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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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『銀魂アニメ』
残りわずかというところで、海坊主ネタをやってくれる心意気に惚れる!
神楽ちゃんはあんな男前なお父さんがいて幸せですね(本気)
ああ、私も近藤サンタに来てもらいたいなあ!


『THIS IS IT』ブルーレイ鑑賞
特典映像が楽しすぎました。
衣装デザインの話とか、説明してくれるお兄さんが凄く丁寧で、わかりやすく話してくれたのが意外でした。ああいう芸術家の人って、その人の領域だけで生きているような印象が強くて、他人に説明ベタみたいな印象があったのですが、こう衣装の何たるかも知らないような素人(私)にもわかりやすくて、驚きました。
でもまあ、プレゼンとかあるんだから、ある程度話術も必要に決まってるか。

ダンサーのシーンとかもう、
「MJの身長が178センチだから、女性は170センチくらいの身長がいいわね。ヒールをはくから」
とか、さらっと言われていましたが、は、八センチヒールで踊るのかよ!?
私なら普通に歩けないレベルですが。というか、はいたことねえ、八センチヒールなんて。

あれだけニコニコして、嬉しさしかにじみ出ていない彼らが、実際に晴れの舞台にあがることができなかったのかと思うと、それだけで泣きそうになります。
天才っていうのはやはり生きて、そして素晴らしいものたちに囲まれて、素晴らしいものを見せて欲しいと思うんだ。

お国柄の問題なのでしょうが、誰も彼もがコメントから自信が満ち溢れていて、それもカッコイイですね。
女性ダンサーの方も「最初は受かる自信がなかったから応募しようか迷ってたの。でも、(選ばれたから)彼(マイケル)の選択は正しかったとと思うわ」とか、こんの自信!

これは、自分自身の自信だけではなく、そんな自分を雇った側の質の高さも同時にアピールできているわけですね。
最高のステージを作り出そうとする側がへりくだる必要なんかない。
自分は素晴らしい。だから、自分を選んだ側も勿論素晴らしい。
素晴らしい人たちが集まったのだから、そこで作られるものは最高に決まっている。
この、相乗効果でカッコイイコメントは、もう見ていてあっぱれでしたね。

後、失敗に対するコメントも前向きでよかったです。
超一流のダンサーたちも勿論失敗もするし、緊張もする。
それに対して、オーディションを開催する側が「緊張もするだろう。だが、この場を楽しめばいい。君たちは選りすぐりの超一流のダンサーだ」とか、鼓舞の仕方まで一流だぜ!

そして実際のダンサーたちも、「失敗することもある。MJを見ると自信をなくすこともある。けれど、そのなくした部分に気づけば今よりもっと高みを目指すことができるんだ」という男前発言がもうカッコよすぎて。

ある種の都市伝説なのか知りませんが、小学校とかで順位をつけるなとかありますが、本当にこの人たちの映像を見せてやればいい。
失敗を恐れるのではなく、失敗から何を学べるかが問題なのであって、それは個人の能力に左右されるものであり、周囲がとやかく言うものでもない。
そしてその能力は、失敗を積み重ねなければ得られないものであるのは明白であって、そこには何一つ無駄になるものはないのだよ。
大体、
「お母さん今日からあげが食べたい」
「今日はアジの開きだからだめ」
っていうのだって、ある意味子供にとって敗北であって、それ一つとったって、
「そうか、昨日お父さんがアジの干物をお土産に買ってきてくれたから」とか「油ものが続くとおなかの調子が悪くなるから」とか「今日はおばあちゃんの誕生日で、おばあちゃんあじの開きが好物だから」とか、バックボーン一つとったって、学べることは山ほどあるわけですよ。

結局、勝ちにしろ負けにしろ、そっから得るものっていうのは絶対にあって、それを生かすも殺すも自分次第っていう、当たり前の結論に落ち着くのですが。
まあ、私くらいの年齢になっちゃうと負けなんてないほうがいい(苦笑)し、そこから学ぶものも学ぶ気力もなくなっちゃう、というのが本音なのですが、だからこそ若いうちに経験しておかなきゃねえ。

私の目から見ると、あれだけダンスの上手い超一流の人たちですら、失敗もあるし、常に高みを目指している。
逆に常に目指すものに向かって向上していこうとするから、超一流なのだなあ、としみじみ思いました。
実際は叶わなかったステージですが、この舞台裏を見ちゃうと、本当に残念でならないし、ダフ屋で十万で売られてたとしても、チケット買っちゃうなと思ったのでした。


娚の一生 一巻
うーん、ちょっと想像していたものと違ったなあ、という話。

触れ込みでは、「五十代の祖母の愛人だった大学教授と三十路半ばをすぎた孫娘との恋愛事情」ってなもんで、こちらとしては年の差恋愛、特にもう「お互いに完全に若くない」同士の物語なのかと思いきや、全然違いまして。

まず、主人公の孫娘が三十路半ばには断じて見えない!
少女漫画漫画(フラワーコミックス)だとしてもあまりに年齢を感じさせない姿で、しかも美人設定。
突然二十歳の男子にチューされたりとか、こう、ありえない三十路設定に少女漫画の匂いが漂いすぎました。
その上で、女同士の友情とかが入ってくるのが逆に空々しいというか。

当然相手の男もまあなんつうか少女漫画が書く中年男性というか。
影響を受けているかどうかしらんが、「リストランテパラディーソ」のあのメインのおっさんみたいでした。

で、絵柄だけならまだいいのですが、問題が大学教授の中身が全く初老ではないことなんだな。
関西弁だかなんだかでしゃべっているのだけでも個人的にはあざとくて(わざわざ初老を選んだのに何故違う部分で色を出そうとするのか)どうかなあと思うのに、結局やることなすこと言うこと全部が、理想の男子っていうそれだけで、そいつに、初老の男の魅力がかけらもないというか。

「好きだから結婚したい」とのたまい、当然仕事も出来るし、土砂降りの中「君は自分を大事にしなさすぎや。腹立つ」といってなくした彼女のネックレスを探しに行く(そして当然見つけて帰ってくるわけで…)

トドメめは、結婚は無理だと泣く孫娘に、「今ここにいるのは海江田(そういう名前なのです)じゃなくお節介なおっさんだから胸を貸そう」とか言って、老眼鏡外して自分で髪の毛かき揚げてオールバックにして「ほら別人」ですからねえ。

これのどこに初老要素があるかと。
これはただの理想の男子願望であって、わざわざくたびれた年代を選んで書く話だろうかというか。

少女漫画とか恋愛漫画は、結局理想の野郎像を書いた話だと思うので、別にそれはいいんだけど、だったら普通に高校生とか二十代でやればいいのになあと思ったのでした。
普通に高校生と、社会人の男の恋愛とかだったら、普通に読めたと思うんですが。
ただ、これは私の勘違いというか、読む前の思い込みのせいであって、巻末にも男の個性云々ではなく、女性のタイプが書かれていたので、女性中心の恋愛漫画だと素直に読めばいいのではないかと。


私の想像する初老像が、例えばネックレスのシチュエーションだったら、探しに行ったんだけど、見あたらないわ、転んで老眼鏡割るわ、雨に濡れて風邪引いて却って迷惑になったとか、へたれ初老すぎたのが原因だったのかもしれませんな。
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