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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『赤ひげ』
もう黒澤作品は長いもんだと諦めるしかないのでしょうか。
見終わってから寝ようなんて気軽に始めたら、三時間以上もあって睡眠時間が削れました。びっくりよ。
三船主演で、白黒映画としては最後の作品らしいのですが、これは三時間飽きずに楽しめました。
小石川療養所で貧乏人相手に診療を続ける赤ひげ。
そこに無理やり連れてこられた形の保本。
始めは抵抗してばかりの保本も次第に、赤ひげのたくましくも誠実な態度を見て、自らも立派な医者たろうと成長していく物語です。
事実上、主役は香山雄三演じる、保本なのですが、彼が変わっていくきっかけが、殆ど死であるということが重いです。
生き様を感じた上での死はまだましですが、始めに出会う死は、ただただ苦痛なだけで、保本は正視できません。死んでいった老人が如何なる人生を歩んだか、保本が知るのはその後。報われない人生を送り、苦痛の中で死んでいった老人。
しかし、赤ひげは訪ねて来た娘に、「安楽な死に方だった」と嘘をつく。
そのやりきれなさを抱いた保本が、次に目にするものも、新たな死。
事実上、保本が直接関わり助けることができる命は、おとよという少女だけなのです。
後の命は、保本を通り過ぎ消えていく。
助けられる命より、助けられない命のほうが多い。
実際、死ぬ間際に語られる過去であったり、真実であったりすることが加わったからといって、人が死ぬこと事態は変わらない。
けれど、保本は己を恥じ入ります。
苦痛の中でも、何も語らず死んでいった人たちに比べて、幼い頃から虐げられてきた娘に比べて、自分はどれだけのことをしてきたのだろう、と。

赤ひげは、貧しさは不幸せなことである、とはっきり断じます。
だから、商人から上前をはねたり、奉行所の人間の弱みを握ってゆすったりと、金策のためには手段を選びません。
「俺は卑怯な奴だ。お前はこんな奴になるな」
と言う赤ひげを、周囲の人間は好ましげに見つめるわけです。
その周囲にいるのは皆貧しいもので、赤ひげの恩恵にあやかるものばかりで、そしていかなる手段であっても、貧しさよりはずっといい、と。

また、この虐待されて精神を病んでいた、おとよという少女と、盗みを働いている長坊っていう少年の会話が、立ち上がれなくなるほど悲しいんだこれが。
貧しさのあまり、診療所の粥を盗もうとする長坊。見てみぬふりをしたおとよに、長坊は盗んできた飴を差し出します。せめてものお礼だと。
親は働けず、兄弟たちはあてにならない。
「そんなにひもじかったの?」
「おいら、ひもじくなかったことなんてねえよ」
「でもこれは盗んできたものでしょう? あたしだったら、こじきをするわ」
「おいら、馬に生まれてきたかったな」
「馬に? どうして?」
「だって馬なら、草食ってればいいもの」

私この一連の会話で泣き通しでした。
母親もいない少女が、平気な顔をして「こじきをすればいい」と言ってしまう悲しさ(実際この前におとよは理由があってこじきを普通にしているのですが)。
とにかくひもじくて、飢えて、それしか自分の世界にない長坊が、「馬になれば草を食べていればいいから」と、そんなことを素晴らしい夢のように語る現実が本当に悲しくて、延々泣きました。
子供が飢えて犯罪に走る世界に幸せはなく、そして長坊はおとよから診療所の残り物をもらうことになるのですが、ある日もう必要でなくなったと言います。

「おいら、遠くに行くんだ。そこには花がいっぱい咲いていて、きれいな鳥がいっぱいいて、腹も減ることがねえんだって。きっと、今の姉ちゃんみたいにきれいな鳥がいっぱいいるんだ」
「そんなところ、あるのかしら?」
「…あるさ。西のほうにあるんだってさ。だから姉ちゃんと会うのは今日が最後だ。だから、よく姉ちゃんのことを見せてくんな。今日の姉ちゃん、本当にきれいだ。本当だよ」

うがあああああああ! やめてやめてやめー!

もうこの会話が始まった途端、嫌な予感炸裂ですよ。というか、嫌な予感しかしない!!
長坊が、本当にその世界を信じていても悲しいのですが、この場合、完全に信じていなくて、自分を信じ込ませようとしているのか、おとよに心配をかけまいとしているのか、一生懸命言い訳を考えて、素晴らしい世界を説明するその様が、辛くて辛くて。
結果、長坊は一家心中の末に、療養所へ運ばれてきます。
もう、私の心の中では悲鳴ですよ。
おまけに、息も絶え絶えに長坊が言うには、自分が盗みを働いて、捕まってしまったことが周囲に知れ渡ってしまったから、もう生きてはいられないと、心中することになったというのです。

「ごめんな、姉ちゃん。俺また盗みをしちまったんだ。…やっぱりこじきにしときゃよかった。本当に、ごめんよ」

こんな酷い話があるかと!!
食うために、働けない親や兄弟のために、生きるために必死でやってきたことが、まだ十歳ににも満たないような少年が、懸命に生きてきたのに、それなのに、周囲に顔向けできないからと心中ってお前それお前それお前ええええええ!!
もう、誰に怒りを向けていいのかわからないのですが、錯乱しつつ号泣でした。悪いのはもう誰でもない。ひたすら、貧しさこそが罪であるというしかない。けれど、その貧しさは現実として長坊の目の前に常にあって、誰かが助けてくれたとしても、それは、結局間に合わなかった。

どん底にテンションが下がるほど、悲惨な話でした。
まあ、実際長坊は助かるのですが、それでも彼が体験してきたことは、悲惨なことなのです。この上なく、不幸せで、絶対に子供が味わう必要がないことだったはずなのに、誰よりも不幸せと共にあらねばならなかった。

この後は、保本の結婚とか、診療所に居残るとか、色々見通しが明るい話で一応は終わるのですが、個人的には長坊とおとよの、悲惨以外形容できない話のテンションから、盛り上がることができないまま終わりました。

誰に裏切られたわけでもない。
国家大逆の陰謀にはめられたわけでもない。
無差別に人を殺した狂人がいたわけでもない。
それでも、長坊は飢えという、最も救いがたく誰もが遭遇する不幸せの中で生きるしかなかった。
それは、例えようもないくらい、「不幸」なことなのだ。

赤ひげはそんな中、立ち上がった男であり、保本はその後を継いで生きる決意を固めます。
「後悔するぞ」
「試してみましょう」
聖人ではない赤ひげ。それに続く若者。
どうしても病人が減らない世界があるなら、そこには、同じように医者が必要なのだ。
貧しさを理解し、体現する医者が。

浮き渋みの激しい、重い映画でした。でもこれを、ドキュメンタリーではなく「映画」として完成させているという点でも、名作といえるでしょう。


ちなみに私は、映画を見ながら号泣し、この感想を書きながら号泣し、内容を親に説明しながら号泣し、風呂に入りながら号泣し、親が同じように説明してくれたNHKの連続ドラマの「赤ひげ」の内容が、またこれもすべからく救われない話であったことに更に号泣し、泣き疲れました。
この映画に出てくる人物の人生や、死を見ると、もうなんだろう、侍の切ったはったの死に様なんて、ちゃんちゃらおかしいわ! と思ってしまいます。
「七人の侍」の奴らだって、好き勝手「やれるだけの自由」があった末で「死ねた」んですから、そんなの、長坊の境遇に比べたら天国みたいなもんだろ! もう、なんだかもうなんだか!(錯乱)
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