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日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
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結局レコーダーは死んだり死に掛けたりを繰り返しております。
時間おけば動いたり。かと思えば連続で再生できたり…。
もう、こうやってだましだまし使うしかないのでしょうか。
実際新しいの買ったほうが、精神のためにはよさそうです。


『鴉東京鬼祓師 鴉乃杜學園奇譚』

それなりにネタバレしてますので、要注意で。




最終話が近づくほど、主要人物に感情移入できません。困る。
鬼丸っていう自称盗賊の奴なんか、序盤で出てきてこいつだけでどこまで引っ張るのかと思いましたよ。
お前がバカなのは勝手だけど、こっちを巻き込むなよ、っつーか。
何でお前の迷惑千万な行いに付き合って、「やるな」「お前もな」みたいな戦いに、自分の命はあとわずかっていうのを知らされた状態でやらなきゃなんないのか理解に苦しみます。全く必然性のない戦いが多すぎる。
てめえの命が危ないっていうのに、何で子供のけんかなんか付き合わなきゃいけないんだよ! ふざけんなよ!

物語終盤で、主人公の命を利用して花札を封印する(今回はそれが仕事です)という話になるんですが、これ、結果として死ぬかもしれないって言う匂わせ方ならいいんですけど、無個性しゃべれない主人公であるのなら、その事実を衝撃として感じるためには、絶対的に周囲のリアクションが必要なわけですよ。だって自分で「そんな!」とか「俺は犠牲になるぜ!」とか、そういうの発露できないわけですから。
でもその周囲のリアクションが徹底的に弱い。
その事実がわかって一番最初にやることって、結局今までと同じ花札の封印で、厨二病みたいな大人を止めに行く羽目になるんですが、そんなことしている場合じゃない(気持ち的に)のに、周囲はそっちに気分ノリノリだし。だから、その花札を封印すれば主人公の死が近づくって状態で、どうしてお前らそんなに「そんときできることをしよう」とか言えちゃうんだよ。

で、次の日に仮にも他のキャラクターのクリスマスフラグをへし折るポジション(つまりはヒロイン)にいる女が、「いろいろなことがわかったからこそ落ち着いていられる。今楽しめることを楽しもう」とか、平気で言っちゃう脳みそどうにかなりませんか。
それ、自分で自分のこと言うならいいですよ。だけど、死ぬのは主人公でお前じゃねえ!
無実の罪で無理やり収監されて、挙句の果てに死刑にされるのを待つ人間の前で「残り少ない人生楽しめ」って言ってるようなもんですよ。ありえないこいつのリアクション。
それならまだ「貴方の冤罪を暴いてみせる」(助かる方法を必死で探す)とか、そういうリアクションをするほうがまだマシじゃないですか。

これ、「花札全部封印したら主人公死亡」っていうの、逆に主人公しか知らないとか、むしろその方が良かったのでは。
自分が死ぬと知りつつ、周囲を大切にしたい(残された時間を大切にしたい)っていうのなら、まだ主人公の行動が主になるので、街中に誰に対して愛を振りまいていてもおかしくないので。周りがどれだけアホでも、その日常すら愛しいっていう気分になれますしね。

何のために主人公以外にも、主人公の寿命(使命)が知らされたかっていうと、それぞれの主人公に対するリアクションを見るためだけなわけじゃないですか。それなのに、肝心の事実について楽観的なリアクションしかしないって、それどんな拷問。

何の解決策も見出せない状態で「でも助けるから」とかいけしゃあしゃあと…。そんな中、手作り弁当を渡されて「渡せてよかった」と微笑むヒロインに、どういうリアクションしろっつーのだ。

これ、クラスメート(仲間)が主人公に抱いている感情が、なんかこう友人じゃないんでしょうね。
くだらないことも一緒になって騒いできた仲間っていうよりは、完全無欠の人間はこんなことでくじけないよね? という無言の念押しをされているようで、一向に心の距離が埋まりません。じゃなかったら、「あたしたちがなんとかするんだから落ち込まないよね?」という何の解決にもなっていないプレッシャーを浴び続けているというか。

そりゃあ、雉明(主人公大好きで純粋に身を案じてくれる不思議少年。基本的に謎は全部語らないが思いのたけは全部ぶつける派)が輝いて見えるわけだよ。
相棒ポジションにも最終的には、こっちの問題は何も片付いていないのに、お前の過去のトラウマ解消できてヨカッタネオチでした。
こういうオチはだな、ネオロマだけにしておいてくれと…!

個人的には、鬼丸盗賊団から分離した(というかこっちの仲間になった)後の、ミギー(眼鏡のツンデレ貧乏性少年)は面白くて好きです。
勝手にミギーがビンタをライバル視していて、でもビンタが一枚上手っていうのがいい。

今のところ、これから九話のダンジョンにもぐろうかなというところなんですが、街中をフラグ立てた人間を追い掛け回す狩人プレイは凄く疲れました…。いや、もう正直そこまでして見たい奴もいなかったんだけどね…。
攻略本を見ながらやったので、みのりん(今回のヒロイン)以外は全員フラグが立ったっぽいんですが、なんだろう…大人同士の繋がりが凄くうっとうしいっつうか。別に野郎三人が喫茶店に集まって思い出話(多分本編では語られない)されてもねえ。

これこそ、主人公が青春真っ只中の高校生である必要性がないんですよね。九龍はあくまでなんちゃって高校生であって、任務のために身分を偽って高校に入学するところから始まるのでいいんですが、これ、本当に高校生がドタバタに巻き込まれるにしたって、大人がしゃしゃり出てくる率多すぎやしませんか。
絶対的に敵で、完全に死ぬ(魔人みたいにね)ならともかくとして、大人の作った組織に属して、大人と戦って、大人の事情で振り回されて、ってそれ結局自分ら青春どうにも謳歌できてないじゃん、みたいな。
大体八話なんて、完璧大人の尻拭いに奔走しているだけですからね。しかも、自分の死亡フラグぶち立ててる状態でだよ!
こう、若さゆえの勝手気ままさがないというか。逆に本当に高校生なんだから、厨二病と呼ばれない年齢として、さわやかに非現実と関わって欲しかったというか。
そういう、甘っちょろい高校生の物語だからこそ、大人ってのは、直接介入せずに、導くものであったりして欲しかったなあ。

本来なら、鍵さん(神社の狐)とかがその役割を担っているのかもしれないけど、あの人、実際身になることなんも言ってくれないし、大体正直な話、初めから人じゃない時点で、もうなんだろう、私が想像するジュブナイルの世界観と違和感を感じてしまうのよね。
人が人ならざる力を持つ。人なのに人ではないものになってしまう。だから、人である少年少女たちがそれを正す、みたいな、あくまで根源は人。だからこそ悲しく、嬉しい。
でも、神様が実際に出てきてしまい、かつ、精霊的なものが人型を取ってしまう(人をのっとるのではなく)と、もうそこは一気にジュブナイルじゃなくてファンタジー…というか。

あくまで、「超常現象などない」ところから始まるのがジュブナイルで、はなっから「超常現象ありき」で始まってしまうと、こう主人公が日常に戻ってこられた喜びみたいなのが半減してしまうような気がしました。
まあこの主人公にとってはそれが日常、なんだろうけども。
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