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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『小間使いの日記』
この白黒映画をどうしてレンタルしたか、というと、小間使いにブーツをはかせてそのブーツを抱えたまま死ぬというじいさんの姿が見たかったからです。
これもフェティシズムっていうんでしょうねえ。
ブーツをはかせた女ではなく、はかれたブーツに対して執着を持つ、っていうのが業が深いなあ。
他の内容としては、性格が最初から最後まで全くつかめない小間使いと、その時代の上流階級の生活、といったところでしょうか。
登場人物がそれぞれに、誰も彼も愛せないってところが、見所でしょうかねえ。


『隠し砦の三悪人』
黒澤白黒時代劇(基本的に現代モノ、また晩年の作品は見ないので)もここ最近連続で見てきたので、大分耐性がついた感じです。
出てくる役者さんもおなじみの方ばかりなので、さすがに、「あ、あの人知ってる」という顔ぶれ連発でした。
ただ、今回内容に関して、さすがに「飽き」てきしまいました。
内容が、というより黒澤映画独特の長さと申しましょうか。
どの作品も、一つの山に向けて動き出すまでがとても長いんですよね。
1・例えば、埋もれていた金を偶然見つける男二人。
2・他にもないかと、探し回る。
3・結果、見つかる。
という場面があったりすると、過程であるはずのその2がとにかくひたすら長い。
この長さの表現は、どの作品でも総じて同じなので間違いなくこの監督の色なんでしょうが、さすがに同じ監督の作品を連続で見ると、途中で飽きてきてしまいました。
例えばこれも、殺陣のシーンなんかも同じで、とにかく決着がつくまでが長い。
凄く劇的な演出とか、いわゆるハリウッドのアクションシーンみたいに、ビル爆破にタンクローリー転倒にと、長さの中にこちらにとってわかりやすい見せ場があるならともかく、この過程の中に求めているのが完璧なリアリティであるせいか、そういった目をひきつけるものはありません(私にとっては)。
前述した金探しのシーンも、そりゃ確かに、五秒やそこら探し回ったって見つかるわけないだろう、というリアリティの元に作られているのでしょうが、それを言ったら全ての映画中身の時間軸を忠実に再現しなきゃいけなくなっちゃうわけで。
例え五秒で探索シーンが終わっても、役者が疲れた様子だったり、明らかに場面が移動していたら、そりゃこちらは「長時間探したんだな」と理解はできるわけですから。
以前から思ってはいたんですが、そのあたりの尺の取り方が、今回改めてまだるっこしいなあと思ったのでした。
別にこの作品だけに限ったことではないので、完璧に監督の色であると判断した上で、ですが。

後、主演女優が何故かいつもとてもエキセントリック。
これはただ時代がそうだったから、ってだけなんでしょうかねえ。
『七人の侍』も、ヒロインの容姿がお世辞にも村で評判の美人には見えないとか、叫んでばかりで音われしちゃって何を話しているんだかよくわからない、とか思ったんですが、今回は男勝りの姫君っていう役どころなので、いつにもまして凄かったです。
『椿三十郎』は、おっとりヒロインだったのであまり気にならなかったし、『用心棒』とか『赤ひげ』なんかは、杉村春子さん最高の演技だったし。
監督作品において、女性はヒロインとしての役回りで起用されることの方が少ないので、そういう点において「かわいくなくてもいい」というのは前提にあるのかもしれませんね。

今回の作品そのものの内容としては、同じことを繰り返して笑いを取る、っていうわかりやすい内容でした。
三船さん演ずる侍よりも、農民二人が毎回毎回、金をめぐって同じようにいさかいを起こしたり、逃亡したりというスタンダードな流れが楽しめます。

ちなみにレンタルリストに最後に残った作品は、『羅生門』でした。
何故…何故最後にこれをもってくるか、ツタヤ…。


で、『羅生門』も見たんですが、泥臭い殺陣はこれが一番秀逸でした。
誰かを切り殺すんじゃなく、切り殺されないように必死で逃げ回る姿と、それを追うために同じように地べたに這い蹲る男。
奪った男と、奪われた男と、女。
三人が三人とも、自分の自己弁護と名誉のために嘘をつく。
その真実を知っていて、人間不信に陥りそうになる坊主ですが、逆を言えばその真実を否定しようとするだけ、その世界はマトモだよなあ。
見ている側からすると、それぞれの嘘は自己保身のために、至極当然の嘘であって、そういう嘘をつくことが、なんらおかしくないと思ってしまう分、こっちの世界は病んでいるというか。
逆に極限状態になると、ああいうこともあるんじゃね? で済ませてしまえるというか、あんなことがあったって、それでも生きていれば美味しく明日もご飯を食べるんだろうさ、というか。
そのふてぶてしさを、人が信じられないものだと断じる材料にするのはどうかと思うんだなあ。それがあってこそ生きられるというか。

まあ結果的に、生き残って人性を続けられる女が一番強いんだな、というところで話は落ち着きました。
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『フロスト×ニクソン』

政治的なものが前面に出ている作品をどうして借りようと思ったのかよくわからないのですが、知り合いに勧めてもらったからじゃなかったっけ…と、またしても自分の記憶力と戦いながら鑑賞しました。
政治的なものの良し悪しは、その当時生きていなかった(ギリギリ生まれていない)私には実感としてよくわからないのですが、インタビューでの心理戦や、政治家というものの『強さ』が垣間見れて面白かったです。
ニクソンにとって、自らの不正、である『ウォーターゲート事件』の質問を、初っ端にぶつけてくるフロスト。
その質問は契約違反だとしながらも、「国民がそれを望んでいるのであれば」と答えるニクソン。
ここでも、契約違反だと反故するのは簡単ですが、それをせずに「応える」という時点で、ニクソンは視聴者にいい印象を与えるわけです。
そして「何故テープを燃やさなかったのか」(盗聴の)との質問に、「設置したのは自分ではない。録音をすべて取り払うと秘密裏な相談がホワイトハウスでできなくなる。そうなれば政治の意見交換もできなくなりそれは国のためにならない」と正当化を主張するニクソン。
勿論、おためごかし的なものなのですが、あくまで己の正当性を主張し続けるところがまた上手い。
こっちは「どんな言い訳」とも思いますが、それでも「私はそれを正義だと信じて行った」と主張しさえすれば、そこには「悪意」はないとみなされるからです。
しかも、その後、二番目の質問にも同じような調子で答え、二つの質問で23分も費やされるのです。二時間番組なのに。
時間の引き延ばしは明らかなのですが、それでも質問する側は、「核心に触れる答え」を望みたいがために、その答弁を遮ったり、打ち切ることができない。何故ならその23分の間に、いつ自分たちの望むリアクションが返ってくるかわからないから、です。

他にも、「キッシンジャーとの最悪な日々」についての質問も、「最悪だったが、それぞれに最悪なことはあるので一概にはいいかねる」と言った後、政治的なものから、家族の話にスライドさせるこの上手さ!
「最悪なことは色々ある。娘が結婚した日。そしてあの日、末娘が私のところに来て、泣きながら抱きしめた。「パパは世界一よ。全てを信じるわ」と」
しかもその後、宗教的な話題、リンカーンの話を引き合いに出し、相手にぐうの音も出なくさせるこの手腕。
そりゃ、お付のブレインも「素晴らしい!」(ケビン・ベーコンが熱演)と呟きますよ。家族モノは万人に受けますしね。

初日は思うようなインタビューが出来ないまま、終了したフロストに、
「初日はベトナムの話だと聞いてきたからその準備ばかりしてきたのに」
と、余裕綽々のニクソンの静かな迫力が凄い。
この辺の、政治家としてのふてぶてしさや手腕は、圧巻の一言ですね。
政治っていうと、どうしても悪い部分ばかり目に入るし、身近なところで腹を立てることが殆どなのですが(逆にそれは正しい姿であるような気もします。全てが国の政治を最高に崇めたてる国があるとすれば、それはマトモではないでしょうし)、それとは別に、百戦錬磨の「政治家」としての実力の高さを見られた、と申しましょうか。国のトップに上り詰めた男は、純粋な社会経験やキャパシティだって、そりゃ普通に考えて並であるはずがないというか。

ベトナム戦争の話は「攻めなきゃもっと多くの人が死んだ」というお定まりの代弁で締めくくられてしまうので、個人的にはそこでは某かを思うことはなかったです。この理論には、意味がないからな。

ブルーカラーと呼ばれる人間が、結局は名門の奴らに認められたいとか、勝つのはどちらか一人とか、真夜中の電話シーンはちょっと鼻につく場面もありましたが、ここでニクソンの人間味を出したいのだろうな、ということはよくわかります。
完全無欠の大統領ではなく、一人のニクソンとしての素顔を見せたいのでしょうが、個人的には会話のやりとりを楽しんでいたので、この部分はわりと流せました。

二人を支えるそれぞれの頭脳陣もとても魅力的です。
ブレイン役のケビン・ベーコンは純粋に政治家としてのニクソンを尊敬していて付き合っているので、凄く人間味があってカッコイイです。
「戦地から返ってきた私に唾を吐いた奴らに辞めさせられた」と発言し、フロストの態度に激昂する。
「言葉を慎め。誰を相手にしていると思っている。彼のやったことの60%は正しくて、30%はその時は正しく今は間違っていた。その60%を汚すことは断じて許さない」
(大統領に向かって)「もし貴方が感情を発露するというのであれば、私は熟考しなければなりません」
この言葉を受けて、ニクソンは窮地に陥ったインタビューを再開します。ブレインの反対を押し切ってまでの答えは、画面いっぱいに映し出された自分の憔悴した顔だった。

この後、勝利に喜ぶフロスト側が描かれるのですが、アメリカ的表現ですね。こういうインタビューを、勝った負けたで表してしまうところなんかが特に。
マスメディアの勝利、とも語られるのですが、そういった意味でマスメディアが勝利をもってしまうという実態はあまり好ましくないと私は思うので、個人的には政治関係抜きに、心理戦のやりとりを抜粋して楽しむ見方でもいいと思います。

映像としてはどうしても顔のアップや対面になっていまうので、二時間は若干長いかな、と。
『グッドナイト&グッドラック』は90分くらいで緊迫したまま終われたので、政治モノは逆に短めに終わるくらいでちょうどいいのかもしれません。
音楽は非常に重厚でよかったです。
役者陣も達者な方ばかりで(この手の映画で大根がいたら萎えるだろうなあ)、特にニクソン役のフランク・ランジェラは圧巻。超かっけえ。
上記の『グッドナイト~』にも出ていたらしいのですが、だ、誰だかわからん! 新聞社の社長さんだろうか。
こういう、カッコイイ役者さんを新たに知ると、芋づる式(笑)に出演作品を見たくなるので嬉しい悲鳴です。
正直この作品も、誰か役者さんつながりかなあ、と思っていたんですが、結局誰もそんな人いなかった。謎だ。

CFが良かったらしいので、特典メニューを見たんですが、『HEROESシーズン3』の第一話とかしかなくてがっかりでした。
別に入れるなとは言わないけど、この映画に関わったものを入れて、その後だろう他作品の紹介は!
『パイレーツ・ロック』公式サイト

イギリス、かつてロックを代表するポピュラーソングの放送が、認められていなかった頃。
北海に浮かぶ船から、二十四時間音楽番組を放送するラジオがあった。
その名は、パイレーツ・ロック。
個性豊かな面々に、酒にドラッグに女。
それでも、常に彼らの根源にあるものは、ロックンロールだった。

エロ祭りでした。(最近こんな感想ばっかりだな)
やっていることや、会話も全部が全部下品なのですが、そこに女の同僚がいないだけに、からっとした下ネタとして楽しめます。
その下ネタ含めて、個性あるDJたちのトークが秀逸。
流れる音楽の種類がわかれば、もっともっと楽しいんだろうなあと思いながら、流れるBGMを聞きつつ、DJの軽快なトークを楽しむ映画です。別に内容とか全然ありませんしね。
でも、ロックンロールが好きで好きでたまらない連中がそろって、バカなこと全力投球で真剣にやっている様は、見ていて自分のあの輪の中に入れたらなあ、と思うような爽快感があります。
ああいうのって、男だらけの独特の空間なんだろうなあ。少し羨ましいような気もしますが。

各DJはそれぞれ個性のかたまりで、見ていてとても楽しいです。
「侯爵」というあだ名の、放送禁止用語を連発する男や、さわやかにロックを放送する男。早朝に自分の世界を持ってロックを流したり、ひたすらニュースを読み続ける男。
そんな中でも、最高のDJと称される、ギャヴィンが、はい、エロい!
四十過ぎくらいの、金髪で細面のいかにもヤクやってます的な外見の男なんですが、派手な衣装を身にまとい、登場からして紫のジャケットに羽飾りのついた帽子で登場ですからね。その時点で魂を抜かれたようなものですよ。なんだあ、あのエロさ。
この人は侯爵とは別の意味で直接的にエロいというか、放送禁止用語を連発するのではなく、女性にエクスタシーを感じさせて、聞いているリスナーに「キャアアア!」と悲鳴をあげさせるようなしゃべり(長い)をするので、やっぱり見ている側も「キャアアア!」となります(笑)
そして、ラジオ局のオーナーのクエンティンですよ。『パイレーツシリーズ』でディヴィ・ジョーンズをやった方らしいんですが、あのメイクではわからない。
この人も、細身のスーツでばっちりきめて、最後は高々と拳を突き上げて「ロックンロール!」ですからね。DJではないので軽快なしゃべりとかはないんですが、ロックが好きでたまらないからラジオを経営しているという愛情があふれているので、こちらも男前ですね。

向こうの国はファンのリアクションも派手なので、「愛しているギャヴィン!」とか「貴方の一番のファンなの!」とか、熱狂ぶりも半端ないです。 最終的に、海賊局はなくなるのですが、その最後を締めくくるのが、熱狂するファンとの交流っていうのが、幸せな終わり方だったなあと思いました。
これ、あくまでロックンロールを放送する立場の人間なので、どれだけ酒やドラッグにおぼれていても、退廃的にならないのが安心して見られます。誰も死んだりしないし、自暴自棄になったりもしない。死ぬことが主張だとかそんなこともない。
勿論色々あるのですが、それでも俺たちにはロックがある。
音楽があるから、人生は最高だ。
そんな幸せな形の映画でした。野郎どもが全員カッコよく見えます。お勧め。


『イベリア 魂のフラメンコ』
レンタルで見たんですが、ゲージュツが前面に押し出されすぎて個人的にはあいませんでした。


『シャーロックホームズ』
衣装が良かった…。くらいでしょうか。
正直あんまり覚えてないです。私はホームズに対して特別思い入れがないので(強いて言うなら犬ホームズは最高だというくらいで)、ぐうたらでどうしようもなく皮肉屋で人好きのしない男であっても、別に抵抗なく受け入れられたんですが。
『赤ひげ』
もう黒澤作品は長いもんだと諦めるしかないのでしょうか。
見終わってから寝ようなんて気軽に始めたら、三時間以上もあって睡眠時間が削れました。びっくりよ。
三船主演で、白黒映画としては最後の作品らしいのですが、これは三時間飽きずに楽しめました。
小石川療養所で貧乏人相手に診療を続ける赤ひげ。
そこに無理やり連れてこられた形の保本。
始めは抵抗してばかりの保本も次第に、赤ひげのたくましくも誠実な態度を見て、自らも立派な医者たろうと成長していく物語です。
事実上、主役は香山雄三演じる、保本なのですが、彼が変わっていくきっかけが、殆ど死であるということが重いです。
生き様を感じた上での死はまだましですが、始めに出会う死は、ただただ苦痛なだけで、保本は正視できません。死んでいった老人が如何なる人生を歩んだか、保本が知るのはその後。報われない人生を送り、苦痛の中で死んでいった老人。
しかし、赤ひげは訪ねて来た娘に、「安楽な死に方だった」と嘘をつく。
そのやりきれなさを抱いた保本が、次に目にするものも、新たな死。
事実上、保本が直接関わり助けることができる命は、おとよという少女だけなのです。
後の命は、保本を通り過ぎ消えていく。
助けられる命より、助けられない命のほうが多い。
実際、死ぬ間際に語られる過去であったり、真実であったりすることが加わったからといって、人が死ぬこと事態は変わらない。
けれど、保本は己を恥じ入ります。
苦痛の中でも、何も語らず死んでいった人たちに比べて、幼い頃から虐げられてきた娘に比べて、自分はどれだけのことをしてきたのだろう、と。

赤ひげは、貧しさは不幸せなことである、とはっきり断じます。
だから、商人から上前をはねたり、奉行所の人間の弱みを握ってゆすったりと、金策のためには手段を選びません。
「俺は卑怯な奴だ。お前はこんな奴になるな」
と言う赤ひげを、周囲の人間は好ましげに見つめるわけです。
その周囲にいるのは皆貧しいもので、赤ひげの恩恵にあやかるものばかりで、そしていかなる手段であっても、貧しさよりはずっといい、と。

また、この虐待されて精神を病んでいた、おとよという少女と、盗みを働いている長坊っていう少年の会話が、立ち上がれなくなるほど悲しいんだこれが。
貧しさのあまり、診療所の粥を盗もうとする長坊。見てみぬふりをしたおとよに、長坊は盗んできた飴を差し出します。せめてものお礼だと。
親は働けず、兄弟たちはあてにならない。
「そんなにひもじかったの?」
「おいら、ひもじくなかったことなんてねえよ」
「でもこれは盗んできたものでしょう? あたしだったら、こじきをするわ」
「おいら、馬に生まれてきたかったな」
「馬に? どうして?」
「だって馬なら、草食ってればいいもの」

私この一連の会話で泣き通しでした。
母親もいない少女が、平気な顔をして「こじきをすればいい」と言ってしまう悲しさ(実際この前におとよは理由があってこじきを普通にしているのですが)。
とにかくひもじくて、飢えて、それしか自分の世界にない長坊が、「馬になれば草を食べていればいいから」と、そんなことを素晴らしい夢のように語る現実が本当に悲しくて、延々泣きました。
子供が飢えて犯罪に走る世界に幸せはなく、そして長坊はおとよから診療所の残り物をもらうことになるのですが、ある日もう必要でなくなったと言います。

「おいら、遠くに行くんだ。そこには花がいっぱい咲いていて、きれいな鳥がいっぱいいて、腹も減ることがねえんだって。きっと、今の姉ちゃんみたいにきれいな鳥がいっぱいいるんだ」
「そんなところ、あるのかしら?」
「…あるさ。西のほうにあるんだってさ。だから姉ちゃんと会うのは今日が最後だ。だから、よく姉ちゃんのことを見せてくんな。今日の姉ちゃん、本当にきれいだ。本当だよ」

うがあああああああ! やめてやめてやめー!

もうこの会話が始まった途端、嫌な予感炸裂ですよ。というか、嫌な予感しかしない!!
長坊が、本当にその世界を信じていても悲しいのですが、この場合、完全に信じていなくて、自分を信じ込ませようとしているのか、おとよに心配をかけまいとしているのか、一生懸命言い訳を考えて、素晴らしい世界を説明するその様が、辛くて辛くて。
結果、長坊は一家心中の末に、療養所へ運ばれてきます。
もう、私の心の中では悲鳴ですよ。
おまけに、息も絶え絶えに長坊が言うには、自分が盗みを働いて、捕まってしまったことが周囲に知れ渡ってしまったから、もう生きてはいられないと、心中することになったというのです。

「ごめんな、姉ちゃん。俺また盗みをしちまったんだ。…やっぱりこじきにしときゃよかった。本当に、ごめんよ」

こんな酷い話があるかと!!
食うために、働けない親や兄弟のために、生きるために必死でやってきたことが、まだ十歳ににも満たないような少年が、懸命に生きてきたのに、それなのに、周囲に顔向けできないからと心中ってお前それお前それお前ええええええ!!
もう、誰に怒りを向けていいのかわからないのですが、錯乱しつつ号泣でした。悪いのはもう誰でもない。ひたすら、貧しさこそが罪であるというしかない。けれど、その貧しさは現実として長坊の目の前に常にあって、誰かが助けてくれたとしても、それは、結局間に合わなかった。

どん底にテンションが下がるほど、悲惨な話でした。
まあ、実際長坊は助かるのですが、それでも彼が体験してきたことは、悲惨なことなのです。この上なく、不幸せで、絶対に子供が味わう必要がないことだったはずなのに、誰よりも不幸せと共にあらねばならなかった。

この後は、保本の結婚とか、診療所に居残るとか、色々見通しが明るい話で一応は終わるのですが、個人的には長坊とおとよの、悲惨以外形容できない話のテンションから、盛り上がることができないまま終わりました。

誰に裏切られたわけでもない。
国家大逆の陰謀にはめられたわけでもない。
無差別に人を殺した狂人がいたわけでもない。
それでも、長坊は飢えという、最も救いがたく誰もが遭遇する不幸せの中で生きるしかなかった。
それは、例えようもないくらい、「不幸」なことなのだ。

赤ひげはそんな中、立ち上がった男であり、保本はその後を継いで生きる決意を固めます。
「後悔するぞ」
「試してみましょう」
聖人ではない赤ひげ。それに続く若者。
どうしても病人が減らない世界があるなら、そこには、同じように医者が必要なのだ。
貧しさを理解し、体現する医者が。

浮き渋みの激しい、重い映画でした。でもこれを、ドキュメンタリーではなく「映画」として完成させているという点でも、名作といえるでしょう。


ちなみに私は、映画を見ながら号泣し、この感想を書きながら号泣し、内容を親に説明しながら号泣し、風呂に入りながら号泣し、親が同じように説明してくれたNHKの連続ドラマの「赤ひげ」の内容が、またこれもすべからく救われない話であったことに更に号泣し、泣き疲れました。
この映画に出てくる人物の人生や、死を見ると、もうなんだろう、侍の切ったはったの死に様なんて、ちゃんちゃらおかしいわ! と思ってしまいます。
「七人の侍」の奴らだって、好き勝手「やれるだけの自由」があった末で「死ねた」んですから、そんなの、長坊の境遇に比べたら天国みたいなもんだろ! もう、なんだかもうなんだか!(錯乱)
『Vengo』
場所はスペイン・アンダルシア。
そこで生きる、カコという男と、甥のディエゴ。
ファミリーの抗争を食い止めるために奔走するディエゴだが、一人娘を失った悲しみからは逃れるすべはなかった。

結論から言うと、話は殆どありません。
画面から流れるフラメンコと、そのリズムを楽しむ映画でした。
極論を言っちゃえば、フラメンコという音楽が文化であり日常である彼らのPVを見ているような感覚、というべきでしょうか。

ただ、その画面からほとばしるエネルギーが半端ないのです。
私の中でフラメンコというと、バラを加えてキレイなお姉さんが床を踏み鳴らす、という浅い知識しかなかったのですが、この映画におけるフラメンコは歌とギターと手拍子です。
踊りもありますが、本職の人が踊っているというよりは、音楽に合わせて体が自然に動き出すという感じで、そのノリこそがジプシーの生きてきた証の積み重ね、というか。

始まりは娘の葬儀なのですが、そこでのフラメンコも、ギターにエジプト文化に、イスラム文化と、ごったになっていて凄く以外でした。
エジプト文化はよくわからないのですが、イスラム色が強かったというか。そこだけ抜き出すと、ジプシー音楽って感じは全くしませんし、その流浪の民が培ってきた、ジャンルが分けられない音楽がフラメンコなのかとも思いました。
どうしても音楽に詳しくないので、音楽的な部分での説明ができないのが歯がゆいのですが(致命的)画面からほとばしる、ダミ声の渋い歌声(女性)はまさに圧巻。
男性の歌い手さんもいましたが、むしろそちらの画面のほうがやわらかかった気が。女性の迫力半端ない。


そして、個人的にはイケメンパラダイスでした。(いきなり貧相な発想)
主役のカコからして、どんだけ…どんだけ男前持ってきたんだアントニオ・カナーレスー!? と仰天。
超有名なフラメンコダンサーの方らしいのですが、踊るシーンは一つも出てきません。
彼は酒を飲み、手拍子を打ち、甥の姿に目を細め、失った娘を思い涙するジプシーの一人の男として描かれます。
まった、これがほとばしるエロさ。
真っ黒でツヤのない、くせのある髪がセクシーで、少したれた目元に、ぎょろっとしたこれまた黒い瞳が迫力満点。
そして、着こなしがまた素敵でして、基本真っ黒いスーツに、白いシャツなんですが、金のネックレス(たぶん宗教的なものなのかと。十字架ではないですが、ペンダントトップがでかい)を身につけ、そして何故か柄物のスカーフを常に首からかけているのです。
一瞬女物のスカーフなのかと思うくらいの柄物なのですが、基本明るい色バージョンが一つと、後は濃紺に金字のスカーフを巻いた姿がもう、エロすぎて正視に耐えられません。
いとこの、アレハンドロもすんごいエロいし、ボディーガードの天然パーマ長髪のトレスもたまりません。
私、この映画ほど長髪真ん中わけ髪型の男を許そうと思ったことはありませんでした。
その上、ひげボーボーだぜ…!? 奴らの胸毛は常時装備だぜ…!?
このあたりの、ひげの生やし方もちょっとイスラムっぽいなあと思うんですが。カコは生やしてないけれど、敵対する側は基本的に全員生やしているし。




実際はこの二億倍エロいです。というか似てなさ具合に自分がびっくり。
顔のしわも、笑いしわから、目の下のしわまで、すべてがたまりません。
そして、何処からどう見てもスペインの古田新太だと思ってしまった私は間違っていないと思います。
いや、これ古田さん以外ありえない…!




フラメンコギターをかきならすおじさんも、超素敵でした。
なんていうか、ヒゲ面で面長の寺尾聰さんみたいでした。この人も胸毛ばっちりだったなー。

ともかく、フラメンコの迫力のある音楽と、右を向いても左を向いてもイケメンしかいない(私的に)世界観はお勧め。
話そのものはあまり考えずに、画面から流れるジプシーの世界を楽しむのが吉かと。
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