忍者ブログ
日々のつれづれ。ネタバレに過剰な配慮はしておりません。
[673] [672] [671] [670] [669] [668] [667] [666] [665] [664] [663]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『インビクタス 負けざる者たち』公式サイト

いい映画でした。クリント・イーストウッド監督らしく、淡々と進む中に見ようによっては感動がある、っていう図式が確立されていて、下手にお涙頂戴ものではなくて、とても見やすい映画でした。
実際、人種差別から始まる映画なわけですから、見る前はかなり陰鬱な気分があったのは事実なのですが、見終わってみるとそこには、ギスギスした主張ではなく、団結して国をスポーツで盛り上げよう、という善の部分にニュートラルな重みを置いた映画で、ちょっと驚きました。
勿論、それでも実際差別は存在しているわけで、黒人の人たちが白人の人を許せないというのは至極当然なのですが、その中で、ラグビーというスポーツを主題においているところが、きれいにまとまっていて入り込みやすい感じです。

やはり、嘘でもなんでも、スポーツってクリーンじゃなきゃダメなんですよ。
影で買収があったり、陰謀があったとしても、それが現実だとしても、その上で、人々が歓喜の叫びをあげるに、恥じる内容であってはならないのですよ。
だからこそ、マンデラ氏はそのクリーンさを、団結の旗印として据えられるのであって、そこが初めから真っ黒なものを、政治的には決して利用できないでしょうから。

変なお涙頂戴にならないのは、これが事実であるという圧巻さと、マンデラ氏が決して慈善事業とか、純粋な善意から、ラグビーに対して肩入れしているからではない、というところでしょうか。
マンデラ氏は政治家であり、大統領です。南アフリカをまとめていく責任がある。
その中で、利用できるものはなんでも利用しなければならない。
それが、白人が中心となって活動し、恥さらしの実力として低迷していたラグビーだった、という割り切り方が、凄くなんだろう、政治的であるからこその裏切らない理由として存在していて、納得できるんですよね。

これがただ、ラグビーが好きだから(それだったら駄目ということではなく)という、愛情って言う不確かで目に見えないものを寄る辺には出来ないわけですよ。
マンデラ氏は政治家ですからね。
でも、その分、打算も社会も含めた政治の中で、「正しく利用する」っていうのが、逆に保証のない愛情よりも、確固たる保障がある愛情に昇華されているわけです。
だからこそ、スポーツは絶対にクリーンでなければならないわけですが。

マンデラ氏の釈放から物語は始まります。
分けられた道に、フェンス。裸足でサッカーをやる黒人の子供たちは、それを歓喜で向かえ、白人は「テロリストが釈放された」と冷淡な態度を取る。
明確な差別が、建前上なくなっても、黒人は白人に対する恨みを忘れていないし、白人は黒人に対する差別意識をなくすことはできない。
マンデラ氏のボディーガードとして雇われた白人が来たときも、黒人の第一声は、「俺を逮捕しに来たのか」とにらみ上げる。マンデラ氏に詰め寄る黒人の側近に対し、大統領は静かに言う。
「赦さなければならない。大きな心をもって」
「あいつらは、俺たちの仲間を殺そうとしたんですよ。たくさん、殺された」
これ、「許せる」はずがないんですよね。実際殺された人大勢いたわけですから。
でも、マンデラ氏は「赦せ」という。私がレンタルしたDVDでは一貫してこちらの漢字が使われていましたが、まさしくこの字の通りなのでしょう。
「許せ」なくとも、「赦さ」なければならない。白人が今度は逆に黒人を恐れるようなことがあってはならない。

低迷続くラグビーは、白人のスポーツであり、その象徴であるチームは解散の議決を取られる。満場一致の会場の中で、マンデラ氏は一人それに反対する。
「君たちは私を選んだ。私についてきてくれるものは挙手を」

低迷し、首を切られるのも時間の問題であるラグビーの主将を執務室に呼び、マンデラは手ずからお茶をふるまう。
具体的な話はお互いになにもせず、互いを鼓舞する形で会話は終わった。
どんな話だったのか聞きたがる妻に、主将は、
「たぶん、ワールドカップで勝てと」
と言うのだった。

この時点で、マンデラはもうこのマッド・デイモン演じる主将に、楽に退かせる気はさらさらないわけです。同じ重責を担ってもらう相手として、主将を選んだ。勝てとも言わず、ただ国として一つに団結し、持っている力以上のものを出すためには、さらなる高みが必要であると説くマンデラは、やはり慈善事業家ではなく、政治家なのです。
だから、政治のアピールとして、ラグビーチームを大いに使う。
それに反発を覚えるチームの面々も、その中で社会を見るうちに、南アフリカという国にとって、自分たちがいかなる存在であらねばならないかを知る。

「この国は変わった。だから、俺たちも変わらなくてはならない」

決勝まで進んだラグビーチームは、マンデラが三十年収監されていた島へ向かう。
両腕を広げるのが精一杯な独房。石を砕き続けるという、無意味な仕事をさせられ続けたその島で、主将は確かにマンデラの思いを知る。


我が運命を決めるのは吾なり、我が運命の支配者は吾なり、我が魂の指揮官は吾なり。


静かな迫力がある映画でした。特別わざとらしい伏線もないし、時系列ごとに淡々と進む映画なので、政治色が苦手な方も見やすいのではないかと思います。変に過剰な演出があると、この手の事実に基づく映画は非常に萎えるのですが、そういうの一切ありませんので。
単なる人格者というのではなく、政治的な命がけのパフォーマンスをさも当然のように行う人間と、その意思に打たれ、応えた人々の映画でした。
最後、EDロール(というかワールドカップのテーマ曲なのか?)が、クラッシックの『ジュピター』に歌詞を当てはめているものなのですが、その歌詞が、凄くキング牧師の演説と似ていて、なんだかぐっときました。ワールドカップも、OPは黒人の方が、EDは白人の方を起用していて、そういう人種的な配慮も細部に垣間見れる作品です(当たり前のことなんでしょうけども)。
政治的な映画であることは間違いないのですが、ちゃんとユーモラスな場面もありますし、マンデラ氏も家族崩壊していたりして、完璧なものばかり映るわけではないので、そのへんはご安心を。
PR
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
ツイッター
ブログ内検索
メモ

公式サイト11月10日発売予定








ファンタスティックMr.FOX
アリス・クリードの失踪
4デイズ


美術系
・氷見晃堂(石川県立美術館)
・佐々木象堂(佐渡歴史伝説館)
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright (c) 雑記 All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]