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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『武士の家計簿』公式サイト

映画館で鑑賞。水曜日はレディースデーだと息巻いて行ったものの、その映画館は違ってたという体たらく…。
滅多に行かない映画館だと勝手がまるでわからんわ。
話の内容としては、そろばんを極めた勘定方の家に生まれた男の人生なのですが、前半面白い、後半退屈っていうのがわりと顕著な映画でした。

前半は、猪山直之という男の父、母、祖母、妻を含めた家庭の内情、実際に加賀藩の御算用者とは、どのような仕事をして、どのような暮らしぶりをしていたのか、というようなあたりは、非常に楽しめました。
出勤して、並ぶ座卓に運ばれる帳簿。一日中そろばんをはじき、墨をする。
季節のものを食べ、親戚づきあいをし、弁当を広げる。
そんな一家に、明らかになった莫大な借金を返すために、猪山直之は家財道具を売り払い、商人に借金の無利子を願う。質素な生活を送っても、一時の恥も体面もどうでもいい。問題なのはこのまま借金で家がつぶれれば、それこそ武士としての勤めを果たす事ができないではないか。
最初は文句も言っていた家族も、次第にその生活に慣れ、妻は工夫も楽しいと微笑む。
生まれた子供にも同じようにしつけをし、同じ御算用者としてそろばんを教え込む猪山直之。
だが時代は徳川の世の終わりを告げ、そして息子との間に次第に軋轢が生まれていた。


弁当箱も売り払い、竹の皮におむすびと漬物、さつまいもを持ってくる猪山直之の父に、同僚がそっと
「うちに弁当箱のあまりがある。明日、持ってきましょう」
と告げられたりとか、猪山直之の同僚が困りながら
「その…いつもながら猪山直之殿の弁当は…美味そうですな…」
「奥の手作りですから」
という微妙な会話をしたり、言葉の上手さも楽しめます。

猪山直之というより、のんきな父母やけなげな妻、気丈な祖母の個性が非常に際立っていて見ていて楽しいです。
祖母役の草笛光子氏がかくしゃくとしたおばば様を演じていて、かっこいいです。その時代にも「算術本」つまり、今のパズル本と申しましょうか、私は数学のいろは全くわかりませんが、図形の組み合わせとか、証明算を行ったりしているのが、それも異質で良かったです。その時代の女人がやるもんではなかろうしねえ。

いつもたけのこから過去の自慢話に移行してしまう、父親役の中村雅俊もいいですし、母親役でおっとりしておきゃんな松坂慶子も素敵でした。元々松坂慶子さんは好きな女優さんなので、何をやっていても個人的には許せるのですが(笑)


後半ですがまず、貧乏っても困窮して苦しむまで行き着いた家の話ではない、とうこと。
薄給で働いていたにしても、父の代に70石取りの家柄になり、当人も出世して食うや食わずの生活ではないのです。
その上で武家の借金というものが至極当然に行われていた時代の変革期において、それを失くそうと粉骨する男の姿は、確かに異質であり面白いのですが、それが大体前半で終わってしまいます。

で、後半はというと主人公であり倹約家の父親と、語り部である息子の話、つまり家族愛みたいなものとか、しつけとかが主題になってしまい、そうすると人情話にスライドしてしまって、せっかくの「武士らしくない話」があまり生かされていないような気がするんですよね。
生かされていないというより、生かしすぎて、父親である主人公の男に対して、父性を感じたりすることがあまりできなくて、後半の取ってつけたような親子物に感情移入できないというか。

何処の世界に自分の祖父の葬儀に「葬式代の計算をしている」父親を尊敬できる息子がいるのか、という話です。
これが、息子へのしつけだとか、そういうのならまだいいんでしょうが、この主人公である猪山直之って見ているとひたすら「性分」でそろばんを弾くそういう主義の男であって、別に子供をおもんばかっているとか、実父を失った悲しみを普段の仕事をして癒しているとか、そういうのがあまり画面から見て取れないんですよね。

この手の心理描写を上手く描いてくれないと、子供が反発するのも当然だと思ってしまいますし、その後年老いてから息子に背負われて謝罪されても、そらうそ臭い感じがしてしまうのです。
ここで、猪山直之がとことん駄目人間であったら、周囲が「仕方がない人」だなあ、という目線でいわば「ただの個性的な人」で見られるし、実際そうであったのでしょうが、そこにとってつけたような「いい父親像」が浮いているというか。

武士としては異端であり、そろばんの事しか頭にないような変人だった。
しかし、人の親であり家族を助けるために火の車であった家を守るために、質素倹約を旨として実践した。
くらいで終わっていればよかったのに。
後、子供が大人になって父親を見直すとかそういう描写にもかけているので、唐突に息子と父親が仲良くなるというか、打ち解けるラストシーンが一番肩透かしだった感じです。
確かに子供は猪山直之に叩き込まれたそろばんで、身を立てて出世するのですが、逆に父親を尊敬するのであれば、如何に「帳簿が重要なものであり大変な仕事であるか」ということが、身にしみてわかるシーンが絶対に必要だと思うのです。
間接的にせよ、直接的にせよ、息子は例えば自分が失敗する事によって、多大な叱責を受ける事によって、如何に一文の差が大切かどうかわかるような描写とか、そういう息子の仕事描写が非常に乏しいので、そろばんの大切さが後半になるに連れて薄くなってしまったようで残念でした。
何で親子物って言うと、すぐに親を子が背負いたがるのかなあ…。その演出が出たとたんに、ちょっと飽食気味になってしまいました。
変にお涙頂戴の家族物や、親子三代の話などにせずに、変人な男の一生、で終わったほうが視点が散漫にならずによかったのではないかと。語り部の子供が完全に語り部ならまだましだったんでしょうけどね。
まあ、そろばん算要云々以外は、わりと普通の親子物というか、ベタな演出がされたベタな人情物、という感じですね。私は前半のテンションのほうが好みでした。
キャッチコピーの「そろばんで家族を守った侍がいた」というのも、ちょっと映画の内容と違います。実際、猪山が家族をどんな危機からどのように救ったのか、って画面からあんまり伝わってきませんしね。時間経過の描写が鈍いからなのかな~。


原作も購入したので読んでみたいと思います。こちらは完璧にノンフィクションというか史書なので、楽しみです。長方形の文庫本読むの久しぶりだわー。


客の大多数が年長者という中で、女一人きりでの鑑賞になりましたが、携帯のマナーの悪さは年よりも若いのも同じですね。
両サイドで、携帯がなって、ディスプレイを眺められたときは「死ね」と本気で思いました。
EDロールを見ないで立ち去るのは勝手ですし、別に止めませんが、まだこちらはその作品を見ているのであって、その中で携帯開ける奴は死ねばいい。
そしてお前がその携帯を見たところで、一分一秒を争って返事をしなければならない着信やメールなんて、間違いなく届いてねえんだよ!!
こういうマナーの悪い奴がいると、映画館で映画を見る気が本当にうせます。DVDでレンタルして家でイライラしないで見たほうがナンボかいいもんね。
もう映画館に入る、携帯電話預けるくらいの勢いでいいと思うんだ。
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