『ロード トゥ パーディション』
男たちの男らしい世界の話。いわゆるマフィアというか、ファミリーものですね。
久しぶりにいい映画が見られてすっとしました。この前に見たのが『レッドクリフ』で男たちのメロドラマだったのが幸いした(苦笑)のか、非常に面白かったです。
家庭では厳格だがいい父親を演じているサリヴァン。果たしてその仕事とは、自分を救ってくれたマフィアのボス、ルーニーの使いとして殺しを請け負うことだった。
ルーニーはサリヴァンの家族を愛し、親身になって接するが、その反面できの悪い息子であるコナーは自分の期待を裏切る行動ばかりをして、悲劇を招くだけだった。
ある日サリヴァンの息子であるマイケルは、ある日好奇心にかられて父親が仕事として、人を殺す現場を見てしまう。
その息子を始末するべく、コナーは暴走して動き出し、そんな息子を見捨てられないルーニーは、サリヴァン抹殺の命令を殺し屋マグワイヤに依頼するのだった。
マイケルと共に逃避行を続けるサリヴァンの心中は。そして二人は無事にマグワイヤの手から逃れる事ができるのだろうか。
舞台がシカゴですから、まずその辺の灰色の世界が美しいです。
雪は降り積もるほどではないが、降り続き、道は凍るも土の色が見える。
人々は黒く分厚いコートを身にまとい、灰色の帽子を深々とかぶり、マフラーを巻いて背を丸めて歩く。
ロングコートの中からわずかに見えるのは、細く長いマシンガンの銃身。
足音はなく、雨の音もなく、男は静かにかすむ世界の中で「父」を撃ち殺した。
この映画、音楽と映像が物凄くよくて、演出も派手な使われ方をするのではなく、「無音」の使い方が非常に秀逸でした。
まさしく見せ場、最後の方でサリヴァンがマシンガンで人を撃ち殺すシーンがあるのですが、そこに至るまでの演出が素晴らしい。
大雨が降る中、男たちが雨に濡れながら店から出てくる。車に乗り込もうとするも運転手は既に事切れている。
振り返る男たち。その視線の先には誰もおらず、その代わりに鮮やかな光が点滅する。
きらめきが走れば、男たちが撃たれて倒れる。
次々に倒れる中、残された男は雨に打たれながらやってきた男に向かって言う。
「お前でよかった」と。
この一連のシーン、終始無音なのです。
マシンガンの銃声だけ流れるとか、逆に銃声はしないでBGMだけ流れるのではなく、ひたすら無音。
そこで、最後に流れるのが人の肉声っていうのが、凄く印象的なシーンでした。
人を殺す事を「良い」シーンにするのって、中々難しいのですが、これは殺される側の男の心境に立っているようで、何処となく静謐な印象を受けます。
これは父子物の映画なので、二組の親子が対比して描かれますが、それもまたよし。
サリヴァンは息子に初めはどうやって接していいのかわからないのですが、共に逃げて悪事の片棒を担がせていくうちに、互いの心情を吐露したりして、いい親子関係を築いていきます。当人同士の会話ではなく、ただ立ち寄った民家に住む年配の女性に、「それに、あの子は父親を愛してる。知らなかったの?」と言われて、自分の感情を自覚したり、やっていることは強盗の手伝いなのですが、そこに流れ、生まれる感情は愛情っていうのが、凄く真っ直ぐに描かれていて感動できます。
そして、もう一組のルーニー、コナーがまた、ゆがんだ親子愛が顕著で見ていてもどかしい。コナーは典型的な馬鹿息子で、父親の金は横領するわ、すぐに銃をぶっ放すわ、体言はいて人を殺すわで、本当に浅はかの極みなんですが、ルーニーはそれを見捨てられない。アイルランド系は敬虔なキリスト教徒(この辺の宗教事情は複雑すぎて詳しくないので割愛)なので、それも手伝ってか、ルーニーは「お前が生まれた日を呪う」と息子を殴りながらも、すぐに「なんてことをしてしまったんだ。許してくれ」と泣いて詫びる。コナーは偉大な父親に恐れを抱き、反発し、そして同じように泣きじゃくる。この二人の関係には互いに対する打算と依存しかなく、同じようにファミリーの世界で生きていても、サリヴァンの父子関係とは正反対を示します。結局この子に対するルーニーの姿勢が悲劇を招くので、最後もサリヴァンとルーニーの決着で終わります。コナーとサリヴァンではなく。
まず、出演しているのがトム・ハンクスに、ポール・ニューマンに、ジュード・ロウに、ダニエル・クレイグですよ!
配役だけでお腹一杯です。トム・ハンクスはだいぶウェイトをアップしていかにも骨太な父親を好演。
そしてポール・ニューマンの彼が縁起にうっとり。『スティング』の頃も大好きでしたが、今回は本当に老人なので、その年相応のしわにうっとりというか。
あまり触れなかったジュード・ロウは殺し屋役で出演。実に気持ちの悪いいかにもキャラクター的な人物役で出演されていて、どうも物語りにそぐわないというか、浮いている印象がリアルな物語の中で強かったのですが、逆に非現実的な地に足が全く着いていないキャラクターとしての演出だと考えれば、こちらも対比としていいのかなと思うようになりました。そんな異常者の役としては、まあ二枚目要素かけらもなく素敵です。
そして、とんでもバカ息子役にまさかのダニエル・クレイグですよ!(笑)007の骨太ボンドなんてこれっぽっちもなく、本当に頭の先からつま先まで全部ひ弱で下種な男をこれまた好演です。肉体的に弱いのではなく、精神的にもろい男のどうしようもなさが見られて、これも眼福でした。
ラストは賛否両論でしょうが、あれ以外はありえないと思います。別にいい人の話ではなく、それこそ「彼は私の父親でした」というしめの言葉にふさわしいような映画でした。お勧め。
男たちの男らしい世界の話。いわゆるマフィアというか、ファミリーものですね。
久しぶりにいい映画が見られてすっとしました。この前に見たのが『レッドクリフ』で男たちのメロドラマだったのが幸いした(苦笑)のか、非常に面白かったです。
家庭では厳格だがいい父親を演じているサリヴァン。果たしてその仕事とは、自分を救ってくれたマフィアのボス、ルーニーの使いとして殺しを請け負うことだった。
ルーニーはサリヴァンの家族を愛し、親身になって接するが、その反面できの悪い息子であるコナーは自分の期待を裏切る行動ばかりをして、悲劇を招くだけだった。
ある日サリヴァンの息子であるマイケルは、ある日好奇心にかられて父親が仕事として、人を殺す現場を見てしまう。
その息子を始末するべく、コナーは暴走して動き出し、そんな息子を見捨てられないルーニーは、サリヴァン抹殺の命令を殺し屋マグワイヤに依頼するのだった。
マイケルと共に逃避行を続けるサリヴァンの心中は。そして二人は無事にマグワイヤの手から逃れる事ができるのだろうか。
舞台がシカゴですから、まずその辺の灰色の世界が美しいです。
雪は降り積もるほどではないが、降り続き、道は凍るも土の色が見える。
人々は黒く分厚いコートを身にまとい、灰色の帽子を深々とかぶり、マフラーを巻いて背を丸めて歩く。
ロングコートの中からわずかに見えるのは、細く長いマシンガンの銃身。
足音はなく、雨の音もなく、男は静かにかすむ世界の中で「父」を撃ち殺した。
この映画、音楽と映像が物凄くよくて、演出も派手な使われ方をするのではなく、「無音」の使い方が非常に秀逸でした。
まさしく見せ場、最後の方でサリヴァンがマシンガンで人を撃ち殺すシーンがあるのですが、そこに至るまでの演出が素晴らしい。
大雨が降る中、男たちが雨に濡れながら店から出てくる。車に乗り込もうとするも運転手は既に事切れている。
振り返る男たち。その視線の先には誰もおらず、その代わりに鮮やかな光が点滅する。
きらめきが走れば、男たちが撃たれて倒れる。
次々に倒れる中、残された男は雨に打たれながらやってきた男に向かって言う。
「お前でよかった」と。
この一連のシーン、終始無音なのです。
マシンガンの銃声だけ流れるとか、逆に銃声はしないでBGMだけ流れるのではなく、ひたすら無音。
そこで、最後に流れるのが人の肉声っていうのが、凄く印象的なシーンでした。
人を殺す事を「良い」シーンにするのって、中々難しいのですが、これは殺される側の男の心境に立っているようで、何処となく静謐な印象を受けます。
これは父子物の映画なので、二組の親子が対比して描かれますが、それもまたよし。
サリヴァンは息子に初めはどうやって接していいのかわからないのですが、共に逃げて悪事の片棒を担がせていくうちに、互いの心情を吐露したりして、いい親子関係を築いていきます。当人同士の会話ではなく、ただ立ち寄った民家に住む年配の女性に、「それに、あの子は父親を愛してる。知らなかったの?」と言われて、自分の感情を自覚したり、やっていることは強盗の手伝いなのですが、そこに流れ、生まれる感情は愛情っていうのが、凄く真っ直ぐに描かれていて感動できます。
そして、もう一組のルーニー、コナーがまた、ゆがんだ親子愛が顕著で見ていてもどかしい。コナーは典型的な馬鹿息子で、父親の金は横領するわ、すぐに銃をぶっ放すわ、体言はいて人を殺すわで、本当に浅はかの極みなんですが、ルーニーはそれを見捨てられない。アイルランド系は敬虔なキリスト教徒(この辺の宗教事情は複雑すぎて詳しくないので割愛)なので、それも手伝ってか、ルーニーは「お前が生まれた日を呪う」と息子を殴りながらも、すぐに「なんてことをしてしまったんだ。許してくれ」と泣いて詫びる。コナーは偉大な父親に恐れを抱き、反発し、そして同じように泣きじゃくる。この二人の関係には互いに対する打算と依存しかなく、同じようにファミリーの世界で生きていても、サリヴァンの父子関係とは正反対を示します。結局この子に対するルーニーの姿勢が悲劇を招くので、最後もサリヴァンとルーニーの決着で終わります。コナーとサリヴァンではなく。
まず、出演しているのがトム・ハンクスに、ポール・ニューマンに、ジュード・ロウに、ダニエル・クレイグですよ!
配役だけでお腹一杯です。トム・ハンクスはだいぶウェイトをアップしていかにも骨太な父親を好演。
そしてポール・ニューマンの彼が縁起にうっとり。『スティング』の頃も大好きでしたが、今回は本当に老人なので、その年相応のしわにうっとりというか。
あまり触れなかったジュード・ロウは殺し屋役で出演。実に気持ちの悪いいかにもキャラクター的な人物役で出演されていて、どうも物語りにそぐわないというか、浮いている印象がリアルな物語の中で強かったのですが、逆に非現実的な地に足が全く着いていないキャラクターとしての演出だと考えれば、こちらも対比としていいのかなと思うようになりました。そんな異常者の役としては、まあ二枚目要素かけらもなく素敵です。
そして、とんでもバカ息子役にまさかのダニエル・クレイグですよ!(笑)007の骨太ボンドなんてこれっぽっちもなく、本当に頭の先からつま先まで全部ひ弱で下種な男をこれまた好演です。肉体的に弱いのではなく、精神的にもろい男のどうしようもなさが見られて、これも眼福でした。
ラストは賛否両論でしょうが、あれ以外はありえないと思います。別にいい人の話ではなく、それこそ「彼は私の父親でした」というしめの言葉にふさわしいような映画でした。お勧め。
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『武士の家計簿』公式サイト
映画館で鑑賞。水曜日はレディースデーだと息巻いて行ったものの、その映画館は違ってたという体たらく…。
滅多に行かない映画館だと勝手がまるでわからんわ。
話の内容としては、そろばんを極めた勘定方の家に生まれた男の人生なのですが、前半面白い、後半退屈っていうのがわりと顕著な映画でした。
前半は、猪山直之という男の父、母、祖母、妻を含めた家庭の内情、実際に加賀藩の御算用者とは、どのような仕事をして、どのような暮らしぶりをしていたのか、というようなあたりは、非常に楽しめました。
出勤して、並ぶ座卓に運ばれる帳簿。一日中そろばんをはじき、墨をする。
季節のものを食べ、親戚づきあいをし、弁当を広げる。
そんな一家に、明らかになった莫大な借金を返すために、猪山直之は家財道具を売り払い、商人に借金の無利子を願う。質素な生活を送っても、一時の恥も体面もどうでもいい。問題なのはこのまま借金で家がつぶれれば、それこそ武士としての勤めを果たす事ができないではないか。
最初は文句も言っていた家族も、次第にその生活に慣れ、妻は工夫も楽しいと微笑む。
生まれた子供にも同じようにしつけをし、同じ御算用者としてそろばんを教え込む猪山直之。
だが時代は徳川の世の終わりを告げ、そして息子との間に次第に軋轢が生まれていた。
弁当箱も売り払い、竹の皮におむすびと漬物、さつまいもを持ってくる猪山直之の父に、同僚がそっと
「うちに弁当箱のあまりがある。明日、持ってきましょう」
と告げられたりとか、猪山直之の同僚が困りながら
「その…いつもながら猪山直之殿の弁当は…美味そうですな…」
「奥の手作りですから」
という微妙な会話をしたり、言葉の上手さも楽しめます。
猪山直之というより、のんきな父母やけなげな妻、気丈な祖母の個性が非常に際立っていて見ていて楽しいです。
祖母役の草笛光子氏がかくしゃくとしたおばば様を演じていて、かっこいいです。その時代にも「算術本」つまり、今のパズル本と申しましょうか、私は数学のいろは全くわかりませんが、図形の組み合わせとか、証明算を行ったりしているのが、それも異質で良かったです。その時代の女人がやるもんではなかろうしねえ。
いつもたけのこから過去の自慢話に移行してしまう、父親役の中村雅俊もいいですし、母親役でおっとりしておきゃんな松坂慶子も素敵でした。元々松坂慶子さんは好きな女優さんなので、何をやっていても個人的には許せるのですが(笑)
後半ですがまず、貧乏っても困窮して苦しむまで行き着いた家の話ではない、とうこと。
薄給で働いていたにしても、父の代に70石取りの家柄になり、当人も出世して食うや食わずの生活ではないのです。
その上で武家の借金というものが至極当然に行われていた時代の変革期において、それを失くそうと粉骨する男の姿は、確かに異質であり面白いのですが、それが大体前半で終わってしまいます。
で、後半はというと主人公であり倹約家の父親と、語り部である息子の話、つまり家族愛みたいなものとか、しつけとかが主題になってしまい、そうすると人情話にスライドしてしまって、せっかくの「武士らしくない話」があまり生かされていないような気がするんですよね。
生かされていないというより、生かしすぎて、父親である主人公の男に対して、父性を感じたりすることがあまりできなくて、後半の取ってつけたような親子物に感情移入できないというか。
何処の世界に自分の祖父の葬儀に「葬式代の計算をしている」父親を尊敬できる息子がいるのか、という話です。
これが、息子へのしつけだとか、そういうのならまだいいんでしょうが、この主人公である猪山直之って見ているとひたすら「性分」でそろばんを弾くそういう主義の男であって、別に子供をおもんばかっているとか、実父を失った悲しみを普段の仕事をして癒しているとか、そういうのがあまり画面から見て取れないんですよね。
この手の心理描写を上手く描いてくれないと、子供が反発するのも当然だと思ってしまいますし、その後年老いてから息子に背負われて謝罪されても、そらうそ臭い感じがしてしまうのです。
ここで、猪山直之がとことん駄目人間であったら、周囲が「仕方がない人」だなあ、という目線でいわば「ただの個性的な人」で見られるし、実際そうであったのでしょうが、そこにとってつけたような「いい父親像」が浮いているというか。
武士としては異端であり、そろばんの事しか頭にないような変人だった。
しかし、人の親であり家族を助けるために火の車であった家を守るために、質素倹約を旨として実践した。
くらいで終わっていればよかったのに。
後、子供が大人になって父親を見直すとかそういう描写にもかけているので、唐突に息子と父親が仲良くなるというか、打ち解けるラストシーンが一番肩透かしだった感じです。
確かに子供は猪山直之に叩き込まれたそろばんで、身を立てて出世するのですが、逆に父親を尊敬するのであれば、如何に「帳簿が重要なものであり大変な仕事であるか」ということが、身にしみてわかるシーンが絶対に必要だと思うのです。
間接的にせよ、直接的にせよ、息子は例えば自分が失敗する事によって、多大な叱責を受ける事によって、如何に一文の差が大切かどうかわかるような描写とか、そういう息子の仕事描写が非常に乏しいので、そろばんの大切さが後半になるに連れて薄くなってしまったようで残念でした。
何で親子物って言うと、すぐに親を子が背負いたがるのかなあ…。その演出が出たとたんに、ちょっと飽食気味になってしまいました。
変にお涙頂戴の家族物や、親子三代の話などにせずに、変人な男の一生、で終わったほうが視点が散漫にならずによかったのではないかと。語り部の子供が完全に語り部ならまだましだったんでしょうけどね。
まあ、そろばん算要云々以外は、わりと普通の親子物というか、ベタな演出がされたベタな人情物、という感じですね。私は前半のテンションのほうが好みでした。
キャッチコピーの「そろばんで家族を守った侍がいた」というのも、ちょっと映画の内容と違います。実際、猪山が家族をどんな危機からどのように救ったのか、って画面からあんまり伝わってきませんしね。時間経過の描写が鈍いからなのかな~。
原作も購入したので読んでみたいと思います。こちらは完璧にノンフィクションというか史書なので、楽しみです。長方形の文庫本読むの久しぶりだわー。
客の大多数が年長者という中で、女一人きりでの鑑賞になりましたが、携帯のマナーの悪さは年よりも若いのも同じですね。
両サイドで、携帯がなって、ディスプレイを眺められたときは「死ね」と本気で思いました。
EDロールを見ないで立ち去るのは勝手ですし、別に止めませんが、まだこちらはその作品を見ているのであって、その中で携帯開ける奴は死ねばいい。
そしてお前がその携帯を見たところで、一分一秒を争って返事をしなければならない着信やメールなんて、間違いなく届いてねえんだよ!!
こういうマナーの悪い奴がいると、映画館で映画を見る気が本当にうせます。DVDでレンタルして家でイライラしないで見たほうがナンボかいいもんね。
もう映画館に入る、携帯電話預けるくらいの勢いでいいと思うんだ。
映画館で鑑賞。水曜日はレディースデーだと息巻いて行ったものの、その映画館は違ってたという体たらく…。
滅多に行かない映画館だと勝手がまるでわからんわ。
話の内容としては、そろばんを極めた勘定方の家に生まれた男の人生なのですが、前半面白い、後半退屈っていうのがわりと顕著な映画でした。
前半は、猪山直之という男の父、母、祖母、妻を含めた家庭の内情、実際に加賀藩の御算用者とは、どのような仕事をして、どのような暮らしぶりをしていたのか、というようなあたりは、非常に楽しめました。
出勤して、並ぶ座卓に運ばれる帳簿。一日中そろばんをはじき、墨をする。
季節のものを食べ、親戚づきあいをし、弁当を広げる。
そんな一家に、明らかになった莫大な借金を返すために、猪山直之は家財道具を売り払い、商人に借金の無利子を願う。質素な生活を送っても、一時の恥も体面もどうでもいい。問題なのはこのまま借金で家がつぶれれば、それこそ武士としての勤めを果たす事ができないではないか。
最初は文句も言っていた家族も、次第にその生活に慣れ、妻は工夫も楽しいと微笑む。
生まれた子供にも同じようにしつけをし、同じ御算用者としてそろばんを教え込む猪山直之。
だが時代は徳川の世の終わりを告げ、そして息子との間に次第に軋轢が生まれていた。
弁当箱も売り払い、竹の皮におむすびと漬物、さつまいもを持ってくる猪山直之の父に、同僚がそっと
「うちに弁当箱のあまりがある。明日、持ってきましょう」
と告げられたりとか、猪山直之の同僚が困りながら
「その…いつもながら猪山直之殿の弁当は…美味そうですな…」
「奥の手作りですから」
という微妙な会話をしたり、言葉の上手さも楽しめます。
猪山直之というより、のんきな父母やけなげな妻、気丈な祖母の個性が非常に際立っていて見ていて楽しいです。
祖母役の草笛光子氏がかくしゃくとしたおばば様を演じていて、かっこいいです。その時代にも「算術本」つまり、今のパズル本と申しましょうか、私は数学のいろは全くわかりませんが、図形の組み合わせとか、証明算を行ったりしているのが、それも異質で良かったです。その時代の女人がやるもんではなかろうしねえ。
いつもたけのこから過去の自慢話に移行してしまう、父親役の中村雅俊もいいですし、母親役でおっとりしておきゃんな松坂慶子も素敵でした。元々松坂慶子さんは好きな女優さんなので、何をやっていても個人的には許せるのですが(笑)
後半ですがまず、貧乏っても困窮して苦しむまで行き着いた家の話ではない、とうこと。
薄給で働いていたにしても、父の代に70石取りの家柄になり、当人も出世して食うや食わずの生活ではないのです。
その上で武家の借金というものが至極当然に行われていた時代の変革期において、それを失くそうと粉骨する男の姿は、確かに異質であり面白いのですが、それが大体前半で終わってしまいます。
で、後半はというと主人公であり倹約家の父親と、語り部である息子の話、つまり家族愛みたいなものとか、しつけとかが主題になってしまい、そうすると人情話にスライドしてしまって、せっかくの「武士らしくない話」があまり生かされていないような気がするんですよね。
生かされていないというより、生かしすぎて、父親である主人公の男に対して、父性を感じたりすることがあまりできなくて、後半の取ってつけたような親子物に感情移入できないというか。
何処の世界に自分の祖父の葬儀に「葬式代の計算をしている」父親を尊敬できる息子がいるのか、という話です。
これが、息子へのしつけだとか、そういうのならまだいいんでしょうが、この主人公である猪山直之って見ているとひたすら「性分」でそろばんを弾くそういう主義の男であって、別に子供をおもんばかっているとか、実父を失った悲しみを普段の仕事をして癒しているとか、そういうのがあまり画面から見て取れないんですよね。
この手の心理描写を上手く描いてくれないと、子供が反発するのも当然だと思ってしまいますし、その後年老いてから息子に背負われて謝罪されても、そらうそ臭い感じがしてしまうのです。
ここで、猪山直之がとことん駄目人間であったら、周囲が「仕方がない人」だなあ、という目線でいわば「ただの個性的な人」で見られるし、実際そうであったのでしょうが、そこにとってつけたような「いい父親像」が浮いているというか。
武士としては異端であり、そろばんの事しか頭にないような変人だった。
しかし、人の親であり家族を助けるために火の車であった家を守るために、質素倹約を旨として実践した。
くらいで終わっていればよかったのに。
後、子供が大人になって父親を見直すとかそういう描写にもかけているので、唐突に息子と父親が仲良くなるというか、打ち解けるラストシーンが一番肩透かしだった感じです。
確かに子供は猪山直之に叩き込まれたそろばんで、身を立てて出世するのですが、逆に父親を尊敬するのであれば、如何に「帳簿が重要なものであり大変な仕事であるか」ということが、身にしみてわかるシーンが絶対に必要だと思うのです。
間接的にせよ、直接的にせよ、息子は例えば自分が失敗する事によって、多大な叱責を受ける事によって、如何に一文の差が大切かどうかわかるような描写とか、そういう息子の仕事描写が非常に乏しいので、そろばんの大切さが後半になるに連れて薄くなってしまったようで残念でした。
何で親子物って言うと、すぐに親を子が背負いたがるのかなあ…。その演出が出たとたんに、ちょっと飽食気味になってしまいました。
変にお涙頂戴の家族物や、親子三代の話などにせずに、変人な男の一生、で終わったほうが視点が散漫にならずによかったのではないかと。語り部の子供が完全に語り部ならまだましだったんでしょうけどね。
まあ、そろばん算要云々以外は、わりと普通の親子物というか、ベタな演出がされたベタな人情物、という感じですね。私は前半のテンションのほうが好みでした。
キャッチコピーの「そろばんで家族を守った侍がいた」というのも、ちょっと映画の内容と違います。実際、猪山が家族をどんな危機からどのように救ったのか、って画面からあんまり伝わってきませんしね。時間経過の描写が鈍いからなのかな~。
原作も購入したので読んでみたいと思います。こちらは完璧にノンフィクションというか史書なので、楽しみです。長方形の文庫本読むの久しぶりだわー。
客の大多数が年長者という中で、女一人きりでの鑑賞になりましたが、携帯のマナーの悪さは年よりも若いのも同じですね。
両サイドで、携帯がなって、ディスプレイを眺められたときは「死ね」と本気で思いました。
EDロールを見ないで立ち去るのは勝手ですし、別に止めませんが、まだこちらはその作品を見ているのであって、その中で携帯開ける奴は死ねばいい。
そしてお前がその携帯を見たところで、一分一秒を争って返事をしなければならない着信やメールなんて、間違いなく届いてねえんだよ!!
こういうマナーの悪い奴がいると、映画館で映画を見る気が本当にうせます。DVDでレンタルして家でイライラしないで見たほうがナンボかいいもんね。
もう映画館に入る、携帯電話預けるくらいの勢いでいいと思うんだ。
『レッドクリフ Part1』
なんで今更これ? とお思いでしょうが、ディスカスが送ってきているので私の本意ではありません。他にも一杯レンタスリストには可能な作品が登録されているはずなんですが、なんでこれが送られてくるのか…謎。
こういうアクション作品は、映画館で見た方が絶対に面白いとわかっているのですが、長いし金城だしの二要素が足を遠のかせておりまして、やっとレンタルで鑑賞しました。
そうですねえ、長い、金城の二要素は見る前も見た後も変わらなかったし、三国志の映画というよりは、なんつうかお耽美映画でした。男たちの美学映画と申しましょうか、三国関係なく、かっけえ男たちの様式美を楽しむ映画というか。まあそのかっこよさの表現が合わないと正直すんげえ辛いとは思います。
特に、金城演じる孔明なんて、Part1ではただのサギ師かヤマ師です。こいつ、なんっっにもやってません。詭弁で相手を煙に巻いたり、お世辞で相手をいい気持ちにさせてはいますが…。こういう書き方をするとアレですが、本当に男妾みたいというか、自分を取り巻く男たちに愛想を振りまいているのが仕事なのかというか。もう少し、軍師としてかっこよかったなら良かったんですが、この物語の事実上の主役、呉の周瑜が戦える軍師なので、アクションシーンも、策謀のシーンも全部持っていかれて、孔明の立場がない。これで周瑜が何で孔明に友情を感じられるのかわけがわかりません。顔だけいい男を周瑜がはべらせたかったのでしょうか。周囲には美形がいないからな~。奥さんきれいだけど。
この映画のキモであるアクションシーンや、集団の軍馬シーンなどは、非常に楽しめます。ただの個人のアクションだけでなく、集団で一人を引きずりこんでめった刺しにするとか、戦争らしいシーンも満載ですので、アクションだけ抜き出せばまあまあなんでしょうが、これも、結局個人無双は、一番最初に出てくる、趙雲が全部持っていっているので、最初のインパクトになれてしまうと、途中からまあどれも同じように見えます正直。
同じように見得はるアクション映画の『HERO』なんて、アクションシーンしかなかったんですが、それぞれ個性的なシーンが多くて凄く楽しめたのですが、今作に関してはなんつうか、誰のアクションもわりと全部一緒で、それぞれの個性に乏しい印象が強かったです。
その中で、関羽が青龍偃月刀を操って戦う様はやはりインパクトが強くて、この映画が関羽無双と呼ばれるのも頷けます。まあ他に見るもんがない、という意味にも取れるんですが…。
とにかく編集が冗長です。アクションにせよ、物語(というか心理描写)にしても、いくらでも巻くとこあんだろうにと思いながらの二時間オーバーは正直辛すぎます。
ある程度、三国志の知識があるから辛いのか、全くない方が面白いのか、正直判断つきかねるのですがそれにしたって長すぎる。
レンタルDVDの配慮なのか、映画館での字幕でもそうだったのかはわかりませんが、一番最初の出番にのみ字幕がつくのではなく、それからも場面が変わるごとに人物紹介や、土地の説明が出てくれたのは、とっても親切でした。こういう配慮は本当に偉い。ただでさえとっつきづらい世界観なんだから、これくらいやってくれないと。
正直続編はもう見なくてもいいかなーとは思うんですが、関羽無双以外に見るものあるんでしょうか。
Part1だと、戦乱の英雄である曹操の描き方がわりと色ボケじじいで、人心のカケラもないのが、釈然としないので、2では挽回されていると嬉しいんですが…。英雄色を好むったって、ただの色ボケと英雄が女好きだってのは意味が違うだろ!
個人的には、驪姫(架空の人物・曹操の側室)の方が、小喬よりも色っぽくてきれいだと思うけどねえ…。というか、曹操が好みそうな女性のタイプって、イメージ的に絶対に驪姫の方だよなあ。あ、小喬役の方はさすがに絶世の美女設定なので、凄くキレイですよ。でもそのキレイさは、純真無垢の家庭的なきれいさであって、私が想像する曹操の求める女像がちょっとズレている、というだけの話です。
『ペネロピ』
魔女の呪いによって、豚の鼻と耳を持って生まれてきた少女が、運命の相手とめぐり合って、そして呪いを解くという純然たるシンデレラストーリー現代風、ってところでしょうか。
運命の相手と出会って幸せになるのはシンデレラですが、実際呪いを解いたり、幸せになる過程は己の手で掴み取る、っていうのが現代風。
御伽噺風の可愛い話なので、クセなく見られると思います。脇を固める人物描写が妙にリアルで憎めないのがミソ。
ペネロピを使ってスクープを得たい記者、ペネロピを化け物扱いする同じ一族の青年。どちらも悪い人ではなく、こずるさが先にたつので、見ていて嫌な気持ちにはなりません。
むしろ、ペネロピを閉じ込めて呪い開放のために躍起になる母親の方が、ナンボか怖いんですが…。善意や親心の怖さっていうんですか。最終的にはある種の報いを彼女も受ける事になるので、まあ、帳尻はあってるんですけども。
しかし、設定の豚の鼻を持つ女の子、っていうの、正直ペネロピ役のクリスティーナ・リッチが素で可愛すぎるので、豚の鼻がついているからってそれがなんだよと思ってしまいました(苦笑)。
だって鼻さえ隠していれば絶世の美女だし、性格が陰鬱なわけでもないから、鼻出てたって普通に可愛いんだもん。
まあ彼女が外に出て行くきっかけになった男性も、それぞれが影響されて自立していくっていう、本当にストレートな恋愛話でした。人間見た目じゃない、とかそういう話でもありません。各々の自立の話。
ヒロインのクリスティーナ・リッチが可愛いのは勿論ですが、相手役のジェームズ・マカヴォイも退廃的な美形でよかったです。『ウォンテッド』の時は本当に冴えない青年でかっこよさ何処にもなかったのになあ…(失礼)。地味に、お父さんとか執事とか、新聞記者とか脇を固める俳優さんが個性派ぞろいなので、役者陣は非常に見ごたえがあります。
OPクレジット、EDクレジットも御伽噺のようにかわいらしく、設定も含めてアニメ的な要素も強く万人受けしやすいんじゃないかな、と思います。
主人公の衣装も可愛かったなあ。Aラインっぽい明るい色のコートに、柄のマフラーとかあれ、そうそう着こなせないだろうけどね…。
なんで今更これ? とお思いでしょうが、ディスカスが送ってきているので私の本意ではありません。他にも一杯レンタスリストには可能な作品が登録されているはずなんですが、なんでこれが送られてくるのか…謎。
こういうアクション作品は、映画館で見た方が絶対に面白いとわかっているのですが、長いし金城だしの二要素が足を遠のかせておりまして、やっとレンタルで鑑賞しました。
そうですねえ、長い、金城の二要素は見る前も見た後も変わらなかったし、三国志の映画というよりは、なんつうかお耽美映画でした。男たちの美学映画と申しましょうか、三国関係なく、かっけえ男たちの様式美を楽しむ映画というか。まあそのかっこよさの表現が合わないと正直すんげえ辛いとは思います。
特に、金城演じる孔明なんて、Part1ではただのサギ師かヤマ師です。こいつ、なんっっにもやってません。詭弁で相手を煙に巻いたり、お世辞で相手をいい気持ちにさせてはいますが…。こういう書き方をするとアレですが、本当に男妾みたいというか、自分を取り巻く男たちに愛想を振りまいているのが仕事なのかというか。もう少し、軍師としてかっこよかったなら良かったんですが、この物語の事実上の主役、呉の周瑜が戦える軍師なので、アクションシーンも、策謀のシーンも全部持っていかれて、孔明の立場がない。これで周瑜が何で孔明に友情を感じられるのかわけがわかりません。顔だけいい男を周瑜がはべらせたかったのでしょうか。周囲には美形がいないからな~。奥さんきれいだけど。
この映画のキモであるアクションシーンや、集団の軍馬シーンなどは、非常に楽しめます。ただの個人のアクションだけでなく、集団で一人を引きずりこんでめった刺しにするとか、戦争らしいシーンも満載ですので、アクションだけ抜き出せばまあまあなんでしょうが、これも、結局個人無双は、一番最初に出てくる、趙雲が全部持っていっているので、最初のインパクトになれてしまうと、途中からまあどれも同じように見えます正直。
同じように見得はるアクション映画の『HERO』なんて、アクションシーンしかなかったんですが、それぞれ個性的なシーンが多くて凄く楽しめたのですが、今作に関してはなんつうか、誰のアクションもわりと全部一緒で、それぞれの個性に乏しい印象が強かったです。
その中で、関羽が青龍偃月刀を操って戦う様はやはりインパクトが強くて、この映画が関羽無双と呼ばれるのも頷けます。まあ他に見るもんがない、という意味にも取れるんですが…。
とにかく編集が冗長です。アクションにせよ、物語(というか心理描写)にしても、いくらでも巻くとこあんだろうにと思いながらの二時間オーバーは正直辛すぎます。
ある程度、三国志の知識があるから辛いのか、全くない方が面白いのか、正直判断つきかねるのですがそれにしたって長すぎる。
レンタルDVDの配慮なのか、映画館での字幕でもそうだったのかはわかりませんが、一番最初の出番にのみ字幕がつくのではなく、それからも場面が変わるごとに人物紹介や、土地の説明が出てくれたのは、とっても親切でした。こういう配慮は本当に偉い。ただでさえとっつきづらい世界観なんだから、これくらいやってくれないと。
正直続編はもう見なくてもいいかなーとは思うんですが、関羽無双以外に見るものあるんでしょうか。
Part1だと、戦乱の英雄である曹操の描き方がわりと色ボケじじいで、人心のカケラもないのが、釈然としないので、2では挽回されていると嬉しいんですが…。英雄色を好むったって、ただの色ボケと英雄が女好きだってのは意味が違うだろ!
個人的には、驪姫(架空の人物・曹操の側室)の方が、小喬よりも色っぽくてきれいだと思うけどねえ…。というか、曹操が好みそうな女性のタイプって、イメージ的に絶対に驪姫の方だよなあ。あ、小喬役の方はさすがに絶世の美女設定なので、凄くキレイですよ。でもそのキレイさは、純真無垢の家庭的なきれいさであって、私が想像する曹操の求める女像がちょっとズレている、というだけの話です。
『ペネロピ』
魔女の呪いによって、豚の鼻と耳を持って生まれてきた少女が、運命の相手とめぐり合って、そして呪いを解くという純然たるシンデレラストーリー現代風、ってところでしょうか。
運命の相手と出会って幸せになるのはシンデレラですが、実際呪いを解いたり、幸せになる過程は己の手で掴み取る、っていうのが現代風。
御伽噺風の可愛い話なので、クセなく見られると思います。脇を固める人物描写が妙にリアルで憎めないのがミソ。
ペネロピを使ってスクープを得たい記者、ペネロピを化け物扱いする同じ一族の青年。どちらも悪い人ではなく、こずるさが先にたつので、見ていて嫌な気持ちにはなりません。
むしろ、ペネロピを閉じ込めて呪い開放のために躍起になる母親の方が、ナンボか怖いんですが…。善意や親心の怖さっていうんですか。最終的にはある種の報いを彼女も受ける事になるので、まあ、帳尻はあってるんですけども。
しかし、設定の豚の鼻を持つ女の子、っていうの、正直ペネロピ役のクリスティーナ・リッチが素で可愛すぎるので、豚の鼻がついているからってそれがなんだよと思ってしまいました(苦笑)。
だって鼻さえ隠していれば絶世の美女だし、性格が陰鬱なわけでもないから、鼻出てたって普通に可愛いんだもん。
まあ彼女が外に出て行くきっかけになった男性も、それぞれが影響されて自立していくっていう、本当にストレートな恋愛話でした。人間見た目じゃない、とかそういう話でもありません。各々の自立の話。
ヒロインのクリスティーナ・リッチが可愛いのは勿論ですが、相手役のジェームズ・マカヴォイも退廃的な美形でよかったです。『ウォンテッド』の時は本当に冴えない青年でかっこよさ何処にもなかったのになあ…(失礼)。地味に、お父さんとか執事とか、新聞記者とか脇を固める俳優さんが個性派ぞろいなので、役者陣は非常に見ごたえがあります。
OPクレジット、EDクレジットも御伽噺のようにかわいらしく、設定も含めてアニメ的な要素も強く万人受けしやすいんじゃないかな、と思います。
主人公の衣装も可愛かったなあ。Aラインっぽい明るい色のコートに、柄のマフラーとかあれ、そうそう着こなせないだろうけどね…。
同僚「あ、髪の毛伸びたのね。それくらいがいいわよ! 以前短く切ってきた時どうなるかと思ったけどそれくらいでちょうどいいのよ!」
悪気はないんだと思うんですけど心底余計なお世話だと思いました。短い髪の毛が好きな井原です。洗うの楽だしね。
というわけで美容院をねじ込んできました。
カラーをちょっと黄色から赤に変更したんですが、元々色味を強くしていないので自分でもよくわかりません。
まあもとの髪の毛は真っ黒だから、それに比べたら染まってるんでしょうが…。
最近は地毛よりも、時折姿を見せる白髪の生きが良くて困ってしまいます。あいつはいつもどんな時でも生き生きしすぎている…。
毛だけは年取っても元気さにかげりがないような気がしますねえ。他の要素、体力とか肌とかは確実に老いているというのに、一番どうにかなっても惜しくはない、むしろどうにかなって欲しい毛部分がいつまでたっても居座っていて困りものです。髪の毛もそうですが、体毛(笑)はもう死滅してもいいレベルだよ…。女に生まれてこれほど面倒な事はこの世にないよ…。
私の一年には色恋のこの字もありませんでしたが、私の勤め先では色恋ばかりの一年だったようです。
元々興味がないので、情報を知った時には既に完結しているという状態が多かったんですが、聞くだに凄すぎて昼メロも真っ青です。
付き合う→ラブラブ→男が他の女と付き合う→三角関係になる→一人目の彼女と別れる→その後一ヶ月で結婚し五千万の家を買う→一人目の彼女にも既に新しい男がいる→要するに二人ともそれぞれ二股かけてたとか、この辺は序の口。
半年同棲→籍入れて二ヶ月で別れたカップルは、ここ数ヶ月の話題独占でした。結婚式キャンセルってそんなんありえるんだなあ、と人事ながら後始末が大変だなあと思っていたのですが、その男と二月の人事異動から一緒に働かなきゃいけない私はどうしたらいいのでしょうか。また胃に穴が開きそうです。
元々この男、仕事をサボるので有名で、私も一緒に働いていた時あからさまに駄目な奴だなと正直思っていたので、結婚を知ったときにはあいつを選ぶ女性ってダメ男が好みなのかと見も蓋もない感想を抱いたのですが、その前もまあ凄くて。
普通社内恋愛って、バレないようにするとか、バレたら違う部署に異動させてもらうとか、要するに社会人として会社で働く上で迷惑にならない配慮っていうのをすると思うんですよね。別に一緒だって誰にも迷惑かけなきゃいいんですが、このカップル上司に、「離れたくないので一緒の部署から異動させないでください」ってわざわざ陳情したというトンデモっぷりを見せ付けてくれたんですよ(私その場にいた…)。
その後も仕事中に普通にイチャイチャするわ、電話しあうわ、挙句の果ては「私たちのことは会社の皆が応援してくれているからいいんです」という爆弾発言をぶちかます始末。ちなみに何がどういいのか誰か私に教えてください。
第三者の恋愛沙汰に関して一切興味がない、というか職場の誰と誰が付き合っていようが知ったことではないっていうスタンスの私からしても、やっぱり流石に応援できる立場にはなれなかったですね。だって現実的に迷惑かけてんだもん普通に。
それでまあすったもんだして、同棲を始めたはいいものの、そこから始まる男の暴力と女の借金。
しかもその仲裁に職場の人を借り出したりとか、どんだけお前ら非常識なのかと。
女の仲裁に引っ張り出されたのが、わりと親しくお付き合いさせていただいている人(女性)だったので、その人の憔悴っぷりたるや気の毒になるくらいでした。真夜中に「殺される」の電話で呼び出されてその都度車で迎えに行く、ってもうね、それは友人とか超えてるレベルだろ…。
で、結局離婚に至るまでも親が出てきて、その親が直接職場に電話してきたり、職場に押しかけてきたり。
ちょっと待ちなさいよ、大体お前らの結婚と職場には一切のつながりはないだろう!
最終的には離婚して女が子会社に異動になったのですが、それだってシフトからいきなり消えるわけですから、現場としては大迷惑なわけですよ。しかも、男と勤務がかぶらないようにとか配慮までしてもらって…。個人的にはそこまで配慮しちゃう職場も正直どうかと思いますけども。切り捨てろそんな奴ら。
特に女性は数少ない事務員だったので、補充どうするつもりなんだろうなあ。新しく求人かけるのかなあ。
で、男はってーと「俺はこの職場でお世話になりますから」とぬけぬけと言った挙句に、「大体婚姻届を書いたのは自分の意思じゃないし」というもんのすごい言い訳をした上、異動が決まって、「また移動先の会社で可愛い子探すんだ」と今からウキウキのご様子。
女は女で「嫌いで別れたわけじゃないからヨリを戻す事もあるかも」と去っていく始末。
もうね、天中殺ですよ私の来年度が。
これで私と同年代の三十過ぎだってんだからびっくりです。
こんなアホどもに振り回され(私はまだ初期段階で部署が変わったので、それほど関わりがなかった)疲労した同僚たちが、本当に気の毒です。
逆に私が男だったら、異動してきた男に「クソ野郎」とか言えたんだろうになあ。
普段この手の話題は全くアップしない私ですら、思わず吐き出してしまうほどの数ヶ月でした。これでも随分はしょってます。
恋愛をするのは勝手だが、プライベートで仕事場の人間を振り回すな! 迷惑だ! いい年した連中の結婚に親がくちばし挟むな!
悪気はないんだと思うんですけど心底余計なお世話だと思いました。短い髪の毛が好きな井原です。洗うの楽だしね。
というわけで美容院をねじ込んできました。
カラーをちょっと黄色から赤に変更したんですが、元々色味を強くしていないので自分でもよくわかりません。
まあもとの髪の毛は真っ黒だから、それに比べたら染まってるんでしょうが…。
最近は地毛よりも、時折姿を見せる白髪の生きが良くて困ってしまいます。あいつはいつもどんな時でも生き生きしすぎている…。
毛だけは年取っても元気さにかげりがないような気がしますねえ。他の要素、体力とか肌とかは確実に老いているというのに、一番どうにかなっても惜しくはない、むしろどうにかなって欲しい毛部分がいつまでたっても居座っていて困りものです。髪の毛もそうですが、体毛(笑)はもう死滅してもいいレベルだよ…。女に生まれてこれほど面倒な事はこの世にないよ…。
私の一年には色恋のこの字もありませんでしたが、私の勤め先では色恋ばかりの一年だったようです。
元々興味がないので、情報を知った時には既に完結しているという状態が多かったんですが、聞くだに凄すぎて昼メロも真っ青です。
付き合う→ラブラブ→男が他の女と付き合う→三角関係になる→一人目の彼女と別れる→その後一ヶ月で結婚し五千万の家を買う→一人目の彼女にも既に新しい男がいる→要するに二人ともそれぞれ二股かけてたとか、この辺は序の口。
半年同棲→籍入れて二ヶ月で別れたカップルは、ここ数ヶ月の話題独占でした。結婚式キャンセルってそんなんありえるんだなあ、と人事ながら後始末が大変だなあと思っていたのですが、その男と二月の人事異動から一緒に働かなきゃいけない私はどうしたらいいのでしょうか。また胃に穴が開きそうです。
元々この男、仕事をサボるので有名で、私も一緒に働いていた時あからさまに駄目な奴だなと正直思っていたので、結婚を知ったときにはあいつを選ぶ女性ってダメ男が好みなのかと見も蓋もない感想を抱いたのですが、その前もまあ凄くて。
普通社内恋愛って、バレないようにするとか、バレたら違う部署に異動させてもらうとか、要するに社会人として会社で働く上で迷惑にならない配慮っていうのをすると思うんですよね。別に一緒だって誰にも迷惑かけなきゃいいんですが、このカップル上司に、「離れたくないので一緒の部署から異動させないでください」ってわざわざ陳情したというトンデモっぷりを見せ付けてくれたんですよ(私その場にいた…)。
その後も仕事中に普通にイチャイチャするわ、電話しあうわ、挙句の果ては「私たちのことは会社の皆が応援してくれているからいいんです」という爆弾発言をぶちかます始末。ちなみに何がどういいのか誰か私に教えてください。
第三者の恋愛沙汰に関して一切興味がない、というか職場の誰と誰が付き合っていようが知ったことではないっていうスタンスの私からしても、やっぱり流石に応援できる立場にはなれなかったですね。だって現実的に迷惑かけてんだもん普通に。
それでまあすったもんだして、同棲を始めたはいいものの、そこから始まる男の暴力と女の借金。
しかもその仲裁に職場の人を借り出したりとか、どんだけお前ら非常識なのかと。
女の仲裁に引っ張り出されたのが、わりと親しくお付き合いさせていただいている人(女性)だったので、その人の憔悴っぷりたるや気の毒になるくらいでした。真夜中に「殺される」の電話で呼び出されてその都度車で迎えに行く、ってもうね、それは友人とか超えてるレベルだろ…。
で、結局離婚に至るまでも親が出てきて、その親が直接職場に電話してきたり、職場に押しかけてきたり。
ちょっと待ちなさいよ、大体お前らの結婚と職場には一切のつながりはないだろう!
最終的には離婚して女が子会社に異動になったのですが、それだってシフトからいきなり消えるわけですから、現場としては大迷惑なわけですよ。しかも、男と勤務がかぶらないようにとか配慮までしてもらって…。個人的にはそこまで配慮しちゃう職場も正直どうかと思いますけども。切り捨てろそんな奴ら。
特に女性は数少ない事務員だったので、補充どうするつもりなんだろうなあ。新しく求人かけるのかなあ。
で、男はってーと「俺はこの職場でお世話になりますから」とぬけぬけと言った挙句に、「大体婚姻届を書いたのは自分の意思じゃないし」というもんのすごい言い訳をした上、異動が決まって、「また移動先の会社で可愛い子探すんだ」と今からウキウキのご様子。
女は女で「嫌いで別れたわけじゃないからヨリを戻す事もあるかも」と去っていく始末。
もうね、天中殺ですよ私の来年度が。
これで私と同年代の三十過ぎだってんだからびっくりです。
こんなアホどもに振り回され(私はまだ初期段階で部署が変わったので、それほど関わりがなかった)疲労した同僚たちが、本当に気の毒です。
逆に私が男だったら、異動してきた男に「クソ野郎」とか言えたんだろうになあ。
普段この手の話題は全くアップしない私ですら、思わず吐き出してしまうほどの数ヶ月でした。これでも随分はしょってます。
恋愛をするのは勝手だが、プライベートで仕事場の人間を振り回すな! 迷惑だ! いい年した連中の結婚に親がくちばし挟むな!