先日祖父の四十九日、納骨がありました。
新宿という都心ど真ん中で、あの坊主にまた再会しつつも、天気がほどよく涼しかったので、何事もなく終了し、午後二時くらいに帰宅して、化粧も落として、喪服も脱いで………と、完全に気を抜いていたら、弟から電話が。
弟「お姉ちゃん、今、お祖母ちゃんの呼吸が停止したって」
なんですと?
あまりのタイミングにひっくり返りそうになりましたが、ショートステイ先で呼吸停止になり、病院に運ばれ、心臓も止まっているとかなんとか。
父方の祖父に続いて母方の祖母か。
また忌引き休暇とかもらうの嫌だなあ、と現実的なことを思いながら、また父親の運転する車に乗車し、搬送された病院へ。
たどり着いてみると、既に祖父や他の家族がついていて、医者と話をしていたのですが
祖父「今、心臓動いてるんだよね」
………ばあちゃんしぶといな。
さすが昔の人は違うぜ。心臓の強さが。
慌てて、職場の人にとりあえずメールした内容を訂正しながら様子を聞くと、まあ呼吸停止になって一時間くらいたって、蘇生処置をやって復活したものの、自発呼吸なく、心臓も強心剤を使って血圧も70台という、どうしようもない感じでした。
意識レベルもないし、いつ亡くなってもおかしくない状態と言う奴ですね。
職業病として、別に医療従事者だから、医者達の話している内容とか、やっていることがわかりやすいとか、そんなことではなく、緊急時において平時になるのが如実に現れた感じでした。
看護師さんとか、私に質問直撃してくるし。
いや、私は面倒一切見てなかったんで、詳しいこと全く知りませんが。
まあそんなこんなで、三日後に亡くなりました。
また職場に忌引休暇願いをだして、夜勤を変わってもらって、と色々疲れましたが。
で、通夜当日。「車で迎えに行くから平服で来い。向こうで着替えてね」というメールが父から来たので、ラフな服装で母方の実家で。
結局密葬という形で、親族のみでということだったので、近所の人にも内緒だからということだったらしいんですが、父よ、貴方が着ているのは喪服ではないのか。
どうやって片付けたのか、見事に祭壇があって久しぶりに会う親戚もチラホラ。でも結局十五人程度の小さな集まりでした。弔問客も一切なし。
父が住職さんを迎えに行くので、お前もついて来いと一緒にお寺へ。
出てきたのは非常になんていうか、普通のサラリーマンみたいな、線の細い住職さんでした。父方の祖父はあんなに生臭だったのに。
車中で、父と地元サッカーの話に興じるような穏やかな人で、「なにぶん狭い家でやるので、食事も別室が取れないから我々と一緒に」という説明も「勿論どうぞどうぞ。そうでもないと気楽に話せる機会もないでしょうから」と優しい物言いの方でした。というかこれが普通だろう!
明日は用事があって告別式には出られないので、お弟子さんみたいな人と二人でいらした(お弟子さんが明日お経をあげてくれる)んですが、むしろ、お弟子さんのほうが恰幅が良くて坊主っぽかったです。
で、結局家で通夜。
母方の実家は浄土真宗でした。経本を持って一緒に読むんですよね。これ、曽祖父の何回忌かで覚えがあるなあ。
「眼鏡、眼鏡」
「老眼鏡、老眼鏡………」
「家に忘れてきちゃった」
「おばあちゃんの使ったら? 度が合わないか」
必死で老眼鏡を探すもしくは、普段している眼鏡を外す(近眼と老眼が混ざっているため)年取った親戚一同。
「お経のなかで「しょうべん」っていう言葉があって、●●●(弟)が「しょうべんだって………」って小さいころお経の最中につぶやいちゃって、みんな笑いをかみこらえるのに必死だった」
という、そんな話今するなみたいな昔話も交えつつ、三十分ほどで終了。
その後、少しお話を聞くんですが、それが中々面白かったです。
今では浄土真宗って、如来とか、真君とか、大師とか、そういうのを戒名につけたりしないんだそうです。だから祖母の場合も、「釈●暁」という短いもの(●には祖母の名前が一字入る)だったんですが、教え導くみたいな意味があって、ずっと教鞭をとっていた祖母にはいいんじゃないかな、と思ってつけました、とか。
で、浄土真宗では「戒名」ではなく「法名」というんだそうで、それも、戒名だと規律を守って戒めてやろうぜ、みたいな意味なんだけど、むしろ浄土真宗は誰でも極楽いけますから、そうでない人に向けての名前なんですよ、という略すとそんな感じの説明を聞いて、なるほど~と思いました。
後、法名って別に生きているときも「よし、やったるぜ」みたいな感じで名前をもらってもいいんだそうです。たまたま生きているときにもらわなかったらか、死んだときにもらった、みたいな位置づけも面白いなあと思いました。
そんなこんなで、二階で会食。といっても仕出しの寿司とか煮物ですが。住職さんはお茶で、お弟子さんはビールという図でしたが、これもこじんまりと、親戚のグダグダ話で終わったので、まあ良かったんじゃないかと。
結局祖母の棺に入れる予定だった、洋服や編み物(祖母は編み物が得意だった)が、全部祭壇作った向こう側のたんすにあって出せないという、家でやるならではの、しょーもないミステイクとかありましたが、それはそれでもういいんじゃないかな。
「好きだった焼き芋はいれるけどね」
「焼き芋がさらに焼かれるわけですね」
シュールだ。
実際、今では実際家で通夜や葬式をやるのは、100件に1件くらいしかないんだそうです。まあ会場借りちゃったほうが面倒がなくていいしね。
久しぶりにあった伯母に、「35,6の頃によくどうしておばさんは結婚しないの」って聞かれたよ。と言われたんですが私は何て罪深いことを。
「だから、色々事情があるのって答えたんだよ」
「事情があっただけいいじゃん。私なんて今現在何の事情もないのに独り身だよ」
「そのときだってあったわけないじゃん」
お互いに年取るわけです。
最終的にはもういいや的なノリになったのか、喪服で帰宅して明日の告別式ももう、みんな喪服でいいよ、みたいなノリになってとりあえず通夜はお開きになりました。
「お前、お知らせの葉書もらった?」
「もうもらったよ。忌引休暇で必要だから」
「もっともってけ。あまってるから」
「そんなにいらないよ。なんで密葬なのにこんなに刷ったの」
「だって最低枚数50枚からだっていわれたんだもん」
「ワープロかなんかで、打っちゃったほうが良かったんじゃないの」
それじゃ、忌引の証明になれるか怪しいものですが。
告別式にも、お坊さんが二人で来てくれました。
その、なんだ、住職さんは優しげな物言いと、ルックスで、ちょっとでも知的な感じで、少し天然なくせっ毛で、正直、ルヴァみたいでちょっと、萌えた………。
まさか、住職に萌えるとは思わなんだ………。
その後、焼き場へ。新しくできたところらしく、言われなければ焼き場なんて全くわかりません。新しいホテルみたいだった。
最終的にまた会食して終了。
私は知らなかったんですが、来てくれたお坊さんは、結構大きなお寺の住職さんで、凄い資産家らしいです。仏教学校で教鞭をとっていたり、他の寺にも出張したりとか。
実際親戚だけの身内密葬だったので、早くことは済むし、手間もかからないし、葬儀屋さんが本当に全部やってくれるしで(値段も妥当に低い値段)こういう葬儀の方がいいなあ、と思いました。
新宿という都心ど真ん中で、あの坊主にまた再会しつつも、天気がほどよく涼しかったので、何事もなく終了し、午後二時くらいに帰宅して、化粧も落として、喪服も脱いで………と、完全に気を抜いていたら、弟から電話が。
弟「お姉ちゃん、今、お祖母ちゃんの呼吸が停止したって」
なんですと?
あまりのタイミングにひっくり返りそうになりましたが、ショートステイ先で呼吸停止になり、病院に運ばれ、心臓も止まっているとかなんとか。
父方の祖父に続いて母方の祖母か。
また忌引き休暇とかもらうの嫌だなあ、と現実的なことを思いながら、また父親の運転する車に乗車し、搬送された病院へ。
たどり着いてみると、既に祖父や他の家族がついていて、医者と話をしていたのですが
祖父「今、心臓動いてるんだよね」
………ばあちゃんしぶといな。
さすが昔の人は違うぜ。心臓の強さが。
慌てて、職場の人にとりあえずメールした内容を訂正しながら様子を聞くと、まあ呼吸停止になって一時間くらいたって、蘇生処置をやって復活したものの、自発呼吸なく、心臓も強心剤を使って血圧も70台という、どうしようもない感じでした。
意識レベルもないし、いつ亡くなってもおかしくない状態と言う奴ですね。
職業病として、別に医療従事者だから、医者達の話している内容とか、やっていることがわかりやすいとか、そんなことではなく、緊急時において平時になるのが如実に現れた感じでした。
看護師さんとか、私に質問直撃してくるし。
いや、私は面倒一切見てなかったんで、詳しいこと全く知りませんが。
まあそんなこんなで、三日後に亡くなりました。
また職場に忌引休暇願いをだして、夜勤を変わってもらって、と色々疲れましたが。
で、通夜当日。「車で迎えに行くから平服で来い。向こうで着替えてね」というメールが父から来たので、ラフな服装で母方の実家で。
結局密葬という形で、親族のみでということだったので、近所の人にも内緒だからということだったらしいんですが、父よ、貴方が着ているのは喪服ではないのか。
どうやって片付けたのか、見事に祭壇があって久しぶりに会う親戚もチラホラ。でも結局十五人程度の小さな集まりでした。弔問客も一切なし。
父が住職さんを迎えに行くので、お前もついて来いと一緒にお寺へ。
出てきたのは非常になんていうか、普通のサラリーマンみたいな、線の細い住職さんでした。父方の祖父はあんなに生臭だったのに。
車中で、父と地元サッカーの話に興じるような穏やかな人で、「なにぶん狭い家でやるので、食事も別室が取れないから我々と一緒に」という説明も「勿論どうぞどうぞ。そうでもないと気楽に話せる機会もないでしょうから」と優しい物言いの方でした。というかこれが普通だろう!
明日は用事があって告別式には出られないので、お弟子さんみたいな人と二人でいらした(お弟子さんが明日お経をあげてくれる)んですが、むしろ、お弟子さんのほうが恰幅が良くて坊主っぽかったです。
で、結局家で通夜。
母方の実家は浄土真宗でした。経本を持って一緒に読むんですよね。これ、曽祖父の何回忌かで覚えがあるなあ。
「眼鏡、眼鏡」
「老眼鏡、老眼鏡………」
「家に忘れてきちゃった」
「おばあちゃんの使ったら? 度が合わないか」
必死で老眼鏡を探すもしくは、普段している眼鏡を外す(近眼と老眼が混ざっているため)年取った親戚一同。
「お経のなかで「しょうべん」っていう言葉があって、●●●(弟)が「しょうべんだって………」って小さいころお経の最中につぶやいちゃって、みんな笑いをかみこらえるのに必死だった」
という、そんな話今するなみたいな昔話も交えつつ、三十分ほどで終了。
その後、少しお話を聞くんですが、それが中々面白かったです。
今では浄土真宗って、如来とか、真君とか、大師とか、そういうのを戒名につけたりしないんだそうです。だから祖母の場合も、「釈●暁」という短いもの(●には祖母の名前が一字入る)だったんですが、教え導くみたいな意味があって、ずっと教鞭をとっていた祖母にはいいんじゃないかな、と思ってつけました、とか。
で、浄土真宗では「戒名」ではなく「法名」というんだそうで、それも、戒名だと規律を守って戒めてやろうぜ、みたいな意味なんだけど、むしろ浄土真宗は誰でも極楽いけますから、そうでない人に向けての名前なんですよ、という略すとそんな感じの説明を聞いて、なるほど~と思いました。
後、法名って別に生きているときも「よし、やったるぜ」みたいな感じで名前をもらってもいいんだそうです。たまたま生きているときにもらわなかったらか、死んだときにもらった、みたいな位置づけも面白いなあと思いました。
そんなこんなで、二階で会食。といっても仕出しの寿司とか煮物ですが。住職さんはお茶で、お弟子さんはビールという図でしたが、これもこじんまりと、親戚のグダグダ話で終わったので、まあ良かったんじゃないかと。
結局祖母の棺に入れる予定だった、洋服や編み物(祖母は編み物が得意だった)が、全部祭壇作った向こう側のたんすにあって出せないという、家でやるならではの、しょーもないミステイクとかありましたが、それはそれでもういいんじゃないかな。
「好きだった焼き芋はいれるけどね」
「焼き芋がさらに焼かれるわけですね」
シュールだ。
実際、今では実際家で通夜や葬式をやるのは、100件に1件くらいしかないんだそうです。まあ会場借りちゃったほうが面倒がなくていいしね。
久しぶりにあった伯母に、「35,6の頃によくどうしておばさんは結婚しないの」って聞かれたよ。と言われたんですが私は何て罪深いことを。
「だから、色々事情があるのって答えたんだよ」
「事情があっただけいいじゃん。私なんて今現在何の事情もないのに独り身だよ」
「そのときだってあったわけないじゃん」
お互いに年取るわけです。
最終的にはもういいや的なノリになったのか、喪服で帰宅して明日の告別式ももう、みんな喪服でいいよ、みたいなノリになってとりあえず通夜はお開きになりました。
「お前、お知らせの葉書もらった?」
「もうもらったよ。忌引休暇で必要だから」
「もっともってけ。あまってるから」
「そんなにいらないよ。なんで密葬なのにこんなに刷ったの」
「だって最低枚数50枚からだっていわれたんだもん」
「ワープロかなんかで、打っちゃったほうが良かったんじゃないの」
それじゃ、忌引の証明になれるか怪しいものですが。
告別式にも、お坊さんが二人で来てくれました。
その、なんだ、住職さんは優しげな物言いと、ルックスで、ちょっとでも知的な感じで、少し天然なくせっ毛で、正直、ルヴァみたいでちょっと、萌えた………。
まさか、住職に萌えるとは思わなんだ………。
その後、焼き場へ。新しくできたところらしく、言われなければ焼き場なんて全くわかりません。新しいホテルみたいだった。
最終的にまた会食して終了。
私は知らなかったんですが、来てくれたお坊さんは、結構大きなお寺の住職さんで、凄い資産家らしいです。仏教学校で教鞭をとっていたり、他の寺にも出張したりとか。
実際親戚だけの身内密葬だったので、早くことは済むし、手間もかからないし、葬儀屋さんが本当に全部やってくれるしで(値段も妥当に低い値段)こういう葬儀の方がいいなあ、と思いました。
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