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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『英国王のスピーチ』公式サイト


ガラッガラでした。アカデミー賞取ったのに。
題材が地味だからなのか、俳優陣が地味だからなのか知りませんが、ともかくあまりの空きっぷりに仰天。
感想としては、堅実的な映画でした。
派手なアクションとか、起承転結の波が激しいわけではなく、淡々と丁寧に描くべき事を描いた映画という印象が強いです。

後勿体無いなあと思うのが、私の英語力の無さ。
百点満点中十六点をたたき出した過去の実績がある私は、英語が全くわかりません。当然ヒアリングなんて無茶です。
なので、イギリスが舞台であれば当然主役の人はキングスイングリッシュなのでしょうし、オーストラリア人の言語専門家ローグは、オーストラリア訛りの英語を話しているのでしょうが、惜しむらくが、ちっともそれがわからない私の脳みそ。
お、おのれ! と終始見ながら思ってました。やっぱり、ある程度の知識があったほうが、言語を主題にしているだけに圧倒的に楽しめますよねこの映画。

史実より誇張している部分も勿論多いのでしょうが、作りとしては前述したとおり大変丁寧です。
生真面目な王、バーティ。吃音に悩まされ続け様々な治療を受けるも芳しくない。
そこで出会った奇妙な言語専門家ローグと話し、治療を続ける事により、バーティは少しずつ自らについて鑑み始める。
過去の自分。幼かった頃乳母や、父親から受けたきついしつけや、虐待。王族の抱えるプレッシャー。
王になるには自分はあまりに不適当だと、自信を持つことができないバーティは、兄の退位により望まぬ王位に着くことになる。
そして、激化する世界情勢。
兵士を鼓舞するために、どうしても避けて通れない、生中継にジョージ6世、王となったバーティはどう立ち向かうのか。

結局は吃音というのは肉体的な問題ではなく、精神的な問題として描かれるので、物語の主体もそれが中心となります。
次第に深まって、対等な人間関係が築かれつつあっても、ジョージは王としての立場から当然逃げられない。
そして、言語専門家のローグも、ただの資格も持たない平民であって、結局はお互いの立場は変わらない。
それでも、二人の間にはそれぞれの事情の上に立つ信頼関係が築かれ、その結果、放送は見事に成功する。
その過程がとても丁寧で、奇抜な訓練と言うよりは明らかにローグが指示するように「当人だけが気にしている」「プレッシャーになればなるほど酷くなる」吃音の実態が明確に描写されて、それと王の責務とが重なって、ラストは当然成功するものと「わかっていても」ドキドキします。

いい映画なんです。いい映画なんですが…如何せん…地味…。
いや、つまらないわけではないですし、非の打ち所が無いくらい「丁寧」なんですが、その分、「ある一部分だけ光ればそれでいい。それが映画だ」というような突出した部分が見受けられないというか。
うーん、ある意味全部の要素が「想像できてしまう」というか。こういう外さない映画っていうのは、とても安定感があって見ていて不快になることは無いんですが、第三者に勧める文章を書くのがとても難しくて。
超萌える! 超感動する! あの演出超カッコイイ! っていう見た目にも文書にも内容としても、興奮する要素のレベルが元々凄く低く設定されている映画なんですよね。
万人にお勧めできるけど、万人が面白いと思うかは別問題と言うか。つまらないという人は少ないけれど、面白いという人も少ないだろうというか。
でもこういういわゆる人情物って、面と向かって否定する人って少ないですしね。否定する方の人格がおかしいんじゃないの? という捕らえ方をされがちなので。

役者陣は全員素敵です。主役のコリン・ファースは実直な王を好演。上背も胸板もあるので、イギリススタイルの格好が大変かっこいいです。胸元勲章ジャラジャラのキングの衣装とか、様式美が楽しめます。
英国紳士が真っ黒いコートに、シガレットケースに、帽子をかぶって、英国式庭園をかぶる様や、王妃であるエリザベスの衣装の数々はとても見ごたえがあります。女性が常にかぶっている帽子のデザインが素敵。
王妃役のヘレナ・ボナム=カーターは相変わらず微妙な顔立ちですねえ。美人っていうのでは全くないですし、ファニーフェイスというにはちょっと愛嬌が足りないというか…。どうしてもキワモノ役の印象が強いせいか、史実の王妃としては個人的にはちょっと違和感を感じました。普通の夫婦愛を演じていること自体が意外というか。
他の主役陣がかっちりした役者さんの印象が強いので、王妃だけがキャスティングとして浮いているような気がします。
ローグの奥さんとかの方が、きれいでおっとしていて素敵でした。

言語専門家であるローグ役のジェフリー・ラッシュはもう当然かっこいいです。なんつったって、バルボッサですからね! パイレーツオブカリビアンの!(鼻息)コリン・ファレルがこうバランスの取れた恰幅のよさがあるのに対し、ジェフリー・ラッシュは縦にひたすら長い、腕も足も顔も長い、だけど当然ガタイもいいし、顔立ちも愛嬌があるので見ていて好感度が高いです。言っていることは、王よりもローグのほうが何倍も大人ですし。

個人的には、「普通の映画」という印象でした。作品の質として尖っている部分は全く無いので、平坦に、見ている側がどんなコンディションでも楽しめる映画といったところでしょうか。
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『サンセット大通り』
超大女優のグロリア・スワンソン主演のドギツイ映画でした。『イヴの総て』と同時期の映画で、アカデミー賞を取り合ったらしいのですが、こちらの方がよりドギツイ印象が強かったです。ちなみに取った賞の多さはイヴの方が上。
無声映画で栄華を誇った大女優の住まいに、売れない脚本家が迷い込みます。その女優が復帰をかけて自ら書いた「サロメ」の脚本を手直していく間に、同棲生活を送るようになり、女優は男に依存し、男は金や女のおかしな生活にのめりこみ、脚本家としての道を自ら諦めるのですが、そこに脚本家を目指す若い女性が現れます。そして、男は若い魅力的な女性と共に書く作業に集中し始めるのですが、大女優はそれが許せない。錯乱する女優を見捨てる事もできず、若い脚本家と逃げる道も選ばず、男は軟禁状態だった屋敷から出て行こうとすのですが…。

とにかく見所は、グロリア・スワンソン。それ以外には何もない、というくらいの映画です。
広大な屋敷に、老いた執事だけをはべらせて、黄金のベッドで眠り、ペットであった猿の葬儀を厳かに行う。
若い頃の写真を並べ立て、映写機で自分が主演映画の無声映画を男と見る。送られてくるファンレターにサインつき写真を同封して、美しいままの自分を誇示しようとする。
まあその姿が不気味ったら不気味なんですが、基本的にその不気味さは彼女の真面目さからくるものなので、それほど嫌な感じはしません。
彼女が傲慢なのは女優ゆえであって、過去の栄光にすがっている様は浅ましいかもしれませんが、そこに存在する栄光に嘘はないわけで。

最終的に脚本を完成させ、彼女は大物監督である、セシル・B・デミルに会いに行きます。なんと本物。
そこで、周囲は彼女の扱いに困るわけです。かつての大女優の書いた酷い内容の脚本。映画スタジオの何処を探しても彼女の出番はない。
けれど、デミルは彼女を知らない助手にはっきりと言うわけです。
「彼女は偉大な女優だ。とても懸命で、真面目な女優だ。特に最後の映画は鬼気迫るものがあった」
だからデミルは彼女の出番がないということを言い出せず、彼女は自分の映画公開を信じて、「女優」としての努力を始めるわけです。
毎日専属の美容師を呼び、体のすみからすみまで磨きなおす。夜は九時に寝て、まさしく映画作りのためにだけ生きようとする。
男は、そんな茶番にうんざりしてしまうわけです。
映画は公開されるはずがない。誰も彼女など待っていない。そして、毎日送られてくるファンレターは、執事が送っていたものだった。
「映画が公開されないということは、私が決して気づかせません」
そう断言する執事は、こうも言います。
「彼女は大女優だった。私は彼女なしでは生きていけない。彼女が若い頃三人の期待された監督たちがいた。その一人が私だ。そして、彼女の最初の夫でもある」
もうねえ、主役の男がわりと煮え切らなくて、流されるタイプなんですが、この執事が抜群にカッコよくて。

そして、男は女に撃ち殺されます。
人気のなかった屋敷に、マスコミ、警察など山ほど人が訪れます。
茫然自失で化粧台の前に座る女優に、執事が告げます。
「奥様、カメラが来ております」
そして、彼女は目の輝きを取り戻します。身支度を整えて、パフをはたき、二階の部屋からゆっくりと出てくるさまはまさに女王。
階段の下では、長年連れ添った執事が、往年の姿そのままに、カメラや照明に檄を飛ばします。
「どのシーンから? マックス」
「宮殿の階段を下りるシーンからです」
「そう、私は女王。みな、下で私が降りてくるのを待っている…。ありがとう、私はようやく映画に戻ってきます。長年待たせてしまったファンには申し訳ないと思っています」
「アクション!」

そして、女優は階段を優雅に下りて、クローズアップで映画は終わります。そのアップの仕方も実に象徴的なのですが、それは映画のお楽しみと言うところで。

グロリア・スワンソンと共に、美味しいところ全部持ってったのが、執事役の、エリッヒ・フォン・シュトロハイムです。世界一ィィ! の苗字の人ですね。実際はユダヤ系の方ですが。
常に女優に付き従い、そして最後は本領発揮とばかりに、力強い声で映画スタッフの人たちに指示する姿はまさに圧巻でした。かっこよかった。

後味がいいかといわれると全然良くないんですが、映画としてはメリハリと不気味さ、そして迫力がとても面白い映画でした。



『カサブランカ』
「君の瞳に乾杯」で有名な映画ですね。ただし私ぼんやりしていたのかその台詞見覚えないんですが。どのシーンだこれ。
これ、恋愛映画というよりは社会映画というか、世情映画という感じですね。思っていたよりも甘い成分なかったです。
台詞回しがオシャレなのは、この時代のこの女優、男優さんが揃っていれば当たり前としても、過去の恋人云々の絡みも結局、政治的な要素や亡命やらが絡んできちゃうと、個人的には純粋な「悲劇の恋愛映画」に見られないんですね。私にとってはそれは「悲劇的な映画」であって、そこの恋愛要素にあまり集中できないっていうか。

内容としては、まあ過去に愛し合った彼女が、結婚して相手と政治的にドイツに追われていて、その亡命を手助けするとかしないとかっていう話なんですが(身も蓋もない)個人的には、男たちの腹の探りあいとか、友情のドラマとして見た方が楽しめました。
フランス領である、カサブランカの警察署長さんとか、すんごい大人で超想像しているフランス男(女に優しくて、常に会話を受け流しておしゃれででも度胸があってちゃんと権力にも阿るけど友情は第一)にぴったりで、彼が一番ダントツでカッコよかったです。背の低いおっさんなんですけど(笑)

多分、時代に翻弄される元カレカップルはまだしも、ハンフリー・ボガード演じる主人公が、こう、わかりやすくかっこつけてる人なので、それが却って生々しいったらそうかもしれませんね。彼女に振られて自暴自棄になって孤立主義を貫くんだけど、元カノが出てくると急に酒びたりになっちゃうとか、普通にヘタレてます。おまけに、彼女を素直に離す気もないし、つっぱねるんだけど、自分の事は好きでいて欲しい感まるだしっていうか。
男対男だと、ボガードすんごいカッコイイ(警察署長さんとか、自分の店の従業員とか)んですが、女相手だと骨抜きになった弱みで、もろい部分が前面に出てくるのが「しょーもない男だなあ」と思えました。カッコイイというか、可愛いというか。

最後、女を見送った後、署長さんと、
「あんたも愛国主義になったな」
「遅すぎるくらいだ」
とか、そういう終わり方だったので凄くほっとしました。
女の飛行機を見送る背中、で終わるのかと思ったら、ちゃんとその後男が決起するであろう様で終わったので、やっぱりこれは男の映画だなあと。
『イヴの統て』
かの、ベティ・デイヴィス主演の映画で、非常に面白かったです。
見ていてわかりやすいですし、名女優ベディ・デイヴィスの魅力を堪能する映画といえましょう。
イヴというのはベディ演じる女優、マーゴに取り入ってなりあがろうとする若い女性のことなのですが、まあ主役は彼女ではなくベティのようなもので(というかそう)。
始めは自分を慕って献身的に尽くしてくれるイヴに、周囲もマーゴも信頼を置くわけですが、次第にほころび始めていくわけです。勿論、それに一番先に気づくのはマーゴであり、女性たち。男性たちは「あんな献身的な女性になんということを」と、ベティの言う事を信じないわけですね。全く男ってやつはよ。
傍で見ていると(画面のこっち側からすると)イヴなんて出てきた瞬間から怪しさ満載ですし、大体、女性が男優に惚れて献身的になるならともかくとして、女優に近づいて尽くすなんて、なんかあるな、以外ありえないじゃねえかよ、といいたくなるのですが、それはまあ置いておいて。なんもなくたって、むしろなんもなかったら狂信的で怖いよ。

ただマーゴにとって非常に幸運だったのが、長年女優として培ってきたキャリアや、友人関係は決して彼女を裏切らないものだった、ということでしょうか。その財産は決してなくならないし、イヴの肩を持ってマーゴを責めたりすることもあっても、決して周囲の人間は彼女の女優としての実力を疑ったりしないし、友情を裏切ったりしない。
その結果、マーゴに成り代わり女優になりたいというイヴのもくろみは見事叶っても、結果としてイヴの周囲には誰もいない、という秀逸な描き方をされていました。
マーゴは最終的に結婚して引退、つまり「その結果」としてイヴは女優としての道を歩みだすわけであって、そこにはイヴが画策しようがしまいが、マーゴは落ちぶれることなく己の幸福を手に入れ、イヴは幸福を手に入れられなかった、という現実が突きつけられます。

この白黒映画の時代の特徴として、言葉運びの上手さが常にありますが(時代というか、世界観というか)今回、マーゴの恋人であり、一度は喧嘩別れする男性が秀逸でした。
マーゴと喧嘩別れした後、イヴがそれに近づくわけです。でも彼はきっぱりと、「僕が愛しているのはマーゴだ」とそれを拒絶する。この男性、四十歳になるマーゴの年下の彼氏で、32歳設定なんですが、ドえらい男前で。
そして、泣き崩れるイヴに対して、
「泣くな。世の中には思い通りに行かない事もある」
とか、告白された当事者が言っちゃうわけですよ! すげえなこの男!
これ、イヴを慰めている感が全くないので、多分初めからこの男性はイヴの事をなんとも思っていなかったのでしょうが、その前に、マーゴと喧嘩別れした理由がイヴの事だったりしているので、見ているこっちは「男って奴は」とイラっとしているところにこの男前台詞ですよ!
要するにこの男性は、純粋にイヴを「理由なく」罵倒したり、遅刻してきたりする「マーゴの態度」に腹を立てただけであって、イヴが好きだから肩を持ったりしたわけでは全くない。それらを、年齢やそのほかにコンプレックスがあるマーゴが、湾曲して捕らえていただけ、ってことなんでしょうが、この辺は女性の性というか、責められませんわなあ。実際、男が責めないっていうのもミソ。

イヴは批評家を利用して、マーゴの年齢をあざ笑ったりするのですが、その新聞記事を見て真っ先に駆けつけてくるのもこの男性。年齢を気にしている四十過ぎの女優に、年下の恋人が駆けつけてきて、結婚を申し込む(その前にも何度も申し込んでいるのだが、マーゴが承知しなかった)とかもうお前…お前………!

言い方がウィットに富んでいる年下の彼氏の包容力にメロメロでした。すんげえかっけえよ。

女の私から見ると、マーゴの生き方は勿論カッコイイのですが、第三者を傷つけて利用しても女優としてのし上がりたい、っていうイヴも別に嫌いじゃありません。それだけ生きる事に対して必死なのはそれはそれで構わないと思うので。まあ当事者じゃないし私は(苦笑)。

ともかく、マーゴ演じるベティ・デイヴィスの美しさと迫力は圧巻。あの時代の美女は声が非常にドスが聞いていて実に好みです。ハスキーボイスよりもさらに深いというか。
私見終わるまで気づかなかったんですが、これ私が最も怖いと信じて疑わない『何がジェーンに起こったか?』にも出演されていた方だったんですねえ。納得の迫力。そして、すんげえ怖いです『何がジェーンに起こったか?』は。
ドロドロ血みどろ人体ぶっさり、みたいなシーンは一つもありませんが、それゆえに怖いです。こちらも超お勧め。



『スカーフェイス』
アル・パチーノ主演のギャングドラマ。以前たまたまレンタルして見た『暗黒街の顔役』のリメイクだとは見終わるまで知りませんでした。確かに言われてみれば設定とか物語は同じか。
キューバのカストロ政権から逃れてきた男が、アメリカでグリーンカードを人殺しを請け負った見返りに得て、麻薬取引や組織犯罪で財を成していく話です。要するにギャングもの。

ただ、『暗黒街の顔役』のような、マシンガンにロングコート、というような様式美はカケラもありません。
三時間近くある長い映画なのですが、全編コレ「フ●ック」の応酬。
下品な会話に、下品な行動。その辺がリアルなのかもしれませんが、正直見ていてキツいものがありました。何処にも美しさとか楽しさがないんだもん。
麻薬取引なんてマトモな生活であるわけがなく、その上アル・パチーノ演じる主人公がとにかく行動が粗暴というか、言葉遣いが本当に「汚い」ので聞いててぐったりです。激昂すると汚い言葉になるのではなく、口から出る言葉すべてがとにかく汚らしいので、これ字幕だからまだマシだろうけど、英語わかる方だと結構辛いんじゃないかなあと思ったくらいでした。

結局は、麻薬取引で得た金で、元ボスの愛人を妻にし、大邸宅に、妹に店を開かせてやったりするのですが、当然のように破滅が訪れます。
粗野な振る舞いをしていて、人殺しも請け負うけれど「女子供は殺さない」とか「汚い手を使う相手には容赦はしないけれど、そうでないのなら魂でぶつかる」とか彼なりのポリシーがあるのですが、そんなもん、底辺のものであって、だからといって主人公の男が「男前」だとか、「真摯」だとかっていう理由になんてならないわけです。むしろちゃんちゃらおかしいというか。
犯罪をしたくないけれど食うために犯罪をせざるを得ないのではなく、自分から望んで犯罪組織に属して、麻薬取引や殺人を請け負う人間が、そんなポリシー主張されてもねえ、というか。

その上で「私の血は兄さんでできている」と言っちゃう妹を溺愛(これは『暗黒街の顔役』でも同じですね)して、関係を持った部下を撃ち殺しちゃうとか、なんつうか、人間味あふれすぎだろう、というか。

決定的に『暗黒街の顔役』と違うのが、彼や周りを取り巻く人間すべてが麻薬常習者ということです。『暗黒街の顔役』ではそういった取引を生業にしてる描写はあっても、実際に使用している場面ってなかったように思いますが(実際使っているかどうかは不明だけれど、あくまで「ビジネス」として活用しているだけのように見えた)今回は、主人公から妹から愛人から、まあ麻薬麻薬麻薬で。吸引している描写なんてしょっちゅうすぎて数え切れません。
真っ白い粉に頭突っ込んで鼻から吸ったりとか、そんな行動も思考もすでに「まとも」とは言えないラリった人間が何を言っても、そこには真実味はありません。どれだけ感動的な台詞を言ったとしても、それが「シラフ」の上でなければ、いくらでも幻想の産物として真に受ける必要性がないからです。

そうなっちゃうと、前述したポリシーが、本当に全部薄っぺらに感じてしまうんですよね。

最終的な妹との決着は、『暗黒街の顔役』よりも筋が通っていたように思います。
妹があの状態で「まともに」兄を愛するわけがなく、結果撃ち殺されそうになる兄の方が、妹の心情がはっきりわかったような気がしました。

『暗黒街の顔役』も、『スカーフェイス』もどちらも主人公が撃ち殺されておしまいです。その結末以外はありえないのは明らかで、結局犯罪者の末路っていうのはこういうもんなんだろうなあ、という点では後味が悪くもなかったです。誰かを殺せば誰かに殺されるのは、ある意味当たり前なわけであって。

アル・パチーノはとにかくドギツイ演技で…好演っていうんでしょうかね。当時はかなりのスランプでこの映画も非常に評価が低かったらしいのですが。個人的には見ていて本当に胃もたれしました。脚本のせいで罵倒語しか使っていないせいもあるんでしょうが、あのガラガラしたしわがれ声で、「子宮までヤクまみれで子供一人生めない」とか妻をののしる様とか「勘弁してくれよ…」と普通に嫌な気持ちになりました。まあ、嫌な奴を表現しているのであれば大成功なんでしょうけども。

いわゆるピカレスク物としてはいい作品なのかもしれませんが、個人的には一回でいいです、という感じでした。
表現は悪いですが、いわゆる下層階級を描くにしても、こういう「根っからの嫌な奴」が何故かのし上がりたいと思う感性が私には良くわかりません。
貧困が辛いというのではなく、手に職を持っていたとしても麻薬を使って「金持ちになりたい」というのは、その結果得られるものを自分で理解できているのかも謎な気がします。
『オペラハット』
『スミス都へ行く』
同じ監督作品が同じ日に送られてきました。結果連続で鑑賞したんですが、まあ根本的なテーマとか展開は全く同じですね。
田舎で暮らしていた純朴青年が、都会にやってきてもその誠実さを失わず、変人と扱われても他の善良な人々によって救われる、っていう実にわかりやすいいい人たちの映画です。その分出てくる悪役が非常に生臭いんですが。


オペラハットの方は、田舎で絵葉書に詩を書いて、吹奏楽団でチューバを吹いていたゲイリー・クーパーが主役です。こんなイケメンな田舎青年がいてたまるかというくらいイケメンですが。
細かい笑いも満載で、遠い親戚の遺産をもらって億万長者になってしまったクーパーが、田舎町から去っていくという一大イベントの際に、演奏している吹奏楽団に自分も混じってチューバ吹いちゃってるとか、凄く面白かったです。結局列車乗ってからもチューバ吹いてますし。
爆笑と言うのではなく、ウィットに富んだ会話の積み重ねが面白いというのは、この時代の映画の特徴ですね。
好きな女ができて、食事のシュミレーションをするにしても、じじいの執事を向かいに座らせて、
「彼女はもうちょっと背が低いから」
とか言ってずりずりと背の高さの調整をさせたりとか。ちなみにこの映画執事三人出てくるんですが、揃いも揃ってじじいです。 とても素晴らしいです。背の高いのからちょっと太ったのまで、じじいのラインナップ完璧です。

クーパー演じるディーズ氏は馬鹿ではありませんが、完璧に善人かというとちょっと違います。酒にも酔うし、他人をすぐ殴るし、消防車が通れば興奮して乗り込んでしまう。
そんな破天荒さを純粋さと見てしまった、ゴシップ記者のベネットは運のつきだったのでしょうなあ(笑)。
始めはプライベートを暴いて記事にするために、ディーズに近づくんですが、その人柄を知って自分が彼を裏切っているのが辛くなる、っていうベッタベタな展開が楽しめますが、むしろそれがいいんですよ。

最終的にはディーズ氏は親族に訴えられて、裁判に持ち込まれるのですが、その前にベネットに裏切られている(正体がバレた)ので茫然自失の体っていうのがまった男の情けなさ面目躍如ってとこで。

アメリカ映画は如何にもタフガイ的な演出をしてくる男も凄く多いですが、こう、女に振られたくらいで人生丸投げにするくらいどん底まで平気で落ち込んじゃう男も出てきちゃうあたりが、個性のゆれ幅も極端に大胆すぎんだろ、といつも思います。
愛は至上であって、裏切られたらそれこそ生きていけないを地で表すヒーロー。これも今の風潮とはちょっと違うので面白いですね。
結局立ち直るのも女の激励によってであり、その後は唐突にハッピーエンドで終わります。
昔の映画の唐突に終わる感はいつもハンパないですが、この映画もドカンと唐突に終わりますのでそれだけは残念。
私だったら絶対に、最後は女を連れて故郷にチューバ吹きながら凱旋するシーンで終わらせるのになあ。


スミス都へ行く、は主演男優さんが何処かで見たことがあるなあ、と思ったらジェームズ・スチュワートではないですか。あの『ハーヴェイ』の主役の人でしたか。その人に比べて随分男前に見えるのは、前髪が発生していたからなのでしょう。

スミス氏も田舎で青少年相手に活動してきた人なのですが、思惑があって議員に引っ張り出されてしまうわけです。でも所詮右も左もわからない純朴青年であってお飾りなのですが、それが当人にはわからない。
秘書のサンダース(オペラハットのヒロインと同じ女優さん)も、推薦してきた上司の思惑丸わかりなので、呆れるやらなのですがその情熱にほだされる形で、草案作りのお手伝いを始めます。
その秘書に対して、
「こんな聡明で素晴らしい女性は初めてだ」
と言えちゃう朴念仁もどうかと思います(笑)が、このへんがアメリカイズムですね。
どれだけ純朴であっても女性に対する賛辞を惜しまないっていうのは、オギャーと生まれてきてから染み付いているのだろうし。
その後も、「さん付けではなく、呼び捨てでいい? ファーストネームは?」と聞いてきて、無事に教えてもらったのに、結局は「よし、やろうサンダース」と名前を呼べないスミスとか、お前もう可愛すぎるだろう。

これ、二つの映画が二つとも、テーマも同じだし結果も同じだし、正しい物が勝利するっていうわかりやすいくらいに清々しい映画なのですが、もう一つ共通している点が、男の相手が完全完璧に自立した女性であるってことですね。
サンダースは頭も切れて、スミス氏よりも法律に勿論詳しいし、スミス氏の純朴さ加減にイライラしているふしがある。
そして結局草案作りを手伝うも、スミス氏の法案は馬鹿にされ、自分の故郷のダム工事の片棒を担がされていただけだということがわかる。
信じていた人に裏切られ、立ち直れずにいるスミス氏に、喝を入れるのがサンダースなのです。
優しく慰めるんじゃなくて、「貴方が立ち直りたいのであれば、手助けする」というスタンスで、サンダースはしゃがみこむスミス氏を引き起こす。
そして議会での対決にも助言をし、見守る。
そんな女性をスミス氏は好ましく思い、頼りにする。
このあたりの男が守ってやりたいではなく、自分が頼りにできる人が特別な存在っていう価値観の表し方も、実に古きよきアメリカ映画の特徴だなと思いました。

ちなみに女優さんはジーン・アーサーさんという方で、超きれいです。金髪に真っ赤な口紅(モノクロ映画ですが、唇は常に赤いに決まっている。いい女だもの)。タイトなスカートに肩パットの入ったスーツを身にまとい、想像するキャリアウーマンはこういう格好をしているのだろうなあという美しい姿そのままです。肩パットっていうのかな、なんていうかこう肩口の盛り上がっている部分が強調されているというか、昔の映画でよく見るレディーススーツのデザインですが、それがとても素敵でした。
『ロード トゥ パーディション』
男たちの男らしい世界の話。いわゆるマフィアというか、ファミリーものですね。
久しぶりにいい映画が見られてすっとしました。この前に見たのが『レッドクリフ』で男たちのメロドラマだったのが幸いした(苦笑)のか、非常に面白かったです。

家庭では厳格だがいい父親を演じているサリヴァン。果たしてその仕事とは、自分を救ってくれたマフィアのボス、ルーニーの使いとして殺しを請け負うことだった。
ルーニーはサリヴァンの家族を愛し、親身になって接するが、その反面できの悪い息子であるコナーは自分の期待を裏切る行動ばかりをして、悲劇を招くだけだった。
ある日サリヴァンの息子であるマイケルは、ある日好奇心にかられて父親が仕事として、人を殺す現場を見てしまう。
その息子を始末するべく、コナーは暴走して動き出し、そんな息子を見捨てられないルーニーは、サリヴァン抹殺の命令を殺し屋マグワイヤに依頼するのだった。
マイケルと共に逃避行を続けるサリヴァンの心中は。そして二人は無事にマグワイヤの手から逃れる事ができるのだろうか。

舞台がシカゴですから、まずその辺の灰色の世界が美しいです。
雪は降り積もるほどではないが、降り続き、道は凍るも土の色が見える。
人々は黒く分厚いコートを身にまとい、灰色の帽子を深々とかぶり、マフラーを巻いて背を丸めて歩く。
ロングコートの中からわずかに見えるのは、細く長いマシンガンの銃身。
足音はなく、雨の音もなく、男は静かにかすむ世界の中で「父」を撃ち殺した。

この映画、音楽と映像が物凄くよくて、演出も派手な使われ方をするのではなく、「無音」の使い方が非常に秀逸でした。
まさしく見せ場、最後の方でサリヴァンがマシンガンで人を撃ち殺すシーンがあるのですが、そこに至るまでの演出が素晴らしい。
大雨が降る中、男たちが雨に濡れながら店から出てくる。車に乗り込もうとするも運転手は既に事切れている。
振り返る男たち。その視線の先には誰もおらず、その代わりに鮮やかな光が点滅する。
きらめきが走れば、男たちが撃たれて倒れる。
次々に倒れる中、残された男は雨に打たれながらやってきた男に向かって言う。
「お前でよかった」と。

この一連のシーン、終始無音なのです。
マシンガンの銃声だけ流れるとか、逆に銃声はしないでBGMだけ流れるのではなく、ひたすら無音。
そこで、最後に流れるのが人の肉声っていうのが、凄く印象的なシーンでした。
人を殺す事を「良い」シーンにするのって、中々難しいのですが、これは殺される側の男の心境に立っているようで、何処となく静謐な印象を受けます。

これは父子物の映画なので、二組の親子が対比して描かれますが、それもまたよし。
サリヴァンは息子に初めはどうやって接していいのかわからないのですが、共に逃げて悪事の片棒を担がせていくうちに、互いの心情を吐露したりして、いい親子関係を築いていきます。当人同士の会話ではなく、ただ立ち寄った民家に住む年配の女性に、「それに、あの子は父親を愛してる。知らなかったの?」と言われて、自分の感情を自覚したり、やっていることは強盗の手伝いなのですが、そこに流れ、生まれる感情は愛情っていうのが、凄く真っ直ぐに描かれていて感動できます。

そして、もう一組のルーニー、コナーがまた、ゆがんだ親子愛が顕著で見ていてもどかしい。コナーは典型的な馬鹿息子で、父親の金は横領するわ、すぐに銃をぶっ放すわ、体言はいて人を殺すわで、本当に浅はかの極みなんですが、ルーニーはそれを見捨てられない。アイルランド系は敬虔なキリスト教徒(この辺の宗教事情は複雑すぎて詳しくないので割愛)なので、それも手伝ってか、ルーニーは「お前が生まれた日を呪う」と息子を殴りながらも、すぐに「なんてことをしてしまったんだ。許してくれ」と泣いて詫びる。コナーは偉大な父親に恐れを抱き、反発し、そして同じように泣きじゃくる。この二人の関係には互いに対する打算と依存しかなく、同じようにファミリーの世界で生きていても、サリヴァンの父子関係とは正反対を示します。結局この子に対するルーニーの姿勢が悲劇を招くので、最後もサリヴァンとルーニーの決着で終わります。コナーとサリヴァンではなく。

まず、出演しているのがトム・ハンクスに、ポール・ニューマンに、ジュード・ロウに、ダニエル・クレイグですよ!
配役だけでお腹一杯です。トム・ハンクスはだいぶウェイトをアップしていかにも骨太な父親を好演。
そしてポール・ニューマンの彼が縁起にうっとり。『スティング』の頃も大好きでしたが、今回は本当に老人なので、その年相応のしわにうっとりというか。
あまり触れなかったジュード・ロウは殺し屋役で出演。実に気持ちの悪いいかにもキャラクター的な人物役で出演されていて、どうも物語りにそぐわないというか、浮いている印象がリアルな物語の中で強かったのですが、逆に非現実的な地に足が全く着いていないキャラクターとしての演出だと考えれば、こちらも対比としていいのかなと思うようになりました。そんな異常者の役としては、まあ二枚目要素かけらもなく素敵です。

そして、とんでもバカ息子役にまさかのダニエル・クレイグですよ!(笑)007の骨太ボンドなんてこれっぽっちもなく、本当に頭の先からつま先まで全部ひ弱で下種な男をこれまた好演です。肉体的に弱いのではなく、精神的にもろい男のどうしようもなさが見られて、これも眼福でした。

ラストは賛否両論でしょうが、あれ以外はありえないと思います。別にいい人の話ではなく、それこそ「彼は私の父親でした」というしめの言葉にふさわしいような映画でした。お勧め。
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