なので、是非。
PR
『ゴールデンスランバー』公式サイト
主演堺氏と聞いたら見ないわけには、とレイトショーで鑑賞したんですが、個人的にはいまひとつでした。
二時間二十分も逃走劇に付き合うためには、途中で中だるみせず、ぐいぐいと「次が気になる要素」と入れて欲しいのですが、この物語基本的に「どう逃げるか」という部分には重きを置いていないようなのです。
結局、過去大学時代に過ごした日々。バイトでお世話になった人たち。大人になって勤めた職場の同僚。そういった、主人公の人柄を信じている人たちが手助けをしてくれる物語なので、究極のご都合主義っていったらそうなんですよね。
別に、どうやって逃げるかとか、黒幕の正体はとか、そういうスリルとかサスペンスの部分に元々重きを置いていない、空想小説みたいな内容の映画でした。
主人公自身が逃げるために奔走するとか、真犯人を探し出す、とかいう「逃亡者」のような話ではないのですね。
そっち路線で想像していたので、個人的には肩透かしな印象が強い映画になってしまいました。
そうなってくると、最後に主人公が「助かる」のはわかってしまうし、助かった後の伏線の回収も、大方読めてしまうのです。
それぞれ感情の起伏に乏しい人たち(誰も彼もが泣き喚いたりそういうことはない)なので、見ている側は重くなく見られる、物語も演出もそんな感じ、という生ぬるい青春群像みたいな話でした。
二時間オーバーではなく、一時間五十分くらいで、すっきりとまとめてもらったほうが、活劇として楽しめたかも。
伊東四郎さん演じる父親とのやり取りは、マスコミ報道の酷さもあいまって非常に感動的で良かったです。
役者陣は文句なし。全員お上手な方ばかりですしね。ベンガルさん久しぶりに画面で見られて嬉しかったなあ。
『七人の侍』
やっと見ました黒澤侍。
結論からいえば、長っげえ!
前後半に分かれておまけに休憩入るって、どんな長さだこれ。
内容としては、「SAMURAI7」というアニメで大まかなあらすじは知っていたのですが、殆ど別物ですね。当たり前ですが。
やはり一番インパクトがあるのは「絵」でしょうか。
画面から突き刺さる迫力は、そこが人殺しの場面でなくともすさまじい。
私が一番印象に残っているシーンは、水車小屋でおんじが竹やりを持って座っているシーンを背後から撮ったものですが、あれはそのまま引き伸ばしてポスターにしたいくらいの静寂でしたね。
効果音もBGMも(基本的にBGMはほぼない)なく、ただうす暗がりの中座っている年寄り、という地味以外形容できない図なのですが、それでも画面からほとばしる迫力が違うんですよね。
ただ野武せりに殺されるために座して待つのではなく、竹やりを抱えて人一人殺せない弱った年寄りがそれでも、迎え撃つっていう図がなんとも…!
この映画、ぽんぽん簡単に人が死ぬのですが、それによる慟哭はあまりありません。戦っている連中は嘆きもしますが、見ている側は、その前の百章の暮らしや、米ではなくひえや、あわを食ってそれでも侍に土下座をする人性のほうが、よほど心を打つものがあるので、主役の侍たちが死ぬ様は流せてしまうんですよね。
しかも現実的に、別に死ぬ際にドラマティックな演出など一切ない、のでただ大地に転がる男の肉体、という図がひたすらリアルで、死に方は印象に残らないけれど、死んだ後の肉体は印象に残る、という不思議な感情を抱きました。
役者陣は豪華のひとこと。
菊千代は天下の三船ですが、この人の生き方といい、尻といい尻といい尻といい最高でした。
この人が、ばったりと地面に倒れた姿は、本当にただただ死体でした。
アニメの「SAMURAI7」では、菊千代は人間ではないロボットになっているんですが、この個性を出すために、人ではないものにしたのもうなずけます。これ、人間としての個性出し切っちゃって、もう別なものにするしかないよなあ。
一番人気の久蔵は確かに人気があるのもわかります。寡黙で腕が立って、にやりと笑う凄みがあって、でも若侍に誉められるとどこかちょっと嬉しそう。
この時代の役者さんは、全員足が短い昔の日本人体系なのですが、そうでないと、しっかりと足を踏みしめた格好は似合わないですね。
浮つきつつ飛び跳ねる菊千代とは違い、巌のようにびくともしないが柳のように柔軟性のある久蔵が刀をふるう姿は、凄くかっこよかったです。
そして志村喬さんですよ。何でも出来るつるっぱげの智将! 個人的にはこの外見そのまま武田信玄じゃん、と思いました。
さすがの迫力ですねえ。
「椿三十郎」がエンターテイメント色が強かったので、「七人の侍」はどうだとうと思ったのですが、こちらもやはりその色が強かったですね。
リアルな背景に、悲惨な実情。殺陣あり色恋あり、そして日常の中の笑いありという、サービス精神満載の映画でした。
衣装やセットの金のかけ方も半端ないしなあ。
主演堺氏と聞いたら見ないわけには、とレイトショーで鑑賞したんですが、個人的にはいまひとつでした。
二時間二十分も逃走劇に付き合うためには、途中で中だるみせず、ぐいぐいと「次が気になる要素」と入れて欲しいのですが、この物語基本的に「どう逃げるか」という部分には重きを置いていないようなのです。
結局、過去大学時代に過ごした日々。バイトでお世話になった人たち。大人になって勤めた職場の同僚。そういった、主人公の人柄を信じている人たちが手助けをしてくれる物語なので、究極のご都合主義っていったらそうなんですよね。
別に、どうやって逃げるかとか、黒幕の正体はとか、そういうスリルとかサスペンスの部分に元々重きを置いていない、空想小説みたいな内容の映画でした。
主人公自身が逃げるために奔走するとか、真犯人を探し出す、とかいう「逃亡者」のような話ではないのですね。
そっち路線で想像していたので、個人的には肩透かしな印象が強い映画になってしまいました。
そうなってくると、最後に主人公が「助かる」のはわかってしまうし、助かった後の伏線の回収も、大方読めてしまうのです。
それぞれ感情の起伏に乏しい人たち(誰も彼もが泣き喚いたりそういうことはない)なので、見ている側は重くなく見られる、物語も演出もそんな感じ、という生ぬるい青春群像みたいな話でした。
二時間オーバーではなく、一時間五十分くらいで、すっきりとまとめてもらったほうが、活劇として楽しめたかも。
伊東四郎さん演じる父親とのやり取りは、マスコミ報道の酷さもあいまって非常に感動的で良かったです。
役者陣は文句なし。全員お上手な方ばかりですしね。ベンガルさん久しぶりに画面で見られて嬉しかったなあ。
『七人の侍』
やっと見ました黒澤侍。
結論からいえば、長っげえ!
前後半に分かれておまけに休憩入るって、どんな長さだこれ。
内容としては、「SAMURAI7」というアニメで大まかなあらすじは知っていたのですが、殆ど別物ですね。当たり前ですが。
やはり一番インパクトがあるのは「絵」でしょうか。
画面から突き刺さる迫力は、そこが人殺しの場面でなくともすさまじい。
私が一番印象に残っているシーンは、水車小屋でおんじが竹やりを持って座っているシーンを背後から撮ったものですが、あれはそのまま引き伸ばしてポスターにしたいくらいの静寂でしたね。
効果音もBGMも(基本的にBGMはほぼない)なく、ただうす暗がりの中座っている年寄り、という地味以外形容できない図なのですが、それでも画面からほとばしる迫力が違うんですよね。
ただ野武せりに殺されるために座して待つのではなく、竹やりを抱えて人一人殺せない弱った年寄りがそれでも、迎え撃つっていう図がなんとも…!
この映画、ぽんぽん簡単に人が死ぬのですが、それによる慟哭はあまりありません。戦っている連中は嘆きもしますが、見ている側は、その前の百章の暮らしや、米ではなくひえや、あわを食ってそれでも侍に土下座をする人性のほうが、よほど心を打つものがあるので、主役の侍たちが死ぬ様は流せてしまうんですよね。
しかも現実的に、別に死ぬ際にドラマティックな演出など一切ない、のでただ大地に転がる男の肉体、という図がひたすらリアルで、死に方は印象に残らないけれど、死んだ後の肉体は印象に残る、という不思議な感情を抱きました。
役者陣は豪華のひとこと。
菊千代は天下の三船ですが、この人の生き方といい、尻といい尻といい尻といい最高でした。
この人が、ばったりと地面に倒れた姿は、本当にただただ死体でした。
アニメの「SAMURAI7」では、菊千代は人間ではないロボットになっているんですが、この個性を出すために、人ではないものにしたのもうなずけます。これ、人間としての個性出し切っちゃって、もう別なものにするしかないよなあ。
一番人気の久蔵は確かに人気があるのもわかります。寡黙で腕が立って、にやりと笑う凄みがあって、でも若侍に誉められるとどこかちょっと嬉しそう。
この時代の役者さんは、全員足が短い昔の日本人体系なのですが、そうでないと、しっかりと足を踏みしめた格好は似合わないですね。
浮つきつつ飛び跳ねる菊千代とは違い、巌のようにびくともしないが柳のように柔軟性のある久蔵が刀をふるう姿は、凄くかっこよかったです。
そして志村喬さんですよ。何でも出来るつるっぱげの智将! 個人的にはこの外見そのまま武田信玄じゃん、と思いました。
さすがの迫力ですねえ。
「椿三十郎」がエンターテイメント色が強かったので、「七人の侍」はどうだとうと思ったのですが、こちらもやはりその色が強かったですね。
リアルな背景に、悲惨な実情。殺陣あり色恋あり、そして日常の中の笑いありという、サービス精神満載の映画でした。
衣装やセットの金のかけ方も半端ないしなあ。
『チェイサー』公式サイト
いつも一緒に映画を見る知り合いが、「今年のナンバーワンかも」と言っていたので、レンタルして見たんですが、私はこういう後味の悪すぎる映画をナンバーワンに据えてしまう感性がちょっとよくわかりません。
いや、だって本当に後味悪いんだってば!
予想できる最悪の結末を普通に迎えるんだもん!
必死に探しても何処にも救済の余地ないんだもん!
場面によってはかなりグロいので、その手のことが苦手な方にはまったくお勧めできません。内臓ドバーとかそんなことはないですが、のみとハンマーで女の頭をかち割る様とか、実際にはかけられないけれど、殺した後の女の体を串刺しにして壁から吊り下げる予定のS字フックとか普通に描写されちゃいますからね。
ナイフとか拳銃とか、人を殺すためにある道具も恐ろしいですが、そんな用途に使われるはずがないのに、使われてしまう道具の描写っていうのは、生々しくてとても怖気がたちます。
実際に行われた猟奇殺人がモデルらしいのですが、風俗嬢(デリヘル)を大量に殺していた青年と、自分の経営する店の女の子を殺された男が、その犯人を追い詰めるというのが主なあらすじ。
男は最初は女が逃げたか売られたかと思っているので、殺人犯を捕まえて警察に突き出そうという正義感があるわけではありません。あくまで己の仕事の中での不利益を避けたいだけで、探しているのは自分の所有物である商売女なわけです。
それが、最後に行方不明になった女性の娘さんを引き連れて行くにつれ、また、女性の命がほぼ絶望的である、追っている相手がただの変態ではなく真性の人殺しであると気づき始めた男は、必死で「そんなはずはない」と女性を探す。
それは、ただの商売女を取り戻すという意識から、女の子の母親を生きて連れ戻すという男の気持ちの変化なのですが、このあたりがちょっと描き方が弱いんだなあ。
男は別に、聖人ではないですが悪人じゃない、悪人よりの普通の人なので、女の子にほだされて必死になる様はおかしくないんですが、肝心の女の子が事件と関係のないことで退場してしまうんですよ。しかも結構途中で。
そうなると、女の子って、男に心境の変化をさせるために出てきたという印象が強くなりすぎてしまうんですよね。勿論実際物語の中では女の子は「そういう」役割を担っているのでしょうが。
で、女の子が退場したというターニングポイントの後に、物語が急転直下するかというとそうでもない。
この話、基本的に犯人が捕まっているにも関わらず、捕らえられた女の居場所がわからない、証拠がない、警察の捜査が進まない、検事の横槍が入る、死体を埋めた場所もわからない、動機なんて初めからあったもんじゃない、というとにかくすべてが不透明で、躓いてばかりなのです。
題名になっている、「追跡」すらもスムーズに進まない。
見ているこっちは、進んでいる実感が全くないので、本当にイライラもやもやしながら見続けなければいけないわけです。
歯軋りしながら「なんで女の居場所くらいすぐに見つけられねえんだよ!」とばかりが焦ります。だってこのままだと最悪な未来予想できちゃいますからね。
男が物語後半で「女はこのあたりにいる。車がここで発見されたんだから、そこから何キロ県内に男の家がある」みたいなことを言い出すんですが、それ、事件発生後真っ先に言うべきことなんじゃねえの!?
上手くいかない、かみ合わない、を繰り返した挙句、三歩進んで十歩下がるくらいの時間を過ごした挙句、一度は男によって捕まえられた犯人は、証拠不十分で釈放されてしまいます。
しかも、その後を尾行するのがたった二人ですよ。これありえないですよ。完全に凶悪殺人犯(冤罪ではないことは警察も重々承知している)だってわかってるのに。
その結果、犯人はいとも簡単にまた殺人を犯してしまいます。それも、最悪な被害者を選んで。
このあたりの話運びのかったるさとか、もう少しなんとかならなかったのかなあと思います。
犯人追跡のために追いかけっこをしたりとか、殴りあうシーンなんかは当然多いんですが、それではなく、警察内部で錯綜している場面とか、それ以外の表現がとにかく要所要所でテンポがそがれているというか。
実際、125分とかありますからね。私途中ではっきりと最悪な未来が見えてからかなり忍耐力が削られました。
ここでは、男の心情とか、犯人の動機とか、心理描写は殆どありません。あるのは、暴力に追跡に殺人。
結局この作品で重きをおきたかったのは、何故男は捕らえられなかったのか。その前に服役もしていて、他の事件でも取調べを受けているのに、何故また人殺しを防げなかったのか、というどちらかといえば、アウトローの目から見た、どうしようもない社会体制なのかなあと思いました。
元刑事だった男が一番男を自由に追いかけて、そして殴ることができる。犯人の居場所を突き止めることができる。被害者の残された娘さんの元に傷だらけの体を引きずって訪ねることができる。
できたはずなのに、できなかった。
そんな人たちの中で、結局男も「最終的には何もできなかった」物語なのでした。暗すぎる。
いつも一緒に映画を見る知り合いが、「今年のナンバーワンかも」と言っていたので、レンタルして見たんですが、私はこういう後味の悪すぎる映画をナンバーワンに据えてしまう感性がちょっとよくわかりません。
いや、だって本当に後味悪いんだってば!
予想できる最悪の結末を普通に迎えるんだもん!
必死に探しても何処にも救済の余地ないんだもん!
場面によってはかなりグロいので、その手のことが苦手な方にはまったくお勧めできません。内臓ドバーとかそんなことはないですが、のみとハンマーで女の頭をかち割る様とか、実際にはかけられないけれど、殺した後の女の体を串刺しにして壁から吊り下げる予定のS字フックとか普通に描写されちゃいますからね。
ナイフとか拳銃とか、人を殺すためにある道具も恐ろしいですが、そんな用途に使われるはずがないのに、使われてしまう道具の描写っていうのは、生々しくてとても怖気がたちます。
実際に行われた猟奇殺人がモデルらしいのですが、風俗嬢(デリヘル)を大量に殺していた青年と、自分の経営する店の女の子を殺された男が、その犯人を追い詰めるというのが主なあらすじ。
男は最初は女が逃げたか売られたかと思っているので、殺人犯を捕まえて警察に突き出そうという正義感があるわけではありません。あくまで己の仕事の中での不利益を避けたいだけで、探しているのは自分の所有物である商売女なわけです。
それが、最後に行方不明になった女性の娘さんを引き連れて行くにつれ、また、女性の命がほぼ絶望的である、追っている相手がただの変態ではなく真性の人殺しであると気づき始めた男は、必死で「そんなはずはない」と女性を探す。
それは、ただの商売女を取り戻すという意識から、女の子の母親を生きて連れ戻すという男の気持ちの変化なのですが、このあたりがちょっと描き方が弱いんだなあ。
男は別に、聖人ではないですが悪人じゃない、悪人よりの普通の人なので、女の子にほだされて必死になる様はおかしくないんですが、肝心の女の子が事件と関係のないことで退場してしまうんですよ。しかも結構途中で。
そうなると、女の子って、男に心境の変化をさせるために出てきたという印象が強くなりすぎてしまうんですよね。勿論実際物語の中では女の子は「そういう」役割を担っているのでしょうが。
で、女の子が退場したというターニングポイントの後に、物語が急転直下するかというとそうでもない。
この話、基本的に犯人が捕まっているにも関わらず、捕らえられた女の居場所がわからない、証拠がない、警察の捜査が進まない、検事の横槍が入る、死体を埋めた場所もわからない、動機なんて初めからあったもんじゃない、というとにかくすべてが不透明で、躓いてばかりなのです。
題名になっている、「追跡」すらもスムーズに進まない。
見ているこっちは、進んでいる実感が全くないので、本当にイライラもやもやしながら見続けなければいけないわけです。
歯軋りしながら「なんで女の居場所くらいすぐに見つけられねえんだよ!」とばかりが焦ります。だってこのままだと最悪な未来予想できちゃいますからね。
男が物語後半で「女はこのあたりにいる。車がここで発見されたんだから、そこから何キロ県内に男の家がある」みたいなことを言い出すんですが、それ、事件発生後真っ先に言うべきことなんじゃねえの!?
上手くいかない、かみ合わない、を繰り返した挙句、三歩進んで十歩下がるくらいの時間を過ごした挙句、一度は男によって捕まえられた犯人は、証拠不十分で釈放されてしまいます。
しかも、その後を尾行するのがたった二人ですよ。これありえないですよ。完全に凶悪殺人犯(冤罪ではないことは警察も重々承知している)だってわかってるのに。
その結果、犯人はいとも簡単にまた殺人を犯してしまいます。それも、最悪な被害者を選んで。
このあたりの話運びのかったるさとか、もう少しなんとかならなかったのかなあと思います。
犯人追跡のために追いかけっこをしたりとか、殴りあうシーンなんかは当然多いんですが、それではなく、警察内部で錯綜している場面とか、それ以外の表現がとにかく要所要所でテンポがそがれているというか。
実際、125分とかありますからね。私途中ではっきりと最悪な未来が見えてからかなり忍耐力が削られました。
ここでは、男の心情とか、犯人の動機とか、心理描写は殆どありません。あるのは、暴力に追跡に殺人。
結局この作品で重きをおきたかったのは、何故男は捕らえられなかったのか。その前に服役もしていて、他の事件でも取調べを受けているのに、何故また人殺しを防げなかったのか、というどちらかといえば、アウトローの目から見た、どうしようもない社会体制なのかなあと思いました。
元刑事だった男が一番男を自由に追いかけて、そして殴ることができる。犯人の居場所を突き止めることができる。被害者の残された娘さんの元に傷だらけの体を引きずって訪ねることができる。
できたはずなのに、できなかった。
そんな人たちの中で、結局男も「最終的には何もできなかった」物語なのでした。暗すぎる。
『アバター』
世界初の全編3Dでしたっけか。
新宿のバルト9で見たんですが、ここってレディースデイ適応じゃないんですね。一人頭二千円払ってちょっとびっくりでした。
CFを見たときは、あの青さにひたすらびっくりだったのですが、その部分を乗り越えてしまえば、わりと普通の映画でした。
アクションは見ごたえありますし、翼竜が空を飛ぶシーンとか、メカとか、CGの部分は世界と統合が取れていないとかではなく、これ全部CGで世界観に合っているので違和感はありません。
さて肝心の3Dの部分ですが、正直よくわかんなかったです。
眼鏡が暗いので、途中で見づらいし目が疲れるので、私前半でもうはずして画面見てました。そうなると、字幕が二重に見える(かつ黄色) とか細かな弊害があるんですが、それを差し引いても、眼鏡のあるなしで内容が左右される映画ではありませんでした。
というか、やっぱりよくわかんなかったです。
すんげえ物が飛び出て見えるとか、立体的に見えるとか、そういうの全然わかんなかったです。
逆に、脚本も(長いけど)まとまっているし、アクションありラブありでなんていうか、元が取れる映画でした。
まあ二度見たいか、ってーとそうでもないんですが。
主演が、『ターミネーター4』でほぼ主役だった、マーカス役のサム・ワーシントンだったのですが、言われなきゃわかんないなあ。ずいぶんやさしい顔立ちしてました。
この人を見ると事あるごとに、「同級生なんだよね」とそればかりが頭に浮かびます。
『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』
やっと見ましたレンタルで。
結論から言えばちょっと期待しすぎたかな、というか、MADが良すぎてこっちはな、というくらいでした。
最終的な物語のキモであるコピーと本体の戦いも「生きている」「生き物」ばかりを繰り返して、結局だからなんなんだ、という結論で落ち着いてしまうというか。
序盤で、ミュウツーに関して丁寧に描写していただけに、後半がどうも急ぎすぎたというか。アイツーもあれっきり出てきませんでしたしねえ。
同じDVDに『ピカチュウの夏休み』も入っていたので見たのですが、こっちはまあ普通に子供向けですね。
ですが、エンドロールの日常描写(それぞれの夏休み風景)が凄く良くて、こういうの可愛いなあと思っていたら、ふくやまけいこ氏監修の文字が。
マジでー!? 確かにあの半端ない可愛さには、ふくやま臭が漂ってるよ!
このDVDで一番の収穫でした。
『劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス』
ポケモン映画は、ダークライとルカリオで元取った(萌えの)ので、可愛いポケモン主役の映画は飛ばして、強面ばかりを選んだ、という欲望に素直な予約リストです(苦笑)。
で、映画としてはミュウツーよりもこっちのほうが、娯楽映画としては面白かったですね。変なメッセージ性とか少ないですし。
ダークライ映画を見たときも思ったんですが、神々の争い(というかケンカ)とか、意思疎通の通じない相手が、勝手気ままに暴れた結果人間に被害が及ぶっていうのは、共通テーマなんでしょうか。
これって、かなり大人向けなテーマだと思うんですが、わりとよく使われますよね。
今回は、レックウザとデオキシスの争いに巻き込まれてすったもんだあるわけですが、サトシは何故あんなにいい性格してるんでしょうか。
見ず知らずの(しかもポケモンが苦手)子を強引にバトルに引き込んだ挙句、暴言吐くってお前どんだけよ…!
子供にありがちな無邪気な悪意ってやつを披露するには、サトシの年齢が上過ぎるような気がしますし。そういう人との付き合い方は、幼稚園年齢で普通学んでるぜもう。
その点、私のタケシ(笑)は大人ですね!
場をとりなすために「美味しいものを食べれば心もおなかも満たされる」といって、振舞うのがチーズフォンデュだぜ…! レベルの底が高すぎるだろう…!(私はこのシーンを見たとき思わず、どこぞのファイアーエムブレムの騎士を思い出しました)
今回も(笑)タケシの出番はないに等しいんですが、咄嗟のときに背後にいる子をかばったり、水と食料探しの旅に出かけたり、サバイバル能力が異常に高かったり、取り仕切れるところはちゃんとしきれたりと、若干十五歳にして管理職の風格すら漂うタケシに惚れ直しました。
普段もそうですが、咄嗟のときの底力が半端ない男って、超カッコイイですよ。
ポケモン描写は相変わらず誰も彼もが可愛かったです。
バシャーモが、ちびっ子抱えて滑り台で遊ぶとか、むしろバシャーモ萌えですよ。プラスとマイナスなんて目じゃねえぜ。
ついでにデオキシス夫婦萌え。
え、あれって夫婦ですよね!? 違うの!? 求愛表現がオーロラってのがまたえっらいロマンチックじゃないですか。
レックウザ、とんだ野暮天ですよ。気の毒に…。必ずこういう巻き込まれポケモンっているんですね。場の空気が読めないやつと言うか。KYポケモンですね。
挙句の果ては町の防衛システムからもフルボッコですからねえ。
あと、ロンド博士とユウコさんってデキてるんですか。(ちびっ子のアニメでその発想はどうかと思う)
お母さんじゃないのに、トオイから絶大な信頼を得ているあたり、公認としか思えないのですが。
息子の成長に目を潤ませるロンド博士萌えですよ。
そして毎回思うんですが、サトシいらねえよなあ。(というかレギュラーメンバー全員いらないんですが)
普通にポケモン映画は、オリジナルキャラだけでやるとかでもいいんじゃないでしょうかねえ。ロケット団とか気の毒で見てらんないですよ。あれ、もうちょっといい使い方できると思うんだけどなあ。ニャースとかいつもいつも勿体無いです。
映画と関係ないんですが、私は昔から造形もので、可愛いものが可愛いよりも、強面とか可愛くないものが可愛い、方が何故か萌えるので、自分がポケモンマスターになったら、さぞかし手元においているポケモンがエグいことになるだろうと思わずにはいられません。
世界初の全編3Dでしたっけか。
新宿のバルト9で見たんですが、ここってレディースデイ適応じゃないんですね。一人頭二千円払ってちょっとびっくりでした。
CFを見たときは、あの青さにひたすらびっくりだったのですが、その部分を乗り越えてしまえば、わりと普通の映画でした。
アクションは見ごたえありますし、翼竜が空を飛ぶシーンとか、メカとか、CGの部分は世界と統合が取れていないとかではなく、これ全部CGで世界観に合っているので違和感はありません。
さて肝心の3Dの部分ですが、正直よくわかんなかったです。
眼鏡が暗いので、途中で見づらいし目が疲れるので、私前半でもうはずして画面見てました。そうなると、字幕が二重に見える(かつ黄色) とか細かな弊害があるんですが、それを差し引いても、眼鏡のあるなしで内容が左右される映画ではありませんでした。
というか、やっぱりよくわかんなかったです。
すんげえ物が飛び出て見えるとか、立体的に見えるとか、そういうの全然わかんなかったです。
逆に、脚本も(長いけど)まとまっているし、アクションありラブありでなんていうか、元が取れる映画でした。
まあ二度見たいか、ってーとそうでもないんですが。
主演が、『ターミネーター4』でほぼ主役だった、マーカス役のサム・ワーシントンだったのですが、言われなきゃわかんないなあ。ずいぶんやさしい顔立ちしてました。
この人を見ると事あるごとに、「同級生なんだよね」とそればかりが頭に浮かびます。
『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』
やっと見ましたレンタルで。
結論から言えばちょっと期待しすぎたかな、というか、MADが良すぎてこっちはな、というくらいでした。
最終的な物語のキモであるコピーと本体の戦いも「生きている」「生き物」ばかりを繰り返して、結局だからなんなんだ、という結論で落ち着いてしまうというか。
序盤で、ミュウツーに関して丁寧に描写していただけに、後半がどうも急ぎすぎたというか。アイツーもあれっきり出てきませんでしたしねえ。
同じDVDに『ピカチュウの夏休み』も入っていたので見たのですが、こっちはまあ普通に子供向けですね。
ですが、エンドロールの日常描写(それぞれの夏休み風景)が凄く良くて、こういうの可愛いなあと思っていたら、ふくやまけいこ氏監修の文字が。
マジでー!? 確かにあの半端ない可愛さには、ふくやま臭が漂ってるよ!
このDVDで一番の収穫でした。
『劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス』
ポケモン映画は、ダークライとルカリオで元取った(萌えの)ので、可愛いポケモン主役の映画は飛ばして、強面ばかりを選んだ、という欲望に素直な予約リストです(苦笑)。
で、映画としてはミュウツーよりもこっちのほうが、娯楽映画としては面白かったですね。変なメッセージ性とか少ないですし。
ダークライ映画を見たときも思ったんですが、神々の争い(というかケンカ)とか、意思疎通の通じない相手が、勝手気ままに暴れた結果人間に被害が及ぶっていうのは、共通テーマなんでしょうか。
これって、かなり大人向けなテーマだと思うんですが、わりとよく使われますよね。
今回は、レックウザとデオキシスの争いに巻き込まれてすったもんだあるわけですが、サトシは何故あんなにいい性格してるんでしょうか。
見ず知らずの(しかもポケモンが苦手)子を強引にバトルに引き込んだ挙句、暴言吐くってお前どんだけよ…!
子供にありがちな無邪気な悪意ってやつを披露するには、サトシの年齢が上過ぎるような気がしますし。そういう人との付き合い方は、幼稚園年齢で普通学んでるぜもう。
その点、私のタケシ(笑)は大人ですね!
場をとりなすために「美味しいものを食べれば心もおなかも満たされる」といって、振舞うのがチーズフォンデュだぜ…! レベルの底が高すぎるだろう…!(私はこのシーンを見たとき思わず、どこぞのファイアーエムブレムの騎士を思い出しました)
今回も(笑)タケシの出番はないに等しいんですが、咄嗟のときに背後にいる子をかばったり、水と食料探しの旅に出かけたり、サバイバル能力が異常に高かったり、取り仕切れるところはちゃんとしきれたりと、若干十五歳にして管理職の風格すら漂うタケシに惚れ直しました。
普段もそうですが、咄嗟のときの底力が半端ない男って、超カッコイイですよ。
ポケモン描写は相変わらず誰も彼もが可愛かったです。
バシャーモが、ちびっ子抱えて滑り台で遊ぶとか、むしろバシャーモ萌えですよ。プラスとマイナスなんて目じゃねえぜ。
ついでにデオキシス夫婦萌え。
え、あれって夫婦ですよね!? 違うの!? 求愛表現がオーロラってのがまたえっらいロマンチックじゃないですか。
レックウザ、とんだ野暮天ですよ。気の毒に…。必ずこういう巻き込まれポケモンっているんですね。場の空気が読めないやつと言うか。KYポケモンですね。
挙句の果ては町の防衛システムからもフルボッコですからねえ。
あと、ロンド博士とユウコさんってデキてるんですか。(ちびっ子のアニメでその発想はどうかと思う)
お母さんじゃないのに、トオイから絶大な信頼を得ているあたり、公認としか思えないのですが。
息子の成長に目を潤ませるロンド博士萌えですよ。
そして毎回思うんですが、サトシいらねえよなあ。(というかレギュラーメンバー全員いらないんですが)
普通にポケモン映画は、オリジナルキャラだけでやるとかでもいいんじゃないでしょうかねえ。ロケット団とか気の毒で見てらんないですよ。あれ、もうちょっといい使い方できると思うんだけどなあ。ニャースとかいつもいつも勿体無いです。
映画と関係ないんですが、私は昔から造形もので、可愛いものが可愛いよりも、強面とか可愛くないものが可愛い、方が何故か萌えるので、自分がポケモンマスターになったら、さぞかし手元においているポケモンがエグいことになるだろうと思わずにはいられません。
『ウォーリー』
最近映画感想から遠ざかっていたのは、映画館で見ていないというせいもありますが、ディスカスで送られてきていたのがCDとか、以前に見たことがある作品ばかりだった、という理由でした。サンレッド送られてウハウハしていたりとかね。
さて、なかなか評判がいいピクサーアニメですが、今回もはずれなし。
私、最初から最後まで泣き通しでした。大体、ロボット(無機物)ものっていうだけでも涙腺がゆるむのに、出だしが人間が破壊した地球を、たった一人で、たった一人で、たった一人で!(この時点で既に泣いている)ゴキブリと一緒に黙々と清掃しているウォーリーの姿ですよ! これで泣かずしてなんで泣こうか!
この時点で、ゲーム『クロノトリガー』のロボを思い出して涙が止まらない私。
クロノトリガーっていうのはいわゆるタイムトリップものなんですが、その中で仲間のロボットが地球環境を整えるために、一人昔の世界に残る、って言い出すわけですね。で、プレイヤーはタイムマシーンでそのイベント後、十秒とかで未来の世界(元の時代)に戻れるわけですよ。
するとそこには、今まで荒廃していた大地が、緑の美しい大地に変わっていて、そこには長い長い年月頑張ってきたロボが安置されている、っていうオチなんですが、この五分に満たない程度のイベントで、もう私は最初から最後まで号泣しましてねえ。
我々にとってはほんの一瞬なんだけど、その間、ロボは気が遠くなるほどの時間をすごしてきたその過程を思うと…!
おまけに、このウォーリーの何がいいって、人型じゃないのがいい。
人型だとどうも人間にこびているキャラクターっていう印象が強くなるんですが、ウォーリーは小さいキャタピラみたいな本当にロボットタイプで、勿論喜怒哀楽を表現しなければならないので、多少目が動くとか、表情もあるのですが、あくまで彼はロボットなわけですよ。
そのただの道具であるウォーリーが、黙々と自分のお気に入りのガラクタなんぞを集めて働いている様で、もう号泣。
地球は荒廃し、砂漠が広がり、周囲にはウォーリーが積み上げたゴミの塔ばかりが広がる中で、ダンスのビデオとか見て嬉しそうなウォーリーっていう図に既に号泣(泣きっぱなし)。
現実として、地球から逃げ出した宇宙船からやってきたロボットイヴと、勿論ウォーリーは幸せになるんですが、その過程もすごくかわいいです。
大体ウォーリーは清掃ロボットなわけですから、戦闘機能とかは全くないので、常に主導権握っているのがイヴっていうところがいい。レーザービームぶっ放すのも、宇宙で活動するのもイヴで、ウォーリーは手をつなぎたいな~という目線で、おどおどしている図っていうのが、かわいらしくてたまりません。
でも、素直で実直なウォーリーに、気の強い娘さん(笑)であるイヴが、指令を無視してもそばにいようとする様に、もう萌え萌えですよ!
ロボットに好きとか嫌いとかあるわけねえだろ、とか色々あるかもしれませんが、細けえことはいいんだよ! そんなこといったらこの世のすべてのロボットに、寂しいとか嬉しいとか、欲求直結のコミュニケート機能いらねえんだから!!
宇宙船で怠惰に暮らしている人間が発起する様とかも、色々感動できるものもあったのですが、個人的には、ウォーリーやイヴをとりまく、ちょっと壊れたロボットとか、壊れてはいないけれどいちいち所作がかわいいロボットたちの動きや、表情描写を楽しむ映画だと思います。ウォーリーやイヴは基本的には名前以外しゃべりませんしね。
とにかく仕草がかわいい。日本のロボットアニメとは違ったかわいさがそこにあります。
凄くかわいくて、個人的には(凄く)泣けるいいアニメでした。
エンドロールがドット絵表現で凝っていて見ごたえアリだったのですが、これはDVDのみなんでしょうか? ラストのピクサーのロゴ表現も、ちゃんとオチがついていてかわいくて、最初(始まりはかなり退廃的でシュール)から終わりまで、隙のない映画でした。
世の男性よ、やはり押しの一手ですな、かわいい彼女を射止めるには! ウォーリーの根性を見習わなくてはなあ。
個人的にロボットものは、人型ではないほうが好みです。人型だとそれはもう、それだけで役割果たしちゃってる気がするし、顔だけ挿げ替えればいい、みたいになっちゃうので。どうせなら私は、人型ではないウォーリーみたいなロボットがそばにいてくれたほうがいいよ。無機物であっても人型はいらねえ。実際の人がいるのに、人型である必要がないし。(この辺が私がロボット物にそれほど食指が動かない原因でもあります)
最近映画感想から遠ざかっていたのは、映画館で見ていないというせいもありますが、ディスカスで送られてきていたのがCDとか、以前に見たことがある作品ばかりだった、という理由でした。サンレッド送られてウハウハしていたりとかね。
さて、なかなか評判がいいピクサーアニメですが、今回もはずれなし。
私、最初から最後まで泣き通しでした。大体、ロボット(無機物)ものっていうだけでも涙腺がゆるむのに、出だしが人間が破壊した地球を、たった一人で、たった一人で、たった一人で!(この時点で既に泣いている)ゴキブリと一緒に黙々と清掃しているウォーリーの姿ですよ! これで泣かずしてなんで泣こうか!
この時点で、ゲーム『クロノトリガー』のロボを思い出して涙が止まらない私。
クロノトリガーっていうのはいわゆるタイムトリップものなんですが、その中で仲間のロボットが地球環境を整えるために、一人昔の世界に残る、って言い出すわけですね。で、プレイヤーはタイムマシーンでそのイベント後、十秒とかで未来の世界(元の時代)に戻れるわけですよ。
するとそこには、今まで荒廃していた大地が、緑の美しい大地に変わっていて、そこには長い長い年月頑張ってきたロボが安置されている、っていうオチなんですが、この五分に満たない程度のイベントで、もう私は最初から最後まで号泣しましてねえ。
我々にとってはほんの一瞬なんだけど、その間、ロボは気が遠くなるほどの時間をすごしてきたその過程を思うと…!
おまけに、このウォーリーの何がいいって、人型じゃないのがいい。
人型だとどうも人間にこびているキャラクターっていう印象が強くなるんですが、ウォーリーは小さいキャタピラみたいな本当にロボットタイプで、勿論喜怒哀楽を表現しなければならないので、多少目が動くとか、表情もあるのですが、あくまで彼はロボットなわけですよ。
そのただの道具であるウォーリーが、黙々と自分のお気に入りのガラクタなんぞを集めて働いている様で、もう号泣。
地球は荒廃し、砂漠が広がり、周囲にはウォーリーが積み上げたゴミの塔ばかりが広がる中で、ダンスのビデオとか見て嬉しそうなウォーリーっていう図に既に号泣(泣きっぱなし)。
現実として、地球から逃げ出した宇宙船からやってきたロボットイヴと、勿論ウォーリーは幸せになるんですが、その過程もすごくかわいいです。
大体ウォーリーは清掃ロボットなわけですから、戦闘機能とかは全くないので、常に主導権握っているのがイヴっていうところがいい。レーザービームぶっ放すのも、宇宙で活動するのもイヴで、ウォーリーは手をつなぎたいな~という目線で、おどおどしている図っていうのが、かわいらしくてたまりません。
でも、素直で実直なウォーリーに、気の強い娘さん(笑)であるイヴが、指令を無視してもそばにいようとする様に、もう萌え萌えですよ!
ロボットに好きとか嫌いとかあるわけねえだろ、とか色々あるかもしれませんが、細けえことはいいんだよ! そんなこといったらこの世のすべてのロボットに、寂しいとか嬉しいとか、欲求直結のコミュニケート機能いらねえんだから!!
宇宙船で怠惰に暮らしている人間が発起する様とかも、色々感動できるものもあったのですが、個人的には、ウォーリーやイヴをとりまく、ちょっと壊れたロボットとか、壊れてはいないけれどいちいち所作がかわいいロボットたちの動きや、表情描写を楽しむ映画だと思います。ウォーリーやイヴは基本的には名前以外しゃべりませんしね。
とにかく仕草がかわいい。日本のロボットアニメとは違ったかわいさがそこにあります。
凄くかわいくて、個人的には(凄く)泣けるいいアニメでした。
エンドロールがドット絵表現で凝っていて見ごたえアリだったのですが、これはDVDのみなんでしょうか? ラストのピクサーのロゴ表現も、ちゃんとオチがついていてかわいくて、最初(始まりはかなり退廃的でシュール)から終わりまで、隙のない映画でした。
世の男性よ、やはり押しの一手ですな、かわいい彼女を射止めるには! ウォーリーの根性を見習わなくてはなあ。
個人的にロボットものは、人型ではないほうが好みです。人型だとそれはもう、それだけで役割果たしちゃってる気がするし、顔だけ挿げ替えればいい、みたいになっちゃうので。どうせなら私は、人型ではないウォーリーみたいなロボットがそばにいてくれたほうがいいよ。無機物であっても人型はいらねえ。実際の人がいるのに、人型である必要がないし。(この辺が私がロボット物にそれほど食指が動かない原因でもあります)