TUTAYAディスカス雑感のほうがいいのかな、と思わないでもないんですが。最近映画館に映画見に行ってないなあ。
「ザッツ・エンタテインメント」
MGMのミュージカルを集めた傑作集。
これを見て、フレッド・アステアは半端ないということがよくわかりました。
タップダンスから、クラシックバレエのような振り付けまで完璧にこなし、そして物腰そのものが非常に優雅。
ミュージカルの映像だけでなく、当人がコメンテーターとして出てきたりするのですが、その妙齢のフレッド・アステアの品の良さに私が惚れた。
なんだこのじじい! お前若い頃あれだけできて、年取ってからもそんなに色気振りまいてるのって、反則だろ!
「赤木しげるとは別次元の色っぽさだなあ。じじいはどう料理しても美味しいなあ」
と思わず反応してしまった私は、夢も希望もない現実を見すぎだと思いました。
フレッド・アステアも勿論ですが、女優さんも非常に美しい。美人はやはり、美しくなければ意味がない。
このダンスの際の衣装も素敵です。くるくる回れば、スカートも美しくひるがえる。よくアニメだの漫画だので、ありえないくらいにひるがえる絵がありますが、このダンスシーンを見ていると、それもありだな、と思います。
あのロングスカート(私ファッションに詳しくないのでわからないのですが、ああいう細かい折り目の入ったスカートのことなんていうんでしょうね)が、またかもしかのような細い足を隠していて、エレガントなんだ。
そりゃ宮川さんも至芸って言うよな。王と女王に乾杯。
以前もご紹介した、『雨に唄えば』の動画もご紹介。
いや、勿論ジーン・ケリーもカッコイイですよ。
初めて見たときも思ったんですが、衣装すごく可愛いですよね。昔のスチュワーデスさんみたいで。
ついでに、私が愛してやまない『ウェスト・サイド物語』のシーンを。
ジョージ・チャキリスとリタ・モレノを楽しむ映画という解釈でオッケーだと思います(主役? 興味ないよ)。
昔、コサキンで映画の邦題をつけるというコーナーで「歌って喧嘩、踊って喧嘩」というタイトルをつけられていたのを思い出しました。
何で街のチンピラがこんなに踊れるのか、とか考えちゃいけませんが、考えるとより笑えます。
しかし、この頃は音楽の質も半端ないな。バーンスタインはどれだけ引き出しが多いのか。
私が一番この作品で好きなシーン。もう、アニタの衣装を見ているだけでも楽しめる。男性陣の足の細さに悶絶。歌詞のきれいな韻に感動。ここまで違うと同じ人間とは思えない(きっと違うんだよ)。
どなたか、ダンスホールのシーンと、結婚式衣装店のシーンもあげてくれないかなあ。あの二つも非常に好きです。
アメリカの古きよき時代のミュージカルを見ていて思うのは、金の使い方のわかりやすさです。
例えば、凄く衣装が豪華だとか、エキストラ何千人とか、セットが派手だとか、見る側にとって非常に有益な金のかけかたをしているな、と凄く思います。
勿論、一瞬しか出てこない椅子に何百万円とか、そういう金のかけかたもあるのでしょうし、小道具などをおろそかにしていい、ということが言いたいわけではありませんが、基本的に、作る側の自己満足でかける金と、作品を魅せるためにかける金では同じ巨額を投資しても、意味が違います。
以前、某国民的アニメで、一瞬しか出てこないキャラクターの頭巾の色を何色にするかで、延々悩んだ、みたいなメイキングシーンが出てきたのですが、実際それは、見ている側にとってどうでもいいことなんですよね。
その事実を知って、「このアニメはそんなに細部にまで気を配っているんだね」という、知識を得て得した気分に「なるような気がする」だけで、それはあくまで作品の価値をあげることにはならないと思います。
これはあくまで、作者の自己満足のためにやるものであって、前述した金と同じように、見る側にとっては、その頭巾の色に何時間かけました、という事実は、全く不要なものなのです。
細部へのこだわりや、作品を作る上での自己満足は、勿論必要不可欠なものであるし、それがなくなっては、その人個人の作品にはなりえません。主張したいこと、こだわりがあってこその、個性ですから。
ですがそれと、見る側の意識は全く別物であり、私は、一閲覧者として、見ている側に、「どうだ、すごいだろ」と思わせたくてお金をかけました、というような、お金の使い方のほうが、好みです。
「ザッツ・エンタテインメント」
MGMのミュージカルを集めた傑作集。
これを見て、フレッド・アステアは半端ないということがよくわかりました。
タップダンスから、クラシックバレエのような振り付けまで完璧にこなし、そして物腰そのものが非常に優雅。
ミュージカルの映像だけでなく、当人がコメンテーターとして出てきたりするのですが、その妙齢のフレッド・アステアの品の良さに私が惚れた。
なんだこのじじい! お前若い頃あれだけできて、年取ってからもそんなに色気振りまいてるのって、反則だろ!
「赤木しげるとは別次元の色っぽさだなあ。じじいはどう料理しても美味しいなあ」
と思わず反応してしまった私は、夢も希望もない現実を見すぎだと思いました。
フレッド・アステアも勿論ですが、女優さんも非常に美しい。美人はやはり、美しくなければ意味がない。
このダンスの際の衣装も素敵です。くるくる回れば、スカートも美しくひるがえる。よくアニメだの漫画だので、ありえないくらいにひるがえる絵がありますが、このダンスシーンを見ていると、それもありだな、と思います。
あのロングスカート(私ファッションに詳しくないのでわからないのですが、ああいう細かい折り目の入ったスカートのことなんていうんでしょうね)が、またかもしかのような細い足を隠していて、エレガントなんだ。
そりゃ宮川さんも至芸って言うよな。王と女王に乾杯。
以前もご紹介した、『雨に唄えば』の動画もご紹介。
いや、勿論ジーン・ケリーもカッコイイですよ。
初めて見たときも思ったんですが、衣装すごく可愛いですよね。昔のスチュワーデスさんみたいで。
ついでに、私が愛してやまない『ウェスト・サイド物語』のシーンを。
ジョージ・チャキリスとリタ・モレノを楽しむ映画という解釈でオッケーだと思います(主役? 興味ないよ)。
昔、コサキンで映画の邦題をつけるというコーナーで「歌って喧嘩、踊って喧嘩」というタイトルをつけられていたのを思い出しました。
何で街のチンピラがこんなに踊れるのか、とか考えちゃいけませんが、考えるとより笑えます。
しかし、この頃は音楽の質も半端ないな。バーンスタインはどれだけ引き出しが多いのか。
私が一番この作品で好きなシーン。もう、アニタの衣装を見ているだけでも楽しめる。男性陣の足の細さに悶絶。歌詞のきれいな韻に感動。ここまで違うと同じ人間とは思えない(きっと違うんだよ)。
どなたか、ダンスホールのシーンと、結婚式衣装店のシーンもあげてくれないかなあ。あの二つも非常に好きです。
アメリカの古きよき時代のミュージカルを見ていて思うのは、金の使い方のわかりやすさです。
例えば、凄く衣装が豪華だとか、エキストラ何千人とか、セットが派手だとか、見る側にとって非常に有益な金のかけかたをしているな、と凄く思います。
勿論、一瞬しか出てこない椅子に何百万円とか、そういう金のかけかたもあるのでしょうし、小道具などをおろそかにしていい、ということが言いたいわけではありませんが、基本的に、作る側の自己満足でかける金と、作品を魅せるためにかける金では同じ巨額を投資しても、意味が違います。
以前、某国民的アニメで、一瞬しか出てこないキャラクターの頭巾の色を何色にするかで、延々悩んだ、みたいなメイキングシーンが出てきたのですが、実際それは、見ている側にとってどうでもいいことなんですよね。
その事実を知って、「このアニメはそんなに細部にまで気を配っているんだね」という、知識を得て得した気分に「なるような気がする」だけで、それはあくまで作品の価値をあげることにはならないと思います。
これはあくまで、作者の自己満足のためにやるものであって、前述した金と同じように、見る側にとっては、その頭巾の色に何時間かけました、という事実は、全く不要なものなのです。
細部へのこだわりや、作品を作る上での自己満足は、勿論必要不可欠なものであるし、それがなくなっては、その人個人の作品にはなりえません。主張したいこと、こだわりがあってこその、個性ですから。
ですがそれと、見る側の意識は全く別物であり、私は、一閲覧者として、見ている側に、「どうだ、すごいだろ」と思わせたくてお金をかけました、というような、お金の使い方のほうが、好みです。
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