『ナイトミュージアム』
なんかこう、語るべきことが見当たらないくらいに、凄く普通の映画でした。
つまらないとかそんなことはないんですが、凄く面白いかと問われるとそれほどでもないというか。何かがいい意味でも、悪い意味でも突出していないと、レビューとしては難しいですね。書くことないんだもん別に。
バツイチの冴えない父親が、博物館の夜警になったはいいが、そこでは毎夜展示物たちが命を吹き込まれ、自由に過ごしていた、みたいな話です。そこでおきるドタバタがメインなのかと思いきや、結構それは序盤で見せ場としては終わり、後は主人公がいかに仕事をこなし、息子に対して尊敬できる父親になれるか、とか、飾ってあるロウ人形たちの恋とか、奪われそうになる秘密の石版を、展示物たちがそれぞれの能力を駆使して取り戻すとか、本当に、まっとうな物語でした。
別に誰も傷つかないし、誰も傷つけられない。
展示物たちが動く、のが前提なので、それをさっくり受け入れられる主人公も凄いですが、見ている側も受け入れないと話が始まらないので、さっくり受け入れられます。
基本的にこの話は、それぞれがなすべきことを見つけ、なすべきことを行った、幸せな人たちの話なので、悲壮感なくご家族で楽しむ映画なのではないかと思いました。
うーん本当に感想と言う感想が書けないなあ………。
『アメリカン・ギャングスター』
ベトナム戦時下、麻薬に絡む黒人のギャングの話。
デンゼル・ワシントンがギャングで、ラッセル・クロウが刑事だと、「逆じゃね?」と思わず思ってしまいました。
デンゼル・ワシントンが出てくるとどうも、コッテコテに真面目な軍人にしか見えず、ギャングの親玉には見えないなあと難儀していたんですが、結果としてはそれは良かったのかもしれません。
麻薬を平気で扱い、人殺しもまったく辞さないフランク(デンゼル・ワシントン)ですが、警察に目をつけられないために、質素な暮らしをして教会に通い、人々に施しを「し続ける」というのは、それがそれなりに性に合っているということなのでしょう。
ただ、どれだけ母親思いで、田舎から麻薬で稼いで建てた大きな屋敷に、一族を集めても、平気で「家族」を麻薬の「ファミリー」にしてしまう感性は、やはりギャングなのだなあ、と。
家族を大切に思い、妻を大切に思うのも当然。
だが、他の赤の他人よりもファミリーは裏切らず純朴だからと、兄弟従兄弟に至るまで、平気で麻薬の商売に加担させる様は、やはり、平凡ではありません。
結果として、ある意味麻薬商売に見切りをつけて、警察の司法取引に乗っ取って、麻薬商売から引退するわけですが、彼自身がどうであれ、巻き込まれた親兄弟は、もう元の生活には戻れないわけで、その変の罪悪感がまるで描かれないのが、人間描写が淡白な分、真に迫っていて怖かったです。
麻薬はビジネス。家族もビジネス。警察もビジネス。
「勝って敵を作るか。負けて友を作るか」
の選択で、勝つほうを躊躇なく選ぶフランクが、「妻が狙われた」と言って真剣に憤る様は、明らかに矛盾しているのですが、それこそが、彼なりの人間らしさなのだなあ、と。
まあ私も明らかに普通の生活をしているとは思えない男に、ほいほい嫁ぐ女の気持ちもよくわかりませんが………。実際警察が来て何も知らないわけがないのに、うろたえるのがよくわかりません。
相対する、警察側の人間である、ラッセル・クロウは離婚だの親権だの(アメリカの映画は本当にこういうの多いなあ)もめてはいますが、それも添え物というか。彼はアメリカが体現する、正義のタフガイであって、女にだらしなくとも、勉強して司法試験に通るだけの頭脳を持ち、力もあり、という己の力でのし上がる様をわかりやすく描くためのキャラクターなのではないかと。感情移入するというよりは、「仕事人・警察」という感じでわりと平坦に見られました。
ラッセル・クロウ演じる、警察側の捜査の仕方や(電話一本で礼状が三十分でお届けってピザじゃないんだから)、麻薬の密輸の仕方など、その時代背景における、ある種の職業人の生き様が見られて、それが中々面白かったです。盗まれないように、麻薬の精製は女子が素っ裸で行う、とかね。(こういうことを書くとあれなんですが、女性には「穴」があるわけであって、そこに隠せるんだから、男性の方がむいているんじゃないかと思ったんですが、どうなんでしょうねえ。事実に基づいた話なので、これもちゃんと下地があると思うんですが。ま、その気になれば飲み込んだって、肛門に詰める方法だってあるわけですから、一概に女が有利ってわけでもないでしょうけど)
それぞれのキャラクターの描き方が平坦な部分も手伝って(この手の映画にしては残酷描写も少ないと思う)裏社会の一つの歴史を見ているような映画でした。
とってつけたような、山や谷はないけれど、そんなことしなくたって山や谷ばかりだった時代の生き方、ですね。
なんかこう、語るべきことが見当たらないくらいに、凄く普通の映画でした。
つまらないとかそんなことはないんですが、凄く面白いかと問われるとそれほどでもないというか。何かがいい意味でも、悪い意味でも突出していないと、レビューとしては難しいですね。書くことないんだもん別に。
バツイチの冴えない父親が、博物館の夜警になったはいいが、そこでは毎夜展示物たちが命を吹き込まれ、自由に過ごしていた、みたいな話です。そこでおきるドタバタがメインなのかと思いきや、結構それは序盤で見せ場としては終わり、後は主人公がいかに仕事をこなし、息子に対して尊敬できる父親になれるか、とか、飾ってあるロウ人形たちの恋とか、奪われそうになる秘密の石版を、展示物たちがそれぞれの能力を駆使して取り戻すとか、本当に、まっとうな物語でした。
別に誰も傷つかないし、誰も傷つけられない。
展示物たちが動く、のが前提なので、それをさっくり受け入れられる主人公も凄いですが、見ている側も受け入れないと話が始まらないので、さっくり受け入れられます。
基本的にこの話は、それぞれがなすべきことを見つけ、なすべきことを行った、幸せな人たちの話なので、悲壮感なくご家族で楽しむ映画なのではないかと思いました。
うーん本当に感想と言う感想が書けないなあ………。
『アメリカン・ギャングスター』
ベトナム戦時下、麻薬に絡む黒人のギャングの話。
デンゼル・ワシントンがギャングで、ラッセル・クロウが刑事だと、「逆じゃね?」と思わず思ってしまいました。
デンゼル・ワシントンが出てくるとどうも、コッテコテに真面目な軍人にしか見えず、ギャングの親玉には見えないなあと難儀していたんですが、結果としてはそれは良かったのかもしれません。
麻薬を平気で扱い、人殺しもまったく辞さないフランク(デンゼル・ワシントン)ですが、警察に目をつけられないために、質素な暮らしをして教会に通い、人々に施しを「し続ける」というのは、それがそれなりに性に合っているということなのでしょう。
ただ、どれだけ母親思いで、田舎から麻薬で稼いで建てた大きな屋敷に、一族を集めても、平気で「家族」を麻薬の「ファミリー」にしてしまう感性は、やはりギャングなのだなあ、と。
家族を大切に思い、妻を大切に思うのも当然。
だが、他の赤の他人よりもファミリーは裏切らず純朴だからと、兄弟従兄弟に至るまで、平気で麻薬の商売に加担させる様は、やはり、平凡ではありません。
結果として、ある意味麻薬商売に見切りをつけて、警察の司法取引に乗っ取って、麻薬商売から引退するわけですが、彼自身がどうであれ、巻き込まれた親兄弟は、もう元の生活には戻れないわけで、その変の罪悪感がまるで描かれないのが、人間描写が淡白な分、真に迫っていて怖かったです。
麻薬はビジネス。家族もビジネス。警察もビジネス。
「勝って敵を作るか。負けて友を作るか」
の選択で、勝つほうを躊躇なく選ぶフランクが、「妻が狙われた」と言って真剣に憤る様は、明らかに矛盾しているのですが、それこそが、彼なりの人間らしさなのだなあ、と。
まあ私も明らかに普通の生活をしているとは思えない男に、ほいほい嫁ぐ女の気持ちもよくわかりませんが………。実際警察が来て何も知らないわけがないのに、うろたえるのがよくわかりません。
相対する、警察側の人間である、ラッセル・クロウは離婚だの親権だの(アメリカの映画は本当にこういうの多いなあ)もめてはいますが、それも添え物というか。彼はアメリカが体現する、正義のタフガイであって、女にだらしなくとも、勉強して司法試験に通るだけの頭脳を持ち、力もあり、という己の力でのし上がる様をわかりやすく描くためのキャラクターなのではないかと。感情移入するというよりは、「仕事人・警察」という感じでわりと平坦に見られました。
ラッセル・クロウ演じる、警察側の捜査の仕方や(電話一本で礼状が三十分でお届けってピザじゃないんだから)、麻薬の密輸の仕方など、その時代背景における、ある種の職業人の生き様が見られて、それが中々面白かったです。盗まれないように、麻薬の精製は女子が素っ裸で行う、とかね。(こういうことを書くとあれなんですが、女性には「穴」があるわけであって、そこに隠せるんだから、男性の方がむいているんじゃないかと思ったんですが、どうなんでしょうねえ。事実に基づいた話なので、これもちゃんと下地があると思うんですが。ま、その気になれば飲み込んだって、肛門に詰める方法だってあるわけですから、一概に女が有利ってわけでもないでしょうけど)
それぞれのキャラクターの描き方が平坦な部分も手伝って(この手の映画にしては残酷描写も少ないと思う)裏社会の一つの歴史を見ているような映画でした。
とってつけたような、山や谷はないけれど、そんなことしなくたって山や谷ばかりだった時代の生き方、ですね。
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