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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『ペルソナ3ポータブル』公式サイト

ネタバレには配慮しておりません。
今回は総評について記述しておりますので、ネタバレが顕著です。
感想が辛くなっていきます。




ラスボスの、アルカナ演出もとてもカッコよくて好きだったのですが(こう黙示録を淡々と読み上げている感じというか)、世の人は、カードの絵 柄を見ただけで、これが何ってすぐわかるんでしょうか。私実は半分以上わからないぜ。
ハートが書いてあれば「恋愛」だな、とかそれくらいはわかりますけどね………。でも、それくらいだな、はっきりわかるのって。(少なすぎる)

攻略サイト様も、コミュニティが全部アルカナ名で書かれているので、
「えーと、小田桐って………アルカナ名何?」
とか、結構必死になって探していた始末なんですが、どうも私は、小田桐のコミュニティを上げている、ゆかりのコミュニティを上げている、っていう意識はあっても、「皇帝」「恋愛」を上げているっていう認識がどうもできないようです。

だって別に、ペルソナ目当てに上げているわけじゃないんだから。
結果的に「ペルソナに力が与えられる」っていうだけで、このコミュニティは、主人公が、どれだけ「人」と絆を深めていくかっていうそのためにあるんでしょう?
百歩譲って、小田桐が「皇帝」っていうことはわかっても(さすがにMAXまで上げりゃあね)、図柄なんていちいち見てないんですが。
なんこの辺違和感というか。まあ覚えられない私が馬鹿だ、というそれだけの話なんでしょうが。

システム的なバランスでいえば、ボス戦になるとラッシュが勝手に解除になって、通常モーションで動き始めるのはいらん世話かな、と思います。 モーションみたいなら最初から別にラッシュ使わないでしょう。大体、ラッシュによって相手が特別な動きをするとか、ボス相手だからメ ンバーが特別な攻撃をするとかそういうわけじゃないんだし。

ペルソナ育成は今回も凄く楽しませてもらいました。今度は、ベルベットルームで作ろうとしている最中に、ペルソナ消滅できる機能が欲しいです 。一回入って、必要なペルソナを確認する、スロットに空きがない、外に出ていらないのを処分する、っていうの結構な手間です。
あと、レベルが足りていて、新規のペルソナを作るために必要なペルソナが辞典に登録されているのであれば、作成したいと選ぶと、勝手に呼び出 してくれるとかね。
「スサノオを作るために必要なペルソナは、既に登録されているようです。全て呼び出しますか?」
とか、そんな感じで。
五体必要とかだと、私の脳ではどれが必要だったか覚えていられないので、一回一回、閲覧する、呼び出す、材料を確認する、辞典確認する、を五回とか繰り返す羽目になるので。

根本的な話の流れとしては、ダンジョンにこもった挙句のご褒美的なイベントのパンチが明らかに弱いです。
一ヶ月結構ダラダラすごして(コミュニティはあくまで「任意」なわけで)、十時間とか塔にこもって、その挙句満月のイベントさっくり流されて(実際塔を満月までちゃんと行ける所まで進んでいれば、戦闘で苦労することはない。難易度ビギナーの場合ですが)だと、なんかモチベーションが上がりません。
攻略チャートなんかを見なくても、次の満月間際にまた失踪者が出るから、それ出たら塔に行けばいいやとか、ベルベットルームの依頼の締め切り間際に行けばいいや、っていうのが、ほぼ確立されちゃうわけですよ。
何回塔に行ったところで、疲労するだけで、こちらに得はないわけで。
そうなると、生活パターンほぼ固定になって、かつ日常生活で特別仲間内のイベントも殆どないし、なんか、満月の夜を楽しみにするとい うより、塔を上り詰めて新しいペルソナ作っちゃうぞとか、最終的に私はそっちが主題になってしまいました。
あと依頼を頑張ってこなすぞ、とかね。一応依頼は全部クリアしましたが………。

ごくたまに起きる、仲間連中との物語上のイベントも、「………もう終わり?」みたいなものが殆どでした。
せめて、寮連中はコミュニティ一切起こさずとも、絆を確認できるくらいの演出はしておきましょうよ………。
屋久島の旅行とか、楽しい旅行の描写とか、ほっとんどありませんでしたしね。

唯一、寮生活で楽しかったといえるのは、監視カメライベントでした。あれは面白かった! 全部楽しかった!
伊織の掃除もいいし、荒垣とコロもいいし、真田のサンドバックもいいし、美鶴さんの可愛い服装とか、あの監視カメライベントは全部とっても面白かったです。ああいう潤い的なイベントは絶対に必要だよ。

コマンド的なものでいえば、放課後になったらストレートで寝られるコマンドが欲しいです。 部屋にたどり着くまで、結構な過程を経るので。
結構やることなくなってくるんですよ。特に後半とか。何で戦う日固定なのかなあ。任意で最上階挑ませてくれよと心底思いました。


キャラクターの表し方とか、物語のテーマ(というかテーマとかってなんだったんだろう? 命の大事さとか? いやでも、主人公の命大 切にされてない)は個人的には性に合いませんでした。一つの物語としての面白さとか、主人公が死んでも、それでもよかった と思えるほど世界に愛着はわかないというか。

システム的なものは特別不満はなし。音楽もよかったです。日常パートの音楽で、「ベリーおっぱい」とか連呼しているように聞こえる歌はあれはなんと言ってるのだろう………。
キャラクターやペルソナは、イラストとしてはとても可愛かったです。特に女主人公の可愛さは筆舌に尽くしがたい。自分とは思えずもうひたすら めんこい女の子の夏服、冬服、浴衣にキャッキャ言ってる毎日でした。
この子が、盗撮されたり(伊織イベント)先生がわざと悪い評判を立てようとしていたり(小田桐イベント)裏でされているのかと思うと、超萌えますね。
名前もないモブたちのほうが、主人公の価値をわかっているって、どんだけ………! 他にもバーテンさんとか、街中の人は細かく主人公に構って くれるので楽しいです。そして、最後まで己を貫いておもねらなかった巡査さんも素敵です。
ただ、時折はさまれるアニメ、っていうんですか、スチルっていうんですか、あれが、何処から見てもCLAMPばりに身体のバランスがひょろ長いのはどうにかなりませんか。ホリックばりの長さに、一体何が起こったのかと思いました。

私は「まだまし」と世間では言われている女主人公でプレイしたのですが、恐ろしくて男主人公で遊ぶ気にはなれません。というか、逆に男主人公であれば孤立無援のMプレイとか楽しめるんだろうか。
大本が男性であるということが、今となっては恐ろしい話です。
まあ大体、男主人公になって落としたい女っていませんし。


さて、これから二週目に向かうわけですが、とりあえず、美鶴先輩とゆかりちゃんはちゃんとMAXにして、ベべは手編みのマフラー編んでクリスマスに真田にあげたいのでMAXにして、己の潤いのために小田桐は外せないとして、あとはまあ成り行きってところでしょうか。
夜にイベントが起きる奴らは、必然的に全員MAXになっちゃうと思うんですけどね。夜って全然することないし。パラメーターなんて中盤で余裕で MAXまでいっちゃうし。
あとは、おみくじの活用。
いやあ、私気づかなかったんですよね、凄く終盤になるまで。神社なんて、女の子コミュと、いなりずしを獲りに行った時にしか用がなかったし。

まあそして、真田、荒垣、天田の三名の個別ED見たいと思います。
頼むぜ、せめて、主人公が夢枕に立つくらいのラブラブED見せてくれよ!(それラブラブなんですか?)



結局、個別ED動画で見てしまいました。いや、だからって二週目途中でやめるとかそんなことはないんですが、なんかこう、根本的に主人 公全然幸せになれないのがよくわかったので、逆にEDまで行き着く気がうせました。
こんななら、一周目で他の奴らほっといて(序盤、中盤で出てくる奴ら)美鶴とアイギス集中的にMAXにしときゃよかったよ! そしたら11月の時点でやめられたのに!
これって、用意されたEDと主人公のためのEDの温度差っていうんですかね、激しすぎませんかそれが。
理念とかだけ抜き出してみれば、なるほどあれは「幸せな死」であり、「幸せな終わり」かもしれない。けれどそれは、第三者(製作者)が勝手に断じたものであって、主人公にとっての幸福が何処にもないという致命的なものがそこにあるような気がします。
目を覚ましたところでどうせ死ぬ(結局薬云々はまるで解決していない)荒垣と、その腕の中で死ぬ主人公の悲恋を楽しめってか。できる かそんなもん!

なんだかわからないうちに身体の中にわけのわからんモノを封印されて、なし崩しに一年間付き合わされて、挙句の果てに、自分が死ぬっ てこともわかってないままエンディングって、それ報われなさすぎだろう! こんなだったら、綾時と融合しちゃうEDのほうがまだましだよ!
しかも綾時も「日常生活が戻ってくる」とか言ってなかったか!? 戻ってねえ! 何にも戻ってないよ! むしろこの街に来る前に戻してくれよ!
しかし主人公の生命が、封印によって尽きていたのであれば、なんで最終戦闘3月にしなかったんでしょうね。
だって、一月末から卒業式まで、主人公気合で乗り切ってたってことですよね? なんだよそれ!

誤解しないでいただきたいのですが、別に主人公が最後死ぬ、っていうEDが気に入らないってわけではないのです。
でも、それならば死という結果が満足できなければ意味がないのです。
主人公にとって、「自分が死ぬことによって救われるものがあるならば」ではなく、「自分が死ぬことによって自分が幸せになる」っていうのが、絶対に不変だと思うのですよ。
この自分にとっての幸せっていうのが、例えば「私が死ぬことによって大切なあの人を守れるならば」とか、そういうのでもなんでもいいですし、 「私は私の誇りにかけてこの世界を滅ぼさせたりはしない」でも何でもいいんですが、主人公自身が自分の死に向き合う時間が絶対必要なのに、こ のゲームにおいて一番解せないのが、主人公は最後まで自分の死に対して何も「考えることすらできない」っていうことなのです。
逆に、死に至るまでの「なんだか疲れる」の間に、主人公が「察した」のであれば、それこそ、周囲の人間とコミュニケーションとるなり、その場 から去るなり、逆に死なないための努力をするとか、その手の描写が絶対に必要なのに、それが全くない。
なんか、主人公の死をあらわしたいのではなく、この作品のテーマは「不条理」とかそんなもんなんですかね?
結局、世界は救われても、主人公一つも報われないじゃないですか。
好きな人とも一緒にいられない。救ったという実感もない。自分が死ぬことも気づけない。
大体、仲間からして主人公の重い過去がわかったところで、慰めるわけでもいたわるわけてもないですからね。逆に主人公の過去って、必要なのか と思ってしまいました。だって別に主人公にああいう過去があったから、究極のペルソナが覚醒したわけでもなんでもないですし。

これ、逆に王道カップルを指定するのであれば、主人公と綾時なんでしょうなあ。男性主人公だとよくわかりませんが、女性主人公は特にそんな印 象が強かったです。
別に恋愛とかではなく、綾時と主人公は同一存在みたいなもんで、逆に、眠ったような終わりの後に綾時が迎えに来るとか、そんな描写があったら 、私も多少は、不条理の中にある唯一の約束、みたいなノリで納得できたのかもしれないなあ、と思いました。
少なくとも、後味のいい終わりでは全くなかったなあ。

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